やはり私が先輩に本物を求めるのは間違っていない 作:猫林13世
私がお手洗いに立ってすぐに、結衣先輩のお母さんもお手洗いにやってきた。
「いろはちゃん、ちょっといいかな?」
「なんでしょう?」
結衣先輩を挟んでならそれなりに緊張せず話せたが、一対一だとそうはいかない。私は少し身構えるようにして返事をした。
「そこまでかしこまらなくてもいいわよ?」
私が緊張しているのを見抜いたお母さんは、リラックスさせるように笑みを浮かべている。こういうと失礼かもしれないが、結衣先輩のお母さんにしてはしっかりした人なんだな。
「それで、私に話があるんですよね」
わざわざ追いかけてきたのだから、先輩や結衣先輩に聞かれたくはない話なのだろう。私は緊張から解放された代わりに、居住まいを正して結衣先輩のお母さんと視線を合わせる。
「ちょっと確認したいことがあっただけよ」
「はぁ」
いったい何を確認するというのだろうか。私は間の抜けた返事をしてしまった。
「いろはちゃんも、ヒッキー君のことが好きなのよね?」
「っ!」
そんなにわかりやすく態度に出した覚えはない。だが結衣先輩のお母さんには私の気持ちは筒抜けだったようだ。
「結衣も高校時代からずっとヒッキー君のことが好きみたいだし、ヒッキー君はモテモテなのね」
「結衣先輩のお母さん的には、結衣先輩と先輩がお付き合いした方がうれしいんでしょうけども、私も高校時代から先輩のことは意識していました」
「娘の恋路に親が介入するなんてことはしないわよ。確かにヒッキー君が息子になってくれたら楽しいだろうなとは思うけど、だからと言っていろはちゃんの恋路を邪魔するつもりなんてないわ」
「そうですか」
結衣先輩の援護射撃でお母さんまで加わったら、私は太刀打ちできたかどうかわからない。結衣先輩単体でも強敵なのだから、そこにお母さんが加わるとなっていたら、おそらく戦意喪失してしまっていたかもしれない。それくらいお母さんも魅力的な人なのだ。
「ゆきのんちゃんもヒッキー君のことが好きで、高校時代告白したって話は聞いたことあるんだけど、どうして結衣がヒッキー君に告白しなかったのかは聞いてないのよね。いろはちゃん、何か結衣から聞いてない?」
「雪乃先輩に申し訳ないって話は聞きました。雪乃先輩がフラれて、自分が付き合うことになったら奉仕部内の空気が最悪になってしまうと」
もともと空中分解していたのだから、そんなこと気にしなくてもいいとは思ったのだが、結衣先輩は奉仕部にとどめを刺す勇気が出なかったのだろう。
「そうなのね。結衣にとっては、ヒッキー君と同じくらいゆきのんちゃんや奉仕部が大事だったから告白しなかったのね」
「本当のところはわかりませんが、私が聞いた限りではそういう理由です」
「それで、いろはちゃんは?」
「はい?」
急に話題が変わった気がして、私は思わずそう聞き返してしまう。私が恍けているわけではないと理解しているのか、結衣先輩のお母さんは悪戯っ子のような笑みを浮かべて具体的に切り込んでくる。
「いろはちゃんはどうして告白しなかったのかなって」
「そ、それは……」
真正面から尋ねられ、私は思わずたじろぐ。確かに私なら奉仕部の空気が最悪になろうが関係ない立場だったのだから、告白しない理由にはならない。
「その時はまだ、『本物』の恋なのかどうかわからなかったからかもしれません」
さっき自分で言ったように、私は高校時代から先輩に惹かれていた。だがそれが本物の気持ちなのかどうか自信がなかった。告白しなかった理由を無理やり探すとしたら、それくらいしか思い浮かばない。
「そうなの。それで、今は本物の恋だってわかったのかしら?」
「そうですね。先輩が卒業してから、私は先輩を基準に他の男子を評価していました。そのことに気づいたのは卒業してから半年くらい経ってからだったので、そこで私は本当に先輩のことが好きだったんだって思いました」
