──狼と鴉──
文さん、いったいどうすればいいんですか。
いつの日だったか、妖怪の山のほとりに流れる小川で一休みしている際、部下にそう言われたことがある。突如、妖怪の山へと現れた鬼、伊吹萃香さまが、あろうことか私たちの場所へとまっすぐに向かっていると分かったときのことだ。
椛を呼びに来た白狼天狗は、そうと分かった瞬間、慌ててどこかへと行ってしまった。その気持ちは痛いほど分かるし、私も逃げ出したい。が、できない。おそらく伊吹萃香さまは、私に用があって、わざわざ来てくださいやがったのだ。哨戒の白狼天狗に私の居場所を尋ね、向かってきている。奇しくも、客人といった私の言葉は本当になってしまったわけだ。きちんと侵入者を排除してくださいよ、と今回ばかりは文句を言えなかった。鬼だけには逆らってはいけない。それは、この妖怪の山において常識となっていた。
「私、萃香様に会ったことないんですけど、出会い頭に殺されたりしませんかね」
「しませんよ、たぶん」
「そこは断言してくださいよ」椛はすでに泣き出しそうになっていた。
「頼みますよ、文さん」
「大丈夫ですよ。よっぽど無礼なことをしなければ」
「頼みますよ、文さん」自分が無礼なことをする可能性なんて考えていないのか、椛は懇願してくる。「本当にお願いしますよ。文さんが失礼なことをしても、私は助けませんから」
「なら、椛が失礼なことをしたら、私は萃香さまと一緒に殴ってあげますよ」
「ならってなんですか」とぶっきらぼうに言った彼女は「なら、そうなる前に私は、こい、こいって叫びながらバタバタします」と口を尖らせた。
「なんですか、それは」
「降伏の合図ですよ。まな板の上の鯉です」
「鯉はこいって鳴きませんよ」
私には苦手な物が三つだけあった。一つ目は辛い食べ物、二つ目は椛、そして三つ目が鬼だ。かつて妖怪の山を支配していた彼らは、力が強く、豪胆で、そして乱暴だった。しばらく会っていなかったが、どうやら今もそれは変わっていないようで、萃香さまが三日三晩と宴会を繰り返し、喧嘩をふっかける、だなんて妙な異変を起こしたことは記憶に新しい。あれ以来、博麗神社に住み着いていたはずだが、ど
うして妖怪の山に来るのだろうか。何を今さら。
「文はさ、少し考えすぎなんだよ」
ふと、萃香様との会話を思い出した。いつだったかは正確に思い出せないが、かなり昔、それこそ、私がまだ若かったときの記憶だ。よく覚えていたな、と自分で自分に感心する。そして、それが苦い記憶だと言うことも、すぐに思い出す。押し留めようとすればするほど記憶の波は押し寄せてきて、鮮明に甦っていった。
「鴉天狗はみんなそうだけどさ、もう少し世の中を信頼してもいいと思うよ」
小さな体からは信じられないほど大きな酒瓶を右手に持ちながら、萃香様は言ってきた。左手には焼き鳥が握られている。そうだ。彼女は鴉天狗である私を焼き鳥屋へと連れてきていたのだ。本人は気づいているか知らないが、嫌がらせ以外の何でもない。
「そんなに疑心暗鬼だと、いつか本当に何も信じられなくなっちまうさ」
頭に生えた二本の角が机上のとっくりを倒す。小さな体に不釣り合いなほど巨大で、威圧感があるそれは、彼女の力を証明しているかのようだった。
微笑を浮かべたままお絞りで日本酒を拭き、「そうなんですかねえ」と曖昧に返事をする。彼女の茶色く長い髪が、私のふくらはぎに当たっていた。それだけで、恐怖を覚える。毛先が足を突き破り、貫通するのではないか、と本気で思ったのだ。が、萃香様はそんな私の気持ちなど考えもせず、肩を叩いてくる。
「文は疑いすぎなんだ。推理小説の主人公くらいに。もっと気楽にさ、相手のことなんて考えずに自由でやってもいいと思うけどな」
