準備してもらった部屋に入り、漸く一人になったところで、セラは溜息を吐きながらベッドに横たわった。
あれから丸二時間休みなし、脳内や精神まで渡る精密検査と元の世界に関する聴取を大急ぎで受けてしまえば、流石に疲労も溜まる。
聴取に関しては前回と大差ない。なのは達より少し細かく説明しただけで、シティの名称や魔法に関しては隠し通したままだ。
だがしかし、脳まで調べられると知った時あからさまに動揺してしまったのはまずかった。
断りたくても、逆に怪しまれるわけにいかない。
結局検査を受けてしまった以上、本格的な調査をされて身動きが取れなくなってしまうのは時間の問題だ。
元の世界から一緒にあったカバンとD3は、同じく検査目的で管理局に預けられている。
自分自身にとって最大の武器がない以上、まともに戦うこともできない。
今現在は、ただD3が手元に戻ってくることを祈るのみ。
真っ白なシーツの心地よい感触を確かめつつ、光使いのI-ブレインで周囲の物体を知覚する。
廊下と変わらない材質でできた、立方体型の部屋。
簡素な純白のベッドや丸テーブルや椅子が置いてある程度の質素な部屋の中を、身動き一つとらずに調べ尽くす。
盗聴器や隠しカメラの類は無し。壁の中も同様。情報の歪みも全く感知できない。
しかし、転移魔法の直前に見たあの空間モニターからは情報制御を探知できなかった。あれを使えば監視は可能。未だに予断の許されない状況だ。
更に、これだけではない。
……被害者、ですか……
数時間前に聞いた、執務官の言葉を思い出す。
――君はあくまで事件の被害者なんだし、そんな犯罪者扱いされているような顔は似合わないよ。
前半分は確かに正論なのだが、もう半分を聞くとどうにも気まずい。
それもその筈、自分は魔法士の世界における犯罪者……しかも、世界中のシティに向けて堂々と宣戦布告してのけたテロリストの一員だ。
魔法士であり、同時に悪人である。その両方を、自分一人で隠し通さなければならない。
探し人を捜索するのもこれからだというのに、こんなようでは先が思いやられる。いつ何時被害者から危険人物へと扱いが変わってもおかしくはない。
余りにも気の滅入る状況に眩暈がしそうで、セラはシーツに顔を埋めたまま溜息を吐く。
こんな気分でいると、捕らえられた訳でもないのにここが牢屋のような気さえしてくる。
いずれにしろ、最高の確率でディーと再会するにはこれしかない。それでも、運に頼る要素が余りに多すぎるのではないか。
シーツの中から顔を上げ、無機質な天井を見つめる。
こんな時、どうすればいいのだろう。
少年なら、一体どうするのだろう。
今、少年は何処にいるのだろう。
「……ディーくん……」
*
『それでは、失礼します』
目の前で大映しになっているフェレットが、言葉とともに頭を下げた。
都合によりフェレットと化している少年との通信が切れ、巨大通信モニターが閉じる。
僅かに暗くなるものの、アースラオペレータ室は周囲を目視できる程度の明るさを保っていた。
つい先程までは黒衣金髪の魔導師に関して執務官と話していたのだが、話の途中で通信が入った。
発信元は、地球にいる魔導師の少年から。それによると、民間協力者という形で事件に関わりたいという。
Aランクの結界魔導師と、AAAランク相当の砲撃魔導師。今回の件がどのような事態になるか分からない以上、出来るだけカードは揃えておきたい。
それに、手持ちの切り札は執務官ただ一人。温存目的は言うまでもなく、また一人の人間には限界というものがある。
二人の身柄を預かることと、こちらの指示に必ず従うことを条件に、リンディは少年の提案を承諾した。
そして、今に至る。
「さて、次の話をしましょうか?」
ミントグリーンのポニーテールを揺らめかせ、リンディは優秀な部下二人へと意味ありげな笑みを向ける。
正体不明の魔導師、協力関係となった魔導師と話が進めば、次の話題は決まってくる。
「彼女の……セレスティ・E・クラインの事ですね?」
「正解」
振り返りつつ答えたのは、クロノ・ハラオウン執務官。仕事中は常に黒いバリアジャケットに身を包んでいる、AAA+ランクの若き魔導師である。
「この娘も結構可愛いですよねー。もしかして、クロノ君も目を付けてるのかなー?」
執務官相手に、からかう気満々でため口を張る少女はエイミィ・リミエッタ。
栗色の髪をショートカットで整えている、見た目通りに快活なアースラのオペレーターだ。
「エイミィ、いい加減にしないか」
二つ年上の幼馴染という親密な関係故、実質的な上司である自分達にもエイミィは気兼ねしない。
しかしクロノは厳しく注意することがない。別に不真面目なわけではなく、努力の末に諦めているのだ。
「全く、艦長も何か言ってくださ――」
