命が射す   作:ptagoon

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記念日記念

──狼と鴉──

 

 

 文さんって、どうしてそんなに強いんですか。

 

 いつの日だったか、妖怪の山のほとりに流れる小川で一休みしている際、部下にそう言われたことがある。たしか、妖怪の山武闘大会が近くなり、椛の訓練相手として付き合わされていたときのことだ。

 

「いくら鴉天狗だからって、さすがにおかしくないですか?」

「おかしくないですよ。それに、私は強くありません」

「え?」

「椛が弱いのです。昨日の鯉のものまねを引きずっているんですか?」

 

 侮辱されたと思ったのか、眉をつり上げた彼女は、剣と盾を慎重に地面へ置き、川へと向かっていた。バシャバシャと顔を洗い、汗を洗い流している。この晴天の中、朝から昼時まで訓練していたせいで、二人とも汗だくだった。私も彼女と少し距離を置き、顔を洗う。清らかな水が汗と疲労を洗い落としてくれた。

 

「言っておきますけど、椛を弱いと言ったのは、決して煽っているわけではありませんよ」喉を潤し、ついでに私は言った。

「いつもであれば、ここまで圧勝できませんし、したこともないです。が、今日の椛はいつも以上に動きが鈍かった。別に大会で椛が負けようが、ボコボコにされようが興味ないですけど、私のせいにしないでくださいね」

「しませんよ」

「それに、本当に強い妖怪は、自分のこと強いって言いませんよ。本当に仲悪い人は仲悪いって言わないように、優しい人が自分を優しいっていわないように、ね」

「ということは、自分は強くないって言う妖怪の方が強いってことですか?」

「その通りです。ですので、強くないと謙遜した私は、実は強いってことです」

「結局強いって言っちゃってますよ」

 

 ぽつりと呟く彼女に、いつもの元気はなかった。おや、と違和感を抱く。よっぽど暑いのか、スカートが水に濡れるのも気にせず腰付近まで川に浸かった彼女は、真っ白な髪をいじりながら、何かを耐えているようだった。

 

「椛、もしかしなくても、足を怪我していますね」私は確信を持ちながら、訊ねる。

「そんなことないですよ」

「なんで意地を張るんですか」

「だって文さん。怪我したって言ったら、爆笑しますよね。馬鹿じゃないのって」

「否定はしません」

 

 現に、私の頬はいつ決壊してもおかしくないほど緩みきっていた。

 

「でも、隠したら駄目ですよ。きちんと私に言わないと」

「なんでですか。私は子供でもないし、文さんは親でもない。もっと言えば、そこまで親しくもないじゃないですか」

「上司だからです」

「はい?」

「言ったじゃないですか。椛は下手に意地を張るから駄目なんですよ。白狼天狗は、些細なことでも上司に判断を仰がないと駄目です。レタスですよレタス」

「ダメダメうるさいですよ。それに、上司にそんな権限はないですし、前も言いましたけど、言うとしても文さんじゃなくて大天狗様に」

「いいから」

 

 しつこい私に根負けしたのか、深い溜め息を吐いた彼女は、重い足取りで川から上がってきた。肌に張り付いているスカートを剥がし、膝辺りを見せてくる。青紫色に変色したそれは、どう見ても重傷だった。

 

「これ、骨に罅でも入っているんじゃないですか?」

「ですね」

「ですねって」

 

 ふつふつと、大量の疑問が湧き上がる。いったい、どこで、どうして怪我をしたのか。医者には行ったのか。普通に歩いていいのか。頭の中に洪水が押し寄せてくる。が、そのあふれ出した疑問はすぐに収まり、洪水は一気に消え去った。どうして私が混乱する必要がある。椛が怪我をしたところで、私に何の影響もない。むしろ、笑い話になる。そうだ。なら、私は何をするべきか。笑うべきだ。そのはずなのに、頬が引き攣り、上手くいかない。

 

「とりあえず、写真を撮ります」咄嗟に出たのは、自分でも意味不明な言葉だった。

「え? なんでですか」

「記念ですよ記念」

「記念って、なんの」

「椛の膝に罅が入った記念です」

「何ですかそれ。そんなの記念になりませんよ」

 

