リリカル・ブレイン   作:SLB

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第一章 遥か遠いところから ~Warp to the “Magical-Dome”~

 I-ブレインは……問題無し。カバンもしっかり肩にさげたまま。中のD3も十個全部揃っている。勿論怪我はしていない。

 自身に関して何の異常もないことを確認し、少女――セラは改めて周囲を見回した。

 無人の街。高層建築と、道路と、明かりの消えた夜間照明と、常緑樹の並木。

 本当に人の気配が全くしない辺り、実に不気味だ。突然こんな場所へ一人佇む羽目になるのだから、尚更である。

 上を見上げる。真っ暗な空の中で小さな光がいくつも瞬き、本やデータでしか見た事の無い月が十六夜の形で煌々と街を照らしている。

 シティの中、だろうか。となるとやはり今回の一件はシティの仕業と言う事になる筈なのだが、肝心の人影が一切見当たらない。

 ついでに空間自体が微妙かつ不自然に歪んでいる事実を、I-ブレインが知覚している。

 先程受けた転移とはまた違ったものらしく、かなり広範囲に影響を及ぼしている。

 周囲警戒でたっぷり十秒。このまま動かずにいても始まらないので、やむなくカバンの中からD3を外気に曝け出す。

 いつでも戦闘が出来るように、リンクは確立済みだ。重力を完全無視して次々と拳大の宝石が浮かび上がり、溶けるようにその場から消えていく。

 閉鎖空間に隠れたD3を広範囲に展開し、自分の視覚では把握しきれない領域を隈なく調べ上げる。

 まず分かった事は、空間の歪みがドーム状に広がっていること。それもかなりの規模らしく、もっと広範囲に索敵しないと大きさを特定できない。

 結界として何らかの効果を発揮しているのだろうが、どう作用しているのかがセラにはよく分からない。

 もう一つは、ここから少し離れた所に、生物らしき質量物体の反応が四つ存在する事。

 質量の大きさを測ってみたが、いずれも銀髪の少年とは合致しない。

 更にその内の二つは、自分のいる場所とは反対側の方へと高速で飛んで行く。この距離だと追いつくのは難しいだろう。

 残る二つは、まだ動いていない。質量計測が間違っていなければ、片や小動物で、片や自分と同じくらいの人間が持ち得る質量。

 つまり、自分と歳の近い子供だ。

 何が起こっているのかまるで分からない以上、少しでも情報を集めるためにも接触するべきだろう。

 問題は、その子供が自分と同じであるという可能性。この巨大な結界を作ったのが件の子なら、警戒する価値は十分にある。

 出会えば戦闘になるかもしれないし、自分よりずっと強いかもしれない。

 それでも、やはりこのまま立ち止っている訳にはいかない。

 一つ頷き、セラは駆け出す。

 遠くの夜空で、橙色の光が高層建築の屋上を飛び跳ねるように移動している。離れていく二つの質量はあれなのだろう。

 残る二つは、人間の方が身に纏っている質量が小さくなったこと以外は殆ど動いていない。

 程なくして、ようやく接触対象を視認した途端、風景ががらりと変わった。

 今まで存在しなかったはずの通行人が、歩道を走っていたセラの視界を埋める。既に通行人は目の前。

 同時に、空間の歪みが一斉消滅。不意打ちもいいところである。

「わ、わっ!」

 慌てて横に回避し、丁度空いていた路地裏に身体を滑り込ませる。

「び、びっくりしました……」

 一体何が起こったのか。空間を認識するセラのI-ブレインは、所有者本人が安堵の息を漏らしながらも解答を導き出していた。

