リリカル・ブレイン   作:SLB

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 どれだけ罪を犯そうと、どれだけ強い信念を持とうと
 決して忘れてはならないことがある
 ただ後ろを向くだけでもなく、闇雲に前だけを見て進むだけでもなく
 過去(うしろ)を見てから、未来(まえ)を向いて進むこと


第零章 繰り返さないために ~Wizard's Adventures in Wonderland~

 海と山に囲まれた、長閑な街並み。

 高層建築が連なり、その隙間を網目の如く道路が存在する、平和な街。

 夜になっても人通りは途絶えず、車が行き交い、電飾看板が煌めいていることだろう。

 しかし今、その中は余りに静か過ぎた。

 人の気配は殆どなく、車は一つとして通らず、風一つ吹かぬ街。

 別空間とさえ思われるそこは、しかし確かに外界から切り離された別の空間だった。

 魔法という奇跡によって織り成され、半円球状に展開された、巨大な結界の只中である。

 その中心で、天も結界も纏めて貫くほどの、これまた巨大な光柱が奔っていた。

 柱の根元に、舞台の役者はただ四名。白い少女と、小動物と、狼と、そして――

 

 ……止まれ……止まれ、止まれ……!

 握る両手の中から溢れる、まばゆいばかりの光。同時に流れるのは、膨大な魔の力。

 止められるのか、と過ぎった思考を無理矢理頭から追い出し、手中の青き宝石へと、湯水の如く己の魔力を流し込む。

 莫大ながら方向性のない力を、力ずくで抑える。魔で編まれし黒き手袋は裂け、両掌から血が滲む。

「フェイトちゃん!」

 意識の端に声が届く。

 知っている。この宝石を奪い合うことになった、白い少女のものだ。

 顔を見ていなくても、こちらを心配しているという気持ちが伝わってくる。

 ただの敵同士なら、間違いなく無視しているそれに、黒い少女は反応してしまった。

 戦いを好まず、こちらへ問いかけ続ける彼女の態度に、どう返せばいいのか分からない。

 慌てて、強引な封印作業を続行する。今は気にしている場合ではない、はずだ。

 力を使い過ぎたせいか、意識が朦朧とする。先程集中を切らしたせいで、光が数段強まっている。“血の滲んだ両手を、別の手が包む”。 我に返れば、眼前に白い少女の顔。こちらの視線に気づき、にこりと微笑む。

 彼女のデバイスも破損したのだろう。待機状態として首に掛けられている赤い宝玉は、罅が入っている。

 手伝う気か。しかし、白い少女の動機とこの状況を考えれば、封印に手こずる位ならこちらと協力する事さえ辞さないのかもしれない。

 あるいは、こちらを助けたいと純粋に思っただけなのかもしれない。

 本当に、彼女は敵、なのだろうか。

 自分は彼女と、どう向き合っていけばいいのだろうか。

 母は怒るのかもしれない。使い魔は無視しろと叫ぶかもしれない。けれど、それは本当に正しいことなのだろうか。

 誰かを傷つけてまで母のお願いを聞くのは、本当に正しいことなのだろうか。

 何が正しくて、何が間違っているのか。

 ……わたしは……どうすれば……

 一つ迷いが生まれた途端、歯止めがきかなくなる。

 この時、黒い少女の混乱は頂点に達した。

 少なくとも、宝石の封印作業が止まってしまう程に。

「あっ――」

 思わず声をあげたのは、誰だったのだろうか。

 掌の中の光は、一瞬にして役者達の眼を眩ませる程に強い輝きを放つ。

 直後、宝石を握りしめていた少女達は、悲鳴を上げて弾き飛ばされた。

 黒い少女は横たわったまま動かず、白い少女は尻餅をついたまま呆然と見上げる中、抜け出した青き宝石は勢いよく天へと昇り、閃光と共に消えた。

 

 二十一世紀初頭、四月二十六日の夜。日本、海鳴市の結界内にて。

 

 

