日曜日 ─朝─
鳥のさえずりが聞こえる。それに誰かの呼吸音も。
信じられないほどに気分が悪い。頭痛はするし、体は怠いし、吐き気が凄まじい。目を開けるのが億劫になる。
なんでこんなに……ああ、思い出した。昨日はアクィラと一緒に飲んでいたんだ。アクィラを抱き締めたく、アクィラとキスをしたくなって、そんなことはできるはずがないと考えて強いカクテルを頼んだ。そして出されたカクテルを一気に飲んで──そこから記憶が飛んでいる。何も思い出せない。
薄らと目を開けるとどこかの部屋の壁とベットの乱れた感じのシーツが目に入った。確か店の仮眠室だったけか、一度だけ見た記憶がある。アクィラが運んできたのかな。ベットの中は暖かくて、背中に規則正しく触れるものが──なに?
勢いよく上半身を起こすと上にかかっていた
シーツがはだけて、部屋の冷たい空気が肌に刺さってくる。服どころか下着すら着ていない。下半身のあたりのカバーがほんのりと湿っている気がする。アクィラの方に目を向けると、彼女も裸で──豊満な胸が顕になっていた。恥ずかしくなってアクィラに背を向けてベットに座る。
状況から判断するにアクィラから手を出されたと言う事か? 私も、彼女も裸。二日酔い以外に体の怠さ。湿っぽいカバー。状況証拠は充分だ。私としては女性同士はまあいいとして、こういう事は告白してからだと考えていた。アクィラからされるのは、覚えていないとはいえ、嬉しい。でも、線引きはしっかりとするべきだ。告白はしていないし、されていない。そこは事実だ。記憶がない間に言われたかもしれないがそれではなんの意味もない。
こんなことをされたんだから面と向かって彼女を批判すべきだと理性は言っている。感情ではそれとは反対に彼女からの気持ちを受け入れろと言ってきている。どちらか一方を選ばないと行けない、選ばないと……。
結論は中々出ない。そこでアクィラが起きた時のことを考えて、はだけたシーツを元に戻しておく。その辺に転がっている私の下着やら上着やらを着て身だしなみを整える。
アクィラはまだ起きる気配がない。それどころか寝言で私の名前を呼んできた。何度も、求めるように。眉間には皺が浮かんで手を動かして私を探しているようだ。
これでは……。
「怒るに怒れないじゃないか」
アクィラに求められるのは凄く嬉しい。いつも明るく、元気に振舞っている彼女の弱々しい一面。
そんなものを見せられてしまえば、線引きのことを面と向かって言える自信が消えてしまう。
言わないと行けないことなのに、言えない。そもそも私から告白すればよかったのか? だが昨日の時点ではアクィラの気持ちに確信を持てていなかったから……仕方ないはずだ。
だからといってこれを許しては……。
「ちぃ、板挟みで頭がおかしくなりそうだ」
発想を変えよう。直接言う事を諦めれば、なにかメモ用紙などに書き込んで置いとく。これで言いたいことはそれなりにはっきりと言える。アクィラが曲解してしまわないか不安だが、そこはしっかりと書けば何とかなるかもしれない。書く紙とペンを探そう。
アクィラを起こさないように慎重に部屋の扉を開ける。隣合っている事務室の空気はより冷たくて、乾いていた。デスクの上にあったメモ用紙とペンをとってソファに腰かける。
さてなんて書こうか……。
ペンを回しながら考えを纏める。批判一辺倒になるのは良くないし、かと言って何も書かないのも不味い。そうだ、こうしよう。
十分ほど推敲しながらペンを走らせて、そこそこ満足できるものが書けた。一度見直すが、特に変なところはない。あとはこれを仮眠室のナイトテーブルに置いておけばいいだろう。
いいはずなんだが……まだ本当にこれでいいのだろうか、という迷いが浮かんでは消えていく。こうするべきなんだ、こうしないと行けないんだ。だが、それで今の関係が崩れたら?
