やはり私が先輩に本物を求めるのは間違っていない 作:猫林13世
それなりに忙しい日々を送っていたら、あっという間に世間は夏休みムードが漂い始めていた。去年の夏は何もなかったけど、今年は先輩と付き合って初めての夏休み。どこかに遊びに行きたいところだが、私の体質と先輩のスケジュールを考えると、遠出は難しいだろう。かといって何もしないでいるのも負けた気分になる。
そんなことを考えながら講義を受けていたので、私のノートは真っ白に近い。夏休みの前に試験やレポートがあるというのに、こんなのでは単位はもらえないだろう。
「結衣先輩、後でノート貸してください」
「良いけど、いろはちゃん考え事でもしてたの?」
「ちょっとだけですけど」
結衣先輩と同じ講義だったので何とかなったが、これが知り合いのいない講義だったら絶望的だっただろう。これからは気を付けて考え事をしなければ。
「結衣先輩は夏休み、何処か行くんですか?」
「千葉に帰るくらいしか予定はないかな。後はバイトをしなきゃいけないし」
「結衣先輩って短期バイトばかりで長期バイトしませんよね。どうしてですか?」
結衣先輩のことだから、長期的に働けないということはないだろう。むしろこの容姿だから店的には結衣先輩を餌に客を確保したいと考えるだろう。結衣先輩はそういった悪意に鈍感なところがあるから、そういう意図を感じ取って長期を断っているということはないだろう。
それ以外の理由を考えるとしたら、結衣先輩の頭が原因なのだろうか。単位を落としたとは聞かないけど、どれも結構ギリギリだったらしいし、バイトに時間を使う余裕が長期休暇くらいしかないから、長くても二ヵ月とかなのかもしれない。
「一回バイトしてたらナンパされてね。そのことをパパとママに話したら、パパが仕送り増やすからバイトするなって怒っちゃって……でも仕送りだけに頼るのもアレだから、短期バイトならいいってママがパパを説得してくれたんだ」
「なるほど……」
どこの家も父親は娘に対して過保護だった。私の父も、私が男たちに襲われそうになったと知っていたら、今頃私は一人暮らしが出来なくなっているだろう。母には話してはいるけど、父にはその話が行っていない。母も父がそんなことを知れば私を実家に連れ戻すだろうと思って話さないでいてくれているのだ。
もしかしたら母も私を実家に連れ戻した方が安全だと思っているのかもしれないけど、私の部屋の隣に頼りになる先輩が生活していると知っていたから、ギリギリのところで見逃してくれていたのかもしれない。その先輩は今、私の彼氏だということも、母にはお見通しだったが。
「いろはちゃんみたいに女性客ばかりのところだったり、裏方仕事なら大丈夫かなって思って相談したこともあるんだけど、やっぱりダメでね……だから長期休暇の時にバイトするだけになってるんだよね」
「バイト先も結衣先輩なら長く働いてほしいと思うですけどね」
能力云々は分からないけど、容姿や性格的にいてほしくないとは思われないだろう。本人がそれを自覚していないからこそいいのだろう。もし結衣先輩が計算して自分の容姿を使いだしたら、それは悪女と言われる類になってしまう。
私のような腹黒ではないからそんな心配はしなくても良いのかもしれないけど、結衣先輩が本気を出したら男性の大半はその誘いに乗りそうだ。先輩はそんな心配しなくても大丈夫だと今のところは言い切れる。何せ私の目の前で結衣先輩をフッたのだから。
「そういえばこの間入ったお店で彩ちゃんが働いてたんだよね」
「戸塚先輩が?」
「うん。ちょっとだけお話ししたんだけど、サークルの後輩の紹介で働き始めたらしいよ」
「戸塚先輩が働いてるのは、ちょっと想像しにくいですね」
先輩以上に、戸塚先輩が働いてる姿は想像できない。こういっちゃ失礼かもしれないが、あの人は働かなくても生きていけそうなイメージがあったから……
「コンビニの仕事なら私も出来るかな」
「意外と忙しいので、誰でもできるわけじゃないですよ? 力仕事とかもありますし、それこそ酔っ払いとか絡んでくる人もいるでしょうし」