 銀世界。それは、地面一帯が雪で覆われた幻想的な光景。

 しかし同時に、万物の生を脅かす冬の場面でもある。

 天候は永遠の雪。風はほぼ皆無。そして、気温は零下四十度。

 雑草一つ生えやしない、正しくここは死の世界。

 しんしんと雪が積もり続けるその中を、一人の男が歩いていた。

 凍死しない為の分厚い防寒着を身に纏い、ブーツの足跡を後方へ置き去りにして、只管歩む。

 男の進む道は、決して平坦ではなかった。道なき道は上下にうねり、雪に埋もれた巨大な廃材が周囲のあちこちで転がっている。

 時代に埋もれた巨大な廃墟とも見て取れるが、実際にはこうなってから十年と少ししか経っていない。

 一千万人の人間が暮らしていた、ここは栄華の跡地である。

 無言で足を進める男は、用心深いジャンク屋であった。その手には、何らかのセンサーと思しき箱が黒く艶めいている。

「ん?」

 突如鳴り響く電子音に、ジャンク屋の男は足を止めた。

 無論、音の発生源はセンサーから。では、感知したのは何なのか?

 男が真っ先に取った反応は、警戒であった。油断なく周囲へ目を走らせ、いつでも走りだせるように身構える。

「……魔法士じゃねえ、か」

 時間にして数十秒の後に、男は漸く緊張を解いた。

 呟いた通りの存在が現れたなら、今の体勢は気休めにもならないだろうが、だからといってむざむざ死にたくはない。

 電子音は未だに鳴り響く。そして、センサーが感知しているポイントも、最初のままだった。

 やがて男は、センサーの示す場所へと足を向ける。

 ここから先には鬼が出るのか、それとも探し求めた仏が出るのか。

 今は、宝探しに近い職業であるジャンク屋としての好奇心が、不安や恐怖を凌駕していた。

 やがて、点在する瓦礫の一つから青白い光が漏れているのが目に入り、男は目を見開いた。

 残りのジャンク目的でもう随分とこの辺りを歩いたが、あんなものは初めてだった。

 早速近寄り、発光する瓦礫の中を覗いてみれば、ほう、と感嘆の声を上げる。

 狭い空間の中で、小さな青い宝石が光っていた。

 丁度装飾品に使用されてもおかしくないような大きさ。しかも、傷一つ付いていないようだ。

 センサーが感知していたものも、これでほぼ間違いないだろう。

 つまりは只の宝石でなく、何らかの発明品や重要な部品である可能性が高い。

 売れば高くつく……いや、隊商では駄目だ。シティに売れば莫大な金になるだろう。交渉次第ではもしかすると、シティの永住パスも夢ではない。

 鬼か仏か……どうやら、これは仏で決まりのようだ。

 欲望のままに手を伸ばして取り出そうとする。が、ぎりぎりで届かない。

 一旦腕を引き戻し、忌々しげに廃材を睨みつける。しかし、それで諦めるジャンク屋ではない。自分の生活がかかっているのだ。

 今度は肩まで瓦礫に入れ、宝石を掴もうと指を伸ばす。だがしかし、触れるか触れないかの距離で指先が止まってしまう。

 それでも男は諦めない。その状態のまま首の根元の辺りまで隙間へと差し込み、強引に欲望を掴もうとして――その指先が、宝石に当たった。

「あっ」

 この時になって、男は漸く気付いた。

 狭い隙間は決して平坦ではなく、奥へ向けて下り坂の形状をしていたことに。

 その上を、宝石は微妙なバランスで留まっていたに過ぎなかった事に。

 結果、外部からの運動エネルギーを受けた宝石が、更に奥へと転がっていく。

 先にあるのは、更に小さな隙間の中にぽっかりと空いた穴。

 声を上げる間もなく、宝石はより暗い闇の中へと落ちていった。

「ツイてねえな……」

 廃材を退かせるような道具は持ち合わせていない。男はとうとう宝石の入手を断念した。

 折角こんな夜にまでジャンク漁りに来たというのに、運が向いてきたと思ったらこれである。

「しょうがねえ。他あたるか」

 ここでの探索は終了とセンサーの電源を切り、足早に来た道を戻っていった。

 

 もしこの時、センサーを点けたままだったなら、男はこの後どんな反応をするのだろうか。

 それで何かが大きく変わるわけではないとしても。

 

 

