蓮太郎一行は、かつて栃木県の那須岳と呼ばれた場所に到着した。
リブラのウイルス放出はまだ行われていないはずだが、少しでも危険を減らすため、偏西風の風上に当たる西側に車を停め、歩いて鉱山に近づくことにした。
鉱山に向かう中で、蓮太郎は昔の歴史の授業を思い返していた。かつてこの近くには足尾銅山があった。明治維新の中で、西洋の近代鉱山技術を導入し、採掘を進め、東アジア最大規模の銅の産地となった。しかし、排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に悪影響を与え、日本初の公害事件が発生した。
時を経て、今度はバラニウム鉱山の開発が行われた。モノリスの外の『未踏査領域』であり、今回は周辺住民とのトラブルは無いものの、ガストレア大戦後に溢れた債務者を強制的に徴用し、違法な採掘が行われていたと聞く。リブラのウイルス放出を許せば、かつての公害よりも広い地域に影響を及ぼし、人の住めない土地となるだろう。
歴史は繰り返す、ということか。いや、繰り返してはならない。阻止するために俺はここにやって来た。心の中で改めて決意を固めたところで、坑道の入口が見えてきた。
「この奥に、リブラが居るのですね・・・」
聖天子は不安そうな言葉を口にするも、その表情に迷いは見えない。聖居内部でクーデターが起こって以来、気の休まらない日々が続いた上、ここまで徒歩での移動距離も相当なもので、心身共に疲労が蓄積しているはずだ。だが、国家の安寧に尽くすという使命感が彼女を突き動かしている。
坑道内部ではガストレアが生息し、リトヴィンツェフが待ち構えていることが予想される。守り切れる保証はない。だが、身の危険を理由に使命を投げだす彼女ではない。いざという時、彼女が聖居で得た情報が役に立つかもしれない。
蓮太郎は腹を括り、聖天子を護り抜くこと、当然そのために自分も生き残ることを心に誓い、坑道に一歩を踏み出した。
「うわっ、臭っ・・・」
一同が思わず顔をしかめた。
中には鉱物の採掘所に特有な、地底から漏れ出たガスの臭いが充満していた。蓮太郎は化学の実験で嗅いだ硫黄の臭いを思い出した。
一瞬嗅いだだけでも苦痛だった臭いがより濃縮された状態で、継続的に嗅がねばならない。耐えられるのだろうか。身体に害は無いのだろうか。全員、道すがらのドラッグストアで購入したマスクを装着しているものの、仮初め程度の効果しか無い。もっと真剣に対策しておくべきだったと後悔した。
鼻が慣れたのか、当初頭痛を引き起こした程の異臭は徐々に治まってきた。蓮太郎は周囲を見渡しながら歩き始めた。危険が無いよう、注意深く周りを観察する意図が半分、初めて踏み入れる、坑道という独特な土地のことを知りたいという好奇心が半分である。
坑道内部は薄暗く、数メートル置きに吊るされた電灯がうっすらと照らすのみ。所々で電球が切れ、局所的に暗闇が生まれている。足元は舗装されず、ややぬかるんだ砂利道となっている。走ればズボンの裾に泥が飛び跳ねそうだ。
壁面はゴツゴツとした岩肌が剥き出しになっている。ゆっくりと天井に目を移すと、平らにはなっておらず、ポッカリ空いた穴が点在している。落盤の跡だろうか。自分達は無事に進めると良いが―――
そんな考えが頭をよぎった時、蓮太郎は微妙な揺れを感じた。
「蓮太郎、天井が!」
延珠が叫んだ直後、爆音が響き、天井がカタカタと揺れた。
「危ない!!!」
蓮太郎は聖天子に向かって駆け出し、彼女を抱え込む形で壁面に向けて滑り込んだ。背後では小石が落ちる音が徐々に増幅され、幾つもの岩が落ちる音へと変わっていった。無我夢中、我を忘れて滑り込み、茫然としていた蓮太郎であったが、弱弱しい声を掛けられ我に返った。
