OLグラーフとバーテンダーアクィラ   作:山南修

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新シリーズ)初投稿です。


悪戯

──私が始めてあのバーに入ったのはいつだっただろうか。桜が咲いていたから四月だったのは覚えている。

 

 入社して数年、受け持っていた仕事が私の力ではどうしようもない障壁に阻まれて頓挫していた時、夜に酒を飲みたくて街をぶらついた。たまに行く居酒屋に行く気にならず、家で安物を飲みたくなかった。

 ふと人っ子一人いない路地が目に付く。表通りの耳障りな騒音や眩しいだけのネオンから逃げたかったというのもあったが、不思議とその路地に入りたくなった。ネズミがいそうな路地を進むと小道を挟んだの突き当たりに薄く光るネオンが目に入る。あれは……バーだ。店の目の間に行くとちょっとした立て看板があった。これが無ければいかがわしい店にも見えてしまうような外見だ。

 

「──か」

 

 ネオンでそう書いてある。バーがあるなんてこのボロい雑居ビルの雰囲気からはとても想像出来ない。

 こんな怪しい店よりは表通りにあるもっとまともそうな店の方が良さそうだが……どことなく惹かれる。目の前の扉を開けて中を見てみたい、ここで酒を一杯飲んでみたい。そう考えると迷わず扉のノブを回して開いた。

 

「ん、ようこそ」

 

 朱い彼女に心がときめいた。

 


 

 ─水曜日─ 夜

 

「グラーフ、ちょっとグラーフ。聞いていますか?」

「──ん、ああ。すまない。ちょっと考え事をしていた」

「何を考えていたんですか?」

 

 無邪気な目が私の心を覗いてくる。正直なところ、あの頃のことをあんまり掘り返されたくなかった私は適当に『昔の事だ』と答えた。カウンターを挟んで目の前の朱い彼女──これを口に出したら恥ずかしさで死ねる──アクィラは顎に手を当てて唸った。

 

「んー、当ててみましょう。ここに来た時を思い出していたとか?」

「……そんなわけないだろう」

 

 うむむ、こいつは偶に感が鋭いことがあるがこのタイミングでなるとは。面倒だ。ザラかポーラがいればいい感じに逃げられるかもしれないが、あいにく二人とも今日はいない。下手に口を開いて自分の首を絞めたくないし……。

 

「あの時のグラーフはなかなか見物でしたねえ」

「もういいだろう。それよりもいつものを頼む」

「むう。はいはい、いつものですね」

 

 不満げな顔をしたアクィラは空のグラスを下げて背を向けて準備を始める。これで暫く大丈夫だろう。ちょうど喉も乾いてきたし一石二鳥だ。

 材料を揃えた彼女はこちらを向いて氷の欠片をいくつもグラスに入れてそこにコーヒー・リキュール(カルーア)を少量注いだ。更に牛乳を注いで最後にコーヒーパウダーを僅かに塗す。彼女の繊細な手が作り出すマジックのようなビルドに見惚れていると目の前にグラスが差し出される。

 

「はい、どうぞ。いつもの《ビター・カルーアミルク》です。ほんとよく飽きないですねえ」

「これは飲みやすいしコーヒーは私の体の多くを構成しているからな。カフェインは重要だ」

「カフェイン中毒になっても知りませんよ」

「まあ、その時はその時さ」

 

 グラスを手に取って口に運ぶ。苦めのコーヒー牛乳にアルコールが少し入ったような、風味のある味が舌に染み込んでくる。

 

「それでさっきの話なんですけど、あの時何があったんですか? 酷い事が起きたっては聞きましたけど」

「だから、ここに来た時を思い返していたんじゃないって……ああ、やめろ。上目遣いをするんじゃない」

 

 そんな目をされると責められているようで辛いんだ。ちくしょう、自分の顔がいい事を充分理解して使ってきている。

 

「わかった、私の負けだ。思い返していたよ」

「やっぱり! それで何があったんです?」

「はぁ……。あの時私は大きな案件を一個抱えていたんだ。別に初めてではないが内容が内容だから張り切っていてな、クライアントと協議して順調に進めていたんだ」

 

 だが、ある時歯車が狂った。些細なきっかけが原因でライバル企業から横槍が入ったんだ。それを排除しようと同僚と共に頑張ったんだが既に遅くどうしようもなかった。上司から叱咤されるわ、クライアントからは泣き疲れるわで相当参っていた。そしてこの案件は興味深い最後を迎える。横槍の原因が叱咤してきた上司だったんだ。あいつはライバル企業がしっかりと利益を掴んだことを確認すると辞表を出して転社していき今ではあそこでかなり上位に上り詰めている。