 からんころん、と。

 瓦礫の隙間のただ中で、転がる音を響かせて、光る宝石は際限無く落ちていく。

 誰の手にも渡ることなく、世界の無音をかき消して、底の見えない闇の中へと落ちていく。

 その転落劇は、いつまでも続くかと思われた。しかし、永遠なんて何処にも無い。

 やがて青き宝石は、深い深い穴の底へとたどり着いた。

 これまでとは違う、広い空間。天井に開いた僅かな隙間を掻い潜り、宝石は部屋の中心へ転がり込んだ。

 ついに動きを止めた石は、次第に光を弱めていく。次元を始めとしたあらゆる境界線を越えて旅をしてきた青き石の、ここが終着点かに思われた。

 確かに、石の旅はここで終わりなのかもしれない。しかし、ただで終わることは決してなかった。

 石の中の光が消えたその瞬間、古代の遺失物は大きく鳴動する。

 宝石を包み込むように光が発し、石は部屋の丁度中心へと浮かび上がる。

 光は床へと伸び、伸びた光は幾つも分岐し、床から壁へと別々に伸びていく。

 壁へと伸びた光は、最初から壁など無いかのように、向こう側へと伸び続ける。

 ――それはまるで、種子が大地に根を張るように。

 地表へと芽吹くことなく、大きな樹木の幹であるかのように、光は種を頂点として直立する。

 ――それはまるで、大きな培養槽のように。

 根はより深く、より遠くへと広がっていく。幹はこれ以上太くならないのに、根だけが際限無く広がり続ける。

 ――それはまるで、全てを覆うように。

 青き宝石は、規則的な鳴動を始めた。誰かが慟哭をあげているような、奇妙な鳴動。

 ――それはまるで、生き物のように。

 気付く者など、誰もいない。世界中の何者にも気づかれることなく、微弱な情報制御を発しながら、過去の遺物は侵食を開始した。

 ――世界への侵食を、静かに開始した。

 

 西暦二一九八年、四月二十六日の夜。某シティ跡地の、遥か地下にて。

 

 

「――おかあさん! おかあさんっ! 死んじゃやだぁっ! おかあさんっ――!」

 まただ。またこの夢だ。

 天井の出口から差し込むサーチライトの光が、周囲の通路や壁があった筈の空間を真っ暗に塗り替えている。

 円上に照らされた床の上にいるのは、自分と……もう一人。

 腕の中に抱き留められている、世界でたった一人だけのおかあさん。

「もうわがまま言わないから!」

 わたしの為に沢山の人を傷つけ、殺してきたおかあさん。

 わたしが普通の人間でないことを知り、自分の命がもう長くないことを知っていたおかあさん。

 わたしに何かを残そうと、それでもたった一人で必死に戦い続けていたおかあさん。

 わたしから全部隠す為に、自分のことを嫌いにさせて悲しまずに済ませようと、必死で冷たい態度をとっていたおかあさん。

「わたしのこと思い出してくれなくていいから!」

 わたしが自分の娘であることを忘れてから、自分の誕生日が終わるその日まで、ずっと笑いかけてくれたおかあさん。

 喋らず、歩かず、何の表情も映さず、考えることさえできず、ただ起きているだけになったおかあさん。

「わたしのことなんか好きになってくれなくていいから!」

 そしてあの日。軍に包囲され、逃げ場をなくし、何もできないはずなのに。

 わたしを庇って体中を銃弾で貫かれ、最期にわたしの名前を呼んで死んでいった、大好きなおかあさん。

「生きててくれれば、それだけでいいから! ……こんなの、こんなのやだぁっ!」

 周りの状況も、何もかも忘れて、ただ泣き叫ぶばかりの自分。

 誰がどんなに頑張っても、決して変えることのできなかったであろう結末。

「……いいこと……教えてあげよっか」

 背後、暗闇の只中から声。

 本当に闇の中から抜け出てきたかのように、黒い眼帯を付けた茶髪の少女が立っていた。

 自分よりも高い背を屈め、こちらの耳元に口を寄せる。

 分かっている。この人に罪はない。

 結局自分は巻き込まれただけで、周りの状況で色々な事が重なっただけなのだと。

 だから、誰も恨んでなんかいない。

 みんながみんな、ただ必死に頑張った。

 どんな手を使っても、守りたい、助けたいと、ただそう思ってそれぞれに動いていた。

 そうして、最後の結末がこうなってしまった。ただそれだけの事実。

 こんな筈じゃなかったという、ただそれだけの事実。

「あんたのお母さんを殺したのは、■■■よ」

 

