リリカル・ブレイン   作:SLB

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第四章 子らの未来は未だ見えず ~Wizards are Preserved~

 床の隙間から照明の射している廊下に、三人分の足音が響いた。

 壁も床も天井も何かしらの金属でできた、縦横の幅がやたらと広い廊下。その上を歩くのは、二人の少女と一匹のフェレット、そして一人の少年。

 執務官の少年には迷いも何もなく、無言で二人と一匹の前を先行している。そのすぐ後ろを、金髪の少女――セラはおっかなびっくりで歩いていた。

 I-ブレインで周囲の空間や質量を調べてみるものの、盗聴器をはじめとした探知機はないようだ。

 

 突如現われた少年、クロノ・ハラオウンにより先の戦闘は中断。フェイトは使い魔の援護となのはが庇った事で逃走に成功した。

 安全を確認したセラが林から出てきた直後、ジュエルシードを速やかに封印した少年から自分達へ向けてのお説教が飛んできた。

 ――現地から協力者を募ったのは譲るとして、魔力を持たない民間人を結界内に取り残すとはどういう了見だ! 何、本人たっての希望? 許されるかそんなもの! あれだけ離れてても戦闘に巻き込まれる可能性は十分あり得るんだぞ! 君達自身が持っている力が、どれだけ広範囲に及ぶものなのか分かっているのか――?

 平謝りする三人に、最後は溜息混じりに「以後、注意するように」で終了。

 直後に空間モニター(と呼ぶらしい)が現れ、映っている女性から事情聴取の指示が飛んできて、そのまま少年について行く事となった。

 二度目の空間転移に怯んでしまったのは秘密である。

 

 こっそり首だけ曲げて後ろを窺うと、落ち着きのないなのはの姿。前方を殆ど見ることなく、周りをキョロキョロと見回しながら歩いている。

 変に転んだり自分にぶつかったりしないのは、隣にフェレットのユーノがついているため。まるで朝の自分のようだ。

 因みに自分はユーノがいなくても問題ない。

 朝もさりげなくI-ブレインを使って周囲警戒はしていた為、何のアクシデントもなく時間一杯ユーノから情報を聞き出していた。

 今は横よりも前。首を戻して歩調を速め、先行する少年の横へ。念のために聞いておきたい。

「あの……」

 声をかけると、少年はこちらへ僅かに首を向ける。

「ここっていったい、どこなんですか?」

「次元航行艦“アースラ”の中だ」

 淀みなく、執務官の少年から返答。

 半ば悪い予想の通りに出てきた“艦”という言葉に、セラの両肩が僅かに震えた。

「幾つもの次元世界を自由に渡り歩くための船、それが次元航行船だ。簡単に言うとだが」

「は、はあ……」

「そう言われても、その、あんまり……」

 何とか感情を押し殺したセラの曖昧な声に続き、なのはも苦笑しながら似たような反応を返す。

 説明を頭で理解しても、実感は持てない。次元世界という代物のスケールがあまりにも大きすぎて、どうもぱっとしないのだ。

 魔導師の魔法に関しては、実際に見たからなんとなくわかったのだが。

「まあ、すぐに理解してくれとは言わないよ」

 こういった応対には慣れているのか、最初に会った時より幾分軽い口調で少年は答える。

 ……船、ですか……

 少年が口にした単語を内心で復唱し、セラはわけもなく身を強張らせる。

 魔法士の世界では、小さい頃から数年毎にあっちこっちを大型フライヤーで移動してきたが、こういった“艦船”に乗るのは今回を含めて二度目となる。

 一度目はというと、碌なものではなかった。

 公式には世界初の“魔法士能力が遺伝した魔法士”として捕らえられ、盲目の少女からは衝撃の真実を聞かされた。

 更には脱走を行って逃げ惑い、追っ手の兵隊達から引っ切り無しに銃弾を飛ばされ、遂には騎士の少年からも逃げて……

 はっきり言って、もう本当に嫌な思い出しか残ってない。

 とにかく、今回は“捕獲”された後に軍から“逃げる”のでは無く、“保護”してもらって元の世界へ“帰る”というもの。

 前回酷い目にあったからといって、ディーを見つけて元の世界へ帰るためならどうのこうのと言ってはいられない。

 そう自分に言い聞かせても、あのときの記憶が頭から離れず、やはり居心地が悪いことに変わりはない。

 後ろのなのはも“艦船に乗った経験”という点以外では似たようなものだろう。

 この先入観を払拭できるきっかけでもあればいいのだが、そこまで都合の良いことがこの状況で有り得るのか。

 流石に望み薄だろうと小さく息を吐いている内に、いかにも重厚そうな金属製の自動ドアが目の前に現れる。

 重苦しく両横へとドアがスライドし、大人が軽く五人は並んで通れそうな道ができあがる。

 通過した直後、先頭を進んでいた少年はそこで唐突に、ああ、と呟きつつ振り向き、

「バリアジャケットとデバイスは解除して。そのままだと、君も窮屈だろう」

 それまで少し厳しそうに見えた少年の口調が、何時の間にかこちらを気遣うようなものへと変化している。

 変わりぶりにか、なのはが一瞬目をぱちくりさせたが、

「そっか、そうですね。それじゃあ」

(情報制御・質量の変化を感知)

