「は? ちょっと待て。どういうことだよ、あ?」
キッ、と目尻を吊り上げて、眉間に刻まれた
容赦なく、躊躇もなく引っ張られた私は、踏ん張ることもできずに持ち上げられて宙吊りになりました。
何故こんなにも明確に『怒り』をぶつけられているんだろう、首が締まっていて息苦しい、そういった感情を覚える以上に、私はただただ怖かった。
外見から推測するしかないけれど、多分リンさんの年齢は二十歳前後でしょう。
身長は、比較対象がまだ成長期を終えてない私だけれど、一回り以上も大きい。百八十センチあるかもしれない。
そんな男の人に、怒気の孕んだ声で凄まれ、胸ぐらを掴まれ、刺すような鋭い視線で射抜かれて、私はひたすらに『怖い』と思った。
王の間で交わしたような冗談めかしたようなものは一切ない、確かな怒りの矛先が、私に向いています。
お世辞にも気が強いとは言えない私の性格では、抵抗することも、抗議の声を上げることすらもできずにいて、少しずつ少しずつ、息苦しさが増していくばかりの時間が続きました。
一体私の何がそんなに気に障ったのか、私には分からない。
でも、相手の気分を害したのなら謝らなくちゃ、とは思うし、何で相手が怒っているのかも分からずに謝って、なあなあで場を凌いで、上辺だけで物事を解決するのが不義理なことで、不誠実なことだというのは私にも分かります。
私の何が悪かったのか、それを知るためにも、少し記憶を振り返ってみます。思い返すのは、王の間で別れて、今この場でリンさんと再開したところからでいいでしょう。
今私自身に向けられているからこそ分かることだけど、今とは違う、何と言うか、上辺だけ取り繕ったような、そんな『不機嫌な顔』で、リンさんは私たち──私、シャルル、ジェラール、エルザさんの前に現れました。その背後には
その場は当人の弁護や、リンさんが庇ったことで一触即発の状況はすぐに解決されました。
その後は、ええと確か、情報共有。と言っても、リンさんたちはゼロが念話をジャックしていた少しの間の会話を聞けただけで状況がまるで分からない、とのことで、共有とは名ばかりの、私たちが一方的に開示していただけのソレでした。
ソレが一通り終わって、一~三番
三分か四分か、その時間の中で話したことはそれくらいです。
記憶を振り絞って、一言一句違わず、とまでは言えないけれど、可能な限り各人の台詞を思い出して、
分からない。
分からない。
分からない。
どれだけ考えても、結果は私は頭の中でその言葉が繰り返し反芻されるだけです。
そんな私の思考を知ってか知らずか、ただ
「てめえが一番関わり深い問題だろうが。それなのに何もせずに傍観とか、一体どういう了見だよ。あ?」
傍観。
リンさんの言葉の中で、その言葉が一際強くリフレインします。
「重症を負ってる奴が無理して動いてまで迅速に片付けないといけないのはてめえの都合の問題だろうが。あ? じゃあてめえもやれよ」
チッ、と舌打ちを一つ打って、リンさんは掴んでいた私の胸ぐらを粗雑に放します。
投げられた、とまではいかないけれど、リンさんの力加減というよりは私の虚弱さが原因で、私は勢いよく落ちて尻もちをつきました。
それによってきたお尻の痛みを感じている中、リンさんはその吊り上がった目を私から外して、別の人に向ける。
その先にいるのは、エルザさんだ。
「てめえらも甘やかしてんじゃねえよ。『手助け』と『甘やかし』を混同するんじゃねえよ。そんなんだから世の中にはガキみたいに横柄な大人が生まれるんだろうが。自分の問題くらい、自分で解決させろ」
「ッ···!」
反論しようにも、言えることがない。エルザさんの表情からそんな気持ちがありありと見て取れます。
事実リンさんの発言は、さっきから酷い物言いなだけで、何一つ間違ったことは言っていません。
ナツさん、グレイさん、ルーシィさん。
大怪我を負っているのに頑張ってくれているのは、否、頑張らなくちゃいけないのは、私の所為だ。
私──私の仲間のために、ナツさんたちに無理をさせてしまっている。
「ハッ! おもしれえジョークだな。お前らにとって『仲間』ってのは大切な存在じゃなかったのか? 自分で動こうともせず、
見下ろして、見下して、そうして私にぶつけてくるリンさんの言葉に、そして目にも、怒りの感情はもうなかった。
呆れ果てている。
仲間なのに、大切な存在なのに、
でも、仕方ないじゃないですか。
私に、私なんかに、
