リハビリも込みで執筆したのでつたない文章ではありますが、よろしくお願いいたします。
夜空はこんなに暗かっただろうか。昔は何気なく空を見上げればいつでも見えた眩い星々の姿はなく、無機質な雲がどんよりと留まり続け、月の光を遮っている。つい数か月前までいた北の大地の空の面影を思い出してしまうと、あのまぶしいとすら感じてしまうほどの光景とどうしても比較してしまう。別にホームシックという訳ではないが、最近まで住んでいた地域と今の生活環境を比較してしまうのは何故だろうか。肌を突き刺すような攻撃的な冷気ももちろん以前の環境では何とも思わなかったであろうが、今この瞬間は心の傷を抉る痛みとなって一人の男に襲い掛かっていく。
「…………曇りではないはずだけど、こんなにも外が暗く感じるなんて。」
自分でも本当はわかっている。この寒さも寂しさも憂鬱さも、全ては自分の精神的な問題なのだとは自分自身でもわかっているのだ。今までとは違う仕事をやっているのだから最初から仕事が上手くいくとは思ってはいなかったものの、やはり精神的に疲弊してしまうのはどうにも回避できなかった。
前職の関係上、頭を下げること自体は慣れている。『公務員』という立場から、どれだけ熱心に取り組んだとしても「税金泥棒」と揶揄されていたのだ、謝る際に邪魔するほんの小さなプライドはいつしか消え去り、今現在何とも思わない。すべて自分の力不足であると考えるようになってから、自分を責めればよくなったからか随分と気が楽になった。
……それでも。今回はそうならなかっただけで、自分の失態が上司だけでなく、未来あるアイドルたちにも及ぶと考えると胸が痛くなる。
「はぁ…。」
少しばかり長い溜息はその存在感を示すかのごとく白く変色し、その場から何事も無かったように消え去っていってしまった。
────俺も、このまま消えてしまえたのなら。
そう考えた瞬間、少しだけ笑ってしまった。我ながら可笑しな話である。自ら環境を変えるために新天地へと足を運ばせてみたのにもかかわらず、既に弱音を挙げるなんて、本当に性根が腐っているとしか言えないだろう。不必要な自虐は自らの首を絞めつけるというが、笑わずにはいられなかった。
人間というのは不思議なもので、気分が良い時には唐突に嫌な事柄が浮かんできたりするのに、ネガティブな時に考え事をしても、結局ネガティブな結論にしかたどり着けないことが多い。考えれば考えるほど今置かれている立場、現状を考慮できなくなってしまい、話が無意識のうちに逸れていってしまうのが問題の1つのような気がする。
……気持ちを整理するためにゆっくりと深呼吸。吸って吐いてを繰り返すこと八度、東京基準ではかなり低い外温によって体の中の空気がすべて入れ替わり、体全体が冷えるのと同時に脳までもが研ぎ澄まされるような感覚に陥った。
「冬でも外で深呼吸出来るのが東京の強みだなぁ。」
ロシアのとある地域では、全力で走ると肺が凍ってしまい死亡するなんて話はよく聞くが、さすがに北海道はそこまで酷くない。とは言っても、僕が住んでいた地域では歩いているだけで鼻毛が凍る程度には冷え込むのだが。雪自体あまり降らないという東京の地に来てからというものの、今までの環境がどれだけ過酷だったかを思い知った。そもそも最高気温が氷点下5℃で温かいと感じていたのがおかしい。
端から見える夜景は些か物足りないものだったものの、その代わりに今までの環境ではお目にかかれない規模のイルミネーションを見ることは出来た。そういった意味で、北海道と全く違う環境を体験出来ているのだろう。自分を追い込むために上京してきたものの、本来の目的が達成されないまま数カ月が経ち、既に生活に慣れつつあるのは考え物だ。
まあ、難しいことは家に帰ってから考えることとしよう。そう思い、正面を見据えたとき。
「…………大丈夫かな、あの人。」
少し離れた位置に人影が見えるのだが、うずくまったまま動く気配がまるで感じられない。病気で倒れてしまったのか、疲れのあまり寝てしまったのか、それとも全く違うことが原因なのかが分からないものの、さすがに心配だ。少し距離があるとはいえ、この場所は街からそうは慣れていないのでアルコールが入っている可能性まである。いかなる事情であれこのまま放っておくことは一人の人間として出来ない。