 返答を終えた直後、なのはが身に着けていた服と杖がピンク色の光を帯びる。I-ブレインがセラに情報を伝えてきたのは、それとほぼ同時。

 数秒と経たぬ内に、バリアジャケットはなのはが通っているという学校の制服へ、デバイスは元の宝玉へと戻ってしまった。

 戦闘の時から分かった事だが、魔導師の“魔法”は魔法士のそれと比べて情報の歪みが少ない。

 少ないだけであって皆無ではないが、これは魔力と関係があるのだろうか。

「便利ですね」

「にゃはは」

 素直に感想を述べるセラになのはがはにかみ、頭をかく。

「君も、元の姿に戻っていいんじゃないか?」

 唐突な言葉に二人は少年に訝しげな視線を向け、次に少年が会話している相手を視線で辿る。

「あぁ……そうですね。ずっとこの姿でいたから、忘れてました」

 何やらよくわからない会話に、セラとなのはは顔を見合わせて首を傾げる。

(情報制御を感知)

 再びユーノに視線を戻すと、いつの間にかフェレットは緑色に発光していた。

 なのはとセラ、二人が驚きに目を見開いている内に、

(質量変化)

 I-ブレインが告げるのは、“フェレットが別の存在になる”という事実。

 セラには一目でバリアジャケットとわかる服を着た、蜂蜜色の髪を持つ少年へと姿を変えていく。

「わぁー……」

 感嘆とも呆れともつかない声は、セラのもの。隣のなのはと同様に、目と口を真ん丸にして事の成り行きを見つめる。

 結界や転移などにはもちろん驚かされたが、今回のは最大だった。

 これまでの魔法に関してなら、空間や質量を知覚できるセラには何となく仕組みがわかったものの、今回ばかりは完全に想定外。

 一体何の物理法則をどう弄ったら、質量保存の法則を無視して別種の生物に変わることができるのか。

 そんなことを考えているセラをよそに、小動物を取り巻いていた情報制御が終了する。

 はあ、と息を吐き、それまでフェレットだった少年はなのはを見る。

「なのはにこの姿を見せるのは、久しぶり……だったっけ?」

 言うと、なのはと同い年くらいの少年はふいにセラの方へ向いて、

「ああ、セラは初めてだったね」

 びっくりさせてごめん、とフェレットだった少年が謝る。

 対するセラは何とか我に返り、ぶんぶんと首を振り、

「ユーノさんたちの魔法って、そんなこともできるんですか?」

「うん。変身魔法の一種で……って、なのは?」

 今度は全員の視線が、なのはの方へと向けられる。

 ユーノの方を震える右手で指差し、目を真ん丸に見開いたまま、魔導師の少女は口を小さくパクパクと開閉させている。

「な、なのはさん?」

 こちらの声が全く聞こえていないのか、少女は唐突に、思いっきり息を吸い込み、

 ――次の瞬間、廊下全体に素っ頓狂な叫び声が響き渡った。

 

「ユユユユユーノくんて、ユーノくんて……え、えぇ――?」

 あっちへわたわた、こっちへわたわた。

 その場の全員が目を丸くして、少女のパニックを眺めた。

「あー……君達の間で、何か見解の相違でも?」

 真っ先に我に返ったのは、執務官の少年。兎も角この状況を把握するため、あえて沈黙を破る。

 同じく呆気にとられていたセラも、あ、と呟き、

「もしかして、なのはさんもその姿見てないんじゃ……」

「そうだよ! 最初からフェレットだったよー!」

「え? ……あぁっ!」

 少女の即答に思い当たる節があったのか、硬直していた少年が小さく叫ぶ。執務官の少年の言うとおり、見解の相違とやらがあったらしい。

 思わず、セラは小さな溜め息を吐いた。

 もちろん自分だって驚いたが、なのはの場合はその比ではないだろう。

 それまでずっとフェレットと思っていたのに、実は自分と同い年くらいの少年であることが今頃になって分かったのだから。

「ということは、セラも知らなかった?」

「知ってたら、こんなに驚かないです」

 目をぱちくりさせる少年に、呆れも隠さず即答する。

「あの……二人とも、ごめん!」

「気にしないでください」

 頭を下げて謝ってきた少年の姿がどこか銀髪の少年と重なり、思わず少しだけ顔が緩む。

 とはいえ、ここで無駄に時間を費やしている訳にもいかない。ふいに横を見ると、執務官の少年も痺れを切らしているようだ。

 誰かが再び口を開く前に、何時の間にか呆然としているなのはに顔を向け、

「とりあえず、なのはさんはこれでいいですか?」

「え? う、うん!」

 慌てて頷いたのを確認してから、若き執務官の傍について振り向き、

「誤解も解けましたし、行きましょう」

「そうだな。艦長も待っている」

「は、はい!」

「そうですね!」

 セラとクロノが促し、なのはとユーノが気を取り直して頷く。

 再び全員が歩き出した時には、全体の空気が幾分か軽くなっていた。

 二人の少女からは、艦船に対する複雑な心境は既にない。セラ自身にも、執務官と会話出来るほどの余裕が湧いてくる。

「ところで、えっと……クロノさん、ですか?」

「そうだが、まだ何か?」

 再び横に並んで問いかけてくるセラに、執務官の少年は律儀に言葉を返す。

「その服、バリアジャケットですよね。解かないんですか?」

 執務官の少年は僅かに目を見開き、

「習慣のようなものだ。まあ、あまり気にしないで欲しい」

 と、小さく苦笑しながら答えた。

「そうなんですか」

 時空管理局というのも、軍隊みたいに厳しい規律で守られているのだろうか。

「にしても、よくわかったね。魔導師じゃないんだろう?」

 そんな勝手な想像を巡らせようとして、今度は少年から問いが発せられる。

 セラは一度だけ両目をぱちくりと瞬かせた後、少しだけ自慢げに口元を緩めた。

「最初に出てきた時から、ずっとその服です」

 魔導師のバリアジャケットは、其れ即ち戦闘服に等しい。なのに戦闘の時、執務官の少年は一度も服を変えていなかった。

 万が一にも被弾した時を考えて、確実に装着するはずだ。だとすれば、最初に現れたときから既に装着していた可能性がある。

 ――というのは、ユーノから聞いた知識を頼りに捻り出した言い訳。

 確かにそれは事実ではあるものの、セラが気づいた理由は別にある。

 バリアジャケットは、魔力を服代わりにして身を守る防御魔法。

 服として形成するほどに魔力を凝り固めることで、通常の衣服を遥かに超えた物理防御を、耐熱・耐寒を含めて実現させている。

 更に、服としての部分だけではなく、露出した肌やデバイスにも同様の効果が起こっている。

 そういった効力の結果、光使いの質量知覚が“外見以上に知覚対象が重い”事を伝えてくるのだ。

 特になのはのバリアジャケットは、これまで見た魔導師達のバリアジャケットの中で一番重く、先程クロノが窮屈と表現したのは全くもってその通りだろう、と内心でセラは思った。

