命が射す   作:ptagoon

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約束されたお使い

──神と鴉──

 

 

 今日の晩ご飯を鍋にしようと思ったのに、大した理由はなかった。じめじめとした暑さが、鍋から吹き上がる湯気を思い起こしたのか、それとも早苗さんの緑髪が新鮮な白菜を思い起こしたのか、気づけば「鍋にしましょうか」と口走っていた。

 

 このとき、私には二つの誤算があった。一つは、鍋という言葉を聞き、早苗さんが「キムチ鍋がいいです!」と、当然のように鍋は友人で囲むものとして認識しており、一緒に食べる気になっていたこと、そしてもう一つは、夏の季節に葉物が手に入らず、代わりの野菜を探さなければならなくなり、そしてこれまた当然のように「だったら、キュウリを入れればいいじゃない」とにとりが言い出したことだった。

 

「いやあ、夏に鍋ってのもいいですね!」

 

 見るからにうきうきな早苗さんは、かき氷を食べたとき以上にはしゃいでいた。私の家をなめ回すように見ている。彼女にとって、鍋を食べるという事実以上に、私の家で、にとりや私と共に食事をとる、という行為そのものが喜ばしいのだろう。贖罪ではないが、あれだけ焦っていた私とにとりも、彼女の『みんなで鍋をつつく』という思い込みを否定することはなかった。都合がよかったというのもあるが、単に、私たちもお腹がすいていたのだ。

 

 机に置かれた鍋の蓋を、にとりが恐る恐る開く。ぐつぐつと煮えた鍋から湯気があふれ出し、部屋が一瞬白くかすむ。無意識のうちに、布団へと目をやっていた。誰の姿もない。それもそうか、と息を吐く。

 

「いや、暑いよ! やっぱり」その湯気を一身に受けたからか、にとりは悲鳴を上げた。「どうして夏に鍋なんて食べないといけないんだよ」

「あややや、いいじゃないですか。明日は冷やし中華にするので、問題なしです」

「私たちに明日はあるのかねえ」

「そりゃ、ありますよ!」早苗さんは、自嘲気味に呟くにとりを笑い飛ばした。三枚の小皿に鍋を取り分けながら「にとりさんって、けっこう悲観的なんですか?」と軽い口調で訊ねる。

「悲観的と言うよりは、現実的なんだよ。本当なら、今すぐ帰って、布団を被って寝るべきなんだろうけどさ、どうしてこんなことしているのか」

「少なくとも、このキュウリ鍋を食べきるまでは帰っちゃ駄目です」

 

 鍋から菜箸でキュウリをつかみあげた早苗さんは、それをぷらぷらと揺らした。ふやけたキュウリは、出汁が染み込んで茶色く変色している。

 

「にとりさんが帰っちゃったら、このキュウリ、どうするんですか」

「どうって、食べればいいだろ」

「あんまり美味しくなさそうで」

 

 心配そうに自分の皿にキュウリを入れた早苗さんを、じっと見つめる。彼女の言う通り、煮込まれたキュウリは美味しくなさそうだった。だが、だからこそ言わずにはいられない。

 

「早苗さん。二人で食べればどんなご飯だって美味しいって、言ってたじゃないですか。だから、きちんと食べてくださいよ」

「でも、今は三人なので」

「にとりが帰ったら二人になりますが」

「にとりさーん。絶対帰っちゃ駄目ですからね」

 上半身だけでにとりに抱きついた早苗さんを、私はカメラに収める。

「にとりさんが帰っちゃったら、私はたぶん寂しくて死んじゃいますよ」

「そんなんで死んでたら、幻想郷で生きていけないよ」

「そうかもですけど」

 

 ぷくー、と頬を膨らませた早苗さんの脇をつつき、その膨らみを破る。そして私は、自分でもうんざりするほど元気に振る舞い、口を開いた。

 

「にとりが帰ったら、たぶん早苗さんは本当に死んじゃいますよ」

「そうですよ」にとりの方を向き、早苗さんも同意する。「死んじゃうんです」

「死にはしないよ。死にそうになるかもしれないけどさ」

「見捨てないでくださいよー」

 