浮かび上がった考えを頭を振って振り払う。立ち上がろうとすると膝が震える。思うように力が入らない。太ももを拳で叩いて無理やり震えを抑えると、ふらつきそうになりながらも立ち上がれた。
とりあえず仮眠室に戻ろうと思い踵を返すと、部屋の隅にある家庭用のエスプレッソマシンが視界に入る。
アクィラのために淹れておくのもいいかもしれない。エスプレッソマシンをそんなに使ったことがないから上手くできるかどうかは不安だが。メモ用紙を上着のポケット畳んで入れて、エスプレッソマシンの横にある棚から適当に豆を選ぶ。それをマシンにセットして……多分これだと思うボタンを押す。
出来上がりを待っている間、いつの間にか電源を切っていたスマホをたちあげる。少しして画面が明るくなるの大量の着信履歴が表示される。
一体誰が、こんなに……。ビスマルクに、会社の先輩に、同僚? 何かあったのか。そういえば昨日の夜に掛けてきた同僚はちょっと逼迫したような声をしていた気がする。
不安になりながらも一番量の多かったビスマルクに電話を掛ける。ワンコール目で彼女と繋がった。
「おはよう、ビスマルク。一体何が」
「やっと起きたのね! 直ぐに帰ってきなさい、大変な事になっているわよ。実は──」
寒い。そう感じて、シーツを引っ張る。グラーフの体温はそんなに高くないとはいえ、こんなに冷えるものなのかな。
まだ重い瞼を僅かに開けると昨日最後に見た天井が見える。既に部屋は明るく、カーテンの隙間から差し込んだ光が目に入る。暖房のタイマーをセットしてから寝た方がよかったかな、と考えながらグラーフの方に寝返りを打つと、彼女がいなかった。
「あれ?」
昨日はここにいたのに。昨日?
「あ」
昨夜のことが鮮明に脳裏浮かび上がる。告白出来ないまま手を出してしまった記憶が。
自分で自分を殴りたくなる。グラーフはこういう事を嫌がるとわかっていながら、自分を制することが出来なかった。結構酔っていたことは言い訳にはならない。先に手を出てきたのがグラーフだとしてもだ。
グラーフがベットの中にいないのは、そんな私に嫌気がさして出ていったのかもしれない。既に彼女いたところは冷たくなっていた。
「はぁ……」
凄まじい自己嫌悪感が心の内を占めていく。ベットの中で体を丸めて小さくなり、額を自分の膝に押し当てる。
これなら、グラーフに怒られた方がまだよかった気がする。何も言わず去って行くなんて……よっぽど怒っているに違いない。
もう少しで手に入った幸福が私の目の前で嘲笑いながら去っていくのを幻視してしまう。昨夜行動するか自身を保てれば手に入ったというのに……。
再度ため息をつく。
このまま朽ちて行くのが私にはお似合いなのかもしれない。
急にドアが開く音が聞こえた。もしかして、と思って体を起こして視線を向ける。だけど立っていたのはザラだった。彼女は駆け寄ってきて私の肩に手をかけた。
「アクィラ、どうしたんですか」
「ううぅ、ザラ……」
グラーフは居ないんだ。その事実がより一層のしかかり、耐えきれない。
目の前にあるザラの胸に顔を埋めて、涙が流れてきた。
「は、グラーフさんになにかされたんですか? さっき慌てて出ていきましたし。今から追いかけてば」
胸の内で首を振る。ああ、説明しないと。
「違うんですか? なら一体……」
顔を上げると、ザラの困惑した顔が見える。
鼻をすすって息を整えた。
「その……言えないまま酔った勢いで私からやっちゃって……だから、怒って帰っちゃったんだと思う……はぁ」
本当に私って、最低だ。体を預けて、再度ザラの胸に顔を埋める。彼女の体温が、鼓動が荒んだ心を少しだけ癒してくれるような気がする。
「グラーフさんは怒っていたというよりもどこか急いでいるような雰囲気だったけど……あれ、ナイトテーブルになにか置いてありますよ?」
ザラが手を伸ばそうと体を傾ける頭がずり落ちそうになってザラの背中に両腕を回す。
「アクィラ、取れないからちょっと腕を外してくれませんか?」
「……しばらくこのままで居てくれない?」
「っ、わかりました」
鼓動の音が心地いい。昨日聞いたグラーフのより力強さはないものの、優しい音だ。
ふと、ザラの手が私の頭を撫でてきた。細く繊細な手が何度も、何度も頭頂部から後頭部にかけて撫でていく。
受け止めてくれる優しさが嬉しかった。
