命が射す   作:ptagoon

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鴉天狗は分からない

──神と鴉──

 

 

 

 私の計画は大凡うまくいっていた。

 

 私に同情した早苗さんは、時間を使いすぎたとはいえ、解決に乗り出してくれたし、にとりの写真の違和感に気づき、大天狗様が賄賂をしている、と聞き込みを行ってくれた。まさか、本人にまで会ってしまったのは驚いたが、それでも、計画の範囲内だ。

 

 予想外だったのは、早苗さんの様子を見る。つまり、賄賂についての決定的証拠を見つけようと様子を窺い、十分だと判断したら早苗さんを助けるつもりだったのに、それ以前にまんまと大天狗様に見つかってしまったことと、そして、想像以上に私が感情を抑えることが苦手だったことだけだ。そして、それが致命的だった。

 

「どういう意味だ射命丸」大天狗様はゆっくりと立ち上がった。

「それに、どうして怒っている」

「怒っていませんよ」

 

 怒っていた。久しぶりに自分が怒っていると自覚したかもしれない。表情には出ていないはずだが、それでも気を緩めれば、口から暴言が飛び出しそうになる。私がすべきなのは、早苗さんを回収し、逃げ去ることのはずだ。なのに、頭が沸騰する。控えめに言って、錯乱していた。

 

「大天狗様は浅はかですね」

「なんだと?」

「白狼天狗相手に、何をそこまで。武勲を上げる? 正義のヒーロー? 向いてないですよ。そういう腹立たしい称号は、地道に努力をして、無様に地面を這いつくばっているような奴にこそ相応しいんです。お前みたいな老年の爺には向いていないんです」

「お前って、お前、誰に向かって口を開いているのか、理解しているのか」

「分かってますよ」

「上司に逆らうというのか」

「部下と上司は対立する運命なんですよ。私が上司に歯向かうのは、自然の摂理なんです」 

 

 鴉天狗は上司に逆らえない、と言ったのはどの口なのか。どうせ歯向かうなら早苗さんは何のために巻き込まれたのか。自分で自分を叱責する。が、仕方がない、とどこかで割り切っている自分がいた。もうやるべきことはやった。なら、後はどうなってもいいじゃないか、と。それに、早苗さんがいなければ、未だにつかめていなかったはずだ。

 

 懐から、団扇を取り出す。ただの団扇ではない。一振りで嵐を起こす、よく言えば伝説の、悪く言えば曰く付きの団扇だ。楓で出来たそれは、天狗の秘宝だった。

「やり合うつもりなのか」

 

 大天狗様も、私と同様頭に血が上っているのか、その場でじたばたと足踏みをし、声を荒らげた。

「この我に逆らうというのか!」

 

 パン、と乾いた音がした。大天狗様のあまりの声の大きさに鼓膜が破れたかと思った。世界がゆっくりと傾く。真っ暗な空が視界を覆い尽くした。ああ、暗いな、と場違いなことを考え、そしてすぐに疑問がよぎる。どうして、私は空を見上げているのか。

 

 それは、私が倒れているからだった。

 

 右足に鋭い痛みが遅れてやってくる。理解できぬまま手をやると、ぬめりとした感触がした。血だ。血が出ている。いったい、いつの間に。この私が見えないだなんて。頭に血が上っていたせいか。

 

 右手を軸に立ち上がる。翼を広げ、宙に浮いた。右足だけがだらりと垂れ下がり、バランスが取りづらい。だが、高々その程度だ。

 

 音の正体は、大天狗様の手に握られた武器のようだった。銃のようにも見えるが、先が広がっている。よく分からないが、分からなくても問題ない。

 

 バサリ、と自身の翼がはためく音と、風を切る音がする。世界がゆっくりになり、大天狗様しか目に映らない。翼を狭め、一気に加速する。団扇を持った手を上げ、振り下ろそうとする。殺すつもりはなかった。殺せるだなんて、思っていなかった。相手を怯ませ、そして少しでも痛みを与えられればいいと、そう思っていた。

