恋は落ちるものなんだなぁ、などと頭の悪い感想を抱く事になったのは去年の冬。めちゃくちゃに寒い市街中心部、時計塔の下での事である。
気紛れに、地下通路でなく、地上を歩こうと外へ出た事を後悔して、足早に友人との集合場所へ向かっていた途中。前から歩いてくるすこし背のでかい女が居た。
雪で狭まる歩道で、さて、俺が避けるか、あっちが避けるか、などと接近していくと、次第に彼女の顔がよく見える様になっていく。
スマホに夢中で、ひとりでにやにやと。あぁ、これは男かな、お花畑野郎めなどと思っていると、彼女も俺に気が付いて、俺から見て道の右側へ寄る。
その際、俺を見た時の異常な迄の、あまりの無表情具合に、何だか傷つく心を感じながら、俺は左側へと寄る。まあ、知らない男に感情のこもった表情を向ける女もどうかと思うのだけど。
とうとう距離が五メートルを割ろうかという距離まで近づくと、何だか、やけにいい匂いがするではないか。なんだこれ。清涼剤的な爽やかさというか、仏壇のいい線香の煙というか、植物をすり潰した的な、とにかく、あまりしつこくはない、乾いた系の匂いであった。
女性経験は少なくない、と思っている俺だったが、そんな匂い嗅いだ事も無く、初めは彼女の匂いだとは気が付かなかったくらいだ。
ついにすれ違う時が訪れる。
不思議な香りは最高潮に達し、ここでようやく、この匂いが彼女の匂いだと気がつく。この後味を残さない匂いが、寒くて痛い冬の日に妙にマッチしており、俺のこの女性に対する評価は、頭お花畑野郎から、ちょっと不思議なウィンタークールビューティまで格上げされた。
ショートカットで、側頭部に入ったブロックは地肌が透けるほど。寒くは無いのかと。被さる髪の裏と、その刈り上げられた部分の隙間の空間はいい匂いがしそうだなあ、などと、この時の俺は人生最大に気持ちが悪かった自信がある。
名残惜しいが、完全にすれ違ってしまうともう匂いは殆ど残っておらず、非常に名残惜しいけれども、俺にも友人との約束がある。
朝からいいものを見たなあ、と心を切り替えようとすると、ほんの少し先、道の右側に財布らしきものが落ちている。
俺は拾って中身を見ると、お札も小銭も入っておらず、クレジットカード等、何枚かカードが入っているのみだった。
その内学生証らしきものを見つけた俺は、それが俺と同じ大学である事に気がつき、顔を確認するために裏返した。
さて、そこに鎮座していましたのは、先程すれ違ったウィンタークールビューティ。証明写真は先ほどの無表情と寸分違わぬ。ついでに、何と学年は俺と同じ。
これはチャンスだと、急いで踵を返して声を掛けると、彼女は体幹からぐるりと、振り返って俺と視線がぶつかる。
時が止まるとはこの事だ。間違いなく、この時俺は落ちた。振り向く姿麗しい。正にウィンタービューティビーナス。その唇奪いたい。
そんな衝動をどうにか押さえつけつつ、先ほどの姿を脳のどこかにやきつける。
彼女に落とした物を返すと、何とまあ、にこやかにお礼を言ってくれるのだ。触れ合った指は、残念ながら悴んでいて感触は分からなかった。そして、声は少し掠れている系で可愛かった。
何かあるかと少し期待したが、彼女はさっとそれをポッケにしまうと振り返って去ってしまった。
ちょっと残念だったが、大学も同じという事で会える機会はあるだろう。俺も振り返り、寒さも忘れて友人の元へ向かう。
そして、友人が彼女と友人であることを知り、無様に頼み込み彼女を交えた何らかの会を設定して貰える事になるのはこの後の事。
必要経費は焼肉三回。安いものである。