 ですよね、と言いたくなる。耳が痛くなるほどの正論だ。だが、椛の正論に頷くくらいであれば、訳の分からぬ戯れ言を突き通す方がましだった。

 

「いいんですよ。記念ってのは、本来は嫌なことを忘れないためのものですので」

「そんな訳ないですよ」

「ですから、昨日は私にとっての記念日なんですよ」

「文さんの膝にも罅が入ったんですか?」

「もっと酷いですよ」考えないようにしていたが、余計な言葉を口にしたせいで、思い出してしまった。

「昨日は、萃香さまが私の家に居候した記念日です」

 

 昨日、寝ぼけた椛がベッドの上の鯉、という一発芸を見せた後、しばらく私と萃香さまは爆笑していた。意識が覚醒した椛は、ずっと顔を赤くし、額を床にこすりつけながら、萃香さまに謝っていた。心に傷は入ったかもしれないが、少なくとも、その時には膝に罅なんて入っていなかったはずだ。

 

「今から大天狗のところに行こうと思っているんだけどさ」一通り笑い終わった萃香さまは、土下座する椛の顔をのぞき込んだ。「お前も一緒に来るかい?」

「え?」

「ほら、文は家でご飯の準備をしなければならないだろ? だから、代わりに付き添ってくれよ」

「ちょ、ちょっとお待ちください」私は慌てて口を挟む。「別に、萃香さまなら、付き添いなんていらないでしょう」

「何だよ。文には関係ない。それとも何だ? この白狼天狗を捕られたくないのか?」

「まさか」

 

 萃香さまは、気に入った奴を連れ回す、といった習性があった。鬼が人をさらうのは珍しくはない。が、はた迷惑なので止めてほしかった。別に、椛がさらわれても問題ないし、まして捕られても困らない。が、叱られたばかりの大天狗様のもとへ、侵入者である萃香さまと共に部下が行くのは、さすがによろしくない。

 

「それに、ご飯の準備ってなんですか。人里に食べに行く予定だったんですけど」

「決まってんだろ」と萃香さまは、何も決まっていないのに、言った。

「私と、この白狼天狗、そしてお前自身のご飯だよ。文の手料理を楽しみに、わざわざ妖怪の山まで来たんだ」

「さっき、賄賂を調べるとか言ってませんでしたっけ」

「そっちがついでだよ」

 

 本気か冗談か分からないが、頼まれてしまった以上、断ることはできない。おそらく、私と椛を同じ食卓に並べて、仲を取り持とうとしているのだろうが、余計なお世話だった。

 

「分かりましたよ。久々ですが、作らせていただきます。何が食べたいんですか」「鍋がいいな。博麗神社ではあまり食べられないんだ」

「夏ですよ?」

「いいじゃないか。夏に鍋でも。なら、明日は冷やし中華にしてくれ」

「明日? いま、明日と言いました?」きちんと言葉を聞き取れていたが、私は訊ね返す。その言葉を信じたくなかったのだ。

「ああ。明日と言ったよ。しばらく、ここに泊まらせてもらうからな。霊夢にもそう伝えてある」

 

 唖然とした。家主の許可も得ずに居座る豪胆さは呆れを通り越し、尊敬に値する。 結局のところ、椛を連れて出かけていった萃香さまは、楽しそうに帰ってきて、三人で鍋をつつくことになった。鶏肉がほしいな、と躊躇もなく言い、椛をおろおろとさせる彼女の無遠慮さも、なぜだか懐かしく、悪い気はしなかった。

 が、それでも嫌なことに変わりはない。記念日になるほど、だ。

 

「想像してみてください。帰ると上司が自分の家にいるんですよ」

「それは……嫌すぎですね」

「まったくです。プライバシーがあるでしょうに。上司だからといって、部下の所有者になったつもりなのでしょうか」

「それ、文さんが言いますか」

「いつの日か、ぎゃふんと言わしてみたいですね」

「いつの日かって、将来の夢じゃないんですから」

 

 右手をあげ、「将来の夢は、上司をぎゃふんと言わせることです」と口にしてみたが、あまりに馬鹿げていたので、止める。馬鹿にするように指をさしてきた椛だったが、急に表情を固くし、膝を右手で撫ではじめた。痛むのか、眉間の皺は深く、頭に巻かれた──昨日私が巻いたものだ──シーツの切れ端が歪んでいる。椛も気づいたようで、それを手でいじくっていた。

