やはり私が先輩に本物を求めるのは間違っていない 作:猫林13世
戸塚先輩、結衣先輩、小町さんと先輩をそっちのけで会話を楽しんでいるので私は先輩を三人から少し離れた場所へ引っ張る。抵抗しようとすれば簡単に抵抗できるであろう体格差なのだが、先輩は抵抗することなく私に引っ張られてくれた。
「どうして抵抗しなかったんですか?」
「そんなことを聞く為に引っ張ったわけじゃないだろ?」
私が何を聞きたいのかは分からないが、抵抗しなかったことを確認してる暇はないんじゃないかと言外に忠告してくれている。今日は先輩の誕生日なのだから、何時までの主役そっちのけで三人が盛り上がっているとは考えにくい。これが小町さんと結衣先輩の二人ならありえなくもないのだが、今日は戸塚先輩もいるのでありえないだろう。
「さっき思いっきり甘えても良いって言ってくれましたよね?」
「そんなことを言った覚えはないが」
「なんとなくそんな感じなことを言ったじゃないですか!」
本当は今くらいなら我慢しなくても良いというニュアンスだったのだが、私はあえて語彙の拡大解釈をしているのだ。自分でも強引だと分かってはいるのだがどうしても甘えたい日だってあるから、先輩から言質を取ろうとしているのである。
「甘えたいのか?」
「そりゃたまには甘えたりしたいですよ。付き合ってもう半年くらいにはなるのに、未だに進展らしい進展はないわけですし」
私からしたら先輩の両親に挨拶したりしていろいろと進展しているのだが、そういう進展をしたかったわけではない。私たちは大学生で子供ではないのだから、そう言ったことを期待しても良いんじゃないかという雰囲気にだってなったこともある。だが何もなくそのままの日常が続いているのだ。
「先輩と二人きりになれる時間も限られてきてますし、二人きりになれたとしても先輩はバイトとか勉強とかで忙しそうにしてるわけでそういう雰囲気にはならないですし」
「この間一緒に寝ただろうが」
「あれは私が勝手に先輩のベッドに入り込んだだけじゃないですか」
先日どうしても先輩に甘えたくなって勝手に部屋に忍び込んで勝手にベッドに入り込んだことがあった。普通なら通報されてもおかしくはない行動だが、チェーンロックをしていなかった先輩が悪いという理屈でどうにか許してもらったのだが、夜中に彼女がベッドに入り込んできたというのにこの人は手を出すどころか呆れ顔で私を一瞥した後素直にベッドに招き入れて寝たのだ。本当にただ寝ただけで終わったのだ。
曰く理性の化け物とはよく言ったものだと、その時はこの人の異名を恨めしく思った反面、浮気の心配とかはしなくても良いと再確認できた。だがそんなことがしたかったわけではないので、後日もう一度忍び込もうと画策しているのだが、二度目もスルーされたら立ち直れなさそうなので実行には至っていない。
「キスだって極稀にしかしてくれないですし」
「そんなに頻繁にすることでもないだろ」
「一番手っ取り早い愛情表現じゃないですか」
「言い方が悪くないか? そもそもいろはは頻繁にしたいのか? 唇が荒れるとかなんとか言って逃げてたのはいろはだろ?」
「それは……」
初めてキスをした後、なんとなくそんな雰囲気になった時に使った逃げ言葉だ。本当はただ恥ずかしかっただけなのだが、その時の自分が今になって恨めしくなる。
「お兄ちゃん、さっきから二人で何をしてるの?」
「別に。それで、何か用か?」
「今日結衣さんの部屋に泊まるから、お母さんたちを説得するの手伝ってよ」
「なんで俺が……自分で説得すればいいだろ」
「それができるならお兄ちゃんに頼んだりしないって。お母さんは兎も角お父さんは絶対にダメって言うだろうから」
「親父殿ならありえそうだな」
私が何かを答える前に小町さんに先輩を連れていかれてしまった。私はいったい何を求めて、なんて答えればよかったのだろうか。そんなことを考えながら、私は大人しく元の場所に腰を下ろしてただただ他の人の会話を聞いていたのだった。