 場所が同じだけで全く違う、“隔離された空間が消滅して元の空間へ自動的に戻された”。概要するとこうなる。

 しかも、先程まで結界に存在したオブジェクトは全て隔離空間上の別物。幾ら破壊しようと、本来の空間には一切影響が出ないようだ。

 勿論、周りの人達は全く気付いてない。

 ここまでくると、パニックしない方がどうかしている。

 ……ホントに、何がどうなって……

 気を取り直して街灯の届かない路地裏から顔を突き出し、激変した状況を概観する。

 セラにとっては本や画像でしか見たことのない、前時代の産物たる『自動車』が車道を流れている。

 車道ではなく歩道を律儀に走っていた事は、幸いと喜ぶべきか。

 通行人は、全体的に東洋系の顔立ちばかり。看板に描かれている文字から考えて、恐らく日本関係。

 となると、会話は日本語にした方が都合はいいかもしれない。

 昔の、魔法士として目覚めていなかった自分は、そもそもI-ブレインのこと自体良く分かっていなかった。今は脳内時計も英語以外の言語も使える。

 ……さっきの人は……

 一度は見失ったものの、周りが大人ばかりなので、見つけるのは容易だった。明るい服装であるというのも一役買っている。

 黄色のシャツに、橙色のスカート。白いリボンで小さく二つに分けた、栗色の髪。

 少し遠いのではっきりとは見えないものの、肩には細身の小動物がちょこんと乗っかっているのが見てとれる。

 自分よりも少しだけ小さいぐらいの女の子。といっても、外見での安易な判断は出来ない。

 さっきの結界にしても、あの少女が魔法士である確率は高いのだ。

 だからといって、この状況を引き起こしたと思しき人物を目の前に、そのまま何も聞かずにいるという訳にはいかない。

 電飾煌めく街の中、どこか力無さげに歩きだした少女へ向けて、セラは再び走り出した。

 

 全二十階層で構成されているシティは、一階層辺りの床から天井までが五百メートルある。

 ドーム型の隔離空間が消え失せて尚、D3による広範囲索敵を続けていたのならば、もしかしたら気付いたかもしれない。

 シティ内ならば確実に存在する天井が、どれだけ上を調べても感知できないだろうから。

 少女は気付かない。ここがシティではない事に。

 ここが、少女の世界ではない事に。

 より広範囲に索敵を行えば、逸れた少年を探知できたかもしれない事に。

 

 

 両手の騎士剣を握りしめたまま、少年――ディーは周囲を見回した。

 ともすれば、シティ内部と錯覚してしまうような光景。しかし、全くと言っていいほど人影が見当たらない。

 当初はシティが秘密兵器でも導入してきたかと予想していたが、やっぱり状況がおかしい。

 自らの出身たるシティ・マサチューセッツでは、毎日のように合成映像の空を眺めていた為、見上げた瞬間に気づいた。

 作りものならば、月や星の光り方を始めとした齟齬が必ず存在する。それがないということは、つまり本物だ。

 ここがもしも、外界で日の光を妨げている『雲』の上に浮遊する施設だとでもいうのなら、辻褄こそ合うだろう。

 しかしそうなれば、これだけ巨大な施設にシティが、そして凄まじい索敵能力を持つ自分の姉が気付かない筈があろうか。

 また空間制御の類も発動しているらしく、周辺の空間が満遍無く且つ微妙に歪んでいる。効力は不明。

 念のため、自分の身体に影響が出ているかどうかを調べてみる。

(コンディションチェック終了。異常無し)