 実際の重さだけでなく魔力消費においても同じ事が言えるらしいが、ここは閑話休題である。

「聡いんだな……と、着いたよ」

 クロノの言葉に、三人はいつの間にか目的の部屋に辿り着いたことに気付く。

 目の前には、最初に通ったものとは違う、大人二人がやっと通れる程度の自動ドア。

 セラの空間知覚能力が、金属製の自動ドアの向こう側を丹念に探る。

 部屋の中心には、一人の人間と思しき質量。しかし、男性の平均体重よりかなり低い。

 ふと、ここへ転移する前の会話を思い出し、念のためにクロノへ問うてみる。

「あの……艦長さんって、さっきモニターに映っていた……」

「ああ。リンディ・ハラオウン提督だ」

 確認を取って、とりあえず安堵する。あの時出てきたモニター越しの第一印象からして、悪い人ではないだろう。

 とはいえ、知覚しているのはあくまで質量のみであって、部屋の中が詳しくどうなっているのかまでは……

 そこまで考えて、先程の名前に疑問を抱く。

「あれ? ハラオウンって……」

「まあ、察してくれ」

 自分よりも先になのはが問い、執務官の少年が目を伏せて答える。こちらの推測通りらしい。

 少年が答えた直後に自動ドアがスライドし、部屋から漏れる照明の光にセラは少しだけ目を細め、

「艦長、来てもらいました」

「「……え?」」

 視界一杯に入った光景に、なのはとセラは同時に目を見開いた。

 これまでの無機質な廊下とは、まるで別世界。しかしセラにとっては、相変わらず未知の世界。

 青みがかった金属製の床に、後から置かれたと思しき畳。傍らには大きな赤い傘が立てかけられている。

 部屋の端にあるのは、松と……確か“ししおどし”といっただろうか。

 セラにとっては知識としてしか知らない、簡潔に言うなら“和風のものをそのまま持ってきたような”部屋だった。

 日本人であるなのはへの気遣いを考慮して、自分たちがここに来るまでに用意しておいたのだろう。

 しかし日本文化関連で殆ど縁のないセラにとっては、逆に居心地悪いことこの上ない。

「お疲れ様ー」

 大きくて真っ赤な敷物の上で正座しているのは、ミントグリーンの長髪をポニーテールに結わえた女性。

 モニター越しに見えた制服のまま、“アースラ”の艦長が笑顔で歓迎の意を唱える。

「さあお三方、どうぞどうぞ楽にして」

 なのは共々呆然としていると、少年二人は当然のように部屋の中へと入っていく。

 管理局の応対方法を、二人はある程度知っているからだろう。知らないこっちはたまったものではないが。

「あれ、二人ともどうしたの?」

 振り返って首を傾げるユーノに、我に返った二人の少女は揃って首を横に振る。

 互いの行動に気づいた少女たちは顔を見合わせ、揃って苦笑する。どうやら、考えていることは同じらしい。

「行きますか」

「うん」

 再び前を向いた二人は、意を決してその領域へと踏み込んだ。

 

 

 水の流れる音が漂う中、部屋の隅にある鹿脅しが澄んだ音を響かせた。

 抹茶の匂いが、部屋全体にほんわりと漂う。

 畳の上に正座するのは、五人の人物。全員の手元には、抹茶と羊羹が置いてある。

 自分の左には、己の片腕にして実の息子でもある執務官の少年。腕を組み、両眼をつむり、仏頂面で話を聞いている。

 向かって右から、事情を話しているスクライア一族の少年、民間協力者の少女と、次元漂流者の少女という席順だ。

 そしてスクライア一族の少年――ユーノの説明が漸く終わったところで、リンディは小さく息を吐いた。

 大きな事件とは思っていたものの、既に次元漂流者が二人も出てきているとは。

 これは思ったより厄介そうだと予感しつつ、そんな思考は欠片も顔には出さず、リンディは口を開く。

「成程、そうですか。あのロストロギア――ジュエルシードを発掘したのはあなただったんですね」

 一つ頷き、ユーノが続ける。

「それで、僕が回収しようと……」

「子供の我儘と言うんだ、それは」

 バッサリ切ったのは両腕を組んで俯き、瞳を閉じたまま耳を傾けていた執務官。

 全員の視線がそれぞれの意味で集中しても動じることなく、クロノは追撃を放つ。

「自分で解決した方が管理局に任せるよりも早く対応できる分、大事にも至りにくいと考えたようだが……」

 対する黒衣の執務官は、顔を上げつつユーノへ真っ直ぐに目を向ける。

「己の力を過信し、ロストロギアを甘く見たようだな」

 若く優秀な魔導師だからこそ生まれる、ほんの僅かな自信過剰。どれだけ賢かろうと、やはり子供は子供のままだ。

 近くに少年を上回るほどの優秀な魔導師がいたからこそ、少年はこうして無事でいるのかもしれない。

「で、でも、結局僕のせいであれは……」

「スクライア一族が何を言っている?」

 何とか言い返そうとするスクライアの少年だが、出鼻から挫かれた。

「遺跡発掘が生業である以上、君なら分かるだろう? 世界の歴史を調べ続けていれば、遅かれ早かれ人の手に渡る。それがロストロギアだ」

 正論だ。ユーノが発見しなくとも別の誰かが手に入れる。自分が見つけさえしなければなんて屁理屈でしかない。

 横に座っているなのはとセラが、とうとう言い返せなくなって俯いた少年へ複雑な視線を向けた。

(クロノ。気持ちはわかるけれど、もう少し……)

