天邪鬼の下克上 ex   作:ptagoon

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狩人と獲物

 人里は混乱している。烏も、妹紅もそう言っていたことを思い出した。だが、混乱といっても、実際にどのような騒ぎになっているかは知らなかった。それは、興味が無かったからでも、目をそらしていたからでもなく、単純に人里を出歩くことが少なかったからだ。そう分かったのは、実際にその混乱に巻き込まれてからだった。

 

 本来であれば、ひとりで人里を歩くなんて、絶対にしたくはなかった。正体がバレては困るし、嫌な思い出しかない。だが、さすがに蕎麦屋で死ぬまでじっとしているわけにもいかず、かといって出かける度に巫女や慧音に頼むような、子供のような真似もできないので、しぶしぶ外へ出たのだ。

 

 のんびりと呑気に買い物をするわけではない。また、烏のもとへと向かおうとしたのだ。悲しいかな、情報を集める際に頼れる奴はあいつしかいなかった。文文。新聞が情報の命綱なんていったら、おそらく皆に嘲笑されるだろう。だが、そんな物にしか頼れないのも事実だった。

 店を出て、大通りに進むまでは良かった。早朝で人も少なく、空は雲に覆われている。包帯をしているとはいえ、逆にその包帯が目立っている節もある私からすれば、雲はありがたかった。

 そいつを見掛けたのは偶然だった。最近よく烏が新聞を配っている、大きな桜の木の麓に向かっている時、たまたま見掛けた。

 

 誰をか。小魚をだ。

 

 私以上に目立つ彼女が、こんな朝っぱらに人里で佇んでいるとは思えず、二度見してしまった。一度目で、その特徴的な尾びれと、青いくるくると巻かれた髪に驚いて声を上げてしまい、二度目で、その尾びれに縄がつけられ、ペットの犬よろしく家の横でじたばたとしていることに気がついた。

 

 最近の人里では弱小妖怪をペットとして飼うことが流行っているのか。一瞬だが、本気でそんなことを考えてしまう。それほどまでに、自然に、違和感なく小魚が捕らえられている。家が大きめの木造のものであることも、それを助長していた。

 

 最初、そのまま無視して烏のところまで行こうかと思った。あんな弱小妖怪を助ける義理は私にはないし、いざとなれば烏か慧音が助けてくれるだろう。そう思ったのだ。だが、なぜだか彼女のことが気になった。

 

 理由は分からない。気まぐれだ。あの腹が立つ小魚の惨めな姿を、もっと近くで見たくなった。そうに違いない。

 

 近づくと、彼女の凄惨な様子がより露わになった。綺麗な虹色に光っていた鱗は剥がれ落ち、薄く赤色の血が滲んでいる。土にまみれていることを考えると、逃げようとした際に土で擦ったのだろう。酷く暴れたせいか、縄とヒレの間は紫色にうっ血していた。が、今では彼女は大人しく空を見上げている。その目には何も映っていない。一晩中こうして放置されたのだろう。姫というにはあまりにもみすぼらしい姿になっている。

 

「おいおい、情けねえな」

 

 声をかける気なんてなかったが、私はそう口走っていた。声色でばれないかと不安になるが、どうやら小魚は私だと気づいていないようで、面倒そうに目を向けてくる。

 

「こんな場所に魚を置いといたら、干からびちまうだろうが。それとも、干物を作る予定だったのか?」

 

 小魚は返事をしない。助けを求めようともしなかった。ただ、虚ろな目で私を見上げるだけだ。それだけで、彼女がどのような目に遭ったかが分かってしまう。自然と手に力が入った。本当は、ただ無言でこいつの縄を切り、たっぷりと嫌みを言った後に金でも貰って帰ろうと思っていた。それが正しいと、今でも思っている。ただ、いつの間にか私は隣の家の扉を乱暴に押していた。てっきり鍵がかかっていると思ったが、不用心にもそんなものはなく、いとも容易く扉は開いた。がしゃんと嫌な音が辺りに響く。想像していた以上に家の中は広く、がらんとしていた。目の前に二つの布団が見えたが、人はいない。と思ったが、先ほどの扉の音に驚いて飛び起きたのか、家の端で固まっていた。

 

 夫婦だろうか。老年の男女が互いを支え合うようにして立っている。食糧不足のせいか、腕はゴボウのように細く、くすんでいた。白い髪も相まって、幽霊のように弱々しい。

 

「おい、お前ら」

 

 私の声は、どこか気が抜けていた。筋骨隆々の恐ろしい大男が出てくると予想していたので、拍子抜けしたのかもしれない。

 

「すこし、話がある。何の話か、分かるか」

 

