7を知らない方にもお楽しみいただけるよう直しているつもりですので、目を通していただけるとすごくうれしいです。(その割に短編ですが…)
彼女が七歳の時に、母親は死んだ。彼女にとって母は光だった。貧しい中でも優しく、気高く、そして美しかった。魔物の蔓延る世の中では、片親だとか親のいない子どもだとかは珍しくはない。彼女は悟った。
弱者は死ぬ運命だ。母のように。
それでも母が最期に口にした言葉を信じたかったから、もっと生きたいと思った。そのために、彼女はただ、強くなりたかった。
*
アルス、マリベル、ガボの三人はうんざりしながらふきだまりの町を歩いていた。皆一様に荒んだ目をしているこの場所は、今まで訪れたどの町よりも性質が悪い。他者を恫喝し、陥れ、誰が付けたのか「ふきだまりの町」という名前の通り、暗く淀んだ空気と人間の負の感情が混じり合った吹き溜まりのような場所だった。
三人が今まで訪れた場所は全て絶望的な状況下にあったけれど、それでもその理不尽に立ち向かう強い瞳を持つ人は多かれ少なかれいたものだ。
唯一、救えたと言えるか分からないダイアラックという町では、諦念を瞳に宿す老人がいたけれど、この町のように他者を蔑み、嫌い、騙し、恫喝するような人ではなかった。
ダーマの神殿という場所について、神殿に向かう旅人が立ち寄るという宿屋で話を聞き、「転職」というものをしてみようというのは、男二人の意見だった。職業を変えることによって固有の特技や呪文を覚えられるようになるのなら、魔物との戦いも楽になるはずだという考えは、過酷な旅をする彼らにとっては自然な発想だろう。
「転職」とは、文字通り職業を変えることで新たな生き方を歩むことである。旅をしているなら尚更「転職」した方が良い、というのは彼らに話をしてくれた誰もが言っていたことだった。
ただ、ダーマの神殿に行った人たちが帰って来ないので、常なら神殿への行き帰りで繁盛している宿が最近少し寂しいと宿の店主やそこに滞在する人たちはぼやいていた。そんな噂も聞いたので、ダーマ神殿の様子を見がてら、「転職」をしてみようと提案したのはアルスだった。
主戦力だった幼馴染のグランエスタード王子――キーファ・グランが抜けて、三人での旅となると少々火力が足りなくなってしまったところである。この大陸の魔物たちとも悪戦苦闘しながら、一人いないという重みを改めて感じていたことだし、これからも旅を続ける上で、戦う力は絶対に必要だから――と、前向きな提案のつもりだった。
これまで絶望し、滅びゆく定めの世界を渡り歩いてきたことから「ダーマにも絶対何かある」と訝しんでいたもう一人の幼馴染のマリベルを説得したことを思い出しながら、「失敗だったかな」とさすがにのんびり屋のアルスでも危機感を覚えていた。
時を少し遡り、宿屋から山の上にあるダーマの神殿に彼らが到着したときのことである。山々に囲まれたダーマの神殿は、遠くから見ても評判になるのが頷けるほどの威容を誇っていた。
敷地内に入ると、ぴりりとした空気が肌を刺す。これも神聖な場所ゆえの緊張感か、と三人は表情を引き締めた。薄ら寒さを感じるほどの静寂に包まれたダーマの神殿内を歩き回ると、不自然なほどに人の気配がない。ただ、歩を進める中で「転職」はあそこでするのだな、ということはよく分かった。
長い階段の先、一際高い場所に、神官服を着た壮年の男性が立っていたのだ。大神官だと名乗る男は、転職するためにはまず身を清めろと言ってきた。
マリベルも怪しんではいたが、実は絶賛され続けていた「転職」に興味があったのか、それとも実際にダーマ神殿を訪れてみて気持ちが変わったのか。三人はすんなりと大神官に促された泉に足を踏み入れた。
