やはり俺の青春ラブコメは恋人ができてもまちがっている。   作:ぽぷり

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前編

 桜はもう散ってしまったが、夏はまだ遠い、そんな季節。

 窓の外では、澄み渡る青空にいくつかの白い雲がゆっくりと流れていく。

 授業が全て終わった放課後、暖かな日の光が差し込む特別棟の奥の一室はとても過ごしやすく、読書や昼寝にうってつけだ。

 

 そんな空間で、新生奉仕部は静かで穏やかな一時を…………過ごしているわけでもなく。

 

「ねーねー、駅前にすっごく可愛いタピオカのお店できたんだって! 帰りにみんなで寄ってこうよ! あ、いろはちゃんはもう知ってたかな?」

「あー、はい、知ってますよー。でもでも、ぜひ皆さんと行きたいです! 実はクラスの集まりで男子達がドヤ顔で連れて行ってくれたんですけど、下心見え見えでキモすぎでしたし、あんまり楽しめなかったんですよねー」

「分かります分かります、小町のクラスの集まりでもそういうのありましたよ。ああいう『女子ってこういうのが好きなんだろ?』みたいな顔してくるのウザいですよねー。……まぁ、いろは先輩のあざとさも同性から相当嫌われるやつですけど……」

「お米ちゃーん? ていうか、その自分のこと名前で呼ぶのも相当あざといっつの」

「小町はいいんですよ小町ですから。でも安心してください、例えいろは先輩がクラスの女子全員から嫌われても、小町はいろは先輩は基本的にクズだけど根はそんなに悪くないって分かってますから! あ、今の小町的にポイント高い」

「ぜんっぜん高くない! 何こいつほんとムカつく!」

「ま、まぁまぁ……ね、ゆきのんも行くよね!? ゆきのん、タピオカ大好きだよね!」

「そ、そんなに好きというわけではないけれど……ま、まぁ、そうね。皆が行くのなら……」

 

 女子四人の姦しい声が部屋に響き渡っている。

 特に小町と一色がうるさい。この二人、明らかに仲は良くないのに妙に息が合ってる感じするのは何故かしら。

 あと、ゆきのんはタピオカ大好きです。さほど興味なさそうなクールな態度見せてるけど、めっちゃタピってるからねこの子。

 

 もちろん俺はそんな女子達の会話に混ざる気力なんてあるはずもなく、定位置となっている長机の廊下側の端っこで、手元のライトノベルに目を落としている。

 反対側には女子四人が全員近くに集まっていて、机でシーソーとかしたら俺が吹っ飛びそうなくらいの偏りっぷりだ。

 

 そうしていると、一応俺という存在を認識していたらしい我が妹が、こっちに話を振ってくる。

 

「あ、お兄ちゃんは来ないでね。ガールズトークするから」

「言われなくても行かねえよ……女子四人に男一人とかアウェー過ぎるわ。ちなみにこの部室でも基本的にアウェーだからね俺」

「比企谷くんはいつでもどこでもアウェーでしょう」

 

 容赦ない口撃が俺を襲う。

 いや、うん……ほんとそれなんだよなぁ。小町がこの高校に入ってきたってのもあって、最近ではこいつらウチに遊びに来ることも増えてきた。俺の数少ないホームですら危うくなってきている。

 

 俺は溜息をついて本から目を上げると。

 

「つか、そのタピオカ店、俺もう行ったんだよ。この前――」

「誰と?」

 

 部屋の温度が一気に下がった。何これ、寒くない? 寒い!

 

 原因は考えるまでもない、こんな冷徹な空気を生み出せるのはこの世に一人しかいない。

 そう、俺の心臓まで凍らせて止めてしまおうとさえ思ってそうな冷え切った目でこちらを見ている雪ノ下雪乃だ。

 

「と、戸塚だ戸塚! 可愛くて天使で可愛い戸塚」

「あー、そういえばさいちゃん、この前ヒッキーと中二とタピオカ飲んだとか言ってたかも」

「……そう」

 

 由比ヶ浜もそう言ってくれたことで、何とか雪ノ下の冷気が収まる。

 もうマジ雪の女王……早く真実の愛を見つけてください……。

 

 …………。

 

「お兄ちゃん、なんで急に赤くなってるの? すっごく気持ち悪いよ?」

「先輩が気持ち悪いのはいつもだと思いますけどねー」

「いや、その、あれだ。戸塚との嬉し恥ずかしドキドキデートを思い出してだな……」

「さいちゃん、中二も一緒って言ってたけど……」

「知らん忘れた。そうだ、写真もバッチリ撮ったぞ。見る? 見るよな。俺と戸塚のタピオカツーショット」

「見せたいんだ……」

 

 何とか誤魔化すことに成功した俺は、一息つきながらスマホを操作する。

 

 っぶねー、自分のしょうもない脳内ネタで照れるとか過去最悪レベルに気持ち悪いことしてしまった……もう雪ノ下関連で愛だの恋だのをネタにするのは完全封印しないとな……危険過ぎる。羞恥でうっかり死ぬまである。

 

 そんな反省をしながらスマホの画面に戸塚とのタピオカツーショット(他に何か写っていた気もするが、トリミング処理済)を表示すると、いつの間にか近くに集まっていた女子達に見せる。

 

「わー戸塚先輩相変わらず凄く可愛いですね。正直、女としては釈然としないものが…………うっわ、なんか先輩の目加工してるし……うっわ」

「引きすぎでしょ……お前らだって加工しまくってるだろ……」

「うーん、なんだろ、お兄ちゃんの腐った目や根性を見慣れてるからかもだけど、違和感すごいね。もうお兄ちゃんは腐ってなきゃお兄ちゃんじゃないのかもね。納豆みたいに」

 

 後輩と妹からの容赦ないダメ出しに軽く泣きたくなってくる。

 納豆ってなんだ納豆って。俺はそんな粘るタイプじゃねえぞ、むしろ諦めはメッチャ良い方だ。新しいクラスでの友達作りとか考える前に諦めたからね。

 

 ……まぁ、たまにはちょっと足掻いてみようと思う時もなくはないが。たまにな。

 

