リリカル・ブレイン   作:SLB

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第八章 そして歯車は狂い始める ~Advice from Mothers~

「さて、問題はこれからね」

 アースラ・ブリーフィングルームにて、女提督の柏手(かしわで)が鳴り響いた。

 あの後、使い魔と執務官によるジュエルシードの取り合いへ発展。

 互いに三個ずつ入手し、不利を悟った使い魔は、言葉にならない声で叫びながら水飛沫を上げて撹乱しつつ逃走。

 魔導師三名を帰還させた後、セラへ伝えた輸送機事故の情報を残る二名にも説明し、ようやく本題へ入る所であった。

「クロノ。事件の大元について、心当たりは?」

 壁にもたれていたクロノが背を浮かし、数歩足を進め、

「はい。エイミィ、モニターに」

『はいはーい』

 相変わらずオペレーター室から、スピーカー越しにエイミィの声が届く。

 長方形テーブルの中心、赤い大きな球から立体映像が浮かび上がる。

「あら、画像データで見た事のある顔」

 映っていたのは、一人の女性に関するデータだった。

「ええ……ミッドチルダ出身の魔導師、プレシア・テスタロッサです」

 リンディと対面に座す三人のうち、少女二名が反応する。

 一人は名前から、もう一人はそれに含まれた単語から。

「フェイトさんのお母さん、ですか?」

「フェイトちゃん、あの時、“母さん”って……」

「親子、ね……」

「話を続けます。次元航行エネルギーの開発を専門に、ミッドチルダの民間エネルギー企業で開発主任として勤務していました」

『偉大な魔導師でしたが、事故を起こした後に退職。裁判記録が残ってます』

 呟く提督、話を戻す執務官とオペレーター。余程の有名人だったと見える。

「登録データとさっきの魔力波動も、一致しています。間違いないでしょう」

「そ、その、フェイトちゃんなんですけど」

 一区切りした所で、なのは。

「驚いてたっていうより……何だか、怖がってるみたいでした」

 これに内心で苦慮したのは、セラとリンディだ。

 提督は顔の前に置いた両手の指を組み、迷い子は誰にも知られることなく顔を俯かせる。

 親へ恐怖の感情を向け、次元跳躍攻撃を受ける。ただ事ではない。

 嫌っているフリをされた経験のあるセラは、あれは本気でフェイトを嫌っているのではないかと思案。

 “虐待”の単語が脳内でちらついたリンディは、情報を求めんと指示を出した。

「エイミィ! プレシア女史について、もう少し詳しいデータを出せる? 退職後の足取り、家族関係、その他なんでも」

『はいはい、すぐ探します』

 なのはは映像の女性を見つめ、ユーノはなのはを見守り、クロノは再び思案に耽り始めた上司の仕草を観察する。

 セラは思い出の中から母に手を上げられた記憶を辿るものの、纏わりつく死の光景が顔色を悪化させている事に自分で気付いていない。

「――ごめんなさいね」

「え?」

 正面から、小さな小さな謝罪の声。

 顔を上げるものの、セラの視界にこちらを映す瞳は一つとしてなかった。

 

 

