用意されていた宿舎には一通り必要なものが揃えられていた。一応、『人間用』という事で一昔前のビジネスホテルの様な間取りをしている。恐らくこれからこの部屋にモノが増えていくのだろうと、刑部は殺風景な部屋を眺めながらぼんやり考える。無論それは、自分の物ではない。『自分を抱く誰か』の物だ。前もそうであった、ならばきっと今回もそうなる。
刑部はパイプベッドを軋ませ、隣で自分に張り付く源を見た。直ぐ傍には酒瓶が何本も転がっている。どれだけ呑んだのだろう? 機械人形は『酔う』という事がない、確か酩酊感を得る感性プログラムは存在した筈だが、彼女はそれを使っているのだろうか。
酔うことも出来ないのに、お酒を飲んで楽しいかと一度源に問うたことがある。あれは確か、訓練センターで寝床を共にした時の事だ。すると彼女は酒瓶を揺らし、カラカラと笑って、「楽しいさ」と答えた。
彼女は酒を飲んで酔う事が目的なのではなく、酒を飲むという行為自体を楽しんでいる様だった。刑部には良く分からない感覚だった、或いはそれは源なりの『模倣』であったのかもしれないと、そんな事を酒で歪んだ思考のまま考えた覚えがある。
不意に刑部の腕に抱き着いていた源が、静かな声で問いかけて来た。
「確か、セブンとナインとか言ったか、刑部の所の機械人形」
声にはどんな感情も含まれていなかった。空虚というより、気怠げだ。刑部は小さく頷いて肯定した。
「えぇ、番号を名前にしているんで、少し驚きました」
「民間の方は兎も角、セブンって言った方の軍用人形は製造されて余り経っていないんだろう、その内吹っ切れて、適当な名前でも付けるさ、要は慣れだよ、慣れ」
その言葉には実感が籠っている。或いは彼女もそうだったのかもしれない。実際の稼働年数は聞いた事がないが、少なくともナインとセブンよりは上だろう。刑部は天井を見上げたまま言葉を返す。
「やっぱり機械人形となると、最初の内は『名残』に引っ張られるものなんでしょうか?」
「あー、んー……どうだろうなぁ、アタシは一年もしない内にこっちに馴染んじまったし」
「源さんはちょっと特殊な気がしますけれど」
「なんだとぅ」
源が立腹したとばかりに肩に噛みつき、甘噛みする。舌の感触が肌を撫でくすぐったかった。刑部が小さく笑いながら身を捩ると、源は口を離し噛み痕が残る首筋を優しく舐めた。
「でも、やっぱり番号だと呼び辛いですよ、同じ型の機械人形が来ると被りますし」
「いや、そこは人間も同じだろう? 苗字とか、名前とか、良く被るじゃねぇか」
「そういうもんですかね?」
「あぁ、そういう感性は人間特有のモンだ、番号も名前も大してかわらねぇよ」
番号と名前が同じ――それはやはり、何か違うような気もする。これは人間特有の感性なのだろうか。源は刑部の腕に抱き着いたまま目を瞑り、頤を逸らせて言った。
「あーぁー……アタシも人間だったらなぁ」
「えっ、源さん人間になりたいんですか?」
思わず、といった風に刑部は源を見た。率直に言うと、驚いた。
彼女は機械人形である、そして今まで人間を羨むような言動を一度もした事がない。人には人の、機械には機械の生き方があると。彼女はそういう生き方を体現したような人物だから。源はどこか恥ずかしがるように頬を掻き、それからぽつぽつと口を開いた。
「そう思う様になったのは最近だよ、具体的に言うとここ三ヶ月くらい」
「三ヶ月――って、大体俺と会った時期ですね」
「そ、要するにお前のせいだよ、刑部」
ぴっと、真正面から指を差され少し驚く。しかし言葉に反し、源の表情は嬉し気であった。
「お前に会わなきゃ性感プログラムだとか、こんな生体パーツだとか、買うつもりもなかったし、必死こいて生き残る為に頭使う事もなかった」
「……源さん、人間になって何をしたいんですか?」
「んー……――」
源はどこか悩むような素振りを見せ――それから一度、照れたように微笑み――刑部の首元に顔を埋め、言った。
「刑部の子どもが欲しいなぁ、って」
「―――」
それは――何と言い表せば良いか。
「ひひっ、刑部のその顔、久々に見た」
「……そりゃ、そうですよ、こんな顔にもなります」
どこか悪戯が成功した子供の様な表情を見せる源に、刑部は苦々しい顔を作った。驚愕と、歓喜と、それから困惑だろうか。それらが入り混じった絶妙な表情。刑部の腕に抱き着きながら源は続ける。
「アタシが唯一人間を羨むとすれば、それは愛した奴と『子ども』を作れるっていう一点だ、
「そんな事は……」
「いや、実際そうなんだ」
そんな事は無い。
そう口にしようとした刑部を遮り、源は断言した。その口調は強く、どこか確信めいていた。
「なぁ刑部、人間とそれ以外の決定的な違いって、何だと思う?」
「……?」
「例えばよ、刑部は歩き出す時、右足から踏み出すか左足から踏み出すか、決めていたりするか?」
「……いいえ、特には」
唐突な問いかけであった。
刑部は一瞬何をと思考するも、素直に首を横に振った。そんな事をいちいち考えていた事は無い。大多数の人間――多分、機械人形も――そうである筈だ。すると源は微かに笑みを浮かべたまま、続けた。
「なら、右足から踏み出す派と左足から踏み出す派が言い争っていたら、馬鹿だなって思うか」