いざ動き始めてから、大人になった今では走る機会が極端に減ってしまったなと痛感する。元々運動は苦手だったが、この短距離ですら足が思うように上がらなく、頭がぶれてしまうので視界が固定されない。我ながら情けないことに、ようやく人影のもとへ着いた時には息も絶え絶えになっていた。
「だ、大丈夫ですか……!? しっかりしてくださいっ!」
走り着いてその人物を確認してみると、まだ若い女性だったため更に心配になる。口の中がカラカラになりながらも無事か確認する言葉をようやく伝えられた。
「………………。」
声を上げた本人ですら驚くような大声だったためか、女性はビクッと肩を震わせてしまったのが見えた。よくよく考えてみれば、なぜこんな橋の真ん中で座っているのかはわからないものの、平均身長を大きく超えた大柄な男が息を切らしながら大声で話しかけてくるなど狂気の沙汰だ。自分が女性ならひたすら恐怖する。
「あ。す、すみません。怪しい者じゃないんです。倒れているように見えたもので…。」
「いたた……。えっ?」
どうやら怖がっていたから肩を震わせていたわけではなさそうだ。脚をかばうようにうずくまっているようで、足に何かしら怪我を負ったのかもしれない。
「脚を痛めているように見えますが、立って歩けますか?」
「いえ、その……大丈夫、です……。」
女性は顔を上げて笑顔を浮かべた。……とは言っても作り笑顔だが。仕事の関係で笑顔の練習をしているとき、自分のこんな風な作り笑顔を鏡で何度見たことかわからない。心配している自分を気遣ってのことだろうか、もしかするとお持ち帰りを目論む危険な男と認識されたのかもしれない。
「……………………ヒールが、折れてしまって。」
お互いに何も話さない重苦しい空気の中、自分のことを多少は信用してくれたのだろうか、この空気と同等か、それ以上に重たい口調で語り始める。ここで口を出してはいけない、この女性は胸の内を吐露したいのだと慎重に聞いた。
「……買ったばかりの靴だったのに。散々です。本当に。」
どうやらヒールを履きなれていない方だったようだ。うちの地元は道内で雪の少ないほうだったものの、冬場は常に雪が積もっているためヒールなんてものを履いている女性は少ない。何とも言えない姿勢で慎重に歩いている印象が強かった。
そんな女性が急にヒールを履こうとしたなんてどうしたのだろうか。振り向いてほしい男性がいたのか…? いやでも、そういった積極的なアピールをする人には見えない。
「なれない靴を履いて、背伸びをしたくらいでは、人は変われなくて……。靴を変えたことだって、誰からも気づかれない……。」
……この人は僕と同じだ。どんなに頑張っても周りに理解されず、逆にいいように利用される。そんな環境を自覚している人だ。
……この人は僕とは違う。そんな自分から卒業し、自ら変わろうと積極的に動いたのだ。この人は変わろうとしていた。精一杯の勇気を振り絞って、何かしらの場に挑んだのだろう。環境を変えたのに、自分自身が変わっていく姿を想像出来ずに逃げてきた僕と違って。
「……そんなこと……分かっているくらい大人だったつもりだったのに……。」
その結果、変わることは出来なかった。振り絞った勇気も、時間も努力もすべては水の泡。『自分は何をやっても無駄だ』という現実を突きつけられ、自分を責め続けることしかできなくなっているのだろう。そして、これからは再び現実を知ることが怖くなってしまい挑戦しなくなる。そんなことは痛いほど知っていた。
「……私、知らない方にこんなこと話して……すみません。もう、構わないでいただけますか。大丈夫ですから……。」
……会話を終了させようとしてか、彼女は自虐的な笑顔を見せた。先ほどの作り笑顔と比べれば自然なものだが、結局は見ている人を悲しくさせるものでしかない。これ以上関わらないでほしいという気持ちは、この人自身が「恥ずかしいから」望んでいるわけではなく、「こんな私に気を使うだけ無駄」という発想からきているのだろう。
「とは言っても……立てますか?」
「……大丈夫です、一人で立てますから。 これくらい……きゃっ。」
「ッ!?」