 庭園深部、地下。

 そこは豪奢な廊下や広間でも、紙の資料が積まれた研究者特有の部屋でもなく、赤い洞窟のような空間だった。

 一言で洞窟と言っても、ピンからキリまで広義に渡る。例えば住居のように狭いものやトンネルのように広いものなど。今回は後者である。

 赤い岩でできた地面・壁・天井に角はなく、全体が半楕円形に近い構造をしている。

 その中で朽ち果てた木々が生え、乱雑に建てられかつ傾いたものもある円柱が地面から突き出し、その地面もあちこちが裂けていた。

 どこまでも真っ赤に荒れ果てた、遺跡の如き閉鎖空間。

 まるで、今の自分のよう。内心でプレシアは一人ごちた。

 眼前の僅かな白煙が立ち消えれば、現れるのは自分が開けた巨大な穴。後ろを振り返れば、長い階段の上で立ち尽くす少年の姿があった。

 何事もなかったように、プレシアは階段へ歩み寄る。

「手を出さなかったことには礼を言うわ」

 話し掛ければ、少年の肩が僅かに震えた。

 それでも気丈に、視線と言葉で返す。

「いいんですか? 直前で逃げたみたいですけど」

 今度はこちらの足が止まる。

「……あの怪我でできる事など、たかが知れているわ」

「管理局へ通報された場合、どうします?」

「好都合よ。所在の判明しているジュエルシードは、全て向こうが持っているもの」

 何も問題無い。管理局員が乗り込んできた際、ジュエルシードを保有する魔導師から強奪すればいい。

 精神的に揺れているであろうフェイトが少々厄介ではあるものの、この面子なら可能だろう。

「他にも局員が出てくるでしょうけど、その時はあなたに回すから」

「分かりました」

 そこまで話していて、少年の両手が視界に留まった。

 強く握った拳から、僅かだが血が流れている。

 人工生命たる少年に、血縁者はいない。最初から存在する味方が存在しない。

 なのに、何故こちらの事情にそこまで感情移入できるのか。

「……あなた、育ての親や兄弟はいるの?」

「え……あ、はい。姉が一人」

「血縁?」

「いえ。出身が同じだけです」

 正直に答える、生まれてからまだ二年の少年。早い内に味方が手に入ったのは確かに僥倖だろう。

 しかしそうなると、こちらの言う通りにして敢えて手を出さない理由が分からない。

「……大事なガールフレンドの為なら、姉を手に掛けられる?」

 しばらく考えて、問う。

 硬直した少年は、答えられないのか俯いてしまった。

 ……成程。

 少年の信念、その根源には“セレスティ・E・クライン”の存在が大きい。十日間の会話で知り得た情報の一つである。

 もう一人の迷い子たるその少女の為なら、人殺しを辞さない。何百人、何千人殺してでも突き進むつもりだ。

 誰かを守る為なら、いくらでもその手を血で汚す。信念のベクトルは自分に近いものがある。

 しかしこちら程の……身内まで手に掛ける程の覚悟がない。だから共感はできて口出しはできない。

 一歩間違えれば、少年も同じだから。

「あの子の説得、任せるわ。その位できるでしょう?」

「……はい」

 少し考えて出した指示も、俯いたままで反論は返ってこなかった。

 感情で納得できなくても、建前なくして抗する術なし。

 論破したプレシアは、悠々とその場を去っていった。

 

 

「な・の・は・さん!」

「わっ!」

 アースラのとある廊下にて、唐突に進行方向を遮られたなのはは思わず仰け反った。

「お、おどかさないでよ〜」

「なのはさんに元気がなさすぎるからです。折角家へ帰るのに、そんな顔でいたら心配されます」

「にゃうう……」

 逆に言い返された。しかも言う通りなので反撃できない。

 隣のユーノも苦笑するばかりである。

 

 プレシア・テスタロッサの経歴は、先程判明。どうやら有名な技術局長だったらしい。

 しかし家族関係や行方不明直前の行動は綺麗にデータを消されていたらしく、現在本局に調べてもらっているそうだ。

 結果は一両日中に出るとの事。行方の手掛かりすら掴めない一個分を除けば、ジュエルシードは全て回収済み。やる事がない。

 テスタロッサの両名は大量の魔力消費を行ったためすぐには動かないだろうし、次元跳躍魔法対策にアースラのシールド強化が必要だ。

 攻撃を受けたフェイト程ではないにしろ、なのはにも休息は必要。民間協力者二名は、一度高町家へ戻る事になった。

 