 私の声にびくりと肩をふるわせた二人は、互いの顔を見つめ合い、示し合わせるように頷いた。しわがれた肌に涙の線が浮かんでいる。

 

 よろめきながら、おずおずと近づいてくる二人は、とても小魚をいたぶる人間のようには見えなかった。私を恐れ、怯え、絶望している。まるで、大妖怪にでもなった気分だ。この私が、だ。

 

「本当にすみません」

 蚊の鳴くような声で、謝った。夫婦のどちらが言ったか分からないほどに、その声は小さい。

「悪いことだとは分かっているんです。本当にごめんなさい」

「謝るなら、外の小魚に謝れよ」

「小魚?」

「そこの妖怪だよ。お前らが捕まえた」

 

 ああ、と彼らは悲しそうに目を伏せた。女性は何かを言いたげに口を開こうとするが、隣の男性が首をゆっくりと振り、またゆっくりと目を伏せる。やっぱり、諦めるべきなんだ、そう小さな声が聞こえた気がした。

 

 二人はおぼつかない足で外に出た。その後ろからついて行く。彼らの背は年のせいか酷く縮んでおり、腰も曲がっていた。どうして彼らに小魚が捕らえられているのか、本当に分からない。

 

「ごめんよ、人魚さん。本当にごめんよ」

 

 男は涙を隠そうともせず、小魚にそう言い続けた。が、それでも小魚は反応しない。目は開いているものの、何も見えていないようだった。

 

 ぐったりと寝転んでいる小魚の側に寄った男は、大きなはさみを使い、彼女のひれを固定していた縄を慎重に切った。ぱちんと大きな音がし、ほどける。

 

 小魚の反応は早かった。今まで本当にぼけっとしていたのか、と思うほど素早く跳躍し、老夫婦の元へと突進していく。が、やはり放置されていたせいで体力が尽きていたのか、尻餅をついた老夫婦にぶつかるより早く失速し、地面に突っ込んだ。砂煙が舞い、地面に跡が残る。

 あの小魚が、そのまま逃げればいいものを、弱小妖怪らしくもなく、反撃に時間を使った。私の知っている彼女らしくない。人里で人間を襲えばどうなるかなんて、嫌というほど、それこそ身をもって知っているはずなのに。

 倒れている小魚を背負う。顔に包帯を巻き、背中に人魚を背負った奴なんて、目立つに決まっていた。これは失敗したか、と後悔していると「あの」と婦人が申し訳なさそうに手を合わせてきた。彼女は膝をつき、土下座をするような恰好で涙を流している。

 

「本当に申し訳ないことをしてしまいました」

「そんなに謝るな。本当に申し訳ないと思ってんなら、土下座なんて止めてくれ。目立ちたくねえんだ」

「でしたら」

 

 今度は男性の方が声を出した。地面に座り込む女性の肩を撫で、優しい声で言ってくる。「でしたら、せめてお茶だけでも飲んでいって下さい」

 

「おまえ」

 ボロボロの小魚を落とさないように、しっかりと手を回す。おいおいと泣く老人と、意識を失った小魚。端から見れば、私が悪人に見えるだろう。だが、それでもいいと思えた。自然と笑みが浮かぶ。頭をよぎったのは、巫女の言葉だった。

「おまえ、馬鹿か。それともお人好しかよ」

 たぶんどっちもだな、と呟く。老人達はぽかんと私を見上げていた。

 

 

 

 

 

 先ほど押し入った時にも感じていたが、老夫婦の家にはほとんど物がなかった。がらんとした部屋に、ただ布団とちゃぶ台があるだけだ。壁は長い年数を経たせいかヒビが入っており、それはこの老夫婦の肌によく似ていた。

 

「これ、どうぞ」

 

 出がらしですが、と出された茶は、本当に出がらしだった。水にうっすらと緑色が混じっているだけだ。当の夫婦は出がらしどころか、ただのお湯をありがたそうに飲んでいた。

 

 室内に入る時感じた少しの緊張はもはや消え去っていた。最初、これは罠なのではないか。いくら見た目が貧弱な老夫婦とはいえ、小魚をここまで追い詰めたのは事実だ。そんな彼らが、みすみす私たちを室内にいれ、無事に返す保証なんてどこにもなかった。が、それでも私は彼らの提案通り、家に居座り、茶を飲んでいる。できるだけ目立ちたくなかったということもあるが、彼らが似ているように思えたのだ。あの、蕎麦屋の夫婦の未来の姿を見ているような、そんな気がした。

 