彼自身もかなりの頑固者だが、昔からエイミィには敵わないままである。うんざりといった面持ちで振り返り、己の上司を視界に収め、
「エイミィの言う通りよねえ、事情聴取の時も危うくにやけかけて――こ、コホン」
恍惚の表情から我に返り、軽く咳払いする提督を、執務官は確かに目撃していた。そろそろ自制も限界だろうか。
しかして先程の出来事は初めからなかったかのように、一人息子にして最も頼れる部下へ片目を瞑って見せる。
「まずは、執務官の意見を聞いてみたいわ」
「そうですね……」
口元に手を当て、黒い瞳を閉じたまま、弱冠十四歳の執務官は先の言動を無視して考え込む。
「表向きは、確かに只の次元漂流者ではあります……しかし」
少し間を空けてから目を開き、険しい表情でこちらを正視する。
「隠し事をしているのも、間違いないかと」
その通りと言わんばかりに、口元を笑みの形にしてリンディは頷く。しかしクロノを射抜く目は、既に次元航行艦艦長を務める提督のそれだ。
「どんな隠し事かは分かったかしら?」
「いえ、そこまでは。ただ……」
「ただ?」
「どこか怯えて……いや、恐れていました」
「それって、別世界に転移して一人ぼっちとかじゃなく?」
この場にいる三人の中で、ただ一人“遠くから”次元漂流者を観察していたエイミィが割って入る。
「ええ。隠し事がばれるのを恐れている」
先をとったリンディに、クロノが首肯で同意を表す。
一人だけ別の距離から見てもらえば意外なことが分かるかもしれないと思ったのだが、今回は杞憂だったらしい。
「つまり、ばれたら色々マズいとか、立場的に不利になるとか、そういうの?」
「そういうことだ」
「ふーん」
エイミィとクロノのやり取りから少しだけ目を離し、口元に手をおいて考え込む。
知らないものに対する恐怖ではなく、知られることへの恐怖心。それが、少女と自分達を阻む壁となっている。
次元漂流者である少女からは、改めて出身世界の話を聞いてみた。
先程協力者となった少年の証言と一切齟齬がなかったことは、既に確認済み。
違いがあるとすれば、「これはなのはさんたちにも話していないことなんですけど」と前置きして続けた辺りか。
その部分を、協力者の二人に言わなかった理由は大体想像がつく。
……できるなら、話したくはないでしょうね……
大きな組織相手だからこそ、先の二人相手よりも若干肩の力を抜いて、極寒の世界を語ることができる。
最初にその世界の話を聞いた幼い少年少女には、十分重い話だっただろう。
ならば、あの少女は一体何を隠しているのか――と考えたところで、唐突に電子音が鳴り響く。
艦内での通信連絡、と判断しつつ、応答用のボタンを押す。
『失礼します。検査結果が出ました』
目の前の巨大モニターで大映しになるのは、アースラで船医を務める白衣の女性。
それなりに長い付き合いのため、短い報告でも“誰の”“何の”検査結果かはすぐに理解できる。
「どうでしたか?」
『表面上は全くの健康体です。感染症にも一切かかっていません。……ただ、気になる点が一つ』
「何でしょう」
自分の表情が僅かに険しくなるのを、リンディは自覚する。正直な話、小さな女の子を色々と疑ってかかるのは気持ちのいいものではない。
『脳の一部に、奇妙な特徴があるんです』
「脳?」
「……詳しく」
思わずクロノが反芻するなか、リンディは会話を続ける。
『こちらになります』
映っている船医の横に別のモニターが出現し、脳の立体画像が表示される。
その内のある一か所だけを、三人は凝視した。
他と比べて僅かに膨らんでおり、ちょうどその部分だけ皺の数が異常に多い、奇妙な場所を。
「これは……腫瘍、かしら?」
問うたリンディに、船医はいえ、と首を振り、
『これが何らかの病気によるものであれば、他にも何か異常が見つかる筈なのですが……』
「見つからなかった、と」
言葉を引き継いだクロノに、はい、と返してくる船医を視界の端に捉えつつ、リンディは奇妙な脳から顔を背けない。
「先程、特徴とおっしゃいましたね。病気ではないのですか?」
『はい。これは腫瘍や悪性新生物の類ではありません。もっと別の何かと見て間違いないでしょう』
「何か、とは?」
発言からして、“これ”が何なのか、船医は見当をつけている。そう判断して、リンディは問う。
『……自分としても、信じ難いのですが』
僅かに口を濁し、一呼吸おいて船医は告げる。
『通常の人間にはない、全く別の器官と考えるしか』
今度こそ、ハラオウンの姓を持つ親子は顔を顰めた。たった今浮かび上がった推測の通りだとすれば、少女の反応に全て合点がいく。
試しに、推測の辻褄合わせとなる質問を投げかけた。
「本人から何か、これに対する自覚らしきものは見えましたか?」