(すみません)

 向かい合う三人の視線が逸れている間に、クロノを念話でやんわりと嗜める。

 今のがクロノなりの優しさであることは公私を通して理解してはいるものの、やはり言い方があるだろうとリンディは思う。

 生真面目でぶっきらぼうな所は父親譲りだし、決して悪い点ではないのだが。

 ……まだまだね。

 一人息子が管理局員になると宣言して、かれこれ九年。

 法の守護者にならんと幼いながらの正義感で走るクロノに、しかしリンディは支えながら何度も諭してきた。

 ――管理局は規律を守る。けれど、断じて正義の味方ではないのよ。

 十一年前。次元世界を守るため、愛する夫は最期まで管理局員であり続けた。己の身を挺したその生き様は賞賛に値するだろう。

 しかし周りを見渡せば、犯罪者も管理局員も同じ人間だ。

 末端は確かに良識ある人間ばかりだろう。入局には性格審査も含まれているのだから。

 それこそ人手不足の一因であるなら、人の数だけ正義があるのもまた事実。

 組織内のいざこざは絶えず、身内にはやたらと甘く、時には犯罪者と手を組む重職者もどこにだって存在する。

 人には必ず陰がある。人の創ったモノにも然り。法も組織も例外ではないのだと、リンディは伝えた。

 まだ小さかったクロノにとっては衝撃だったろうが、やるべき教育は早い内が一番であると己の心を修羅にした。

 正義感が強くて生真面目な性格は、悪く言うなら上官に誘導されやすいのだ。悪意ある人間に息子を体よく利用されてたまるものか。

 伴侶を無くして仕事に明け暮れようとしていた自分にとって、残された母がするべき事と信じ、奮い立った。

 執務官試験合格に合わせ、リンディは己の権限を使って自分の艦に引き入れ、今や優秀な右腕として前線に送っている。

 こういう時、身内に甘い管理局には感謝せざるを得ない。

 結局は管理局とて正義ではない。それを教えられて尚ここまできたクロノは、母の事をどう思っているのだろうか。

 ある程度ポーカーフェイスを作れるようになったその表情は読めないし、知るつもりもない。

 いや、知りたくないのが正解か。

「とにかく、自分で行動を起こした事については評価します」

 張り詰めかけた空気を払拭せんと、リンディが割り込む。

 まあ実際、九歳とは思えない位に責任感の強い子だ。並の同年代ではこうはいかないだろう。やはり出身故か。

 かといって“就職年齢を超えた”“ミッドチルダの人間である”以上、子供だろうと甘くはできない。

「ただし、今後は勝手に飛び出さず、周りの人と相談する事。集団行動中のミスは連帯責任が基本ですからね」

「はい……」

 完全に反省の色を見せた少年の横、なのはは自分も同じ事をした覚えがあるのか苦笑するしかなく、セラは何故か納得したようにしきりと頷いている。

 それにしても。

 ……可愛いわねえ……

 気を抜いたら緩みそうになる顔を、辛うじて微笑みに留める。苦闘の末身に付いた、顔面筋肉のコントロールである。

 クロノに負けず劣らずの男の娘的素材と、お人形さんみたいな美少女が二人。中々の逸材だ。

 思わず涎が垂れそうになったのを、手元のハンカチで誤魔化す。直後、別々だった二人の少女が何かを思い出したように我に返った。

「「あの……」」

 その場の全員が、声の唱和した二人の少女に視線を向ける。

 同時に挙手していた二人は顔を見合わせ、聞きたいことは同じだろうと思ったのか、代表して金髪の少女が問う。

「ロストロギアって、なんですか?」

 やはりセラと同じ質問をしようと思っていたのか、なのはもこくこくと頷いている。

 そこで、二人の少女がジュエルシードの正体を知らなかったことに気付いた。これは説明の必要があるだろう。

「簡単に言うなら、遺失世界の遺産です。まあ、それだけでは分かりませんね……」

 ロストロギアの説明を隣の執務官と共に行いつつ、マルチタスクで念話を開始する。

(この三人、どう思うかしら?)

(……達観していますね)

 言葉の意味を考えるように間をおいてから、クロノが答える。

(執務官である僕やスクライア一族である彼はまだ納得がいくとして、この二人は……)

(ええ)

 魔法を知り、次元世界を知り、管理局を知り。

 急激な環境の変化に多少戸惑いつつも、物事に加わるという意思を持って、二人の少女は知識を呑み込んでいく。

 並の十歳以下ではまず出来ない姿勢。それが意味するところは、ただ一つ。

(この子達も、それぞれに特殊な環境で育ってきたようね。……特に、セラって子は)

(はい)

