やはり私が先輩に本物を求めるのは間違っていない 作:猫林13世
先輩の実家に向かう途中、私は一言も喋れずに先輩の数歩後を歩いている。今の時間先輩のご両親はいないということは分かっているのに、緊張してしまっている。
「いろは、さっきから歩幅が狭くないか?」
「そ、そんなことないですよ」
自分でも自覚していることを指摘され、私は慌てて先輩の一歩後ろまで近づく。ここで先輩の前までいけないくらいのメンタルなんだと、自分の状態を改めて思い知らされた。
「緊張してるのか?」
「緊張するに決まってるじゃないですか! いくらご両親不在とはいえ、夜には顔合わせをするんですよ? 先輩があまり興味持たれていないとはいえ、息子の彼女という立場はそれくらい緊張するんですよ」
「そんなものか? まぁ、俺がいろはの両親に会うって時には緊張するのかもしれないが、そこまでなのか?」
「そこまでです! とにかく、恋人の両親に会うっていうのはそれほど緊張するものなんです」
力説したおかげかは分からないけど、私の緊張は少しほぐれた――ような気がする。先輩がそれを狙っていたのかは分からないけども、先輩の表情は柔らかい。
「今の時間は小町しかいないんだし、とりあえず気楽にいけ」
「分かりました」
先輩の手を取って、私は漸く落ち着けた気がする。最初から手をつなげていたら、あそこまで緊張してなかったかもしれないけど、そういう考えをできないくらいのメンタルだったんだろうな。
「いらっしゃい、いろは先輩! って、いきなりラブラブ披露ですかー?」
「そんなんじゃないですよ。こうしてないと先輩が逃げ出しそうだったので」
「いや、実家に帰るだけなのに逃げないからね?」
こういう冗談を言えるくらいまでには回復している。小町さんも私が冗談を言っているということは分かっているようで、笑顔で私の発言を流す。
「とりあえず両親は夜まで居ないので、ゆっくりお茶でも飲みながらお喋りしましょうか。というわけでお兄ちゃん、お茶の用意お願いね」
「なんで俺? 実家のお茶の場所なんて知らねぇよ」
「昔と変わってないから大丈夫でしょ。別にコーヒーでもいいし」
「はいはい」
先輩がキッチンに消えていき、私は小町さんと二人きりになる。シチュエーション的には緊張する場面なのだろうけども、大学でも結衣先輩がいないときに二人きりになる時もあるので、ここが先輩の実家だということを気にしなければ緊張することもない。それに以前先輩の実家に来た時にもこういった場面になったので、そのおかげもあるのだろう。
「まさかお兄ちゃんの彼女としていろは先輩が両親に会いに来るとは、高校時代は思ってもみなかったですよ。てっきり雪乃さんか結衣さんが来ると思ってましたし、大穴としてはいろは先輩ではなく沙希さんだと思ってましたから」
「そうだったんですね」
「だって小町的にはいろは先輩とお兄ちゃんは同類だったので、付き合っても長続きしなさそうでしたし」
確かに初対面の時、私は小町さんに「兄と同じクズ」と評価されていた。あの時は「何言ってんのこいつ」と思ったけど、実際私と先輩は同類だろう。だからではないが、一緒にいてもさほど負担にならない。
「ほら、お茶だ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「ありがとうございます」
先輩からお茶を受け取り、私たちは一息つく。別に緊張してなかったのだが、意外と喉が渇いていたことに気が付いた。
「そんなに一気に飲まなくてもいいだろ」
「そんなにお喋りしてなかったんですけど、いろはさんは喉が渇いてたんですね」
「そうみたいですね」
指摘されると恥ずかしい。私は自分でも気づいていなかった風を装って誤魔化す。先輩も小町さんも、私が誤魔化そうとしていることに気づいてるんだろうが、そこを指摘することはない。
「ところでお兄ちゃん」
「なんだ?」
「いい加減いろは先輩との関係に進展はあったの?」
「っ!」
小町さんのセリフに、私は思わず咽てしまう。相変わらず進展はないのだけども、彼氏の妹にそういうことを聞かれると過剰に反応してしまうのは仕方がないのだろう。
「別に何もねぇよ」
「ほんとにー? いろは先輩が反応したから、何かあるんじゃないの」