 何だか思い出すと死にたくなる黒歴史を思い出しそうになったので、頭を振ってそれを消していると、何やら再び部屋の気温が下がり始めたのを感じる。

 これはまたあの方ですね……。

 

「……雪ノ下? その、どうかしたか?」

「いえ、随分と楽しそうな写真だと思って。私と撮る時よりも、ずっと」

「いや別にそんなことは……」

「比企谷くん? どうして目を逸らすのかしら?」

「……だ、だってお前、最近写真の撮り方に無駄に凝り始めて、タピオカ飲む前に散々撮り直すじゃん……それに付き合ってると、ほら……疲労がな……?」

「私といるのは疲れると言いたいのかしら?」

「そ、そこまで言ってないだろ、そうじゃなくてだな…………え、なに?」

 

 大変お冠な雪の女王サマを何とかなだめようとしていたのだが、他の女子達から物言いたげな視線が集まっていることに気付く。

 俺が疑問の視線を返すと、女子達はほけーっとした表情で言ってくる。

 

「ヒッキーとゆきのん、タピオカデートなんてしてるんだ……ちょっと意外かも」

「そうですね、先輩達にしては普通と言いますか……」

「うん、お兄ちゃんと雪乃さんのことだから、何だかとんでもなく間違ったデートをしてそうで、小町は密かに心配してたんだけど……」

 

 こいつらは俺達のことを何だと思ってるのか。

 ……まぁ、俺と雪ノ下がクソ面倒くさい奴だってのはいい加減自分達でも分かってるし、それで周りにも随分と迷惑もかけてきたけど…………ごめんなさい。

 

 どう返したものかと、ちらと雪ノ下の方を見るが、こういう話題にはまだ不慣れなのか、ほんのりと頬を染めて俯いてしまって何も言えないでいるようだ。……何だよ可愛いズルい。

 仕方ないので、俺が答えることに。

 

「俺達だって普通のデートくらいするわ。もうあれだ、タピオカに関しては上級者だからね? 知ってるか? タピオカってのは」

「いやそういうのいいですから。照れて話逸らさなくていいですから。それより写真見せてくださいよ写真!」

「小町も見たい見たいー! あ、平塚先生にも見せてあげたいな、先生のお陰でウチの兄はこんなに成長しましたって!」

「見せないから。あと平塚先生にそういうの見せるのはどうなんですかね……」

 

 俺がそう言い、雪ノ下も赤い顔でコクコクと何度も頷くと、一色と小町は揃って頬を膨らませ「ぶー」とか不満を露わにしている。こいつらやっぱ相性抜群じゃねえの。

 

 平塚先生は他の学校へと移ってしまったが、連絡先は知っているので今でもたまに連絡を取る……のだが、俺と雪ノ下が付き合ったということもあって、結婚関係の愚痴が更に酷くなっている。

 「君達も私より早く結婚していくんだろうなぁ……」とか言われてもどう返せばいいか分かんねえよ本当に早く誰か貰ってあげて。

 

 つーか、こういう話題って俺と雪ノ下がどうってより、由比ヶ浜的に微妙なんじゃないのかなーと思って、ちらと彼女の方を盗み見る。

 しかし、予想に反して由比ヶ浜はにっこりと楽しげな笑みを浮かべていて。

 

「えー、あたしもヒッキーとゆきのんの写真見たかったのにー」

 

 ……これはもう、彼女の中で何かしらの決着がついたという事なんだろうか。

 いや、でも、彼女が持ちかけてきた「相談」というのは、そう簡単に解決するわけでもなく、ずっと続くものだと言っていたが……。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜の様子を見る限り、二人とも以前と同じように……むしろ以前よりも仲良くなったように見えるが、たまに一色とか小町が由比ヶ浜に何か吹き込んでるっぽいのが気になるんだよなぁ……。

 ただ、こういうのは男が入ってはいけない領域のようで、何を話してるのか聞いたら後輩と妹から罵詈雑言が飛んできたもんだから、もう好きにさせることにした。……不安だ。

 

 そんなことを考えながら溜息をついていると、一色が頬に指を当てたあざといポーズで言ってくる。

 

「でも先輩達、まだちゃんと付き合ってたんですね。最近はまるっきりそういう雰囲気もなくなって、てっきり先輩が何かやらかして呆気なく切れちゃったのかと思ってました」

「おいちょっと? 人を勝手に振られたことにするのやめてくんない?」

「いろは先輩とか学校の人達からはそう見えるかもですけど、お兄ちゃん、ウチだと未だにデート前とかそわそわしてて挙動不審だし、どこか変なとこないか聞きまくってくるし、鏡の前でウロウロするし、控えめに言って相当気持ち悪いことになってますよ」

「それ今言わなくて良くない? ねえ?」

 

 小町の余計なリークに、雪ノ下は口元をむにむにしながら「へぇ……」とか呟いてる。何これメッチャ恥ずい! 顔あっつい!

 ぱたぱたと手で顔を扇いでいると、由比ヶ浜も「うーん」と首を傾げながら難しそうな顔で。

 

「確かにいろはちゃんの言う通り、ヒッキーとゆきのん、あんまり付き合ってるって感じなくなってきてるかも……あっ、だ、だからって別にあたしにもワンチャンあるかもとか期待してるわけじゃないからね!?」

「お、おう……」

「っ……で、でも、恋人らしくと言われても具体的にどうすればいいのかしら」

 

 由比ヶ浜の言葉に、どこか焦りの色を浮かべて雪ノ下が尋ねる。

 しかし、これには一色がぶんぶんと大袈裟に首を横に振る。

 

「いえ、二人はそのままで良いと思います! 分かりやすくイチャつかれても、それはそれでストレス溜まるといいますか……ウチの生徒会でも、テメェらそれで隠してるつもりなのかってくらい堂々とイチャつきまくってくれやがる二人がいまして、名前で呼び合ってるのとか聞く度に仕事押し付けて、こうしてここに駄弁りに来てるんです」

「あ、あはは、いろはちゃんぶっちゃけ過ぎ……ていうか素が出てるし……」

 

