やはり私が先輩に本物を求めるのは間違っていない 作:猫林13世
あの日以降、先輩には割と甘えられていると思う。私が求めればたいていの場合キスをしてくれるし、二人きりの時間も確保してくれている。毎回応えてくれていない理由として、キスで止まらない可能性がある状況だったりするからで、決して先輩が私を拒否しているとかそういうことではない。
「そういえば先輩」
「なんだ後輩」
「その呼び方はダメです」
自分のことは棚に上げておいて私は先輩の冗談を軽く流す。何時まで経っても名前呼びが出来ない私は先輩にどう思われているのだろう。
「それで、なんだ」
「大学で聞いた話なんですけど」
そう前置きしてから私は少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら続きを話す。
「小町さんに彼氏が出来るかもしれないって」
「小町に?」
「なんだか最近小町さんといい雰囲気の男子がいるらしいんですよ」
「まぁ小町も年頃だから彼氏が出来ても不思議ではないだろうな。まぁ、親父殿が発狂して大学に乗り込むとかしそうだけど」
「先輩もじゃないんですか? 先輩って自他ともに認めるシスコンですし」
最近はそこまででもないが、先輩はシスコンを自称しているくらい小町さんのことを溺愛している。その小町さんに彼氏が出来るとなれば少しくらいは動揺するのではないか、そう思っていたのだが――
「小町に彼氏が出来ればいろはも少しは解放されるだろ? こっちに構って藪蛇になる可能性が出てくるからうかつにからかえなくなるわけだし」
――先輩は小町さんより私のことを考えてくれているようだった。彼氏としてはそれが正しいのだけども、あの先輩が小町さんよりも私のことを思ってくれていることがこの上なく嬉しい。高校時代だったらまずありえなかったことだろう。
「それで、どんな男子なんだ?」
「他大学の人らしいんですけど、中世的で物腰が柔らかそうだって噂ですよ」
「……戸塚じゃないのか? この間小町とばったり会ったって聞いたぞ」
「……確かに戸塚先輩の特徴と一致しますね。小町さんとも面識があるので親しく話していたとしても不思議ではないですし」
事情を知らない人が見ればいい雰囲気に見えたのかもしれないけど、小町さんと戸塚先輩は普通にお友達のような感じだ。普通なら高校の先輩を友達なんて思わないんだろうけども、そこは小町さんだからで納得できるだろう。
「まぁ戸塚と小町なら俺も安心して親父殿に説明できるだろうけどな」
「先輩が荒んでた時からの友達ですもんね」
「別に荒んでねぇからな?」
やる気がなかっただけで確かに荒んではいなかった。だが先輩の高校時代を簡単に表現しようとしたら『荒んでいた』と言うのが一番簡単だろう。事情を知る人が聞けば指摘されるだろうけども、先輩の上辺だけしか知らない人ならそれで納得してくれるだろう。
先輩は自分が泥を被ることで問題が解消するならそれでいいというスタンスだっただけで、決して荒んでいたわけではないということは私だって分かっている。だがからかうのにちょうどいい表現が思い浮かばなかったので使っただけだ。
「てか、戸塚先輩なら選び放題じゃないんですか? 高校時代とは違って今は大人の色気? みたいなものも出てきてますし」
「まぁ戸塚と普通に話す女子って多くないからな。大抵は緊張してたりあからさまに興奮してたりするから、小町みたいに友達感覚で話す女子って後は由比ヶ浜くらいか?」
「私は一応敬語使いますし」
戸塚先輩は先輩と違ってしっかりと敬っているので敬語を使うし、先輩みたいなノリで話せる相手ではないので私が戸塚先輩と話しているところを見られても浮気を疑われることはないだろう。だが小町さんは割と軽いノリで戸塚先輩と話すことがあるので、そこを見られたら確かに付き合っていると疑われるかもしれない。
「とりあえず小町に彼氏が出来るのはまだ当分先だろうな」
「お兄ちゃんとしては安心ですか?」
「どうだろうな。小町に彼氏が出来ればこっちに構ってくる回数が減るだろうから、俺ももう少し集中して勉強できるだろうし」