「最後に小町と会ってからそれほど時間も経ってねぇし、俺たちには俺たちのペースがあるんだから、小町がとやかく言うことじゃねぇだろ」
「そんなことないと思うけど。いろは先輩だって、もう少し進展したいって思ってますよね?」
先輩が動じないと見るや否や、小町さんの標的は私に代わる。だが私もこの程度で動揺していてはダメだと思い、先輩のように毅然と振舞う。
「私は今のペースで十分ですよ。そもそも先輩と付き合えると思ってなかったので、今の状況でも十分満足できてますから」
「もっと高望みしましょうよ。そんなんじゃ結婚まで何年かかるか分からないですよ?」
「結婚も何も、私たちはまだ学生ですよ。今の時代学生結婚もさほど珍しくないとはいえ、私が先輩の勉強の妨げになるのは避けたいですし」
あの先輩が現役で司法試験合格の可能性があるというのに、私のわがままでその可能性を潰したくない。ただでさえ先輩の時間を奪っている感が否めないというのに、これ以上邪魔をして捨てられでもしたら、私は立ち直れないだろう。
「つまんないのー。もうちょっと慌ててくれればからかえたのに」
「そんなことばかり言ってると、小町に実は彼氏がいるって嘘ついて親父殿の興味を小町に全振りするぞ」
「やめてよお兄ちゃん! そんなことされたら無実なのに外出禁止になりかねないから」
「だったらいろはをからかって遊ぶのは止めろ」
「分かったよ」
先輩に脅され、小町さんの勢いはしぼんでいった。それで大人しくさせられるのならもう少し早く助けてほしかったけど、常に先輩が一緒にいてくれるわけではないのだから、もう少し自分でも小町さんを黙らせるようにならなきゃいけないんだろうな。
夜になり先輩のご両親と対面したのだが、驚くほどあっさりした対面だった。お二人ともお仕事が忙しいのか、家に帰ってきてもやることがあるようで、軽く挨拶しただけでそれぞれの部屋に行ってしまったのだ。
「相変わらずの社畜っぷりだな」
「最近は特に忙しいみたいだよ。今日だっていろは先輩が来るからこの時間に帰ってきただけで、いつもならもっと遅い時間だし」
「俺は絶対にあんな風にならないようにしなければ」
「大丈夫だってお兄ちゃん。数年後にはお兄ちゃんもお父さんたちに負けず劣らぬ社畜になってるから」
拍子抜けしている私をよそに、これが普通だと言わんばかりに兄妹の会話が繰り広げられている。
「てか、この時間なら十分帰れそうだし、このまま帰るか」
「ダメだよ。今日はこの後いろは先輩と一緒にお風呂に入って、本当に何もないのか聞き出すんだから」
「さっきも言ったが、あんまりいろはをからかって遊ぶようなら、さっきの嘘を親父殿に吹き込むからな。俺に興味はないだろうが、小町の情報なら聞く耳を持つだろうし」
「そんなことされたら本当に外出禁止になりかねないよ……分かった、大人しく義姉妹の会話程度にとどめておくよ」
私の事なのに私の意志を無視し、私のこの後の予定が決められてしまった。
「というわけでいろは先輩、早速お風呂に入りましょう」
「俺は自分の部屋でのんびりしてる」
「あっ、お兄ちゃんの部屋は今物置と化してるから、お兄ちゃんはリビングで寝てね」
「そういえばそうだったな……」
先輩がため息を吐いたタイミングで、カマクラが現れて先輩の肩に手を置いた――ように見えた。まさか飼い猫にも同情されるとは。
「何だったらいろは先輩と二人で一緒にリビングで寝てもいいけど。両親がいるってことを忘れて無ければそれでもいいと小町は思うけどね」
「馬鹿言ってないで、さっさと風呂入れ」
「はいはい。それじゃあいろは先輩」
「あ、うん……」
先輩がひらひらと手を振りながら持ってきた文庫本に興味を向けてしまったので、私はされるがままでお風呂場に連れていかれる。
「ビックリしました? 息子の彼女を呼びつけておいてあっさり終わったことに?」
「少し……いえ、かなりビックリしてますよ」
「兄はああなるだろうって思ってたようですけど、いろは先輩に言ってなかったんですね」
「言ってたかもしれないですけど、私の精神状態があれだったので」
「まぁ、初めての彼氏の両親との対面って緊張するものでしょうしね。小町もいつか経験するんでしょうけども、今はよく解りません」
明るい表情で言い放つ小町さんに、私は軽く殺意を覚えたのだった。
小町に対する殺意が募るいろは……