正午頃、天童正臣は自室の椅子に腰掛け、一息つきつつ部下の報告を聞いていた。
「すみません、ボス。奴を、里見蓮太郎を、取り逃がしました。」
「どうした、戦ってやられたのか。」
「いえ、頂いたアンチバラニウムの警棒を使って善戦していたのですが、閃光弾で視界を奪おうとした瞬間に、向こうがいきなり逃走を始め、逃げられました。」
「ふん、奴は奴なりに、数多くの死線を潜り抜けている。戦うしか能の無い単細胞だとは侮らぬことだ。」
「申し訳ございません。」
「だが幸い、お前はまだ戦える。そして、奴らの移動手段は乏しく、すぐに追いつける。北東方向に3キロ進んだ廃屋に、奴らは潜んでいる。至急追いついて・・・叩け。後で画像を送る。」
「は、有難き幸せ。今度こそは聖天子様を奪回して見せます!」
作戦失敗の報告にも、正臣は不快な態度を示さず、また正臣自身も冷静さを保っている。
「いかなる状況でも取り乱さず、合理的に部下を統率できるか」
正臣の信条である。
優しい、熱いなどと言う感情論は無駄。組織は目的達成のために存在し、上司は部下に適切な指示・助言を与えて目的達成を支援するために存在する。上司がなすべきは、報告を基に状況を的確に理解し、次になすべきアクションを指示するのみ。成功・失敗に一喜一憂する余裕などそこには存在しない。
そもそも彼らが敵対するのは、容易には征服しがたき敵兵士であり、ガストレアであった。容易に対処可能な敵など、下級兵士に任せておけば良い。強敵と相まみえる以上、結果は半分より少し勝てれば十分、当然負けは想定の範囲内。大事なのは、局所の敗北がミッション自体の失敗には繋がらないということだ。常にミッションの成功を意識し、第一、第二、第三・・・可能な限りのプランを練り、また状況に応じ修正することが求められる。
「櫃間さん・・・」
正臣は机の引き出しを開き、配属式に2人で撮った写真を眺めながら呟く。
櫃間篤郎。
ブラック・スワンプロジェクトを推し進め、里見蓮太郎を逃亡犯に仕立てて追い詰めるも、あと一歩の所で真相を暴かれ、失脚。
櫃間は天童の性と関係なく、熱心な研究者としての正臣の才能を認め、取り立ててくれた。五翔会の一員となったのも、防衛省での今の地位があるのも彼の御陰。彼のリーダーシップ、決断力、発想力を間近に見ながら、正臣は一歩ずつ階級を登っていった。彼に心酔し、彼に報い、追いつくことを目標に、正臣は生きてきた。正臣は、そんな目指すべき頂を奪った蓮太郎を許せない。
一方で、ただ心酔するのみではなく、反面教師として学ぶべき点があることも認めていた。
櫃間はプライドが余りにも高く、他者の失敗に対し不寛容であった。警察組織を一手に指揮し、「ハミングバード」「ソードテール」「ダークストーカー」と有能な駒を抱えながらも、最後は蓮太郎に敗れ去ったのは、敵を侮り、失敗を想定せずに戦力を逐次投入したことが一因だと、正臣は分析している。
正臣は、非情なまでに合理的で、かつ慎重であった。仙台エリアに対抗すべく、北関東に配備した一部の部隊を蓮太郎に差し向けるのがプランAであれば、その先に待ち受けるリトヴィンツェフがプランB、最後に正臣自身がリブラの操縦のカラクリを握っていることがプランCである。
想定される負け筋という負け筋を限界まで煎じ、煮詰め、厘や毛の単位まで収縮させる妥協なき姿勢があるからこそ、彼はここまで登り詰めた。そして、今後も登り続ける。
まだ、プランAに若干の綻びが見えたのみ。
蓮太郎達は、正臣の仕掛けた衛星追跡システム「天網恢恢」から逃れることは出来ない。
「天網恢恢疎にして漏らさず」という諺に違わず、地球上に存在する全ての物体を捕らえ、対象を地の果てまで追跡する。現在は20の衛星に各1000の超高精度カメラを搭載し、約1000人の対象を隈なく追跡している。対象に発信機もGPS端末も持たせることなく、ただ物体の物理的な動きを追跡するのみであるから、追跡に気付かれづらく、例え気付いても振り切ることはできない。
場所は伝えた。後は折原夫妻の勝利に期待するのみ―――
「さて、私もプランCの実行に向かうとしよう・・・」
正臣は自室を後にした。
「涼しいな・・・」
蓮太郎がポツリと呟く。
廃屋を見渡すと、昼間なのに日光が差し込まず、風も吹き込まない。密閉された空間で少しカビ臭く、天井は今にも朽ち果てそうに脆い。床を見ると、剥がれた天井の欠片が堆積していた。入口のドアは左右に2つ。
ひとまず体力を回復させようと、椅子の埃を払って腰かける。
「アンタは知っているのか?あの軍隊。」
「見たところ、自衛隊のようですが。」
「見た目はな。だが、国家元首を奪回するために、乗っている車を爆破して催涙弾を投げ込んで、あんな荒っぽい連中聞いたことねぇぞ。」
聖天子に目を向けると、瞳は軽く充血し、涙の筋がうっすらと残っている。喉を気遣う動作を見せており、催涙ガスの効果が若干残っているようだ。
「ロクヨン・・・」
聖天子が唐突に呟く。
「ロクヨン?なんだそりゃ。」
「陸上自衛隊第六十四番隊。通称ロクヨン。今の陸上自衛隊に部隊は64もありませんが、非公式に組織された部隊の総称として、そう呼ばれています。私も噂で聞いたのみですが、テロリスト、ガストレア、悪徳の民警ペアなどを秘密裡に排除するため、少数精鋭で送り込まれる特殊部隊のことだそうです。『発破をかける』にちなんで、部隊の番号が8×8=64になっているそうです。」
「いくら特殊部隊と言っても、国家元首に危害を加えるのはマズイだろう。」
蓮太郎がそう問いかけると、聖天子は表情が曇り、少し俯いて答える。
「今の私は、実権を握る方々の傀儡に過ぎません。私も努めて自分の意見を述べてはいますが、実行力を持たず、最後は力ある方々の意見にかき消されてしまいます。今だって本来は、慌ただしく動く聖居の中で指揮を行うべき立場なのに、実際は菊之丞さんの指揮で問題なく動いています。彼らにとっては、私が多少傷つこうとも、生きて聖居に連れ戻せれば良いのでしょう。」
「・・・ところで、バラニウムを弾く素材の研究って、聞いたことあるか?」
ばつが悪くなったのか、蓮太郎は別の話題を振る。
「私は聞いたことがありません。尤も、スコーピオンの首の研究も詳しくは聞いていなかったため、私が知らないだけかもしれませんが。でもどうして?」
「さっきの連中、俺の『隠禅・黒天風』を喰らっても、すぐに起きて反撃してきやがった。後、警棒を構えたリーダーらしき奴に蹴りを入れようとしたら、妙な反発力を感じてな。バラニウムへの抵抗力。これは、まるで・・・」
蓮太郎の脳裏に、かつて見た檻の光景が浮かび上がった瞬間、延珠の叫び声で我に返る。
「蓮太郎、来るぞ!」
聖天子と共に、咄嗟に身を屈める。
物体が飛来する飛行音の後、爆発音と共に、焦げた匂いが充満するのを感じた。