前傾姿勢で倒れそうな彼女を、咄嗟とはいえ手をつかんでしまった。なんとか倒れずに済み支え切れたのだが、やはり足を多少なりとも痛めているらしい。ぱっと手を放して確認する。
「と、咄嗟に手をつかんじゃってすみません。お怪我はありませんか…?」
「あっ……すみません。お恥ずかしいです……。一人で立てないなんて。……いつも、そうなんです。」
彼女は再び、つぶやくように言葉を紡ぎ始めた。
「自分独りでは、何もできなくて、流されて……。仕事も、人生だって、つまずいてしまって。……すみません、また、こんな話をして。」
そして彼女はまた謝り始める。自分には、ここまで苦しんでいる彼女を、このまま黙っていることなどできなかった。あまり人の目を見て話したくないのだが、ちらと確認すると彼女の眼からは涙が溢れそうになっていた。ポケットからハンカチを取り出して差し出しながら、彼女の眼を見て一言一言を慎重に告げよう。
「……僕はあなたのことを全く知りませんでした。あなたが倒れているように見えたから心配して走り寄った、言い表すなら『赤の他人』でしょう。」
これはただの言葉遊びかもしれない。それでも、僕は出会って少ししかたっていない彼女の力になりたいと心の底から思ったのだ。別に恋に落ちたわけでも同情したわけでもない。ただただ、ともに道を歩きたいと思った。
「ですけど、僕はあなたのことを今知りました。 あなたが何か変わろうと努力したこと、その努力が実らなくて苦しんでいること。」
ズボンの後ろポケットを確認し、革製の名刺入れを確認。そのまま彼女に差し出す。
手渡せた彼女も会社員なのか、反射的に受け取っていた。
「
「あ、
あ、ご、ごめんなさい…なんていう彼女に「慣れているので気にしていません」といいつつ、口下手な自分では考えたところで伝わるかわからないので思っていることを伝えようとする。外の空気がいい塩梅で、頭が冴えているような感覚に見舞われた。
「僕はあなたの話を聞いた時、あなたのことを他人だと思えなくなりました。変わろうとして懸命に努力続けるあなたを、近くで応援したいです。アイドルとなって、輝いてみませんか…?」
「アイドル……? 人前に出て歌ったり、踊ったりするあの……? 私なんかが……無理ですよ。こんな、26歳のOLが……。」
「あ、立てますか?」と手を差し伸べると、今度は彼女も手を取ってくれた。少しは信用してくれたのかもしれない。
「……すみません、もう、大丈夫です。それにしても……私がアイドルなんて……。」
「困惑するのもわかります。アイドルと言って想像するのは、女子高校生や大学生でしょう。でも、
「決めるのは……私……?」
目の前の女性は言葉をかみしめるように、ゆっくりと呟いた。そう、結局はすべて本人の選択次第。主体性がなく流されやすい人間は、自らの道を選ぶ場面すら避けようとするため選択する機会すら少ない。そんな中、一度折れてしまった彼女は選択する機会を得た。
「はい。今まで流されていたというのはあなた自身が言っていました。先ほども言ったように、アイドルと言えば女子高生や女子大学生でしょう。ましてや26歳一般人からアイドルになるケースなんて稀です。」
「そうです、よね……。私なんて、芸能人でも何でもなく、ただのOLですし……。」
「それでも、前例がないわけじゃありません。稀ではありますが、逆に言えば可能なんです。結局、行動を起こすあなたの気持ち次第ですよ。」
僕は直接会ったことがないものの、それこそうちの事務所にいる「和久井留美」が代表例だろう。アイドルというよりはモデル活動が主なものの、彼女は元秘書の26歳でアイドルとなった、まさに「稀なケース」の代表例だ。
「私次第、ですか……。でもこんな私を応援してくれる方なんて……。」
そう言って、彼女はまた目線が下へと落ちてしまう。今までの人生において支えてくれる存在はいても、応援してくれる人は少なく、それ故に自己肯定感が極端に低い人であることは短い時間の中ですら伝わってきた。……やはり、そういったところが他人だと思えない所以なのかもしれない。
「僕がいます。」
「えっ……?」
僕が一番苦しんでいた時期にかけて欲しかった言葉を口にすると、目の前の女性は再び顔を上げてくれた。
美しく儚い雰囲気の大人な女性。見た目の点でも充分アイドルとしての素質有りだが、それ以上に彼女の内側に惹かれてしまった。