「っ――!」

 一気に覚醒する。

 まず目の前に映るのは、白くて暗い天井。

 出入口も、眩しいサーチライトもそこには存在しない。光の中から向けられていた、多数の銃口さえも。

 慌てて上体を起き上がらせ、目元を拭う。涙が零れていたのは、やはりと言うべきだろうか。

 体の震えを認識し、両腕で掻き抱く。荒い息を整えながら、金髪碧眼の少女は不思議に思う。

 ……どうして……。

 思い出したくもない記憶。夢であって欲しかった事実。

 母がいなくなってから、既に三ヶ月が経っていた。

 少女にとっては短いのか長いのか判断が付きかねるその間にも、周囲では沢山の出来事があった。

 それでも、一時の休息は一度や二度では無かったはず。今頃になって何故あんな夢を見るのだろうか。

 何にせよ当分眠れそうにない。こういう時は、自主訓練をするに限る。

 ベッドから抜け出て、寝間着から私服に着替える。髪を結わえるリボンは青を選ぶ。

 部屋の隅に置いてある鞄を拾うと、硝子細工同士の擦れ合うような音が漏れた。

 『Dimension Distorting Device』。通称D3。

 見かけは拳大の大きさをした宝石だが、“光使い”である自分専用の武器にして、母が残した唯一の形見だ。

 まず、部屋を出る。廊下の何所にも人の動く気配はない。自分の『脳』を使ってその裏も取り、できるだけ音をたてないように歩く。

 自室も暗ければ、ここもまた暗い。構造上窓は一つもなく、非常灯が点いているのみ。しかし、少女にとっては明るかろうが暗かろうが関係はない。

 そのまま、何の問題もなく玄関に到着し、外に出る。微風が流れ、ポニーテールの髪を僅かに揺らす。

 シティを出てからすっかり見慣れた鉛色の雲が、視界の半分を支配した。

 

 

 人類が青空を失ってから、既に十二年。

 全ては、当時において平和の象徴だった大気制御衛星の暴走から始まった。

 その事件は容易に深刻なエネルギー不足を引き起こし、三度目の世界大戦を引き起こし、地球上から九割九分以上の生物を消し飛ばした。

 この間、二年。実際に戦争を体験し生き残った者達にとって、この時間は如何許りのものであっただろうか。

 少女が立っているのは、戦争を終結に導き、同時に戦争で最も深い傷跡が残った場所。

 嘗て存在していたアフリカという大陸の一部だった、ここは無数の島々が内の一つである。

 世界地図に載っていたアフリカ大陸なるものは、アフリカ海へと名を変えてしまったのだ。

 大戦から十年。人は未だに青空を取り戻すこと叶わず、終わらぬ冬を過ごしている。

 何れにしろ、少女が生まれるより少し前の出来事である。

 

 

(「身体能力制御」発動。運動速度、知覚速度を四十三倍に定義)

 速くなる。

 傷跡の残る細い体躯の動きが。普通の人間となんら変わらぬ五感の認識が。

 虚偽でも比喩でも誇張でも冗談でも何でもなく、『自分』という存在、その全てが。

 遅くなる。

 空を鉛色に染め上げる雲の流れが。大戦の前から変わらず有り続ける海の流れが。

 島に設置された大気制御システムの恩恵により、人が生きていけるように調整された空気の流れが。

 心臓の音は速く細く。伴う血流はただ速く。

 潮騒の音は遅く太く。伴う潮風はただ遅く。

 速くなった事象は客観的な意味であり、遅くなった事象は主観的な意味であり。

 自分の全てが四十三倍に加速するという現象は、周りの全てが四十三分の一に遅延するという錯覚を与える。

 