「推理小説、読まれるんですか?」
「あんなもん、読むわけねえだろ」
あなたは少しくらい周りに気を遣うべきではないか、と心の中で罵倒する。もちろん口には出さない。死にたくないからだ。
「私は酒と喧嘩があれば生きていけるからなあ。小説なんて、めったに読まないよ。それに、ああいうのを読んでいると、文ぐらいに疑い深くなっちゃうだろ」
「そんなことないと思いますけど」
「そうなんだよ。もし文みたいな奴ばかりになったら、どうなると思う?」
「どうなるんですか」
「私の機嫌が悪くなる」
それはたしかにまずいですね、と相槌を打つ。冷えた背筋を温めるために、手元に置かれた日本酒を一気に口に入れた。お、いいねえ。と萃香さまが嬉しそうに笑いかけてくる。「私はな、お前のことを気に入っているんだよ」と信じられない言葉を吐きながら、私の頭をぽんと叩いてきた。気に入っているのなら、もっと優しく接して欲しい。
「だからな、お前はこれ以上推理小説は読んじゃ駄目だ。もっと疑い深くなって、私の言葉すら信じられなくなってしまうかもしれん」
「そんなことないですよ。萃香さまの言葉は絶対です」お世辞でも、絶対に信じないという皮肉でもなく、本心だった。鬼はまっすぐで、嘘を嫌う。いくら萃香さまが、鬼の中では異常なほどに飄々としており、搦め手を好むといえど、鬼としての矜持を易々と破るとは思えない。
「それに、そもそも推理小説にそんな効果はありません。世界はもっと複雑で、あんな薄っぺらい本で謎が解決するほど分かりやすくないんです」
「ああ、文はもう手遅れかもしれない」
萃香さまは額をぺしりと叩き、上気した頬をこれでもかと持ち上げた。
「まさか、推理小説すら疑い始めるとは」
あれから何年経ったのか。数百年のようにも、数年のようにも思える。が、いずれにせよ大した差ではないと思っていた。鬼は何年、何百年経とうが、乱暴かつ自己中心的で、はた迷惑な存在に変わりないし、その恐怖が妖怪の山から消え去ることも決してない。そして、厄介なことに、彼女たちの性格は死んでも変わらないのだと、そう思っていた。
だから、川の向こうから現れた萃香さまが、推理小説を持っていると気づき、唖然とする。あんなに嫌っていたのに、と叫びそうになった。
「よお、久しいじゃないか。射命丸文。元気してたか?」
「え、ええ。萃香さまもお変わりないようで」
「鬼が変わるわけないだろ?」
ガハハ、と見た目に似つかわしくない笑い声を上げ、手に持った瓢箪を口へと持っていく。挨拶代わりの一杯、と言いたいのか、「やっぱ酒はいいねえ」と息を吐く。まだ距離があるのに、かなり匂った。酒臭い。よく見れば、彼女の紫のスカートも、白いノースリーブのシャツもどこか湿っていた。汗や川の水かと思ったが、すぐに違うと悟る。酒だ。彼女は文字通り、その無限に酒が湧き出る瓢箪を使い、浴びるほど酒を飲んだのだ。控えめに言って、狂っている。
急いで跪こうとする椛を見て「いいよいいよ。頭が低いのは好きじゃないんだ」と制した彼女は、手足につけられた鎖を引きずり、川を渡る。魚たちが信じられない勢いで逃げていった。
「いやー、いきなり来て悪かったね。どうしても文に会いたかったから」
「ありがたいお言葉です。が、わざわざ足を運んでくださらなくても、何か用があるのなら、私の方から訪ねましたのに」
「いや、霊夢を巻き込みたくなかったんだ」
ということは、私は何かに巻き込まれるのか。嫌すぎる。隣でガタガタと小刻みに震える椛を見る。何もされていないのに、白目になり、泡を吹いていた。無様だ。
いつの間にか、太陽を隠していた厚い雲は消え去り、日光が降り注いでいた。恐ろしい鬼に恐れをなし、雲が逃げ去ってしまったかのようだ。太陽が「え、俺を置いて逃げるのかよ」と右往左往しているさまが目に浮かぶ。