 

 だが、まさか掠り傷すら与えることはできないとは考えていなかった。

 

 私の渾身の一撃は、たしかに直撃した。肉を裂き、骨を断ちきる確かな感触がした。が、それでも大天狗様は平然と私の腕を掴んできたのだ。その顔に一切の歪みはない。にやり、と笑ってすらいた。

 

 まずい、と思った時には既に遅く、腹に鈍い痛みが走る。胃液がこみ上がり、その場に吐瀉物を吐き出してしまった。顔を上げる間もなく後頭部を殴られる。河原に顔面を強く打ち付け、目に火花が散る。ツンとした刺激臭が鼻を突いた。自分の吐瀉物の上に倒れ込んでしまったのだろう。ねちょりとした嫌な感触がする。

 

「常識的に考えろよ、射命丸」

 

 頭上から嫌な声がした。が、その大天狗様の声ですらどこか遠くに聞こえる。起き上がろうとするも、平衡感覚が保てず、うまくいかない。脳が揺れたのだろうか。

 

「我は大天狗だぞ。それが名誉だけで務まるわけがないだなんて、知っているだろ。お前は馬鹿だな。馬鹿で、間抜けだ」

 

 その通りだ。私は馬鹿で間抜けだ。感情に支配され、上司に逆らうだなんて、愚かとしか言えないじゃないか。だが、それでも。

 

「椛よりはマシですよ」

「何がだ」

「あの生意気な部下は、情けないことに、愚かなことに、お前を本当に尊敬していたんですよ。笑えますよね。正義のヒーローだなんて言っていたんです。賄賂だって、大天狗様ならその疑惑の真偽を含め、解決してくれるとそう思い込んでいたんですよ。泣けますよね」

「泣けない」

「ずっと昔の、下らない約束を守るような、そんな馬鹿な犬っころなんですよ、椛は。何が半人前だ。何が一人前だ。馬鹿じゃないの。そんなもの、適当に言っただけだったのに」

 

 なぜ、私は怒っているのか。椛のことなんて嫌いだ。一緒にいるだけで吐き気がするし、顔を見るだけで嫌気が差す。どうしてここまで愚かな妖怪がいるのか、とこの世の中を嘆きたくなる。だが、それでも、だ。

「それでも、椛は私の部下であることには変わりないのです。いわば、所有物なんですよ。それを侵害されるのは、度しがたく、許しがたいんです」

「うるさいぞ射命丸」

 

 はなから私の言うことなんて聞く気がなかったのか、大天狗様はそう言い、腹を強く蹴飛ばしてきた。全身に痛みが走り、もはや怪我をしていないところを探す方難しい。河原をゴロゴロと転がったからか、鼻血が出ていた。隣を見る。椅子に縛られたままの早苗さんが目に入った。やけに静かだと思ったら、目を閉じ、寝息を立てていた。気絶していたはずなのに、いったいいつの間に。なんで友人に殴られた後に眠れるのか、理解できない。が、いずれにせよ窮地であることに変わりはなかった。

 

「まあでも、いいじゃないか」

 大天狗様はその場から動かない。動かずに、淡々と言った。

「部下も上司も、似たもの同士だったってことだろ。だったら、同じような目に遭わせてやればいいだけだ」

 

 身体を動かそうとするも、うまくいかない。大天狗様が手を大きく振り上げる。目を閉じる。なぜか瞼の裏に得意げな笑みを浮かべる椛が映った。衝撃に備え、身体を縮こまる。無様だ。どうして私がこんな目に。全部椛のせいだ。

「出てこい」

 

 大天狗様の険しい声が響く。恐る恐る目を開く。と、いつの間にか大天狗様は私たちに背を向け、じっと川を見つめていた。早苗さんの頬を叩き、起こそうと試みる。寝ているのではなく、まだ気絶したままなのかもしれない、と思ったが、ううん、とうなり声をあげたのをみると、本気で眠っているようだった。

 