「そうだよね……」
戸塚先輩目当てで通ってる男性客がいるかもしれないし、結衣先輩がレジをやっていたら、それ目当てで男性客が増えるだろう。中には結衣先輩を狙う不届き者が――などという展開が容易に想像できる。
そもそも結衣先輩が接客業なんてしたら、勘違い男が続出してしまうだろう。この人はパーソナルスペースが普通の人より狭いので、不快に感じる人もいれば、もしかしたらと勘違いする人もいるのだ。まして結衣先輩が近づいてきたら、あの大きな膨らみが当たりそうになるし。
「いろはちゃん?」
「いえ、結衣先輩も大変だなと思いまして」
「ほんとだよ。パパが過保護すぎて好きにバイトもできないんだから」
「いえ、そういった意味ではなかったんですけど」
「?」
結衣先輩は理解していなかったが、大きければ良いってわけでもないんだなと、かつて結衣先輩の胸に嫉妬していた雪乃先輩を思い出し、私は二人の間くらいで良かったと自分の胸に視線を落としたのだった。
結衣先輩とそんな話をしていた日の翌日、私はバイト先で先輩バイトとそのことを話していた。
「その子も大変ね。ウチの親は『さっさと働け! 自立しろ!』って大学時代から五月蠅かったのに」
「そういう家もあるんですね」
「いやぁ、私があまりにも自堕落だったってのもあるんだろうけどね。普通の家はあそこまで厳しくないと思うけど。もちろん、一色さんの知り合いの家みたいに、過保護すぎるのもアレだろうけど」
先輩バイトは学生時代は自堕落だったようで、実家から追い出されそうになっていたのか。今は一人暮らしだからそんなことはないのだろうけど、きっと家事を何もしていなかったんだろうな……
「その知り合いの人、うちの店なら働けるんじゃない? 男性スタッフも少ないし、男性客もそれほど多くないから」
「そう思ったんですけど、結衣先輩がここで働きだしたら男性客が増えるんじゃないかと思うんですよね。ほら、先輩が働いてた時、それ目当てで女性客が増えたみたいに」
「比企谷君、めったにホールに出てこなかったのに、確かに女性客増えたよね。その後は普通に常連になってくれた人もいるけど」
「結衣先輩が働くなら絶対にホールでしょうから、結衣先輩が出勤の日は男性客だらけになるかもしれません。そうなると私が働けなくなってしまいます。だから誘うのは止めておきました」
「一色さん、まだ男性客の相手はできないもんね。彼氏いるのに」
言葉だけ取れば嫌味を言われているような感じではあるが、先輩バイトは本気で私の体質を心配してくれている。だからではないが、男性客が来たときは私に奥に下がるようすぐ言ってくれるのだ。
「まぁ、比企谷君なら一色さんが警戒しないのも頷けるから、一色さんが彼を彼氏にしたのも納得だよ」
「どういうことですか?」
「ほら、比企谷君ってがつがつしてないでしょ? 異性にだけじゃなく、他人にあまり興味がないっていう感じのタイプだったから、一色さんが警戒しなくても疑問じゃなかったし。その体質になる前からの知り合いってだけじゃない感じもあったから」
「まぁ、あの人は他人に興味ないってのはあってますけど」
「あーあ、私も高校時代にカッコいい先輩に粘着してれば、今頃彼氏がいたのかしら」
「言い方どうにかなりませんかね……」
確かに私は先輩に粘着していた。だが自分でそう思うのと、他人にそう言われるのでは感じ方に違いがあるのだ。不快とはいかなくても、なんとなく腹が立ったりするものだ。
「とりあえず、一色さんの知り合いがこの店で働くことはないのね。ということは、人手不足はまだ続くのか」
「そうは言っても、忙しい時間帯とそうじゃない時間帯の落差が激しいので、トータルしたら忙しくないんですけどね、このお店」
「そうは言っても、人手不足には違いないんだし、一人くらい増やしてほしいわよ」
「ですね」
人員補充を願いながら、私は残りの時間必死に働いたのだった。
人には人の事情があるんです