「私が妖怪の山まで来たのはな、風の噂で興味深い話を聞いたからなんだ」
ちょうど日差しが萃香様の顔に当たり、彼女は目を細める。茶色の長い髪がキラキラと輝き、つややかな肌とねじれた二本の角がぽうっと浮かび上がった。
「まあ、暇つぶしと今後の参考を兼ねて、詳しい話を聞きに来たんだよ」
「風の噂、ですか」
「そうだよ。文はそういうのに目がなかっただろ」
「それって、その持っている推理小説に何か関係があるんですか?」
え、と一瞬ぽかんとした彼女だったが、すぐに破顔する。子供のように顔をくしゃりとさせ「拾ったんだよ」と薄い胸を張った。
「ついさっきね。さすがに神社から持っては来ないさ。でも、最近よく読んでいるから、ありがたかった」
「読んでいるんですか」信じられない。あの萃香さまが。
「はまっているんだ。面白いし、参考書代わりにもなる」
「参考書、ですか」
「ほら、私って今まで地底にいただろ? 封印されてたといってもいいけど、その時にちょっと色々あってな」
「色々?」
「迷惑をかけたんだよ」
むしろ、萃香さまが迷惑をかけていない方が珍しい気もしたが、何も言わないでおく。代わりに「どんな迷惑をかけたのですか?」とメモ帳を出しながら訊ねた。
「言いたくないね」
「え?」
「強いて言うなら、そうだな。心臓マッサージをした」
「はあ?」
まあ、いいじゃないか、と珍しく煙に巻こうとする彼女の顔は、見たこともないほど悲しげだった。写真を撮ることすら憚られる。未だ、地底と地上は不可侵であり、私も博麗の巫女ですら赴いたことがない。鬼をここまで動揺させるなんて、どんな場所なのか。少し、興味が湧いた。
「そこで学んだんだよ。少しは世界を疑わないといけないなって。思い込みはよくないなって、そう思ったんだ」
「それで、推理小説を読んで、何か分かりましたか?」
「誰が死にそうかは分かるようになってきたよ」
「意味ないじゃないですか」
「そんなことはない」
彼女はむっとし、下唇を噛んだ。子供のような仕草だが、萃香さまがやると、威圧感を含んで、恐ろしく感じる。
「誰が死にそうか分かるってのは、便利だよ。例えば、いま一番死にそうなのは」
「死にそうなのは?」
「そこでぶっ倒れている白狼天狗だ」
慌てて隣を見る。椛が泡を吹いたまま、仰向けに倒れていた。顔面蒼白で、痙攣してすらいる。えええ、と驚きの声を上げてしまう。たしかに萃香さまは恐ろしいが、無条件でぶっ倒れるほどではない。死んだふりかとも思ったが、それにしては大げさだ。
「あとは、その白狼天狗がこうなった犯人を見つければ、推理小説ができるな」
朗らかに笑う彼女は、自分が原因だとは、微塵も思っていないようだった。
「それで? いったい、どんな風の噂を聞きつけて、妖怪の山にいらっしゃったんですか?」
私は倒れた椛を自室のベッドに降ろし、萃香さまに訊ねた。どうしてこんなことに、と嘆かずにはいられない。それもこれも、全部椛のせいだ。
「正直に言えば、心当たりがありすぎて分からないのですが」
萃香さまは、客人用のカップに入ったお茶を飲みながら、そうだねえ、と小さな体をゆらゆらと揺らした。私の家を壊さないでくださいよ、と呟く。そもそも、椛が倒れさえしなければ、彼女を自宅へと招かなくても済んだのに。そんな私の気も知らないで、椛はせっかく体を包んであげた掛け布団を蹴り飛ばしてきた。もう一度かけ直す。嫌がらせだ。
「まあ、私もあくまで噂でしか知らないから、詳しくは知らないけどさ」
「大体でいいですよ」
「簡単に言えば、不抜けたよな、お前ら」
「はい?」