 一色の言葉に、苦笑いを浮かべる由比ヶ浜。

 部員でもないこいつが当たり前のようにここにいる事に関しては、もうツッコむのも面倒になってたんだが、そんな理由があったのね……。

 

「つか可哀想だろ副会長と書記の子……」

「いいんですよ。むしろ空気読んで二人きりにさせてあげてるんですから、感謝してほしいくらいです。ていうか、先輩だってリア充は爆発しろとかそういうスタンスだったじゃないですか。自分がリア充側に立った途端に寝返るんですかそうですか」

「そ、そういうわけじゃなくてな……まず、お前だって十分リア充側だろ。彼氏だって葉山に拘らなければ、すぐに作れるんだろうし」

「それはそうですけど…………はっ! もしかして今の、『葉山じゃなくてもいいだろ……例えば俺とか』って告白のつもりでしたか流石に二股とかありえないんで雪乃先輩かわたしかちゃんと選んでもらえますかごめんなさい」

「はいはい雪ノ下雪ノ下」

 

 食い気味に即答する俺に、一色はむぅと不満げに頬を膨らませる。

 いやこの回答以外無理でしょどう考えても。例え冗談でも一色とか答えたら確実に死ぬぞ俺が。

 

 雪ノ下は俺の答えにそわそわとしていたが、こほんと咳払いをして調子を整えてから疑問を浮かべる。

 

「要するに、私達はこれまで通りで良いということかしら……?」

「それは違います!」

 

 今度は小町が指をビシッと突きつけて騒がしく言ってくる。うん、人指差すのやめれ。

 

「現状維持というのはすなわち倦怠期の入り口! 何の変化も刺激もなく、だらだらと付き合って代わり映えしないデートを続けて、一緒にいるのに心は離れていくばかりで、いつしか『もういいか……』ってなって別れるんです! ……って友達が言ってました!」

「なんだよ友達の話かよ焦らせるなよ。てっきり小町の話かと思って、何としてでも相手の男を聞き出して殺っちゃおうって考えてたわ、あぶねーな」

「危ないのはあなたの頭でしょう……」

 

 雪ノ下が頭痛に悩むように頭を抑えて溜息をつくが、俺は真剣だ。

 妹に寄りつく悪い虫は全て排除するのがお兄ちゃんの役目だ。こういうこと言うと妹からはウザがられて虫どころか無視されるけど、それでもお兄ちゃんはめげない!

 

 すると由比ヶ浜も小町の言葉にうんうんと頷いていて。

 

「あたしも似たようなこと聞いたことあるかも。最初は良いんだけど、だんだんデートプランが雑になったり、記念日も忘れたりして、何だか冷めちゃって別れちゃうって」

「え、記念日? それってあれか、結婚記念日ならぬ恋人記念日的なやつ?」

「……比企谷くん? まさか覚えていないとか言わないわよね」

「いやいやいやメッチャ覚えてるから! …………でも、その、少し確認だけいいか?」

「?」

 

 雪ノ下からの殺気にビビりながらもちょいちょいと手招きすると、彼女は怪訝そうな表情で近くに来る。

 俺は口元に手を当てて内緒話のジェスチャーをすると、彼女も耳を寄せてきたので、ヒソヒソと尋ねる。

 

「(俺達の記念日って、やっぱあの陸橋の)」

「んっ……!」

「!?」

 

 突然雪ノ下がビクッと体を震わせたので、俺も驚いて思わず身を引いてしまう。

 な、なんだよ、いきなり変な声出すなよドキドキするから……。

 

「せんぱーい……そういう事は二人きりの時にやってほしいんですけどー」

「違うマジでホントそういうのじゃないからマジで」

 

 他の女子達からの冷ややかな視線が痛い……こんな所でそういう事するわけないだろ、どんな性癖だよ一発で振られるわ。

 雪ノ下は顔を赤くしてぽしょぽしょと呟く。

 

「ごめんなさい、耳弱くて……」

「そ、そうか……いや俺も悪かった……」

 

 何だこの空気むずむずする……。

 それは雪ノ下も同じだったのか、深呼吸をして気を取り直すと、俺の耳元に口を寄せて囁く。

 

「(あの陸橋の日でいいでしょう。そ、その……お互い、こ、こくは……く……したわけだし……)」

 

 最後の方はほとんど聞こえないくらいの小さな声でそう言い終えると、照れた様子ではにかむ雪ノ下。

 なんだこの可愛い生き物ヤバ過ぎる何がヤバいって全てがヤバくてヤバい。

 

 そうやって、雪ノ下のあまりの可愛さに思考がバグって機能停止しかける俺だったが、小町の声によって現実に引き戻される。

 

「ふむふむ、今かすかに陸橋って聞こえた! 告白の場所はそこか!!」

「おかしいでしょどんだけ地獄耳なんだよお前やめろ。雪ノ下レベルだぞそれこえーよ」

「何故そこで私が出てくるのよ。仮に私が地獄耳だとして、それであなたに何か不都合なことでもあるのかしら?」

「ないです」

 

 そうやって雪ノ下の鋭い詰問から逃れている間に、他の女子三人はどこの陸橋だろーきゃははと盛り上がっている。

 どうせこういうのは止めようとする程向こうも盛り上がって手がつけられなくなる事が容易に想像つくので、もう好きに話させることに。雪ノ下の方は照れて止めるどころじゃなさそうだし。かわいい。

 

 そして話が一段落したのか、やがて小町がこっちを向いて言ってくる。

 

「つまり、お兄ちゃんと雪乃さんは、まずお互いの呼び方から変えてみるべきだと思うんだよ!」

「何がつまりなのか全く分かんねえ……自分が参加を許されてない会議の結果、唐突に面倒事を押し付けられるのは割とあるあるだって平塚先生も愚痴ってたけど、そういうの凄く理不尽だと思います」

「呼び方……」

 

 どんな話の流れでそんな結論に至ったのかは知らないが、とりあえず軽くあしらって躱そうと思ったのだが、雪ノ下は真面目に受け取ってしまったらしく、恥ずかしそうにしながらも真剣な声色で呟いている。

 

 それを見た小町の目がキラリと光る。

 

