やはり私が先輩に本物を求めるのは間違っていない 作:猫林13世
比企谷家が近づくにつれて私は徐々に歩幅が狭くなってきている。それに気づいて先輩も歩幅を狭くしてくれているが、小町さんは普段通りの歩幅なので段々と小町さんとの距離が開いてきている。
「小町、ちょっと待ってくれ」
「どうしたの? って、お兄ちゃんたち随分と後ろにいたね」
「実の息子だが、親父殿やお袋殿とあまり顔を合わせてないからな。ちょっと緊張してるのかもしれない」
「お兄ちゃんは実家にいた時からあんまり話してなかったもんね。いっつも小町と話してばっかだったし」
「そもそも殆ど家にいなかった二人が悪いだろ」
比企谷家の事情は私もなんとなく知っていたし、先輩が両親にあまり期待されていないということも聞いていた。それでも両親と殆ど話さないというのはにわかに信じがたい。だが二人の会話を聞いている限りではあるが、そのことが誇張とかではなく真実だと思えてくる。
「お兄ちゃんが入学早々道路に飛び出して入院なんてしなかったら、お母さんたちだってもう少しお兄ちゃんに興味を持ってたと思うけどね」
「はいはい、どうせ俺が悪いですよ」
先輩が道路に飛び出した理由は聞いているので一概に先輩が悪いとは思えない。もしあの時の先輩が道路に飛び出していなかったら結衣先輩の飼い犬は雪乃先輩が乗っていた車に轢かれていた。そうなるとあの二人がかけがえのない友人になる未来など訪れなかっただろう。そう考えれば先輩がした無茶は意味があったのだろうが、ご両親からしてみたら自分の息子が道路に飛び出して車に轢かれたなんて受け入れがたいことなのかもしれない。ましてや高校入学初日にだ。先輩に対して少し冷たくなってしまうのも解らなくはない。
「てか、緊張してるのはお兄ちゃんじゃなくていろは先輩ですよね?」
「っ!?」
「お前な、そういうのは気づいていても言わないのが大人の女だぞ?」
「小町はまだまだ子供なので言うんです」
どうやら小町さんにも私が緊張していたことはバレバレだったようで、せっかくの先輩の気遣いも無意味だったようだ。それでも先輩が私のことを気にかけてくれたことが嬉しく、それだけで少しは緊張が解れてきた。
「うじうじしてても仕方ありませんし先輩、早いところ先輩の実家に行ってさっさと帰りましょう」
「そうしたいのは山々だが、二人がいろはのことを簡単に解放してくれるか分からないぞ。あの社畜二人がわざわざ時間を作ってまで会おうとしてるからな。下手をすれば俺一人を追い返していろはに質問攻めするまである」
「何それ怖い……」
先輩が言いだした冗談が冗談に聞こえなくて、私は再び歩幅が狭くなりそうな気持に陥る。一度顔合わせしているとはいえ、私にとっては先輩の両親というだけで緊張する対象になる相手だ。その二人を相手に先輩抜きで質問攻めにあうなんて耐えがたいことだ。
「まぁ二人とも明日講義があるから夜遅くまで拘束することはないと思うよ」
「どうだろうな。俺は兎も角いろはは小町の服でも着れば何とかなるとか言い出しそうだ」
「……私といろは先輩とでは一部のサイズが違うから無理だと思うよ」
私だってそこまで大きくはないが、小町さんはどちらかというと雪乃先輩に近いサイズなのでという意味だろう。先輩もそんな見え見えの地雷を踏むことはなくこの話題は終了した。
「うだうだ言っている間に到着したな」
「小町は帰ってきただけだけどね」
「うぅ……こんな格好で良かったのだろうか」
今になって自分の服装が不安になってきたが、ここから着替えに帰るのは不可能。私は覚悟を決めて先輩の手を少し強めに握った。それが合図だと分かってくれた先輩と一緒に比企谷家の敷居を跨いだのだった。
結論から言えば、私の緊張過多だったの一言だ。先輩のご両親は私に対してそこまで質問してくることはなく、むしろ先輩に対して質問していることの方が多かった。先輩も意外だったようで少し面食らっていたが、そこは血縁者だけあって冷静に対処していた。私に対しては申し訳ない程度の質問と、先輩の何処がいいのかという答えにくい質問くらいしかなかった。