 身体能力制御。それは、体内の物理法則に干渉する力。

 筋力・反応速度・神経伝達速度を倍率分増幅させる。即ち、運動速度と五感の認識速度を同じ倍率で加速させることに繋がる。

 物理法則に対する直接干渉。人類がそれを科学的方法で実行するためには、一つの仮説を成り立たせる必要があった。

 ――世界は『情報』でできている。

 森羅万象が巨大な情報……情報の海であると例えてしまえば、後は発想の転換だ。

 現実が動いて情報に変化が起こるなら、情報から変化させることで現実に影響を与えればいい。

 砂浜の上で二振りの騎士剣を携える少年は、生まれながらにしてそのような力を持つ存在であった。

 脳に埋め込まれた生体コンピュータ『I-ブレイン』。

 二十年前のコンピュータを軽く百万倍以上は上回る、超高速演算“器官”。

 メモリに記憶装置、入出力回路などは言わずもがな。

 視覚に直接介入して映像を見せるグラフィック処理系まで存在するという、一世紀前の人類からして見ればとんでもない……或いは馬鹿馬鹿しい代物である。

 圧倒的な演算速度。この世界の人類が物理法則と過酷な環境に抗う事の出来る、唯一の武器である。

 

 両足をばねの如く縮め、跳ぶ。

 真上へ。高く、高く。

 右手の『陰』、左手の『陽』。それぞれ名付けられた双子の短い騎士剣が、鈍銀の煌めきを放つ。

 騎士専用剣型デバイス、通称騎士剣。その補助によって拡張された記憶領域が、本来なら七倍にしかならない加速倍率を数十倍単位まで引き上げる。

 それでも、やはり頂点は訪れる。どれだけ速くなろうとも、重力に抗う事は叶わない。

 だがしかし、落下に抗う機会はまだ残っている。

 少年は本来、最大で五十三倍の加速倍率を叩き出す。それを敢えて四十三倍に留める理由がここにある。

 加速の他にもう一つ、別の機能にも強く意識を傾ける為、どうしても出力を抑えなければならないのだ。

 身体を折り曲げ、右足に『陰』の刀身を引っかけ、そのまま駆け登る要領で強く蹴る。細身の剣を足場にし、少年は空中で再び跳んだ。

 蹴り飛ばされたはずの騎士剣は、最初から蹴り飛ばされていなかったかのように自由落下を開始する。

 二度目の跳躍は、地上で行った一回目と同じ勢いのまま、若干斜め気味に少年の身体を持って行く。

 右足を剣から離して間もなく、跳躍方向に左手の『陽』を掲げる。

 更に左足を折り曲げて剣の腹にかけ、三度目の跳躍体勢。向かう先は、ついさっき手を離した『陰』。

 自由落下を続ける騎士剣を“見上げる”事で、視界が上下反転するのも構わず、砂浜を背にして跳躍し、『陽』と左足が空中で離れていき、

(運動速度、知覚速度を七倍に再定義)

 直後、額の裏側からメッセージ。同時に、加速が“落ちる”。

 これまでの異常な加速能力は、騎士剣の恩恵あってこそ。二本の剣のどちらにも触れていない今、少年は素の能力だけで加速せざるを得ない。

 一方、蹴られた側である左手用の剣はなんのその。蹴られてなどいませんとばかりに、こちらも右手用の剣と同様自由落下を開始した。

 

 そもそも、身体能力制御は加速であって強化ではない。

 というより、変化させるのは体内の物理法則であって、肉体の物理強度を引き上げることはできない。

 肉体強度をそのままにして動きだけ速くすれば、本来ならその出鱈目な運動による反作用で肉体が耐えられない。

 故にこの能力には、肉体に掛かる余計な反作用を片っ端から消去する機能も付いている。

 無論、タダではない。加速と運動量無効化を併用する為リソースを割かれ、運動速度は理論上百倍までしか加速出来ない。

 更には反作用を処理することで、加速によって得られていた運動エネルギーも打ち消され、どれだけ速くなろうと人間本来の膂力しか残らない。

 これだけだとデメリットしかないように思えるが、意外な使い道というものは存在する。

 反作用を無効化するという事は、肉体とそれに接触する全ての物体に起こりうる、『作用反作用の法則』を消去することに等しい。

 結果、足元に存在する液体や固体……例えば、水溜まりや銃弾、小さな紙切れ、そして騎士剣を蹴る事で、足場代わりの空間移動が可能となるのだ。

 空中で留まり続ける事は流石にできないものの、ただの加速や強化では決して成しえる事の無い、三次元的空間移動がここに実現する。

 最も、今少年が行っている芸当は。恐らく少年にしかできないであろう、文字通りの離れ技なのだが。

 