 脳も肉体も問題無し。これで二回目になる。

 その分、現状は更に問題が増えるばかり。もう訳が分からない。

 ……もしかして、本当に『事故』で巻き込まれたとかじゃ……

 転移前に浮かんだ、冗談染みた憶測を思い出して首を振る。少なくとも、このまま立ち尽くしている訳にはいかない。

 まずはこの空間から脱出しなくては。そう考え、己の力を行使しようとして、視界の上端に見慣れない柑橘の光が入り込む。

 光を見やると、正面の空から何かが飛んでくる。しかも、移動方法がおかしい。高層建築の屋上を飛び移っているようだ。

 何より、進行方向がこちらから微妙にずれている。

 念のため、林立する建造物間の細い路地に滑り込み、壁から顔だけを半分出して様子を伺う。

 I-ブレインの能力で視力に補正をかけ、漸く移動物体を視認する。

 何故か犬の耳と尻尾らしきものを付けている、自分よりも幾つか年上と思しき少女。

 その腕の中に、これまた何故か死んだように眠っている、小さな金髪の少女。

 黒いマントの下はこれまた黒を基調としたレオタードに近い服装。何より髪型はポニーテールでなく、戦闘中の悪魔使いの少女みたいなツインテール。

 一瞬、自分のよく知る少女かと考え、すぐに打ち消す。

 服や髪型を変えてしまえばそうなるのかもしれないが、少女と逸れたのはついさっき。こんな短時間で着替えられるわけがない。

 年上の少女は抱えている少女に心配そうな瞳を向けつつ、こちらには全く気付いていないのか、そのまま上を通り過ぎて行く。

 様子からして、少なくとも余り良い事態でないことが容易にわかる。追跡者が見当たらないことから、シティの人間である線も薄い。

 現状、見かけた人間らしき姿は今の二人のみ。少しでも情報を集めるためなら、接触するべきだ。

 ディーは即座に判断を下し、今度こそ力を使う。

(「身体能力制御」発動。運動速度、知覚速度を五十三倍に定義)

 静かな追跡が、始まった。

 

 