「――とりあえず八幡が騙して付き合ってるとかじゃないってことは分かった」
「俺にそんな話術があるわけないだろ。そんな話術があるなら今頃どっかの金持ち女のヒモになってるって」
「お前ならありえそうだ」
先輩の冗談を真に受けたのか、お父さんは楽しそうに笑っているがお母さんは顔を顰めている。恐らく高校時代の先輩ならありえたのかもしれないと思ったのだろう。実際先輩の高校時代の夢は専業主夫。養ってくれる女性を探しているのかもと本気で心配していたのかもしれない。
「とりあえずお兄ちゃんが無理矢理とかそういうのではないって信じてくれたでしょ? てか、一回会ってるんだから今更そんなこと疑ってるなんて、小町からしてみたら二人の方が信じられないって」
「だってあの八幡だぞ? 怠惰が服を着て生活してるようなあの八幡に彼女が出来たなんて、にわかには信じられないだろ」
「失礼だな。怠惰だけじゃなくて自堕落、不真面目、屁理屈だってあっただろ」
「ゴミいちゃん、威張って言うことじゃないよ」
小町さんの毒に先輩は肩を竦める。確かに威張って言うことではないが、お父さんの言葉も息子に言うものではないと思う。まぁ、それだけ先輩がご両親に期待されていなかったという現れなのかもしれないが。
「とりあえずいろはさん」
「は、はい」
「こんな息子だけどもこれからもよろしくお願いします」
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
お母さんから頭を下げられ、私も慌てて頭を下げる。その光景が面白かったのか小町さんの笑い声が聞こえてきたが、今の私に小町さんへ意識を割いている余裕はない。
「だいたい心配し過ぎなんだよ。普段は興味ない癖にこんな時だけ呼びつけて」
「あんたは無鉄砲が過ぎるから心配なんだよ。高校時代のあれだって、もう少し考えていればどうにかなっただろ」
「そんな時間的余裕なんてなかったって何度言えば分かるんだよ。とりあえず犬を助けるってことしかあの時頭になかったんだって」
「その結果が一ヶ月の入院じゃ笑えないって何度も言っただろ。その後もいろいろとやらかしてたらしいけど、どうしてあんたは自分自身を顧みないのかね」
「悪かったって」
旗色が悪いと判断したのか、先輩はあっさりとお母さんに頭を下げている。やり取りを聞く限りだが、この問答は初めてではないようだ。先輩はご両親に興味を持たれていないと言っているが、ご両親はしっかりと先輩のことを見てくれているらしい。
「もう用事は済んだな? いろは、帰るぞ」
「もう少しゆっくりしていったらどうなんだ? お前だって久しぶりの実家だろ?」
「久しぶりって程久しぶりでもないだろ。前回は殆ど顔合わせもなかったが泊まったんだから」
「そうそう。二人を呼びつけておいて五分も会ってないなんて、流石の小町も驚きだよ」
「仕方ないだろ。急な仕事が入ったんだから」
今度はご両親の方が旗色が悪いと判断したようであっさりと解放してくれた。私的にはありがたいことだし、先輩に手を引いてもらえるのはとても安心する。だがご両親の前で私の手を取るなんて、私が知っている先輩ではないような気がして少し難しい感情が芽生えてくる。
「小町、二人を駅まで送っておいで」
「任せて」
「別に送ってもらう必要なんてないんだがな」
「小町がもう少し二人といたいだけだから気にしなくていいんだよ。それじゃあお母さん、行ってきます」
ご両親からは解放されたが小町さんからはまだ解放されないようだ。苦手意識というものではないのかもしれないが、先輩の妹ということでやはり緊張の対象ではあるのだ。帰り道も少しは緊張しなければいけないのかと思うと、早いところ電車に乗り込みたいと思えてくる。不特定多数の男性がいる可能性を考えれば、小町さんを相手にしている方がはるかにいいというのに……
とりあえず信頼はあるようだ