出発前とは集落の空気が違うような気がして、アルスは周囲を見回した。大神官を目にした人々が歓声をあげる。喜ばしい光景であるはずなのに、魔物に操られている人間が見当たらないのが妙に気になった。
「カシム、ネリスが心配だろう。見に行っていいぞ。そのまま二人の世界に入らないよう、フーラルもついて行ってやれ」
ミュラがそう言うと、カシムは頷いてすぐに神官長の家へと向かい、邪魔者でしかないことが分かっているフーラルは渋々その背を追う。
ざわざわとフォズの姿を一目見ようと集まってきた集落の人々に向けて、幼い大神官は口を開いた。
「……このようなつらい生活を、皆に強いる結果になったのはすべて私の責任です。監禁されていた私は、今まで皆と同じ苦しみを、同じだけ味わってきました」
声を聞こうと、その場がシンと静まり返る。フォズは顔を上げて、幼さに見合わぬ力強い声を発した。
「しかし、それも過ぎたこと。今から、我らの家であるダーマを取り戻すために、ともに力を尽くしましょう」
全員が頷く。ただし、たったひとりだけ、見張り役としていた魔物に操られている人間だけは野次を飛ばしていたが、そんなものは誰の耳にも聞こえていないようだった。
「すまない、皆。大神官はお疲れだし、これからのことを話し合わなければならないから、色々と話が聞きたい、姿をもっとよく見ていたいという気持ちは、よく分かるが。通してくれないか」
大神官を慕う人々へと、温かな目を向けるミュラに、向けられた人々も大人しく従う。そんな中、一人の女性神官がミュラへと近づいてきた。喜びたい気持ちと、不安な気持ちが混ざったような、複雑な表情をしている。
「ミュラ。大神官を神官長の家にお連れするのなら、気を付けてね」
「……何かあったのか?」
女性神官は眉を寄せて、「けっこう前のことだけど、神官長の家からすごい物音が聞こえて」と思案するように顎に手を当てた。
「争うような物音だったのよ。中にいる女の人は何でもないって言うけど、どうにも嘘くさいのよね」
ミュラの眉が寄る。今は非常事態だ。どんな些細な情報でも、切り捨てるわけにはいかない。
「神官長の家でのことについて、他に何か知っている者はいないか。どんなことでもいい」
ミュラが声を上げると、周囲の人々は顔を見合わせた。ざわざわと大神官の前だからか、それとも大神官を救出したことで心に余裕ができたからか、張り上げられた彼女の声に怒気は含まれておらず、ぴんとした緊張感はありながらも、問い掛けには相手への気遣いすらあるような気がしたためだ。
「そういえば、神官長の家でちいさな悲鳴があがったんですよ。何事かと思い、見てきたら、家の中にはきれいな女の人と少年がいるだけでした。しかし、なぜか神官長の姿がどこにも見当たらなかったんです」
おずおずと手を上げた他の神官がそう言うと、ミュラはフォズと目を合わせ、頷く。それからアルスたちに目を向けた。
「貴重な情報、ありがとう。それにしても、きれいな女性と一緒に、少年がいたんだな?」
「ああ、そこの彼らと同じくらいか……少し幼いくらいかな。狼に乗っている子よりは年上っぽかったけれど、とにかく、そんな年恰好の少年だったよ」
神官がアルスたちへ視線を向けると、ミュラはいよいよ確信を抱いた。神官長の家に置いてきたネリス。アルスより少し幼く、ガボよりは年上に見える少年。いなくなった神官長。争うような物音に、悲鳴。思わず、剣の柄に手が伸びる。
「ミュラ。何か良くないことが起こっているのね?」
最初に話し掛けてきた女性神官の不安げな表情を見て、ミュラは剣の柄から手を離した。
「それを今から確認しに行く。まあ、カシムとフーラルが先に行っているから、心配はいらないと思うが」
にこり。微笑んだミュラを見て、フォズはやわらかく目を細めた。それから、何を言うわけでもなくアルスたちへと頭を下げる。女性神官から視線を外して、既に神官長の家を睨むように見ていたミュラは、己の主の様子には気付かなかった。
ずかずかと神官長の家に入ったミュラは、確かに家主の姿が見当たらないことに眉を寄せる。そこにいるのはネリスを訝しむように見るカシムと、虚ろな瞳のザジにかまうフーラルの四人だけだった。