 すっかり暗くなった帰路の中、足音のリズムに溜息が混ざった。

「フェイトちゃん、大丈夫かなあ……」

 呟く声は、肩まで届く茶髪を左右に纏めた、齢十にも満たない少女のもの。

 彼女の名前は高町なのは。自称“極々普通の小学三年生”。

 最初にその言葉を聞いた時、現在フェレットであるユーノ・スクライアは苦笑するしかなかった。

 魔法文明の発達したミッドチルダなどならばまだしも、ここでは魔法が御伽話となっている世界なのだ。魔法を使っている時点で十分普通ではない。

 説明しようかと思った事はあるが、教えたところで頑なに否定されるだろうと予想し、止めておいた。

 流浪の遺跡発掘一族たる、スクライアならではの処世術である。

「あれは魔力が枯渇しただけだから、怪我は大したことないよ。ちゃんと休めば、明日にでもジュエルシードを探してる筈」

 彼女――なのはと出会ってから、半月以上が経過した。

 輸送中の事故により、この世界へばら撒かれた21個のジュエルシード。願いを叶えるその宝石は、危険な代物だった。

 責任を感じ、たった一人でこの世界へやってきたユーノは、早速ジュエルシードの力によって発生した暴走体の封印にかかった。

 けれど、環境上の魔力不適合により失敗して倒れ、その日の内に身を拾われ、二人での捜索が始まった。

 色々とあった事は、否定しない。

 一つは、想像を逸脱したなのはの才能。

 ジュエルシードの封印に合わせて、跳ね上がり続ける魔導師としての力。歪ながらも砲撃魔導師として、彼女は今も急激な成長を続けている。

 正しく“天才”と評すべきだろう。陳腐ながら、他に表現が見当たらない。

 大して時間も置かずに、自分では全く使えなかった砲撃魔法を扱って見せたのだから、これは間違いない。

 もう一つは、ジュエルシードを集める別の魔導師“フェイト・テスタロッサ”と、その使い魔“アルフ”。

 最初に遭遇した時から、訓練された動きの垣間見える高速戦魔導師。魔力変換資質は電気。

 所有魔力量もなのはと比肩しうる程の“天才”だ。接近戦を得意としているらしく、戦闘に持ち込まれれば今のところはこちらが不利となるだろう。

 これ以上ジュエルシードを奪われては堪らない。現状、なのは自身のポテンシャルに賭けるしかないのだ。

 そして、先の戦闘。今までの予想を更に覆す、ジュエルシードの力。

 あの力を発現させたのは、周辺に存在する生物からの強い願いだった。

 人間の手による暴走も規模は大きかったが、今回は次元空間まで歪んでいた。

 原因は、二人の魔導師による戦闘で発生した魔力の余波。

 最終的にはデバイス間での衝突がトリガーとなり、あれ程の暴走に繋がったものと考えられる。

 しかし、あんなに小さな宝石のどこに莫大なエネルギーが眠っていたのだろうか。

 先が読めない要素が増えてばかりで、ユーノとしては半分困りかけている。

 これがジュエルシードを見つけた自分から起因するものと考えると、遣る瀬無くなる。

 一方のなのはも、フェイト関連でユーノ以上に困り果てているようだ。

 今や限り合うものを取り合う敵同士だというのに、彼女に対してどうしても敵対意識を持てないらしい。

 あの赤眼が、悲しく儚いあの瞳が、気になって気になって仕方がない様子。お陰で、今日は親友達とも学校でぎくしゃくしてしまったようだ。

 二人の心境は、ある意味で共通していた。

 さっきの街中ならまだしも、自分達がいるここは今、人通りが全くと言っていい程にない。

 フェレットと人間の会話も、盗み聞きする者は誰一人いない。

 ――二人の周りには、誰もいない。

「待って下さい!」