すると、何かの魔法が掛かっていたのか、床が抜けるような感覚に襲われたかと思うと、気が付いたときには、そこはダーマの神殿ではなかった。ばしゃん、と派手な音を立てて、小さな池の中に落下した三人は、ひどく気だるいような感覚に襲われながらも、目を白黒させながら状況確認を行った。これまでも様々なことに巻き込まれたり首を突っ込んだりしてきたりした彼らである。異常事態、非常事態には慣れていた。
「なんだ、新入りか」
どんよりとした目の、小汚い格好をした男が無感情に呟いた。大きな音に対して集まってきた野次馬も「またか」と、三人の顔を確認したのち、すぐに興味を失くした様子で、散り散りになっていった。
ふらふらと歩いてみると、どうも治安の悪そうな場所だと、誰に説明されなくてもすぐに分かる。マリベルは「だから嫌だって言ったのに! アンタのせいなんだからね!」と返す言葉も見つからない非難と共にアルスの脛を蹴ってくるし、ガボはだるそうに狼の背に縋りついていた。
ともかく、情報収集は旅の基本だ。そんなわけで、あまり関わり合いになりたくない者が多そうな町を散策していると、魔物が現れた――かと思えば、スイフーと呼ばれた男が追い払う場面に遭遇する。筋肉粒々のその男から繰り出される攻撃に、喰らってはひとたまりもないと判断した魔物はさっさと逃げてしまった。
魔物が現れたことに対し、条件反射的に戦闘態勢になっていた三人が、ほっと胸をなでおろしたときだった。なぜか「新人」である彼らを、スイフーは「歓迎」し始めた。もちろん、うれしい歓迎ではなく、痛めつけるという裏社会の「歓迎」の意味である。
旅を進めるにつれて戦闘経験も積んでいた三人だが、今まで覚えた特技や魔法が使えなくなっていることにそこで初めて気が付き、成す術もなくやられてしまう。不幸中の幸いで、持ち物やお金には手を出されなかったらしく、文字通りボコボコにされただけだった。
気絶した三人を運んでくれたのはスイフーの手荒な「歓迎」を見かねた、ネリスという薄幸そうな美しい女性と、その弟のザジである。心優しいが病弱なネリス、そんな姉を心配する弟のザジは、主にネリスの発案で、こうして怪我をした人々を見掛けては時々手当をしているそうだ。ネリスと違って警戒心が強いザジは、かなり渋々といった様子であったが。
そういうわけで、「もう怪我は治っただろうから」という内容ではあるが、姉を想うがゆえに刺々しいザジの言葉に追い出されるように外に出されてしまった。
今まで収集した情報によると、三人が立ち寄ったダーマの神殿は魔物に乗っ取られており、転職に来た人々から逆に特技や呪文を扱う力を奪っているそうだ。もちろん三人をこの町に突き落とした男も、大神官に化けた魔物であるという。つまり、ダーマの神殿を救うためには、再びダーマの神殿へ戻って、魔物を倒さなければならない。
しかし、ふきだまりの町とダーマの神殿の間には険しい山々があり、そこを越えて戻るというのは現実的とは言えなかった。他に方法がないのならば、そうするしかないのかもしれないが、できれば別の道を探したいところである。
さてこれからどうするか、と考えようとしたときだった。ネリスたちの家の傍で三人を待っていたらしいフーラルという男に「手伝い」を頼まれたのである。ここでじっとしていても仕方のないことだから、と三人は頷いた。
町を案内してくれるフーラルのすすめで<盗賊の鍵>を入手し、それから本題の「手伝い」の話に移る。簡単に言えば、「西の洞窟」とやらを抜けるとダーマの神殿から落ち延びた神殿関係者が身を潜める集落があるという。しかし、「西の洞窟」には強い魔物がおり、フーラル一人ではとても倒せない。そのため、三人にはその討伐を手伝ってほしいとのことだった。