「雪乃さんもお兄ちゃんから下の名前で呼んでもらいたいですよね! 『雪乃』って!」

「そ、それは……えっと……」

 

 おい押されるな雪ノ下頑張れお前は出来る子のはずだ。

 心の中でそうエールを送っていたのだが、一色もうんうんと頷いていて。

 

「確かに一番分かりやすい変化といえば呼び方ですよねー。ウチの生徒会の二人もそうですし…………ちっ」

「いろはちゃん怖いってば……でもさ、呼び方変えるのって何も恋人までいかなくても仲良くなれば普通にあるよね。あたしもヒッキーとかゆきのんとか、あだ名で呼んでるし」

「俺は未だにヒッキーは悪口入ってると思ってるんだが」

「あはは、そんなことないってば、可愛いじゃんヒッキーって! それに、今更変えてって言われても……」

 

 そう言いながら、由比ヶ浜は少し上の方を見て何か考え込んだあと。

 何やら、頬を染めてもじもじとし始めて。

 

「……は、八幡、とか?」

「っ……ヒ、ヒッキーでいい。ヒッキー最高。これ以上ないってくらいのあだ名だわヒッキーって」

 

 もうほんとこういう不意打ちやめてほしい、心臓に悪いわ心臓に……不整脈起きるレベル。

 あと、もう一つ切実な理由としては、俺の彼女さんから凄まじい殺気が飛んできてるからやめてほしい……こっちはガチで心臓止まるレベル。

 

 俺はこの空気を変えようとゲフンゲフンとわざとらしく咳き込んでから言う。

 

「まぁ、そういうのは無理に変えても余計ぎこちなくなるってのもあるしな。自然に任せるというか、前向きに検討するよう善処するという方向でいいんじゃね」

「それ絶対しないやつだし……ヒッキーってほんと女子のこと名前で呼ばないよね。ほら、隼人くんは基本名前呼びじゃん」

「俺をあんなのと比べるなよ……つか、俺にだって下の名前で呼ぶ女子くらいいるぞ」

「えっ、だ、誰!?」

 

 由比ヶ浜は意外そうに身を乗り出してくるが、他の三人は俺の言わんとしていることの予想はついているらしく、呆れた溜息をついている。

 俺は珍しく胸を張って堂々と宣言する。

 

「もちろん、小町のことだ」

「あー……うん」

 

 由比ヶ浜が凄く残念なものを見る目をこっちに向ける。

 そして小町はというと、ほとんど感情の色が見られない死んだ表情で両手を上げる。

 

「わーい、きもーい」

「あの、喜ぶが蔑むかどっちかにしてくんない……?」

「きもーい」

 

 そっちが残っちゃったよ……。

 まぁこれは小町なりの照れ隠しという可能性も……うん、ないね。本気で気持ち悪がってる顔だねこれ。

 

 もう兄離れの時期なのかなぁ……と肩を落としていると、一色がニヤニヤと口元を抑えながらこんなことを言ってきた。

 

「あんまり気にしない方がいいですよ。お米ちゃん、先輩の前ではこういう態度ばっかかもしれないですけど、わたし達の前ではお兄ちゃんに彼女さんが出来てちょっと寂しがってるっぽい所も見せてますから。兄離れしようって頑張ってるんですよ」

「いやほんとそういうのいいですから。そういうの全然ないし。意味分かんないし」

「ほら見てくださいよ、ガチで照れてますよこの子」

「照れてないですから!!」

「ああもう、小町ちゃん可愛すぎっ!」

「わわっ! な、なんですか結衣さんまで!!」

 

 頬を朱に染めてぱたぱたと腕を振り回す小町に、由比ヶ浜は抱きついて撫で回し、雪ノ下はお姉さんらしく見守るように微笑んでいて、一色はお気に入りのオモチャで遊ぶような楽しげな笑みを浮かべている。

 

 そして俺は、そんな愛らしい妹の姿に、いつもの『世界一可愛い』とか『妹さえいればいい』とかそういった言葉が浮かぶ余裕もないくらいに胸を締め付けられ、ただ一言だけ呟く。

 

「もうシスコンでいいや……」

「最初からそうでしょう。重度の」

 

 雪ノ下からの鋭い言葉も今は効かない。妹成分で満たされたお兄ちゃんは最強だ。

 しかし小町もいつまでも押されっぱなしでいる程甘くはなく、はっと何かを思いついた表情を浮かべると、勢いよくこっちを向く。

 

「ていうかお兄ちゃん、小町だけじゃなくて結衣さんのことも名前で呼んだことあるじゃん!」

「は? そんな事あるわけ…………」

「え、先輩なに止まっちゃってんですか、もしかして本当にあるんですか?」

 

 一色がかなり意外そうな顔をして聞いてくる。

 ……いや落ち着け。思い当たるフシはなくもないが、小町が周りからの矛先を自分から逸らそうとハッタリかけてきてる可能性も否定できない。

 

 俺は小さく息を吐いて気持ちを落ち着けてから、はぐらかす。

 

「俺がそんな簡単に女子の名前とか呼ぶわけねえだろ。中学時代、ちょっと話すようになった女子のことを思い切って名前呼びしてみたら、『えーと、名字でいいよ? 比企谷くん』とかドン引きされて死にたくなったからな。俺はその日以来――」

「カラオケ」

「待て、ほんと待って。なに、何が望みなの? 金?」

 

 小町の一言にあえなく撃沈する……ふぇぇ、妹が強すぎるよぉ……。

 

 そう、あれは由比ヶ浜の誕生日祝いでカラオケに行った時のこと、つい流れで彼女のことを名前で呼んでしまったのだ。

 ただ、あの時は由比ヶ浜自身が考えた『ゆいゆい』とかいう安直かつ頭悪いあだ名に紛れさせる形で上手く誤魔化しながら呼んだはずで、呼ばれた本人以外は気付かなかったとばかり思ってたんだが……。

 

「ふっふっふっ、小町を欺けると思ったら大間違いだよ! なんたって、ずっと近くでお兄ちゃんのこと見てきたんだからね! あ、今の小町的にポイント高い」

 

