落ち込んだ親友、高町なのはを見て、純粋に慰めてあげよう。そう思ったのがきっかけだった。
それは本当の話だ。
だけど、連絡もせずに直接家に行ったのは、いつもの事ではあるのだけど、何かが起こるわけでは無いと思いながらも、彼と会える可能性を信じていなかったといえば嘘になる。
だから、彼が私を何の躊躇もなく家にあげたのも、喧嘩をしていると言う話をしたのも。
全部、偶々が重なっただけのものだとはわかっているのだけれども、それでもずるいと思ってしまう。
「いつでも来ていいですよ」
彼はそう言った。
その言葉に甘え続けて行けば行くほど、彼のことがより好きになってしまった。
何度もやめようとした。
それでも、もう、取り返しのつかないところまで来てしまった。
そもそも、妻がいないこんな時間に、連絡も入れずに女性を家にあげる彼も彼だ。
食事を終えて、ソファに倒れるように寝転ぶ彼を見てそう思う。
まだ、やめられる。
今ならまだやめられるかもしれないと言うのに。
でも、少しだけ。
少しだけ、彼の手に触れるだけならまだ、きっと大丈夫。
そうしてゆっくり彼の手に触れる。ゴツゴツとした大きな手は、ひどく無骨で。
そっとその手を頬に近づける。
硬くて柔らかくて、暖かい。これを毎日好きなようにできる親友のことを考えると、妬ましく感じてしまう。
「うっ……」
何かに反応したように、ケイはピクリと動く。
恐る恐る頬を突いてみるも、これ以上の反応は無かった。
彼の体をそっと撫でると、再び身を捩らせる。その仕草が少しだけ可愛く感じられる。
もう、止められない。
「……バインド」
彼の両手足に拘束をかける。睡眠剤自体は少量であり、アルコールと掛け合わせた程度なので彼の眠りは特別に深いというわけではない。
うなされるような顔に、こちらも顔を近づけて、優しく口づけをする。
もう一度、もう一度。
そして、次は激しく。
ぐちゃぐちゃになっていた思考回路も、こうしていると自然と気にならなくなってくる。ただ委ねて仕舞えばいいのだ。そうすれば何も感じず、ただひたすらに楽になれる。
そうして私は服を脱ぎ払うと、彼の衣服も乱雑に取り払う。そしてもう一度口づけを。
すると、彼は少しだけ瞼を開いた。
「う……な、のは?」
ぼやけた瞳はまだこちらを捉えきれていなくて、今ならまだ引き返せると分かっていたのに──
「違うよ、ケイ。フェイトだよ」
呼んだのは、彼の妻だった。
その親友の名前を聞いた瞬間、胸の中のズブズブとした黒い何かが溢れ出ててきた。
なのはも、私がケイに少しだけ気があることを知っていた。直接口に出して「スキ」と言ったわけではないが、幾たびかは相談もしたし、話もしたはずだ。
それなのに、どうして。どうして。
「ふぇい、と、さん? って、あれ俺、何やって」
少しずつ意識が覚醒していく彼の唇を、もう一度塞ぐ。
「んぐっ、っちょ、待って、待ってくださ──」
「ごめんね、待てないの。待てなかったの。だって、待ってるだけじゃ、もうダメだったから」
「そんな、何で」
「私のこと、嫌い?」
「いや、そんなことは、無い、です、けど」
私は本当にずるい。
彼なのだから、こういう風に返答してくるのは知っていたというのに。わざわざ口に出して言わせる。
だけれども、彼も彼でずるい。
いつもいつも、思わせぶりな態度をとって、必要以上に優しくして、甘えてしまう隙を見せる。
だから、その隙に嫌という程入り込んで、内側から全部壊してやればいい。
誰かに愛されたいという欲求は、昔から満たされないままだ。それは、周りの何かで補えても、ある人から愛されないままでは決して埋まることのない穴だ。
母親への家族愛、承認欲求。
多分、そんな昔に空いた穴が、もう埋まっていると勘違いしていたその隙間が今は形を変えて彼でなければ決して満たせないものへと変わっていた。
「とりあえず、やめよう。ダメです、こんな事したら。バインド、解いて。ここで引いてくれるなら何も無かったことにしますから」
「何も無かった事にだけは、出来ないの。したくないの」
口をついた言葉は、本心からの言葉。愛して欲しい。けど、愛してくれとは言わない。ただ、満たして欲しいのだ。何もなければ、決して満ちることはないから。
ケイの顔は、疑問と怒りと悲しみと、色々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、今にも泣き出しそうだ。
でも、剥き出しのそんな顔が、向けられる感情が、愛おしい。
「俺、なのはと仲直り出来なくなる。というか、フェイトさんもなのはと喧嘩しちゃいますよ、こんな事してたら」
「許して、とは言わない。私も許してもらわなくていいから」
「どういう事だよフェイトさん、つか、離してって、やめっ!」
もう一度、私の唇で強く口を塞ぐ。
「なのはには、黙っておく。でも、ケイもこんなことバレたらいやでしょ? だから二人で、二人だけの秘密にするの」
これは脅迫だ。
お願いでも祈りでも何でもない。ただひたすらにずるくて、ケイの優しさにつけ込んだだけの脅迫。
彼はその言葉を聞くと、顔を苦しそうに歪めて、諦めたようにため息をつく。
「……嫌だよ。嫌だけど、なのはを傷つけるのも、なのはとフェイトさんの関係を壊すのは、もっと嫌です」
「肯定、ってことでいいのかな?」
彼はその問いに答えることは出来ない。
それは事実上の肯定であった。
「だけどね、ごめんねは言わない」
そう言って、私は彼との歪な関係を、始めてしまった。
・