 突然後ろから呼び止められたのは、そんな時だった。

 

 

「……え?」

 高町なのはは体ごと振り返り、目を見開いた。

 視界にまず入った色は、青と白、そして金。

 先程戦った赤い瞳の少女や、最近話しかけてくれなくなった親友とも違う、後ろで一房にまとめた金髪。髪を留めるのは、大きめの青いリボン。

 青と白を基調とした服に、大きな青い瞳。人形みたいに整った顔と、白過ぎるくらい白い肌。

 全く面識のない、おそらく自分と同い年くらいの女の子。自分は事情が事情なのでともかく、今は目の前の少女が出歩く時間ではない。

 目の前まで走って来た少女に、早速用件を聞いてみる。

「あの……何かな?」

「え、ええっと……ここは、どこなんですか?」

 フェイトと同じ位端正な顔に小さく困惑を浮かべたまま、首を傾げて聞いてくる。

 思ったより日本語が上手である。一瞬、言葉に詰まった。

「どこって、海鳴市だよ」

「う、うみなりし……ですか?」

 律儀に答えたものの、逆に少女は首を傾げる。敬語を使う辺り、自分より年下なのだろうか。

 それ以上に妙な反応からまさかと思い、恐る恐る聞いてみる。

「もしかして、迷子?」

「その……はい、です」

 ものの見事に当たってしまい、気まずい沈黙がその場に降りた。

 当然、迷子の応対は初めてである。どうすればいいのか、まるで分からない。かといって、放っておくつもりなど毛頭ない。

 困っている人がいて、助けてあげられる力が自分にあるなら、その時は迷っちゃいけない――父親の教え通りだ。

 まずは自分一人で、出来そうなことを思案する。

 周りをみれば、自分達以外に誰もいない。少女はおそらく、迷子になったところで自分を見かけ、そのまま追いかけて来たのだろう。

 ……どうしよう。

 電柱に取り付けられた、蛍光灯の明かりを頼りに、なのはは腕時計を見ながら考え込んだ。

 ただでさえ、先程起こったジュエルシードの事件で帰りが遅れているのだ。これ以上家族に心配をかけさせるわけにもいかない。

(なんだか、妙なことになっちゃったね)

 困惑するなか、肩に乗ったまま様子をうかがっていたフェレット――ユーノから念話が入る。

(落ち着いて、なのは。場所を聞いてきたから、今度は道順を聞きにくるはずだよ)

(あ、そっか)

 確かにその通りだ。ここがどこだかわからないようだが、それでも“目的地へ行くにはどうすればいいか”をちゃんと聞いてくるはず。

(何だか言い出しにくいみたいだし、こっちから聞いてみようよ)

(うん)

 そうと決まれば、後は行動あるのみ。相手がこちらへ質問できるよう、こっちから促せばいいのだから。

「あの、わたしも忙しいので、言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってくれませんか?」

「え、あ……は、はい! あ、あの!」

「な、なんですか?」

 問いに対し、真剣そのもので詰め寄ってきた少女の勢いに圧され、少し怯む。それでも、ある程度の質問には対応できるだろうと考えていた。

 ――それが、迂闊だった。

「さっき、街中で何してたんですか?」

「……え?」

 咄嗟に、何も答えられなかった。

 一般人に魔法発動の瞬間を見られるはずがない。結界を解除するまでにはバリアジャケットも解除していたし、歩道にも戻っていた。

 だとすれば、何もない空間から突如自分が現れた事に疑問を感じているのだろうか。

 それはそれで説明に困る。何とか事なきを得ようと、頭の中で必死に言い訳を考えようとした時――

「ですから……あんなところで“魔法”を使って、何してたんですか?」

 決定的な言葉が放たれた。

 