多分十分ほど泣き続け、気持ちが落ち着いてくる。
「落ち着きました?」
ずっと撫で続けてくれたザラが心配そうな声色で言ってくる。
いつまでもこうしている訳にはいかない。顔を上げて目のあたりを腕で拭く。
「ええ、ありがとう。ザラ」
「よかった……。それでナイトテーブルにコーヒーの入ったマグカップと手紙みたいなものが置いてありますよ」
「マグカップに手紙?」
そんなところに置いた記憶なんて……。
「まさかグラーフが?」
「やっぱりアクィラが置いたものではないんですね。よっと、手紙はこれです」
ザラから手渡された手紙は事務所で使っているメモ帳の一枚を綺麗に四つ切りに折ったものだった。微妙に文字が透けて見えて、グラーフの癖で、だけどどこか急いだような文字で書かれた文章がびっしりと書かれている。
書いてある内容がすごく気になるけど、読みたくない。迷いに気がついたのかザラが覗き込んでくる。
「読みたくないですね。はぁ、音読でもしますか?」
「いや、ちゃんと読む。読む……やっぱ無理。お願いしていい?」
「いいですよ。その代わりしっかりと聞いてて下さい」
頷いて、ザラに手紙を返す。彼女は受け取って直ぐに開くと一瞬、眉を細めた。何が書いてあったか聞く前に音読が始まった。
「『親愛なるアクィラ
まずは私が貴女が起きるのを待たずに出ていったのを許して欲しい。少し急用ができてしまった。
昨日は共に素晴らしい時間を過ごせたと思う。昼間はお互いの好みを知れて、夜は私が酔いつぶれるまで、杯を交えた。
私はこういう事をあまり経験したことはないが、それでも貴女がいつもより踏み込んできていることを薄々勘づいてた。
だが、度胸もなく気持ちを整理できていなかった私は結局気付いていると言うことも、私から言葉で伝えることも出来なかった。それを後悔している。
そして、そのまま酔いつぶれてしまい、アクィラとベッドを共にしてしまった。
私の中に油断、仕事の先輩の言葉を借りれば慢心というものがあったためこうはならないだろうと考えていた。私がこういう事をそんなに好きではないということも関係しているだろう。その隙を付かれたことになる。
貴女のことだから、私が酔いつぶれている間に何かが──私のせいかは置いておいて──あってその結果勢いで始めたと考える。そこまで責める気はないが、貴女は私の中にある一線を超えてしまった。それだけはよく自覚して欲しい。
追伸:しばらくここに来れないかもしれない』以上です」
やっぱりグラーフは怒っているんだ。明確には書かれていないけど、なんとなくそんな気がする。いくつか気になることはあったけど、最後の方にあった一線を超えてしまったとしばらくここに来れないかもしれないと言う文が頭の中でくるくると回っている。
自己嫌悪感に耐えきれなくなり自分の顔を平手で打ちたくなるが、ザラがいる手前でそんなことはできない。やり場のない感情をベットに倒れることで押さえつける。
「はぁ……」
「手紙見ます?」
「ナイトテーブルの上にでも置いておいて。今は見たくない」
枕を手繰り寄せて、それで顔を覆い隠す。負の感情で歪んだ顔をザラに見られたくない。
「了解です。アクィラ、いくらなんでもそんな格好で横になってたら風邪を引きますよ? 今着替えを持ってくるのでそこにあるエスプレッソでも飲んでいてください」
「エスプレッソ?」
「さっきいったマグカップです。多分グラーフさんが淹れていったのがナイトテーブルに置いてありますよ。それを飲んで少しゆっくり待っててください」
ザラが扉を閉める音が聞こえた。
枕を跳ね除けてのそのそとベッドから起き上がってカップを手にする。中身は既に温くなっていた。事務室にあるエスプレッソマシンを使って淹れたものだと直ぐに察しがついたけど、匂いが若干おかしい。
嗅ぎ直して確かめてみると、多分これは設定を間違えたままいつもとは違う豆で淹れたような感じがする。ただの勘だから間違っているかもしれないけど。
まさか、一線を超えた私を殺そうとグラーフが毒を入れたとか? 流石に考えすぎだと思ってもグラーフならやりかねない気がする。
意を決して口をつけると、ただただ苦かった。
アクグラはいいぞ
ここも書いてて楽しかった。すれ違わず早くくっついて
次回は金曜深夜です。アクィラの沈んだ心を想像しながらお待ち下さい。