今日は久しぶりになのはとの二人きりでの夕飯だ。
数時間前まで家にいたフェイトさんをなんとか帰し、ようやく晩御飯の支度に取りかかれた。料理の一番のスパイスは愛情だとよく言われるのに、こうして晴れない心のまま作ったご飯は、果たして美味しいのだろうか。
なのはに、全てを話してしまいたい。なにもかも、全部。
それでも俺は、行動に移すとことなど出来ない。その理由なんて、一言では表せない。彼女に嫌われたく無い、そう言った自己保身であったり、彼女達の仲を引き裂いてしまうことが怖かったりと。
いつも自分に言い聞かせるように言い訳ばかりしている。
時計に目を向ける。
短い針も長い針も、どちらもほとんど真下を向いている。そろそろ帰ってくる時間だろう。秒針の刻むリズムは、心臓の鼓動よりも遅くて、1秒1秒が恐ろしいくらいに長く感じる。何度も時計に目を向けても、やはり時間はそんなにたっていない。だと言うのに、どうしても落ち着くことができずに、縋り付くように時計に目を向ける。
何度時計を見たかわからなくなってきたころ、ようやくついに彼女が帰ってきた。待っていたような、待っていなかったような、どちらが答えだったのか俺自身でも分かりはしない。
ドアの軋む音が馴染み深くて、紛れもなくなのはが帰宅したのだと実感させられる。
俺は近づく足音になすすべもなく、ただじっと待っている。いつも通り、普通に「おかえり」と言えるだろうか。
リビングのドアノブが傾いて、優しい音を立てる。
「……おかえり」
「……ただいま」
お互いに気まずさを感じたせいか、ぎこちなさを残しながら言葉が出てくる。
とは言え、なのはの表情から不機嫌であるようにはあまり感じられず、純粋に喧嘩後の微妙な距離感に戸惑っているようだった。
「ヴィヴィオは?」
仕事終わりに疲れた体を伸ばしながらキッチンへ向かう。いつもと同じコーヒーでも飲むのだろう。
「ナカジマさん家で友達と一緒にご飯を食べてくるから遅くなるって」
「そういえばそうか」
続かない会話と微妙な沈黙に落ち着くことができない。手持ち無沙汰のままキッチンにいるなのはに目をやると、棚を漁っていた。
「……あー、コーヒー切れちゃってたから買っといた」
「そうだったんだ、ありがとう」
「いつもの棚じゃなくて、多分足元のビニールにまだ入れっぱなしだった気がする」
「本当だ、あったよ」
「そっか」
そうしてやってくるのは、再びの沈黙だ。
思考の海に潜り、何とか会話のネタを引き上げようとするもどうにもうまく出てこない。
やはり、話してしまうべきなのか。
何度自分に問うてみても、答えや結論はいつまでも出ないままだ。失うものが多すぎる。その代償を払う覚悟ができていない。
コーヒーメーカーがたてる、あぶくの弾ける音だけが部屋に響いている。鈍く、ほんの少しかん高くグラスが擦れたのが聞こえると、夏のしつこい暑さと行き詰まったこの空気をさっぱりさせるかのように冷蔵庫の製氷機をガラガラとかき回す音が聞こえる。
ちょうどピッタリ2個分のグラスに氷が入れられるのもついでに聞こえて、タイミングを見計ったかのようにコーヒーメーカーはピピピと、鳥のさえずりを思わせるような音を立てて完成を迎えた。
沈黙、
俺の分まで入れてくれたのか、とか、完成したコーヒーを注がないのか、とか。
目の前のそんな細かいことに思考回路は支配されていたケイは、カウンターキッチン越しに覗き込む。
目が合って、
そして再び沈黙、
必要以上に強く握られたグラスは、なのはの手の熱で温められ始めて、中の氷が一つ溶け始めている。カラン、と溶けた氷にバランスを崩されて静寂を突き破り、おそらく、それが口を開きかねていたなのはの背を押した。
「ごめんなさい」
完全に虚をつかれた。
「意地を張って、ごめんなさい」
ちゃんと、頭も下げて。
こんな風に、大真面目に誰かに謝られた事なんていつぶりだろう。まったく、なんだ。こんな簡単なことで喧嘩は終わるというのか。自分でもよくわからないというのに、何ヶ月も何ヶ月も重りでも背負っていたように感じられていたのに、ケイは不思議とあっという間に軽くなっていた心で、そんなことを考えた。
