闇に紛れて生物は闊歩し、各々の思案を巡らせる。
ある子らは眠り、ある子らは走る。ある大人達は見送り、ある大人達は帰りを待ち続ける。
不穏を知る者、知らぬ者とに関わらず、誰もが平等に明日を想う。先には何があるのかと。
明けない朝はない。世界は慈悲深く無慈悲である。
「……よし、と」
必要な荷物をリュックへ納め、高町なのはは小さく呟いた。
管理局とのやりとりも終わって今は自室。窓越しに外を覗けば、既に真っ暗闇だ。
「それで全部?」
「うん!」
棚の上から尋ねてきたユーノに、大きく頷いて答えた。
明日から、時空管理局のもとでジュエルシードを集めていくことになる。
その間、ずっとあの次元航行艦“アースラ”で過ごす事になるため、母に相談して許可をもらった。
今日中にアースラと合流する予定である。その準備も整い、これから管理局に指定されたポイントへ向かう。
何だかんだ言って、やはりフェイトの事が気になる。今更第三者に手を引けと言われても、唯々諾々とは従えない。
納得いくまで話し合う。話し合う前に墜とされるなら、墜とされないように強くなる。
不器用な自分にはこんな事しかできない。それでも、解り合いたいのだ。
すっかり暗くなった外を窓越しに見つめ、ふと別の事を考える。
「セラちゃん、どうしてるかな?」
「今頃、検査とかが終わった頃だと思うよ」
返ってきた答えに、そっか、と微笑む。
セレスティ・E・クライン。年下である自分にもさん付けする迷い子。
彼女ともう一人が今回の件に巻き込まれた主な原因は、ジュエルシードの暴走によるものだと管理局も断定したそうだ。ユーノの推測通りである。
自分が暴走の一端に関わっているのだと思うと、正直申し訳ない。なのに、青の瞳は全くこちらを責めなかった。
朝の内に謝ったら「ええと、まあ事故だったんですし」と返され。
もっとできていればと嘆けば、何かを思い浮かべるように空を見上げて「どんなに強くなったって、できない事はあります」と諭され。
やってみなくちゃわからないと返せば、「そうですね。けど、少なくとも魔法は何でもできるってわけじゃありません。……ええと、そう聞いたことがあります!」と返って来た。何故か慌てて付け加えていたが。
話している間に念話で謝罪と説明をくれたユーノも、これには驚いていたようだ。
……すごいなあ。
怒るでもなく慰めるでもなく、ただ事実を伝えてくれる。こんな人は初めてだった。
ユーノ曰く、住む世界が違うと考え方も変わるからと言っていたが、切羽詰まった世界だからってこれ程とは思わなかった。
何だろう。年齢とは違う何か根本的な所で上を行かれているような、そんな気がする。
肝心の彼女は現在、時空管理局の保護下へ入った。
目的の少年を見つけるまでは、アースラの下で生活していくことになるという。また、保護者がリンディ、後見人がクロノになるそうだ。
今のところ、少女の身の安全は保障されている。それでも、自分はまだ金髪碧眼の少女が気になっている。
……どうして、あんなに怯えていたんだろう?
