ロクでなし魔術師たちの奇妙な冒険   作:焼き餃子・改

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第十話 「『過去』の惨劇にも陽は昇る」

 裏路地を走る人影があった。それは齢は10にも満たないような小さな少年で、更に小さい少女を背負って、泣きそうになりながらも必死に走っていた。

 その長い銀髪は薄汚れてしまっていたが、元は通り過ぎる人を引き寄せる水晶のように綺麗なものだったのは、一目で分かる。背負われている少女は、意識が無いようで、常に揺さぶられながらも目を覚ます様子がない。そして、ぽたぽたと少女の足から赤い液体が零れ落ちていく。少女は足を何かで撃たれ、応急的な止血だけされた状態で、背負われていたのだった。

 この二人の家は、今さっき、唐突に外道魔術師によって襲撃されていた。両親は既に惨殺されていて、二人で命からがら逃げ伸びていた。

 その家に外道魔術師が来るような物がなんだったかは、この二人を含めて誰も知らない。ただ裕福な家だということで金のためだったかもしれないし、両親が元々外道魔術師の協力者だったが、裏切ったことへの報復だったのかもしれない。貴重な魔道具があったのかも。ただ儀式の『生贄』に選ばれただけかもしれない。

 だが、とにかく二人にはそんなことを考えていられる余裕はなく、ただ限界を超えても、二つの足を動かし逃げるしか選択肢は無かった。それが、今まで二人がギリギリの中で生きていられた、たった一つの要因であった。

 だが、そんなか弱き命二つと言えども、それを見逃すような相手ではなかった。少なくとも『魔術師』という人種は。

 

「はぁッ……はぁ……あうッ!?」

 

 焦っていたせいか平坦な道で躓いてしまう少年。慌てて立ち上がろうとするが、少女を背負っているのもあってか、なかなかそれが出来そうになかった。

 その間にも迫ってくる、無機質とも呼べる複数の足音。それが今の少年にとって、最も恐ろしい。

 

「うぅ……」

 

 恐怖が逆に生存本能に訴えかけたのか、ゆっくりとだが再び立ち上がり、また道もろくに分からない路地を駆けていく。

 しかし、それがいつしか終わりを迎えることを、その時の少年は知らなかった。

 

「そ、そんな……?」

 

 路地の終わり、行き止まり。袋小路。逃走の終幕。

 ここに来て、もうどうすることも出来なくなってしまった。戻って、別の道へ行く前に必ず追っ手に鉢合わせてしまうだろう。

 ここまで苦しい思いをしてまで逃げたのはなんのためだったんだろう? せっかく生き延びれたと思ったのに……それはただこの絶望を呼ぶための『餌』だったのだろうか?

 『宿命』がゆっくりとゆっくりと取り囲んで、少しの『希望』で喜ばせておいて、逃げられなくして……そして、今近づいてきている足音のように、死の運命が追い付いてくる。

 

「ごめんな……ごめんな、リリィ……お前だけでも……逃げさせてやりたかった……!」

 

 そんな少年の悲痛な言葉も、誰も聞きやしない。慰めすらしない。

 そして、十数秒もしないうちに、『終わり』がやってくる。

 

「ようやく見つけたぜ、ガキ共」

「ぁ……」

 

 黒いフードを被った三人の連中が、歪んだ笑みを浮かべながらゆっくりとやってきた。まるで焦りもなく、こうなるのが必然だと言わんばかりに。

 そして、二言目を言う前に、早速左手を少年に向け―――

 

「んじゃ、死のうか」

「ぁぁ……」

 

 死ぬ―――嫌だ―――まだ死にたくない―――誰か助けて―――

 だけど、そんな思いが目の前の相手に届くはずもなくて。

 

「《貫け閃槍》―――」

 

 唱えられる、【ライトニング・ピアス】。超電力、超威力の殺戮の魔術が起動する。

 少年は魔術を知らなかったが、それがどんなものであるかは、目の前で喰らった両親が恐怖の顔のみで教えてくれた。同じものだ―――同じように殺されるんだ―――少年がその時思っていたのは、そんなことで。心の奥底で、そんなことを考えてるうちに死ねるなら―――とも思っていた。

 そして、発射された雷閃が一直線に少年の頭へと―――

 

「おい」

「は?」

「……?」

 

 少年は理解できなかった。

 上から何やら球体のようなものが降ってきて、それが【ライトニング・ピアス】を難なく弾き、それを追うようにして、青年がふわりと降りてきて―――少年と外道魔術師の間に立っていた。

 おかしい。さっきの呪文は両親を串に刺された鶏肉よりも簡単に刺し穿っていたのに。人の身体よりも全然小さい、ただの球体が弾くなんて。それに、なんで自分たちを助けて……?

