「もし、死んだ生物を生き返らせる方法があるとすれば、あなたは信じるかしら」
目の前に出された蕎麦に目もくれず、半開きの目をぼんやりと開いた鶏ガラが、そんなことを言い出した。「死者蘇生ってやつよ」
人里の端の、誰も寄り付かないような寂れた場所でひっそりと佇んでいる蕎麦屋だ。かつて全焼した建物と瓜二つだが、全体的に真新しい。前の店主の時には、客なんて一切いなかったのだが、今ではちょくちょく現れる。やはり、閑古鳥が鳴いていたのは彼の人柄のせいだったのだ。
「死者蘇生だなんてどうでもいい。そんなことより、早く蕎麦を食えよ。伸びちまうぞ」
「私、あまりお腹空いていないのよ」
「なら、なんで来たんだよ。帰れ」
客に帰れなんて失礼ね。そう笑った鶏ガラは、紅魔館の魔女らしく箸をふわりと浮かせ、手もとに寄せた。そんなしょうも無いことに魔法を使う彼女に呆れる。これだから強者は。
「いいか。どんなことも先延ばしにするような奴は駄目なんだよ。早めに行動することが大切なんだ」
「蕎麦と同じで?」
「そうだ」私は強く頷いた。「人生は蕎麦と同じなんだ」
鶏ガラが鼻で笑ったのが分かったが、無視して言葉を続ける。
「どんなことも先延ばしにしちゃいけねえんだよ。蕎麦と同じだ。人生も、蕎麦も、伸びたら腐っちまう。だから、そういう奴には伸びた蕎麦を出して、こう言ってやるんだ。お前の人生は、この蕎麦だってな」
「酷いわね」くすくすと静かに笑った彼女は、だるそうな目を眩しそうに細めた。
「それ、あなたにだけは言われたくないわ」
「どういう意味だよ」
「その包帯を解かないと、あなたは腐ってしまうって事よ」
動かない大図書館は、私の顔に巻き付けられた包帯を指さした。彼女の言葉は相も変わらず意味が分からない。いつだってそうだ。慧音といいこいつといい、どうしてまどろっこしい言い方を好むのだろうか。理解できない。くそ食らえだ。
「こんな店主がいる蕎麦屋なのに、どうして潰れないのかしらね」
「そりゃ、美味しい蕎麦を作るからだよ」
「冗談でしょ?」
「本当だ。なんだって、あの引きこもりがちなパチュリー・ノーレッジが食べに来るくらいだからな。きっと、私の蕎麦には不思議な力があるんだ」
「不思議な力って?」
「引きこもりを外に出す力。あなたのソバにってな」
鶏ガラは肩をすくめた。これ見よがしに一口そばを頬張り、眉をしかめている。
「美味しくないわ」
「伸びた蕎麦は美味しくないに決まってるだろ」
「伸びて無くても美味しくないわよ。天邪鬼が作る蕎麦なんて、美味しい訳ないわ」
「天邪鬼? 誰だそいつ」
顔を下げ、大きく息を吐いた鶏ガラを見ると、自然と頬が緩んだ。呆れているのか、頭を押さえ首を振っている。あの博識な魔女が悩んでいる姿を見ることは、最近の幸せだ。
天邪鬼は死んだ。一年前、八雲紫の手によって殺された。そうなっているし、そうでなければならない。数多の人を殺し、苦しめ、挙げ句の果てに小人を欺き、幻想郷を混乱の渦に巻き込んだ。そんな極悪非道な天邪鬼がもし今生きているとなれば、人里は黙っていないだろう。また、以前のように追い出されてしまうに違いない。だから、そんな奴はもう死んだのだ。そういうことにしたのだ。誰が。他でもない、妖怪の賢者が。
「天邪鬼だなんて知らねえよ、私はただの蕎麦屋だ」
「ただの蕎麦屋がどうして顔に包帯を巻いているのよ」
「怪我でもしたんじゃねえの?」
「それに、どうしてそれで正体を誤魔化せているのか、私には分からないわ」
生意気にも溜め息を吐いた鶏ガラは、ふるふると首を振った。とはいうものの、鬼の世界から帰ってきた私を見たとき、鶏ガラは私の姿を見てもまったく気がついていなかったのだが。いったいどの口が言うのだろうか。
「というより、あなた、正体を隠す前の時も、ずっと包帯を巻いていたじゃない。怪我をして」
「まあ、天邪鬼は殴られてなんぼだからな」