 続けた言葉に執務官からの同意を得つつ、向かって左端に座る金髪の少女を注視する。

 セレスティ・E・クライン。通称セラ。

 ジュエルシードが発した次元震の影響により、全く別の世界から送られてきた十歳の少女。

 転移したその日の内に隣の少女と同様の知識を得、翌日にはジュエルシードの暴走や魔導師の戦闘も目撃している。

 そのすぐ後には、転移魔法でこの状況。時間や立場からして、横の二人より遥かに目まぐるしい環境の変化を受けている。

 達観していない普通の子供なら不安で泣き出すところなのだが、過去に何かあったのだろうか。

 ……ま、それは本人から聞いてみることとしましょう。

 無理に聞くのは野暮。少女の話したい時に聞くのが最上策だろう。

 ロストロギアの説明が終わる少し前に念話を打ち切り、思考と諸共に会話をしめる。

 念話を続けるための時間稼ぎを理由に、個人的感情を挟んで少し説明が伸びてしまったが、目の前の三人にはおそらくばれないだろう。

「世界や、次元空間を……」

 今一よくわかっていない様子のなのはとは対称的に、セラは僅かに青褪めた顔で、

「そんなに危ないものを、ユーノさんは一人で何とかしようとしたんですか?」

「う、うん」

 眉を吊り上げてユーノへ顔を向けたセラに、向けられた方は僅かに縮み込みつつ頷く。

「リンディさんたちの言う通りです。そんなの、いくらなんでも一人で解決できるものじゃありません」

「だからと言って、最初から管理局に全て丸投げするのも下策だったりします」

 両の眉を少しだけ吊り上げたセラの結論に、リンディは口を挟む。

 少女の言葉は確かに正論。しかし、少年がそのような判断を取ったのは無理もなかった。

「我々時空管理局は、次元世界一つだけでは収まり切れない程の巨大組織。ただ、大き過ぎるせいでとても動きが遅いの」

 危険な質量兵器の根絶と、ロストロギアの規制を主な目的とする組織――時空管理局。

 次元世界を纏めるその規模は極めて大きく、多少の風評もどこ吹く風といわんばかりの権力と武力を有している。

 その分全くと言っていいほどに小回りが効かず、大事件が起こっても結果的に後手へ回ってしまう。

 危険なロストロギアには最優先で対処していても、介入した時には事態が悪い方向へ進んでしまっていることもざらにある。

 多数の次元世界を統括する立場である以上、どうしようもないほどの問題として設立当初から管理局を悩ませている。

「ここだけの話、人手も足りなくてね。多数の次元世界へ局員を向けなければならない上、戦力の大半を魔導師に預けてるものだから」

「え? 普通の武器とかは使わないんですか?」

「そういったものは質量兵器に分類され、正式使用に際しても厳しい規制がかかる。昔の戦争を通して成り立った、管理局法の大原則だ」

 きちんと説明してくれたクロノに、そうなんですか、と感心するセラ。見れば、なのはもさりげなく同調していた。

(さて、如何しますか艦長?)

(そうね……)

 念話で裁量を委ねられる傍ら、皿に盛ってある角砂糖を一個ずつスプーンですくい、先程入れなおした緑茶へ溶かしていく。

 それを見ていた少女二人が、同時に目を丸くした。気にせずコーヒー用のミルクも注ぐ。

 良くない事だとは重々分かっているものの、止めるつもりはない。甘党の自分に、このお茶は少々渋すぎるのだ。

 即席の和室セットを設置して間を置かず、そのまま飲んだ時は思った。客が来る前で本当に良かったと。

 一人空しく悶絶しながら弄した対策は、甘いもので苦味を塗り潰す事位。余りの味に冷静さを失っていたのだろうか。納得いくような、いかないような。

 とりあえず甘いものを摂取すればすぐにエネルギーとなるし、頭もよく働くのでよしとする。

(セラさんは次元漂流者として、残る二人は私から言っておきましょう)

(了解しました)