 

「文さん、私が寝ているときに、落書きしたんですよね。しかも、犬だなんて」

「え」

「萃香さまに聞きましたよ。大天狗様の前で暴露されたから、死ぬほど恥ずかしかったんですから」

「いや、違いますよ」私は椛の怒りを宥める、というよりは、その怒りの矛先を逸らすつもりで、言った。

「犬ではなく、鬼と書いたんです。萃香様がいたから」

「どっちでもいいですし、萃香様は関係ないじゃないですか」

 たしかにその通りだった。今回に、限って言えば、椛の言い分が正しい。

「結局、大天狗様にお会いしたのですね」

 

 そんな正しい椛の言葉を真に受けるのも癪だったので、私は話題を逸らした。椛が食いつかざるをえないような話題に、だ。

 

「あ、はい。まあ、私としても光栄なことでしたし」

「どうでした?」自分で言っておきながら、かなり抽象的な問いかけだな、と唇を噛んでいると「曖昧な質問ですね」と椛が鼻を鳴らしてきた。隙があれば上司を馬鹿にしてくる部下など、聞いたことがない。

「そうですね。ずっと雑談をされてましたよ。萃香さまが入った時は、大天狗様もびっくりされてましたけど」

「でしょうね」

「ほとんど面識がなかったみたいでしたけど、打ち解けてました。私の千里眼も褒めてもらえましたし」えへへ、と笑う彼女は、見たこともないほど嬉しそうだった。

「賄賂について、どう言っていました?」

「賄賂?」椛はきょとんと目をしばたかせる。「何ですか、それ」

「いえ、知らないのなら問題ないです」

 

 え、教えてくださいよ、としつこく聞いてくるので、痣になった膝を軽くつつく。それだけで、彼女の体はぶるりと震え、力が抜けた。

 

「あやややや。やっぱり、痛むんじゃないですか。いったい、いつ怪我をしたんです?」今度はしっかりと笑いながら、訊ねることができた。口を閉ざすかと思ったが、予想に反し、椛はあっさりと「文さんの家から帰る途中ですよ」と答える。

 

「帰る途中で、転んだんですよ」

「転んだって、飛んで帰ったんじゃないんですか?」

「着地に失敗したんです」

 

 子供じゃないんですから、と言いたいが、さすがに落ち込んでいる彼女を前にすると、言葉が引っ込む。が、別に椛を前に遠慮する必要性はないか、と思い直し、「子供じゃないんですから」と実際に口にした。

 

「その怪我では、武闘大会に出るのは不可能ですよ。あやややや。訓練の代償として、優勝景品をくれると言っていたのに、これでは約束を違えてしまいますねえ。さて、いったい代わりに何をしてくれるのやら」

「いえ、大丈夫です」

 

 彼女の、『大丈夫』という言葉の意味が分からず、ダイジョウブと繰り返してしまう。椛の意図を理解できないなんて、久しぶりだった。

 

「このくらいの怪我、大したことないです。優勝なんて楽勝ですよ」

「絶対に不可能です」私は断言する。「身の程を弁えた方がいいですよ。スポーツ漫画じゃないんですから。それに、たかが気張らし程度の娯楽に、そこまで本気にならなくとも。本業の哨戒に支障が出たら、笑えません」

「上司みたいなこと言いますね」

「あややや。白狼天狗が生意気を。立場を考えてください」

 

 もしかして怒ってます? と見当違いなことを言う彼女は、罅の入った右足を軸に立ち上がり、屈伸してみせた。口元がわずかに強張っているが、ぱっと見は平素と変わらない。

 

「私は基本的に剣を使った立ち回りなので、足による影響は少ないんです。だから、大丈夫ですよ」

「そこまでして、あんな河童主催の胡散臭い大会に出なくても」

「夢なんですよ」

 

 ドリームです、と言い換える彼女は、想像を絶する腹立たしさだった。何が夢だ。何がドリームだ。馬鹿馬鹿しい。

 

「私はこの大会で夢を叶えるんです」

「参加するのは、実力を試すためって、言ってましたよね」

「そうです。ただ、負けるつもりで挑むとも言ってません」

「そもそも、夢ってなんですか」

 

