「わたし……」
埃が落ち着いてくると、咲夜の前にはメイドのような格好の少女が徐々に見えてきた。そこで時間を止めればいいものを、どこかで見覚えがあったそれを、ついまじまじと見つめてしまう。
青いメイド服、銀色の髪、青い瞳、右手には銀のナイフ。
間違いない。咲夜の目の前にいる少女は、自分と同じ、十六夜咲夜だ。
不気味なほど無表情の自分が目の前にいた。その事実だけで咲夜の動揺は計り知れない。鏡を使ったトリックでもない。よくよく見ると目の前の少女は、紅魔館で働き出してすぐのころの背格好だ。その証拠に、今のメイド服には入っていない『RedMagic』の刺繍が袖口にあしらわれている。
現在の咲夜は自身の肉体年齢を20歳の頃で止めている。目の前の少女はおそらく17歳くらい。あまりにも似ているので冷や汗が走った。もしかして目の前の少女は、見た目以外のところも似ているのではないか?
「時よ止まれ!」
咲夜が叫ぶと、ハチを退治したときと同じように音が無くなった。咲夜はゆっくりと、一歩一歩少女に近づく。咲夜の脚はそれ以上動かなくなった。これ以上この娘に近づいてはいけないことが直感的に理解できた。咲夜は能力を使うとき、瞳の色が青から紅に変わるという非常に個性的な特徴があった。そして少女の目も、この静止時間の中で確かに紅く色づいている。ピタリと動かないが、これは誘っているだけだ。
少女は無表情のまま咲夜に切りかかる。咲夜が罠にかからないとみるや、瞬時に行動を変え、咲夜の首筋を狙う。
止まった時の中で、咲夜もまたナイフで応戦した。少女とはいえ、人間の全体重がかかったナイフはやけに重く感じる。
(あなたは一体、誰なの?)
咲夜は頭に浮かんだ疑問を必死で振り払おうとした。そんなことを考えている間に、自分の頸動脈は跳ね飛ばされるだろう。近接ナイフ術、咲夜の十八番であるが、目の前の少女にとってもまた、得手であるようだ。
咲夜は少女のナイフをはじき、間合いを取ろうとする。しかし、間髪入れずに少女は咲夜の懐へ飛び込んだ。咲夜はまたも少女のナイフを受け止め、防戦一方となる。
(このままでは不味い)
相手の少女はかなり手ごわいことが、たったに二撃でわかった。的確に急所を狙う剣筋に、常に自分のペースに相手をのせる攻め方。ここから抜け出すのは至難。しかし、咲夜はあえてナイフを手放すことにした。
持っていたナイフを少女の足元に投げつけることで、一瞬だけ少女の前進を止められた。この隙に距離を取る。
空虚『インフレーションスクウェア』
咲夜は空間魔術を用いて、さらに間合いを取ろうとした。このあたりの空間を膨張させることで、少女との距離をを開く。しかし、空間は咲夜が思ったほどは広がらず、逆に膨張が止まってしまった。
『デフレーションワールド』
驚いた。少女もまた、空間魔術を使い咲夜の膨張に対抗している。咲夜の技だが、こちらは空間を収縮させるために使う。
これではっきりした。目の前の少女は、咲夜と全く同じ能力を持っている。
時間停止が解除され、世界に音が戻った。咲夜たちの戦闘で歪んだ空間の影響か、本棚が崩壊し本が次々と散乱していく。
奇術『エターナルミーク』
咲夜は無数のナイフを召喚し、少女に射出した。距離を詰められる前に、いち早く攻撃に転じる必要がある。
奇術『エターナルミーク』
少女もまたナイフを召喚し、咲夜のナイフを全て撃ち落とす。その正確無比な動きは機械さながら。だが、咲夜はもう一本別のナイフを仕込んでいた。
光速『C.リコシェ』
空間魔術によって限界まで加速されたナイフが少女の背後に迫る。この屋敷中の空間を歪め、あらゆる場所を飛びながら戻ってきたナイフは、的確に少女の心臓へと突き進んでいた。
「これで終わり」
そうつぶやいたとき、咲夜の目の前に脈絡なくナイフが現出した。瞬間、すべてを悟った。これは、あの少女のナイフだ。自分と同じことを少女もやっていたのだ。
咲夜には全てがスローモーションに見えた。別段能力は使っていない。人間は時として、死に直面したりすると、脳が興奮のあまり加速し、世界がゆっくりに見えることがあるらしい。