『そういえば……脳の検査を受けることを知った後は、随分と緊張していました。恐がることはない、と宥めてはみたのですが、顔色が悪いままで』
直後。クロノが俯き、エイミィが天井を仰ぎ、リンディが額を指で押さえる。三者それぞれの反応だが、考えていることは同じだった。
何故狼狽えたか。それは、本来調べられるとまずいから。彼女はこれの存在を知っていながら、こちらには隠しているということ。
――君はあくまで事件の被害者なんだし、そんな犯罪者扱いされているような顔は似合わないよ。
クロノの発言から更に固まった少女の姿を思い浮かべれば、更に確信がいった。
おそらくこれこそが、少女が隠したがっているものの一部……否、本体なのだろう。すぐさまリンディは毅然とした顔を上げる。
「ありがとうございます。念のため、データのバックアップを保存しておいて下さい」
『了解しました。……本局には、なんと?』
「クロノ執務官と相談してから決めることにします。今日は御苦労様でした」
『畏まりました。それでは、失礼します』
最後に敬礼を残して、船医の顔がモニタから消失する。
「っふぅ……」
直後、リンディは幸せが逃げていくのではないかと思えるくらいに大きな溜息を吐く。
どこかに腰を下ろして……いや、いっその事エイミィからその椅子を分捕ろうなどという思考が頭に浮かぶ。
勿論馬鹿馬鹿しいので、実践はしなかった。
「えーっと……これって、手掛かりとか過程とか全部すっ飛ばして答えを見つけちゃった、ってやつ?」
「……まあ、そんなところだな」
苦笑いを浮かべるエイミィに、ローテンション気味でクロノが返す。
問題を出されて真剣に悩もうとしたら、目の前に答えの用紙が落ちてきたようなもの。
完全に気勢を削がれてしまっては、拍子抜けするなと言う方が無理である。
「といっても、解説がないんじゃ理解の仕様がないわね」
溜息混じりに、ようやくリンディは顔を上げる。
答えを見ただけでは、この難しい問題は本当に解いたとは決して言えない。
解答に至るまでの過程が分からなければ、問題の意図が分からないままなのだ。
「再聴取ですか?」
「いいえ、もう少し様子を見てみます」
思わず問うてきたエイミィに、険しい顔をしたままリンディは返す。
「これを見せただけでは、まだしらを切ってくるかもしれない」
クロノも頷いた。
ごく普通の少女なら、隠し通せる筈がないと諦めるだろう。しかし相手は、精神的にも物理的にも只の人間ではない。
少女に問い詰めるなら、もっと確実な証拠が必要となる。
時空管理局において、次元漂流者を危険と判断しない限りは拷問・脅迫など以ての外。次元世界を越えての接触は、常に慎重でなければならない。
反抗の意思が見られない以上、少女への対応はこれが最善の判断となる。
「身体検査だけでこれだ、時間と共にボロが出る可能性は高い」
モニタに残った脳の立体画像を見上げながら、クロノが呟く。
少女に詰問するのは、もう少しヒントが集まってからでも遅くはない。なら、今最もヒントになりそうなものは……
「宝石と言っていた、あの所持品は?」
少女が手提げカバンに詰め込んでいた、拳大の宝石。一個ならまだしも十個持っている辺り、かなり怪しい。
宝石ですとかおかあさんからもらった大事なものですとか答えられては、それ以上の追及も野暮。
念のため、時空管理局本局のメンテナンスルームへ送っている。
「ああ、それでしたら――」
言いかけたエイミィの声を遮り、再び電子音。
きたきた、と呟きながら操作卓に向き直り、エイミィが通信回線用のボタンを押す。
『遅くにすみません、本局メンテスタッフのマリエル・アテンザです』
巨大モニタに、白衣と大きな丸眼鏡を主な特徴とした少女が映る。
確か彼女は、エイミィの後輩と聞いている。早速“宝石”の解析結果が出たようだ。
「それで、どうだった?」
やはりタメ口で聞くエイミィだが、誰もそこに突っ込まないのは付き合いゆえ。
『まあ相手が相手なので、深入れするのは控えておきました』
少女が犯罪者ならばまだしも、何の罪もない迷い子である限り、強引な手は一切使えない。
発展途上の世界に住む人間にとってはありがたい規則だし、個人的に良いものだとも思っている。
だがしかし、こんなケースになると逆に厄介だ。不公平な手段をとる悪人や不審者に対しても、公平に接さなければならなくなる。
世の中、そう簡単に綺麗言は通らないもの。時空管理局という強大な力をもってしても、変わる事はない。
『ただの宝石じゃなさそうなのは確かなんですけど、あの紋様が分子単位で刻まれていることしか』
「分子単位……ってことは、機械で刻まれたってこと?」
『はい。非常に稠密かつ丁寧に作られています。紋様の意味さえ分かれば、これの正体も分かるとは思うのですが……』