「私たちがいた頃は、もっとピリピリしてただろ。河童も天狗も仲良くさ、必死に生きてた」
「まあ、そうですね」
「だけど、今はぬるま湯に浸かっているように見えるんだよねえ。まあ、それだけならいいんだ。理由は分かるし。怖い私たちがいなくなったら、気が緩むのも、まあ分かる」
「え」
「なんで驚いているんだよ」
「い、いえ」まさか、ご自身のせいで妖怪の山が萎縮していたと分かっているとは思いませんでした、だなんて口にできるわけがない。
「組織は上司が嫌われているとまとまりやすいんだよ。地底でもそうだった」
「はあ」
「それがなくなれば、組織が乱れるのは仕方が無いかもしれない。けど、だからといって、賄賂はよくないだろう」
「はあ。はあ?」
「知り合いに聞いたぞ。『最近、妖怪の山で賄賂が横行してるんだって! 王侯貴族みたいだね。おー、こぅわい』ってな」
「誰ですかそんな下らない駄洒落を言ったのは」
「面白いだろ?」
「面白いです」
面白くない。が、ケラケラと笑う彼女を前に、そんなことは言えない。
「というより、そんな情報、私は全く知らなかったんですが」
「え」
「そんな興味深い話があれば、喜んで記事にしますよ」
「てっきり口止めされていると思ったんだけどなあ。本当に知らないのか」
「もちろんです。というより、それガセじゃないんですか?」
「かもしれない」彼女はあっさりと認めた。ガセって響きがいいよな。風邪、畦、ガセと意味不明なことも言っている。
「まあ、どうせ暇つぶしだからな。ガセだったら、安心できるってもんだよ」
「本当だったら是非連絡ください。記事にします」
「それは嫌だな」私の家だというのに、椅子に深く腰掛け、机に足を乗せたまま、手元にあった新聞をたぐり寄せる。「文の新聞じゃあ、誰にも読まれないだろ?」
「そんなこと」
「私もやっぱり、変わったかもしれないけど、文もやっぱり変わったよ」
「突然、なんですか」私はまだ自分の新聞を馬鹿にされたことについて納得できていない。が、彼女はそんなこと、もう忘れたかのようだった。
「何というか、丸くなったよな。いや、むしろ尖ったと言うべきか」
「どういう意味です?」
「お前、昔から妙に腰が低かっただろ。私が空は黒いと言えば、そうですね、と頷くし、鴉は白いよなって笑ったら、まったくです、って鼻を鳴らす。馬鹿なふりをしているのか、それとも他に考えがあるかは知らないけど、あれ、中々に薄気味悪かったよ。まあ、今もだけど」
「そんなことないですよ」
「ある。だけど、まあ。昔よりはマシになった。やっぱり、彼女のおかげか?」
「彼女?」
「そこで寝ている白狼天狗だよ」
「そんなことないですよ」
即答だった。自分が考えるより早くに口を開いていた。私はそもそも丸くないし、尖ってもいない。まして、椛が私にいい影響を与えているなんて、絶対にあり得なかった。彼女が私に与えているのは、ストレスと暴言のレパートリーだけだ。
「椛は生意気で腹立たしい部下ですが、それ以上でも以下でもありません。苦手な存在です」
「たかが白狼天狗をお前が意識するとはね」
「目の前で飛び回る蚊を振り払っているだけです」
「お前は蚊を自分の家の布団に寝かせるのか」
「虫愛好家なんですよ」
私たちの視線に気づいたのか、椛はその場で身じろぎし、うーんと唸り声をあげた。当然のように布団は蹴り飛ばされている。服がはだけ、健康的な肌が目に刺さる。顔色は随分とよくなっていた。ぐがー、といびきをかいてすらいる。
「上司の家で、よくもまあ。情けないったらありやしませんよ」
「なら、起こせばいいじゃないか」
「もっと、いいことを思いつきました」