「どういう意味よ」
「知らねえよ」
辛そうに眉間を押さえた鶏ガラは、だからね、と肩をすくめた。
「だから、包帯を巻いていたら、逆にあなただってばれちゃうんじゃないかしら」
「大丈夫だ。そもそも私は天邪鬼じゃないからな」
「そんなこと言っても、いつかバレるわよ」
「何がバレるんだよ。へそくりか?」
「正体よ。ま、どうせバレるなら有効活用しなさい」
「なんだよ。積み立てでもすればいいのか」
「へそくりの話じゃないわ」鶏ガラは鼻先で笑った。嫌な笑い方だ。「どうせ正体がバレるのなら、格好良くバレなさい。寝ている間に天邪鬼だとバレた、なんて面白くもないわ」
「何の話か分かんねえな。私は天邪鬼じゃないから」
嘘だ。だが、真実でもある。私が天邪鬼なのは間違いない。ただ、天邪鬼はもう生きてはいないのだ。そういうことにしたのだ。
「天邪鬼は死んだんだろ? 私は違う。ただの蕎麦屋だ」
「死んだ、ねえ」
鶏ガラは意味ありげに目線を私に向けた。
「今、人里の間で、死者を生き返らせる方法ってのが話題らしいのよ」
「さっき言ってた奴か」
「驚きよね」
驚きなのは、そんな眉唾な話を楽しそうに話すお前の神経だ。いつも通りの落ち着いた声だが、何度もその話題をぶり返す辺り、興味があるのだろう。もし本当に可能ならば試してみたい。そう思っているに違いない。
「やめておけ」私の声は自分の想像以上に低かった。
「そんなもん、嘘に決まってんだよ。碌な事にはならねえ」
「なんでそんなことが分かるのかしら」鶏ガラは不満げに鼻を鳴らした。「あなたなんかに、どうしてそんなことを」
どうしてそんなことが分かるのか。そんなの私自身も分からなかった。ただ、嫌な予感がしたのだ。全身が赤錆びにまみれた一人の老人の姿が頭に浮かぶ。母親を生き返らせようとした、哀れな少年の姿が頭に浮かぶ。些細な願いを叶えるために、小槌を振るった小人の姿が頭に浮かぶ。得体の知れない呪いのような物に手を出すことは、この世で一番やってはいけないことだ。
鶏ガラは、いつの間にか蕎麦を食べ終えていた。美味しくないと言いつつも、何だかんだ完食する彼女を見ていると、笑いがこみ上げてくる。が、彼女の放った言葉は、その笑みを打ち消すには充分なものだった。
「あなたにも、生き返らせたい奴の一人や二人、いるんじゃないの?」
「は?」
「もしいるなら、少しは考えておいたらいいんじゃないかしら」
それだけ言い残した鶏ガラは、ごちそうさま、と言い残して席を立った。
「おい、金置いてけよ」憮然とした態度で立ち去ろうとする鶏ガラに向かい言った。「うちは慈善事業じゃねえんだ。引きこもりだって金を払ってもらう」
「あら、恩人に対してなんて態度なのかしら?」
「恩人だあ?」
「あなたの指、治してあげたじゃない」
怪我だって何度も治してあげてるでしょ、と薄い笑みを浮かべた。
私は、いつの間にか自分の左手を見ていた。傷一つ無く、綺麗な手だ。とても指が落ちたとは思えない。それもこれも、確かに鶏ガラのおかげだ。恩があるというのは間違い無い。
だが、恩を仇で返すのが天邪鬼だ。そう思い、ひとり苦笑する。どう取り繕ったところで、私は天邪鬼なのだ。こんな調子ではいつか正体が露見してしまう。そう思うと、肝が冷えた。
鶏ガラは、ふわりと紫色の服を翻し、カタカタと風で震える扉を開く。春の暖かい空気が部屋に入ってきて、いっきに室内に春があふれ出した。
だが、それでも私の身体は冷たかった。鶏ガラの言葉が頭の中で何度も響く。生き返らせたい奴はいるか。頭の中で、得意げに鼻を鳴らす男の姿が思い浮かんだ。「お前は人間よりも人間らしい」そう笑う老人の姿だ。
「馬鹿馬鹿しい」
一人残された蕎麦屋でぽつりと呟く。胸にこみ上げてくる何かを誤魔化すように、思い切り机を叩く。端に置かれた二枚の写真が、責めるようにこちらを見ている気がした。