 

「なんで……助けて……?」

 

 極大の疑問が、もう力の入らない口から漏れ出た。

 助けても何もないのに。自分が危険にさらされるかもしれないのに。

 喋る気力もなかったはずだが、ただただそんな疑問が、極限状態の中でも―――いや、極限状態だからこそ湧いて、そのまま言葉として放たれていた。

 だが。

 

「おいおい、なんか言ったか? 俺のケツとおしゃべりされてもよォー、おケツじゃ聞こえやしねぇよなァー?」

「……」

 

 そんな呑気極まりない返答に、少年はポカンと口を開けて呆けるしかなかった。

 

「な、なんだ貴様!? 何者だ!?」

「帝国宮廷魔導師団特務分室所属、執行官13『死神』の『ロートゥ=ツェペリ』だ。ま、覚えても覚えなくても、どっちでもいいぜ?」

「帝国宮廷魔導師団、だと……!?」

 

 帝国宮廷魔導師団……アルザーノ帝国の中で最強の魔導士軍団。帝国の力の象徴であり、最高の戦力、ということだ。

 そんな組織が出張ってきたことに外道魔術師は、一歩下がり、警戒している。他に青年の仲間がいないのか、それを探るために、周りを見渡していた。

 

「なんだァ? そんなにキョロキョロしてよォー、クソ落としてくる鳥でもいたかよォ?」

「貴様……なんだ、それは?」

「あ? 見りゃ分かるだろ、鉄球だよ、鉄球」

 

 見れば、青年の左手には鉄球が乗っている。そして、すぐ下の地面を見れば、そこで回転しているもう一つの鉄球が見えた。さっき【ライトニング・ピアス】を弾いたのは、この鉄球だったのだ。

 

「その鉄球にどんな魔術が付呪(エンチャント)してある? それとも、そういう機能を持った魔道具なのか?」

「はぁ? 何言ってんだよオタク、こりゃただの鉄球だ」

「嘘をつくなッ! ただの鉄球で私の【ライトニング・ピアス】が防げるわけがないッ!」

「別に鉄球が特別製ってわけじゃねーのは本当だぜ? 『技術(ワザ)』だよ」

「は……?」

「『魔術』じゃなくて『技術』だ。オタクらには到底理解できない、な」

「そんな馬鹿な……」

 

 認めがたかったのだろう。魔術とは神聖なもの、真の力なのだ。それなのに、魔術以外の力が魔術を凌駕する? なんという屈辱か。

 それが外道魔術師三人の共通認識だった。そして、それが帝国宮廷魔導師団だということで警戒していた三人の殺意に火をつけた。

 

「ほう?」

 

 三人は無言で青年に向かって、左手を構えた。

 

「おい、ガキ」

 

 それを見た青年は、振り向いて少年に向けて。

 

「俺が引き付けとくから、その隙をついてとっとと逃げな」

「……は?」

 

 この人は何を言っているのだろう?

 引き付ける? その隙をついて逃げる? 相手は三人もいるのに? ただの人間ではないのに?

 今、魔術の構えを取っている、外道魔術師たちがたった一言の呪文を唱えるだけで、あの左手から人智を超える威力の攻撃が飛び、ここら一帯を焼き払い、生命を根こそぎ奪っていくのだろう。

 それを嫌という程思い知らされていた少年はたまらず叫んでいた。

 

「で、できるわけがないッ!?」

「……」

「引き付けるって……三人を相手に……?それに、隙をついて逃げろなんて……あいつらの横を通り抜けろって……そ、そんなの……」

「今、『できるわけがない』って言ったのか?」

「え……?」

 

 少年は青年の顔を見上げた。その時、床を回転していた鉄球が、誰も触ってすらいないのに、シュパッと青年の右手へと戻っていく。外道魔術師たちがすぐにでも呪文を唱えそうな場面だというのに、青年は少年を真っすぐ見据えていた。

 

「「「《吠えよ炎獅子》―――」」」

「ウゼェな、《光の障壁よ》―――」

 