ゆっくりと言っても、そう見えているだけで、何かができるわけではない。時を止めることも、身体をそらすこともできず、ただ目の前のナイフが迫ってくるのを見ているだけ。意識だけが加速する中、自分の肩にだんだんと銀のナイフが突き刺さっていくのを感じていた。
必死になって逃げた。多分、今は屋敷の二階にいる。というのも、どうやってここまで逃げてきたかよく覚えていない。肩にナイフが刺さったまま、無我夢中でここにきた。ただ、その中でもどうにか屋敷からは逃げないでここにいる。今回は霊夢から頼まれたことだが、そもそもはレミリアが霊夢の頼みを受けたのだ。つまりこれは主命、咲夜にはこの屋敷の謎を解く義務がある。
いや、実際はそうじゃない。もちろんレミリアを無下にするつもりはないが、自分そっくりの少女のことがどうしても気になる。あれは一体なんだ? 数々の疑問が咲夜の中で浮かんでは消えていく。
そして、目下最大の課題は、そんな彼女にどう勝てばいいかということ。
「ナイフ術、時間停止、空間魔術、私と同じ能力」
同じ能力と言いつつ、咲夜には少女のほうが自分より格上だと言い切れる材料があった。常に間合いを支配されたナイフ術、先だしの膨張魔術に対抗できる収縮魔術。残念ながら、戦力差がある。
最後のC.リコシェは、恐らく少女も咲夜の心臓を狙っていただろう。しかし、咲夜が周りの空間を歪めていたので、本来の狙いから少しそれて肩に当たった。彼女も同じ状況のはず。あまりに混乱して、自分のC.リコシェが当たったかどうかも確認できないままここにきてしまった。厳しく考えるなら、少女には当たらず避けられた可能性さえある。
咲夜は傷口を確認する。咲夜はナイフを引き抜くと同時に、手で傷口を抑えた。息を整え、能力の全てを傷口に注ぐ。
空間魔術の応用、傷口も空間であるから、皮膚が密着するように操作することで止血効果が得られる。もちろん、細かい血管の修復や神経の縫合などは難しい。あくまで応急処置だが、咲夜が長年の経験の中で培った自前の回復魔術だ。
歳を重ねて、身体の不自由を感じる機会が増えてきた。咲夜は今年で33歳。見た目は20歳で止めているが、実際には能力の精度や使用回数が、若い頃に比べ落ちてきている。だからこそ、17歳の自分が目の前に現れた今、それに執着している自分がいる。あの頃よりか色々なことを知っているはずだ。それが今の咲夜を支えている。
「裏をかくしかない」
戦力差がある状況で敵に勝つには、作戦が必要となる。
咲夜はじっと、少女を待っていた。彼女は必ず自分を探しに来るはずである。二階の廊下で少女を迎え撃つべく、ありったけのナイフをあたりに配置しておく。時を止めてしまうと獲物を探索するのに不便なので、恐らく少女は時間停止を使ってこない。近づいてきたのなら、必ず足音がするはずだ。咲夜は廊下の奥の柱に隠れて、少女が廊下を通る時、殺人ドールでめった刺しにする。仮に時間停止を使われても問題ない。咲夜が思うに、少女か咲夜のどちらかが時間停止すると、もう片方も自動的に停止時間に入門する。
もし一方的に時間停止できるなら、咲夜が屋敷に入った時点で時を止めれば終わっていた。そして咲夜が時間停止したときに、全くずれることなく同時に発動するというのもできすぎている。
咲夜は耳をそば立てて、柱の陰に隠れていた。
コツ、コツ、コツ
ヒールの音がする。最近はかかとの高い靴が面倒になって履かないけれど、若い頃は好きだった。背伸びをしたい年頃は誰にだってあるもの。ただ、これからその年頃の少女を狩り取るというのは、なんとも複雑な気分だった。
足音はだんだんと近づいてくる。攻撃地点までもう少し。
あと3歩、2、1
足音が途切れた。それと同時に咲夜の足元が崩れ落ちる。無数の亀裂がナイフの空を来る音と共に床面に走った。奴は下に居る! 咲夜がそこに思い至ると同時に、時間が止められた。亀裂の走った床は、静寂の中で崩れ落ちないまま保たれ、下の様子が見えない。咲夜は自身の足元から手が伸びて、足首をつかまれるまで身動き一つ取れず、そのまま一階まで叩き落された。