やはり私が先輩に本物を求めるのは間違っていない 作:猫林13世
一人暮らしを初めて一ヶ月弱が過ぎたころ、私の体調はあまり良くない状態になっていた。高校時代にはこのような状態になった覚えはないのだが、やはり一人暮らしの疲れが出てきたのかもしれない。
「はぁ……」
一人暮らしなので体調が悪くても自分でいろいろやらなければいけないのだ。実家暮らしの時はお母さんがいろいろしてくれたけども、こういう時に親のありがたみを知るのか……
「とりあえず温かくして大人しくしてよう」
大学でも結衣先輩に心配されてしまう程、私の体調は悪いようで、もう外出するのも難しくなってきたような気がする。昨日まではそんなつもりは無かったのだけど、やはり自覚すると一気に悪化するのだろうか。
「えっとペットボトルの水は……」
冷蔵庫を開けて水を飲もうとしたのだが、タイミング悪く切らしていた。そう言えば昨日飲み切って今日買ってこようと思っていたんだっけ……
「タイミングが悪いな……仕方ない、水道水で我慢しよう」
普段ならコンビニにでも買いに行こうと思うのだが、この状態ではそれは難しい。私はとりあえず水を飲んでベッドに潜り込み身体を休める。
「結衣先輩には明日は講義休むって連絡しておこう」
明日の講義は一日結衣先輩と同じなので、最悪結衣先輩に講義内容を聞けば何とかなるだろうし……入学して早々に休んだら大変な目に遭うと思ったけど、知り合いがいてくれてよかった……
「ごほごほ……って、何だか咳まで酷くなってきたような気が……」
昨日までは軽く出るなーくらいだったのに、今日はなんだか重症な感じの咳が出る。これっていよいよマズいんじゃ……病院に行った方が良いのかもしれないけど、今は一歩も動きたくない。というか動けない……
「(先輩が助けてくれた嬉しいんだけどな……まっ、そんなことあり得ないだろうけど)」
先輩は今バイトなのかまだ部屋に戻ってきてはいない。昨日は玉縄さんたちが遊びに来ていたらしく、隣の部屋からは男の人の声がたまに聞こえてきていた。もちろん、うるさいと思う程聞こえていたわけではなく、単純に窓を開けて換気をしていた時に聞こえてきただけだ。
「(もしかしたら誘ってもらえるかもって思ったんですけどね)」
あの玉縄さんのことだから、軽い気持ちで誘ってくるかもしれないと思っていたが、最近折本さんと再会して普段のキレがなくなったと、先輩から聞いていたので誘われなくても不思議ではないと思えた。キレとは言ってなかったけど。
「(ダメだ……もういろいろと考えられなくなってきた……)」
目が回っているのか、頭の中がぐわんぐわんとしてきた。これは本格的に調子が悪いんだろうな。
「(こうなることくらい想定しておいて、市販の風邪薬くらい買っておくんだった……)」
なにせ自分の体調不良を自覚したのが今日なのだから、薬などない。大学の帰りに買ってくればよかったのだが、そんなことを考えられる状況ではなかったのだ。なにせ、買い置きの水の補充すら忘れているのだから、普段縁のない薬のことなど考えられるはずもない。
「(このまま死んじゃうのかな……)」
体調不良になると思考がネガティブになるとは聞いていたけど、まさか私がこんなことを考えるようになるとは……とりあえず布団にもぐって明日の朝体調が良くなっていることを願うしかないですね。
体調不良の現実から逃げるように寝たのだが、朝目を覚ましてその現実に打ちひしがれる。残念なことに、一晩寝た程度で治るような状態ではなかったようだ。
「うぅ、頭痛い……」
寝る前は感じなかった頭痛に襲われ、私は思わずそう呟いた。これはお母さんにこっちに来てもらって看病してもらうしかないんじゃないだろうか……
「(結衣先輩じゃ看病というかトドメになりそうだし。そもそもこの部屋のこと教えてないし)」
かといってお母さんだって気軽に来られる距離ではない。お父さんのことを放っておいて私のことをしてもらうのも悪いし、そもそも一人暮らしを初めてまだ一ヶ月だ。親を頼るのはなんだか気が引ける。
「とりあえず病院に行った方が良いよね……」
タクシーでも呼んで病院まで行けば何とかなると考えたが、それを行動に移すまでの気力が無い。さっきから咳も出て苦しいし、これは本当に死んじゃうかもしれない……
「助けて、先輩……」
隣の部屋にいるであろう先輩の姿を思い浮かべて、私は思わずそう零した。もちろん先輩に聞こえるような声量ではないし、忙しい先輩が今部屋にいるかどうかも怪しい。
「とりあえず水飲んで病院に――」