「出てこいと言っているんだ」

 

 大天狗様が繰り返した。と、川からぶくぶくと泡が現れ、人影がぬっと現れる。背中に見覚えのある大きなリュックサックを背負ったそいつは、青い帽子を脱ぎ、深々と頭を下げた。どうしてここに。家で待っていろっていったのに。

 

「河童か」

 

 大天狗様は、嫌悪感に満ちた目で、河童、すなわち、にとりを見下した。彼女の顔はよく見えない。が、恐怖と絶望で顔を青くしていることは容易に想像できた。

 

 彼女の足音が近づいてくる。大天狗様に対してなのか「申し訳ございません」と謝っている。顔を上げ、にとりの顔を見ようとするも、血を流しすぎたせいか、視界が霞んでよく分からなかった。

 

「何やってんだよ、文」

 にとりが耳元で、小さく囁いてくる。

「大天狗様に逆らうだなんて、命知らずにもほどがある」

 なにしにきたんですか。そう口を開いたつもりだったのだが、出たのはうめき声だけだった。

「あの、大天狗様」

 

 もごもごとする私を無視し、にとりは大天狗様と向かい合う。跪き、リュックサックを差し出した。いったい何を考えているのか、分からない。

 

「どうか、これで穏便に済ましてくれないでしょうか」

「なんだ」

「文と早苗の無礼を、どうかお許しいただけないでしょうか!」

 

 語調が強かったのは、自らの恐れを誤魔化すためなのか、ぶるぶると貴刻みに震えながら、彼女は叫ぶ。

 

「これは何だ」大天狗様の怪訝な声が聞こえる。

「貢ぎ物です!」それをかき消したかったのか、にとりは大声で答えた。

「我々河童の持ち物の中で、もっとも価値のあるものをありったけ集めて、持ってきました!」

「ほう」

 

 大天狗様の声色が変わった。油断したのかと思い、もがき動こうとすると、左足に痛みが走る。ひぃ、と悲鳴を上げてしまった。ピントの合わない目を必死にこらす。と、右手をあげた大天狗様の手に、例の謎の武器が握られていた。視線すらよこさず、狙い撃ちしてきたのだ。

「あの、これを全部差し上げますから、どうか。どうかお許し下さい」

 

 そんな私を見たからか、にとりの声に焦りが混じった。私に駆け寄り、抱きしめてくる。大天狗様とだいぶ距離があるが、それでも彼は近づいてこようとはしなかった。遠距離でも、私たちを殺せると、そう思っているからに違いない。なめられている。

 

「それを差し上げますので、どうかご慈悲を!」

 

 川に潜んでいたからか、彼女の身体は濡れていた。顔が濡れているのは、きっと川に入っていたからではなく、涙のせいだろう。恐怖で泣き出している。

 

「このリュックサックの中に、河童の秘宝が入っているというのだな」

 大天狗様はどこか楽しそうに言った。

「それを献上するから、射命丸を許してほしいと」

 

 無理だ。秘宝とやらが何か知らないが、それがこの場にある以上、私たちを生きて帰す意味がない。秘宝も奪い、ついでとばかりに、私たちの命を奪うに決まっている。

 

 大天狗様は、慎重にリュックサックの口の封を外した。ごくりと、にとりが息を呑む。右足と左足が動かない。翼を広げようとするも、にとりに止められる。このままでは、全滅だ。

 

「なんだこれは」

 リュックサックを開いた大天狗様は、唐突に間の抜けた声を出した。そしてすぐに「なんだこれは!」と怒りに満ちた声に変わる。

「こんなキュウリが、河童の秘宝なのか!」

 

 その場でリュックサックをひっくり返した。と、緑色のキュウリがこれでもかと出てくる。

 

「当たり前ですよ」

 

 にとりは、それは虚勢に違いなかったが、先ほどまでの泣き声ではなく、はっきりと言った。

「河童にとって、一番大切な物はキュウリと、そして」

 