 押し寄せてきた三つの【ブレイズ・バースト】を、片手間に唱えた対抗呪文(カウンター・スペル)【フォース・シールド】で防いだ。

 

「なっ、魔術で防いだ……?」

「何、んなことで驚いてんだよ、帝国宮廷魔導師団が魔術使えねーわけねぇだろ?」

 

 一歩遅れたりしたなら、命が飛んでいたというのに、青年の口調や声音には緊張感の欠片もない。

 そして、外道魔術師たちをよそに、青年は少年に言った。

 

「ガキ、いいことを教えてやる。あと三回まで言っていいぞ」

「な、何を……」

「だから、『できるわけがない』って言葉をだよ。四回までだ……俺も親父からそう言われた。四回だ……今、一回言ったからあと三回まで言っていい」

「そ、それが一体なんだって……」

「いいから言えよ、ガキ。言ったら助けてやるぜ。あと三回言ったなら、お前が逃げ出す際に手助けしてやる」

 

 なんだ? 意味が分からない。なんでここでそんなことを言うのか、欠片も理解できない。

 だが、それを言えば助けてくれるなら―――

 

「できるわけがないッ! お、俺は普通の人間だ……あんな人たち相手に逃げられるわけがない、できるわけがない! 何だって言うんだよ!? こんな時に何を言ってるんだよ!? そんなこと急に言われたってできるわけがないッ!」

「今のは一回にしかカウントしねーからな。あと二回だ。あと二回言ったら、逃げる時に手助けしてやるぜ」

「な……ッ?」

 

 何なんだ? これは何かの「試練」なのか? そんなことしている間にも相手は動いているのに―――

 

「《力よ無に帰せ》―――ッ!」

「「《貫け閃槍》―――ッ!」」

 

 一人が唱えた、魔力相殺によって持続系の魔法を打ち消す【ディスペル・フォース】によって、青年が展開していた【フォース・シールド】が打ち破られる。そして、その隙を突き、二閃の【ライトニング・ピアス】が青年と少年に向かって飛来する―――

 

「う、うわぁ――――――ッ!?」

「ッチ、とっとと行かねーから……これ防いだらとにかく走れ」

 

 悲鳴を上げる少年をよそに、青年は両手に握った鉄球を指も使わずに回転させている―――それが一体どういう術理なのか……少年どころか、外道魔術師も分からなかったが、それがただ回転しているだけではないことは、この場にいる全員が理解していた。

 次の瞬間、左手に持った鉄球で直接【ライトニング・ピアス】を防ぎ、右手に持った鉄球は回転によるものか、シュルルルルと少年の方に吹っ飛び、直後に飛んできた雷閃の間に割り込んだ。バチィ!とその鉄球も見事に雷閃を防ぎ、また一人でに青年の手のひらへと戻っていく。

 

「す、すご……」

「今だ、行けッ! 走って、あいつらの横を抜けろッ!」

「は、はい……ッ」

 

 少年が少女を背負い直し、青年の横を抜けて駆けだした―――しかし、その速度は一般人の歩行よりも遅い。背負っている重量がまだ未熟な少年の身体には限界に近いのだった。

 

「そんなことを許すわけがないだろう、《氷狼よ駆けろ》―――」

「ッ!」

 

 たちまち飛んでくる、黒魔【アイス・ブリザード】。素で喰らえば、身体は一瞬で氷漬けとなり、同時に飛んでくる氷礫(ひょうれき)が身体を砕く。魔術の使えない少年には完全なオーバーキルである吹雪の魔術が少年へと向かって―――

 

「で、出来るわけがない……い、妹を背負っているのに、走り抜けることなんて……」

「なんだ……?」

「……?」

 

 シルシルシルシル……

 悲観に暮れる少年と【アイス・ブリザード】を唱えた外道魔術師がそんな音に気づいた。

 見れば、外道魔術師の足にはいつの間にか超速回転している鉄球がひっついていて。

 

「なァッ!?」

「えっ……?」

 

 瞬間、鉄球がひっついていた足が不自然に上がって、外道魔術師がバランスを崩した。結果、唱えられた【アイス・ブリザード】は明後日の方向に飛んで行って―――無傷。少年は無傷のままだ。

 

「『筋肉には悟られるな』ってな。今日もバッチリみたいだな」

「……」

 