 なのははその時、帰宅を渋った。結局リンディに押し切られる形で帰る事になったものの、なのはの顔は未だに晴れない。

 セラにはそれが気になったのだろう。

「家に戻るのがそんなに嫌ですか?」

「う、ううん! そうじゃなくて!」

 十日も家に帰ってなかったのだから、心配していると思う。

 事情説明等はリンディが直々に同伴して誤魔化すらしいので、その辺りは何とかなるだろう……とはセラの弁。

 しかし、原因はそこではない。

「フェイトちゃんの事……お母さんを怖がってて、それであんな事されてて、その……」

 上手く表現できないらしく何度も口ごもり、結局問いの形にしかならなかった。

「セラちゃんは、何とも思わなかったの?」

「思わないわけじゃないですけど……それがどうかしたんですか?」

「だから、その……」

 先を続けられないなのはに、金髪碧眼の少女が再び尋ねてくる。

「今のなのはさんには、何ができますか?」

「それは……」

 何かしなければいけない、とは思う。

 けれど、フェイトの為になる方法が見つからない。

 彼女の居場所はどこなのか、プレシアとの関係はどうなっているのか、知りたい疑問も解きたい問題も多い。

 だから、居ても立ってもいられない。

 しかして肝心のアースラ艦長は“休め”と言う。実際家族へ連絡をとるべきだと思う反面、納得がいかない。

 何故、動いてはいけないのか。

「なのはさんがすべき事は、次のためにもきちんと休むことです」

「次の、ため……?」

 セラの意見も同じ。しかし気になったのは、“次”という単語。

「一個だけ除いて、全てのジュエルシードが今回の戦闘で回収されました。次にフェイトさんが何をするか、分かりますか?」

 首を傾げそうになって、あ、と呟く。

「そう……方針が変わらなかったら、直接なのはへ仕掛けてくるんだ。ジュエルシードを奪う為に」

 と、それまで傍観していたユーノの声。

 ここまでフェイトが回収した数は八つ。必要な数までまだ足りないとしたら、数が多くて所在の明らかな“なのは”を直接狙ってくる。

 海上戦で使い魔が「三つしかない」と不満を露わにしていたのも、こう考えると辻褄が合う。

 しかしなのはは魔導師である。簡単には奪えない。となると、確実な勝利を掴む為に万全の体勢で現れるのだろう。

 だからこそ、なのは自身も心身を整える必要が出てくる。家へ戻すのも、精神面の休息を行う一環という訳だ。

 今まで、気付こうともしなかった。

「焦っちゃダメです、なのはさん。動きようがないなら、一旦落ち着きましょう」

「……うん」

 なんでこうも冷静なのだろうと考えて、頭の中から当然という答えが返ってくる。

 セラはフェイトの事を知らない。直接面と向かった事も、話した事もない。フェイトに至ってはセラの顔すら知らないだろう。

 だからこそ、冷静でいられる。必要な行動を把握できる。

 彼女の言う通り、確かに自分は焦っているのかもしれない。

「言ったじゃないですか。最後はジュエルシードの取り合いになるから、気長に待ちましょうって」

 少しだけ口元を緩めるセラ。反応するのは少年。

「そこまで読んでたの?」

「フェイトさんが幾つか持ってるんですから、アースラの皆さんが追いかけると思ってました」

 ああ、と相槌をうつユーノ。二人はここからしばらく会話を続ける事になる。

 その間、なのははいつぞやの如く硬直していた。

 ……まただ……

 自分だけ、置いてけぼりにされている感覚。ここ数日で生まれるようになった、見えない線引き。

 セラへの態度や雰囲気の端々が、自分と周りとで微妙に違う。

 普段は皆大して変わらないものの、話題が切り替わった時に漠然とした違和感を覚える。

 表面上仲良くしているように見えて、靄がかかったような雰囲気を感じ取れるのなら、まだ表裏を利用した外交みたいなものと取れるだろう。

 “半分は本当に仲良くしていて、もう半分は真意を悟らせない”という中途半端だからこそ、奇妙だと思える。

 腹の探り合いと表現するには、余りに曖昧。これを近い年代であるユーノやセラも纏っているのだから、少し怖い。

 次元漂流者というものは、そこまで難しい立場なのだろうか。

 仲間外れにされている状態なのだが、不思議と負の感情は湧いてこない。それでも今回ばかりは業を煮やし、ユーノへ念話を送る事にした。

(ユーノくん……みんな揃って、わたしに何か隠し事してない?)

 大した感情もない、純粋な疑問を。

(……あー、分かっちゃった?)

 そろそろばれる頃と予想していたのか、あっさり返事。セラには念話している事も分からないだろう、表面上は動揺の気配すらなかった。

(わたしだけ置いてけぼりにして……)

 僅かに頬を膨らませる。無論セラには見られていない。

(ごめんごめん。でもこう言っちゃなんだけど、学校の友達に隠し事してるなのはも同じだと思うな)

(うっ)

 痛い所を突かれて黙り込む。

(答えもなのはと同じ。ちゃんと終わったら話すから)

(……うん。分かった)

 結局、それだけで念話が終了する。

 ユーノがなのはを信じてジュエルシード集めを頼んだのだから、自分もユーノを信じなければいけない。

 何より、約束を破る人でもない。それだけの信頼関係はあるつもりだ。

 だからこそ、会話の締めは簡潔なものであった。

「あ、念の為に言っておきますけど」

 ふと、なのはの首元を碧眼が凝視する。既に奇妙な一線は隠れていた。

「今はレイジングハートさんがいないんですから、戻ってこない内にフェイトさんと戦ったりしないでくださいね?」

「に、にゃはは……」

 胸元の宝玉は、現在管理局へ預けている。

 ――丁度いい機会だから、こっちでメンテナンスしてみない?

 思えば結構無茶をさせてきた気がする。レイジングハートとユーノによる不可解なまでの強い推奨もあり、女提督の提案を受け入れた。

 明日の昼頃には終了して、こちらへ届けられるらしい。

 というか、この辺りのやりとりでもユーノ達の言動が少し怪しかった。レイジングハートまで共犯なのだろうか?

「返事は?」

「はいっ!」

 そんな思考を遮る問いに、強めの返事を送る。なんとなく、そうしなければいけない気がしたから。

「よろしいです」

 再び口元を緩める迷い子の少女。ちゃんと返して正解だったらしい。

 最初は沢山お話しようと思ったけれど、すっかり予定とあべこべになった関係。

 まるで、年の近い姉のように面倒を見てくれる。それが今は、とても嬉しい。

「折角ですから、休む時はしっかり休んでください」

「……うん!」

 余計な事を考える必要はない。難しい事は、ユーノ達なら何とかしてくれる筈だ。

 迷いなく、笑顔と共に大きく頷いた。

 

 