 

「そして私は結末を知る直前に案件を外されて別の案件に移った。同僚は最後まで頑張っていたが知ると同時に退職して行った」

「そんなことが……」

「ハハ、今となってはいい経験だが……当時は相当堪えた。最近はこういう場で笑い飛ばせるぐらいには受け入れられている」

 

 飲みながら喋っていたため、半分以下になっていたビター・カルーアミルクを飲み干す。飲み始めより苦くなった気がする。

 

「私のせいじゃない、というのは充分理解しているんだが……。それだけで流せる程私も強くないからな」

「グラーフはいつも抱え込みすぎなんですよ。もっとアクィラみたいに軽く振舞ってみればいいんじゃないですか」

「お前の場合は軽すぎだ。一昨日だってグラス洗うの忘れて叱られていだろ? 先週だって──」

「あー! その話はやめてください!」

「なんだ、そんなに恥ずかしいのか」

 

 普段おちゃらけている彼女が恥ずかしさで顔を真っ赤にするのは珍しい。もっと仕返し、弄ってやろうと思ったが茹で上がった顔に見とれてしまう。右手で目のあたりを覆って深呼吸する彼女の姿は可愛らしくて、そそられる。綺麗な指の隙間から見える閉じた瞼に、合わさったまつげ。眼を構成する一つ一つが精錬された美しさを持っている。瞼が開いて彼女の琥珀色の瞳がこちらを向く。

 

「ちょっとグラーフ。いくら貴女でも乙女の顔をまじまじ見るのはどうかと思いますよ」

「っ、すまない。そんなに長い間見ていたか?」

「それなりに長かったですよ。途中で気づいてそのまま恥ずかしがっている振りをしていましたけどこのままじゃあずっと見ていそうな雰囲気でしたよ。何かありましたか?」

 

 う……。なんて言い訳、すればいいんだろうか。流石に無いとは思うが、彼女が私の気持ちに気づいたとかでは無いはずだ。この気持ちはまだ知られたくない。かと言って下手に言い訳すればバレてしまうし、嫌な気持ちにさせたくない。

 俯きながら言葉を探していると目の前に彼女の両手がいきなり伸びてきた。驚いて反応する前に頬を抓られる。

 

「いたっ、急に何をするんだ」

「ふふ、グラーフも強情ですね。素直に認めてくださいよ」

 

 まさか、本当に、気づいたというのか? 私の緊張に気づかず彼女は抓る為に曲げていた体を伸ばす。自信に溢れる顔をして腕を曲げて──。

 

「私の顔が美形であることを!」

 

 決めポーズらしきものをした。

 そう来たか……。あまりにも自信に満ちた顔をしていて正直イラッと来るが、そんな事より虚を突かれて笑いが込み上げてくる。

 

「ちょっと、なんで 笑ってるんですか!」

「ふふふ、すまない。あんまりにも自信満々のアクィラが面白くて、ふふ」

 

 駄目だ、堪えようとしても笑ってしまう。カウンターに突っ伏して笑いを堪えようとするが、あの顔を少しでも思い出すと何度でも笑える気がする。

 

「むむむ、今度は笑いすぎですよ。もー!」

「あ、ちょっと、やめろ!」

 

 突っ伏しているのをいい事に脇をくすぐってくる。既に笑い過ぎて苦しくなっているというのに……。慌てて飛び上がり、上がった息を整える。アクィラは物足りなそうに両手をワキワキとさせて私の隙を狙っている。油断出来ない──そう思っているとカウンターに置いたスマホが鳴った。

 

「……一回落ち着こうか」

「私は落ち着いてましたよ?」

 

 嘘つけ、と言いたいが言ってもいい事は無い。仕方なく頷いてスマホを手に取る。ん、ビスマルクか。席を立って店の外に出る。冬の冷たい空気が肌に刺さり酔いが覚めていく。戻ったら氷が入っていないのを飲もう。スマホを持ち直して電話に出る。

 

「もしもし、ビスマルク。どうしたんだい?」

「グラーフ。予定より早く今日の任務が終わったから貴女を拾っていこうと思ってね。どうせ明日も仕事でしょ? 早く帰れるに越したことはないと思うけど」

「うーむ、あとどれくらいで着くんだ?」

「今駐車場だから道が混んでなければ三十分程ね」

 