 喜怒哀楽が激しい。彼女の面倒を見ている二柱の神も苦労しているのだろう。子煩悩な彼女たちは、きっと、早苗さんが帰ってこなかったら心配するに違いない。

 

「早苗さん、そういえば、守矢神社に連絡を入れなくてもいいんですか? もしかしたら晩ご飯を作って待っているかもしれません」

「ああ。それは大丈夫です!」私の懸念を振り払うかのように、彼女は明るい笑みを見せる。「しばらく出かけると伝えましたので」

「よく許してもらえましたね。いつ帰るかも、どこに行くかも伝えずに」

「そりゃ許してもらえますよ。子供じゃないんですから」子供じゃないんですから、の部分だけ、やけに強く彼女は言った。

「文さんは私のことを子供扱いしますけど、もう立派な大人ですからね。ちゃんと一人でトイレにも行けますし、お使いもできますよ」

「それは子供でもできると思いますが」むしろ、そんなことを自慢げに話すこと自体が子供っぽかったが、そこには触れないでおく。

「でも、子供が一番守らなければならないことを、早苗さんは破ってますよ」

「え、何ですか。たしかに勉強はサボりがちですが」

「よく言われているはずですよ。怪しい奴の言うことを信じてはいけないと」

 

 早苗さんはきょとんとしていた。にとりでさえ首を傾げている。私もだ。どうして自分がこんなことを言おうとしているか、理解できない。が、口はそのまま進む。

 

「だってほら、早苗さんは今、こうして私の家に来ているじゃないですか」

「それが何か?」

「鴉天狗なんて、怪しい奴ランキング優勝ですよ。そんな妖怪の家に、鍋につられてノコノコ来るなんて、酷い目に遭っても文句言えませんからね」

「そんなランキングがあったんですか」早苗さんはまた、きょとんとした。が、にとりは首を傾げない。鋭い目つきで睨んでくる。悪趣味、と確かにその口は小さく動いた。その通りだ。だが、河童に言われたくない。

「もう少し、早苗さんは警戒心を持たないといけません。人を疑うことを覚えたほうがいいです。推理小説でも読んで下さい」

「別に推理小説を読んでも、疑い深くはならないですって」

 

 それに、と彼女は嬉しそうに手を叩く。と、机の上に置かれた小皿をこちらに差し出してきた。茶色のキュウリがこんもりと盛られている。

 

「文さんだからこそ、ですよ。私だって、知らない妖怪の家にほいほいと着いていったりはしません」

「親しき仲にも嫌疑ありって言うじゃないですか」

「嫌な諺ですね」

 

 いただきます、と手を合わせ、早苗さんは私に目を向けたまま、キュウリを口の中へと入れ、べぇっと舌を出した。美味しくなかったのか、それとも私の説教に対するささやかな反抗なのか、分からない。分かったのは、彼女は相変わらず上機嫌だということだけだった。

 

「そろそろ本題に入ろうじゃないか」どこかつまらなそうに、にとりが口を開く。

「本題って?」

「早苗が何を調べていたか、だよ」

 

 心なしか空気が凍った気がした。早苗さんは相変わらずニコニコしているし、にとりだって、そんな早苗さんを見て苦笑している。単に、私が緊張しただけだと気づくのに、そう時間はかからなかった。知らず知らず小皿に載せられたキュウリに手を伸ばしている。美味しくはないが、食べられなくはない。微妙な味だ。

 

「どうしたんですか、文さん」早苗さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。

「そんなにキュウリ、美味しくなかったんですか」

「え、ええ。そうですね」本心からの言葉なのに、不思議とどもってしまう。自分の翼を見る。ほんの少し、右上に動いているような気がして、戸惑う。

 

 箸を置いて、小さく息を吐く。大丈夫、と自分に言い聞かせる。そして、そんなことをしている自分に嫌気が差した。にとりの言うとおりだ。いったい、どうして。

 