表面だけは、常に冷静かつ客観的に物事を観察しているだけに見える。
最初は消極的なだけかと思ったのだが、その実は警戒の裏返し。右も左も分からないがために、わざわざ周りの全てに対して一歩下がっているのだ。
別の世界から来た以上、当然なのかもしれない。しかし、どうもそれだけではない気がする。
しっかりしている割には、殻に閉じこもっているような雰囲気がある……という、僅かな違和感。それが、あの魔導師と似通っている気もする。
「大丈夫だよ。しばらくしたら、管理局での生活にも慣れると思うから」
聴覚に相方たるフェレットの声が入り、思考が中断する。
もしかすると、今自分は物思いに耽っていたのだろうか。それを見て、自分の考えていることを察したのだろうか。
いや、きっと会話の続きだろう。なのははそう考えた。
「それにアースラで保護するってことは、合流するぼく達とも会えることになるんだから」
「あ、そっか」
言われて気づいて、いい事を思いつく。
お話をすればいい。友達になってあげて、たくさん話をして、困っているなら助けてあげればいい。
その内、あの硬い顔も和らぐだろう。恐いものなんて、なくなるに決まっている。
少女が本当に笑うところを想像して、なのはは心を躍らせる。
きっと不可能ではない。敵対している方の少女とは違うのだから。
できるに決まっている。いつだってどこだって話せるのだから。
「楽しみだね、レイジングハート」
その思いを伝えんと、自らの首に掛けた宝玉に話しかける。
『――I think so, my master』
うん、と頷き、机に置いたリュックを背負う。合わせて、フェレットが右肩に飛び乗る。
「それじゃあ、準備はいいね?」
「うん! 行こう、ユーノくん!」
そして、少女は駆け出す。部屋を飛び出す。階段を駆け下り、先ずは母のもとへと向かう。
何の悩みも迷いもなく、どこまでも真っ直ぐに少女は前へ進んでいく。
すっかりなのはのデバイスとなった、魔法の杖。走る少女の首元で揺れる、紅き宝玉。
先程発した電子音声から分かる僅かな感情の揺らぎに、幼い少年少女は気付かない。
*
「それじゃ、行ってきまーす!」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
玄関の灯りを背に、最近飼い始めたフェレットと共に長旅へ出かける娘を、高町桃子は一人見送った。
士郎達は裏山で剣術の練習に出掛けている。帰ってきたら、なのはが出掛けた事を一人で伝えねばならない。
「大変ねえ……」
独り言ちたのは自分に対してか、娘に対してか。
危ないかもしれないと言っていたが、表現を控えるなのはがわざわざ口に出すという事は、結構危険なのだろう。
しかし、末っ子の我儘は非常に珍しい。碌に構ってやれなかった分、あの娘の意志は何よりも尊重してやりたい。
夫の大怪我以降変わってしまったなのはへの、せめてもの親心だ。
それにしても。
……セラちゃんも関わるだなんて……
栗色の長髪を片手で梳き、随分遠くへ行ってしまった娘の背中を曇った顔で眺める。
なのは曰く、探し人がいるとのこと。組織が捜索を手伝ってくれるのだそうだ。
手伝いまでは出来ないらしいが、顔も性格も把握しているあの子と一緒なら安心できる。
感謝の気持ちを込めて、娘にはセラ用に別の服を渡しておいた。気に入ってくれるだろう。
だからせめて、ほんの僅かでも娘の支えになってほしい。ただ、そう祈った。
「皆で待ってるからね……なのは」
どうか、無事に帰って来てほしい。ただ、そう祈った。
*
外から入ってくる僅かな光を、金糸の如き髪が仄かに反射した。
被弾した左腕に治療を施された部屋の主は、やはり部屋の照明を点けずにソファでうつ伏せになっていた。
包帯が巻かれた左腕をツインテールで整えた髪の左側諸共だらりと床に下げ、クッションに顔を埋めた少女の顔は全く窺い知れない。
それでも使い魔としての精神リンクが、主の疲労と暗い感情を訴えていた。
「もう無理だよ。時空管理局まで出てきたんじゃ、どうにもならない」
居た堪れず、アルフはらしくもない弱音を吐く。それは、主が吐き出したいであろう言葉であると理解してのことだった。
フェイトと白服の魔導師を止めるために現れた、時空管理局の執務官。現われたのは、フェイトをも凌駕する“本物の一流”。
並の魔導師ならともかく、あんなのに追いかけられたらこの隠れ家だって安全じゃない。