 そうですね、と呟き、虚空を見上げる彼女は、どこか儚げだった。鳥肌が立つ。元々鳥肌だが、それでも、だ。

 

「私の夢は」

「夢は?」

 椛は右手をピンと立て、何かを宣誓するように言った。

「上司をぎゃふんと言わせることです」

 もっとマシな誤魔化し方はないものか、と頭を抱えずにはいられない。

 

 

 

 

 

 文は美学が強すぎるんだよ。

 

 椛との訓練を終え、鴉天狗が一同に集う集会所に着いた途端、いきなり、同僚の姫海棠はたてにそう言われた。

 

「そんなんだと、いつまでたっても、いい新聞は作れないよ」

 

 未だに訓練をせがみ続ける椛を振り払い、正確に言えば、私に着いて集会場に来たので振り払えてはいないが、とにかく。訓練を終えさせて、この集会場に来たのには訳があった。今日が例の、鴉天狗が新聞を競いあう大会の初日だったのだ。期間は三ヶ月ほどで、期間中に集会場に自分の新聞を掲示し、他の鴉天狗が、いいと思った新聞に投票をしていく、というシステムだ。不正を防ぐため、誰が書いた新聞かは分からないよう所々黒塗りになっているが、それでも大凡は予想がつく。

 

 私の新聞はまだできあがっていないので、掲示をしていない。ここに来たのは敵情視察のためだった。いったい、どういった内容で、どの視点から書かれたものなのか。それを確かめに来たのだ。だが、まさか、来るやいなや「文は美学が強すぎるんだよ」と馬鹿にされるとは思いもしなかった。

「だから、評価されないんだ」はたては、生意気な口を叩く。

「あなたに言われたくないですよ、はたて」

 

 姫海棠はたては、同じ鴉天狗とは思えないほどに、がさつで、のろまで、非協調的だった。組織を重視する天狗とは思えないほどの出不精で、家が火事になったときのエピソードを知らぬ天狗はいないだろう。悪い意味で、有名な天狗だ。「家から出なくても、私は念写があるから」と、遠くの場所を撮影できる能力を使い、一歩遅い情報を自慢げに載せる彼女の新聞に、私は嫌悪感を抱いていた。

 

 集会場は、かなり広いが、多数の妖怪が入り乱れているせいで、混雑していた。椛は私のすぐ後ろに置かれたベンチに座り、休んでいる。やはり、足が痛むようだ。

 

「文の新聞はどれなのさ」げんなりとする私を無視し、はたては訊いてくる。

「私はまだ掲示していないんですよ。今日は新聞を観に来ただけです」

「へえそう。珍しく遅いね。いつも、一番乗りに貼りに来るくせに」

「まあ、色々ありましてね」主に萃香さまのせいだが、私が記事にする予定なので、黙っておく。

「そう言うあなたの新聞はどれですか? もう貼ったんでしょ? 引きこもりのあなたが、他の新聞を観に来たとも思いませんし」

「ふふん。どれだと思う?」

 

 どうして、はたてはここまで得意げなのか。ふふん、と実際に口に出す神経が理解できない。薄気味悪く、不気味だ。

 

「答えは、それだよ」紫色のスカートをふわりと浮かせ、茶色のツインテールを私の肩に載せてくる。「文がちょうど読んでた、目の前のそれだって」

「ああ。この新聞ですか」

「そう。どう? ぜひ清き一票をってね」

「考えておきます」絶対に入れないと決意する。別にはたてのことは嫌いではないが、彼女の新聞に票を入れようとも思わない。まだ、トイレットペーパーの方が、水に流れる分、ましだ。

 

 今回の彼女の新聞にも、特に目新しいことは載っていなかった。内容も、構成も平凡で、つまらない。新聞を名乗るからには、何か新しいことを書いて欲しい。これでは旧聞だ、なんて下らないことすら考えてしまう。

 

「これでは旧聞ですよ、はたてさん」

 

 どうやらそう思ったのは私だけではないようで、いつの間にか、はたての隣に立っている椛が、つまらなそうに目を細めている。

 

「妖怪の山武闘大会が開催される、なんてことは、みんな知ってますよ」

 

 様々な妖怪が一枚の写真に収められ、『彼らの激闘を見逃すな!』と安直で下らない見出しが書かれている。まだ妖精の書く新聞の方がマシに思えた。

 