 三十分か、もう少し居たい気もするが明日はそれなりに仕事があるし……。まあ、それだけあればもう一杯ぐらいは飲めるか。

 

「わかった。三十分後だな。了解した」

 

 電話を切って中に戻ると店内の暖かい空気が冷えた肌を包み込んでくれる。

 

「どんな内容だったんですか?」

「ビスマルクが三十分後に迎えに来てくれるそうだ。本当はもう少しゆっくりしたいと思っていたが、明日も忙しいからな。すまない」

「そうですか……何か飲みます?」

「ああ。そうだな、氷が入っていない弱めのものを一つ来れ」

「わかりました」

 

 そうですか、という言葉が寂しげに感じた。彼女ももっとここにいて欲しいと思っているのだろうか。だとしたら嬉しいところだな。

 少し悩んでから奥へ去っていくアクィラを尻目に空になったグラスを触っていると直ぐに戻ってきた。

 

「ちょっと上質なものが手に入ったんですよねー」

 

 カウンターに置かれたのはグラスになみなみと入った黒ビールよより黒い色をしたカクテルだ。ビールの匂いがするが……何が入っているんだ? 

 

「これは一体?」

「ディーゼルっていうビールとコーラをミックスしたカクテルです。ちょうどドイツ産の黒ビールが手に入ったんで作って見ました」

「黒ビールだと? 後でいいから普通のを飲ませてくれ。さて、こいつはどんなものかな」

 

 これは……なかなかいいな。ビールの苦さをコーラの甘さで抑え飲みやすくしている。人によっては甘すぎるとか言われそうだが、このぐらい甘い方が私は好きだ。

 

「なかなか美味しいカクテルだ。ビールとコーラがこうも合うとは」

「ビールを使ったカクテルは他にもありますけど、グラーフならこういう甘いのが好きだろうなって考えてました」

 

 もう一度、飲んで今度は下で味わうのではなく炭酸が抜けきらないうちに喉に流す。炭酸の感覚が喉を抜け爽やかな気分になる。

 

「ああ、気に入ったよ。確かビールとコーラのカクテルだっけか。それならほかの銘柄ので試して見ても良さそうだな」

「カクテル自体は家でも作れる簡単な部類に入りますから、試してみるべきだと思いますよ」

「わかった。今度試してみるよ」

 

 ちまちまと飲んでいる積もりだったが十分程でグラスは空になってしまった。さて、どうするか……。同じのをもう一杯頼んでもいいがこれ以上飲むのは危ないな。キャパオーバーしかねないし、明後日締切の仕事で明日から非常に忙しくなるはずだ。危ない橋は渡らない方が身のためか。

 

「アクィラ、先に会計していいか?」

「いいですよ。今日は……こんな感じですね」

「ふむ……どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 名残惜しいがこれでいつでも帰れるな……。ああ、そうだ明日の予定を再確認しないと。スケジュール帳を開いて見てみるとうんざりしたくなるほどぎっしり詰まっている。入社数年目の私にもっと上の先輩がやるような仕事ばかり回って来るあたりこの会社は不味いのではと思うが、逆にそれほど私が期待されていると思えばそこまで苦にはならない。

 しかし……。金曜夜の欄に目を止める。

 

「アクィラ、金曜は来れないかもしれない。頑張って早く片付けて来るが……期待しないでいてくれ」

「むぅ。わかりましたよ、出世街道まっしぐらのエリートさん」

 

 うぅ、アクィラの言葉が心に刺さる。私だってもっとここに入り浸りたいが、仕事を放り出す訳にはいかない。……もし彼女と共に働けることができていたら.いや、それはそれで仕事が手につかない気がする。私が彼女のカバーに付きっきりになりそうだ。

 

「すまない。こればっかりはどうしようもない……」

「わかってますよ。ちょっとおちょくっただけですって」

「本当にそうか?」

「嘘です。私より仕事が大事だなんて……ぅぅ」

「嘘泣きはよせ。このくだりは何度もやったろう? 」

「むぅ、ちょっとぐらい乗ってくれてもいいじゃないですか」

 

 怒りを顕にしているつもりなのか頬を膨らませているアクィラが凄く可愛い。写真を撮りたくなる程に。残っている理性が行動に移そうとしていた腕を押し留め、体を低い背もたれに預ける。

 

構って欲しいならいくらでも構ってやるのに

「なんて言いました?」

「ん、ああ。そろそろビスマルクがここに着く頃だなって」

「あー、もうそんな時間ですか。……グラーフ

 」

「ん、どうしたんだ?」

 