オペレーターとメンテスタッフのやり取りに耳を傾けつつ、同時に思考を巡らせる。
少女の方も、紋様の存在くらいは知っている筈。仕掛けを最も理解している可能性があるのも、結局は彼女一人。
とはいえ、この情報をもって問い詰めても知らぬ存ぜぬで通される可能性は十分にある。
「これ以上調べても、収穫はありそうですか?」
リンディ自身から、最も必要と思える問いを発する。
『難しいですね。一切のエネルギー反応がないですし、そもそも特殊な何かがあるのかどうかすら分かりませんし』
このままだと本当に“珍しい宝石”で通っちゃいそうです、と白衣の少女は苦笑する。
どうやら、こちらに仕掛けを理解する術はなさそうだ。となれば、あとは宝石をどうするか。
このまま調べ続ければ、検査期間が長すぎることを少女に怪しまれるかもしれない。
何より、罪もない次元漂流者の所持品を取り上げ続けたままとあっては、自分を蹴落とそうと躍起になっている連中のネタにされかねない。
「仕方がありませんね、返してあげましょう」
提督の決断に、補佐役の執務官は怪訝な顔をして振り向く。
「よろしいのですか? 武器である可能性も残っていますよ?」
自分達が最も危惧していることを、執務官は示唆する。
仕掛けが分からないということは、使用用途も不明。大したものではないのかもしれないし、実はとんでもない兵器だったりするのかもしれない。
少女が重大な何かを隠していることは分かっても、詳細は未だ闇の中。
見えているのは結局シルエットだけで、こちらの立場や状況も含めてみれば、大きな進展とは言えない。
ただ、この判断を下せるだけの理由が一つ。
「あの子に敵意はありません。やろうと思えば、いつでも抵抗できた筈ですし」
最悪、この宝石が少女の武器であったとしても、攻撃してこないことは既に実証済みだ。
身体検査を文句一つ言わずに受けた時点で、あの少女は正体がばれることを覚悟している。
所持品を預かったのは検査直後だったから、その時に抵抗してもよかった筈。
危険はない。リンディはそう確信している。
「……分かりました」
僅かな沈黙の後、溜息交じりに執務官が承諾した直後、リンディは巨大モニタへ顔を向ける。
「そういうことで、よろしいかしら?」
『あ、はい。それでは、失礼します』
再び通信回線が閉じると、執務官は難しい顔をこちらに向ける。
「……一つだけ解せません。元の世界へ戻るにも、ディーという少年を見つけるにしても、これはリスクが高過ぎます」
隣のオペレーターも、そうだよねぇ、と頷く。
少女が抱える二つの目的は、管理局の協力なしだと不可能に近い。だからこちらを頼ってきた、ということだけならまだ理解はできる。
しかしここまで不審点が見つかった以上、無視しておく訳にもいかない。
少女を危険と判断すれば、拘束することになるかもしれない。もしそうなれば、元の世界に戻ることは今よりも更に困難となる。
あの少女のことだから、その位はとうに考えている筈。ならば、何故このような行動をとったのか。
「目的のどちらか、あるいは両方に、これだけの危険を冒す価値がある、ということかしら」
それはつまり、目的を達成してしまえば身の危険がなくなるということ。
元の世界に戻りさえすれば確かにそうなるのだが、少年にも元の世界にも辿り着くのが何時になるかはまるで分からない。
対して、こちらから少女を縛ることになるのは時間の問題。
「分の悪い賭けですね」
「他に方法がなかったのでしょう」
皮肉気に淡々と口を開くクロノに、リンディは小さく溜息を吐いて返す。
形振り構っていられない。それほどに、あの少女は今追い詰められている。実際執務官の評した通り、これは分が悪い……というより、悪過ぎる。
元の世界への帰還だけでは余りに頼りない。少年を見つけたところで、さして状況も好転しない筈――
「まさか、“ディー”という少年を見つけることにも何らかの意味が……?」
「あってほしくはないけれど、前提にしておいた方がいいのでしょう」
同じことを考えたのだろうクロノが目を見開いて呟き、先程よりも大きな溜息を吐いてリンディが返す。
少女の正体が知れていない以上、警戒するに越したことはない。もしかしたら、捜索対象の少年にも何か秘密があるのかもしれないのだから。
……というより、あるんでしょうね……
分かっているのは、名前と容姿のみ。その名前すら、ファミリーネームすらなしに“ディー”としか知らされていない。
存在そのものが虚偽かと疑いもしたが、そんなことをしても少女自身のメリットが無いし、本人も真剣に捜索を依頼していた。
少年を探すためなら偽名の線は薄い。つまりは通称であり、本名ではないと考えるのが妥当だろうか。