「あ、あの、ありがとうございます・・・」
蓮太郎が目を開くと、聖天子が仰向けに倒れていた。両手を軽く上に上げ、若干顔を赤らめながら、無抵抗な姿勢を見せていた。一方の蓮太郎は、聖天子の左右に両手をつき、両脚は聖天子の脚と密着した状態で、腰を浮かせて馬乗りに近い姿勢となっていた。顔面は聖天子の間近で向かい合っている。その距離、10センチ程度であろうか。
「あぁぁぁすまん!!!」
状況認識が追い付くと、蓮太郎は瞬時に飛び退いた。
「本当に、危ない所をありがとうございました。」
「ま、まぁ、無事ならいいんだ。服、汚れちまったな。」
「いえ、今は私人として振る舞っておりますので。また聖居に戻れた時に綺麗な正装に戻れば良いのです。」
蓮太郎、聖天子共に、ぬかるんだ地面で服を汚したものの怪我は無い。
蓮太郎が天井に意識を向けていたこと、日頃戦闘で反射神経が鍛えられていたことにより、瞬時に反応が出来、事なきを得たようだ。
だが、幸いか、はたまた災いか。
辺りの状況を確認する中で、1つあるべき存在が居ないことに気付く。
「はっ・・・延珠はどうした?」
「蓮太郎、妾はここだ!」
落石越しに声が漏れ聞こえる。
延珠もまた、抜群の聴力と反応速度を以て、壁面側に避難して落石を回避したようだ。
但し、逆側の壁面に。
先程の落盤では、天井の中央部分が爆発で裂け、一気に岩が落下し、道を2つに寸断した。道の左方を歩いていた蓮太郎は咄嗟に左の壁面に、右方を歩いていた延珠は右の壁面に躱したことで、両者が分断されてしまったようだ。
「蓮太郎、そっちには行けぬのか?」
延珠の声を聞き、蓮太郎は辺りを見渡した。どうやら一本道の通路ではなく、丁度二手に分かれる分岐点の箇所で落盤が起こり、合流を妨げているらしい。
岩は幾層にも積み重なり、また前方の厚さも相当なものだ。岩1つ分か2つ分程度であれば壊して前へ進めそうだが、更なる落盤を招き、より大きな危険が差し迫ることだろう。合流は諦めた方が良さそうだ。
「里見さん、聞いた話によると、この坑道は二手に分岐した後、暫く進むとまた合流できる構造となっているようです。」
「なら、退けない以上は前に進むしかねーな。」
この坑道はリブラの出現地点であるため、聖天子は聖居である程度の情報を得ていたようだ。やはり、国家元首がいると頼りになる。
「延珠、すぐの合流は無理みたいだ!前に進んでいけば、そのうち合流できるらしい!」
「了解だ!先に向かっているから、遅れるでないぞ!」
「途中敵と出くわすかもしれないから、用心しろよ!」
「妾なら大丈夫だ!それより蓮太郎、聖天子様と2人だからって変なコトをするでないぞ!」
分かれ道の先を歩いていくと、これまで以上に暗く、静謐な空間が広がっていた。最初差し込んでいた外界の光はもう見えず、落盤により完全に繋がりが断たれた。前は間隔がよりまばらになった電灯が吊るされているのみで、不安を感じさせる道が続く。
だが、蓮太郎の側に聖天子が居たことが救いであった。たとえ戦闘力が皆無の国家元首であったとしても、「一人ではない」という事実が蓮太郎を安心させてくれる。合流できる時を信じ、何とか足を進められている。
一方延珠はどうだろうか。先程のやり取りでは明るく振る舞っていたが、見知らぬ道を一人で進むには不安が付き纏うだろう。彼女は不安な時、寂しい時ほど気丈に振る舞おうとする。今こそ傍に居てやるべきなのに、それが出来ない現実に、蓮太郎は歯がゆさを感じた。
歩みを進めていくと、突然明るい場所に視界が開けた。
粗末な木造の小屋が見える。採掘者の休憩所だろうか。
前方に1人の男の姿が見えると、声を掛けられた。
「ほう、生きていたか・・・悪運の強い奴だ。」
この声の主は、当然1人しか居ない。