「うっすいな、このお茶。風味しかしねえよ」

「申し訳ないです」

「おまえなあ」私はここが自分の家かのように、足を投げ出した。「謝るんだったら、そんなことしなけりゃよかっただろ。なんで小魚を捕まえてたんだ」

「本当に申し訳ございませんでした。ご友人にこんなことを」

「待て待て。言いたいことは多々あるが、とりあえずこいつは友人じゃねえ。そもそも、知り合いですらねえよ」

 

 え、そうなんですか、と老夫婦は声を合わせた。初めて出た謝罪以外の言葉がそれかよ、と苦笑してしまう。

 

「いえ、あんなに怒っていられたので、そう思ってしまいました」

「怒ってねえよ。怒っていたとすれば、『ああ、街の景観がこんなお魚によって汚されちゃったわ。干物を作るならきちんと吊さないと』って怒ってたんだ」

「そうなんですか」

 

 そうなんです。と口調を真似て返す。夫婦はやっと、ふわりと頬を緩ませ、ふふっと笑った。気に食わない笑い方だ。私たちと同じ、弱者の笑い方だ。

 

「あなた、お名前は何て言うんですか?」

「蕎麦屋だ」

「そばやさん、ですか。変わった名前ですね」

「なんで信じるんだよ」

 

 呆れを通り越して、笑いがこみ上げてくる。それに反応したのか、小魚が身を揺らし、尾ひれで私の背中を叩いてきた。私をこんな目に遭わせた奴らと雑談するな、と怒っているのだろうか。知ったことではない。

 

「人里の外れに蕎麦屋があるんだ。そこで無茶苦茶旨い蕎麦を作っている。暇だったら来てくれ」

「ああ、あの何もないとこの。また今度、食べに行ってみようかねえ、ばあさん」

「そうだねえ」

 

 呑気な声だ。だが、小魚の姿を見る度に彼らの表情は曇り、今にも泣き出しそうな、いや、既に泣き出しているにもかかわらず、眼球が枯れ果てるまで涙を流しそうな顔へと変わる。

 

「なあ、ひとつ、聞いていいか?」

「ええ、かまわないですよ」

「なんで小魚を。この人魚をこんな風にボロボロにしたんだ」

 

 想像よりも彼らは動揺しなかった。互いに顔を見合わせ、ゆっくりと頷く。きっと、私がこの家に飛び込んできた時に、すでに洗いざらい白状することを覚悟したのだろう。いや、違う。逆だ。彼らは、私にそれを話したがっている。嫌な予感がした。誰かが相手に何かを伝えたい時、それは自慢話か、不幸話のどちらかだ。

 

「話せば長くなりますが」

「短く話せ」

「実は、私たちには昔、息子がいまして」

 

 昔、いまして。それだけで、この話の結末が分かったような気がした。

 

「元気な男の子でした。大志っていうんですけどね。やんちゃで、でも優しくて。何か間違ったことがあると、親である私たちにも言ってきたんですよ。それはおかしいって」

 あなたに似てますね、と微笑む彼らの目は生暖かかった。きっと、彼らは私の後ろに、その大志なる少年の姿が見えているに違いない。まったく、馬鹿らしい。

「でもね、大志が十二になる時、病気しちゃったんですよ。いつもは元気いっぱいのあの子が、嘘みたいにしおらしくなっちゃって。私たちも医者に連れてったんですが、駄目でした」

 彼らの瞳に悲しみはなかった。あるのは懐かしさと愛おしさだけだろう。

「その大志って奴の話と、この人魚を痛めつける話の何が関係するんだよ」

「もう一度、会いたかったんですよ」

「人魚にか?」

「大志に」

 

 そこで、彼らはまた新しい表情を見せた。自らの罪に耐えかねた、愚かな反逆者のように両手を組んで祈っている。

 

「最初はね、本気じゃなかったんですよ。死者を生き返らせる方法だなんて、嘘に決まってるって」

「まあ、嘘だろ。普通に考えて」

「でも、普通に考えられなかったんです」つまり信じてしまったんです、と彼らは続けた。「だからといって、それを実行できるわけがないのも事実でした。そんな機会が訪れることなんてあり得ないと、そう思っていたんです」

 

 そこで、老婆は転がっている小魚の尾びれに手を触れた。痛々しく変色した傷が目に入ったのか、驚くように目を丸くしている。が、ふるふると首を振った。何かの迷いを断ち切るかのような、自身の傲慢さに嫌気がさしたような、そんな仕草だ。

 