「神官長がいないようだな。ネリス、質問からで悪いが、どこに行ったか知らないか?」
皆の記憶にあるネリスとは違って、彼女は不機嫌そうにミュラを見た。常の彼女ならばミュラの不遜な態度には慣れているだろうし、そもそもそのような表情を滅多にしない。
「知りませんわ」
ずいぶんと素っ気ない返答に、カシムがすらすらと補足を始めた。ただし、普段の気障な彼らしくなく、その表情は険しい。
「ネリスの話では、ザジは一人でひょっこり戻ってきたが、喋ろうとしないんで何も分からないらしい。神官長については、ザジが戻ってきてからいなくなってしまったようだ」
「つまり、何があったのかまるで分からんということか」
カシムの言葉に頷いたミュラは、ネリスにつかつかと歩み寄り、顎に手を掛けて自分の方を強制的に見させた。値踏みするような枯葉色の視線に、ネリスが不愉快そうな顔をする。
「いつもの香水はつけていないようだが、どうしたんだ?」
「し、神官長がくさいと言ったから、やめちゃったのよ」
「ふぅん。カシムのくれた髪飾りも、捨てろと言われたのか?」
ミュラの目の前にいるネリスは、洞窟を出るときにカシムからもらった髪飾りを付けていない。気障な男のプレゼントらしく、女性の好みそうな、繊細で美しいデザインのものだ。憎からず思っている相手からもらったこともあって、ネリスはそれをとても気に入っていた様子だったが。
「あっ、ああ。あれね。捨てるわけないじゃない、なくしちゃったのよ。ごめんなさいね」
慌てたような様子のネリスに、カシムが険しい顔のまま問う。
「……別にかまわないが、体の方は何ともないのかい?」
「もちろん元気だけど、それがどうしたっていうの。もう、変なことばかり聞かないでよ!」
ミュラの手を振り払ったネリスは機嫌が悪そうにそっぽを向いてしまった。
「おやおや、怒らせてしまったようだ」
肩をすくめたミュラは、カシムの隣に移動して「怖い怖い」とおどけてみせる。
「旅のお方にお頼みするのはあまりにも心苦しいのですが、あえてお願いもうしあげます」
親衛隊二人の方へと目が向かないようにか、フォズはミュラがカシムの隣に移動すると同時に、一歩前へと進み出て、アルスたちに頭を下げた。ミュラは主が注目を集めている間に、小声で「フォズ様とやつが離れたときに、正体を暴け」とカシムへ耳打ちした。
「どうか、ダーマを乗っ取った偽の大神官を倒してください。この鍵があれば、ダーマの地下へ通じる道がひらけるはずです」
鍵を受け取ったアルスは、「分かりました」と言って、そっと袋にしまう。ネリスがその様子を執拗に見ていたことを確認して、親衛隊二人はますます瞳に浮かべる険を濃くした。
「偽の大神官が人々をだまして奪った力についてですが……。なにやら、ダーマの地下に、奪った力をたくわえてある奇妙な部屋があるそうなのです。その部屋に行けば、奪われた力を取り戻せるかもしれませんね」
フォズは牢獄に監禁されている間、魔物たちが話していた内容を思い出し、旅人たちへと伝える。結界の中からでは声は届かないが、外からの音は聞こえていた。
さて、その言葉に喜びを隠さなかったのはマリベルだ。魔法が使えないことでやりきれなさを感じていた彼女は、これまで溜まっていたフラストレーションを、力を取り戻した状態で偽の大神官へとぶつけられることに歓喜していた。
「そろそろ出発するか。こちらは四人いることだし、今度は別行動にしよう」
ミュラと話し終えたカシムがそう提案すると、フーラルが「おいおい」と呆れた顔をする。
「もしかしてこの姉弟も連れて行く気か? 足手まといになるんじゃねぇの」
ぶつぶつと何かを呟いているザジを小突くフーラルを見て、何かを言おうとしたネリスに被せるようにミュラが発言した。
「フーラル、お前が馬鹿なのは承知しているが、分からないか? ザジを元に戻すためには本人がいなくては仕方がないし、ネリスも弟からそう何度も離れたくはないだろう」
頷いたカシムが、次の行動について説明する。上の洞窟に入って右に進めば、扉に閉ざされた広場に出るはず。広場にある扉こそが、ダーマの地下へと通ずる道につながっている。カシム、フーラル、ネリス、ザジはそこで待っていて、アルスたちは準備を整えてからそちらへ来てほしい、とのことだった。