だから、椅子を引いて立ち上がる。
ゆっくりと、確かに、堂々と。
それでいて、ここ何ヶ月ぶりかに軽々しい足取りで。
なのはな双眸をしっかりと見つめて、一息。
「ごめんなさい」
一呼吸。
「意地を張って、しかも、先に謝らせて、本当にごめん」
ああ、簡単なことだったんだ。
何度も何度も深く考えてたはずなのに、全部が無駄でアホらしかったんだ。彼女は、何で眩しいんだ。
ーーもう、決心はついた。
俺は、全てを話すんだ。
頭を下げながら、ぐちゃぐちゃになった思考回路が、ゆっくりと解かれていくのを感じる。
こんなにも心優しい彼女を、大好きな彼女を裏切るような真似した自分を、許してくれだとは思はないし言うつもりもない。
それでも、これ以上そんな事はできない。彼女に対してこんなにも不誠実な真似を続ける事はできない。
なのはとの関係も、フェイトさんとの関係も。
どうなるんだろうか、今でもわからない。
でも、きっと、今ここで全てをさらけ出して、ちゃんと謝れば。フェイトさんも呼んで、なのはと、ちゃんとお話をすれば。
優しくて正義感が強くて真っ直ぐで負けず嫌いで、だけれども誰より仲間思いな自分の妻も。
純粋で真面目で少し頭が固いけど、誰よりも失う痛みを知っていて心優しい彼女なら。
きっと分かってくれる。
だから、全部さらけ出して、もう、ただひたすらに謝ろう。また3人で、楽しく笑うために。
これから全てを話すつもりだというのに、驚くほどに心が軽い。軽くなった頭の中のせいか、下げた頭も軽く感じる。
今までのことを全部話して、これからの事についても全部話し合おう。
そう強く、心に決めて頭をあげる。
「なのは、俺、どうしても言わなきゃいけないことが──」
けれども、俺の予想に反して、壊れそうなくらいに、ひどく顔を歪めた高町なのはがそこに居た。
「なのは?」
呆然としている彼女に声をかける。
しかし返事は返ってこない。
「どうした、なんか、俺まずいこと言ってた?」
もう一度、声をかける。
それでも返事は返ってこない。
これでは、彼女に全てを打ち明けられないではないか。予想だにしていなかった展開に、ケイは困惑の表情を見せる。
「どうし──、え?」
さらにもう一度、なのはに声をかけようと顔を覗き込む。
なのはの瞳は、比喩ではなくゆっくりと輝くと、その頬に一筋の涙が流れ落ちた。
その涙に、もう一度困惑する。
「ぅ……けい、く、ん」
「ど、どうしたんだよ、なのは、急に。本当に大丈夫か?」
原因はわからないものの心配の気持ちは体を突き動かして、どうする訳でもなくなのはの方に手を伸ばす。
が、その手は遥か下の方に追いやられた。
「え?」
一瞬遅れて気がつく。
俺の手は、俺の意思で届かなかった訳ではない。ただその右手の甲に残るひりひりとひた痛みと、じんわりと出てくる赤みが、否が応でも伝えてくるのだ。
右手が、なのはの強い拒絶の意思によってはたき落とされたという事実を。
「なん」
「ぁ、そ、その、けいくん、首の」
「首?」
なのはは震える声を絞り出しながら、同じくらいかそれ以上に震える指でこちらの首元を指す。
なんのことだかわからずに、その首をはたき落とされた右手でなぞる。が、やはりそこにはなんの感触もない。
「それって、だって、なんで」
なのはは要領を得ない単語だけを無意味に呟くと、突然足腰の力が抜けたのか、がくりと床に崩れ落ちた。
首、俺の首に一体何があるのだろうか。
彼女がこれほど落ち込むような原因なんて、無いだろう。そもそも彼女が帰ってくるまでは俺はこの家から一歩も出ていないし、何ならフェイトさんが帰ってからは何もしていな──
「くび、って、あれ、フェイト、さん?」
サッと血の気が引くのを感じる。ケイは大慌てになりながら洗面所へと向かい鏡を覗き込む。先程までさすっていた、右の首筋。
そこには、くっきりと、まるで自分の存在を刻み付けるかのように。
フェイト・T・ハラオウンのキスマークが、赤紫色の刻印が、強かに、そして艶麗に刻まれていた。
次話いつになるかわからない……文字書けなくなってきた……
絵はスマホアプリで初心者が書いたにしては頑張ったんだよ!下手くそだけども!