「でもね、そう諦めていた時、彼女がやってきたんですよ」

「やってきた?」

「連れてこられた、と言った方がいいかもしれません」

 彼女の口にする言葉の意味が分からず、当惑する。

「この世のものは、大体商売になるんです」

「まあ、殺され屋なんてものもあるしな」茶化しているとでも思ったのか、老婆は見た目に似つかわしくもない、鋭い声を出した。

「嫌な世の中になったもんですよ。こんなことまで商売になるだなんて。いつの日か、人助けでも金を取られるんじゃないかと、私は本当に思ってますよ」

「何事にも対価がいるだろ」

「あなたも、そう思うのですか」

「思うね。まあでも、私だったら金じゃなくて、鰹節がいいな」

「どうして」

「蕎麦に合うだろ。それに、いざというときには武器になる」

 

 ケチャップが盾で、鰹節が武器だ、と私が呟くと、「変わった人ですね」と彼女は目を細めた。人ではない、と口走りそうになるのを必死に堪える。

 

「そういうお前らだって、無償で人を助けたりはしないだろ」嫌みのつもりで、つまりは、そんなことないですよ、と微笑む彼らを馬鹿にしようと言ったのだが、予想に反し、「まあ、そうですねえ」と老婆は頷いた。

「私は、自分たちの尻拭いは自分でしたいタチですから」

 

 誰も老人の尻なんて拭きたくねえよ、と口にしようとしたが、さすがに躊躇した。代わりに、「どうして商売の話なんてしだしたんだ」と早口で言った。

 

「それはですね」今度は、婦人の肩をさすっていた老父が口を開いた。

「まさに、その人魚のお嬢さんが商品として売られてきたからですよ」

「え」

「かなり法外な値段でしたがね」

 

 こいつが商品? 冗談だろ、と声が零れた。新鮮な魚だ。さあ食べようだなんて思ったのだろうか。それとも、どこかの金持ちのように、でかい水槽でも買って観賞用として飼おうとしたのだろうか。いずれにせよ、悪趣味としか言えなかった。

 

「こんなみすぼらしい姫を買ってどうするんだよ」

「姫?」老夫婦はまったく同じタイミングで声を出した。「姫ってなんですか」

「なんでもねえよ。こんな小魚を買って、いったいどうするつもりだったんだ。お前ら、貧乏だろ? そのなけなしの金で、なんでこいつを買ったんだって聞いているんだ。カルシウムでも取ろうと思ったのか」

「知らないのですか?」

 

 何をだ。人間の愚かさか? と聞き直すも、彼らは返事をしなかった。まるで、今から言おうとしていることがこの世の常識であるかのように、そんなことを知らない人がいたのか、と信じられないようなものを見る目で視線を向けてくる。

 

「本当に知らないのですか?」

「しつこいぞ。しつこい男はもてねえぞ」

 そうですか、と頷いた彼は、なら、と小さな声で言った。

「なら、お伝えしますが、最近人里で、死者を生き返らせる方法ってのが流行っているんです」

「そうみたいだな」

「その方法というのがですね、その人の写真を用意して血で浸す、というのなんですが」

「ですが?」

「人間の血じゃ、上手くいかなくてですね。でしたら妖怪の血だったらどうだって話になったんですが、それでも上手くいかなかったらしく」

 

 そこで彼は大きく息を吸った。場に一瞬の静寂が訪れ、自身の鼓動の音だけが耳を打つ。嫌な予感しかしない。

 

「どうやら、普通の妖怪の血では駄目だ、ということが分かったんです。すると、今度は珍しい妖怪の血なら生き返らせられる、ということが判明しまして」そう口にする彼らは、未だにその噂を信じているのか、どこか名残惜しそうに目を伏せていた。

「それで、『最近珍しい妖怪を捕まえる商売』なるものが横行していて。そのうちの一人が人魚を売ってくれたんですよ、私たちに」

 

 珍しい妖怪。なるほど、人魚は確かにその代表例だろう。ということは、だ。小魚は、数多の人間に追いかけられ、疲労困憊し、捕まったということなのだろうか。彼女自身は何もしていないにもかかわらず、理不尽に痛めつけられたというのだろうか。なんだそれは。いったい、なんなんだ。

 

 驚くことはない。弱小妖怪が意味もなく虐げられることなんて、今に始まったことではないじゃないか。そんなことは分かっている。こんなことは私たちからすれば日常で、騒ぐようなことですらない。それこそ、春になり桜が咲くのと同じように、私たちは蹂躙されるのだ。

 

 だが。それでも私はそれを認めるわけにはいかない。決して小魚を不憫に思ったとか、そういうわけではなく、単純に腹が立ったのだ。下克上もしていないくせに、皆から追われるなど、随分と出世したじゃないか。

 

「今まで貯めてきた虎の子だったんですけどねえ」

 