自分の部屋に戻り、先輩の部屋で小町さんがご両親の説得をしている電話を聞きながらベッドに潜り込む。本当なら先輩の部屋に泊まりたかったのだが、小町さんの説得が難航しているようで未だに二人きりになれないので一度部屋に戻ったのだが、何時まで経っても小町さんがあの部屋から出ていく様子がないのだ。
「(やっぱりどこの家も娘に対する父親って言うのは面倒なんだなぁ……)」
私の父親も結構過保護だと思っていたが、小町さんに対するそれは私とは比べ物にならない。どうして同じ子供だというのに先輩と小町さんとでここまで対応が違うのか。それは単純に性別の違いなのだろうか。
「(高校時代から先輩は両親に期待されていないって言ってたし、それもあるんだろうな)」
先輩が期待できないからこそ小町さんに過度の期待を向けている。以前小町さんがそんな風にぼやいていたのを思い出し、少しくらいは小町さんに同情する。先輩が怠惰だったお陰で私は先輩を連れまわすことが出来たし、小町さんが期待されているからこそ、先輩の彼女というハードルは高くなかったのだろう。
『それじゃあお兄ちゃん、何とか説得できたから私は結衣さんの部屋に行くね』
『まさかここまで親父殿が反対するとはな。由比ヶ浜のことは知ってるんだろ?』
『知ってるはずなんだけどね。何度も男の部屋じゃないのかって五月蠅かったね』
どうやら小町さんが男の部屋に外泊するんじゃないかと邪推してこんなに時間が掛かってしまったようだ。先輩も加わってなんとか説得でき、これから結衣先輩の部屋に向かうらしい。
『送っていくか?』
『うーん、まだ平気じゃない? 一応まだ日付は変わってないし』
『そっか。じゃあおやすみ』
戸塚先輩と結衣先輩は先に先輩の部屋から帰っているし、小町さんも漸く結衣先輩の部屋に向かうことが出来るようで、今先輩の部屋には先輩一人だけ。私はベッドから抜け出し先輩の部屋に戻る。
「やっと帰りましたね」
「当たり前のように入ってくるなお前は……どっちにしろそろそろ家に帰るか由比ヶ浜の部屋に向かうかになっただろうから一人にはなってただろうがな」
「小町さんがお父さんを説得し終えるのを待ってたら結衣先輩も大変だったかもしれませんね」
「そもそも由比ヶ浜本人がこの場にいた方がもっと早く説得できたと思うんだがな……」
確かに結衣先輩がいれば男ではなく女性の部屋だということがもっと早く証明できただろう。だが結衣先輩は小町さんを部屋に招く為に掃除しなければと先に帰ってしまったのだ。以前結衣先輩の部屋でお泊り会をした時も、大慌てで掃除したとかなんとか言っていたような気がするし、普段はあまり綺麗ではないのだろう。
「それで、わざわざこっちに戻ってきた理由は?」
「さっきの続きです。私はもう少し先輩と恋人らしいことをしたいです。前は恥ずかしくて誤魔化しましたけども、今は違います」
「まぁ、いろはがそういう秋波を送ってきているのは感じていたが、あえて気づかないふりをしていたのも事実だ」
「酷い彼氏ですね。彼女が求めているんだから、彼氏として応えるべきじゃないんですか?」
秋波という言葉が一瞬理解できなかったけど、文脈からなんとなくの意味は分かったのでそのままにしておく。一応文学部だろとツッコまれる可能性もあったので下手なことは言わないのが得策だ。
「それで、いろははキスがしたくて部屋に来たと?」
「情緒! もう少し情緒を考えてくださいよ」
先輩にそんなものを求めても仕方がないとは分かっているが、こんな感じにキスされても嬉しくもなんともない。やっつけ感満載でされても違うのだ。
「そんなこと言われてもな……俺が経験豊富だと思ってるのか?」
「思ってませんけど、なんとなく分かるじゃないですか」
「そう言われてもなぁ……」
とりあえず善処すると言ってもらえたので、今日のところはこれで許してやろう。そう思ったタイミングで私の視界は先輩の顔でいっぱいになる。キスされたのだと理解したのは、先輩が離れてから少し時間が経ってからだった。
近いうちに最終回にしたい