「ん……んぅ……」

 誰かに運ばれている感覚から、ぼんやりと目を開ける。

 目に入るのは、銀髪銀眼を備えた白人の顔。先日ジュエルシードの暴走で流れ着いてしまった少年だ。

 その背景に、豪奢な天井が見える。おそらく、庭園の廊下辺りだろう。

 何故か片頬の腫れている少年が安堵に顔を綻ばせる一方、フェイトは状況を把握できない。

 天井が一定方向に流れている。最初に感じた通り、移動しているようだ。

「あ、起きた?」

 気付いてこちらを覗きこんでくる。それにしても顔が近い。

 身体にも妙な浮遊感。まるで眼前の少年に抱かれているような、

「――あ」

 ようやく意識が目を覚ます。“ような”ではなく本当に抱きかかえられていた。

 俗に言う、お姫様抱っこである。

「わわわわわっ!」

「ちょっと、無理して動いたら!」

 顔を真っ赤にしているのが自分でも分かる。

 少年の警告は無視。大慌てで身を捩り、腕の中から抜け出そうとして、

「痛っ! 〜〜……」

 まともに動く事もできなかった。全身を痛覚が襲い、言葉にならない声を上げる。

「えっと、大丈夫? ……今フェイトの部屋に行ってるから、じっとしててね」

 腕の中で悶絶するこちらを気遣う、人畜無害そうな少年。

 少年の心情は分からないでもないが、こういうのは寧ろ自分の使い魔が率先して行う筈。

 マルチタスクで何とかそこまで考えて、自身に見覚えのあるマントがかけられている事に気付く。

 知っている。使い魔のものだ。

「アルフは?」

「……先に行ったよ。行き先も目的も分からないけど、多分大丈夫だと思う。精神リンクは?」

 力なく首を振る。会話中に同時並行で念話を使ってみたものの、応答がない。

「まあ、何か考えがあるんじゃないかな……と、着いたよ」

 気がつけば、昔は明るかった自分の部屋。

 器用に開けられた扉の向こう側には、子供三人が遊んでもまだ余裕を持てる程広い部屋。

 ドーム型の天井には、プラネタリウムの如く星空を散りばめられている。

 ここにはもうフェイトとアルフしか来ない為、家具も少なく閑寂としていた。

 大きな窓の下に置かれた大きなベッドまで運ばれ、傷に障らないようゆっくりと降ろされる。

「あ、ありがとう」

「どういたしまして」

 アルフやリニスにされた経験はあれど、それ以外……ましてや異性に抱えられた事は一度としてない。

 今でも心臓がうるさく鳴り響いているのだが、彼には聞こえていないだろうか。

「それと、プレシアさんから通達。最低でもあと六個以上必要だって」

 聞こえていないのだろう、母からの連絡事項を伝えてきた。

 一瞬で熱が冷め、余計な思考を頭から追い出す。

「六個……分かった」

 転移した一個を除き、ジュエルシードは全て発見された。この状況で六個入手するとなれば、手段は一つしか存在しない。

「プレシアさんと一緒にモニターしてたよ。あの子と、戦うんだね?」

「……うん」

 入手したもう一方と、直接奪い合う。恐らく、次が最後の戦いになるだろう。

 ――友達に、なりたいんだ。

 対決するであろう少女を思い出し、顔を曇らせる。心情を察したのか、少年が片方だけ腫れた顔を近付ける。

「フェイトは、あの子にどう答えたい?」

「……分からない」

 真っすぐ過ぎて、どうすればいいのか戸惑ってしまう。

 接し方が浮かばない。そもそもどうすれば友達になれるのか、自分は知らない。

 そこまで考えている内、会話が途切れている事に気付く。

 いつの間にか俯いていた頭を上げれば、口元へ手をあて両眼を閉じた少年の顔。

 部屋の扉から差し込む光が、腫れた片頬と綺麗な銀髪を映している。

 何かを思い出すように長く思案するその口から、僅かに漏れる独り言。

 ――ぼくと姉さんのとは、違うよね――

 こう言ったのだろうか。フェイトには判断がつかない。

「……どうしたの?」

「あー、うん。ちょっと昔の事思い出してて」

「昔の事?」

 頷いた少年はしばし言いよどみ、

「フェイトの気持ち、分からない訳じゃないんだ」

 え? と首を傾げるこちらに構わず、続ける。

「プレシアさんのために勝ちたくて、でもあの子の気持ちにどう答えればいいか分からない。合ってるよね?」

 その通りなので、フェイトは肯定を返す。

「じゃあ、答えるのは後。まずはやる事を済ませて、それからちゃんと話そう」

「後回しにするの?」

「早く決めた方がいいのかもしれないけれど、今はやっぱり決められない。なら、状況が落ち着いてからでも遅くないと思うんだ」

 二度瞬きして、天井を見上げて、三秒。

「そっか……そうだね」

 成程、理にかなっている。

 こんな所で迷っていてはいけない。先に目の前の事態から対処して、それから考えればいいのだ。

 アルフだったら、考えるなとか聞く耳持つなとか言うのかもしれない。

 でもこの少年は、あの少女の言葉を決して無碍にしない。その上で必要な事を教えてくれる。

「じゃあ、まずは休むこと。でないと、勝てるものも勝てなくなるよ」

「うん。……その」

「何?」

「母さんに、酷い事されなかった? ……それだって」

 今まで聞く機会がなかった点を見やる。

「ああ、これ?」

 苦笑しながら、少年は顔の輪郭が微妙に歪んでいる程腫れた頬に手をあて、

「幾らなんでもフェイトに攻撃するのはおかしいんじゃないかって言ったら……ね」

 会って十日も経っていないのに、この少年はこちらのためを思ってプレシアへ意見したのだ。

 あの時、少女の言葉で動きを止めなければこうはならなかっただろう。

 そう思うと、自分の不甲斐無さに悲しくなってくる。

「落ち込まなくていいよ、ぼくが首を突っ込んだだけだし。プレシアさんも、自分が何をしてるかちゃんと分かってたから」

「で、でも……」

「実際、これ以外は結構まともに生活できてる。ぼくの世界に興味ができたみたいで、よく話し相手になってるんだ」

 意外さに、フェイトは目を瞬かせた。

 あの母が、まともに話している。信じられない。

 そんな事ができるのは、フェイトの知る限り恩師のリニス位だ。

「本当?」

「ホントだよ。フェイトも聞きたい?」

「……うん、聞きたい」

 世界の大まかな話しか聞いていないから、細かい部分までは知らない。

 とても厳しい世界に住んでいたはずなのに、眼前の少年に悲壮感など影も形も見当たらない。

 知りたい。母に興味を持たせる程の世界とは、どんなものか。

 

 どれだけ凍えていても、熱気納まらぬ人の街並み。どれだけ暗くなっても、シティを良くしていこうとする為政者達。

 少年から伝えられる世界には、未来がまだ残っているように聞こえた。悪人がいないように聞こえた。

 

 その夜。睡魔に負けて途中で眠ってしまうまで、フェイトは異世界の話に聞き入り続けた。

 残酷な現実を、一切教えてもらうことなく。

 

 