「分かりました、カシムさんたちも気を付けてください」
アルスが頷き、カシムたち四人が出ていく。男たちについて行ったネリスが荒々しく扉を閉めたのを眺めていたフォズは、小さく息を吐いた。それから、アルス、マリベル、ガボの順に顔を見る。
「親衛隊の生き残りの中から勇志を募り、用意が出来次第、私とミュラも皆さんのあとを追います。みなさんは、ダーマの鍵で閉ざされた扉を開き、先に神殿内部に潜入してください」
フォズが言葉を切ったタイミングで、ミュラも口を開く。出て行ったネリスを睨むように、閉まった扉の方へ厳しい視線を向けていた。
「気付いているかもしれないが、ネリスの様子がおかしい。私たちがいない間に何かあったというのは、神官長がいないことからも明白だ。カシムがあえて別行動にしたのは確信を得るためと、何か起きても戦いやすい広場でなら対処しやすいと判断したからだろう。あんなやつでも重要なダーマの戦力だ。危険があれば手を貸してやってくれ」
「もちろんです」
短く頷いたアルスは、確かな足取りで歩き出す。フォズとミュラの二人は、家の入口まで彼らを見送った。ダーマを救うために尽力してくれている彼らの背を見て、フォズ大神官は小さく呟く。
「世を照らす、はるかな光」
家主のいなくなった家の外。己が未熟であるゆえに、知らぬところで犠牲になってしまった存在に心を痛めながらも、フォズは小さくなる旅人たちから目を離さない。
「――『神は大いなる絶望に閉ざされた世界を解放するため、楽園に光を生んだ』。そう、とても古い文献にありました。神と魔王の争ったという神話の時代の、神の兵と呼ばれた者が著したのだとか」
フォズは幼い。歴代の大神官の中で最年少であることを疑う必要もないほど、若くして大神官の任についた。普通であれば、親が恋しい年頃。大人に甘えたい、友達と一緒に遊びたい、働く必要もまだない――ましてや、組織の頂点に立って人々を導くなど、そんな重荷を背負う必要などない年齢だ。
しかし、フォズは歴史と伝統あるダーマの神殿の大神官だ。
だからこそ、甘えたい盛りの心は、自分の力を必要とする者たちへの慈愛として与える。己の足で立って歩めと言うのだから、己こそ、そうせねばならないのだ。仲良く遊ぶ同じ年頃の子どもたちを眺めて、己は一人本を読んだり鍛錬したりして、その子らの将来のために知識と力を蓄える。大人に混じって働きながら、強大な力を社会に、世界に還元する。
それでよいと、それでよかったのだと、フォズは今、心から思う。
――私は「光」に逢うため、生まれてきたのだ。
「確かに、彼らには不思議な魅力があります」
ミュラは神妙な顔で頷いた。平静を装いきれず、熱っぽく言葉を吐いた主とは違い、普段の気性の粗さや妄信的な熱量をどこぞへ潜ませて、淡々と言葉を続ける。
「力を貸してもらっているのはこちらなのに、手を貸さなくてはと思えるのです。共にいると、必ず『その先』を見ることが出来るような気がしてくる。説明しがたい感覚ではあるのですが」
見えなくなったその背から視線を外し、最も忠実な従者へと顔を向けたフォズは、驚いたように目を大きく開いた。
「文献には続きがあります。『楽園の光は其の輝きを示し、絶望の大地への扉を開く。その先で力を手にし、新たな絶望へと立ち向かい、世界を救うだろう』……ミュラ、我々は彼らに光を灯していただきました。その光を消してはならない。ダーマを魔の手から奪還し、絶望などには屈しない、人の心を示すのです」
フォズはミュラの手を取り、外へと出た。ずっとその姿を見たいと願っていた者たちへ、ずっとその声を聴きたいと思っていた者たちへ、ずっとその無事を祈っていた者たちへと、彼女はダーマの主として、微笑んだ。
「生き残ってしまったと恥じている親衛隊の勇士たちよ――私はあなた方の顔をよく覚えています。ダーマを、私を、守ろうと必死に戦ってくださったその姿を、忘れられるはずもありません。ここでの生活は、つらく、苦しいものであったことでしょう。魔物に監視され、救えなかった犠牲者たちが心を支配されているのを目の当たりにし、己の無力を嘆くこともあったでしょう」