 が、はたては、私たちが呆れていることに気づいていないのか「すごいでしょ」と鼻を高くし、肩を叩いてくる。

 

「その写真、頑張ったんだから」

「何を? 確かにあなたには、シャッターを切ることも重労働だとは思いますが

「違うわよ」これよこれ、と教師のように新聞を指差す。掲載された縦長の写真は、白黒ではあったが、色遣いも細かく、鮮明だった。今にも動き出しそうなほど臨場感に溢れている。はたてが自慢するあって、よく撮れた写真だった。だが、だからこそ気に入らないのだ。才能をドブに捨てている。

「あれ、でもこれ、どこで撮ったんですか?」恭しく、たしかにすごいですね、とはたてに言った後で、椛は首を傾げた。

「この写真、私も文さんも映っていますけど、こんなの撮った覚えがありませんし、そもそも、会ったことない人とも一緒に映っています」

「さすが椛。目の付け所が違う。千里眼は伊達じゃないね」

「千里眼は関係ないですけど」満更でもなさそうに照れる椛の頭を撫でたはたては、「合成ってやつらしいよ。河童に少し手伝ってもらったけど、ほとんど自分でやったの」と得意げに言う。

「別々の写真を切り取って、くっつけるの。そうすれば、実際にはあり得ない写真も作れる。例えば、空飛ぶ魚だとか、こういった集合写真だとか」

「家から出るはたても、ですか」

 

 私は嫌みのつもりで言ったのだが、「それ、いいね」とはたては本気で考え始めた。椛

といい、はたてといい、少しは悪意に敏感になってほしい。

 

「うまくいけば、集会に参加しなくても、合成写真を作れば、行きましたっていいはれるかもしれない」

「あやや。さすがに無理です。私たちの目は、あなたと違って節穴ではないので」

「いや。案外いけるかもよ。私って、影うすいじゃん」

「濃いですよ」自覚がなかったのか、と驚きつつ、私は呆れた。

「天狗の名誉と歴史に映り込むほど、はたての影は濃いです」

「褒めないでよ」

「貶しているんです」

 

 前向きというか、楽天的というか。そんなんだから、火事が起きても逃げ遅れるのだ。きっと、妖怪の山が爆発しても、はたては呑気なままに違いない。

 

 うんざりしながら、私は椛を押しのけ、写真をじっと見つめる。と、一つ気になる箇所が目についた。え、と声が漏れる。

 

「はたて、もしかしなくても、私の服も変えましたね」

「え?」

「あなたのと違って、私の服に悪趣味な紫色は入っていないんですよ」

「ああー。そっか。いやー、うっかりしてたよ」

 

 そもそも、この大会に私は参加しないと文句を言いたいが、それよりも、見覚えのない服に身を包む自分の姿を見ると、背筋が凍った。言いようのない恐怖に襲われる。自分とまったく同じ顔をした誰かが、見知らぬところで私のフリをしているのではないか。そんな突拍子もないことを考えてしまう。

 

「文の写真って思ったよりもなくてさ。だから、服も適当にそれっぽくしたんだけど、やっぱ本人にはバレるね」

「そんなことまでできるんですか」

「できる。外の世界だともっと凄いらしいけど」

 

 感嘆と嫌悪の入り交じった感情に襲われる。隣の椛も「凄いですけど、なんか怖いですね」とぼそりと呟いた。彼女も私と同じ思いなのか、と期待したが、「ああでも、私の額の落書きも消せるかもです」と呑気に笑う姿を見るに、そうではないと悟る。「昨日、文さんに落書きされたせいで、しばらくは包帯が外せませんよ」

 

「ああ、それ落書きを隠していたのね」はたては肩をすくめる。

「てっきり、怪我をしたのかと思って、心配していたのに」

「包帯ではなく、シーツの切れ端ですけどね」それに、怪我をしているのは事実だ。

「もし椛が優勝して、その時にも落書きが残ってたら、消しておくよ」

 

 いい加減はたてとの会話にも飽き、他の新聞を見て回ったが、残念なことに、めぼしいものはなかった。非常に癪だが、一番興味深かったのは、やはり、はたての新聞だ。もっと詳しく見てみたいが、本人がこの場にいる以上、冷やかされるに決まっていたので、遠目で眺めるしかない。