「できることなんてないんですから···」
「じゃあてめえは、自分にできることしかしねえのかよ、自分にできると思うことしかしねえのかよ」
「え···?」
一歩二歩と私に歩み寄って、私のすぐ近くでしゃがみこんだリンさんは、私の目を覗き込みます。
「できるできないでウジウジ悩んで、できないと思ったことは
「ちっ···ちが···」
「違わねえよ。てめえが言ってることやってることはそういうことなんだよ」
「······」
「──はは」
リンさんは、何がおかしかったのか、下を向いて、何も言えない、言い返せなくなって萎縮しているだけの私を笑います。
面白がっているという感じのしない、馬鹿にしているような感じの、意地の悪い笑いです。
「はは。はははは。ははは」
「あ···あの」
よせばいいのに、たまらず私は聞きます。聞いてしまいます。
「な、何がそんなにおかしいんですか···」
「おかしい? おかしいことなんてねえよ。ただ単に、オレは納得したから笑っただけさ。『ああそうかそういうことか』ってさ。そうやって、おどおどとひ弱な感じに俯いて、いかにも『この通り私は可哀相です』とでも全身で言うように目を伏せられると、そりゃ周囲の人間は庇護欲なりを刺激されるなって思っただけさ」
「······」
「だんまりか。いや何、このことに関しては別に何とも思ってねえよ。『可愛さ』ってのは、それはそれで一つの武器なんだからさ。動物の子供や、まあ人間の子供でも、見た目や仕草で庇護欲を
「そんなことない···。私は···別に得なんて···」
「本当にそうか? んん? 今の現状がまさしくそうじゃねえか? 『自分にはできない』って、迷って悩んで困って、そうしてるだけで周囲の人間が率先して助けようとしてくれる。『否定』されるに足ることは何も言ってないのに、まるでオレが悪者じゃねえか。今までずっとそうだったんじゃねえか?
「わ···わかりませんよ。きょ···きょうあく?」
「魔性、だよ。いやいや良いんだよ。悪い悪い、言いすぎた。てめえはそのままでいい。そのまま生きてろ。別にオレの知ったことじゃねえ。そのまま生きて、そのまま死ね。そうやって、一生
そこでリンさんは、捲し立てる言葉に一拍置きます。
見下すどころか、心底軽蔑するような目を私に向けて、最後の一言を言います。
「良かったな、強いでも賢いでもなく、たまたま可愛くて」
リンさんは、立ち上がって、振り返って、背中を向けて、遠ざかって行きます。
私は、待って、と引き止めることも、取り敢えず謝ることも──離れていくリンさんの後ろ姿を見続けることすらも、できません。
言い負かされて、説き伏せられて、何も言えることがなくて、下を向くだけです。
「突飛でも、考えるくらいはできる奴だと思ったけど、見誤っただけみたいだな──努力すらしてないのに手を貸す義理なんて、てめえにねえから」
だから私には、リンさんがその台詞を、振り返って言ったかもわかりません。
いえ、きっと振り返っていないでしょう。
振り返る必要も──価値すらないのでしょう。
それだけ私はちっぽけな存在で、どうしようもなくて、手の施しようがなくて、見放された、ということでしょう。
ああそうかそういうことか。
リンさんの言葉を借りるとそう言うのでしょう。私は、小難しくてよく分からなかった、王の間でのリンさんが披露した言説の一つの意図に、ようやく理解が追い付きました。
──どんな不幸な状況にあっても、そいつが平気な顔をしているなら手を出すべきじゃない
──そいつ自身が不幸を楽しんでいるなら、周りの人間が何かするのは、余計なお節介ですらない
これは。
この言葉は。
どんなことでも。
どんな状況でも。
どんな環境でも。
本人にその気がなければ何の意味もないという──一つの教訓なんでしょう。
とても不幸な目に合って、その状況が嫌で、その環境を恨んでいても。
それだけじゃダメで。
助かりたい、良くなりたい、幸せになりたいって気持ちが、思いが必要で。
でも、それでもダメで。
その思いを実現しようという意思がないなら、
おんなじことや、似たようなことがこの先あった時、また助けてもらおうと考えてしまって、助けてもらうのが当たり前になっていって。
何かあった時、誰かが助けてくれるかもしれない。誰かが、助けられるかもしれない。
でも、誰も助けてくれないかもしれない。誰も、助けられないかもしれない。
じゃあそんな時はどうすればいい?