言葉を切り、居辛そうにしている神官服の男達を見つめる。彼らは親衛隊とばれてしまえば殺されるので、神官にまぎれて、犠牲者たちの世話をして生活していた。
「けれど、私たちは今、光の中にいます。アルスさんたちが灯してくださった、強く、あたたかな光が、伏す時に終わりを告げました。私たちは自らの足で立ち上がらなければならない」
その言葉は、まさしく「光」だった。
「涙で濡れた瞳は、そろそろ前を向き、懐かしきダーマの神殿を映すべきです。犠牲者の世話をしていた腕は、魔を断ち切るための剣を手にすべきです。折れかけて、傷ついた心は、皆で癒しましょう」
その言葉は、まさしく「力」だった。
「そのためには、安らげる場所がなくてはなりません」
その言葉は、まさしく「導き」そのものであった。
絶望に俯いていた顔が自然と上がる。引き結んでいた口元が、自然と笑みに変わる。縛り付けられて、どこにも行けないと思っていた足に力が入る。武器を奪われ、償うために犠牲者に差し出すことしかできなかった手は、血潮が廻ってきて熱いほどだ。
「これまでのことは、全て大神官である私の不甲斐なさゆえ。私に汚名を返上する機会をください。あなた方の協力が必要なのです。生き残れば責められると分かっていながら、死を選ばなかった勇気ある者たちよ。共に、ダーマを取り戻しましょう」
ザッ、と自らの意志のある者たちは全員地に膝をついた。感動して涙を流す神官も、彼女についてゆくことを改めて固く誓った親衛隊も、ダーマで商いをしていてここに流れ着いてしまった商人までもが、圧倒されて膝を着き、ダーマの真の主である少女をその目に焼き付けていた。
「準備が出来次第、すぐに出発する。ただし、もちろんこの集落に残る人間も必要だ。魔物がここへ来ないという保証はないし、神官たちの安全を守るのも親衛隊の役目だからな。なに、武器はこちらで用意するため、戦うことへの心配はいらない。集合は神官長の家だ」
ミュラの声を聞いて、人々は頷き合った。ミュラは名残惜しげにつながれていた手を離し、フォズ大神官に一礼した。「では、武器を調達してまいります」と、底意地の悪い笑みを浮かべると、魔物のひしめく洞窟へと乗り込んでいったのだった。
*
「お待ちしておりました。正面の扉は、フォズ大神官にいただいた鍵で開くはずです。そこでお願いなんですが、ダーマの鍵を少しの間、私にかしていただけませんか?」
広場に三人が辿り着くと、既に到着していた四人の中からネリスが一歩前へ出て、手を差し出してきた。鍵を渡されるのが当然、というような態度に、アルスは努めて冷静に「いえ、これは僕が預かった物ですから」と拒否を示す。
「そうだ! そんなヤツに鍵を渡す必要はない」
その言葉に同調したカシムが、すらりと剣を抜く。その顔には、気障で余裕を崩さない男には珍しく、憤怒がありありと浮かんでいた。
「貴様はいったい何者だ。いい加減に正体をあらわせ!」
いなくなった神官長と入れ替わりのように戻ってきたザジ。諸々のおかしな挙動に加えて、ミュラとカシムが鎌を掛けたことにすら気付かないこと。その他、道中のちょっとした確認のための会話で、とっくに彼女が偽者であることなど明白となっていた。
ネリスは普段から香水などつけないし、髪飾りを失くしたとしても、あんなにあっけらかんと悪びれもなく「ごめんなさい」だなんて言うはずがなかった。体調のことに関しても――「変なことを聞くな」など、それこそ変なことを言って墓穴を掘っていたのだから、確認などわざわざとらなくてもかまわなかったのだが。
「アーハッハ。外見はマネできても、しぐさや性格まではムリか。人間とは複雑だねー」
高笑いをしたネリスは魔物へと姿を変えた。腐った肉塊のような崩れかけの体にぎょろりとした目玉のついている醜悪な外見をした魔物は、聞いてもいないのにべらべらと言葉を続ける。
「お前たちを油断させるために女の姿にばけていたってのに、早くもバレちまうとはねぇ。ちょうどいいから、お前たちはこの場で始末してやるよ。大神官はその後でもいいや」
「その前に、ひとつこたえろ! ネリスと神官長はどこだ?」