その手の「手伝い」には慣れている三人である。もちろん、詳細を聞いたところで「やめる」と言うわけもなく。
快諾をした三人に、フーラルは<奇跡の石>という体力や怪我の回復を行うことができる道具をゆずってくれた。なんでも、薬草のようにいつでもどこでも使えるわけではなくて、人の感情が昂っているときや、集中力が高まっているとき――つまりは戦闘中に使うと効果を発揮する道具であるという。
フーラルを仲間に加えた三人は、さっそく町を出ようと歩き出した。しかし、言いにくそうな顔で、フーラルが待ったを掛ける。
「あー、そういえば……西の洞窟に行くならアイツも誘っておいた方が……」
「アイツ?」
律儀にアルスが聞き返すと、フーラルは「あー、うん。今は負傷中なんだが、腕はやたらと立つ女がいてな」と歯切れ悪く言う。
「なんで怪我人をわざわざ誘うのよ?」
険のある表情で、マリベルが「早くここから出させろ」とでも言いたげに問うと、「それがなぁ……」とフーラルは少しばかり音量を落として話始めた。
「今ダーマにいるのが偽物の大神官っていうのは知ってるだろ。その怪我人の女っていうのが、本物の大神官の親衛隊で、……その、少々愛が重……いや、大神官への敬愛が強すぎてな。神殿が襲われたときに、多分大神官に逃がしてもらったんだろうって話なんだが」
言葉を切ったフーラルは、その女性のことを思い浮かべているのか、少し遠い目をしている。その目が、理解できないものに対する諦めや呆れなど、もろもろを宿しているような気がしたが、三人とも深く追求することはしなかった。
「噂によると『今は逃げて、後から必ず助けてください』と言われちまったらしくてな。そのせいで、西の洞窟を抜けようと、単身で何度も殴り込みに行っている。西の洞窟にいる魔物はぶっちゃけ普通に相手をしてたら歯が立たないくらい強いんだが、あの女は毎回死ぬ前には撤退できる腕前の持ち主でもある。まあ、そのおかげで魔物はカンカンだがな」
「じゃあ、余計に誘わない方が良いじゃないの!」
呆れたように吐き捨てたマリベルに続いて、ガボも「その姉ちゃんが行ったら危ねぇぞ!」と心配顔をする。
「誘わない方が問題だろうな。『あの魔物は私が必ず殺す』って言ってるし、怪我をしていようと、本当に強い。噂じゃあのスイフーだって敵わないらしいぞ」
特技や魔法が使えないことに気が付いていないまま戦闘に入ってしまったとはいえ、この町の長であるスイフーは三人が手も足も出なかった相手だ。そのスイフーが敵わない相手となると、確かに手負いであろうと強いのかもしれない。
「そ、そんなに……」
アルスは口元を引きつらせて、思わずそうこぼしてしまったほどだ。
「うーん……納得はしてないけど、そういう事なら声くらいはかけてもよさそうね」
マリベルの一声で、フーラルは女がねぐらにしている小屋に向かった。奥まった分かりにくい場所にある、他の建物と同じ石造りの小さな家だ。この町の他の建物よりは清潔に保たれていて、室内は物が少ないことと相まって整然として見えた。
「フーラルか」
声は低いが、確かに女性のものだった。その低さというのも、痛みを耐えるような、呻くような声だったからだろう。扉を開けただけのフーラルに対して、女は顔を見る前に相手を断定した。それから横になっていた体勢から、ゆるりと体を起こす。
「ああ、寝てるとこ悪いな」
「悪いと思っているなら勝手に入ってくるな……と言っても、この町の連中ときたら『それなら鍵をかけろ』と言ってくる。建物に鍵を付けられるほど裕福なやつが、この町にいるのかって話だ。付けても盗賊の鍵を使われるんだから、意味がない。鍵屋は吹っかけてくるしな」