 こんな所で暴露するのはポイント低すぎるんだよなぁ……。

 

 ちらと由比ヶ浜のことを見ると、赤い顔でそわそわと視線を彷徨わせながら髪をいじっていて、俺の視線に気付くと「えへへ……」と照れ笑いを浮かべる。

 

「い、一回だけだよ、一回だけ」

「一回だけでも先輩が名前呼びするとか十分驚きですって。……せーんぱいっ! わたしのことも名前で呼んでみてください!」

「いいぞ、いろはす」

「ほらこの捻くれっぷりですよ。どう思います雪乃先輩? 彼女として」

「そうね、由比ヶ浜さんのことは名前で呼ぶのに、彼女である私は呼ばない理由についてはとても興味あるわね。とても」

「い、いや、だからあの時は由比ヶ浜が誕生日ってのもあってだな……」

「そう、じゃあ私の名前も誕生日しか呼ばないつもりなのね。あと半年以上あるのだけれど」

 

 ヒエッ……。

 

 雪ノ下からの恐ろしい圧力に、俺は縮こまることしかできない。

 もう何というか、最初から分かっていたことだが俺と雪ノ下の間にはハッキリとした力関係が存在している。家でのウチの親父の気持ちが少し分かってきた……分かりたくなかった……。

 

 そんな中、一色が何かを思い出したようで。

 

「あれ、そういえば先輩、あの子のことも名前で呼んでませんでした? ほら、クリスマスイベントの時の……」

「あー、もしかして留美ちゃん? 確かにヒッキーって、結構気難しそうな留美ちゃんと最初から割と話せてたよね」

「千葉村の時のあの子ですか! ふーむ、意外なところから新たな候補が……」

 

 悩ましげに腕を組む小町に、こっちの方が頭痛くなってくる。

 何の候補だ何の。いや知りたくねえわ。

 

「留美は小学生だったし名字で呼ぶ方がなんかアレだろ……もう中学生だけど」

「つまり小学生でないと名前で呼びたくないということね。悪かったわね、小学生ではなくて。ロリヶ谷くん」

「今の発言でロリコン認定はおかしいでしょうどう考えても」

 

 俺は子供は割と好きだが、決してロリコンではない。

 というか、葉山みたいな爽やかイケメンが子供と仲良くしていると「子供好き」ってプラス評価になるのに、俺や材木座みたいなのが同じことすると「ロリコン」ってマイナス評価になる理不尽な世の中に一言申したい。

 

 ともかく、何か先程から俺ばかり責められている気がするので、ここらで反撃しておく。

 

「つか、俺ばっか言われてるけど、お前らだって男子のこと下の名前で呼ぶってそんなねえだろ。特に一色は俺のこと名字すら呼ばないから、そもそも俺の名前知らない疑惑あるぞ」

「やだなーそんなことないですよー。最初の方はともかく、今はもう流石に知ってますってー」

「そうか、ちょっと安心……おい、お前それ、最初はやっぱ俺の名前覚えてなかったって事かおい」

「てへっ☆」

 

 てへじゃねえよ、あざといよ、でもちょっと可愛いじゃねえか。

 一方で小町はきょとんとした表情で。

 

「小町は普通に男子の名前呼んでるじゃん。ほら、大志くんならお兄ちゃんも知ってるでしょ」

「そうだな今すぐやめろ」

「えー自分から聞いといてなーにそれぇ……それに結衣さんも、葉山先輩のこと名前で呼んでますよね?」

「うん、まぁ…………あ、あのね! 隼人くんのこと名前で呼んでるのは、周りもそう呼んでたから流れみたいな感じで、別に深い意味とかは全然ないからね!?」

「わ、分かってるっつの……」

 

 わたわたと手を振りながら言う由比ヶ浜を落ち着かせつつ、雪ノ下のことを見る。

 他の三人は社交的だし男子の下の名前を呼ぶことだってあろう。しかし、こいつだけはそんな事はないはずだ。

 

 ところが、向こうも何故か挑戦的な目で見返してくる。

 

「私は比企谷くんの名前を口にしたことがあるでしょう」

「は? いやいやねえだろ。呼び方変えることはあっても、比企谷菌とかヒキガエルくんとか散々なあだ名でしか呼んでねえぞお前」

「そんなどうでもいい事を覚えているくせに、肝心なところは覚えていないのね。初詣、行ったでしょう?」

「初詣?」

「えー、ヒッキー覚えてないのー? 行ったじゃん、初詣」

「いや初詣行ったのは流石に覚えてるっての」

「わたしがハブられたやつですねーそれ」

「だからハブってねえから、つか葉山いないならいいとか言ってただろお前」

 

 分かりやすく膨れてみせる一色に適当に返しつつ、あの時のことを思い出そうとしてみる。

 

 …………ん、あれ、そう言われてみると、あの時「八幡」とかいう言葉を聞いた気がする。なんだったか。

 もう少しで出てきそうな感覚にやきもきしながら首を傾げていると、小町が目を輝かせて身を乗り出してくる。

 

「なになに!? もしかしてあの時雪乃さんと二人で帰った時に何か面白いイベントとかあったの!?」

「ねえよ、ねえ。そもそも、二人で帰ったのだってお前がわざとそう仕向けて…………あ」

「やっと思い出した?」

 

 思い……出した!