「っくしゅん!」

 オペレーター室に響き渡った小さなくしゃみの音に、クロノは思わず眉を顰めた。

 幼馴染のオペレーターが手を止め、隣に立つこちらを窺う。

「クロノ君、風邪? こないだ雨にうたれたから?」

「いや、それはないだろう。バリアジャケットは防水機能も付いている」

「なら、噂だね」

 悪戯っぽくエイミィは微笑み、

「リンディ提督に言われてるんじゃない? 『うちのクロノは愛想なくって』とか」

「……余計なお世話だ」

 しかめっ面を崩す事なく、内心でクロノは溜息を吐いた。

 先日の海上戦から、もう直ぐ一日。

 現在、上司は民間協力者――なのはの家を訪問し、直々に口裏合わせを行っている。

 しばらく話してからなのは達を自然に外し、本題へ入る事だろう。

 娘さんの事は、責任を持って我々が必ず保証します――と、そんな感じで。

 ここまで読める辺り、自分も母へ近付いただろうかとついつい自惚れてしまう。

 責任持つ者に慢心などあってはならない。気を引き締めなければ。

「でも、良かったの? なのはちゃんとフェイトちゃんを戦わせて」

 唐突なエイミィの疑問は、最もだと思う。自分も母も、基本的に理路整然を貫くタイプだ。

 特にクロノの場合、ギャンブルを許可する事自体が少々珍しい。

「元よりこうでもしないと、なのは自身が納得しないだろう」

 とはいえ、人の子である。情がない訳じゃないし、部下・同僚・上司の精神面を鑑みて行動するのはむしろ当然。

 故に、理由の一つとしてこれは挙がる。

「能力、人格ともに問題無いしね。リンディ提督がスカウトしたがる気持ちも、ちょっと分かる気がする」

 それを認識した上での判断と理解してくれたのか、エイミィが微笑んだ。

 

 エイミィの寝癖を直しつつ、似たような話題を二日後に行っているなど、二人は知る由もない。

 

「……問題は、彼女だ。そろそろ結果が来るんだろう?」

 次の瞬間、ただでさえ暗いオペレーター室が更に暗くなる感覚。

「うん……」

 もう一つ抱えている、一番身近で一番慎重に取り扱わねばならない問題。

 先程、とうとう大詰めに入った。

 ――Please help her.

 決め手を作った情報提供者を思い出す。

 彼女はとっくに知っていた。それでも十日以上黙っていた。

 主の害となるか否か。情報を管理局へ伝えた場合、友人関係が破綻しないか。それらを全て見極める為に。

 事件が大きく動いた今になって、ようやく彼女は決断した。

 心を閉ざしている少女を、救いたいと。敵対する魔導師へ集中するしかない主の為、自分達で何とかするしかないと。

 他でもない彼女によって、賽が投げられたのだ。

 

「どう、なるのかな」

「母さんの交渉術次第、だな」

「伝えないとね。管理局が、セラちゃんの思っている程酷い所じゃないって」

「……ああ」

 管理局は、基本的にお人好しの多い組織だ。

 法を遵守し、犯罪者を取り締まる。性格審査も厳しく、他の職業と比べて間違いなく狭き門。

 上を目指す者達はいい意味で競争心も強く、真剣に未来を憂いている。

 しかし、内情はやはり“組織”だった。

 門は狭く規模が広い故の人材不足、実力主義故に配属の偏る魔導師達。

 事件を解決するためなら、多少法に触れる辺りは上も下も同じ。必要とあらば、嫌々ながら犯罪者と手を組む場面だって稀に存在する。

 守りたいものがあるならば、綺麗なままではいられない。絶対の正義など存在しない。

 不殺を貫ける力があっても、世界を何とかしたいと思う心があっても、覚悟なくして何も通りはしない。

 強く思い知らされて、それでもクロノは進むと決めた。

「ただ……事実を伝えても、どうするかは彼女次第だ」

 真実を知っても、セレスティ・E・クラインにとっては危険な組織なのかもしれない。

 こちらが心を開いても、少女は敵意を向けてくるかもしれない。

 善でも悪でもない、もしかしたら両方かもしれない。それでも、セレスティ・E・クラインを害するつもりはない。

 それを本人へ伝えるのが、どれだけ難しい事か。

 少なくとも、自他共に不器用と認める己に、この方法は向いていない。

 許されるのは、結末を見届ける事と、少女が暴走した場合に備える事。

 ……不甲斐ないな。

 仏頂面を深めて、俯いた。

「クロノ君……」

 袖を掴む手の存在。本来の席からにしてはやけに近くで聞こえる声。

 思わず顔を向けようとして、本局からの通信を告げる電子音に硬直した。

「はーい、エイミィですけど?」

 振り返っても、操作卓を向いているオペレーター。

 気のせいか。いや、今はそんな事を考えている場合でもない。

『あ、エイミィ先輩! 本局メンテスタッフのマリーです! 例の件、結果出ました!』

 映ったのは、緑髪に眼鏡を掛けた白衣の少女――マリエル・アテンザの姿。

 とうとう、明るみに出たのだ。決定的な証拠が。

 

 