 クロノは……おそらく気付いている。顔に出していないだけだ。そして緑茶を飲んでも平然としているのは自然体。

 色も含めてブラックを好む彼の事だから、このお茶は性に合うのだろう。

「まあ、これで大体の事情は把握しました」

 仕切り直しとばかりに言葉を発し、思い思いに動いていた子供達の顔を向かせる。

 角砂糖五つと多量のミルクを入れた激甘抹茶を優雅な手つきで一口してから、提督として宣言した。

「これより、ロストロギア“ジュエルシード”の回収については、時空管理局が全権を持ちます」

 動揺したのは、なのはとユーノの二人のみ。セラの方は対岸の火事とばかりに静観している。

 リンディもまた、セラの反応を当然と思えた。

 本来なら何の関係もないはずの、二人の少女。しかし、事件に関係した時間の差が二人にはある。

 二日関わった方と、二週間以上関わった方。

 どちらが事件に執着する可能性が高いかと言われれば後者であり、どちらが正論を多く出すかと問われたなら前者だろう。

 一方のなのはは、敵対していた少女に何らかの情を移していたのが先の戦闘から分かる。

 しかし管理局が動き出した今、状況は大きく変わっていく。

「なのはさんとユーノさんは、局入りしていない民間人。次元干渉に関わる程の事件だから、出来ることならこのまま帰ってもらうところです――が」

 俯いていた少年と、呆然と聞いていた少女と、我関せずを貫いていた迷子。

 語尾を聞いた途端、それぞれ怪訝な顔でリンディを見た。

「貴方達は、納得しないのでしょう?」

 途端にセラは目を見開き、ユーノは身を乗り出した。言外の意味を正確に悟ったらしい。

 なのはは展開についていけないらしい。ぱちぱちと目を瞬かせたまま、小さく口を開けている。

「い、いいんですか? 僕達、民間人ですよ――?」

「協力してもらう、とは言ってません。そちらから申し込めば受け入れる、それだけです」

 一方のリンディは淡々と語る。ぽかんとしたなのはの顔に視線を集中しそうになるのを堪えつつ。

「ユーノさんもなのはさんも、魔導師として高い実力を備えています。管理局が人手不足という話を聞いたから分かるでしょうけど、正直な所スカウトしたいくらいです」

 ミッドチルダでも総合Aランクで知られる立派な結界魔導師と、先の戦闘を見る限りAAAランクの砲撃魔導師。

 戦力として揃えたい、それは事実。

「ですが、こちらは既にアースラのエースたるクロノ執務官が乗艦している以上、欲を出さなくても事件を解決できる可能性は十分有り得ます」

 因みにクロノは空戦AAA+と、現在のなのはよりも上。更に戦闘経験を踏まえれば、余程の事が無い限り失策するとは思えない。

「かといって万全を期しておきたいのもまた確か。しかし民間協力者として引き寄せるには、少々動機が不十分」

「となると、そちらからの強い要望が後押しになる」

 こちらの意図を理解したクロノが続け、ユーノは真剣な表情で頷いた。

 一方、話についていけないのはなのはとセラだ。顔を見合わせては首を傾げるという奇妙なシンクロで、リンディに的確な精神攻撃を与えている。

「強制はしません。ただし、協力関係となる以上はこちらの指示に従って頂きます」

「前者は民間人を危険な目にあわせないため、後者は余計な事をして次元世界に悪影響を与えないためだ。分かってくれ」

「……どうするの? なのは」

 口元に手を添えて黙考していたユーノはなのはに振る。

「ええと、簡潔に言うとお手伝いってことだよね?」

「うん、まあ……あはは」

「なのはさん、いくらなんでもまとめ過ぎです」

「じゃあどういうこと?」

「えと、協力してくれてもいいけどちゃんと言う事聞くように……ですよね?」

「あんまり変わらないような……」

「いや、十分違うと思うよ?」

 そして入ってきたセラの要約は的確である。

 このまま三人組の話し合いが続くかと思われた矢先、リンディは柏手を打つことで中断させた。

「急に言われても気持ちの整理がつかないでしょう。今夜一晩ゆっくり考えて、二人で話し合って、それから改めてお話をしましょう」

「二人? ……あ」

 気になる単語に首を傾げるなのはだったが、すぐさま意図を察したらしい。

 それが正解だと言わんばかりに、執務官が口を開いた。

「セレスティと言ったね」

「えと、セラでいいです」

「そうか。……じゃあセラ、君はこちらの保護下に入ってもらうよ。無論、すぐに部屋も用意する」

「……わかりました」

 瞳をぱちくりと瞬かせてから、金髪の迷子はすぐさま指示に従う意を示す。

 神妙な面持ちではあるが、それだけ。名残惜しさといった感情はほとんど見受けられない。

 随分と聞き分けのいい子だ。都合がいいことはいいことなのだが、従順過ぎる気がするのは流石に考え過ぎだろうか。

「なにも緊張することはない。こう言ってはなんだが、ミッドチルダは君の世界よりも遥かに平和だ」

 その姿に見かねたのだろうか、クロノが僅かに頬を緩め、

「君はあくまで事件の被害者なんだし、そんな犯罪者扱いされているような顔は似合わないよ」

 金髪の迷い子はこくこくと頷くが、態度の方は更に固くなっていた。

 少女の世界の事は、先程ユーノから簡潔ながら聞いたばかり。世界観や少女の態度から察するに、厳しい世界なのだろう。

 次元世界を行き来する自分達は、色々な世界を見てきた。

 貧困に喘ぐ世界、戦争真っ只中の世界、既に滅んでしまった世界。何度見てもやるせない気分になり、助けたいと思ってしまう。

 しかし所詮は別世界。干渉するにも問題は山積みのため、下手に手を出すわけにもいかない。

 いつでもどこでも、世の中はままならないものだ。

「え、えっと……セラちゃん」

 住む世界のある意味対照的なもう一人の少女が、やはりある意味対照的な困惑顔でセラを見る。

 こうなる事は分かっていても、セラを引き止めたいのだろう。

 同時に余計な迷惑を掛けるわけにはいかないという、板挟みにも陥っているのだろう。

 歳に似合わず大人びているが故の、これは一種の不便だろうか。

 名前を呼ばれた少女は頬を緩め、声の主へと体ごと向いて、

「ありがとう、です」

「え?」

 唐突に投げかけられた言葉に、再び魔導師の少女が硬直する。

「最初はどうなるかと思いましたけど、なのはさんのおかげです」

 そう言って、感情表現に乏しい顔を緩め、金髪の少女は頭を下げた。

「短い間でしたけど、お世話になりました」

 ……いい子ねぇ……

 顔の方では笑顔を作りつつ、リンディは内心で感嘆のため息を漏らした。

 ただ大人びているだけではない。突然の状況下でも、少女はこうして礼節を弁え、心から感謝している。

 一体どんな経験をすれば、ここまで達観した少女が出来上がるのか。それとも、世界がそうさせたのだろうか。

「送っていこう。元の場所でいいね?」

 割って入るような執務官の言葉に、二人の魔導師は我に返る。

 クロノが正座から立ち上がり、なのは達を促す。

「はい」

「……はい」

 反論など出来る筈もなく、残る二人は揃って俯いた。

 

 