考えれば考えるほど、深みに嵌まっていくような感覚。これ以上推測を重ねても頭が痛くなるだけだろう。
「何にせよ、行動を起こせるだけの要素が少なすぎます」
決めるのは方針、取り繕うは態度。
顔を上げて毅然としたリンディの立ち居振る舞いに、優秀な部下二人は姿勢を正した。
「ジュエルシードの事件と並行して、この調査を続行しましょう」
「「はい!」」
過剰警戒では断じてない。
接触対象にはとにかく慎重に。次元空間を越えて世界に干渉する、時空管理局のやり方……これはその一つである。
*
最近、何かしらの夢を見る。
具体的な内容について、詳しくは覚えていない。目覚めた瞬間、夢で見たものが頭の中から消え失せているのだ。
しかし、少なくともいい夢でなかったことは起床直後の感覚が伝えている。
それでもやはりプレシア自身の心は揺らぐことがなく、十分後には記憶から消え失せていた。
今は、夢などに気を割いている場合ではないのだ。
鋭い、狂気に染まっていることが自覚できるその瞳を開く。
高い天井に吊るされた巨大なシャンデリアが、円柱状の空間を神々しく照らしている。
石造りの床に敷かれた大きな赤絨毯が映え、壁際に立ち並ぶ重厚な柱が空間をアンティークに飾る。
プレシアから見える正面の壁には大きな両面開きの扉が既に開いており、部屋の中心に銀髪銀眼の少年が立ち尽くしている。
その表情と直立姿勢から、見て取れるのは僅かな緊張。
対する自分は、扉とは反対側に作られた豪奢な椅子に腰かけている。
更には自分の腰かける椅子を中心に、円を描くように三段分の階段が自分と少年の高低差を形作っている。
第三者がここにいれば、身寄りのない少年が魔女だか女王だかに呼び出されたように映るだろう。実際、似たようなものである。
自らの手元には、二振りの剣。先日少年から預かっていたものだ。
「これはもういいわ」
座ったまま二振りの剣を翳し、無造作に少年へ放り投げる。
些か乱暴かもしれないが、態々歩いて手渡ししたり魔法で剣のみを移動させるのも億劫なのだ。
いきなりの投擲に銀の少年は目を見開くが、そこは剣の持ち主。両手で二振りともキャッチして、腰に収めた。
「ありがとうございます」
どこか複雑な表情で、しかし少年は律儀に礼を述べる。構わず、プレシアは続けた。
「聞きたいことが幾つかあるのだけれど」
「……何でしょうか」
唐突な言葉に、来たかと言わんばかりの神妙な顔で少年は身構える。
予想通り。恐らく少年も同じ筈。
周囲の空気が僅かに重くなり、不自然な沈黙が訪れかけたところで、プレシアは意を決して口を開いた。
「単刀直入に言うわ。貴方、造られた人間ね?」
二振りの剣から得られた情報。その一つは、持主たる少年の個人情報だった。
デュアルNo.33。それが、目の前の少年……通称“ディー”の本名。
外見年齢と実年齢は一致しておらず、見た目こそ十四歳相当だが実際は二年しか生きていない。
シティ・マサチューセッツ出身のエージェントであり、遺伝子合成のバグで生まれた“規格外”。
これらが意味することは唯一つ。少年は、ただの人間などでは断じてない。
生まれた時点で親のいない、正確な造り主すらいない、文字通りの人造人間。
それも、生まれた時点で兵器扱いされるほどに強大な力を持っているらしい。
「……はい」
僅かに俯きながら、溜め息混じりに少年は肯定した。しかし、それも僅か二秒足らず。
「やっぱり、分かったんですね。これがデバイスだって」
若干肩を落としつつも、諦観の混じった苦笑を見せてくる。
少年の警戒する素振りから何らかの抵抗を予想していたのだが、杞憂だったようだ。
更に言うなら、立ち直りが早過ぎる。正体がばれることは既に覚悟していたらしい。
プレシアも肩を落としながら、昔科学者をしていたのよ、と切り出し、
「それでも私達のものと違うせいで、解析に随分苦労させられたわ」
「まあ、そうでしょうね」
苦笑する少年を、プレシアは忌々しげに睨みつけた。
実際、本当に大変だったのだ。
仮想人格や持ち主に対する応答機能はおろか、そもそも電子音声すら持っていない、全く未知のデバイス。
魔導師が持ち得ている魔法が存在しないことは予想の範疇。
例え何らかの魔法が組み込まれていても、使用言語が全く違うであろうことは分かり切っていた。
問題は、デバイスに入るデータ量が明らかにミッドチルダのそれを凌駕していたことにある。
魔導師が扱う魔法プログラムよりも稠密に、しかしシンプルに、尚且つ巨大な、魔法発動用と思しき補助プログラム。
今日の昼過ぎには終わるだろうと思っていた作業が、解析終了時は既に夜だった。
多少の仮眠こそ取ったものの、まだ少し眠い。終わったらもう一度眠るつもりだ。