「まあ、キュウリは微妙ですが、きっと私の話を聞けば、それも些細なことになりますって」つとめて、早苗さんは元気に言ってくる。「ですよね、にとりさん」

「ですよね、じゃないよ」

「え?」

「微妙なキュウリなんて存在しないんだ。どんなキュウリも、完璧なんだよ」

 

 腐ったキュウリも完璧なんですか、と嫌みをぶつけようとするが、やめる。気が滅入っていたからではなく、にとりなら、腐ったキュウリさえも好みそうだな、と本気で思ったからだった。

 

 苦笑した早苗さんは、饒舌に話し始める。

 

「文さん達と別れた後、私は見張りの白狼天狗に訊ねて回ったんです」

「訊ねたって、何をです?」

「この写真についてですよ」懐から、ビニール袋で包まれた写真を取り出しひらひらと振った。「少し、気になることがあったんで、聞いて回ってたんです」

 私は恐る恐る「どうだったんですか」と訊ねる。にとりも身を乗り出し、耳をそばだてている。

「それが、皆さん微妙な反応をしまして。なんか、まともに取り合ってくれなかったんですよ。鼻で笑ってくるというか、慰められるというか。そんなのあり得ないって、言うんですよ」

「まあ、そうなるだろうな」

 

 にとりの言葉に、私もうなずく。おそらく、妖怪の山の誰もが同じ反応をするに違いない。すでに結論は出ているのだ。

 

 だが、その結論を知らない早苗さんは、不服げに言葉を続ける。

 

「鴉天狗の人に話を聞こうと思ったんですけど、中々みつからなくて。はたてさんにも会えなかったんですよ! むしろ、こっちの方が異変っぽいですよ」

「たしかに」

 

 はたてはその時、決勝の舞台にいた訳だから、家にはいなかった。早苗さんの驚く姿が目に浮かぶ。騒がしい彼女のことだから、家の前で何度も叫んだに違いない。

 

「結局、鴉天狗の皆様には会えなかったので、仕方がなく、河童の方々にも聞いたんですけど、あまりいい情報は手に入らなくて。しぶしぶ、頑張って勇気を出したんですよ」

「勇気、ですか」

「勇気があれば何でもできるんです。知らないところに一人で行くことも、目上の方々に頭を下げることも。そして」

「そして?」

「真犯人に出会うことも」

 

 自然と背筋が伸びた。おそらく早苗さんは、わざと含みを持たせた言い方をし、私たちに期待を持たせようとしている。そんなことは分かっていた。それでも動悸が激しくなり、息が詰まる。名探偵早苗の推理ショーは、酷く滑稽で、泣けてきた。

 

「真犯人って、いったい誰なんだよ」半ば儀礼的に、にとりが訊ねる。「勿体つけないで、教えてくれ」

「まあまあ、焦らないでください」いつの間にか早苗さんは立ち上がっている。「まずは、これを見てほしいんです」と取り出した写真を、机の真ん中、鍋のすぐ横に置いた。件の、ビニール袋に包まれた写真だ。間違いなく、にとりが落としたものだった。

 

 正面に、にとりが映っている。笑みは引きつり、強張っている。その手には真っ二つに割れたキュウリが握られていた。何度見ても間抜けで、みっともない。

 

「この情けない写真がどうかしたのですが?」新聞大会にでも使えそうなほど、よく撮れている写真を、私はピンと指で弾き、早苗さんの前へと滑らせる。

「にとりの愚鈍さなら分かりましたが、それだけです」

「よく見てください」

 

 ここですここ、と早苗さんは写真の右上、木陰になり、暗くなっている箇所を指差した。綺麗に整えられた爪先が、ぺしぺしと写真を叩く。

 

「ほら、暗くて見えにくいですが、誰か映ってますよね」

 

 角度を変えてじっと見る。と、たしかに人影が映っていた。黒く見づらいものの、全く見ないわけでもなく、複数の人の姿がぽぅっと浮かび上がる。彼らの手元にある何かが、カメラのフラッシュに反射したかのように、一部だけ光っていた。