 暗い、暗い、一本道。

 夜闇よりもなお暗い闇の中を、プレシアはただ進む。

 周りが真っ黒で何も見えない中、遥か前方にある小さな光へ、杖を片手にただ進む。

 まるでどこかの洞窟の出口であるかのように、遠くの光は存在を誇示している。

 その光から伸びている細く白い道が、進むことへの迷いを断ち切らせる。

 道と光以外、周囲はただどこまでも黒いだけ。光を反射しているのが道だけだからか。それとも、他に反射する物体がないのか。

 ただ歩いているだけでは判然としないし、知ろうとも思わない。ただ、光だけを見て進むのみ。

 起きているのか眠っているのかわからない、希薄な感覚。いつもよりさらに重く感じる足を、今は億劫とも思わない。

 既に何時間も歩いたはずなのに、光は少しも大きくなったようには見えない。

 ああ、きっとこれは夢だ。

 先程魔法を使おうとしたのに、キャンセルされるどころか魔力すら発生しなかった時点で、気付いていた事実だ。

 ぼんやりと思い出しつつ、それでも足は止まらない。

 歩けど歩けど、変わるのは道ばかり。坂や曲がり道にはならないけれども、平坦だったり砂利道だったりを繰り返す。

 雑然と転がっている石に時々足をとられそうになりながら、プレシアはなおも進む。

 周囲を覆いつくす漆黒の空間が神経をすり減らし、遠近感を狂わせる中、朧げな意識でプレシアは考える。

 この夢は、今の自分をあらわしているのだろうか。今歩いているこの道が過程だとすれば、今見えている光はゴールなのだろうか。

 ならば、何故自分は後ろを振り向かないのだろう。自らの覚束無い足取りが、何故止まろうとしないのだろう。

 自分は、過去を取り戻すために動いているというのに。

 終わりが見えているはずなのに、どうして辿り着かないのだろう。始まりはいったい、どこにあったのだろう。

 始まりがあるなら、終わりもあるはずなのに。

 わからない。わからない。それでも足は止まらない。

 夢の中のはずなのに、歩いた距離に従って体が重くなっていく。

 そうやって、どれだけ長い時間歩いただろうか。

 ――母さん。

 杖で体を支えるのがやっとという状態になったところで、後ろからの唐突な声。

 肩で息をしつつ、プレシアは初めて後ろを振り向く。

「……アリシア」

 はるか遠くで道の上に佇む、十にも満たぬ歳の金髪の少女。

 この距離では確かめることは出来ないものの、少なくともフェイトでないことはわかった。

 フェイトなら口調に怯えが混じり、もう少し発音がしっかりしている。対して、聞こえてくる声は純粋で無邪気な子供らしい声だ。

 ――どうして、そんなことをしているの?

 相変わらずの少しだけ舌っ足らずな声に、僅かに目を細めて、

「貴女を、助けるためよ」

 優しく強い意志を伴い、しかし無自覚に狂気も混ぜて、プレシアは迷いなく答える。

 そう。アリシアのために、自分は二十年を越える時間を費やしてきた。

 娘を生んで五年間。仕事の時も、そうでない時も、自分はアリシアへ愛情を注いできた。

 それなのに。二十六年前、血を分けた子供を自分は失った。

 娘のために行ってきたことが娘を殺してしまった皮肉を、プレシアは呪った。

 肝心なところを失敗しておいて、何が天才だ。結婚して五年でようやく授かった愛娘一人救えずに、何が偉大なる大魔導師だ。

 だからこそ、その名に恥じないためにも必ず助けてみせる。

 アリシアなしの人生などありえないのだ。自分や他人がどうなろうと知ったことか。

 ――わたしのため?

 遠目からでも少女が無邪気に首を傾げている様が見え、思わず頬が緩みそうになる。

 だが、これ以上休んでいる暇はない。

「そうよ。待っていなさい、すぐに貴女を……」

 再び前を向き、重い足を上げようとして、

 ――わたしのせい?

 遠くから聞こえる声に、突如悲哀の情が加わる。

「……アリシア?」

 思わず、プレシアはもう一度振り向く。怪訝な表情のまま、動かそうとした足も止める。

 遠くに見える少女の顔から、笑みが消えたような気がした。

 そのまま数秒。

 ――いいよ。

 声が変わった。

 全く同じアリシアの声で、存在もアリシアのままだと声が伝えているけれど、こもっている感情がまるで違う。

 無邪気はそのまま、底なしの悲しみに包まれた声。

「な――」

 自分の愛する娘には、この様な声も出せるのか。

 驚愕から覚めやらぬ内に、足が誰かの手に掴まれる感触。

 反射的に足元を見ると、白い道からそのまま真っ白な腕が生え、プレシアの片足をむんずと掴んでいる。

 しかも、掴んでくる手は一本ではない。

 何本、何十本。足だけでなく体ごと掴まんと、次々と純白の手が飛び出してくる。

 ――もう、いいよ。

 憎しみなければ怒りもなく。ただ悲しいと、虚しいと。

 心の底から嘆き悲しみ、そのまま何かを諦めた声音。

 この距離では判然としないが、少女はどこか沈鬱な顔をしているように見えた。

 言葉に強さがなかろうと、顔に意志がなかろうと。

 発せられた言葉は、プレシアの心に深々と刺さった。

 道から伸びる腕の一本一本は太さも大きさも人間のそれと変わらず、しかし肘や肩にあたる部分は一切ない。

 どこまでも伸び、無機質なはずなのに生物の如くうねる“腕”。

 飲み込むように。その場所を真っ白に塗り潰すかのように。

 黒を塗り潰して、そこが最初から白だったことにするためのように、腕たちはプレシアに群がり、包み込んでいく。

 杖なしでは立っているのがやっとの状態では抗うことなど叶わず、魔法が使えないことも既に確認済みであり。

 そして、そんなことを考える余裕すら、今のプレシアにはなかった。

 ただ、知らず僅かに後ずさって。

「アリシア……何、を……」

 何を言っているの。何故そんな事を言うの。何故邪魔をするの。

 疑問が声にならないうちに、少女との間を白い腕たちが壁の如く塞いでしまう。

 逃げなければ、とぼやけた思考で辛うじて判断し、勢いよく振り向き、そして愕然とした。

 遠い。ずっと見えていたあの光が、今はあまりにも遠い。

 光までの道そのものが、決して辿り着きはしないと主張しているようで。

 それでも重い体に鞭打って数歩進み、光へと手を伸ばしたところで腕の群れに拘束される。

 やがて自らの顔も白で埋め尽くされ、対照的に視界が闇に包まれた。

 何も見えない。何も聞こえない。息も出来ない。閉塞的な闇が、プレシアから全ての感覚を奪っていく。

 そんな中で、アリシアの言葉だけが脳裏に響き続ける。

 わからない。何もかもがわからない。そんな思考すらも闇に沈んでいく。

 ただ、腕たちにはまだ呑み込まれていないのか、自らの右手の感覚だけが残っていて。

 夢は、そこで唐突に終わった。

 