 上下逆さまだった体を反転させ、空中で身を捻りつつ接地寸前の『陰』を掴む。

(運動速度、知覚速度を四十三倍に再定義)

 頭の中からメッセージ。再び補助を受けたことで、加速倍率が跳ね上がる。

 砂浜の上に着地し、反動を利用してバックステップ。そのまま、視線も向けずに後方へ一閃。

 潮騒の中に響く、澄み渡った金属音。

 インパクトの直前、跳ね上げるように剣の軌道を変えた事で、もう一本の騎士剣が再び宙を舞う。

 そこで振り返り、更に高く飛ぼうとする『陽』の柄を左手で掴み、少年は漸く息を吐いた。

 拠点としている島の端。鉛色の雲の下、陽光なき砂浜の上にて、大きく開いていた両足を元の直立へ戻す。

(「身体能力制御」終了)

 発動していた能力を終了させると、肉体の速度が通常へと戻っていく。自分と周囲の、“ずれていた”感覚が消えてなくなる。

 能力に合わせて制御されていた聴覚が復帰する事で、少年は人形から人間に戻ったことを悟る。

 たった今行った訓練は、誰にも見せていないし教えていない。文字通りの奥の手である。

 人気の無い砂浜で訓練しているのは、そういった理由からだ。しかし訓練を行った直接の理由かと問われれば、そうでもない。

 最近、どうも同じ夢ばかり見る。

 今回はそれで目が覚め、そのまま寝付けなくなった為にやむなく訓練を始めたものの、夢のことがどうしても頭から離れなかった。

 内容は、『光使い』の事件の始終。自分が関わった最初の事件から、あの正八面結晶体を破壊する、その瞬間まで。

 あのスポンジを斬ったような感覚を最後に、必ず夢が終わる。

 血の夢は幾度となく見てきたが、過去を夢に見ることはあまりなかった。

 後悔したって何も始まらない。あれは本当にどうしようもないことだったし、所詮過去は変えられない。

 “罪を背負って生きていく”と、メルボルンの戦いで抱いた決意には、一点の曇りもない。

 といっても、血の夢と変わらない位悪い夢であることに変わりはない。心の底では確かに「こんな筈じゃなかった」と思ってはいる。

 それを夢で見たのだから、ただ事ではないような気さえする。

 ……何か、大事なことでも忘れたのかな?

 得体の知れない不安を抱えつつ、デュアルNo.33は両の騎士剣を一旦鞘に納めて――

「ディーくん?」

 鍔鳴りの直後に、この数ヶ月で聞き慣れた声が耳へ届く。

「あ……セラ」

 振り返れば、いつもと変わらない金髪碧眼。白地に青を混ぜた服と、大きな青いリボンで纏められたポニーテールが風に揺れている。

 訓練の内容が内容の為か、声をかけられるまで気がつかなかった。

「特訓ですか?」

「う、うん!」

「……そう、ですか」

 それっきり顔を俯かせる少女に、少年は頬を掻いた。

 追われる身となってからずっと、微妙な雰囲気になることは日常茶飯事。

 二人きりだと食事が一切喉を通らなかったメルボルンの頃より、会話が途絶えるだけで済む今の方が随分マシと思うのは、偏見だろうか。

 何れにしろ、このまま何も言わないのでは何も進まない。

「それじゃあぼく、終わったからかえ――」

 元より、ここにいること自体居た堪れない。殆ど強引に場を離れようとした、その時。

 二人の脳内時計が、西暦二一九八年十一月二十六日の午前一時八分を伝えた、その時。

(情報制御を感知)