自分でどうにかするしかない。
どうやって?
これまで誰かに助けられて、そうして生きてきた
本当にどうにかしたいのなら。
そう、思っているのなら。
思うだけじゃダメだ。
行動に移さなくては。
「待ってください!」
私は、下を向かず、前を見ます。そして、上を見ます。
言葉だけでなく、駆け出して、腕を掴んでリンさんを引き止めて、振り向いたリンさんの目をしっかりと、まっすぐ見据えます。
その興味なさ気に向ける二つの目に、私という存在を写そうというのに、どうでもいい、取るに足らない存在という認識を覆そうというのに、逃げちゃいけない。
単なる視線さえも。
「私は···何をすればいいですか···私には何ができますか」
私には、分からない。
自分に何ができるのかさえも、分かっていない。
だから聞くんだ。
無知であることを、勇気を持って開き直って。
助けられるんじゃなくて、せめて頼るんだ。
「あ? 自分のことだろ。自分で考えろ。つうか、オレが知っとるとでも?」
縋る私に、冷たく返して突き放すリンさん。
退くな。怖気付くな。
私が嫌われるくらい、なんてことないことなんだから。
「だからあなたの気分を害した。努力してないから──できることをしてないから。違いますか」
「うん、違う」
即答でした。
「『努力』──『ある目的を達成するために、気を抜かず力を尽くして励むこと』辞書なんかを引くと出てくるのはこんなところか。お前、いや、お前らはこれを聞いてどう思った? オレは率直に、
やるだけやる。
聞いてみると中々どうして、腑に落ちることでした。
そういえばリンさんは言っていたじゃないですか。
『できるできないでウジウジ悩んで』と。
何もしてない内から決めつけて、ならばと、何もしないことを選んだことを指して、貶したじゃないですか。
「お前はオレを信用できないだろう。別に期待してねえよ。寧ろオレのことを信用してたってならドン引きだから。でもさ、お前はエルザやジェラールも信用できねえか? だったら別にいいけどさ、だったら、二人のどちらかについて行って、
「そんなことありません」
「じゃあ、どうして? 迷惑になるとでも思って二の足を踏んだか? 言っとくけど、人は他人に迷惑を掛けずには生きていけねえぞ。ましてやお前はガキなんだから一層そうだ。だから、失敗とか後先考えず行動しろ。しくじったところで、その尻拭いをするのは周りにとってはいつものことだ。気にするな。『失敗したらどうしよう』『自分にはそんなことできない』んな事は行動に責任が伴う大人になってからウジウジ悩め。ガキの内は周りに甘えて挑戦しろ。
「······」
正論だ。
その理論からくると得をする立場にあるからかもしれませんが、私はそう思いました。
煽るような物言いは増しているはずなのに、諭されたような感じがします。
何も言い返せない正論。
でも今回のは、言いたいことが何もない、爽やかに受け止められました。
それは内容の問題なのか、それとも上手く言葉にできない、そんな複雑で細かいニュアンスの言い方の問題なのか、私には分からないけれど、ただただ、感心させられました。
「『借りを返す』ってことにしといてやるよ。で? どうする?
「はいっ! ···? 借りって···?」
「さあ、なんだろうな。別に『前言撤回』って止めてもいいけど、言ったからな。
私の問いにはぐらかすように答えて、リンさんは歩いていきます。
借りとは何か分かりませんが、『借りを返す』というのは、所詮は言われた通りに動くだけだけどまあいいか、ということでしょうか?
「あっ! リンさんちょっと待ってください」
「何?」
不機嫌な表情。
けれどやっぱり貼り付けたようなそんな表情で、リンさんは振り返りました。
私は素早く深呼吸します。
リンさんは機嫌が良い訳ではないでしょう。無言で長くは待って貰えないと思います。多分ですが。
けれどこっちは確信して言えます。
リンさんは、私を甘やかしてはくれないと。
下手したら気遣ってもくれないでしょう。
責める訳では決してありませんが、ジェラールやエルザさんが私にしてくれる対応とは、真逆と言っていいような対応を私にするでしょう。
でも、だからこそ、ちゃんと、しっかりと努力できるというものでしょう。
私は悪い子かもしれません。
これからリンさんがどんな表情を浮かべるかを予想できるというのに、これからする行動を改める気がないのですから。
意を決して私は言います。
「私はあなたについて行きます」
案の定、リンさんの表情は偽物感の消えた不機嫌な表情へと変化しました。
まあ、あんまり見た目に変化がないので、多分ですが。