 少年は茫然とするしかなかった。魔術だけでも手に余るというのに、今、突然現れた、魔術よりも不可思議な力。少年の頭はもうオーバーフロー寸前だった。

 

「おい、何やってる!? 走れ! 止まるんじゃあないッ!」

「ッ……はいッ!」

 

 青年の鋭い一喝に我に返り、再び駆けだした。

 しかし、相手は全く無力化されたわけではない。すぐに、それを阻止しようと動き出す。

 

「「《吠えよ炎獅子》―――!」」

「《貫け閃槍》―――!」

 

 今度は青年に二発の【ブレイズ・バースト】、少年に一発の【ライトニング・ピアス】が向けられる。

 青年が【ブレイズ・バースト】を防ぐために再び【フォース・シールド】を張れば、少年を助けることは出来ない。

 

「ひっ……」

「小細工だな。いや、その場で思いつく子供の創意工夫って気もするぜ」

 

 ギャルギャルギャルギャルッ! と凄まじい回転音を響かせながら二つの鉄球を投擲する。

 その回転風圧が難なく【ブレイズ・バースト】の火球を散らし、弾道が内側に寄るようになっていたらしく、途中で二つの鉄球が触れ、弾かれた片方の鉄球が再度【ライトニング・ピアス】に割り込み、弾き飛ばした。

 たった二つの鉄球で行われる、神懸かり的な防御。

 三人の凄腕の魔術師が集まっているというのに、彼の前では魔術の使えないただの子供二人すら殺すことが出来ない。

 その間にも、少年はゆっくりとだが、確実に距離を離していっている。このままでは確かに逃げられてしまう―――

 

「おい、ロートゥ=ツェペリとか言ったな」

「おう、なんだ?」

「真の知恵者である、我ら魔術師が本当に何も対策していないと思っていたのか」

「ッ!」

 

 素早く戻ってきた鉄球は青年の手のひらの中で、未だに回転を続けている。

 その回転の振動が、『波紋』が、周囲の状況を全てを鮮明に青年に伝えていた。

 空気の流れ、地面の細かい溝から、相手の脈拍まで、詳細に。それに、魔術師としての霊的な感覚も合わせると、周囲のマナすらも感知できる。そして感知した。少年が走っていく先に何があるのか―――

 

「おいガキッ! 止まれ!」

「え……?」

「【バーン・フロア】だ! 魔術罠(マジック・トラップ)が仕掛けられているッ!」

「は……?」

「ッチ、まさかそれすら探知するとは……」

 

 少年は、もう全て投げ出したかった。

 目の前に罠がある? そんな馬鹿な。だって、目の前には何もないじゃないか。何の変哲もない地面だ。それにさっき通ったばかりじゃないか。なのに。だというのに。

 きっと、本当にあるのだろう。自分には見えないだけで。他の魔術師には見えるナニカがあるのだろう。

 だが―――

 

「なんだよ……もうなんなんだよ……?」

 

 自分にはどうしようもないことが、周りにいくつもあって。

 どうしようもないことが、意味の分からない対処法で防御されていく様を眺めるしかなくて。

 自分に何が出来るというのか。これじゃあ結局―――

 

「何もできるわけがない……! こんな……こんなの……」

「ふん、《貫け―――」

 

 後ろの方で、呪文が唱えられる。それが完成したらもう終わりだ。

 前に進めば魔術罠(マジック・トラップ)が発動する。このまま留まっていても、【ライトニング・ピアス】によって脳天を貫かれ死ぬ。

 もうどうすることもできない。助かる道は閉ざされた。

 やはり自分には無理だった。何もできるわけが無かった―――

 

「言ったな。四回目を……」

 

 シルシルシルシル……と、今度は少年の足元から、さっき聞いたばかりの音が再び聞こえてきた。

 見れば、一歩下がったところに回転している鉄球が、滑るようにこちらにやってきていた。

 

「それを一歩下がって触れ」

「なんだよッ!? なんなんだよッ!? それを触って何になるって言うんだッ!?」

「……」

 

 もう少年は、全て放棄してしまっていた。

 絶望が少年の心の全てを支配していた。耳に入ってくる全ての言葉も絶望に染まっていく。

 見えない『何か』が静かに自分を取り囲んでいた。決して逃げられないように、気づかれないように。

 自分には何もできない。逃げることさえできなかった。希望で一瞬だけ喜ばせておいて……最後の最後、どうすることも出来なくなる……誰にも助けられなどしない……誰も助けなんて―――