ため息をついた彼女はフーラルの後ろにいる三人の少年少女を見て、その眉を寄せた。
「なんだ、誘拐か? かくまらねぇし売買の手伝いもしねぇぞ」
「人聞きが悪いな。俺はただの善良な盗賊さ」
鼻で笑った女は、一目で重傷と分かる怪我をしていた。とても薬草では治しきれないであろうおびただしい量の傷は包帯が足りていなくてところどころ剥き出しになっている。だが、その痛ましい状況を本人が全く気にしていない様子は逞しさや頼もしさの他に、ふてぶてしさを感じさせた。
「さて、では誰だこの子たちは。ああ、そういえば昨日外が騒がしかったから、新入りかな。私はミュラリアシア。長いのでミュラでいい」
「あー、えっと、僕はアルスです」
「あたしはマリベルよ」
「オイラ、ガボ! よろしくな」
気安い雰囲気で名乗ったミュラに対し、「怖い人ではなさそうだ」と判断した三人は、三様に名乗った。ミュラは、そんな彼らを見て頷く。
「この町に来て、そういう目をしている人がいるとは驚きだな。大抵はスイフーにやられた辺りで自分の不運を嘆くものだけど。いいね、君たち。話があるんだろう? 聞くよ」
淡々と喋る彼女は、長い枯れ草色の髪を耳の横でひとつに結い、「大体予想はしているけどね」と付け足した。フーラルに話し掛けるのと、三人に話し掛けるのでは、話し方も雰囲気のやわらかさも随分と違う。
「あの、僕たち今から西の洞窟に行くつもりなんです。それで、フーラルがミュラさんにも声を掛けたおいた方が良いって」
「私はあの魔物どもを常々ブチ殺してやりたいと思っているし、その発想は間違いじゃない。だが、フーラル。てめぇが急に事を起こす気になったのはなぜだ? カシムに何か言われたのか?」
ミュラが同じく親衛隊に所属している部下の名前を出すと、フーラルは明らかに動揺したように肩を揺らした。カシムはまだ隊に入ったばかりの新人だが、腕は立つし頭もそこそこ切れる。気障な一面があって、女性に格好悪いところは見せようとはしないから、悪知恵が働いても自分の立場が危うくなるようなことはしない男だった。
そんなカシムは、盗賊のフーラルによく正規では手に入りにくい物を依頼している。まあ、主には好意を寄せるネリスのために「世界樹のしずく」を取り寄せているのだが、この薬がこれまた希少価値が高い物であるため、高給取りとはいえカシムの給金では――それも勤め先の神殿が大変なことになっているこの時期に、正規のルートでは継続的に手に入れることなど、できるはずもない。
一方、フーラルはカシムに何度も「神殿の親衛隊に入りたい」と言っており、この騒動が収束すれば口利きしてもらうよう懇願していた。そのため、今まで静観していた男たちが事を起こすのならば、何か二人で内密な取引をしているだろうと考えるのは当然のことだった。
「……スイフーとの戦いを見て、こいつらが中々強いって分かったからな。せっかく強い新人が三人まとめてきてくれたんだから、この町に染まってく前に行動するのが吉ってもんじゃねぇか?」
ミュラは形の良い鼻を鳴らした。華美ではないが中性的な美しさのある彼女の表情も、枯葉色をした瞳も、その言葉を信じてはいないことを如実に物語っていた。
「いいだろう。本調子じゃあないが、そろそろ運動しとかないとな」
立ち上がり、そのまま外套を羽織った彼女は枕元に置いてあった剣を腰に携え、小ぶりのナイフを装着した。親衛隊の制服を身に纏った彼女は、怪我をしていることを感じさせない凛々しさをもって胸に手を当てた。そして、祈りのような礼をした後、アルスに向かって剣だこの出来た硬く頼もしい手を差し出しす。
「これもフォズ大神官のためだ。よろしく頼むよ」