 黙りこくっていると、ぽつりと老夫が言葉を零した。それは、私に聞かせると言うよりは、心の中に貯めていた絶望が流れ出たかのように、冷たく、弱々しい声だった。

 

「これで、正真正銘一文無しになっちゃいましたよ。最近の仕事の分、全部なくなっちゃいました」

「仕事?」

「ええ。二人で頑張ってきたんですが、残念です」

「しかも、こんな雑魚妖怪のせいでな」

「でも、これでよかったんですよ。やっぱり、悪いことをしても、神様が取り上げてくるんです。欲はかくべきじゃありませんね」

 

 夫婦は顔を見合わせ、つばを飲み込み、頷いた。よかったんです、と繰り返す。だが、私は知っていた。自分に言い聞かせるように何度も言葉を繰り返す奴が、本当によかったと思っているなんて、あり得ない。

 

「最初はね、ただ少し血を貰うだけだって、そう思ってたんですよ。怪我だって、妖怪ならすぐ直るし。それだけで大志が生き返るなら、その可能性が少しでもあるなら、かけてみようとしたんです。ですが」

 

 私の膝に頭を乗せ、苦しげな表情で目を閉じている小魚の頭を、夫婦が優しげになでた。まるで、孫ができたかのような暖かい笑みを見せている。

 

「ですが、体の傷は治っても、心の傷は治りません。私たちは、取り返しのつかないことをしてしまった。こんな可愛い子を、ひどい目に遭わせてしまった。きっと、大志も怒っているはずです。こんな間違ったことをしてはいけないって」

 

 間違ったこと。一体彼らの行為の何が間違っていたのだろうか。亡くした家族を生き返らせようとするがあまり、盲目的に噂を信じてしまったことだろうか。それとも、小魚を一方的に虐待し、弱らせたことだろうか。そうだ、と私は断言できなかった。弱者のわずかな望みを、願望を、そして絶望を無視することなんてできない。彼らのやったことを非難する権利なんて誰にもない。息子を失い、その悲しみを紛らわせようと藁にすがる彼らを冒涜できる奴なんて、いないに決まっていた。

 

「私はね、手品が好きなんですよ」なんて声をかけたらいいか分からず、そんな気を遣うような真似をしている自分に困惑していると、いきなり老父がそんなことを言いだした。

「最近、はまってまして」

「急にどうした」

「あれ、どういう仕組みかといいますとね、どこかに注目を集めて、皆がそこに見ている時に、何かをするっていいうものなんですよ。例えば、大きな声を出している間にトランプを入れ替えたりとか」

「花火を打ち上げている間に逃げたりとか」

 

 私の言葉の意味が理解できなかったからか、首を捻った彼は聞こえなかったかのように言葉を続けた。

 

「つまりは、インパクトの大きなことが起きれば、そっちに皆が注目して、それ以外のことを見落としがちになるってことです。私たちは、まさにそれだったかもしれません」

「どれだよ」

「大志を生き返らせられる、という希望にすがりたいがあまり、他のことを見落としていたかもしれないってことですよ」

 

 彼は、どこか淡々とそう言葉を続けた。悲しみを押し殺しているようにも見えるが、逆に何も考えていないようにも見える。

 

「なあ、ひとついいことを教えてやろうか」

 

 にっと私は気取って微笑んで見せた。が、包帯をしているせいでただ皺が広がっただけに終わる。それでも、楽しげに声を出した。

 

「その噂、嘘だぞ」

「え?」

「別に珍しい妖怪の血を使おうが、人は生き返らない。そもそも、人が生き返るだなんて、それ自体が嘘なんだ」

「本当ですか?」

 

 落胆しつつも、どこか安堵の表情を見せる二人に、私は強く頷いた。「本当だ」とはっきりと言う。もちろん、根拠なんてなかった。だが、それでいいのだ。私は天邪鬼。適当なことを言って何が悪い。いや、むしろそれが仕事ともいえるだろう。

 

「だから、お前らはただ騙されただけなんだよ。騙されて、金をむしり取られたんだ。残念だったな。滑稽だ。笑える」

「ええ。笑えますね」

 

 くすくすと、彼らはまたもや同時に笑い始めた。阿吽の呼吸という奴だろうか。

 

「でも、それを聞いて諦めがつきました。やっぱり悪いことはするべきじゃないですね」

「悪いことはするべきだぞ」

「なら、あなたを折檻してしまいましょうか。殴ったりして」婦人が、微笑んだ。

「え?」

「冗談ですよ」  

 

