やはり私が先輩に本物を求めるのは間違っていない 作:猫林13世
夏休みも終わりに近づいた頃、バイト先でショックなことが起こった。先輩が後一ヶ月でこのバイト先を抜けると言うのだ。
「本当に辞めてしまうの?」
「オーナーが別の人を見付けるまでという約束でしたので」
「でも比企谷君以上に使える人かどうか分からないし……」
「俺だって最初からできたわけじゃないですし」
何とか先輩バイトが引き止めようとしているけど、先輩は残ろうとはしない。もともとオーナーから頼まれていただけなので、代わりが見つかったのなら仕方が無いのだけども、私としてはもう少し先輩と一緒に居たかったのだけど……
「まぁ、また人手不足になったら手伝いに来るくらいなら構いませんので。もちろん、時間があえばの話ですけど」
「そっか……」
そもそも先輩はここ以外でもバイトをしているので、時間に余裕があることなんてほとんどない。それなのにここを手伝っていたのだから、これ以上引き止めるのは無理だ。私も先輩バイトもそれは重々理解しているので、大人しく引き下がりフロアに出る。
「残念だね、一色さん」
「そうですね……先輩、凄く仕事が早くて良かったのに」
「えっ?」
「はい?」
私はてっきり店的に残念だと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。先輩バイトは少しニヤニヤしていたので、私をからかおうとしていたのだ。
「一色さんとしては、憧れの先輩と一緒に働けなくなっちゃうし、帰り道とか心配になるんじゃない? 比企谷君、態々一色さんがシフトに入ってる日に出勤してるんだから」
「そう言われれば……」
他のバイトで忙しい先輩が高確率で私と同じシフトだということに今更ながらに気付き、そういうことだったのかと納得がいった。あの先輩はなんだかんだで優しい人だから、私が家路を怯えなくても済むようにしてくれていたのだろう。
「比企谷君も一色さんのことを意識してるんじゃない?」
「それは無いと思いますよ……先輩にとって私は、手のかかる妹みたいな感じなんだと思いますし……」
何度も「妹じゃないアピール」をしているのだが、その都度軽く流されてしまう。先輩も私のことを妹だとは思っていないと言っているのだが、どう見ても兄と妹の関係みたいなのだ。
「確かに比企谷君ってお兄ちゃんっぽいよね」
「実際お兄ちゃんだからじゃないですかね? 高校時代は重度のシスコンでしたし」
「えっ!? それはちょっと想像できないわね……」
「今は別々に暮らしていますし、妹さんが受験生で両親がピリピリしてるから帰省もしなかったですからね」
小町ちゃんが勉強に集中できるようにと帰省を拒まれた先輩だが、元々帰るつもりは無かったんじゃないかと、この前戸塚先輩からメッセージが着ていた。それだけ先輩も充実した毎日を過ごしているのだろうと思い、高校時代の先輩は何処に行ったのかとふとそんなことを思ったのだった。
「さっ、仕事しましょうか」
「そうは言っても、この時間は暇だしねぇ……」
「そうなんですよね……」
忙しい時間帯になるまで少し余裕があるので、私と先輩バイトはちらほらとやって来るお客さんの相手をしつつ、怒られない程度にサボるのだった。
先輩があのお店を辞め、大学も始まったのでそれ程先輩と会えなくなってしまったが、私もそれなりに忙しい日々を送っていたので寂しいという感覚は襲ってこなかった。そもそも先輩は私の隣の部屋で生活しているので、会えないというわけではないからだろう。
「結衣先輩、何だか周りが騒がしくないですか?」
「だね。今日は休日なのに人が多い気がするよ」
祝日だが私と結衣先輩は講義があったのでキャンパスに来ているが、だいたいの講義は休講になっているはずだから、これ程人が集まることは無いのに、私たちの周りには大勢人がいる。その中に居ても私が大丈夫なのは、圧倒的に女子が多いからだろう。
「あっ、結衣さん、いろは!」
「どうしたの?」
共通の知人が私たちを見付けて駆け寄ってくる。その様子はどことなく興奮しているようで、私と結衣先輩は揃って首を傾げながら尋ねる。