だからと言って時の庭園に戻れば、あの女が黙っていない事も明白。
ジュエルシードを集めようとする限り、少なくとも碌な未来が待っていない今、アルフの思いつく最善の選択は一つしか浮かばなかった。
「逃げようよ、二人でどっかに――」
「駄目だよ」
遮る声は、勢いよく顔を上げたフェイトのもの。つい先程の暗い雰囲気が、嘘のように吹き飛んでいる。
その静かな気迫に、アルフは目を見開いた。
今まで、これほどに強く主張する主を見た事があっただろうか。
「私たちが逃げて……そしたら、母さんや“あの人”はどうなるの?」
今までのフェイトは、母親のために頑張ってきた。母親のためにやることが、自分のためだ。そう信じて、必死に戦ってきた。
「あともう少しなのに、ここで逃げるの?」
そのフェイトが。
「私はまだ、母さんの願いを叶えていない」
母親以外の人のためにも、と。
「それに……私はまだ、あの人に何もしてあげていない」
あの巻き込まれただけの少年を助けるためにも、頑張ろうとしている。
これまで以上に強い輝きをもって見上げてくる、赤眼。その虹彩に吸い込まれるような錯覚を受けつつ、アルフはぎこちなく頷く。
「私がいなくなったら、今度はあの人が酷い目にあわされる」
うつ伏せの状態からソファに座りなおし、魔導師の少女は天井を睨む。
「私のせいで巻き込まれて、流されて……それで私が逃げて、あの人がとばっちりを受けるなんて、酷過ぎる」
それは、自分や母親以外の“理由”。
フェイトをより前向きにさせるという、アルフにとっては喜ばしい事態を起こしている。
「全部、私のせいだから。だから、私が助ける」
しかしその要因は、罪の意識から始まったもの。
如何にフェイトを前向きにさせているとはいえ、こんな理由でフェイトに立ち直って欲しくはなかった。
「私しか、いないから」
「……フェイト……」
半ば自分に言い聞かせるように呟くフェイトを止めたいと思って、それでも何と言葉をかければ良いのか分からない。
主には元気であってほしい。けれど、今の彼女からあの少年の存在を除けば、元の状態に逆戻りだ。
自身としては、まだ少年に心を許したわけではない。悪い人じゃないのはいい加減把握してきたのだが、怪しいものは怪しい。
プレシアが少年の保護を許したのは、絶対にフェイトの懇願だけではないとアルフは確信している。
恐らく剣辺りから、プレシアの興味を引く何かが見つかったのではなかろうか。
先日の不審点も解消されていない。間違いなく何かある。
とにかく、少年の疑惑をどう説明しようとその心は揺らがないだろう。かなり情が移っているようだ。
「がんばろう。きっと、なんとかなるよ」
主の少女は、そう言って笑顔を作る。それは以前よりもずっと明るく、同時に儚さを増した仮面。
アルフには、ただ形ばかりの同意を示すことしかできなかった。
少なくとも、分かった事が一つ。
フェイトには、逃げるという選択肢が存在しない。
*
ぼふっ、という気の抜けた音と、柔らかいベッドの感触がフェイトの頬に響いた。
使い魔は別室で眠っている。自分も、もう眠らなければならない。
――休む時はちゃんと休むんだよ。封印できるものも、できなくなったら意味がないからね。
時の庭園を離れる際に、少年から掛けられた気遣いを思い出す。
母や魔法の師は最初からいたので別として、自分が生まれてから時の庭園に訪れたのは使い魔以来だ。
男の人と話すのも、初めてだった。
……大丈夫かな、あの人。
どこか強そうに見えて、でも凄く弱そうな人。
しっかりしてるように見えて、何だか抜けてそうな人。
瞳も顔も優しそうで、剣や戦いとはとても縁のなさそうな人。
性格も見た目通りで、雰囲気からして放っておけない位危なっかしい人。
彼を何とかしてあげようと思ってしまうのは、そのせいかもしれない。母は厳しいから、怒られていなければいいのだが。
何にせよ、あんなにも優しい人を巻き込んだのだ。探しているもう一人と一緒に、必ず元の世界へ戻してあげよう。
優しいと言えば、あの少女を思い出す。彼女も戦いとは無縁そうだった。
話し合いたい、分かり合いたい。何度負けてもそう叫び続ける、白の少女。
どうすればいいのだろう。あんな事を言われたのは、生まれて初めてだった。
少なくとも、戦闘で叫んでいい物言いではない。余りにも悠長で、だからこそ迷った。
本当に、どうすれば――