 相も変わらず豪奢な廊下を、ディーは歩く。腫れた頬にはフェイトの手で湿布が張られている。

 向かう先は、プレシアの私室。

 先程、フェイトは出発した。次が恐らく最後の戦い。

 ――私に何かあったら、母さんをお願い。

 発つ直前、毅然とした表情で零した少女の言葉。

 脳裏に響くそれを無視して、プレシアの私室をノックする。

「入りなさい」

「失礼します」

 横に本棚、あちこちに書類の散らばった部屋。中央にはこちらと対面する為のデスクを備え、研究者然りの雰囲気で座すプレシアの姿。

 女王から研究者へと変わった辺り、最初の頃よりは関係が改善されたと言える。

 それでも、この女性が心を開く事は未だにない。

「……聞きたいことが、いくつかあります。よろしいですか?」

「答えられるものなら、ね」

 おそらく、自分とセラが帰還する期日の前後辺りが正念場。これが最後の状況確認となるだろう。

「次の戦闘が終わったら、ぼくはどうなりますか?」

「勝っても負けても管理局行きよ。あなたの役目は、それまでここを死守する事」

 この時点で、少女の願いは叶えられない事になる。フェイトの戦闘中に管理局がこちらへ突入する可能性は、限りなく低いのだから。

 余程のイレギュラーでもない限り、自分の出番はない。

「勝ち負けが関係ない、というのは?」

「どの道、フェイトの持っているジュエルシードを使うまでよ。物質転送で、奪われる前に引き戻すわ」

 必要数揃っていなくても、この大魔導師はアルハザードへ向かうらしい。管理局側の増援も見越しているようだ。

 そして敗北した場合、フェイトからジュエルシードを奪うつもりである。

 今までフェイト達を連れていくとも置いていくとも言ってはいないものの、これまでの態度から考えて後者だろう。

「本当に、こんなことまでして蘇らせたいんですか?」

 顔を顰めて、問う。そこまでする必要があるのかと。娘を捨てる価値があるのかと。

「ええ」

「……後悔、しませんね?」

「誰に言ってるの?」

「……すみません、失言でした」

 少なくとも、覚悟は本物だ。確認したディーは、それ以上追及しなかった。

 誰を蘇らせたいのかは、知らない。娘……は、フェイトがいるから有り得ないだろう。

 その娘より大事なのだから、やはり夫だろうか。その程度の推測しかできない。

 フェイトがかわいそうだ。しかし自分はどうすればいい?

 少なくとも今は、見届けるしかない。

「戦闘になったら、ぼくも観戦していいでしょうか?」

「構わないわ」

 ありがとうございます、と返す。本心だった。

 戦闘に介入するのはアウト。封印状態のジュエルシードすら、自己領域に反応しかねないのだから、必然的に空戦不可=戦闘参加不可。

 観戦許可をもらえたのは、せめてもの僥倖だろう。もう時間がないのだから。

 今日はこれで、と言い残し、ディーは部屋を辞した。

 このままでは、後味の悪い結末が訪れる。そんな気がした。

 

 

 海上戦から二日目。アースラのとある一室に、三人の影があった。

 金属製の床・壁・天井。出入り口側の椅子にセラが座り、机を挟んでリンディ。セラの後方、ドア近くの壁に寄り掛かるクロノは後見人。

 殺風景なその場所で、最後の尋問が行われていた。

「健康診断で発見した未知の器官、用途不明の所有物、所々に見られる不審行動……」

 一見すると楽な姿勢を取っているようにしか見えないクロノの右手には、待機状態のS2Uが握られている。

 述べる上司の台詞を聞き流しつつ、いつでも戦闘体勢へ移せるように身構え続けるのが、現状におけるクロノの役目である。

 少女は一言も口を開かない。後ろにいるクロノには、彼女の表情を窺い知る方法が存在しない。何を考えているかも不明である。

 その方がいいと判断したからこそ、セラの背後で構えている。

 顔を見ない分躊躇する可能性は減るし、距離をとる事で死角に侵入されない。相手の死角にいれば対処もされ難い。

 真正面かつ自分より距離の近いリンディの方が、明らかに危険である。

 しかし、“緊急時でも自分が何とかするまでなら凌ぎ切れるだろう”という、上司と部下だけでは築き切れない信頼関係が自分達にはあった。

 やがて、空間モニターが対面する二人の真横に出現。紅きデバイスのメンテ作業と並行して入手した、とある映像の一部始終である。

「そしてこの映像。レイジングハートさんが提出し、公開許可もいただきました」

 提督からの一方通行染みた説明が、遂に佳境へ突入した。ここからが決定的な証拠の提示であり、正念場。

 ……さあ、どう来る……?

 

 既に着替え終わり、フェレット形態のユーノを背後から見つめるのは、現在モニターを見ているセレスティ・E・クライン本人。

 映像の少女は、何かを躊躇するように眉根を寄せる。

 次の瞬間。何もない空間から、次々と正八面の結晶体が現れたのだ。

 なのはとの念話に集中しているのだろう、ユーノは気付かない。

 十ある結晶体の一個がユーノの真後ろまで近寄り、何の反応も示さない事を確認して、画面の少女は一つ頷く。

 直後、画面内に存在する全ての宝石が溶けるように消えていく。

 ユーノの見ていないところで残ったのは、少女ただ一人。宝石達は、影も形も既になし。

 そしてユーノが撮影者――レイジングハートを訝しげに見やったところで、映像は途切れた。

 