 脳内に走ったメッセージとともに、それは起こった。

 足下に、突如論理回路が浮かび上がったのだ。

「「――え?」」

 それも、二人同時に。

 無論、ここで簡単にパニックを起こすへまはしない。歳には決して似つかわしくないが、結構な修羅場を潜ってきている。

 方や鞘に納めた両の騎士剣に掴み、方や背負っていた鞄から正八面結晶体が――

「あれ?」

 出てこない。何かに気づいたように、少女は辺りを見回すだけ。

「どうしたの? ……って」

 聞きかけて、更なる異常に気付く。

 情報制御――世界に対する情報の書き換えを感知した直後から浮かび上がっている、見た事もない円形の論理回路。

 気付いた異常は、自分と少女を個別に囲んだそれが“回っている”ことだ。

 論理回路とは、昔のオカルトで言う魔法陣。床や銃弾などの物質に刻み込むことで、物理強化を始めとした一定の効力を得るという代物だ。

 問題は、主な対象が固体であること。魔法陣と言えば聞こえはいいが、原子単位という精密な調整の下で刻み込まなければ意味がない。

 よって、気体・液体ではすぐに形を崩してしまう。効果があったとしても、もって数秒程度だろう。

 その論理回路が、砂浜と足の間で時計回りに動いているのだから、異常にも程がある。

 形も効果も崩さず、視認可能なレベルで動き続けるこれは、本当に論理回路なのだろうか?

 ……真昼さん達は……

 ちら、と隠れ家へ視線を移すが、動きは皆無。どうやら、侵入者用の装置が作動していないらしい。

 余程の手練かと一瞬考えたが、本当にそうだとしたら既に戦闘が始まっている筈。

 狙撃でもなく、奇襲でもない。完全な不意打ちだったとはいえ、これはもしかすると、

 ……シティの襲撃じゃ、ない……?

 最悪、何らかの事故に巻き込まれた可能性すら有り得る。

「ディーくん……これ、何ですか?」

「分からない、けど……まだ油断は出来ないから、下手に動いちゃいけないと思う。それで、さっきは何で驚いたの?」

 さっさと隠れ家の方へ連絡を取りたいのだが、実はトラップでしたという結果になれば目も当てられない。

 現状を理解しての安全確認が最優先事項だ。動くのはそれからでも遅くない。

 自分よりも少女の方が、総合的な索敵能力は高い。迷わず聞いてみた。

「えっと……その、変な歪み方してるんです」

「うん、それは分かるよ。どう歪んでるの?」

 空間が歪んでいることぐらいなら、注意してみれば少年にも分かる。伊達にI-ブレインは持っていない。

「その、何次元もの方向に空間がねじ曲がってきてます。……やっぱり、シティの追手でしょうか?」

「うーん……遠距離空間転送の一種かな?」

 頭の隅で埃を被っている記憶を引っ張り出す。

「そうなんですか?」

「大戦が起こる前に、そんな実験があったって話を聞いたことがあるんだ……ちょっと待って。今、論理回路を調べてみるから」

 昔の資料では見た限り、どこのシティで行われたのかという肝心な記述は確か存在しなかったはず。

 しゃがみ込み、今も変わらず回り続ける論理回路に手を触れる。知識に関しては自分の方が上なのだから、ここは自分の番だ。

 何らかの手がかりが存在するとしたら、もうこれしかない。

(解析開始)

 ――最初に分かったのは、論理回路を形成している物質。

 空気分子で出来ているにしては妙だと思っていたが、やはり空気とは違う。少年にとっても未知の物体だ。

 物質の解析を早々に諦め、論理回路の働きを調べる。

 ……これ……

(解析中断)