 

「俺は『約束』は守るぞ」

「閃槍》―――ッ!」

 

 完成する【ライトニング・ピアス】が少年の元へと圧倒的な熱量を内包しながら向かって行く。

 しかし、それよりも早く―――閃槍が左手から発射されるよりも早く―――ただ何の工夫もなく真っすぐ飛んで行った鉄球が少年の元へと届き―――背負っていた少女を避けて、少年の肩に命中し、そのまま押し倒していた。

 

「あぐッ!?」

「な、何ッ!?」

 

 体勢が崩れたおかげで、少年はかろうじて【ライトニング・ピアス】を躱した。そして、何が起こったのか分からず、救いを求めるように青年の方に振り向いた。

 

「できるわけがない、を四回言う。俺の家の『掟』だが……今さっきお前と交わしたのは『約束』だ。絶対順守の『ルール』ではない。だが……俺はそれこそを守る。だから、お前が諦めようが俺はお前を守る」

「な……?」

「んで? お前はなんだ? 諦めるのか?」

「あぁ……」

「こういうことになるからよォー。諦めるなら諦めるならいいけどよォー。迷惑にならない形にしてくれねぇか?」

 

 初めて、その声音をしっかりと聞いた感じがした。

 それは飄々としているようで、どこか芯の通った、不思議な声だった。

 きっとそれは、今まで色々積み重ねてきたからだろう。だから、そんな声になるのだ。例え、どんな状況で、どんなに情けない声音になっていたのだとしても、この青年の声にはいつだって一本芯が通ったような感覚があるのだろう、と少年は感じていた。

 

「まぁ、でもお前が何も信じられなくなるってのも分からないわけじゃーねェ」

「お、俺は……」

「でも、だ。俺のことは信じられなくても、回転の力は信じろ。『回転の力を信じる』んだ」

「俺は―――」

 

 自分はなんて情けないんだろう。今、心の底からそう思った。

 信じられないだとか。もう無理だとか。何もできないだとか。

 そうじゃないだろう……今は、そういうことが大事なんじゃあないだろう。

 

「俺は……!」

「ッ……」

 

 確かに自分は何もできない子供かもしれない。

 でも、守ってくれる人は確かにいた……だというのに。なんで、自分は立ち止まっていたんだ?

 それがただの『口約束』だというのに、相手は守ってくれたのに。

 それを『欲した』自分が諦めるのか?

 なんて情けなくて……かっこ悪いんだろう。そんなの、死んだって御免だ―――妹にだって顔を合わせられない―――

 

「うおぉぉ――――――ッ!」

 

 雄たけび―――鉄球に押し倒され、倒れ伏していた少年が裂帛の気合と共に立ち上がった。

 そして、その後ろで今も回転し続けていた鉄球を後ろに蹴り上げるようにして、触って―――

 

「ッ!?」

「やっとか……遅いぜ、オタクさん」

 

 その瞬間、不意に少年が鉄球に触った方の足が爆発的な力を発揮し、跳躍したのだ。

 人間の肉体的構造上、ありえない力み方―――だが、重要なのはそこじゃない。

 

「あ……」

 

 少年がふわりと着地した、そこは―――魔術罠(マジック・トラップ)を飛び越えた先だった。起動していない。その範囲には一歩たりとも入っていない。跳躍しきっていた。

 

「「「馬鹿な……!?」」」

「よっとォ!」

「ガッ!?」

 

 それを確認するや否や、青年は驚愕する外道魔術師をいいことに、その中の一人の頭を踏み台にして飛び、また、少年との間に割り込むような位置へ滑り込んだ。

 

「ちょっとだけいい表情になったな、オタク。まぁ、俺ほどじゃねーけど」

「え……?」

「ほら、とっととまた走れ。後は全部俺に任せて、な」

「は、はい……!」

 

 シッシッ、と手を振って追い出すような仕草を取った青年のことを、少年はもう振り返らなかった。

 ただ振り返らずに走った。そうしていると、いつの間にか路地の外についていて、もう外道魔術師は一人も追っては来なかった。

 

***

 

