那美子の誤算   作:紫 李鳥

2 / 4


 

 

 

 ――2年が過ぎていた。

 

 六本木のフォトスタジオでは、人気写真モデルの夕夏梨(ゆかり)が、淡いピンクのジョーゼットワンピースと長い黒髪を(なび)かせながら、美しく彩られたネイルアートの指先に一輪のピンクのガーベラを(かざ)していた。

 

 撮影を終え、更衣室でメイクを落としていると、

 

「夕夏梨、電話」

 

 付き人の真智子が受話器を上げた。

 

「誰?」

 

「話せば分かるって」

 

「ったく、誰よ」

 

 面倒臭そうに腰を上げた。

 

「はいっ」

 

「ゆかりさん、お久し振り。杉山だよ、覚えてないかい?」

 

 中年の男の声だった。

 

(……杉山?)

 

 夕夏梨はその苗字に覚えがなかった。

 

「あんたの顔を美しくした――」

 

(!……)

 

 夕夏梨の表情が強張った。

 

「100万ほど用立ててくれないかな?」

 

 夕夏梨はあまりの驚きに言葉が出てこなかった。

 

「それともマスコミに売ろうかな。あんたの――」

 

「分かったわ。連絡先は?」

 

 折角掴んだ今の人気を失いたくない。……さて、どうする。

 

 

 

 

 月のない埠頭は闇に包まれて、黒い海が陸のように平らだった。明かりと言えば、遠い街の灯と倉庫の外灯だけだった。

 

 一つの黒い影はその薄明かりにあった。

 

「……杉山さん?」

 

 夕夏梨は帽子を目深に被り、サングラスをしていた。

 

「ああ」

 

 淡く浮かんだ男の顔に見覚えがあった。

 

「ごめんなさいね、こんな所に呼び出して。誰かに見られたら困るから」

 

「分かってるさ、人気商売だからね。俺もこんなことしたくないが、手術ミスで女を殺しちまってさ。医師免許剥奪よ。で、金は?」

 

 ヨレヨレのコートを着た杉山は、まるで浮浪者のようだった。

 

「ええ、持ってきたわ。写真は?」

 

 夕夏梨は革手袋の手で、ビニールに包んだ札束をバッグから出した。

 

「写真だ」

 

 杉山はポケットから2枚の写真を出した。

 

 夕夏梨は受け取った写真を明かりに向けて確かめると、札束と交換した。

 

「今夜は分厚いステーキが食える」

 

 杉山は受け取った札束を数えようと、明かりを背にビニールを剥がしていた。

 

「……寝る前に食べないほうがいいわよ、胃がもたれるから」

 

 夕夏梨はそう言いながら、ポケットのジャックナイフを手にすると、

 

カチッ!

 

 刃を出し、素早くその刃先を杉山の背中に刺した。

 

「うっ」

 

 杉山が短い唸り声を発した。その隙に杉山が手にした札束を掴んだ。

 

 杉山はよろめきながら海に落ちた。

 

ドッボーン!

 

 飛沫が跳ねた。夕夏梨は黒いコートに付いた飛沫を革手袋の手で拭うと、ナイフを海面に放り投げた。

 

ジュポッ

 

 

 

 

 ――那美子が所属しているプロダクションの社長、片野汎(かたのひろし)と出会ったのは2年前。

 

 それは、当たった宝くじで整形し、流行りのファッションで身を包み、高級レストランで食後のレモンティーを味わっていた時だった。

 

 客たちは、那美子に熱い視線を注ぎながら、羨望のため息を漏らしていた。優越感に浸りながら、那美子は細い脚を組み直すと、色鮮やかなネイルアートの指先で、長い黒髪を背中に流した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。