「僕が、あなたの1人目のファンです。精一杯あなたを支えます。僕はマネージャー歴数カ月のペーペーですが、だからこそあなたのような心の優しくて、強い方とともに歩きたい。」
「…………」
「これはあくまで僕の提案できる道です。仕事との兼ね合いもありますし、今は精神的な部分で正常な判断ができないかもしれません。ただ、あなたがどんな選択をしたとしても僕は応援し続けます。」
「……中島さんは何故、私をここまで応援してくれるのでしょうか……?」
当然の疑問だろう。初対面の男にここまで迫られたら警戒されてもおかしくない。悲しいことに自分自身が厳つい側の人間なので余計に。一瞬答えを考えたものの、自分の中で一番納得できてかつ分かりやすい理由は一つしかなかった。
「だって、あなたは頑張っているじゃないですか。それが痛いほど伝わってくるからこそ、あなたの力になりたいと思います。」
「……そう、言われたのは初めてです。こういうときにどう返せばいいのかわからないのですが……ありがとうございます。」
そう言った後、彼女は────彼女自身ですら気づいていないのだろうが————柔らかい笑顔を浮かべる。
「……名刺を頂いたのに、今は名刺を持っていなくて……。自己紹介がまだでしたね。」
今まで雲によって遮られた月光によって照らされた彼女の笑顔は、本当に————
「三船美優、です。アイドルをやるかはまだわかりませんが……中島さんがおっしゃる通り、自分の意志で決めたいと思います。」
————暖かい笑みだった。
あの日から一週間ばかり経った。あの時に渡した名刺に書かれた会社用の電話番号へ今朝着信があり、あと数分で面談となっている。やはり改まって一対一で会話するとなると,会話相手が誰であれ、意識してしまうのは自分の悪い癖だ。プロデューサーという立場ながらこの程度のことでいちいち緊張していたら、心臓が持たないと自分でも思う。
喉元に利き手の右手を持っていき、脈拍を確認し、ゆっくりと深呼吸。この姿をたまたまちひろさんに見られたとき、彼女は不思議そうにしていたが、これは緊張をほぐす自己流のルーティンワークなので大目に見て欲しい。身体中の酸素がすべて入れ替わり、徐々に脈拍が落ち着いてくるのが実感できて、三分もすればある程度緊張が解ける。
「プロデューサーさん、三船さんをご案内しましたよ」
トントンと軽いノックから扉が開かれ、そこから千川ちひろさんと三船美優さんが顔を覗かせた。視線が合った瞬間、三船さんは深々と頭を下げ、こちらも応じる。
それでは失礼しますね、と言って退室するちひろさんにお礼を言った後、その場に残された彼女を座席へと案内する。
「先日は本当に……いろいろと迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。」「いえいえ、ご無事そうで何よりです。」と、まあそういう感じで始まるだろうと予想していた通りの展開。お互いの性格上お互いが謝り続けるような形となってしまった。
「……改めまして。私、三船美優と申します。こんな私が……人前に立てるのでしょうか……?」
そんな中で、目の前の女性は改めて自己紹介と、率直な疑問を提示してくれた。あまり自己主張できず、周りに流されて生きてきたというだけあって、やはり「人前で立つ」といったほぼ未体験の行為を本業としていくのは多少なりとも不安なのかもしれない。
「立てます。」
自信をもってそう言い放った。自分が答えを考える間もなく、ほぼ反射的に答えたので若干食い気味になってしまったのが少し恥ずかしい。
「本当でしょうか…。まだ、信じられないですけれど……。私は、今日、自分の意志で決めて、ここに来ました。……お話を、聞かせていただけますか?」
「はい、任せてください……!」
頷きつつ、この一週間で寝る間も惜しんで作ってきた資料を真剣なまなざしの彼女に手渡し、何度も反復練習した通りにプレゼンを始める。彼女の境遇に共感した。彼女の優しさに触れた。そんな彼女を応援したいと、純粋にそう思えた。
これは、似たようで似ていない、内気で、それ以上に熱い情熱を秘めた二人の物語。
続くかどうかは気分と反響次第です。
三船美優さんの、儚くも強い部分が大好きです。