 ……その後、何が起こったかは何も知らない。

 ただ、一つだけ言えることは。

 あの人が助けに来てくれなければ、今、自分はここにいなかっただろう、ということだけだ。

 今、自分が笑ってなどいられなかっただろう、というだけだ。

 援けに来てくれたのが、あの人じゃなければ、きっと今も情けない自分のままだっただろう。逃げっぱなしの人生を歩むだけの、誰にも見向きもされないちっぽけな人間だったのだろう。

 いや、今もそうなのかもしれないけれども。少なくとも―――

 

『ごめんね、レン君』

 

 ―――一歩は踏み出せるような人間にはなれたのだと思う。

 まだ、あれからあの人とは一度も会えていない。

 だからもし、次に会えた時は、目いっぱいのお礼と感謝の言葉を言いたいと思う。そう思える。

 『宿命』に追いかけられ、絶望していた自分に、例え本当に何もできなくても前に進むための『勇気』を教えてくれたから。

 だから、前に進まなくては……

 あの人が教えてくれた勇気で、あの人に会いに行くために―――

 

***

 

「うっ……うぅ……レン、君……」

「ん……あれ……」

 

 暖かい感触。懐かしいと思えるが、聞きなれた声。泣いているのだろうか? 嗚咽のようなものが混じっている。

 身体を動かせない。それに痛い。だけど、それ以上に何かがくっついているようで。

 

「ルミ、ア……?」

「え……レン君……? 大丈夫……?」

 

 目を覚まして、最初に視界に入ってきたのは、ルミアの顔だった。相当近い、それ以外の情報が全く入ってこない。

 身体を動かそうとして気づいた。ルミアが抱き着いていていた。自分を心配していたのだろうか、目には涙をたっぷりと溜めているようだった。いや、もう相当流した後だとも思うが。

 

「ジョレン起きたか? ま、俺にかかればこの通りってやつだな」

「グレン……先生」

 

 少しだけ顔を動かしてみると、その後ろに、多少の傷はついているが、無事な様子のグレンと、息切れし過ぎて、何もしゃべれない様子のシスティーナがいた。

 

「そっか……終わったんだ」

 

 それが実感できて、ジョレンはようやくホッと胸を撫でおろした。恐らくだが、あの逃げたスタンド使いは戻ってこなかったのだろう。完全に撤退していたのだ。狙いを達成したのか、あるいは……どっちにしても、今回の件はこれで終わったのだ。

 

「レン君……なんで?」

「え……?」

「なんで、こんな無茶を……?」

 

 そんな矢先、ルミアが泣きそうな顔のまま、そんなことを聞いてくる。

 そんなことは、もう決まっている。

 

「約束してたから……」

「約束って……」

「一緒に夢叶えようって……言ってきたのそっちじゃないか」

 

 それを聞いたルミアはまだ納得してないようで、もっと悲痛な顔をしてしまっていた。

 それを見て、若干慌てて弁解しようとするジョレンだったが、疲れ切っていた身体は全然言うことを聞いてくれそうにない。

 

「だからって……死んじゃったら、終わりなんだよ……!?」

「知ってるけど……それでも……」

「なんで……? なんでそんなに……?」

「嬉しかったから……」

「え……」

「約束……俺に持ってきてくれたのが、嬉しかったから……」

 

 言いながら、人はそれ一つのために命を賭けれるのだと、今更確認する羽目になった。

 

「どうしようもなく臆病で……何もできない自分にだけど……それでも約束してくれたのが、嬉しかったから……」

「レン君……」

「だから、あんなことで、その約束が切れるなんて、許せなかった……だけなんだよ……」

「うぅ……」

 

 ジョレンが話をしているうちに、ルミアはどんどんと眼から涙を溢れさせて……ジョレンに抱き着きながら、胸に顔をうずめて泣いていた。

 

「レン君……ありがとう……」

「それは……俺は何もしてないから、グレン先生に言っといてくれ」

「ううん、私も……助けに来てくれて嬉しかったから……」

「そっか……」

 

 ただ、涙を流していても、その表情は悲しげなものではなく、とても晴れやかなものだった。

 それを見ているだけで、自分が一歩を踏み出した意味はあったんだと思えて―――

 

「ちょっと疲れた」

「あ……えっと……」

「またちょっとだけ寝るから……また、明日会えたら、いいかな……って」

「……うん。また明日、ね?」

 

 静かに伝わってくる温もりの中、ジョレンはまた意識を堕とした。

 約束を守れた―――その重く疲れた体を包む、安堵感の中で。

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