 そこで、彼女は帽子のヘリの部分をつまんだ。そのまま、真横に指を動かし、何やらいじくっている。カチリと不穏な音がした。

「そして、機械なんですよ!」

 

 ぴかりと、一瞬だけ光が見えた。と、同時に爆音が鳴り響き、五感が消え去る。凄まじい暴風に煽られ、吹き飛ばされる。何が起きたか分からなかった。全身に衝撃が走り、視界が光に包まれる。

 

「キュウリ爆弾だ!」

 

 薄れゆく意識の中、にとりの、キュウリでも洗って出直してきな、という勇ましい声が聞こえたような、そんな気がした。

 

 

 

 

 目を覚ますと、号泣するにとりと、椅子に縛られたまま足をばたつかせる早苗さんの姿があった。

 

 頭が酷く痛み、目もあまり見えない。足からは血が流れているし、両手を見おろすと、擦り傷で酷い有様だった。気持ち悪さは残っているし、内臓が傷ついたのか、鈍い痛みが腹の奥に留まり続けている。

 

 が、そんなことを忘れてしまうほど、現状は混沌としていた。意味が分からず、私は夢を見ているのではないか、と一瞬だが本気で思った。

 

 たしか、私は大天狗様に喧嘩を売り、そして敗れたはずだ。そこまでは覚えている。そこから、どうなったのか。空を見上げると、東はすでに明るみ始めていた。どれほど気を失ってしまったのかすら分からない。

 

 そして、空に向けていた視線を河原に戻し、川辺を見た時、あまりの惨状に言葉を失った。そして、記憶が戻っていく。そうだ。そうだった。

 

 川辺の河原は吹き飛び、大きな穴ができていた。心なしか、プスプスと煙が出ているような気さえする。川の水が入り込んで、茶色の池ができていた。そうだ。にとりのキュウリ爆弾の爆発によってできた大穴だ。明らかに火薬の量に悪意がある。よくもまあ、この距離で私たちは無事で済んだものだ。確実に、至近距離にだけ影響が出るように仕組んであったに違いない。地形に影響を及ぼすなんて、鬼ですら怯むといった彼女の言葉に嘘はなかった。

 

「あ、文。やっちゃったよ」

 

 私が目を覚ましたことに気づいたのか、にとりが抱きついてきた。満身創痍だったので、彼女の体重すら支えきれず、地面に叩きつけられる。

 

「あややや。痛いです。ちょっと」

「大天狗様に喧嘩を売っちゃった」

「喧嘩を売っちゃったというか、殺しかけたというか」

 

 私は辺りを見渡す。が、大天狗様の姿はどこにもなかった。もしかして、死んでしまったのか、と死体を捜すも、それも見たらない。

 

「大天狗様は、どこへ」

「さあ」

「さあって」

 

 あれほどの爆発をくらえば、いくら大天狗様でも一溜まりもないはずだ。生きているか、死んでいるか。少なくとも、しばらくはまともに行動できないに違いない。

 

「というより、やりすぎですよ、にとり」

 

 想像よりも私の怪我は酷く、痛みが引かない。だというのに、気分は想像よりも晴れやかだった。もはや引き返せない。そう分かっているのに、だ。

「あんなに爆弾を持ってこなくても」

「いやだって、文が全然帰ってこないから。一応と思って、川を泳いで向かったんだよ。そしたらさ」

 どこか非難するような目つきで、にとりは言ってくる。

「文が殺されそうになってたから、焦ったよ。なんで喧嘩売ってるのさ。隠れているって話だったじゃないか」

「いや、つい」

「ついじゃないよ!」

 

 まあまあ、とにとりを宥める。ついで殺されそうになったのだから、怒る気持ちは分かる。が、その怒りに対処するほどの元気は私には残されていない。

 

「あのお」

 

 にとりを引き剥がし、痛む身体を無理やり起こしていると、申し訳なさそうに早苗さんが声を発した。

 

「すみません。助けてもらってもいいでしょうか」

「あ、はい」

 