 深い沈黙が、場を支配した。

 誰がどんな思考を巡らせているのか不明瞭な空気の中、先に口を開いたのは少女だった。

「……なのはさん達は、どうしましたか?」

「レイジングハートさんに誤魔化されたので、この情報を知らないままあの子達は許可を降ろしました」

 そのデバイスがグルだったのだから、何とも言えない。

 ユーノはレイジングハートの様子から察してメンテナンスを提案しただけであり、内容は見ていない。

「なのはさん達は知らないまま、ですか……」

 その部分だけ拾ったセラは、どちらの意味で呟いたのだろうか。

 自分を止められる戦力が少ない事に。友達になった彼女達を巻き込まずに済んだ事に。

 知らない方がいい。今はまだ。希望的観測を、今だけは殺す。

「これから、どうするんですか?」

「あなたの話を聞いてから決める事にするわ」

「……わかりました」

 途端に居住まいを正し、

「その……隠しててごめんなさい、です」

 座ったまま、謝罪の礼をとった。

「理由を、聞かせてもらえるかしら?」

 最初にこちらが知るべきは、やはり動機。ある程度予想はつくものの、確認を含めて本人からの証言が欲しかった。

「わたしやディーくんには、力があります。少なくとも、今のなのはさんの世界では手におえないくらいの力が」

 “ディー”も何らかの力を持っている事は想定していたので、問題はない。

「私達にも分かる例えでは?」

「わたしの場合、経験の方はなのはさんと数ヶ月程度しか違いがありません。けど……」

 多少言い淀んで、

「実際に戦ったら、たぶんわたしが勝っちゃうと思います」

 ここもほとんど想像通り。様子からして謙虚も慢心も見当たらない。

 短期間ながらも魔導師について調べてきたが故の、客観的自己評価であった。

「だから、危険だと?」

「はい。なのはさんの世界どころか、ミッドチルダでも」

「具体的には?」

「……きっと、戦争になります」

 やはり、賢い子だ。今まで発言の端々でわずかに漂っていたぎこちなさも、全く見えない。

 根が善人である事は、これまでの言動でも明確。念話で短く確認も取る。

(提督)

(ええ。決定ね)

 ここまで追い詰められて反抗するつもりがないなら、もう危険視する必要はないだろう。

 少なくとも、判決を下して本格的に身の危険を感じるまで、少女に力を使うつもりがないと、たった今証明されたのだ。

「あなたの処遇を決定します」

 だからこそ、これ以上苦しめる訳にはいかない。

 怯えるように肩を縮め、きつく両目を瞑っているのだろう少女の心を、解き放つ。

「結論から言うと……不問です」

「……え?」

 きっかり二秒経ってから顔を上げるセラの顔は、背後からでも容易に想像がつく。

 呆然と目を瞬かせているだろう。

「魔力を感知できないその特殊な力を、その世界では危険な代物と判断し、秘匿した行動は評価に値します」

 安全な世界へ来たのなら、強大な力をもって思うように過ごせる筈だ。管理局の存在を知らないなら尚更。

 使えば戦争に繋がるから。自覚はないのだろうが、そう確信している時点で、己の実力に自信がある何よりの証拠である。

「半月にも満たない期間でしたが、把握したあなたの人格から、あくまで自己保身の為である事も分かりました」

 しかし少女は力を振るわなかった。

 その気になれば助けられる人、助けたい人が目の前にいても、諸々の事情で介入できず傍観する事がどれだけ苦しいか。

「こちらへ危害を加える意思がない以上、誤解を解く為にも話し合い、友好的な関係を築くべきと考えました」

「い、いいんですか?」

「いいも何も、お互いのために必要と思ったの」

 うろたえるセラへ微笑むリンディ。管理局員としてではなく、一人の母親としての顔だ。

「で、でも!」

「もういいのよ、無理しなくても。話して不利になる事柄は殆どないのでしょう?」

 隠していた事自体が責める所であって、他は関係ない。このまま艦内に不穏分子を残すよりは余程いい。

「そんなことありません!」

 しかし彼女は納得しなかった。

 両眉を吊り上げ、少女は勢いよく立ちあがる。今まで決して強く出ることのなかったセラの意外な挙動に、二人は眼を見開く。

 なのは以外には誰からも一歩引いて接し、時になのはを諭してすらいたセラの、子供としての一面。

 ただ一人事情を知らないなのはと接している時にしか見せなかった、セレスティ・E・クライン個人の感情が露呈したのだ。

「わたしのおかあさんは、わたしのためにたくさんの人をころした犯罪者なんですよ――?」

 わずかな逡巡を諸共に吐き出したのだろう発言は、クロノを驚かせるに十分値する内容であった。

 間違いなくセラの素行は悪くない。その母親が大量殺人者と聞けば、耳を疑う。

 隠している部分を差し引いても、セラの世界は過酷だ。犯罪が横行していてもなんらおかしくはない。

 背後のクロノは僅かに怯む。対するリンディは、引き締めた口を開く。

「犯罪を犯したのはあなたの母親です。あなた自身が何もしていないのでしたら、あなたに罪を被せることのできる法律を時空管理局は持ち合わせていません」

 事実だ。母親が犯罪者でも、その子供にまで法に掛ける事はない。まして本人が犯罪を起こしてないなら、尚更。

 しかし何より注目すべきは、驚愕の真実を聞かされても間を開けずに返答するリンディの方だ。

「わたしは同じように力をもってる人たちと違って、おかあさんの遺伝でこの力をもったまま生まれてきた、世界でもものすごく珍しい実験サンプルで、世界中からねらわれてるんですよ――?」

「あなたの持つそれは倫理的にも多大な問題を孕む為、実験動物扱いすることは管理局の誇りにかけてありません!」

 これで即座に言い返すとは、ここまで予想していたのだろうか――否、動揺はしている。

 普段なら表に出してしまうような驚愕を、己の意思で無理やり抑え込んでいるのだ。

 少女のぶつけるような言の葉に、少しの間も開けずして返すために。

 これまで少女が抱えてきた不安を、余すことなく受け止めるために。

 目の前で涙を浮かべる、周りに沢山の人がいながら何も打ち明けられずに一人ぼっちだった少女を、この世界でだけは決して犯罪者としないために。

 まさしく執念であった。

「ディーくんも犯罪者で、わたしのために何百人も人をころしてて、わたしとディーくんは世界に向けて宣戦布告したテロリストの一員なんですよ――?」

「未確認の世界で起こした犯罪を取り締まる法律なんて、この世のどこにもありはしません――!」

 何もしていない、何の罪も犯していない少女を罰するなど、外道の諸行。

 時空管理局は、セレスティ・E・クラインを受け入れる。受け入れてみせる。

「けど! けど……!」

「いいのよ。もう、背負い込まなくていいから……」

 尚も言いつのり、しかし言葉が浮かばず俯くセラを、席を立ったリンディが優しく抱き締める。

 きっとこの少女は、守られながら生きてきたのだろう。

 それがどれだけ血に染まったものであっても、生きる他なかったのだろう。

「ごめんなさいね……とても辛かったのでしょう?」

「わたし……わたし……」

 眼尻に涙を浮かべたリンディの胸の中、とうとうセラが嗚咽を漏らし、やがて泣き声に変わった。

「ごめんなさい……本当にごめんなさいね……」

 悲鳴をあげていた少女の心が、ようやく開かれたのだ。

 