 

「ホントに、泊まってもいいんですか?」

「大丈夫。お母さんから、ちゃんと許可をもらったから」

 全く人のいない夜道を、子供二人の足音が響き渡る。

 一人の時もそうだが、暗い夜道に少女二人だけというのは十分に危険である。

 最も、誘拐なんかしたら高町一家が黙ってはいないだろう。剣道ではなく剣術である御神流を代々扱う一族らしく、魔法なしでもかなり強い。

 なのはには伝えていないが、少なくとも並以下の魔導師相手なら確実に倒せる。ユーノ自身も敵に回したくない位である。

 閑話休題。

 

 少女の出した想定外の質問に、最初はパニックに陥りかけた。

 しかし、なのはを介していくつか質問をしていくうち、少女が次元漂流者であると判明。詳しい事情を聞くため、高町家へ連れていく事になった。

 早速携帯で親へ連絡し、“親が忙しいからいつも一人ぼっちの、新しい友達”という形で泊めることになった。

 うまくやれば、二泊三泊と続けられそうだ。

 

 ……よかった……

 思ったより早く事が運んで、ユーノは少し安堵した。

 多少戸惑ってはいるものの、少女の対応は適切だ。なのはと同様、歳に似合わずしっかり者らしい。

「えっと、それでね。家に着くまでに、言っておかなきゃいけないことなんだけど……」

 言い淀みながら話すなのはに、横を歩く少女は、なんですか? と首を傾げる。

 これからなのはが話す事は、事前に念話で相談済みだ。ユーノ自身については、もう少し落ち着いてから説明することになっている。

「家族のみんなには、わたしが魔法を使える事は……」

「え……もしかして」

 耳を傾けている最中に、顔を硬直させる辺り、察しが早い。

「うん。秘密」

「わ、わかりました」

 神妙に頷く、金髪の少女。

 先程こっそり魔力を調べてみたが、この世界の一般人同様にからっきしであった。魔法は知っているようだが、魔導師ではないらしい。

 自分がフェレット形態で、尚且つ一切少女に喋っていない以上、道中でばれる心配もないだろう。なったらなったで騒ぎになりそうなので。

「そういえば、どうして薮から棒にあんなこと聞いてきたの?」

 次は少女の発言について、なのはが問う。他にも色々聞くべき事はあっただろうに、何故よりによってあんな質問をしたのか。

「それは……えと、いろいろ理由はあるんですけど……やっぱり、気になって」

「にゃはは、そうなんだ」

 返ってきたのは、単純な理由。照れたように小さく俯く顔を見て、なのはも笑顔をこぼしている。

 時々子供っぽく見えてしまうのも、やはりなのはに近いものがある。そう遠くない内、この二人は仲のいい親友になりそうだ。

「ところで、その……ここはわたしの住んでいたところとは違う、別の世界だって言ってましたよね?」

 表情を一転させ、今度は少女が問いを発する。僅かに瞳を揺らし、整った眉を微妙にハの字へ変え、不安を露わにしている。

「うん。どうするかは、これから決める事だから」

「はい……」

 どこか暗い面持ちで頷く少女に、なのはが眉を寄せる。

 無理もないか、と、ユーノは思った。知らない場所に知らない人、そこに知らない世界とくれば、少女が不安がるのはむしろ当然だ。

 次元漂流者と聞いて少女があまり動揺しなかったのは、まだ実感が沸かないためか。

「――あ、そうだ」

 唐突に、なのはが思い出したように目を丸くした。

「そういえば、まだ名前を言ってなかったね」

「あ……そういえば、そうですね」

 少女も丸い目を更に丸くして、なのはと顔を見合わせる。

 一瞬の沈黙の後、なのはの顔に笑みが戻る。

 同時に小さく口元を緩める少女。多分笑っているのだろう。

 不安によって生み出されたぎこちない空気は、あっという間に掻き消えた。

「それじゃあ、わたしから」

 そうして、自己紹介は始まる。

 