部屋の奥、机に置かれた万年筆を手に取る。いつも記事を書いている机だ。筆に新聞用のインクをたっぷりとつけ、だらしない格好の部下へと近づく。白い髪を撫で、額を露わにさせる。それでも彼女は起きない。気持ちよさそうに眠っている。呑気な間抜け面だ。
「額に文字を書くのか?」萃香さまが、ありきたりだな、と肩をすくめる。
「ありきたりな方法で辱められるのって、屈辱じゃないですか?」
「悪趣味だ」そうは言うが、萃香さまもどこか期待しているようだった。
とりあえず、額に肉とでも書くかな、と考えたが、さすがに面白くない。だが、何と書けば適切かも分からなかった。
鬼、と書いたことに大した意味は無かった。自分の家に鬼が来る、だなんて昔話もびっくりな現状に動揺していたのかもしれない。だが、思いのほか似合っていたので、満足だった。
「何を書いたんだ? 犬か?」
「ああ、えっと。はい」
「また、ありきたりだね」
たしかにそうですね、と笑う。嘘をつくな、と怒られるとも思ったが、こんな些細なことまで気にかけていないのか、気づいた様子はなかった。
素直に、額に鬼と書いたんですよ、と言えばよかったのかもしれない。が、鬼を舐めるな、と怒られそうで、怒ったついでに家を壊されそうだったので、やめた。どうして鬼と書いてしまったのかと後悔に苛まれる。消そうにも、なまじインクで書いてしまったせいで消えない。しぶしぶ、布団のシーツの端を破り、椛の頭に巻いた。
「なにやっているんだ」当然、萃香様が聞いてくる。
「いえ、ほら。怪我をしたから治療しておきましたよ、と伝えておいて、いざ家に帰って鏡を見たら、そこに落書きがしてあったら、面白いじゃないですか」
「お前、性格悪いな」
「いい性格していると言っていただけると幸いです」
「絶対に言わない」
ずっと頭上で騒いでいたからか、椛が大きく寝返りを打った。ううん、と声を漏らし、ゆっくりと目を開く。私の顔をぼぅっと見つめ、のんびりと起き上がる。
「起きたか」萃香さまに呼びかけられても、椛は返事をしない。ピクリと耳を動かし、大きく欠伸をする。そして、そのまま布団に倒れ込んだ。また、目を閉じる。
「嘘でしょ」私は萃香さまの前だというのに、うろたえる。どうして上司が目の前にいるのに寝直すのか。椛の頬をペチペチと叩き、腹を押さえて揺さぶる。
「いい加減起きてください。なんで人の布団で安眠を試みているんですか」
「あ、あと」椛は目をつむったまま、眠そうな間延びした声を出す。
「あと、何ですか」
「あと五分」
萃香さまが噴き出した。私もつられて笑ってしまう。そこで、ようやく椛も意識が覚醒したのか、がばりと勢いよく起き上がった。笑っている私と萃香さまを見て、きょろきょろと忙しなく辺りを確認し、そして布団を見下ろした。ようやく状況を理解したのか、掛け布団を顔付近までもっていき、「おはようございます」と消え入りそうな声を出す。
「あやややや。おはようございます。いいんですか? あと五分くらい寝ててもいいんですが」
椛の顔が真っ赤になる。目は羞恥で潤み、情けなく眉をハの字にしている。そして、おもむろに布団の上へと寝そべった。また寝直すのか、と驚愕していると、手を頭上でくみ、体をバタバタとくねらせ始める。突然の奇行に驚いたのか、萃香さまは呆然としていた。
まだ寝ぼけているのだろう。椛はいま自分自身が行っていること自体が、失礼極まりないと気づいていない。
「まな板の上の鯉なんかより、よっぽど情けないですよ」
私の言葉に萃香様が頷くのが、視界の端に見える。が、彼女の目には、微笑ましい子供を見るときのような慈愛が浮かんでいた。
こい、こい、と馬鹿みたいに、それこそ本当の鯉のように口をぱくつかせる部下にカメラを向ける
カシャリと小気味よい音が私たちを包み込んだ。