やはり私が先輩に本物を求めるのは間違っていない 作:猫林13世
駅から結衣先輩の実家までの間は、先輩とお母さんが話しているのを見ていることしかできなかった。無理矢理割って入ることもできたのだが、二人の雰囲気がそんなおふざけを許してくれない感じがしたので、結衣先輩と二人で大人しくしていたのである。
結衣先輩の実家に到着してすぐ、お母さんはいつも通りの雰囲気に戻ってお茶の用意をしてくると言い残しリビングへと向かい、私たちは結衣先輩の部屋に案内された。
「なんでリビングではなく由比ヶ浜の部屋に?」
「ママの気分だから私には分からないよ。まぁ、ここでも十分お喋りはできるから良いんじゃない?」
「彼女としては、自分の彼氏が別の女の部屋にいるのはいただけないんですけどね」
「いろはちゃんも一緒にいるんだから気にしなくてもいいじゃん。それに、この後にはママも合流するんだし」
それが一番安心できない。あのお母さんは真面目な雰囲気の時はいいが、いつも通りの雰囲気の時はとても子持ちには思えない。それでいて女性としての色香が私たちとは比べ物にならないくらいあるのだ。理性の化け物と呼ばれている先輩でも、あの人の誘いには乗ってしまうかもしれない。相手が人妻だということを忘れなければ。
もちろんお母さんがそんな目的で先輩を見ているわけもないし、先輩が結衣先輩を悲しませることをまたするとは思えない。だからこれは私の気にしすぎでしかない。
お母さんが四人分のお茶とお菓子を運んできたのを見て、先輩が受け取り私たちの前に置いていく。普通結衣先輩が手伝うんじゃないかとも思ったけども、先輩があまりにも自然にお手伝いしたので、私も一瞬それが普通だと思ってしまった。
「ヒッキー君は本当に優しいわね」
「これくらいは普通だと思いますけど?」
「自分の家なら普通かもしれないけど、ヒッキー君はここの家の子じゃないでしょ?」
「そんなものですか?」
お母さんのニュアンスに結衣先輩を責める感じはなかったのだが、言われて漸く結衣先輩は自分が手伝うべきだったということに気づいたようだ。
「ゴメンねヒッキー。本当なら私がやらなきゃいけないのに」
「気にするな。こういうのは慣れてる人間がやるのが一番早い」
本気で落ち込んでしまった結衣先輩を慰める先輩。別に頭を撫でているわけではないのに、その光景は落ち込んだ子犬を撫でている飼い主のようだ――結衣先輩には悪いけど、この表現が私の中ではしっくりくるのだ。
「まぁ結衣はこういうこと苦手だしね」
「配膳くらい出来るし!」
「あんまり威張れることじゃないと思いますけど?」
一切動こうとしなかった私が言えた義理ではないかもしれないけど一応ツッコミを入れておく。言われるまでもなく分かっていたようで、結衣先輩は無言でお茶を飲んでごまかしている。
「結衣の家事の腕は置いておくにしても、ヒッキー君は本当にいい子よね。どうやったらヒッキー君みたいな子に育つのかしら」
「いや、俺みたいな子を育てるのは止めた方がいいと思いますよ」
「ですよね。こんなひねくれた子が育っちゃったらご両親は大変でしょうし」
私としては、小さい先輩みたいな子供ができたら嬉しいけども、この性格の子を育てるのは大変そうだと思う。それとも、先輩との子供なら、どんな性格でも可愛いと思えるのだろうか。
「そもそもウチの両親は俺に対して無関心ですしね。小町優先で、俺のことは行きすぎない限り放置ですから」
「そういえばヒッキーのご両親って、あんまりヒッキーの行動に口を挿んでこなかったよね。普通なら何かしら言われそうなことをしてたのに」
「失礼な。呼び出されるようなことは何もしてないぞ」
呼び出されてもおかしくないことをしていたことは自覚しているが、実際呼び出しがなかったので先輩はそう言い切る。いろいろと問題はあったが、それは先輩個人で解決――解消しているのでご両親に飛び火することはなかったし、たとえ呼び出されたとしても来なかっただろうと、先輩は言外に告げているのだ。
「そうかしら? ヒッキー君のご両親はヒッキー君のことを信じているから、ある程度自由にしてくれてたんだと思うわよ。本当に信頼してなかったら、ヒッキー君のような性格の子を放置なんてできないもの」