 

 こつり、こつりと。

 大きく、しかし静謐に、一人分の足音が響き続ける。

 人が十数人は並んで通れるだろう、やたらと広い廊下。中央に真っ赤な絨毯の敷かれたその上を、ディーは歩く。

 廊下も部屋もがらんどうとなっている、静かすぎる建物の中を、ただ闇雲にというわけでもなく歩く。

 自分の部屋はフェイトに用意してもらい、今は真横で地図を映す立体ディズプレイを頼りに探索中。

 ここで暫く過ごすのだから、調べておいても損はないだろう。

 といっても、どんな構造なのかはフェイトからある程度聞いている。これはその確認だ。

 

 時の庭園。ミッドチルダの魔法技術で作られた、次元航行の可能な移動庭園。

 現在住んでいるのはプレシア、フェイト、アルフの三名のみであり、後者の二名は外出中のため、結果的にプレシア一人。

 以前は相当な資産を持っていたらしく、内部には物々しいまでの自動防衛機能が備わっている。

 中でも目を引いたのは、魔導兵器と呼ばれる自律駆動型ロボットの存在だった。

 侵入者に対する防衛機構を主な利用目的として、魔導兵器は合法・違法を問わず世界中で出回っている。

 種類もメーカーも様々であり、プログラムをインストールすればそれなりの魔法も発動可能とのこと。

 ただし、魔導兵器には最初から魔力保有量が決められており、そのランクに合わせてインストールできる魔法が限定されるよう、開発の段階で予め設定してあるそうだ。

 そしてこの庭園内には、三桁に及ぶ数の人型魔導兵器“傀儡兵”が配備されている。

 全六種類。小型のものでも五メートルに及ぶ巨体を持ち、魔力ランクは最低でもA。

 フェイト曰く、Aランクは平均的な魔導師よりもそれなりに優秀らしい。

 魔法士でいうなら|第二級《カテゴリーB》から少し上辺りなのだろうと、ディーは見当をつけた。

 

 出発前の彼女達とは、色々な話をしてから別れた。

 お互いにぎこちないものだったが、話し相手の少なかったらしい金の魔導師はどこか嬉しそうだった。

 今までこちらを警戒していた使い魔も、「また話相手になっておくれよ」と密かに頼まれた。

 現状、信頼関係は徐々に築きつつある。たった一人を除いて。

 目に映る風景と地図を照らし合わせ、庭園の構造を頭に収めていく。七割以上踏破したところで、ディーは大きく息を吐いた。

 辺りを見渡してここが広間であることを確認し、近くにあった階段に腰掛ける。

 体の方は一時休息。それまで考えていなかった方向へと思考が回っていく。

 ここまで探索して、幾つか気になることがある。

 それらをまとめているのは、やはりプレシアとフェイトの関係から始まる。

 例えば、フェイトから指示された“立入禁止区域”の存在。

 プレシアが科学者である以上そんなものはあって当然かもしれないが、フェイトやアルフですら入れない辺りがどうも引っ掛かる。

 娘であるフェイトに研究内容を教えていないのも妙だ。

 違法研究であってもフェイトがその片棒を担いでいる以上、多少話した方が都合がよいのではないか。

 それより何より、口調や表情がどう変わろうとプレシアが始終フェイトにだけ向けていた、あの“目”。

 嫌悪、侮蔑、憎悪……正確な表現はうまく出来ないが、少なくとも良い印象は全く見受けられなかった。

 普通の親なら、実の娘にあんな目はしない。

 何故あんな目をするのか。それともあれは演技なのか。

 もしかして、あれは娘を守るためにとっている行動なのでは――

「……って、何を考えてるんだぼくは」

 我に返って首を振り、再び溜息をつく。

 プラスの方向へ考えるには、根拠が無さすぎる。そもそも今の想像は、自分の経験から来る一種の甘さでしかなかった。

 ……あの人は、マリアさんじゃないんだ。

 セラの母親、マリア・E・クライン。

 そう遠くない内に死んでしまう自分から遠ざけるため、娘に対し敢えて厳しい態度をとっていた、不器用で優しい母親。

 どんなに冷たい態度をとっていても、セラの事を第一に考える“母親”だった。

 しかし、プレシアは違う。冷たいだけでなく、明らかな怒りを持ち合わせて、フェイトに対し虐待を行っている。

 母親のために頑張る娘と、恐らくそれを理解していながら憎悪と狂気をぶつける母親。

 少なくとも、娘想いとは思えない。それが分かっている筈なのに、なんでわざわざマリアと重ねてしまったのか。

 自分はまだここへ来たばかり。フェイトの事も、プレシアの事もよく知らない。知らない以上は何も出来ない。

 それでも、親子関係を何とかしたいと考えるのは、今も昔も変わりはしない。

 まずは、プレシアのことをよく知っておく必要がある。自分を保護してくれたフェイトへの、それがせめてもの恩返しに繋がるだろう。

 どうやらセラを探すためにも、ここで色々とやらなければならないようだ。

「さて、再開しよっと」

 両手を膝に付けて立ち上がり、まだ確認していない区画へと体を向ける。

 まずは知ること、歩きだすこと。そこから始めなければ、何も得られない。

 セラとの再会は当分先のようだと何となく悟りつつ、暗い廊下へと歩き出した。

 

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