……いけない。
赤い瞳をギュッと瞑って、甘い誘惑を振り切る。
迷ってはいけない。
アルフの言う通り、同じ獲物を取り合う関係なのだ。母の為にも、少年の為にも、譲るわけにはいかない。
何としても、あの宝石を手に入れなければ。
「待っててね……母さん……それに……」
決意を新たにした途端、感覚がぼやけていく。
続きを口にすることなく、フェイトの意識はまどろみの中へと落ちていった。
フェイトは気付かない。どれだけ自分に言い聞かせようと、根底の優しさは迷いを生むと。
迷いは行動を鈍らせ、焦りをも生みだしてしまうのだと。
そしてフェイトは夢を見る。母と共に微笑む夢を。
愛する母から、何故か別の名前で呼ばれる夢を。
*
西暦二一九八年、十一月二十六日。
零下四十度という冬空の下、アフリカ大陸跡地のとある小島にて、とある組織に属す二人の魔法士が突如世界から消失した。
二人の失踪に組織が気付いたのは、そこに住まう者達が目覚めた朝のこと。
何所へ行っても二人の姿は見当たらず、組織に保護されている子供達が島の端で見つけたメッセージから、漸く非常事態と判明。
凄まじく特異な情報制御の痕跡もあったため、二人は何らかの事件に巻き込まれたものと断定して行動を開始。
主要魔法士がいない間の代理役を決め、周囲の混乱を鎮める為に尽力し、日々の仕事や拠点の整備にも追われた。
二人の行方を探し始めるのに予想以上の時間を消費し、日付も変わって二十七日となった頃。
「――さて」
大きなスチール机の上を、トントンと叩く指があった。
墨色の長手袋に覆われたそれはしなやか且つ細く、容易に女性のものであると想像できる。
果たして、指の主は毅然と立ち尽くす黒尽くめの少女であった。
身を包むドレスも、靴下や靴までも真っ黒に染まっている中、露出している手足と顔は対照的な白。
ツインテールに結ぶ黒いリボンと身を包む闇色の外套は、戦闘や公式の場でしか使わない。その為、現在は腰まで届く漆黒の長髪がストレートに下ろされているのみである。
顔を彩るのは鋭く尖った茶色の瞳と、整った鼻や眉、引き締められた口元。
それは一国を治める勇敢な姫君にも、そうある為に背伸びをする少女にも見えた。
外見年齢十七歳、実年齢十歳。魔法士能力は、公式上世界に二人しか存在しない“悪魔使い”。
その名はサクラ。現在、世界で最も有名なテロリストとして存在を馳せる“
「既に解析結果は済んでいるのだろう?
柔らかくも冷静沈着なその声は、視線の先で座る相手に問うていた。
年齢は二十二歳。すんなりした髪と瞳はいずれも黒く、一目で東洋人と判別できる。
魔法士能力をオカルトでなく科学として結び付けた“情報制御理論”創始者の一人、
その名は天樹真昼。組織で唯一魔法士ならざる、サクラの最も頼りとする参謀である。
真昼に調べさせていたのは、騎士の少年が残したものと思しきメッセージだ。
情報解体の出力を微妙に調整する事で、多少の強風でも文字が崩れないよう砂浜へ記述されたそれは、少年少女の行方を知る唯一の手掛かりだった。
自分達が突如空間転移を受ける事を短くまとめた文章の最後には、周囲に浮かんでいたらしい表示データの羅列がびっしりと書いてあった。
そこから先は真昼の仕事だ。十進数と十六進数と英語に近い謎の言語を始めとした、短くも正体不明の暗号を解き明かす。
組織の運営において最も多忙たる人物は、僅かな時間を惜しまず解析に注ぎ、結果は――
「勿論完璧に……ってわけにはいかなかったよ。できたのは八割位で、残りは憶測の域を出ないし」
「む? 貴方の力をもってしてもそれか」
意外な返答に、思わず形のいい眉が顰められる。
真昼の能力はよく理解している。I-ブレインを持たないにも関わらず、己の知略と電子戦能力で魔法士はおろかシティの軍すら退けるのだ。
分からぬものなど何もない、とばかりに余裕を崩さない彼が完全にいかないとは、どれだけ厄介な代物なのだろうか。
ごめんね、と参謀は前置きし、
「兎に角、結論から言わせて貰うと」
一つ、深呼吸。
「ディーとセラの転移先は、少なくとも今じゃない何処かって事。僕達ではどうにも助けに行けないって事」
「……は?」
数秒、サクラの時間が止まった。
「待て。“今じゃない何処か”とはどういう意味だ?」
「そこが僕でも信じられなくてね」
一旦頬をかき、机の上に置いてあった携帯端末を操作し始める。