 

 そうだあの時、初詣帰りに小町がわざとらしく取って付けたような用事を口にして、俺と雪ノ下を二人で帰らせるように仕向けた。

 そこで俺は空気読まずに小町の用事に付き合おうとしたところ、小町から酷い罵倒を受けた。それが雪ノ下のツボに入って……。

 

「雪ノ下お前まさか、小町が俺に言った『バカ! ボケナス! 八幡!』とかいうのを笑いながら繰り返してたが、それをカウントしてるんじゃねえだろうな」

「えぇ、その通りよ。ほら口にしているじゃない、あなたの名前」

「ただの悪口なんだよなぁ……」

 

 酷いオチに大きな溜息が溢れる。

 

 まぁ、でもあれだ。こういうのも俺達らしいというか、妙な安心感を覚えてしまうのだから、俺は俺ですっかり雪ノ下に調教されてしまったと言えるのかもしれない。なにそれ、そっちの女王様の素質もあるんじゃないの雪ノ下さん。

 

 ともあれ、俺も雪ノ下も相変わらず色々と間違っているわけで、そんな俺達が普通の恋人みたいなことをするのはそれこそ間違いだとも言え、ならば逆説的に間違っている俺達が間違っていることをする事こそが正しいと言えるのではないだろうか。

 マイナスとプラスを掛けるとマイナスになるけど、マイナスとマイナスを掛けるとプラスになるみたいな。違うか、違うね。

 

 ただ、さっきも俺達がタピオカデートみたいな普通の恋人っぽい事もしているというのを聞いた由比ヶ浜達が意外そうな反応してたわけだし、大きくは外れていない気がする。

 

 そんな俺達のやり取りに呆れた様子の一色は、やれやれといったように肩をすくめながら。

 

「ほんと、付き合っても相変わらずですねーお二人は。まぁでも、もうそれでいいんじゃないですかね。ていうか、雪乃先輩が恋人っぽく振る舞うっていうのは可愛いと思いますけど、先輩が同じことするとキm……えーと……キツイものがありますからね」

「お前最初キモいって言おうとしただろ。つか言い直してもあまり変わってないからね? 分かってる? 分かれ」

「小町としてはもうちょっと恋人らしくしてほしいんですけど、まぁ、ごみいちゃんですからね……はぁ~、お兄ちゃん中学の頃も痛々しかったけど、あの頃はまだ恋愛には前向きな感じしたのになぁ」

「そういうヒッキーちょっと想像できないかも……あ、でも、中学の頃は女子のアドレス聞こうとしたり頑張ってたんだっけ?」

「おいやめろ。人の黒歴史掘り起こすと大変なことになるぞ。主に俺が。具体的に言うと奇声を発しながら悶える」

「それはもうR指定が付くくらいのホラーね」

 

 人のことをR指定呼ばわりする雪ノ下だが、それには俺も同意できるので何も言えない。

 中学の頃はただただ無知で自分を客観視できず、本当にいろんなことをやらかした。もしもタイムマシンがあったら、中学の俺を監禁して一日中説教したいくらいだ。

 

 ……いや、高校でも割と黒歴史作ってるな俺。

 結局は痛さのベクトルが変わっただけで、俺が黒歴史量産人間だというのは変わっていないのかもしれない。なにそれ死にたい。

 

 そうやって暗い気持ちになっていると、一色がふと思い出したように言ってくる。

 

「そういえば、クリスマスイベントの時の折本さんでしたっけ? あの人おな中でしたよね? 昔何かあった感じ出してましたけど、わたし的には先輩が告って振られたと予想しているんですが、どうでしょう?」

「…………黙秘権を行使する」

「いろは先輩せいかいでーす」

「ねえちょっと? なんでお前が答えるんだよやめろ」

「ていうか小町ちゃんそういうの知ってるんだ……」

「お兄ちゃんのやらかしは一年にまで伝わってきましたし、それこそお兄ちゃんが卒業したあとも一部語り継がれてましたからね……妹としてもう恥ずかしいのなんのって……」

 

 小町に迷惑かけたのは悪いとは思うが、俺のほうが恥ずかしいし死にたい。

 もうほんと、なんでよりにもよって折本なんていうカーストトップ相手にやらかしてんだ俺、バカなの? 死ぬの?

 

 というか、俺の黒歴史掘り起こそうコーナーみたいなこの会話の流れおかしいでしょ絶対。

 このままだと俺の精神がすり減るばかりなので、何とか違う話題に持っていこうとあれこれ考えていると。

 

「……ああいうのが好みなの?」

 

 雪ノ下から探るような視線を送られる。

 え、なに、それに俺が肯定したら、「それあるっ!」とか言い出しちゃうの雪ノ下さん?

 

 ……ちょっと可愛いと思ってしまったが、彼女のイメージ崩壊の方が深刻なので即座に頭を振って消し去る。

 

「いや違う、全然違う。ただ俺とも結構話してくれたってだけで勘違いして玉砕しただけだ。つか、葉山と同じ反応するなよ……」

「えっ、ヒッキー、隼人くんと恋バナとかすんの……?」

「マジですか葉山先輩の好みのタイプ教えて下さい今すぐに」

「知らねえ近い近い。流れでそういう話になっただけだっつの。ほら、その……葉山とか他の女子とかで出掛けることになっちまった時の……」

「あー、先輩が生意気にもダブルデートしてた時ですか」

「生意気とかお前にだけは言われたくないんだよなぁ……」

 

 俺も平塚先生からは随分と言われたもんだけど。

 新しい学校では、俺や雪ノ下みたいな深刻な問題児がいないとつまらなそうに言っていたが、教師としてその感想はどうなんだろう……というか、こんなのがどの学校にもいたら日本の未来を割と本気で心配してしまう。

 

 一色は俺の言葉に「はえー?」とかすっとぼけてたが、気を取り直した様子で小町の方を向く。

 

「それでそれでお米ちゃん、もっとないの先輩の黒歴史」

「待てやめろ待て。何ちょっと楽しくなっちゃってんだよお前」

「えー、わたしは先輩のこともっと知りたいだけですよー。そうすればもっと扱いや仲良くなれると思って!」

「俺の弱みを握ってこき使いたいことは良く分かった」

「うーん、強烈なのだと、お昼の放送で流す曲をお兄ちゃんがリクエストしたんですけど、それが完全に好きな子へのラブソングで」

「おい止まれそろそろブレーキ踏めマジでそれ以上やるとそこから飛び降りるぞ」

 

 俺が捨て身の脅しをかけると、小町はまた「てへぺろ☆」ポーズ。お前それやれば全部許されるとか思ってねえか万能すぎるだろ。俺が平塚先生にそれ使ったら殴られたぞ。

 その黒歴史に関しては、雪ノ下と由比ヶ浜は以前に聞いていたので、二人とも呆れ顔を浮かべるだけなのだが、一色は手を叩きながらそれはそれは楽しそうに笑っている。

 