つまり、デバイスや電子技術においては、確実にミッドチルダより上。
フェイトを通して聞いた話だけでは、少年の世界の底は見通せなかったのだ。
「それに、まだ確認の必要な部分も残っているのよ。いいかしら?」
「はい、答えられる限りは」
無邪気に頷く少年と、発した言葉の深い意味が噛み合わず、内心で戸惑う。
正体がばれた以上は手の内を全て晒しても構わないのか、それとも手札を見せたところでさしたる不利にはならないのか。
そもそも、まだ隠しているものはあるのか。
ただ調べただけでも、騎士剣から得たものは極めて多かった。
特殊な金属原子に特殊な配置がなされており、おそらく何らかの効力を常時発揮しているデバイスであること。
柄頭の結晶体がデバイスの中枢であり、デバイスを介して発動する魔法の種類は主に三つだけであること。
黒い結晶体のついた騎士剣だけ、後付したように緑色の結晶体が埋め込んであること。
その騎士剣にだけ、もう一つの“経路”が存在していること。
「右手用の騎士剣についているのは、別のデバイスの中枢かしら?」
「はい、その通りです」
少しカマをかけたつもりだったのだが、予想を外して少年は素直に返す。
答えの方は想像通りだが、普通の人間ならデバイスを付け足すなんて考えもしない。思わず、声に感心の響きが籠った。
「こんな真似をするなんて、余程の技術者ね」
「はい。最初に見たときは、ぼくもちょっと驚きました」
少年は全く嘘を吐いていないのだろう。
中の制御文が、二本の騎士剣のそれとは全く違う
……とはいえ、その部分までは読んでいられなかったのだけれど。
無論、少年の世界ではそれほど難しいことではないのかもしれない。しかし、別世界の人間にとってはそうもいかない。
言語が違うために、まず解読方法を作り上げる。これだけでも一苦労だ。そこへ、使う言語が同じでも文法の違うプログラムが出ればどうなるか。
勝手を知らないこちらにできることは一つ、“新しい解読方法を作る”しかない。
しかも、そのプロトコルへ辿り着いたのはつい一時間前。日中は暫く床に就く予定だった。
これ以上肉体を酷使する訳にはいかない。少年の正体が分かる程度まで調べてしまえば、寧ろ少年と直に話した方が手っ取り早い。
結果としても、十分に収穫はあったと言っていい。十二分になるかどうかは、この交渉次第と言えるだろう。
「とりあえず、あなたは魔導師なのね?」
「えっと、こっちの世界では“魔法士”って呼ばれてます」
「魔法士……?」
初めて聞く単語に、プレシアは片眉を上げる。
そういえば、少年がどうやって魔法を行使するのかを聞いていなかった。“魔法士”という名前は、それと関係があるのだろうか。
「魔力もなしにどうやって魔法を使うのかは、長くなりそうだから後で聞くことにするわ」
そう。問題なのはここからだ。
はい、と頷く少年の表情に、思ったより険は見られない。尋問されることに慣れているとでもいうのだろうか。
だが今のプレシアにとって、それすらどうでもいいことだった。
「それで、話は変わるけれど」
心もち、椅子から身を乗り出す。己の瞳に、狂気の意思が強まったのを感じる。
ここからは、自分の目的に関する話。何としても聞き出さねばならない。
「あなたの世界の、人を作る技術……それは、どこまで進んでいるのかしら?」
きょとんとした顔で、え? と返す少年。
「えぇっと、培養層を使った遺伝子合成とか、記憶の転写とか、まあ色々と……」
とりあえずといった面持ちで答える少年の顔が、不意に訝しげなものへと変わる。
だんだん尻すぼみになる少年の口調は、やがて言葉を止める。
少年の口から続きが出てこないことに、痺れを切らす。ここはこちらが問うタイミングなのだが、プレシアは躊躇した。
厄介なのは質問の内容だ。発言したら最後、こちらの真意がばれてしまう。
しかし、目的達成に必要なものを、目の前の少年は知っているかもしれない。
後者が当たりなら、秘密をばらしたところで見返りは十分。それがなければ、少年にどのような印象を与えてしまうか。
まだこの少年は利用できる。だからこそ惜しい。だからこそプレシアは迷った。
やがて疑るように、銀の瞳が真っ直ぐにこちらを見る。
願いを叶えるエネルギー結晶体、ジュエルシード。フェイトにも一切話さない研究内容。更に今の質問とくれば、疑うだけの要素は十分。
勘付かれたのだろうか。自分の考えていることが、碌でもないものだということに。
既に時間はない。問うか否か……選択は、
「……死者を蘇らせる技術は、あなたの世界にあるのかしら?」
一度溜息を吐いてから選び取ったのは、前者。
「ありません」
即座に真顔で返された。
「遺伝子合成で作り上げた肉体に死者の記憶を植え付けたって、それはあなたの望む人にはなりません。決して」