「ママ、それって褒めてるの?」
「当然よ。結衣みたいに手のかかる子を放置していたら大変でしょ?」
「ママっ!」
突如始まった追いかけっこを、先輩は気にする様子もなくお茶を飲んでいる。私はまだこの光景に慣れていないので驚いてしまうのだけども、それなりに付き合いがある先輩からしてみたら、驚くほどではないようだ。
「そろそろ失礼しますね」
「えっー、もうちょっと良いんじゃない?」
「すみません。この後いろはが両親に対する手土産を決める時間を考えると、あまりのんびりしていられませんので」
「………」
すっかり忘れてたー。この後先輩の家に行って先輩のご両親に挨拶するのだ。そのための手土産を買いに行かなければいけなかったのに、この母娘のやり取りに意識を持っていかれ過ぎていた。
「そっか。また遊びに来てね」
「機会がありましたら」
「機会なんて作ればいいのよ。何なら、結衣と結婚するって挨拶でもいいわよ?」
「っ!」
「ママっ!」
「冗談よ。結衣もいろはちゃんもゴメンね」
チロっと舌を出して謝ってくるお母さんに、結衣先輩だけでなく私も無言で圧力をかけておく。今の冗談は看過できるものではなかったから。
「いろは、行くぞ」
「あっ、はい」
先輩に腕を掴まれるまで睨みつけていたようで、私は慌てて時計を確認する。どうやら十秒以上睨んでいたようだ。
「またね、ヒッキー」
「あぁ、またな」
それだけで別れの挨拶は終了。私は先輩に腕を掴まれたまま、結衣先輩の実家を後にしたのだった。
手土産を選ぶためにお店にやってきたのだが、私は心ここにあらずだ。原因は分かっている。さっきの結衣先輩のお母さんの冗談の所為だ。
この後先輩のご両親に挨拶に行く彼女がいるというのに、あの人は自分の娘と先輩が結婚するという冗談をかましてきたのだ。
「(あの人は先輩のことを息子のように思っているようだけども、先輩が義理の息子になる可能性はほとんどないんですからね)」
私が先輩のご両親の義理の娘になる可能性はあるけども、先輩が由比ヶ浜家と義理の家族になる可能性は、今のところ低い。実際先輩は結衣先輩からの告白を断っているので、安心してもいいはず。それなのに心がモヤモヤするのは、それだけ結衣先輩が強敵だということに変わりがないからだろうな。
「――は、いろは!」
「……? 先輩、何か言いました?」
「やっと反応したよ……そんなに何を買うかで悩んでるのか?」
「買う? ……っ!」
先輩に言われて漸く、私は結衣先輩のことで頭を悩ませている場合ではなかったことを思いだした。これからご両親に会うというのに、どうしてそのことを忘れていたんだろう。
「先輩のご両親って何が好きなんですか?」
「小町、仕事」
「いや、そういうんじゃなくって」
「別に気にしなくてもいいだろ。こういうのは気持ちなんだから」
「でも、下手なものを手土産にして、息子の彼女にふさわしくないって思われたら――」
「むしろ何を持って行っても息子にはもったいないとか思うだろうから気にしなくてもいいと思うぞ。それだけあの人たちの中の俺は、ダメ息子だからな」
今やエリート大学の法学部に通い、同学年の中でトップではないかと言われるくらいの先輩でも、ご両親の中では興味の対象にはならないようで、先輩は半分自虐、半分慰めのような感じでそう言い切った。
「どれだけご両親に興味を持たれていないんですか、先輩は」
「言っただろ。小町一番、仕事二番の人たちだからな。小町の受験勉強の邪魔になるから帰ってくるなと言い切るような人たちだぞ。俺の事なんて忘れてるんじゃないかとすら思ってたが、いろはのことは興味があるようだな」
「小町さんが面白おかしく話したからじゃないですかね」
「かもな」
先輩の彼女ってだけならここまで興味を持たれなかったかもしれない。が、先輩が言うように小町さんファーストな親なら、彼女がそこまで興味を持つ相手を見てみたいと思うかもしれない。私はこの場にいない小町さんに怒りを覚えながら、当たり障りのない商品を選んで会計を済ませるのだった。
手土産なくても大丈夫っぽいですけどね