金髪、割れた顎、彫りの深い顔。全身が真っ黒な囚人服。
蓮太郎の目前に現れた脱獄囚は、昨日見た姿と寸分違わなかった。
「あの落盤に咄嗟に反応できたことは褒めてやろう。里見蓮太郎。」
「リトヴィンツェフ!さっきの崩落はお前の仕業か!」
「あぁ、坑道の分岐点に人が近づくと爆発するよう仕掛けておいた。」
「てめぇ・・・!」
「そういえば、お前の相棒はどうした?」
蓮太郎は返答に窮した。相棒の不在を正直に明かすよりは、所在を隠蔽し、奇襲を警戒させた方が、交渉上優位に立てるのではないか。そう頭に浮かんだ矢先、
「ユーリャ・コツェンコヴァ」
「何だいきなり?」
唐突に出された名に、蓮太郎は言い表せぬ恐怖を感じた。
リトヴィンツェフは、すぐには答えを明かさない。蓮太郎の目を凝視したまま、沈黙を保っている。ただ見つめられているだけだが、蓮太郎の鼓動は早くなり、冷や汗が噴き出してきた。せいぜい十秒程度の沈黙が、その何倍にも感じられた。
蓮太郎の不安を見透かすように、リトヴィンツェフは苦笑を浮かべ、沈黙を破った。
「ふん、冗談はこの程度にしておこう。分岐点に監視カメラを設置し、一部始終を見させてもらった。お前が相棒とはぐれたのを見て、私のユーリャも二手に分かれて待ち構えることにした。お前の相棒は、果たして何秒生き残れるかな?」
「ふざけんな!とっととお前を倒して、」
蓮太郎が、頭に血が上った勢いで床を蹴り出そうとした時、
「アンドレイ・リトヴィンツェフ。聖居の者を金か何かで篭絡したかは知りませんが、今度はわたくし聖天子の名の下に、国家転覆を企んだ重罪人として、極刑に処させていただきます!」
聖天子がピシャリと言い放つ。勿論、この程度の言葉でリトヴィンツェフを威圧できるはずもない。
言葉の矛先は蓮太郎の方だった。敵の口車に乗せられて、感情のままに突撃するのは敵の思う壺。昨日とは違い、こちらには敵に突き付ける『カード』がある。いずれ交戦は避けられないだろうが、まずは交渉で適切なタイミングで『カード』を切り、少しでも心理面で優位に立つことが得策。
聖天子の真意を理解した蓮太郎は、足を止め、元の場所に立ち戻った。
「ふん、何を勘違いしているかは知らないが、私は協力者として、依頼された通りに動いていたに過ぎない。首謀者はあなたの部下の中にいる。」
「ふざけないで下さい!誰がそんな世迷い事を信じるとでも!」
「哀れなものだな。現実離れした理想を掲げ、部下の誰もがその理想に共鳴し、実現に協力してくれると呑気に盲信する国家元首も、国家元首を屠り、自らが新たなリーダーとなることで、東京エリアが日本全土を統一できると私を手びいた英雄風情も。」
「そんな・・・そんな・・・」
「それと蓮太郎、ここまで来たのは残念だが、私を倒した所でリブラを止めることは出来ない。」
リトヴィンツェフの声色が勝ち気に変わっていく。
聖天子を論破し、蓮太郎にも絶望を突き付け、交渉の舞台を掌握しつつある。と、リトヴィンツェフは思い込んでいるに違いない。
ここで蓮太郎が『カード』を切った。
「あぁ、そう思って別動隊を研究所に送り込んでおいた。今頃は『ソロモンの指輪』と『スコーピオンの首』を奪回してるんじゃねぇかな?」
一瞬、返答に間が生まれる。
それでも勝ち気な表情を崩さないのは、数多の交渉の場を潜り抜けてきた経験がなせる業だろう。
「ほう、よくぞ見抜いた。流石は東京エリアの英雄だ。戦闘能力のみならず、洞察力もなかなかのものだな。」
「何余裕ぶっていやがる。後はおめーを取っ捕まえれば、任務完了だ。」
「本当にそう、思っているのか・・・?」
再び思わせぶりな質問を投げかける。だが、今度は蓮太郎は動じない。
「いや、そうは思わねぇ。お前というテロリストは、他人を利用するだけで信頼せず、常に不測の事態に備え、自分で手を下せるように準備しているはずだ。
お前がここで待ち構えていたのも、万が一の時、リブラに直接ウイルス放出の命令を送るためだろう。どんな方法かは知らねぇ。だが、お前をぶっ倒せば済む話だ!」
『カード』を突き付け、動揺を誘おうとした質問も撥ね退け、優位に立ったと認識した蓮太郎だが、単純な疑問が消えずに残っていた。
(リトヴィンツェフ単体で、蓮太郎を退けるつもりなのか・・・?)
ここまで如何に相手の動揺を誘うか、相手より優位な立場に立つかという舌戦が続いていたが、相手を挑発し、攻撃を誘うことに成功したとしても、肝心の戦闘に敗れては意味がない。
先程蓮太郎が短気を起こし、リトヴィンツェフに飛び掛かろうとした時だって、敵の挑発に乗る形であったとしても、跳び蹴り1つでリトヴィンツェフを戦闘不能に陥らせれば、リトヴィンツェフの計画は立ち消えとなる。
蓮太郎が新人類創造計画の機械化兵士であり、延珠無しでの戦闘能力が相当高いこと位、リトヴィンツェフは承知のはずだ。一方のリトヴィンツェフは、世界を震撼させたテロリストと言えど、所詮は生身の人間。単体の戦闘能力はたかが知れているだろう。
それでもなお、リトヴィンツェフは表情一つ変えず、蓮太郎の方を見つめて待ち構えている。この事実をどう捉えるべきか。
だが、蓮太郎は答えを求めることを諦めてしまった。
「天童式戦闘術 二の型十四番―――」
蓮太郎が当初の間合いを半分に詰め、リトヴィンツェフに向けて跳躍した。
その距離3メートル。
「お前が私に向かってきたのは勇気ではない。蛮勇だ。」
リトヴィンツェフは呟くのみで、動く気配を見せない。
「『隠禅・玄明窩』」
蓮太郎は2連続の蹴りを繰り出そうと、まずは右足を繰り出した。
残り2メートル。
「そして、蛮勇に覆い隠された恐怖は、いとも容易く露出してしまう・・・!」
リトヴィンツェフは両足と両手を開き、構える姿勢を見せた。
だが両者の間合いは、残り1メートルに迫っていた。今更何が出来ようと言うのか。
蓮太郎が繰り出した右足は、リトヴィンツェフの胴体へと吸い込まれていく。後は命中を待つのみ。そう思った矢先、蓮太郎は強烈な反発力を感じた。
「お前の迷いの解を与えよう。それは単純に、私が『強い』というだけに過ぎない。」
蓮太郎は右足首を掴まれる感触を覚えると、直後に振り回される感覚と遠心力に襲われた。身動きが取れぬまま投げ飛ばされ、坑道の未舗装の地面に叩きつけられた。
蓮太郎は天を仰いだ。