「まぁ、そうですね」
端的に言うなれば――どっちでも良い。本人なりのジンクスがあるのかもしれないが、刑部からすればそんな事どちらでも変わらないだろうというのが本音だ。無論、実際にその場に居合わせたのならば無用な口は慎むだろうが。
頷いた刑部を満足そう見て、源は更に問いを重ねた。
「じゃあよ、教会で祈りを捧げる時に右の親指を上にして組むか、左の親指を上にして組むか、それで信者が言い争っていたらどう思う?」
「それは――……」
「やっぱり、馬鹿だなって思うか」
頷こうとして――一瞬、言葉に詰まった。
本音を言うなれば――どっちでも良い。だが、それを口にするのは憚られた。事が右足から踏み出すか、左足から踏み出すかという問題から、祈るときにどちらの指を上にして組むかという問いに変わった瞬間、刑部は「馬鹿馬鹿しい」と断ずることが出来なくなった。
何故か? それは刑部の中に『宗教』という概念が存在したからだ。それは神を崇める行為である。遥か古代から存在する、儀礼的な動作と言い換えても良い。それを、左右の足どちらから踏み出すのかという問題と同列に語る事が、何か『畏れ多い事』の様に感じられ、口を閉じたのだ。
そんな刑部の思考を他所に、源は言葉を続けた。
「アタシ等は思う、そんなのどっちだって良いじゃねぇかって……けれど本人たちからすればそうじゃない、それこそ宗教戦争なんて起こして人を殺しちまう位には大切な事なんだ」
刑部の腕を撫でつけながら、どこか羨むような声色で源は呟いた。刑部は黙って彼女の言に耳を傾けた。
「人間の凄いところは、価値のない物に価値を見出す事が出来る事だとアタシは思う、在りもしない物を在ると信じ、もしくは虚ろそのものにさえ価値を見出す、教会の祈り方然り、
源は同意を求めるように刑部を見た。
刑部は頷いた。確かに、同意出来た。
例えば獣は神に祈らない。そも、神という存在そのものを考え付かない。目前の、在るがままを受け入れるだけ。強き者には従うだろう、それこそが物事の本質だから。『物質的な存在』にこそ彼らは膝を着く。強者という真実に彼らは従い、平伏する。
それは獣に限らず、人間以外のあらゆる生き物に当て嵌まるだろう。それは、彼女たち機械人形も。現実に頭を垂れる事は、誰だって出来るのだ。
「けれどな、アタシもその、【人にしか出来ない事】の取っ掛かりが漸く掴めたんだ」
けれど人は、
「どうして人間は神様なんて虚構を生むのか分からなかった、けれどそれは当然なんだよ、アタシ等機械人形は神様に
機械人形は機械人形だ。感情を得ても、得なくても、その本質は変わらない。
源が天井に――その先にある何かを掴もうとするように手を伸ばした。彼女の顔は影になって良く見えない、けれど何かに輝いている様な気がした。期待とか、希望とか、きっとそういうものに彩られているのだと刑部は思った。
『源』という機械人形にあって、『刑部』という人間にないものだった。
「でも違う、そうじゃなかった、私にも人間が神様って虚構を生んだ理由が分かった――どれ程願っても叶わなくて、どうしようもなくなって、本当に超常の存在、それこそ言語化出来ないような存在でなければ叶えられないような願望を抱いた時、縋りたくなるんだ」
伸ばした手を握り締める。その掌には何も掴めていない、ただの虚ろがある。けれど源はその掴んだ虚ろが然も大切なものであるかのように掻き抱き、それから目を瞑って刑部の肩に顔を埋めた。
「なぁ刑部、お前との子どもは諦める――諦めるよ、けれど一つだけ欲しくて、どうしても諦められないものがあるんだ」
「……何ですか?」
刑部は問うた。源は一拍、呼吸を挟んで懇願した。
「――頼むから、アタシより先に死なないでくれ」
言葉は直ぐに掻き消えた。けれど、刑部の胸にはいつまでも留まった。
少しして、苦笑いが零れた。無茶なことを――そう思ったけれど、口には出さなかった。機械人形と人間の寿命の差とか、そういう話ではない。
単純な、『性質』の問題であった。
藤堂刑部という人間は――きっと。
「無茶言いますね、俺、ピカピカの新兵ですよ?」
「馬鹿、何の為にアタシ等が必死こいてお前を育てたと思っている? そこらの感染体なんざ片手間にぶっ殺せるようにする為だ」
「ははは、まぁ、確かに訓練は滅茶苦茶大変でしたけれど」
刑部は過去を懐かしむように目を細める。確かに、訓練は大変だった。Dブロックと呼ばれるあの場所での訓練は、本当に。源は懐かしむ刑部の肩に顔を埋めたまま、小さな声で、囁く様に、もう一度告げた。
「頼むよ、刑部」
源は目を瞑ったまま懇願した。不意に、肩が冷たくなった。それは精神的なものではなく、物理的な冷たさを伴っていた。その原因が涙なのだと、彼女が泣いているのだと分かった。刑部が源に目を向けると、暗がりの中で源が目を瞑って音もなく涙を流しているのが見えた。
この、人に縋りつき涙を流す存在を見て、機械人形だとどれ程の人が思うだろうか。刑部は静かに源の髪を撫でた。無機質な冷たい髪だった。
その日、最後まで――刑部が頷く事は、終ぞなかった。
毎度誤字報告ありがとうございます。
とても助かります。