 

「私、これを見て気がついたんです」

「気がついたって、何をだよ」

「にとりさんが誰かに襲われた理由です」簡単な推理ですよ、と彼女は胸を張る。

「もしかしたら、にとりさんが襲われたのは、見ちゃいけないものを見てしまったからではないか。そう思ったんです」

「見ちゃいけないものって何ですか」

「賄賂ですよ賄賂!」

 

 まるでそれが魔法の言葉であるかのように、彼女は繰り返す。

 

「ほら、よく見てください。この手前の人が奥の人に金を渡していますよね。見るからに怪しいじゃないですか。ですから、多分この写真に写っている人が、にとりさんを襲ったと思ったんです。そうしたら、奇跡が起きたんですよ!」

 

 奇跡。一般人ならば、子供でもない限り易々と口にできないほど、馬鹿らしい言葉だ。才能に恵まれなかったものが無根拠にすがりつき、偶然をさも自身の努力によるものと勘違いをする。そんな下らない言葉。けれど、早苗さんの言う奇跡という言葉は、おそらく普通の人とは違った意味を持つのだろう。だが、今回に限って言えば、それは奇跡ではないはずだ。

 

「なんとですね。この賄賂を受け取っている妖怪にたまたま出会ったんです! もうびっくりでしたよ」

「出会って、早苗さんはどうしたんですか?」

「当然、自分の推理を披露しました」

 

 にとりが、口に入れたキュウリを吹き出した。そのままゴホゴホと咳き込み、顔を真っ赤にしている。背中をさすってやると、段々と落ち着き始め、今度は真っ青な顔になり、ガタガタと震え始めた。忙しいやつだ。

 

「推理を披露して、どうなったんですか?」

「これまた典型的なことを言ってましたよ」

「なんですか?」

「証拠はあるのかって。ほら、なんかもう、むっちゃ犯人っぽいじゃないですか。だから、私はありますって言ってやったんです。なんて言ったって、この写真が動かぬ証拠ですからね」

 

 もし、その写真が本当に証拠になるのだとしても、あくまで賄賂の証拠にしかならないし、にとりを襲っただという根拠にもならない。そもそも、にとりを襲った奴が、他の襲撃犯と同一だとは限らないのだが、早苗さんは何の疑いもなく、全ての悪事はその、賄賂を受け取った妖怪だと信じ切っているようだった。

 

「やっぱり、正義のヒーローなんていなかったんですよ。ただの、賄賂を隠そうと犯行を繰り返す、酷い奴が犯人だったんです。きっと、口封じで倒された妖怪が、たまたま悪いことをてただけだったんですよ。これが、襲撃事件の結論です!」

 だが、そんな根拠に欠けた推理でも、そこそこ的を得ているのは、やはり彼女が奇跡の申し子であるからなのだろうか。

 

 しばらく、私たちは無言で鍋をつついていた。正確には、なおもまだ早苗さんは楽しそうに何やら話していたが、その声は耳を通り抜け、宙に霧散してしまっていた。美味しくないキュウリに四苦八苦している、といった風を装い、心を落ち着かせる。にとりがぽんと箸を机の上に投げ捨てた。「さじじゃないけどね」と卑屈に笑い、「腹をくくったよ」と曖昧に笑みを浮かべる。

 

「私も腹をくくりました」にとりの言葉に私も頷く。

「お腹でもこわしたんですか?」心配そうに訊ねる早苗さんから目をそらし、私は片手をあげ、玄関の扉を開いた。

「努力をしたんですよ」

「努力って、なんの?」

「絶望する努力です。絶望する努力をしなければ、世の中は生きていけません」

「それって、この美味しくないキュウリを食べきる努力ってことですか」

 

 私は曖昧な笑みを浮かべ、そのまま早苗さんの方を見る。

 

「早苗さん、少しお願いがあるのですけれど」

「お願い? 何ですか?」

「お使いを頼みたいのです」

 一瞬ぽかんとした彼女だったが、すぐに破顔し、子供のように顔をくしゃりとさせた。「任せてください!」とぽんと自分の胸を叩いている。

「お使いは得意なんです!」

 