 それより、はやくこの子の怪我の手当をしなきゃ、と婦人は立ち上がった。このみすぼらしい家のどこにも治療品なんて見当たらなかったが、一体どうするつもりなのだろうか。いや、それよりも。それよりも、いま彼らの言った言葉が気にかかる。

 

「さっき、私を折檻するっていったか」

「え、ええ。言いましたけど、ばあさんが」老父は、きょとんとした。

「ただの冗談ですよ。ばあさんは嘘がうまいんです」

「嘘がうまいって、私にそれを言うのか」

「え?」

「何でもねえよ」

 

 天邪鬼に嘘がうまいと自慢する奴など、おそらくもう二度と現れないだろう。

 

「そんなに婆さんの冗談が気に食わなかったのですか?」老父はおどおどと訊いてくる。

「そうじゃねえ。お前らみたいな老人が私を折檻できると、そう思っていることが気にくわねえんだよ」

「ああ、そんなことですか」

 

 よく言われるんです、と彼ははげ上がった頭を掻いた。

 

「こう見えても、私たちはそれなりにやるんです」

「やる?」

「はい。弱小妖怪の一匹や二匹、簡単に倒せます」

 

 病気は倒せませんでしたけどね、と自虐的に笑う彼らの前で、どう反応するべきか分からなかった。あまりに貧窮して、ぼけているのだろうか。それとも虚勢を張っているのだろうか。いずれにせよ、彼らがそのような態度をとる理由は分からない。

 

「人は見かけによらないんですよ」

 

 彼が得意げにそういったとき、「ひとつ聞きたいことがあるんだが」といつの間にか口を開いていた。今までも聞きっぱなしじゃないですか、と薄く微笑む彼の姿が、蕎麦屋の親父と重なる。こんなこと、聞くべきではない。そう分かっていたにもかかわらず、口は止まらない。

 

「もし、お前らが何か悪事をやらかして、正体を隠して逃げなきゃならないってなったら、どうする?」

「え? 何ですか急に」

 あまりに唐突な質問に驚いたのか、彼はぎょっとし、目を見開かせた。が、すぐに柔和な笑みへと戻る。

「まあ、私だったら堂々としてると思いますよ」

「堂々と?」

「そうです」彼はなぜか、やけに自信満々に言った。「変にきょどきょどしてると、逆に怪しまれます。だから、堂々と」

「胸を張って?」

「そうです」実際にその細い胸を張って見せた彼は、だって、と口をすぼめた。

「悪事といっても、もしかしたら許される事情があるかもしれないじゃないですか。だから、悪いことと分かっていても、しょうがないってそう思うしかないんですよ」

「いい悪事ってことか」そんなの、あるわけがない。野菜を盗んだ一人の少年の、悲運な人生を思い浮かべる。

「いい悪事だなんて、矛盾してないか?」

「まあ、そうですね」苦笑した彼は、それとですね、とやけにはきはきとした声で続けた。

「あとは、痕跡を消すんですよ」

「痕跡って何だよ」

「何でもですよ。正体や身分がバレそうになるもの全てです。ほら、言うじゃないですか。立つ鳥跡を濁さずって」

「私は鳥じゃねえよ」

「分かってますよ」

 

 クスクスと笑う彼につられ、私も頬が緩む。互いに顔を合わせ笑っているうちに、老婦が部屋の奥から出てきた。その手には何やら高そうな瓶が握られている。西洋風の磁器だ。婦人の朴訥とした柔和な雰囲気とあまりにもかけ離れていて、違和感がひどい。

 

「これ、使ってあげてください。高いお薬だそうです」

「いいのかよ。というか、何でそんな物もってるんだ」

「仕事で手に入れたんです。薬と分かったのは、しばらくしてからですけど」

 

 いいから、と押しつけるようにして渡してきたそれを受け取り、まじまじと見つめる。毒ではないか、とわずかな疑念が頭をよぎり、少しだけ手につけてみる。が、何も起きない。少し甘い香りがしたが、それだけだった。

 

「後でこの薬を飲ませてあげてください。きっと、すぐに直るはずです」

「なるほど、受け取っておく。礼は絶対にしないが」

「いらないですよ」

 健気な老夫婦は顔を見合わせ、くすくすと笑った。また、仕事をすればいいんです、と頷き、私の方を向く。にんまりと笑って、言った。

「礼をするくらいなら、鰹節がほしい。そうですよね?」

「鰹節をほしがるなんて、変な奴だな」

 あなたが言うのですか、と微笑む彼女たちの顔には、不自然なほどに憂いの影がさっぱりと消え去っているように感じた。

 

 人目につきたくないのなら、いい通りを知ってますよ。そう口にした老夫婦に渡された地図を頼りに、私は小魚を背負って人里をかけていた。

 