魔法士の世界でも例外なく起こったのだろう結果が、プレシアの心に刺さる。
銀の少年が言いたいことは分かる。作りものの肉体に記憶を転写しようと、肉体も魂も全くの別であることは自分にとって既知の事実だ。
非難するでもなく、嫌悪感など欠片も見せず、ただ淡々と。しかし断固とした事実として少年は告げ、そして問う。
「“それ”が、あなたの目的ですね?」
――死者蘇生。
いかなる人間であっても、生まれてから死ぬまでに一度は願うであろう、
死者は生物へ戻ることは決してない。それが世界の理であり、現実。
結局は夢に過ぎず、未だかつて誰も達成したことのない“不可能”。
それを、自分は成そうとしている。
「別に、ジュエルシードで蘇らせようとは思っていないわ」
溜息混じりにあしらいつつ、質問に対する肯定を暗に示す。
そこまでできるほど、ジュエルシードの力は万能ではない。所詮は高エネルギー結晶体なのだ。
だが、その莫大な力を使って、不可能を可能にする状況を作り出すぐらいの力はある。
「死者を蘇らせる世界を、私は見つけたの。そこへ行くために、ジュエルシードが必要なだけよ」
開き直り、本心を語る。
少年と同様、秘密が知られてしまっては隠しようがない。それに情報を明かせば、少年とは色々話しやすくなる。
「ただ、貴方がその世界から来たのかと思っただけよ」
勿論、誰を生き返らせるかは伏せておく。
ここまで話したことは誰にもないが、今回は……この少年は特別だ。
まだ、力を見ていない。いざ反抗された場合、どんな手痛い反撃を受けるか分からない。
それに万が一の予備戦力となるなら、利用価値は残されている。
だから、これはあくまで口止め料だ。
「……フェイトはそのことを?」
「いいえ。まだよ」
「“まだ”、ですか」
僅か二言で成された返答の意味を理解し、少年は僅かに俯く。
そう。フェイトには最後まで教えない。時が来るまではきっちり利用させてもらう。
罪悪感など欠片もない、というわけではない。どんな形であれ、命は命だ。
たとえその命を、尊厳を踏みにじってでも、自分はこの道を進むと決めた。“あの子”なしの世界など、自分には何の意味もないのだから。
ともかく、これで必要なことは話した。あとは、少年の出方次第。
そう考えて俯いたままの少年の顔を伺い、
「あなたは……興味がないのかしら?」
目の前の少年にさしたる感情の変化が無いことに気付き、思わず問う。
自分のやっていることがどういうことか、そんなものはとうに認識している。
善行か悪行かと問われれば間違いなく悪であり、じきに時空管理局からも目をつけられるだろう。
そんなことを話したというのに、銀髪に隠れた端正な顔からは嫌悪や怒りの表情が見えない。
僅か二年しか生きていなかろうと、エージェントという立場上死んだ人間を見てきた筈。
それを自分が冒涜しようとしているのに。少年は最初から、ずっと眉根を寄せないでいる。
少年の顔に浮かんでいるのは……僅かな悲哀と、諦観。
「ない、と言えば嘘になります」
そのまま少年は瞳を閉じる。
「けれど、ぼくはあなたほど強くは望みません」
「……何故?」
何故、こちらへ敵意を向けないのだろう。
何故、大切な人が蘇ることを望まないのだろう。
何故、こんな時にそんな穏やかな表情ができるのだろう。
ゆっくりと開かれるのは、意志の強い銀の瞳。顔に浮かべるのは、迷いも憂いもない微笑。
「人の死を認めた上でそれを背負わなければ、これからを生きていく意味がないって、そう思うからです」
その表情に、その言葉に、プレシアは思わず息を呑んだ。
罪を、死を背負う。人を殺めた真っ当な人間なら、十中八九その道を進むだろう。
しかし目の前に立っているのは、精神年齢が外見年齢に適応していたとしても“二年しか生きていない作り物の人間”である。
情緒と知識が揃っていても、人生経験だけはカバーできない筈。なのに、この少年は年不相応なまでに達観している。
たった二年の内に、少年はどれほど濃密な経験を積んだのだろうか。
底知れないものを感じつつ、プレシアは確信した。
この少年は、人を殺したことがある。それも十人やそこらではない。シティのエージェントならば、人殺しの経験もあることは容易に想像がつくだろう。
それでも、ただ作られて使われるだけの人間が、縁遠いものたるはずの“覚悟”を備えている。
強い意志を持って輝く、綺麗な銀の瞳に魅せられる。自分よりも遙かに年下である少年に、呑まれかけていることに気付く。
昔ならいざ知らず、今の自分だって少年と同じような“覚悟”がある筈。なのに、どうして自分の方が押されているのか。
強い動揺を悟られまいと何とか言い返そうとして、少年をここまで変えた要因を推測する。
……例の娘かしら?