 いやあ、死ぬかと思いましたよお、と椅子から解放された早苗さんは、朗らかに笑った。死屍累々の私たちとは対照的に、元気満タンだ。

 

「いや、あまりの怖さに気絶しちゃいました」

「いや、早苗は寝てたよ」にとりは、ひっくとしゃくり上げながら言う。

「どうしてあの状況で眠れるのか分からない」

「現実逃避ですよ。人間は、あまりの恐怖を覚えると、眠ってしまうんです」

 

 そんな話は聞いたこともないし、そもそも早苗さんは現人神であるので、関係がないはずだ。だが、そんなことは口にできない。それどころか、早苗さんの顔を直視することすらできなかった。

 

「とりあえず、お願いがあるんですけど、二つほど」

 

 自身の腹を押さえ、すこし顔をしかめた早苗さんは、歌い上げるようにそう言った。まだ、腹が痛むのだろう。顔を背けるが、それでも圧迫感は消えない。胃が痛い。大天狗様にやられたせいか、それとも早苗さんのせいか。

 

「一つ目のお願いというのはですね、いったい何があったのか、教えていただきたいんですよ」

 

 にとりの方を向き、早苗さんは微笑んだ。そして、その緩んだ頬を微動だにさせず、私の方へ向ける。目尻は垂れていたが、その奥の瞳に光がなかった。

 

「そして、もう一つのお願いというのはですね」と、そのまま淡々と言ってくる。

「文さんって、足を怪我してますね」

「そうですが」

「だったら、とりあえず」

 ピンと指を立て、彼女はのんびりと言う。

「とりあえず、正座してください」

 

 ああ、これは怒っているな、と確信する。大天狗様に殺されかけた時よりも、よっぽど恐ろしかった。

 

 

 

 

 にとりは早苗さんに、一連の出来事を手際よく説明した。そもそも、例の襲撃事件の犯人が大天狗様だと分かっていたことから、私の部下が酷い目に遭ったということ。大天狗様から情報を得ようとしたこと、結局のところ、目論見は上手くいかず、敵対して争いになってしまったこと。そして、にとりのキュウリ爆弾のことまで、全てを洗いざらい話した。

 

「なるほどなるほど」

 

 早苗さんは、しきりに私の方を見て、頷いた。笑顔だ。笑顔で糾弾してくる。これならいっそのこと、軽蔑し、絶縁してくれた方がましだった。というよりも、私はてっきり、そうされるとばかり思っていた。

 

「それで、文さんはどうして私を痛めつけたんですか?」

 その、嫌な笑顔のまま早苗さんは言ってくる。

「話を聞いている限り、その必要はなかったんじゃないかと思うんですけど」

「早苗さんが言っていたじゃないですか」

「え?」

「大天狗様に見つかって、これでは目的が達成できないと思ったから、奥の手を使ったんですよ」

「奥の手?」

「敵のフリ作戦ですよ」私は自信の服をちぎり、足に巻き付けながら言った。正座は正直、かなり辛い。

「味方を敵に回したら、相手は、あ、こいつはこっちの味方なんだなって思うんですよ。そして相手は油断する。ですよね? その油断を突こうと思ったんですよ」

「なんですか、それ」

 

 早苗さんは肩をすくめた。怪我をしたばかりの私の足を突いてくる。脱臼したはずの彼女の肩は、もうすでに治っていた。

 

「まあでも、分かってましたけどね」

「え?」

「文さん、結構顔に感情が出るタイプなんですよ。だから、あ、これは本気で怒ってはいないなって、殴られながら思っていました。まあ、それでも友人から殴られるのは悲しかったですが」

 

 ですが! と彼女は力強く言った、そして、胸を張る。

 

「今回だけは許してあげます」

「え?」

「そうですね。この前行列が出来ていていけなかった、あそこのご飯をおごってください。それでチャラです」

「チャラじゃないですよ」

 

 ただですら早苗さんを危険な目に遭わせた上に、あんなことまでして、たかがご飯をおごるだけで許していいわけがなかった。

 