「あははははっ、いいじゃないですか先輩、今こそやりましょうよそれ!」

「本当にやめて。比企谷くん、お願いだからここではそんなことしないでね。中学生の頃ならあなたの自爆で済んだかもしれないけれど、今は私も巻き込まれるから。それやったら別れるから」

「ゆ、ゆきのん目が本気だ……」

「やるわけねえだろ……」

「お、結衣先輩チャンスですよ。先輩からのリクエストってことにして、雪関連のラブソングとか流せば略奪できますよ!」

「何でそんな簡単にエゲツないこと思い付くのお前、こえーよ、あと怖い」

「さ、流石にそんなことしないってば……」

「まぁお兄ちゃん聴いてましたけどね、雪関連のラブソング。家で」

「「「えっ」」」

 

 ババッと音が聞こえるほどの勢いで、小町以外の三人がこちらを見てくる。

 そして俺の方は、心臓バクバク汗ダラダラで顔も熱くなってきた。もう、ほんと……やめてください……!

 

「ち、違うから……別にそういう曲を意図的に聴いてたわけじゃなくて、久しぶりに懐メロでも聴こうかと思っただけだから……」

「あー、お兄ちゃん最近の曲知らないから、中島○嘉の雪○華とか、バ○プのスノース○イルとか古いのばっか聴いてたよね」

「ゆ、ゆき……の……はな……ス、スノー……スマ……ぶっ!! あはははははははははははっ!!」

 

 ついに一色が決壊した。

 もう完全にツボに入っちゃったらしく、机をバンバン叩きながら、自分の可愛いイメージを保つことも忘れて、それはもう大笑いしていた。

 

 そんな一色を、由比ヶ浜は止めようとしてくれているのだが、「い、いろはちゃん笑いすぎだって……ぷふっ、くくっ」と明らかに笑いを堪えるのに必死で苦しそうな様子で……。

 

 …………。

 

 あああああああああああああああああああああああああああ!!

 死にたい死にたいバカじゃねえの俺ほんとバカうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!

 

 違う、違うんだ。

 最初は本当に懐メロを聴いてただけなんだ。

 でもなんか雪関係の曲が気になってそれでそういう曲を多く聴いてただけで……浮かれすぎだろ俺……恥ずかしすぎる……。

 

 一方で、雪ノ下は顔を真っ赤にしていて。

 

「あ、あの、私まで凄く恥ずかしいのだけれど……」

「悪かったもういっそ殺してくれ……」

 

 もうこれは下手に口を挟めば火に油を注ぐような結果になりそうなので、ひたすら羞恥に耐え忍ぶことにする。いっそ忍みたいにドロンと消えちゃいたいよぉ……。

 

 やがて、ようやく笑いが収まってきた一色は、目尻に涙を浮かべながら。

 

「はぁ、はぁ……あーお腹いた……もう、やめてくださいよ先輩、メッチャ苦しいです」

「それはこっちのセリフなんだよなぁ……」

「え、えっと、でもヒッキーそんなに落ち込むことないと思う! そういうの何ていうか……す、すっごく良いと思う! ラブラブっていうか! カラオケデートとかで歌えば盛り上がるかも! うん!!」

「結衣さん、ウチの兄と雪乃さんが本気で死にかけてるんでその辺で勘弁してあげてください……」

 

 心優しい由比ヶ浜からの善意のパンチにノックアウトされる俺と雪ノ下に、流石の小町も止めに入る……でもお前のせいだからね元々。

 由比ヶ浜は自分が更に追い打ちをかけてしまったことに気付いたのか、必死に視線を彷徨わせながら話題の転換を図る。

 

「あ、そ、そうだ! 中学と言えばさ! あたし、ヒッキーの中学時代の写真とか見たことないんだよね、今度卒アル持ってきてよ卒アル!」

「えっ、普通に嫌だけど」

「えー、ゆきのんといろはちゃんも見たいよね? あ、もしかしてゆきのんは見たことある?」

「私もないけれど…………まぁ、そうね。彼がどの程度更生したかを確認する資料としては有益でしょうし、皆で見るのもいいかもしれないわね」

「いいですねいいですね、わたしもメッチャ見たいです! お米ちゃん、今度勝手に持ってきちゃってよ」

「あいあいさー」

「ねえ君達プライバシーって言葉知ってる? 知らないよね? 今すぐググれ」

 

 なんで女子ってこんな卒アル見せ合いっこ好きなのん?

 俺とか中学の頃の写真全部抹消されても困らないし、むしろ嬉しい。

 

 そして、卒アルといえば、とあることを思い出す。

 

「つーか由比ヶ浜、お前だって自分の卒アル見せるの拒否して棚の奥に封印しただろ」

「うっ……だ、だってヒッキーに見せるのなんか恥ずかしいし…………そんなにあたしの中学時代見たいの……?」

「お、お前やめろよそういう言い方は……見たいというか、これは等価交換ってやつでだな……」

 

 正直に言うと中学時代の由比ヶ浜の写真とか割と興味あるが、それをそのまま言うと引かれそうだし恥ずかしいしで、濁した言い方しかできない。

 

 そして直後、冷気を感じて即座にマズイと頭の中で警告音が鳴り響く。

 すぐに「雪ノ下の卒アルも見せてくれ」と言って何とかお怒りを鎮めようとしたのだが……向こうの口が動く方が早かった。

 

 しかも、その内容は予期していないものだった。

 

「比企谷くん、由比ヶ浜さんに卒アル見せろとか言ったことあるの? それに、棚の奥にしまったって……それ、いつ、どこでの話?」

「「!?」」

 

 びくっと、俺と由比ヶ浜の肩が同時に震える。

 あれ、これもしかしなくても地雷踏み抜いたんじゃね……雪ノ下さんが今日最恐の空気出してない……?