『一色、大丈夫か?』
「えっ?」
体調が悪くて幻聴でも聞こえたのかと思ったが、今のは間違いなく先輩の声。ダルイ身体を引きずるようにして玄関の覗き窓から外を見ると、眼鏡を掛けた先輩が心配そうに扉の前に立っているではないか。
「ど、どうかしたんですか?」
「いや、昨日から隣の部屋で咳き込んでるのが聞こえてたから、もしかしたら体調を崩したんじゃないかと思ってな」
どうやら私の咳は先輩に聞かれていたようだ。そこまで咳き込んだ覚えはないのだが、どうやら私が思ってる以上に咳き込んでいたようだった。
「それで、先輩は弱ってる私にひどいことをするつもりなんですか?」
「何でそうなるんだよ……ひょっとして薬が無くて苦しんでるんじゃないかと思って薬局で買ってきてやったのに、どうやらいらないようだな」
「欲しいです! ごほっ、鍵開けるのでちょっとまってください」
大声を出したので頭が更に痛くなり、咳き込んでしまったけども、そんなことを気にする余裕もないくらい、先輩の申し出がありがたかった。
「お前、本当に大丈夫か?」
「な、何がですか?」
扉を開けてすぐ、先輩は私から視線を逸らした。何故そんなことをしたのだろうと思い、私は自分の格好を改めて確認すると――
「うわっ……」
汗でシャツが透けそうになっており、ボタンも外れてブラがちらりと見えていた。
「先輩のエッチ」
「そうやってあざといことを言える余裕はあるんだな」
「割と本心です……というか、あざとくないですから」
「はいはい。とりあえずこれ、薬と水、後はゼリーとか簡単に胃に入れられるものを買っておいたから」
「いくらですか?」
さすがに先輩に奢ってもらうわけにはいかないので、私は財布を取りに部屋の中に戻ろうとして――
「あれ?」
「一色っ!」
――次の瞬間には先輩に抱き留められていた。やっぱり先輩は風邪ひいた私にエッチなことをするつもりだったんだ……
「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ! 具合悪いなら無理するな」
「え?」
先輩に怒られて改めて自分の状況を確認すると、どうやら足をもつれさせて転びそうになったのを先輩が抱き留めてくれたようだ。
「というか、その状態じゃ昨日から何も食べて無さそうだな」
「あはは……自分の体調がここまで悪くなってるなんて思ってなかったものでして」
「生活環境が変わって、自分でも気づかない疲労が溜まってたんだろ。前に材木座も風邪をひいて似たようなこと言っていたからな」
「あの人と一緒はなんだか嫌ですね……」
せめて戸塚先輩と一緒とか、先輩と一緒なら素直に受け入れられたんでしょうけども。
「少し大人しくしてろ」
そう言い残して先輩は自分の部屋に戻っていき、三十分も経たないでまた私の部屋に戻ってきた。今度は外から声をかけることなく、あまりにも自然に。
「ほら、おかゆ作ってきたから、これ喰って薬飲んで寝てろ」
「あっ、ありがとうございます……」
まさか妄想していたことが実際に起こるとは……先輩に看病してもらえたらとは思ってたけど、本当にこうなるとどう反応して良いか分からないですね。
「? 俺の顔に何かついてるか?」
「いえ。もう何度か見たことありますが、眼鏡姿の先輩は見慣れないなーって」
「そんなことを考える余裕は戻ってきたようだな」
「先輩のお陰です。あっ、食べさせてもらってもいいですか? 手を動かすのもダルイんですよ」
これは嘘ではなく事実だ。ただおかゆを食べるという動作ですら、今の私には重労働に感じられてしまう。先輩は私の目をジッと見つめて、嘘を吐いているわけではないと判断したのか、ため息を吐いて頭を掻いてからおかゆを掬って私の前に運んでくれた。
「ほら」
「ま、まさか本当にやってくれるとは思いませんでした」
「冷ますのくらいは自分でやれ」
「分かってますよー」
息を吹きかけておかゆを冷ましてから、私は口を開けて待つ。先輩は一瞬固まったが、私が「あーん」してもらうのを待っていると理解して、もう一度ため息を吐いてから口の中に運んでくれた。
「味がしない……」
「味覚が麻痺してるんだろうな。まぁ、薄味で作ったから感じなくても仕方ないかもしれないが」
とりあえず先輩が作ってくれたおかゆを完食し、先輩が買ってくれた風邪薬を飲んで、私はもう一度ベッドに潜り込んで休むことにした。まさか先輩が「あーん」してくれるだなんて思ってなかったから、風邪とは違う理由で顔が熱くなった気がしますね。
弱ってる時くらいは素直に甘えましょう