「わたし、なのは。高町なのは。こっちはユーノくん」

「えっと、セレスティ・E・クラインです。セラ、って呼んでくれれば」

「うん。よろしくね、セラちゃん」

「こちらこそよろしくです、なのはさん」

 

 

「ん……」

 視界が暗い。自分は眠っていたのだろうか。

 何故か重い瞼を、ゆっくりとこじ開ける。視界に映るのは、暗い天井を背景にしてこちらを覗き込む人影。

「アルフ?」

 橙色の長髪に、浅葱色の瞳。ちょこんと乗った犬耳と、バックの尻尾が揺れている。

 額には素体となった狼特有の宝石。外見上は自分より何歳も年上に見えるが、実年齢は自分の方が上だったりする。

 唯一頼りになる存在。死ぬまでの長期契約を交わした、自分の使い魔。

 ……ここは……

 気がついたかいフェイト、と顔を綻ばせるアルフをよそに起き上がり、周りを見渡す。

 拠点としているマンションの部屋。ソファの上。後ろを見れば、ソファの端に深く腰掛けているアルフ。

 気絶した後でアルフに連れて帰ってもらい、ソファで膝枕されていたようだ。

 ……何で、気絶したんだっけ?

 思考がぼやけている。頭を掌に置き、両目を閉じ、自分の記憶を掘り返す。

 ジュエルシードの捕獲に向かって、封印を行った。“あの娘”と戦って、その途中でジュエルシードの様子がおかしくなった事に気づいた。

 後は急いで回収に向かって、自分とあの娘のデバイスがぶつかって、それから……

 ――思い出した。

「アルフ、ジュエルシードは?」

 目を開き、使い魔に向き直って、淡々と問う。なんとなく結果がわかっているから、思い出してもなお、冷静でいられた。

 使い魔の笑い面が一瞬で凍りつき、反転して沈痛な面持ちで……首を、横に振った。

「一気に空へ昇っていって、そのままどこかへ消えちまった。多分、別の世界に転移したんだと思う」

「……そう」

 ジュエルシードの暴走を、止められなかった。その上別世界に転移したとなれば、探すのも容易ではない。

 意気消沈した二人は揃って顔を俯かせ、

「――あの」

 聞いたことのない声が、耳に入った。

 さっきまでの憔悴が自分でも嘘だったかのように勢いよく顔を上げ、暗闇に映る白と銀に目を見開く。

 簡素な黒いテーブルの向こうに、見知らぬ少年が立ち尽くしていた。

 うなじの辺りで一房に纏めた銀髪と、意思の強そうな銀の瞳。着ているシャツとスラックスも、銀に近い白一色。

 腰の白いベルトには、鞘におさまった二本の剣が差してある。

 中性的かつ端正な顔のせいだろうか。その瞳がない限り、あたかも等身大の人形と錯覚してしまいそうだ。

 その腕には、何故か救急箱を抱えていて――

「あ、ああ。ありがと」

 慌ててアルフがその救急箱を受け取った。

 本来なら、自分よりも真っ先に警戒するのは使い魔の方だ。

 なのに、目覚めてからの様子からして、少年がこの部屋にいる事を承諾していたことになる。

 危険が無いという事だろうか。自分が気絶している間に色々あったらしい。

「アルフ、この人は?」

「うん、まずはそのことなんだけどね。……手当てしながらだけど、いいかい?」

 消毒薬を手に、淡い藍色の目が問い返してくる。

「え? 手当てって……」

 言いかけて、フェイトはやっと右手の痛みに気付き、僅かに顔をしかめた。

「大丈夫かい? それじゃ、ちょっと我慢してねフェイト」

「あ、うん」

 曖昧な応答を合図に、アルフの治療が始められる。

 まずは右手から。消毒薬が傷口に染み渡り、顔を歪ませて僅かに呻く。それもほんの束の間、大きな絆創膏がペタペタと貼られ始めた。

 ……そういえば、素手で封印しようとしてたんだっけ……

 右手を見つめてぼんやりしていると、ふと少年と目が合う。そういえば、この人はさっきから立ち尽くしたままだ。

「えっと……とりあえず、座ってください」

「あ、どうも」

 相手は明らかに年下だというのに、何故か畏まる少年。小さくともフェイトが家主ということで、遠慮しているのだろう。

 手前のソファへと座るものの、開いた救急箱は抱えたまま。両腕が塞がっていては、腰の双剣を扱えまい。

 敵対する印象は見たところ皆無。律儀に治療が終わるのを待っているのだろうか。

 その姿に、少しだけ緊張が緩む。悪い人ではなさそうだ。

「えと、そんなに肩肘張らなくてもいいですよ。……それじゃあアルフ、聞かせてくれるかな」

「うん」

 

 マンションに着いた直後、その少年は後ろから声をかけてきた。

 正確には、自分が人間形態で耳や尻尾も収納し、人混みに紛れて正面玄関に辿り着いた時である。

 最初はあの少女の仲間かと思ったのだが、いきなり「ここはどこなのか」とか、「武器は持っているが、戦闘の意思はない」と言い出してきた。

 意外な展開に拍子抜けするも、少年の様子からしてただ事ではない。言動からして次元漂流者の可能性だってある。

 関わるべきじゃないとは思うのだが、自分達が寝泊まりしているマンションは既に目の前だから、撒きようがない。

 次元漂流者だとしたら、ちょうど原因に心辺りがあるし、ついでにいうなら自分達の責任にもなる。どうにも無碍にできないこの状況に悩んだ末、

「……やむを得ずここに連れて来た、ってこと?」

「う、うん。駄目だったかい?」

 一旦包帯を巻くのを止め、アルフは恐る恐る主人の様子を窺う。目の前に座る主人は微笑み、首を横に振った。

「アルフは悪くないよ。それより今は、この人から話を聞くべきだと思う」

「まあ、そうなんだろうけどさ……」

 行動を再開しつつ、アルフは心の中で溜め息をついた。

 ……だから連れてきたくなかったんだよね……

 “あの人”の手伝いをしているときの無表情は、あくまで自制をきかせた仮面にすぎない。

 なんだかんだいって、自分の主人は根が優しいのだ。もしも困っている人が目の前に現れれば、大体こんな展開になるだろうと予想はついていた。

 不満ではない。寧ろ良い所だと思う。問題は別のことだ。

 ……よりにもよって、こんな時に……

 明日はちょうど、“あの人”に手伝いの報告へ向かう日。

 ジュエルシード三個を捕獲したことはいい結果だが、この少年は間違いなくマイナス要因だ。今後の行動にも支障が出る可能性だって充分有り得る。

 報告すれば、主人が何をされるか分かったものではない。というか、当人はその事をちゃんと考えているのだろうか。

 ……やっぱり、無理にでも突き放した方がよかったかねぇ……? 声をかけられる直前まで、自分は高層建築の屋上を跳躍したり、飛行魔法で一直線に市街地上空を横切ったりの高速移動だった。