 太陽はすでに昇っており、生暖かい風が体を撫でてくる。昨日とは打って変わり、カンカンとしたいい天気だ。先ほどまで出ていた雲もどこかに消え去ってしまっている。あのままだと、本当に小魚は干物になっていたのではないだろうか。家先で乾き物になっている彼女の姿を想像すると笑えた。

 

 人間たちが活発になる時間にもかかわらず、渡された地図に示された道には人の姿はなかった。別段細くもなく、かといって薄暗いわけでもないにもかかわらず、私以外の姿がない。逆に不気味なくらいだ。どうしてあの夫婦はこんな通りを知っているのだろうか。

 

 便利な道もあるもんだ、と感心していると、後ろ手に抱えた小魚がもぞりと動いた。早速薬が効いてきたのだろうか。

 

「んっ……。ここ、は」

「起きたか」

 

 状況を理解できていないのか、小魚はしきりに体を動かした。そのせいで重心がずれ、転びそうになる。彼女の湿った尾ひれは掴みづらく、ぬるりと手から滑り落ちた。あ、と私が声を上げるのと同時に小魚が地面に落ちる。きゃあ、と似つかわしくない悲鳴が耳を刺した。

 その衝撃で、やっと記憶が戻ったのか、小魚は目を見開き、自身を抱きしめるように背中に手を回した。細かく震え、口からはつばが溢れている。何度も見たことがある、弱者の顔だ。

 

「情けねえな。そんな面するなよ。記念に写真を撮りたくなる。まあ、今はもってねえんだけど」

「あなたも」

「ん?」

「あなたも私の血が目当てなんですか?」

 

 意識するより早く、嘲笑が漏れていた。愚かだ。馬鹿馬鹿しい。意識を取り戻し、一番初めに出てくる言葉がそれか。いったい、こいつはどんな悲劇に見舞われていたのだろうか。想像するだけで吐き気がする。

 

「おいおい、思い上がりもいいところだぞ。お前の汚ねえ血なんて誰もいらねえんだよ。私はただ、おいしそうな魚がいたから、だしでも取ろうと思っただけだ」

「わたし?」

 小魚は警戒を怠っていなかったが、どこか呑気な声を出した。

「もしかして、女性ですか?」

「そんなこと、どうでもいいだろ」呆れすぎて、逆に笑みが浮かんだ。

「そんなどうでもいいことを考えているから、捕まるんだ」

「いえ、あなたが男みたいな格好しているので、つい」

「お前、見る目ねえよ」私は思わず吹き出してしまった。

「どこからどう見ても、私は女だよ」

「そんな恰好していたら、分からないですよ。見る目は関係ないです」

「変か?」

「ええ。顔に包帯を巻いているだなんて、悪趣味ですね」

 

 嫌みかと思ったが、どうやら彼女の言葉は本心であるようだった。人間に襲われ、必死に逃げていたというのに、落ち着いている。こうして会話を続けようとしているのも、その間は殴られない、と思っているからに違いなかった。

 

「悪趣味でもいいんだよ。私にとって、一番大切な物は」

「大切な物は?」小魚が首をかしげる。大切な物。どういうわけか、頭の中で針妙丸が自慢げに胸を張る姿が浮かんだが、首を振り、かき消す。

「大切な物は、蕎麦だ」

「蕎麦?」

「そうだ。蕎麦のためだったら、私はどんなに悪趣味なことだってするんだよ。例えば、小魚を誘拐して、煮詰めたりとかな」

「小魚、ですか」彼女の目が怪しく光った。「それ、もしかして私のことですか?」

「い、いや」

「どうなんですか」

 

 口の中で小さく息を吐く。焦りと困惑が押し寄せてくる。いつの間にか、私は小魚に気圧されていた。おかしい。こいつは人間に追い込まれ、いたぶられ、恐怖で体を揺すっていたはずではないか。なのにどうして、私が糾弾されているのだ。

 

「実はですね、私のことを小魚と呼ぶ人物に一人だけ心当たりがあるんです」

「そうか」

「でも、彼女はもう死んでしまったんですよ」

「そうか」

「彼女は、それはそれは酷い妖怪でしてね。私たち弱小妖怪を騙し、使い捨て、最後には何も言わずいなくなってしまったんですよ。最悪ですよね」

「最悪だな。でも、どうして私にそんなことを言うんだ」

「あなたが、小魚って言ったからですよ。そんなこと、忘れかけていたのに、思い出しちゃいました。嫌な思い出ですね」

 