 

「その……済まなかった。ここまで君を追い詰めていたとは」

 背後からリンディの隣へ移動したクロノが、真っ先に謝罪を口にした。

 暫くして泣き止んだセラは、元の席に座って落ち着いている。

「えぇっと、本当ですよね? 解剖とか、実験とかしないんですよね?」

「本当です、そしてやりません」

 親子揃って苦笑している。危険視されていた事に内心複雑のようだ。

 聞けば、生命操作を始めとした倫理的に問題のある技術は、公式で禁忌とされているらしい。

 魔導師について調べてばかりいた分、管理局法は碌に目を付けていなかった。だからこそ起きてしまった、些細な誤解。

 もう、管理局を恐れる必要はない。深く深く、セラは安堵の溜息を吐いた。

 ……どうなるかと思いました……

 最悪、誰かを人質にとって地球へ転送してもらう辺りまでは考えていた。

 色々と穴はあるし難しいと分かっていても、セラにはその位しか思いつかなかった。

 何にせよ、万事丸く収まったのは非常にいい事だ。無意識に張っていた体中の筋肉が緩んだ気がする。

 前方二名の視線が生暖かいものになっているのは何故だろう。それよりもセラには第二第三の問題が残っていた。

 この世界の誰にもまだ話していない、魔法士及びマザー関係。現状、もう長くは隠せない。

 問題は話す機会なのだが、先程逸してしまった。次があるとすれば、事件の後だろうか。

「さて、あなたは今後どうするの? 事件解決に協力してくれるなら、民間協力者としてこちらで手配はできるようにしてあるけれど」

「……え?」

「艦長――?」

 とにかく周りが落ち着いてから話そうと結論付けた直後、リンディからの提案で我に返る。

 執務官も驚いた辺り、事前に知らされてはいないようだ。

「私としては最初から予定に入れていたの。なのはさんより強いのでしょう?」

「……もしかして、わたしに事件の情報を教えていたのって」

「例え敵対しても、そうすれば事件の危険性を考えて余計な干渉はしないでしょう?」

 ジュエルシードの暴走と、プレシア・テスタロッサ。

 双方の予測不可能な力と行動を考えれば、唯一の避難先である地球を壊されないためにも配慮はしてくれる。

 例え別の避難場所を確保できたとしても、たくさんの人々の命がかかる大事件を黙って見過ごす程、セラは人でなしではない。

 むしろ率先して何とかしようとするのだ、なのはと同じように。

 セラの性格からそこまで予測していたのだろう。にこにこと擬音のつきそうな笑顔は、上機嫌そのものである。

 リンディの言う通り、ではあるのだが。

 ……真昼さんみたいです。

 してやられたという気分になってしまうのは、気のせいじゃないかもしれない。

 今度は別の意味で溜息が漏れた。しかも執務官とシンクロで。

「話を戻しましょう。戦闘はできるのですね?」

「戦闘だけなら大丈夫です。今さらですけど、ジュエルシードは封印できません」

 封印どころか近寄れない。ジュエルシードの近くで戦闘など勘弁してほしい。

 と、ここで唐突に電子音。リンディの傍らで空間モニターが発生し、エイミィの顔が映る。

『――艦長、宜しいでしょうか』

「どうしたの、エイミィ? ……覗き見はよくないわよ」

『すみません、心配だったもので』

 よくよく眼を凝らすと、両の眼じりに涙の跡が見える。

 一部始終を見届け、もらい泣きしたらしい。今頃になってセラの顔が温度を上げた。

「それで、用件は?」

『なのはちゃん達から連絡です。“フェイト・テスタロッサの使い魔らしき大型犬を、友人が拾った”と』

「アルフさん、ですか……?」

 突拍子もない出来事に、思わず声を上げる。何故ここであの使い魔なのか。

『聞いた特徴からして、まず間違いないそうです。怪我をしているらしく、丁重に保護されているとか』

 あのプレシア・テスタロッサの事だ。向こうで一騒動あったと考えるべきなのだろう。

「使い魔との会話は可能か?」

『学校が終わった後に、二人が直接向かうって』

「わかった。それじゃあ――」

 的確に指示を出すクロノを横目に、セラとリンディは顔を見合わせる。

「事件も大詰めのようね」

 返答として、強く頷く。

 ここからは、腹の探り合いではない。事件解決への円満な交渉だ。

「とりあえず、経緯やまだ隠している事は後にしましょう。――まずは」

 直後、リンディの目つきが鋭く変わる。

 初めて見た敏腕提督としての顔に、セラも気を引き締める。

「あなたに何ができるのか。その力で何をしたいのか……教えてちょうだい」




 そんな数日間を終えて、五月十日の午前一時十三分がやってくる。
 強制帰還まで、二十四時間を切った。
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