 それなのに。結界が解けた後は人目を忍ぶために耳と尻尾を引っ込め、マンション前まで来て漸く安心という時に、ピンポイントで話しかけてきた。

 明らかに異常だ。魔力を持っていない時点で外側からはあの結界に入れない。

 最初から内部にいたとなれば話は別だが、あの場所から少年はずっとこちらを追跡していたのだろうか。

 だとすると、相当な機動力になる。敵の魔導師とて飛行魔法を持ってはいるものの、全力で逃げれば追いつかれない自信があった。

 魔力もなしにここまで辿り着いた方法。しかし、迂闊にアルフは聞き出せなかった。

 声をかける前に襲ってこなかった時点で、こちらに敵対する意志は言うまでもない。考えるべきは“悠長に話しかけてきたこと”だ。

 敵と判断して、逆に攻撃されたらどうするつもりなのか。平和惚けしているともとれる行動だが、対処できる自信があるとするならどうだろう。

 考えられるのは、自分に追いついた機動力を以て逃げるか、未だに隠している何らかの力を使って強引に抑え込むか。

 見た目は凄く弱そうだし、魔法自体知らない可能性は高いから、ただの慢心かとも思える。

 怪しまれないよう、フェイトに何度か合間を縫って念話による注意を促したが、全く聞き入れてくれなかった。

 話してはくれないけど、人柄が気に入ったらしい。

 そんなこんなで、少年を警戒するのは自分の役目だ。

 ……って、何考えてんだろうねあたしは……

 唐突に我へ返り、自分が頭を使っている事への疑問を覚える。少年の事情が事情の為か、色々と考え込んでしまったようだ。

 そう、ややこしいことを考えるのは性に合わないし得意でもない。ただ警戒を怠らなければいい。

 まだミッドチルダや魔法の事は伝えていないし、少なくとも状況を把握するまで大した動きはしない筈。

「その……いくつか、聞いてもいいかな?」

「え? は、はい。どうぞ」

 突然口を開いた少年に、自分の主たる少女が慌てて返す。

 何故慌てて返したのだろうか。丁度一人で余計なことに頭を使っていたので、その時のフェイトは全く見ていなかった。

「じゃあ早速。まず、次元漂流者、っていうのは?」

「ええと、簡単に説明すると……何らかの事情で、全く別の世界から強制的に転移された人のこと、なんですけど」

「そう……」

 主の説明に曖昧な返事をすると、少年は考え込むように俯く。己の状況を、慎重に吟味しているのだろうか。

 暫くして納得したように頷き、すぐに顔を上げた。

「じゃあ、ぼくはその“次元漂流者”ってことになるんだね?」

「え……それじゃあ」

「多分、間違いないよ。ぼくが元いた世界とは、環境が違い過ぎるからね」

 おかしいとは思ってたんだ、と話す少年の様子に、アルフは浮かんだ疑問をそのまま口にした。

「随分、落ち着いてるねえ」

「うーん……まだ、実感が沸かないからかな?」

 言われてみれば、そうかもしれない。

 いきなり知らない場所に来て、ここはあなたの住んでいた場所とは違う別の世界です、と言われれば、世間一般の人はどんな反応をするのか。

 少年の場合、おそらく半信半疑なのだろう。よく取り乱さないものだ。

「じゃあ次。今日は何日?」

「は?」

「いや、ぼくが元いた世界とは時間が全然違うみたいだから」

 少年はそういって、上に目を向ける。視線の先では、壁に掛かったアナログ時計が二十時を指していた。

「この世界に来る前は、夜中の一時過ぎだったんだけど……」

 もしかしたら日にちも違うのかなって、と苦笑する少年。

 どうでもいい質問かと思ったが、恐らく時差か何かで齟齬があったらしい。

「そ、そうなんだ。えっと、確か……」

 フェイトが少しだけ間を開けて、答えた。

「四月の、二十六日だけど」

「……そう」

 今度は俯かずにはっきりと、少年は返す。僅かに表情を強張らせているが、何を考えているのだろうか。

「質問は、それで全部かい?」

 こちらの確認に、少年は少し考えるような仕草をしてから頷き、

「じゃあそろそろ、こっちの質問を聞かせてもらえるかな。えっと、その……」

 主人が急に言い淀むのを訝しんだ少年は、すぐにああ、と呟き、

「そういえば、お互いに名前、言ってなかったよね」

「え、あ……は、はい」

 こうして。

 少し遅れた、自己紹介が始まった。

 

「ぼくはディー。よろしく」

「フェイト……フェイト・テスタロッサ。この子は使い魔のアルフ」

「……よろしく」

 




 天文学的確率で発生し、最初にその力を見いだした者から“天才”と称された、遠距離戦闘タイプの魔法使い。
 高町なのはと、セレスティ・E・クライン。

 高い資質と才能を持ち合わせた“出来損ないの人形”。
 規格外の圧倒的戦闘能力を持つ“出来損ないの兵器”。
 高速接近戦型の魔法使い。 フェイト・テスタロッサと、デュアルNo.33。

 二つの出会いは、偶然が重なっただけの、小さな波紋。
 本当に、小さな、波紋。
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