 彼女はどこまでも純粋で、素直で、分かりやすい。喜怒哀楽が激しく、嘘をつけない性格だ。天真爛漫で、太陽のように明るくて、鴉天狗である私ですら驚くほどに美しい。だからこそ、私はその笑顔が大好きで、羨ましいのだ。

 

「でも、こんな夜更けにお使いだなんて、どこに行けば良いんですか?」

 

 早苗さんは当然の疑問を投げかけてくる。大きく息を吸い、吐く。残ったキュウリを一気に口に頬張り、もごもごとさせながら、私は口を開いた。

 

「いつも私がいる場所、覚えていますか? 川の畔にある、開けた場所です」

「ああ、さっき行った場所ですね。にとりさんが待っていた」

「そうです。そこで、行商の方と待ち合わせをしていまして。代わりに買い物を行ってきてほしいのです」

「何を買えばいいんですか?」

「そうですね。喧嘩と顰蹙でも買ってきてください」

「なんですか、それ」

 

 くすくすと早苗さんは笑う。私も彼女を真似て、同じように笑った。

 

「そうですね。まあ、傷薬でも買ってきてください。どんな怪我でも治る薬を」

「そんなもの売っているんですか」

「売っていたらでいいです」

「あ、でも」玄関を出かけたところで、早苗さんは立ち止まり、振り返った。焦らすかのようなその所業に、私もにとりも渋い顔をする。

「行商の人も、文さんの姿がなかったら、帰ってしまうのではないでしょうか。私を見ても、客とは思わないかも」

「あ、ああ」そこまで頭が回るのにどうして、と思わずにはいられない。大丈夫ですよ、と声をかけようとしたが、それだけだと淡泊な気がして「だったら、私が客ですと叫んでください」と余計なことを付け加えてしまった。

「そうすれば、さすがに気づいてくれると思います」

 

 なるほど、と頷いた早苗さんは、お使いだというのに、金を受け取ることなく家から飛び出してしまった。私とにとりが部屋に取り残される。ぐつぐつと鍋の煮える音だけが部屋を包んでいた。

 

「私は知らないからな」ぽつりとにとりが呟いたのは、私が鍋の中のキュウリを全て早苗さんの器に移し、自分の分をにとりに勝手に押しつけていたときだった。

「やるべきことはやるけどさ」

「十分ですよ。むしろ、あなたは勝手なことをしないでください。いつもそれで台無しにするんですから」

「うまくいくのか?」臆病な彼女は、酷く不安そうな声を出す。

「このまま無事に帰ってくる可能性が半分、帰ってこない可能性が半分ですかね。夜の妖怪の山は危険です。まあ、早苗さんは強いので、木っ端妖怪に襲われることはないはずですが」

「本当につれるのかい?」

「つれなかったら、その時はその時です」

 口ではそう言ってたが、私は確信していた。早苗さんならば大丈夫だ。

 

 どこか落ち着かないのか、にとりはしきりに帽子をいじり、どこからか取り出したキュウリを頬張っていた。先ほど食べたばかりだというのに。だが、キュウリは精神安定剤にはならないのか、その体はブルブルと震えている。

 

 すると、唐突にその震えが一際大きくなり、その場でにとりは大きく跳躍した。座ったまま跳ぶ姿を初めて見たかもしれない。ツインテールが逆立っているようにすら見えた。

 

 にとりはガサゴソとポケットを漁る。ピー、ピー、と甲高い音が響き、バイブによる重

低音も相まって、不快な音に聞こえる。

 

「防犯ブザーだ」にとりは焦りつつも、しっかりとした声で言った。

「早苗が防犯ブザーを鳴らしてる。何かあったんだ」

「何か、ね」顔を引き攣らせるにとりの肩を掴み、頷く。

「絶望する努力をしないと、ですね」

 

 私の呟きのせいで、にとりの顔にまた青色がさす。それはとても魅力的に思えた。

 

 

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