「先輩、私がいても気にせず勉強してるじゃないですか。小町さんがいても問題ないんじゃないんですか?」
「そんなことないだろ。少なくとも無視したりはしてないだろ」
「それはそうですけど」
キス以上を求めても応えてくれないので不貞腐れている時は思いっきり無視されるが、それ以外では無視されることは確かにない。それにこうして雑談の相手をしてくれるくらいには余裕があるのだろう。それくらい先輩は勉強の密度が濃いのかもしれない。
「とりあえず今日のところは大人しくしてます」
「自分の部屋に帰るって選択肢はないのか、お前は」
「良いじゃないですか。最近は殆ど一緒に寝てるんですから」
そうなのだ。あの日以降私は甘えることを我慢することを止め、こうして半同棲みたいな感じで先輩の部屋で生活している。もちろんそれ以上を願ってはいるのだがまだ応えてもらったことはない。先輩が野獣になることはないと分かっているからこそ、安心して一緒のベッドで寝られるのだ。これが他の男子だったら――
「いろは?」
「な、何でもないです」
――自分の男性恐怖症がまだ治っていないことを再認識して、私は先輩を残して一人でお風呂に入ることにしたのだった。
数日後に小町さんに噂の真相を聞けるタイミングがあったので確かめたが、やはり特別な相手が出来たわけではなく戸塚先輩と構外で会ったところを目撃され誤解されたようだった。
「まぁ彩ちゃん相手なら普通の女子は緊張しちゃうかもね」
「戸塚先輩ですからねー。でも意外とノリがいいですし、私が気さくに話しかけても気にする様子はないんですけどね」
「それは小町さんだからできる芸当だと思いますよ? 私が同じようにしようとしたってできないでしょうし」
そもそも小町さんのようなノリで話すことなどできない。猫を被っていた時なら兎も角最近は素の私で話すことの方が圧倒的に多いので、自分がどんな風に猫を被っていたのか思い出せないまである。だから戸塚先輩に小町さんみたいに話すなんてできないだろうな。
「ところでいろは先輩」
「何です?」
「最近兄とはどうなんですか? 甘々新婚生活してるらしいですけど」
「えっ!? ヒッキーといろはちゃんいつの間に結婚したの!?」
「してませんよ。最近は先輩の部屋に泊まってるってだけです」
小町さんの爆弾発言に結衣先輩がまんまと引っかかる。新婚生活と称するには全然雰囲気が足りていないし、そもそも甘々でもない。単純に私が勝手に先輩の部屋に入り浸り、勝手に先輩のベッドで寝ているだけなのだから。もちろん、先輩も同じベッドに入ってくるので、捉えようによっては甘い空間なのかもしれないが。
「最近は私もお兄ちゃんの部屋に行ってないから知らなかったですけど、そんな感じなってるんですね」
「先輩の誕生日パーティーの日以降、甘えることを我慢しないようにしてるんです」
「そうなんですか? 以前からいろは先輩ってお兄ちゃんに甘えまくってたと思うんですけど。高校時代の生徒会の仕事だったり無理難題が降り注いだ時って大抵お兄ちゃんを使ってたらしいですし」
「まぁヒッキーもいろはちゃんには甘かったからね」
周りの人から良く言われていたが、先輩は私に甘かったらしい。私からしたらもう少し甘やかしてくれても良かったんじゃないかと思っているのだが、小町さんや結衣先輩の評価は違うらしい。
「だって私が頼んでもヒッキーは応えてくれなかったりしてたけど、いろはちゃんの場合は文句言いながらも手伝ってたしね」
「そもそもお兄ちゃんが誰かの手伝いをするなんて信じられなかった時にいろは先輩のお手伝いをしてたわけですからね。そりゃ甘やかしすぎだって言われてもおかしくはないですって」
「そんなものですか? 私としては妹扱いされてるみたいで嫌だったんですけどね」
「小町にはあんなに優しくなかったですよ」
先輩が妹扱いしてないと言っていたように、どうやら実妹の小町さんから見ても妹扱いではなかったようだ。なら本当にあの時から先輩は私にだけ甘かったということなのだろうか。それってつまり、あの時から先輩は私のことを特別視していたということなのだろうか。そんなことが私の思考を支配していったのだった。
最初から否定してたからな