自分の知る限りで挙げられるのは、少年の捜している少女くらい。少女を守るためにとなれば、少年が人を殺したことにも辻褄は合う。
実際、フェイトに言われなくとも一目で分かっていたのだ。“悪人ではない”と。
それどころか、人を傷つけることもできないような優男だと思ったし、話してみれば結局見た目通りだった。
しかし、先程垣間見えた冷徹な表情と声が、たった今見せている強靭な意志を乗せた微笑が、ただの優男では済まない存在だと主張している。
小さく息を吸い込み、己の推測通りであるかを確かめる意味も込めて、問う。
「あなたの探している娘が、死んだとしても?」
当たりだったらしく、少年が目を見開く。これなら言い返すことなど到底かなわないだろう。
だがしかし、言ってしまった後で気付く。同じような問いを受ければ、自分は答えられるのだろうか。
少年は、おそらく少女を守るために人を殺す。自分も、“あの子”を守るためなら容赦はしない。
“あの子”を蘇らせることが可能から不可能になった場合、自分だって生きていく意味を失くしてしまうのではないか。
考えただけで心臓が震え、それ以上の思考を本能的に拒絶した。
まあいいわ、と仕切り直し、新たに問いを発する。
「それで? この事実を知って、何をするつもりかしら?」
少年は拍子抜けしたように、え? と声を上げる。
話した内容は、お互い外部には漏らせないもの。知られた以上はタダで済む筈がない。自分はそのつもりなのだが、少年の方はどうなのだろうか。
そうですね、と呟き、少年は考えるように俯く。仕草が少し分かってきた、と思った時に、少年は再び顔を上げる。
「……ぼくの事を、フェイト達に黙っておいてくれますか? 代わりに、ぼくもそちらの事を話しません」
交換条件でくることは予想がついていたが、まさか二人だけの秘密にしようとは。
言葉通り、フェイト達には話したくないのだろう。まさかフェイトも似たような存在であるなどとは気づくまい。
それに、こちらから同じ条件を出そうとした所を自ら提案してくれるのだ。むしろ好都合である。
「……分かったわ。少し癪だけれど」
心にもない癇癪を混ぜつつ、承諾する。
対し、ありがとうございます、と少年は素直に感謝して、
「あの……こちらからも、宜しいでしょうか?」
こんな時に何を聞くのか。内心で首を傾げつつ、ある程度ならいいわ、と答える。
「あなたの目的から考えて、ジュエルシードを集め終えたら――」
「お払い箱よ。それまでなら預かってあげる」
何かと思えばその事か。少年の質問を即座に理解し、言い終わる前に告げる。
「そうね……直前で時空管理局と接触できる可能性は高いから、次はあちらに行くといいわ」
少年が割り込む隙を与えず、そのまま畳みかける。
「探し人を見つけるならそれがベストよ。後は自分で考えて頂戴」
「あの、あなたの目的地に向かう前か、人を蘇らせてこちらに戻ってからというのは――」
「私には時間がないの」
言葉を選んで問う少年に、有無を言わさぬ気迫で答える。
「それに、転移と言っても最初から片道の予定よ。戻ってくるつもりもないし、そもそもできないわ。いいこと?」
包み隠さず、言い聞かせるようにこちらの都合を伝える。立場としてはこちらが上である以上、少年には自分の指示に従ってもらう。
「……分かりました」
苦々しい顔をして、少年は返答する。
先程判明した少年の事情からして、管理局に知られれば面倒事が起こるのは最早確定事項。
騎士剣を所持している時点で隠しようはないだろうから、大変シビアである。
勿論、プレシアの知ったことではない。保護してもらっているだけでも、少年は運が強い方だろう。
「ところで、もう一ついいかしら?」
何にせよ、これで一通りの尋問は済んだ。分かったのは、少年の身元や性格に関しての凡そ。
次に調べることは、既に決まっている。少年を最終的にどうするかは、それを終えてからだ。
「……何でしょうか」
まだあるのか、と言いたげに少年は身構える。表情から、内心で不安を押し殺しているのが丸分かりだ。
そして、プレシアは言葉を紡いだ。意地の悪い笑みと共に。
「あなたの力を見せてもらいたいの。ただし、今日中ではなくてよ」