 意外にも早く終わった。仕組みが簡単だったからだ。

 まだ不明な部分もあるものの、推測通りと考えて間違いないだろう。そう思い少年は顔を上げ、

「……って、セラ?」

 目の前にいた少女がいない。首を巡らせると、丁度真横に立っていた。

「周りの空間までは歪んでませんから、普通に動けます」

 その場にD3を一つ置き、少女は淡々と歩く。移動に合わせて、論理回路も影のように付いてきて離れない。

「でも、離れた物には効果がなくなるみたいです」

 環状の論理回路から外れた途端、置いてあったD3にだけ空間の歪みが消えた事を、I-ブレインが認識した。

「そ、そう……」

「あと、自己領域は使わないでくださいね。わたしでも、重力制御したらどうなるか分かりませんから」

 少女の方も色々と調べたらしい。最初に会った時から片鱗は見えていたが、ここ数ヶ月で随分強かになったものだ。

「それで、結果はどうだったんですか? もしかして、分からなかったとか」

「いや、すぐ終わったよ。終わったんだけど……」

 立ち上がり、一度深呼吸。D3を拾った少女へと向き直る。

 今更になって話し難くなったが、時間は待ってくれない。

「これ、ただの表示データ」

 無邪気に首を傾げていた少女は、そのまま凍りついた。

「ええと、今起こってる現象に関するパラメータみたいなものなんだ。回っているのは内容の一部が変わり続けているからで、他は全部固定。裏も調べたけど……」

 少年は肩を竦め、

「情報解体したって、表示する大元が健在だからすぐ復活するし、肝心の大元もまるで分からない。完全にお手上げ」

 言葉通りに諸手を挙げて、

「しかも変わり続けてる一部って言うのが時限式みたいでね、何所へ転送されるかは断定出来ないけど、とにかく見たところ……後一分もないんだ」

 気付けば既に詰んでいる有り様。状況把握に時間を掛け過ぎた。

 この異変に関して最も博識であろう参謀へかけ合おうにも、亜光速移動が可能な自己領域を使えないのでは不可能。身体能力制御だと限界がある。

 そもそも参謀に自分達のような能力は備わっていない。どう考えても手遅れであった。

「ど、どうするんですか!」

「どうするもこうするも……せめて、真昼さんに連絡しておかないと!」

「でも、携帯端末を取りに行ってる暇なんてないですよ?」

 パニック寸前の頭で、何か連絡手段はないものかと考え込む。

 携帯端末は隠れ家、紙媒体はそもそも貴重品。自分はおろか少女も持ってきてはいないだろう。

 ではどうすればいいのかと俯いた直後、閃いた。

「そうだ! セラ、そこを退いて!」

「え? は、はい!」

 指示を下しつつ両の剣を抜き放ち、迷いなく足元の砂浜へと突き立てる。

(「情報解体」発動)

 頭の中でスイッチを叩く。「身体能力制御」と「自己領域」の他に持つ、ディーと同じタイプの能力者なら確実に持っているそれを発動させる。

 砂という存在そのものに干渉し、物理強度を完全無視した原子解体を引き起こす。

 剣を突き立てた部分を中心に、只でさえ小さい砂粒達が更に細かく粉砕される。

 解体される前よりも一層軽くなったそれらは、地面から離れた瞬間空気の流れに乗ってどこかへ飛んで行く。

 結果として、平らな砂浜に小さなクレーターが穿たれる。

 少年の剣はそこで止まらない。解体された箇所が壊れない程度に出力を抑えつつ、足運びに気を付けながら腕を動かす。

 結果、残り三十秒で何とか間に合った。思わず安堵の息を吐く。

 足下には、大きな凹みで描かれた大量の文字。自分達の状態と転移に関する未解析の情報を思いつくままに書き留めてある。

 風で砂が流されても、ある程度は崩れないように深く穿っておいた。

 時間が経てばいずれ消えてしまうものの、明日になって自分と少女が行方不明となればすぐに見つけてくれるだろう。

 正直、こんなことにまで能力を使う羽目になるとは思わなかった。

 とにかく、これで連絡は十分。残っているのは、自分達の事だけだ。

「……あの、ディーくん」

 少女に向き直ると、不安げに見つめられた。何か言いたげな様子だが、もう時間が無い。

「自分の状況を把握するのが最優先、合流するのは後回し。いいね?」

「……はい、です」

 早口に捲くし立てると、少女は俯きながらも返す。

「大丈夫、無茶はしないから」

 寧ろ、自分よりも少女の方が心配だ。そんな言葉を、少年は辛うじて飲み込んだ。




 『双剣』デュアルNo.33。
 『光使い』セレスティ・E・クライン。
 誰にも知られることがなく、彼らはこの世界から消え去った。
 そうして。
 世界を騒がせるテロリスト「賢人会議(Seer's Guild)」の主戦力たる、二人の魔法士が別世界へ舞い降りる。
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