フェイトさんがウチに来て、過ちを犯してしまった夏の終わりから少し経ったある日。
秋というにはいささか暑く、へばりつくように高い湿度が残暑との相乗して俺の苛立ちを膨れ上がらせる。
今日もまた、そんな嫌な日だ。
窓の外から見える空は、茜色から段々と黒色に移りゆく。ため息をひとつ付いて時計を見ると、七時の数分前を示していた。
なのはとは、未だに仲直りできないでいる。
もはや最近は、彼女の方から関係の修繕を求めてきている節もあるのだが、どうにも俺の中にある罪悪感がただひたすらにそれを許さない。
それもこれも、あの日あの時以来始まってしまった、フェイトさんとの歪な関係のせいだろう。
椅子に座りながらこの嫌な時間を、何かをするわけでもなくじっとしていると、待ってもいなかったインターホンの甲高い音が空っぽな部屋の中に反芻して鳴り響いた。じとりと重い汗が頬を流れる。鉛でもつけられたように動こうとしない足を無理にでも動かし、通話のボタンを押す。
液晶にはもちろん、フェイトさんの姿だ。
「……はい」
「おじゃまするね」
恥ずかしそうに頬を染め、照れを隠すように指先で髪の先をいじる姿は可愛らしくもあり、恐ろしさも少しだけ孕んでいた。
「鍵は空いてるので、どうぞご自由に入ってください。入った後はちゃんと──」
「わかってるよ、ちゃんと、鍵を閉めておいてください、だよね?」
重ねるように言うフェイトさんの声で、俺の言葉は居場所をなくし口を半開きにしたままどこかに雲散する。
消えていく言葉を拾い集めようとして、なんとか口を動かそうとするも、それが言語化されることはなかった。いや、そもそもこれ以上喋りたいことなんて無かっただけなのかもしれない。
ドアの軋む音が近くて、紛れもなくこれが現実なのだと感じさせられる。
インターホンの繋ぐ目に見えない距離は、音とともに搦めとるように縮んでいた。
近づく足音になすすべもなく、ただじっと待っている。少し前であればお茶でも出してもてなしていたのに。今はそんなことをする気力も起きない。
ただ、俺は一つのことを祈るように思い続ける。
高町なのはにだけは、何があってもバレてはいけないと。
どうせいつかはダメになると知っていても。
どうしようもなくその場しのぎで問題を後回しにしている。
俺と彼女の関係も、彼女と彼女の関係も、その全てがきっと壊れてしまうから。
それだけはどうしても避けたいから。
俺はこの関係を、甘んじて受け入れていた。
なのはと俺が居合わせずに、フェイトさんと俺のスケジュールが合う日。
その日は、何を隠すこともない。
浮気の日となった。
例の日、フェイトさんにクスリを盛られて無理やりに迫られたあの日以降、俺はなのはに知られる事だけをただ恐れて最低な肉体関係を続けていた。
「あの、フェイトさん」
「なーに?」
甘えるような猫撫で声でフェイトさんはこちらを見る。
「どうして、こんな事したんですか」
俺は自宅のベッドに他人行儀に座りながら、うちのベッドに異様に馴染み寝転ぶフェイトさんに目を向けた。ホテルのベッドに入っている時よりも、俺の家のベッドに入っている時の方が、嬉しそうに、ずるそうに笑っている。
「こんな事、って」
「わかってて、言ってるんですか」
とぼけたように笑うフェイトさんに、憤りを感じながら少しだけ怒りを露わにして強く口に出してしまう。
「……ごめんね」
「そう言う事じゃなくて」
「そうじゃなくて、ケイを怒らせてごめんねって事。私は、この関係に対して謝るつもりなんてさらさら無いから」
先程までとは打って変わり、強くまっすぐな声でフェイトさんは言い放つ。ベッドについた右手に温もりを感じると、その手はフェイトさんの両手に強く握られていた。
「なのはも、ケイも、もちろん私も。みんなずるいんだよ。だから、仕方がなかった」
仕方がなかった。
俺自身の言い訳であるからこそ、嫌なくらいに胸の奥にすっと馴染む。
その言葉は俺を責めるようでいて、どこまでも甘やかすようで。ずるいと知りながらも、自分のずるさに気づかないフリをしていられないと思わされて、酷く苛立つ。
俺は、フェイトさんに襲われて以降、半ば脅される形でこの関係を続けていた。
なのはに知られる事だけは避けたかったからだ。なのはに知られて、幻滅されることが嫌だった。そして、なのはが知って、フェイトさんとまで仲違いすることは嫌だった。
これが一つめの理由。
そしてもう一つが、俺のずるいところだ。
俺は、2年とちょっと前まで、フェイトさんの事が好きだった。それも仕方がないだろう。憧れてた人が、自分に良くしてくれていたのだ。そりゃ好きにもなる。
それに、これほどの美女ときた。だから、ただ単純に、オスという生物として、彼女とする行為がたまらなく背徳的で、耽美で、愉悦を感じられるのだ。
ずるいと言うか、ただ最低なだけだな。
「そろそろ、なのはも帰ってくるかもしれないし、片付けもしたいので……」
「わかった、シャワーだけ借りるね」
「どうぞご自由に」
フェイトさんは身に何も纏わないまま、乱雑に脱ぎ捨てられた衣服を取ると、気恥ずかしそうに風呂場へと向かった。
こんな関係でなきゃ、本当に可愛いのに。
どうすれば、正解なんだろう。
俯きながら自己嫌悪に囚われていると、パタパタと足音が再び近づいてくる。
見上げる隙もなく、フェイトさんは顔を近づけてくる。そして最後に、俺の首筋に吸い付くようなキスをした。長く、強く、まるで自身の存在を証明しているかのように。
もうここまできたら書きます。と言ってもあと1,2話で終わるんですけどね