「とりあえず、これがおおよその転移先でこっちが転移の期間。期間を過ぎれば戻って来るらしいよ」
何、と目を見開いた時には、立体映像ディスプレイが目前まで迫っている。
迷わず仮想存在の書類を手に取り、真昼が“憶測の域を出ない”と述べた理由をその眼で確かめた。
表記されたデータを見渡して、顔を上げる。
「……真昼。これは何かの悪ふざけか?」
「残念ながら大真面目」
率直な答えで、サクラは更に眉根を寄せる。本当にふざけているか、隠し事をするつもりならばこんな返し方はしない。
こちらを確実に怒らせるような返答で話を逸らすのは、真昼の常套手段である。
「行った後に必ず戻って来るってちゃんと記されてるし、戻ってきたところで確認取るのも手だとは思うんだけど……」
「二人が無事であるかどうか、か」
腕を組み、サクラは唸った。
何せ異常事態だ、更に厄介なトラブルへ巻き込まれてもおかしくはない。
「この“時間”なら、二人はまず大丈夫……とは、思いたいんだけどなあ……」
確かに予想通りなら、舞台は二十一世紀初頭。あの二人が本気で暴れ出したら、この時代の軍隊ではまず止められないだろう。
対策の取りようはあるだろうが、それまでの被害は陸海空合わせて十個師団を超えてもおかしくない。
そもそもシティからの逃避行を続けてきた二人である。状況の把握さえできれば、余計な事には首を突っ込もうとしない筈。
「問題は場所だな。座標データのようだが?」
「無理。手掛かり少な過ぎ」
即座に参謀は諸手を挙げた。
「ヒントになりそうなのも探してみたけど、全部外れ。掠りもしない。後は、二人が互いに近い場所へ転移したって事位かな」
場所が分からないというのは、非常に問題である。
そこらの地上や建造物の中ならまだしも、水中や高空、壁や天井の中、最悪道路上や人混みの只中という可能性も有り得る。
万全の状態なら、海抜数千メートルから落っこちても問題ない二人といえど、不安は拭えない。
「元より、転移の原因は何だ? まさか、それもこの転移先ではないだろうな?」
「そっちもさっぱり。少なくともシティの仕業じゃないって位」
「確かに。この“時間”へ送るリスクが高過ぎる。シティ内部へ転送して捕獲するのがベストの筈だ」
「不慮の事故って方が、まだ納得できるね」
しかし真昼の言う通り事故となると、不確定要素の数も相まって、今後の展開がまるで予想できない。
未来とは、良い方向にも変われば悪い方向にも変わる。その事実を改めて感じ取ったのか、二人の会話が一瞬途切れた。
「……戻ってくる場所は?」
「転移場所と全く同じ。確かだよ」
「二人が多少動いても問題ないのか?」
「空間指定じゃなく対象指定だから、時間になればちゃんと戻って来る」
「……それまでに、情報制御理論が流出する可能性は?」
今度は、長い間が空いた。
それこそ自分達、引いては世界が恐れる最悪の事態。
情報制御理論は、実用化されるまで机上の空論とさえ呼ばれていた魔法士の技術だ。
遺伝子合成や遺伝子調整といった“魔法士を生みだす”技術は持っていなくとも、論理回路を始めとした“間接的に情報制御を起こす”事ぐらいならば、転移先でも可能かもしれない。
更に技術を持ったまま時代が移り変われば、どの道魔法士が生まれてしまう。
世界のパワーバランスに影響を及ぼし、世界大戦に発展する可能性も捨て切れない。
そして自分達はどれだけ状況を把握できても、二人を助けには行けない。
「……サクラ」
「何だ?」
「二人を信じよう」
「……ああ。そうだな」
とりあえず、今後も解析を続けるね。これからはゆっくりだけど。
そう言い残して退室する参謀に、サクラはああと生返事だけを送った。
自分一人となったその部屋は、暫く静寂に包まれた。
後六時間もすれば、再び朝は来る。明けない朝がやってくる。
いつかは再び、地平線から朝日の昇る様を見る事は出来るのだろう。
しかし、時はただ流れるだけである。
何百年、何千年も先、確かにこの世界は青空を取り戻すのかもしれない。それまで、人類は零下四十度の冬を生きていられるのだろうか。
明けない朝はないと宣っているだろう“あっち”の人間は、そんな世界をどう思うのだろうか。
馬鹿馬鹿しいと思考を振り払い、未だ表示されている転移データを確認した。
「“二一九八年十二月十日午前七時十三分”……約半月後、か」
――明けない朝はない。世界は慈悲深く無慈悲である。