どう考えてもあの副隊長殿がこんな魔物に大神官をみすみす食わせるわけがないが、そのことは置いておく。やはり、大神官とその従者がいないところまで連れてきて正解だったとカシムは怒りに震えながらも、頭の中の冷静な部分でそう考えていた。彼女がいたら恐らく今の言葉を聞いただけで瞬殺していたことだろう。聞きたいことも聞きださないままに。
「女の方は生きてるよ。でも、ジイさんはオイラが食っちまったけどね。イヒヒヒヒ」
案の定、お喋りな魔物は耳障りな笑い声を上げながら答えた。カシムはもう用はないとばかりに魔物へと斬り掛かるが、初動を予測していたのか、にやにや笑いをやめないまま躱されてしまった。崩れかけの肉塊のくせに、存外俊敏な動きをする。
「おっとっと、お前の相手はこっちの坊やだよ。さあ、ザジ。今こそ、恨みをはらすんだ。魂の剣をあたえてやる」
ザジの手に青白い魂の剣が形成されると、虚ろだった少年の目が憎悪で爛々と輝き始めた。カシムに斬りかかったザジを見て満足げに頷くと、マンイーターは愚かにも、アルスたちに向かって襲い掛かってきた。
ダーマ奪還の中核を担っていたイノップとゴンズが打ち滅ぼされたのは、親衛隊とただものでは無さそうな盗賊、それから大神官自身の力のせいであると勘違いしている魔物は、目の前の少年少女の力量を正しく見抜けなかったのだ。
イノップとゴンズのように強化されているわけでもなく、厄介な攻撃があるわけでもない。マンイーターという名の魔物は、あっけないほど簡単に倒された。
だが、ザジと交戦するカシムは手こずっていた。フーラルに野次を飛ばされるが、魂の剣で攻撃を受ける度に力が抜けていくことと、そもそもザジに怪我をさせるつもりがない気障な男の性分もあって、さっさと片を付けることができないでいるのだ。
「しまった、剣が!」
そうこうしている間に剣を弾かれてしまったカシムは、覚悟を決めてザジを見る。彼の推測が正しければ、傷つけもせず、むしろ元に戻す方法は――。
「ああっ、僕の剣が!」
とどめを刺そうとしたザジは、相手は武器を持っていないという圧倒的優位の中で油断した。カシムはその一瞬の隙を突き、ザジに斬り掛かられたところを体を捻ってかわし、その勢いのまま剣を奪ったのだ。
「これが魂でつくられた剣なら、持ち主であるザジの身体に、再び宿ってみせろ!」
そう言ってザジに向けて投擲した剣は彼の背中の中ごろに深く突き刺さり、その姿を消した。悲痛な叫び声を上げたザジは地に伏せ、死んだように動かなくなってしまう。カシムに向かってマリベルやガボから非難の声が上がったが、彼が「魂の抜けた体に、魂を戻してやったはず」という発言をして間もなく、むくりとザジは立ち上がった。彼の体に傷はない。
起き上がったのはもう虚ろな瞳ではなく、普段の――少々ばつの悪そうな顔をしたザジだった。ザジは魔物に操られていたことと、魂の剣を持つと人を憎む気持ちで正気ではいられなくなることを説明し、カシムを殺す気はなかったことを強く主張した。
その言葉を疑う気はないのか、カシムもあっさりした対応で先へ急ぐ旨を伝える。ネリスを早く救出したいカシムとザジの後について行くフーラルは「やれやれ」とでも言いたげに振り返って肩をすくめた。
「僕たちも行こうか」
「そうね。急いだ方が良いんだろうけど、なんだかあの二人を見ていると冷静になるわ。本当、ネリスのことになると、冷静なふりして冷静じゃないわよね」
「でも、オイラもネリスが心配だぞ!」
「そりゃあね、あたしだって心配よ。だけどあの人たち、急ぎすぎて奪われた力を取り戻す前にダーマ神殿についちゃうんじゃない?」
軽口をたたきながら進むと、地下道の半ばあたりに奪われていた力の集まる部屋を発見する。さっそく天井に集まる光の下へと移動し、拍子抜けするほど簡単に力を取り戻したアルスたちは、その後も力の使い方を思い出しながら戦いを重ねてゆき、ようやくダーマ神殿に辿り着いたと思った。
しかし、そこにあったのは大きな闘技場――いや、その場で行われているのはまぎれもなく決闘だから、決闘場と呼ぶべきか。とにかく、奇妙な沈黙が支配していたダーマ神殿ではなく、異様な熱気のこもった場所である。
まだまだ苦難は続きそうだ、と三人はそれぞれ苦い顔をした。