『手足をもがれても相手から目を離すな』
何度この言葉を言われたことだろうか。訓練所時代、先生はしつこいくらいにこの言葉を俺達に言い続けた。ハンターへとなってからもう長い。先生がなぜこれほどまでにこの事を重要視していたのかを嫌というほどに実感してきた。先生から学んできたことは数多く、もはや覚えていないものもあるだろう。しかし、最初の挨拶の時に言われてから幾度どなく言われ続けたこの言葉だけは一度どして忘れることはなかった。
「手足をもがれても相手から目を離すな」
俺は自分に言い聞かせるように呟くと、そばでこちらを見ているオトモへと目配せをした。
今までずっと助け合ってきた仲だ。今更言葉など必要ではなく、オトモも深く頷いた。
俺はもう一度オトモに向かい笑いかけると“奴”へ向けて剣を構え直した......
..............................
「う......!りゅう!!いつまで寝てるの、早く起きなさい!!」
いつも通りの朝のこと。母さんの声でもが覚めた僕は、まだ眠たい目をこすりながらも食卓へと向かう。部屋に入ると母さんの作ったトーストの香ばしい匂いとコーヒーのほろ苦い香りが僕を迎えた。
「お兄ちゃん遅い!今日は出かけるから早く起きるって言ってたじゃない!」
「あぁ、そうだった。今何時?」
妹の《さき》に言われて僕は思い出した。
今日は僕の18歳の誕生日。今までバイトを頑張って訓練所に通ってきたのもこのためだ。
今日僕は街のギルドへ行く。そして、いよいよ『ハンター』としての生活を新しくスタートさせるのだ。
「りゅう、あなた初日からこんな感じで本当に大丈夫なの?ハンターは危険な職業なのよ?やっぱりもう少し様子を見てからでも良いんじゃないかしら......」
僕がトーストに噛り付いていると、母さんはとても心配そうにハンターになるのを考え直すように話しかけてきた。まぁ、無理もないだろう。父さんは狩りの途中で行方不明になっているのだ。
ギルドに所属する特殊部隊が行った後日調査で見つかったのは、父さんの愛用していたハンターナイフ(倒した獲物の素材を手に入れるナイフ)と狩人手帳(ハンターの愛用する日記のようなもの)だけであった。
「大丈夫だよ母さん。僕ももう立派な大人だ。自分の身くらい自分で守れるさ。それに、僕は知りたいんだ。父さんがどこに行ってしまったのか、今どこで何をしているのか」
「ママも諦めなって。お兄ちゃん、こうなったらどうしようもないってママが一番知ってるでしょ?それに、お兄ちゃんはまだパパのこと諦めてないから」
さきの言う通りだ。僕はまだお父さんが生きていると信じている。
いや、本当はもう理解はしているのだろう、自分がそれを信じたくないだけだ。
――父さんの記憶は僕には小さい時のものしかない。
ハンターだった父さんがうちへ帰ってくるのは不定期で。家にいる時間もそんなに長くはなかった。小さい頃の僕達はそれを理解こそしていたが、やはり寂しくもあったのだろう。
母さんに「どうしてお父さんは全然帰ってきてくれないの?」なんて聞いて困らせたこともあった。でも、父さんはいつでも僕たち家族のことを第一に考えてくれていた。
帰ってくるときはいつも面白いお土産を持って帰ってきてくれたし、家にいるときはどんなに疲れていても僕達と遊んでくれたのだ。それだけじゃない。父さんは街の中でも顔が広く、人気者であった。悩み事があればそれを聞き、困っている人がいれば真っ先に自分が助けに行く、そんな人だった。
だからこそ、僕達兄妹もそんな父さんが大好きだった。他のどのお父さんよりも格好いいと思っていたし、毎日誰かのために頑張る姿は僕たちの誇りであった。
僕の記憶に残る父さんはこんな感じだ。
だからこそ父さんは生きていて、どこかで誰かのために頑張っているんじゃないかと思うのだ。
またそのうち「ただいま。帰るのが遅くなったな」とか言いながら帰ってくるのではないかと思うのだ。
「母さんは......母さんは父さんのこと、信じていないの?」
最低だ。
僕は行った後に自分でそう思った。今母さんにこんなことを聞くのは卑怯だと思う。
こんな事を言えば母さんは何も言えなくなるに決まっているのだ。
それを分かっていても、未だに僕がハンターになるのを止めさせようとする母さんについ口を滑らせてしまった。誰よりも辛いのは母さんのはずなのに。
「それは......そういうわけじゃ......」
ほら、母さんは暗い顔で俯いてしまった。
ギルド職員が父さんの私物を届けに来た時と同じ顔だ。もう、二度とそんな顔はさせないと自分でも誓っていたはずだったのに。
「ほ、ほら。僕も訓練所でずっと鍛錬してきたことだし、さっさと有名なハンターになってみせるよ。そうしたらうちでも贅沢し放題だよ」
「お兄ちゃんがそんなのって無理に決まってるじゃん。せいぜい少しマシになるくらいだよ」
「そんなこと言うなよ!僕だってやればできるはずだからね?」
「えー、本当かなぁ」
僕がさっきまでの暗い空気を吹き飛ばすためにわざと明るくふざけたように言うと、さきもすぐにそれを察しておちゃらけた様に返してくれる。こういうところ、さきの長所だと僕は思う。いつも、まるで心が読めているのではないかと思うくらいに心に寄り添ってくれる。寂しい時はそばにいてくれるし、嬉しい時は喜びを分かち合ってくれる。
僕は再び顔を引き締めると母さんの方に向き直り言った。
「......だからさ、母さん。僕は大丈夫だから。何があっても帰ってくるから」
「りゅう......。はぁ、わかったわ」
母さんは半ば諦めたように、だけどいつものようにやさしく微笑んで頷いてくれた。
そこにさっきまでの暗い影はもうない、と言えば嘘になるだろう。やっぱり心配で、不安でいっぱいに違いない。だから。だからこそ、僕は絶対に帰ってこなければならない。この、母と妹の待つ家に、僕のお世話になってきたこの空間に。
いつの間にかトーストは食べ終えていて、母さんの入れてくれたコーヒーはすっかり冷めていた。
僕は「ありがとう」と呟くと、冷たくなったコーヒーを一気に流し込んだ。
午前中には出発しようと思っていた僕だったが、準備などに手間取って結局昼過ぎの出発になってしまった。母さんは僕が準備している間もずっと「身体には気を付けなさい」「安全を第一にね」「事前確認は絶対に怠らないこと」などと僕を心配してくれていた。
最後に父さんのものだったハンターナイフを持ち、新しく用意した狩人手帳をカバンにしまって僕は家から一歩を踏み出した。母さんとさきは僕の姿が見えなくなるまで、見送り続けてくれていた。