「テニスサークルの交流試合のことなんだけど」
「交流試合? それがどうしたの?」
「エリート大学のテニスサークルの人たちが来てるんだけど、その中に二人の知り合いがいるんだよ。それで騒がしくなってるんだよ」
「あぁ、戸塚先輩ですか」
確かにあの人が来ればこれだけ女子が集まっても不思議ではない。初見では男性だと思えないくらいの美貌の持ち主だしね……
「もう一人もいたよ? なんでも臨時メンバーだって」
「それって!」
結衣先輩が人込みをかき分けてその人物の確認に向かう。私と結衣先輩の知り合いで、この子が知っている人は結衣先輩の誕生日パーティーに参加したもう一人だけ。確認するまでも無くあの人だということは分かるというのに……
「あの人、本当に正式なテニスサークルの人じゃないの? ウチのサークル相手に完封してたんだけど」
「あの人は実力はあるんでしょうけど、やる気がないからね……加えて、今は時間も無いだろうから」
あのバイトを抜けたからと言って、先輩はまだいくつも掛け持ちしている。サークルに時間を割く余裕はないだろう。
「いろはちゃん。ヒッキーと彩ちゃん連れてきたよ」
「こんにちは、戸塚先輩。先輩も」
「うん、こんにちは」
「よう」
人々を魅了するであろう笑みを浮かべながら挨拶をしてくれる戸塚先輩と、仏頂面の先輩。相変わらずの二人だが、彼らと私たちの関係を知らない上級生たちが嫉妬の視線を向けてくる。
「ここじゃあれですし、何処か行きましょうよ」
「そだね。二人も良いかな?」
「僕は構わないよ? 八幡は?」
「ここより居心地がいいなら何処でも」
どうやら自分たちが見られていることも、私たちに嫉妬の視線が向けられていることにも気付いているようで、先輩は私の提案を受け入れてくれた。
「それじゃあ、近くのファミレスにでも行こうか。今月、もうお金ないし」
「結衣先輩……無駄遣いし過ぎじゃないですか?」
「そ、そんなんじゃないし!」
「あはは、それじゃあ行こうか。八幡も、今日はこの後予定ないんだよね?」
「まぁな。戸塚に頼まれて時間作ったから」
この人は相変わらず戸塚先輩の言うことは聞くんだな……私が頼んでも一日時間を作ってくれるなんてこと無いだろうし……
「それにしても、先輩がサークルの交流会に参加するなんて意外ですね~」
「本当は正規メンバーが来る予定だったんだけど、体調を崩してね。参加できるか微妙だったから八幡にヘルプを頼んだんだ。そうしたら他のメンバーが『彼の方が盛り上がる』って……正規メンバーも結局間に合わなかったし、八幡が参加することになったんだよ」
「そうだったんですね~。てか先輩、どうしてそんなに強いんですか? 聞いた話じゃ、完封勝ちしたらしいじゃないですか」
「相手が弱かったんじゃないのか? 俺は特別練習をしているわけじゃないしな」
全然嫌味っぽく聞こえないのだが、負けた相手が聞いたら嫌味以外の何でもないだろう発言を、この人はしれっとしてのける。本気でそう思っているのだから仕方ないのだろうが、もう少し周りの耳を気にした方が良いのではないか?
「というか、二人はどうして大学に? 今日は休日だよ?」
「やる気満々の教授が休講にしてくれなかったんですよ~。まぁ、他にもちらほら講義があった人もいるでしょうけども」
「まぁ、ウチの大学でも講義がある人いるしね」
会話しながら移動しているのだが、それでも私たちのことをジッと睨んでくる人はいる。さすがについてくる人はいないけども、暫くはこの視線が続くんだろうな……
「というかヒッキー! 最近連絡しても全然返事くれないじゃん!」
「他愛のない報告にどう返事しろと? 挨拶くらいしか返す言葉が見つからないんだが?」
「えっー! せっかくだしお喋りしようよー」
「そこまで暇じゃないんだよ、俺は」
「八幡、ますます忙しそうだもんね」
「何か始めたんですか?」
「教授に認められて、早めにゼミに参加できるようになったんだよ」
「何で戸塚が話すんだ? まぁ、良いけど」
「へー、さすがヒッキー」
恐らく凄さが分かっていないであろ結衣先輩に、私と先輩は呆れた視線を、戸塚先輩は引きつった笑みを向けたのだった。
真の実力者には勝てないですよね