「いいんですよ、文さん」

「なんで」

「だって、格好いいじゃないですか?」

「え?」

「友人の過ちを全て許すって、クールだとは思いませんか? 思いますよね。私、そういうのに憧れていたんですよね」

 

 開いた口が塞がらなかった。そんなくだらない理由で、あんな非道な行いを許していいのか。いいわけがない。いったい彼女はどこまでお人好しで、どこまで愚かなのだろうか。だが、それでこそ早苗さんだとも言えた。

 

「早苗さんって、格好いいって言えば、全てのことを許してくれそうですよね」

「そんなことはないです」

 

 ぷくー、と頬を膨らませる早苗さんを見る。彼女はどこまでお人好しなのだろうか。とりあえずは、彼女の恐ろしい保護者には謝りにいかなければな、と考えていると、急に早苗さんは膨らませていた頬を縮め、眉をハの字にした。「でも、それじゃあ」と顔を青ざめさせながら言う。

 

「お二人は大丈夫なんですか?」

「大丈夫、とは」

「だって、大天狗とかいうあの妖怪に恨まれちゃいましたよね。妖怪の山にいられなくなっちゃうかもしれないですよ」

 

 それに、と早苗さんは私を見つめながら言う。許すと言った割りには、まだその目には怒りが混じっているような気がした。しばらくは、彼女の言いなりにならなければ、許してもらえないかもしれない。が、そもそも、許してもらえるだけでも感謝すべきだった。まあ、早苗さんが許したところで、守矢神社が許してくれるかは怪しいところだが。

 

「ほら、結局、大した証拠ももらえてないんですよね。私、殴られたのに」

「大丈夫ですよ」私は強く頷いた。心配そうにしているにとりのポケットに手を突っ込み、それを取り出す。ひっくり返し、スイッチを押した。

「なんですか、それ」

 早苗さんは、怪訝そうな表情をする。

「ただの石ころのように見えますけど」

「まあまあ、耳を澄ませておいてください」

 

 耳? と首を傾げる早苗さんに、それを近づける。ザザというノイズが聞こえた後、はっきりと低い声が聞こえた。大天狗様の声だ。

『我の賄賂を犬走に知られたから、口封じをしたのだよ』『どうせ倒すのなら、犬走が悪事を働いたということにして、それを我が成敗してやったと民衆に思わせた方が、効率がいい。言っただろ?』と、声が再生される。

 

「何ですか、これ」

 驚いたのか、早苗さんが私に駆け寄ってくる。先ほど浮かべていた怒気など忘れたかのように、抱きついてきた。

「イッシーだよ」

 いつの間にか泣き止んでいたにとりは、腫れぼったい目を擦り、笑う。

「水につけておけば、声が録音できるんだ。どうだ? 動かぬ証拠だろ?」

 

 凄いです! と目を輝かせる早苗さんを前に、すっかり調子づいたにとりは、つい数時間前まで殺されそうになっていたと言うことも忘れ、はしゃいでいた。

 

「これで、賄賂の真実を、椛の濡れ衣を果たせるはずだよ」

「そうだといいですね」

 

 イッシーをいじくり、そうであってくれ、と願う。と、手に持った録音機から、またノイズが聞こえてきた。聞き慣れた声が流れ出てくる。間違いなく、私の声だ。『それでも、椛は私の部下であることには変わりないのです。いわば、所有物なんですよ。それを侵害されるのは、度しがたく、許しがたいんです』と、必死な声が聞こえてくる。

 

「おっとっと」

 ニヤニヤとした早苗さんが顔をのぞき込んでくる。と、にとりも同じような顔で、私を見つめてきた。

「賭けは私の勝ちだね」

「え?」

「文と椛が仲良くできるかって賭けだよ。やっぱり、仲いいじゃないか」

 

 そんなことはない、と否定するも、彼女たちは信じてくれそうになかった。だが、まあ。それも悪くないかだなんて、そんなことすら考えてしまう。

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