「ヒッキー君もだけど、いろはちゃんもしっかりと気持ちと向き合うタイプなのね。ノリで付き合う人もいるこの時代に、しっかりと自分の気持ちと向き合って付き合うかどうか決めれるなんて偉いわ」
「そんなに大それた人間ではありませんよ。私はきっと、当時の先輩と付き合うなんて自分の評価が下がるなんて考えていたかもしれませんし」
三年次は兎も角、二年次の先輩の周りの評価は最悪だった。ほとんどが誤解なのだが、それを解こうとしなかった先輩にも問題はあったが、本当に先輩のことを理解しようとした人間が少なかったのも問題だろう。
「ママ的には結衣に頑張ってもらいたいけど、いろはちゃんも頑張ってね」
「あ、ありがとうございます」
なぜか結衣先輩のお母さんに応援されてしまった。てっきり娘の恋路のために恋敵となりうる相手を潰しに来たなんて思ってた自分を叱りたい。
「それじゃあ、そろそろ戻りましょうか」
「そうですね」
いつまでもお手洗いに篭っているわけにはいかない。先輩が勘違いするはずもないだろうが、万が一にも変なことを思われたくないので、私はそそくさとお手洗いから先輩が待つ席へ戻るのだった。
お会計の際、結衣先輩のお母さんは私たちの分も払おうとしましたが、先輩が私と二人分を払ってくれた。
「遠慮しなくてもいいのに。ママ的にはヒッキー君たちと一緒にご飯ができて楽しかったのに」
「そういうわけにはいきませんよ。先に言いましたが、自分といろはの分は俺が払いますので」
「ヒッキー君は真面目ね。素直にごちそうになる子もいるだろうに」
「そういうわけではないですよ。曲がりなりにもデート扱いだったのですから」
先輩が今日のお出かけをデートだと思ってくれいたことがうれしいけど、曲りなりという言葉が気になる。
「こんなにかわいい後輩が付き合ってあげてるのに、先輩は素直になってくれないんですか?」
「はいはい、かわいいかわいい」
「心がこもってないです!」
「ヒッキー、私は?」
どさくさに紛れて結衣先輩も先輩にかわいいって言ってもらおうとしている。だが先輩は結衣先輩に一瞬だけ視線を向けて頭を振った。
「由比ヶ浜、成人してるのにかわいいって言ってもらいのか?」
「と、歳は関係ないし!」
「じゃあママは?」
「どうしてママまでヒッキーに絡むの!?」
「だって、ママだって言ってもらいたいし」
「いや、言いませんけど」
「えー」
先輩は私の手を取ってさっさと由比ヶ浜母娘から遠ざかっていく。それを見てお母さんが慌てて先輩を引き留める。
「ヒッキー君、冗談よ。さすがにママをかわいいって言ってくれるわけないよね」
「というかヒッキー、いろはちゃんの手を自然につかんでるけど、本当に付き合ってないの?」
「ああ。俺は誰とも付き合ってない」
私と手をつなぎながらはっきりとそう宣言する。なんとも複雑な思いだが、先輩の宣言に結衣先輩は一応納得したようだ。
「私もヒッキーと手をつなぎたいな。今度私ともお出かけしようよ」
「それは別に構わないが、手はつながないからな?」
「えー」
「(私とは手をつないでくれるけど、結衣先輩とは手をつながない。それってつまり、私の方が結衣先輩よりも上だってことですか?)」
声に出して聞きたいけど、それを聞いてしまうと結衣先輩に申し訳ない。だってはっきりとした言葉にしてしまったら、それが残ってしまうから。
「それじゃあ、俺たちはこれで」
「じゃあね。ヒッキー君、今度は結衣ともデートしてあげてね」
「考えておきます。いろは、行くぞ」
「あっはい」
あまりにも自然に名前を呼ばれて、私は一瞬フリーズしそうになりながらもなんとか先輩についていく。夜からバイトがあるから残された時間はあまり多くないけど、これで残りの時間は先輩と二人きりになれると思うと何だか嬉しくなってきた。
「(そういえば、何か先輩に聞こうとしていたような……)」
由比ヶ浜母娘と会う前、先輩に何か聞こうとしていたような気がして、私は暫く考え込むのだった。
結構進展してるのにな