 彼女はふっと頬を緩めた。そこで、やっと私は胸を落ち着かせることができた。彼女は、私が天邪鬼だと、鬼人正邪だと察したわけではなかった。単に、小魚という言葉から、連想しただけに過ぎなかったのだろう。危うかった。そして、安堵している自分に気がつき、驚く。巫女の、基準という言葉を思い出した。なぜ私はこいつに正体を悟られたくないのだろうか。妹紅は良くて、こいつが駄目な理由は何か。

 

「あなたは、何だか違う気がします」

 考え事をしていると、小魚が口を開いた。いつの間にか私と間隔を取り、いつでも逃げ出せるような距離を取っている。まったく、抜け目ない。だが、その表情は穏やかだった。

「あなたは、本当は私の血を狙っていないような、そんな気がします。なんででしょうね、そんなに怪しい見た目をしているのに」

「人は見かけによらないらしいぞ」

「あなたに言われると、何とも言えませんね」

 ふぅと息を吐いた彼女は、肩を落とした。怪我をした尾びれをさすり、どこか陰険な表情に変わる。疲労と絶望を乗り越えた後の、緊迫した表情だ。まだ乗り越えたわけでもないのに。相変わらず、詰めが甘い。

「ほんと、妙な噂のせいで人里の人間から追われて、大変だったんです」

「なんで私はお前の愚痴を聞かなきゃならねえんだ」

「初めは大丈夫だったんですが、しつこくて」私の言葉なんて無視して、彼女は続ける。「最後には疲労困憊したところを、やられちゃいましたよ。どうして最終的にあなたの元に私がたどり着いたかは覚えてませんが、幸運でした」

「幸運じゃねえよ。お前は今からだしを取られるんだ」

 

 小魚は、いったいいつから人間に追われていたのだろうか。例の、草の根妖怪ネットワークとやらは機能しなかったのだろうか。いや、そもそも。そもそも、小魚が人間たちに狙われていると、そう知っている奴はどの程度いたのだろうか。分からないことだらけだ。それに、興味も無い。だが、一つ気になることがあった。

 

「おまえ、捕まえた後売られたんだとよ。んで、私が買い取った奴から奪ったんだ。魚泥棒だよ。お魚咥えたどら猫って奴だ」自然と嘘を吐いていた。別に正直に言っても良かったが、なぜだか出鱈目を口にしてしまう。天邪鬼としての本性だろうか。

「こんな包帯だらけの猫は嫌ですけど」

「んでだ、一つ聞きたいんだが」

「何ですか?」そう首をかしげる彼女は、ここが人里で、今まで自分を追ってきていた人間達の総本山と言うことを忘れたかのように無邪気だった。

「お前を捕まえた人間、どんな奴だった」

「え?」

「男か女か、人数は? どうだった」

「どうしてそんなことを気にするのですか?」

「気まぐれだ」

 

 はぁ、と要領の得ない返事をした彼女は、「覚えていません」と訥々と話した。

 

「覚えていない?」

「そうなんです。ずっと同じ人間に追われていたのは覚えてるんですが、顔までは分からなくて」

「いったい、どうなってやがるんだ」

「本当ですよ。私はとりあえず、しばらくは湖の底で身を隠すことにします」

「いや、お前は鍋の底で煮詰められるんだ。人魚蕎麦。いい響きだろ」

「どこがですか」

 

 それはごめんですね、と生意気な口を叩いた小魚は、ふわりと体を浮かせた。体力はだいぶ回復したらしく、その動きに違和感はない。どこかほっとしている自分が情けなくてしょうがなかった。

 

「助けてくれてありがとうございました」

「助けてねえよ」

「あなたがそう言うのなら、そうしときましょうか」やっぱり似てますね、とくすくすと笑う。彼女の目には懐かしさが浮かんでいるような気がした。

「あなたは、いい人ですよ。少し話しただけでも、それが分かりました。またどこかで会えるといいですね。さようなら」

 

 そう言い残すと、小魚は優雅にゆらゆらと体を上下させながら飛んでいった。あんなに目立つ飛び方をすれば、また人間に襲われるのではないか、と心配になる。いや、心配ではない。恐怖だ。また、厄介事を連れられては困る。が、幸運なことに何事もなく彼女の姿は視界から消えた。

「いい人、か」

 小魚が最後に言い残した言葉を思い浮かべる。私がいい人? 冗談にしても笑えない。そんなこと、あるはずがないのに。死んでも私は悪人だ。それは、どうあがいても変わることのない真実だ。そうに違いなかった。

「やっぱり、見る目がねえよ」

 誰もいない路地で、私の声はやけに大きく響き渡った。 

 

 

 

 

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