 

「文さんって、やっぱり負けず嫌いですよね」

 私と反対側からぐるりと新聞を見て回った椛は、合流するや、すぐにそう言ってきた。

 

「素直に、はたてさんの新聞が見たいって、言えばいいのに」

「あややや。そんなこと思っていませんよ。それに、負けず嫌いでもないです」

「いや、文さんは負けず嫌いです」やけに自信満々に、彼女は断言した。

「昼行灯を気取ってるんですよね。負けず嫌いだから。あれです。生意気な子供と同じです」

「一緒にしないでください」

「同じですよ。普段は本気を出さずに、負けたとしても『あら。私はまだ本気を出していないのよ。それで勝った気でいるなんて、ぶざまですわね。おほほ』って感じで誤魔化すじゃないですか」

「とりあえず、椛が私にどのような印象を抱いているかは把握しました」

 

 むすっと言ってくる彼女はなぜか少し怒っていた。けれど、客観的に考えて、怒るべきは私であって、彼女にその権利はないはずだ。それでも椛は語気を強め、言葉を続けてくる。

 

「文さんは面倒くさいんですよ。本気を出さないくせに、中途半端に負けず嫌いだから、衆目を浴びている場では本気で勝ちにいくじゃないですか」

「私はいつだって全力ですよ」

「それ、萃香さまの前でも言えますか?」鬼の威を借りた椛は、ここぞとばかりにまくし立てる。「本気の昼行灯鴉は激レアなんですよ。大きなイワナくらい」

「鴉なのに魚なんですか」

 

 椛はそんなに魚が好きだったのか、と驚きつつも、ここまで元気があるのであれば、本当に足の怪我を気にしていないのではないか。白狼天狗の治癒力であれば、骨の罅なんて些細なことなのではないか、と思い始めていた。少し、肩の荷が下り、どうして下りたか分からず、困惑する。

 

「そういえば、なぜ椛はここに来たのですか?」困惑ついでに、私は訊ねた。

「ああ。いえ。文さんの言ったことが少し気になって」

「私の?」

「言ってたじゃないですか。賄賂がどうだとかって。少し気になって。それについての記事がないかなと」

 

 たしかに、賄賂についての記事はなかった。そもそも、情報元が萃香様である上、彼女自身も他の誰かから訊いた、つまりは又聞きの情報であるから、とても信用に足るものとは言えない。気にするだけ損だ。

 

「あれは忘れてください。たぶん、デマですよ」

「でも、本当だったら大変ですよね」

「きっと、椛が思っている以上に大変ですよ。少なくとも、鬼にバレたら大変です。鬼の皆様がたは、とても真摯でまっすぐですので、不正には厳しいですから」

「ですね」

 

 できればその不正に、暴力による威圧行為も含めてほしいものだ。が、力こそ正義の彼らにとって、それが一番正当なのだろう。野に放たれてはいけない連中だ。

 

 はたての新聞を詳しく見られなかったのが心残りだが、もうだいぶ時間が経っていた。今日はもう帰ろう。何なら、明日もう一度見にこればいい。

 

 爆音が室内に木霊したのは、そう思ったときだった。あまりに大きな音に、何かが爆発したのかと焦る。が、違った。それは音声だった。大音量で人の声が再生されている。何から? はたての新聞から。

 

 はたて自身も想定していなかったようで、呆然としていた。紙全体から『妖怪の山武闘大会!』と威勢のいい声が響いている。聞き覚えのある河童の声だった。にとりだ。きっと、写真の合成を手伝う際に、無断で仕込んだのだろう。音の鳴る新聞。仕組みは分からないが、確かにすごい。ただ、相変わらずセンスがない。

 

「あややや。はたて、前言撤回しますよ」

 自分の新聞を前に固まっているはたてに、私は満面の笑みで近づく。

「あなたの新聞は、かつてないほどに画期的でした。旧聞だなんて、もう誰も言えませんね。はたての新聞記念日です」

 記念って、悪いときにしか使わないんですよね、と訝しげな顔をする椛を無視し、カメラを構える。未だ音を鳴り続ける新聞と、はたての微妙な笑顔を狙い、シャッターを切る。

 

 カシャリと小気味よい音が私たちを包み込んだ。

 

 

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