 アクィラが思い詰めた表情で言いにくそうに口をモゴモゴさせている。頬が赤く染って、視線を逸らしてくる。まさか……。

 

「その……土曜日って空いています?」

「……ああ。空いている」

「なら、一緒に。一緒に買い物に行きませんか?」

 

 なんだと。心臓が止まるかと思うほどの衝撃に襲われ顔を俯ける。落ち着けグラーフ、こういう展開は予想していなかったがアクィラからの誘いだ。早く返事をして彼女を落ち着かせるのを優先すべきだ。

 

「ああ、ああ。喜んで一緒に行こう。何処に行くんだ?」

 

 花が開いたように彼女の顔が一気に明るくなる。

 

「やった! ここで使うものの買い出しや日用品を買うのに何ヶ所か巡ります。えっと、メモがどっかに、あれ、どこでしたっけ」

 

 カウンターの下を探すのかアクィラの姿が消える。紙が擦れる音や何かが落ちてくる音が何度も聞こえる。……もしかしたらこれはデートなのでは? いや、でもアクィラが私を気に入っていても好きだという保証は無いし、期待し過ぎは良くない。荷物持ちが欲しいだけなのかもしれない。

 ガンッという音と同時にカウンターが揺れた。何が起きたか予想がつくぞ。直ぐにアクィラが後頭部を擦りながら出てきた。

 

「いったぁ……」

「まあ、アクィラならやるかもしれないと思っていたよ」

「もうちょっと慰めてくれません?」

「気絶しなくてよかったな」

「いや、そうじゃなくて……まあいいです。で、これが買い物行リストです」

「結構あるな……ん、このコーヒー豆なら近くにいい店を知っているぞ」

「そうなんですか? ならそこに行きましょう」

 

 ついでにビスマルクの分も買っていこうかな。そろそろ備蓄が無くなるはずだしちょうどいい。

 

「む」

 

 車の音が聞こえる。時間と方角を考慮するとビスマルクが来たか。アクィラも直ぐに気づいたらしくもの足りなげな顔を向けてくる。

 

「来ちゃいましたね」

「ああ。そろそろ外に出ないとな。まだ話し合っていないことがあるがどうする?」

「後で電話するか出来たら金曜にでも話しませんか?」

「わかった。明日の深夜だったら電話できるとと思うからその時にでも話し合おう」

 

 やった、これで明日もアクィラの声が聞ける。椅子にかけていた上着を羽織って、カウンターの上の物をポケットに入れる。カバンを手に取り首から下げるとアクィラがカウンターから出てくる。

 

「また来てくださいね」

「ああ、頑張って仕事を終わらして金曜に来るよ」

 

 寂しそうな表情をする彼女を抱きしめたい。アクィラの温もりを感じたかった。だが、嫌われたくない。

 

「それじゃあ、明日の深夜に」

「楽しみに待っているよ」

 

 だから、背を向けて立ちさった。玄関扉を開けるとビスマルクの車のライトが見える。

 

「またのお越しをお待ちしております。おやすみなさい、グラーフ」

「おやすみ、アクィラ」

 

 最後に少しだけ振り返ってアクィラを見る。私の朱い女神よ、また会おう。

 扉を閉めると外の寒さと心を覆う少しの寒さで体が震える。暖かいものを閉じ込めようと急いでビスマルクの車の助手席のドアを開けて乗り込む。

 

「ほんと、グラーフも好きねぇ。いつもよりは嬉しそうだけど何かあったのかしら?」

「アクィラに土曜、一緒に買い物に行かないかと誘われたんだ」

「え!? 本当に?」

「何もそこまで驚かなくても……。アクィラから誘われたんだ。何ヶ所か巡ってくるよ」

 

 ビスマルクからの返事がなく気になってそっちを見ると彼女は考え込むように俯いて何かを呟いている。

 

「どうしたんだ?」

「っ、なんでもないわ。いきましょう」

 

 彼女にしては荒い発進をして座席に押し付けられる。いつもより柔らかく感じるそれに体を預けて上を見上げる。

 

「ふふ、アクィラと買い物か。んふー……待ち遠しい」

 

 明日は電話で声を聞くことができるし、頑張れば金曜も行ける。今ならどんなに辛い仕事も乗り越えられる気がした。ああ、早く土曜日が来て欲しい。

 暖かい車内で揺られていると、瞼が重くなってくる。もう少しで家なんだから寝る訳には……。

 




書いてて凄い浄化される。
なお私はカクテル飲めないのでそこら辺は察して下さい。
次回は木曜昼です。
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