 

 加えて、他の二人も目をキランとさせて即座に食いつく。

 

「ほうほう、結衣さんが恥ずかしがって卒アルを棚にしまった……と。それってどこにある棚かなー? お兄ちゃん、最愛の妹に正直に話してみ?」

「ていうかやりますね結衣先輩。もう取っちゃったんですか」

「ち、ちがっ、違うってば! その時はちょっとウチでお菓子作りしただけで、ホントに何もなかったから! そ、それに……まだヒッキーとゆきのんが付き合う前だったし……」

「……落ち着いて由比ヶ浜さん。私は別にあなたを責めているわけではないわ」

 

 大慌ての由比ヶ浜に、雪ノ下は優しい笑顔を向ける。

 ……由比ヶ浜を責めてないということは、誰が責められてるんですかね……うん、俺ですね。

 

「比企谷くん、どうして黙っていたのかしら?」

「い、いや、でもほら、そういうのってわざわざ言う方がなんか怪しくね? 『由比ヶ浜の家で菓子作ったことあるけど、何もなかったからな』って。つまり、余計な心配をかけない俺なりの心遣いであって……」

「でもでも、ぶっちゃけ何かあったんじゃないですかぁ~? 女の子の部屋で二人きりとか、イチャつくに決まってるじゃないですか」

「イチャついてないってば! あたしの部屋行っても、何もする事とかなくて困ったし……え、えっと、ヒッキーは撫で回してただけだし!」

「お兄ちゃんが結衣さんを撫で回した!?」

「サブレなサブレ」

 

 焦った由比ヶ浜が少し言葉足らずだったことで、とんでもない誤解が生まれようとしていたので即座に訂正する。

 言葉って少しでも何かが欠けると意味が大違いだったりするから大変だよね……かといって言葉を重ねすぎてもそれはそれで面倒くせえ奴って思われるし、会話ってマジ高難易度。

 

 一方、雪ノ下はまだ納得していない様子で。

 

「…………」

「あー……その、悪かった。ちゃんと言うべきだったよな。でも本当に何もなかったから……」

「……いいえ、別にそれに関して疑っているわけではないの。ただ……」

 

 雪ノ下はそこで言葉を切って、口に出すかどうか迷うような素振りを一瞬見せたあと。

 

「……今度言うわ」

「お、おう……」

 

 そう言われるとかなり気になってしまうのだが、無理に聞き出す気にもなれない。この言い方だと、この場では言いたくないという意味にも取れる。

 

 俺達は由比ヶ浜のようにコミュ力があるタイプではなく、それが原因で今までも何度もすれ違ってきた。

 一応は、これからはお互い思ってることを素直に言い合うようにしようといった事は決めたが、いつでもそれを実行できるかと言えば難しい部分もあるだろう。それこそ、由比ヶ浜だっていつも全てを話しているわけではないのだ。

 

 俺達は確かに少し進んだ関係になった。

 しかし、だからといって完全に通じ合えたということではない。何十年連れ立ったウチの両親だって未だに喧嘩をする。

 

 ただ、通じ合うことはできなくとも、そうありたいと望み続けることこそが大事なのではと、今は思っている。

 これから何度雪ノ下とぶつかったりすれ違うことがあっても、離れずにいたいという気持ちはきっと変わらない。だから何度だって問い直し、その都度新たな答えを見つけていく。

 

 そう、決意を新たにしていると。

 

「お兄ちゃん、なんかカッコイイこと考えてる感じだけど、早いとこ何とかしてね」

「……はい」

 

 雪ノ下以外の女子三人の視線からプレッシャーを凄く感じる……重い、重いよぉ……!

 

 

× × ×

 

 

 それから数日後の週末の部室。

 相変わらず依頼人が来るわけでもなく、いつものように女子達でワイワイ楽しく駄弁っているという光景が広がっているのだが、以前と全く同じというわけではない。

 俺と雪ノ下は喧嘩とまではいかなくとも、どこかぎこちない感じが続いていて、流石にそろそろ何とかしなければと焦り始めてもいた。

 

 雪ノ下は「今度話す」とは言っていたが、その今度というのは中々訪れない。

 かといって、本人に催促するというのも躊躇われ、やはり俺自身で気付かなければいけないんじゃないかとも思うのだが、それも難易度が高い。

 

 雪ノ下の機嫌が悪くなった原因などを考えると、今度俺の部屋に彼女を招いて卒アル鑑賞会なんかをやればいいんじゃないかとも思ったが、流石にそれは単純過ぎる気もした。

 あまりお粗末な回答を用意すると、余計に険悪になってしまうリスクもあるので慎重にいかなくてはいけない。

 

 ただ、だからといってダラダラと考え続けるというのも良くないだろう。

 前に小町が言っていた倦怠期とは違うが、微妙な空気が長く続くというのは悪い結果を生みやすくなるというのは分かる。

 

 しかし、世のウェイ系リア充達だって恋人や友達とのいさかいは全くの無縁というわけでもないと思うのだが、どういう感じで元通りになるのだろう。少なくとも、俺達みたいに果てしなく面倒くさい紆余曲折の末に……というようなプロセスは経ていないと思う。

 俺とか、中学時代なんかは基本的に一度何かやらかしたらそれで関係終了、修復不能に陥ってたからね……残機のないアクションゲームみたいだ。なにそのクソゲー。

 

「――ちゃん。お兄ちゃんってば!」

「んお!? な、なに?」

 

 その声に現実に引き戻されると、妹が呆れ顔でこっちを見ていた。

 そういえば静かになってるなと思ったら、いつの間にか部屋に二人きりになっている。

 

「今日はもう終わりだってば。部屋閉めるから出てった出てった」

「あぁ、悪い悪い。あれ、少し早くないか?」

 

 もうそんな時間かと時計を眺めながら聞く。

 外を見ても、日はかなり傾いてはいるが、夕日と呼ぶにはまだ早い。

 

 すると小町は腰に両手を当てて溜息をつき。

 

「もー、ほんとに全然話聞いてないじゃん。小町達、今日はウチでパジャマパーティーだから早めに切り上げることにしたんだよ。どうせ人も来ないし」

「あー、了解。つか、一応部長が人来ないとか言うなよ……まぁ、誰も来ないに越したことはないんだろうけど」

 

 そう返しながら、手早く帰りの支度を整えると、さっさと部屋を出る。

 小町はもう慣れた様子で窓の鍵などを確認したあと戸締まりを済ませ、鍵を指でくるくると回しながら、思い出したように言ってくる。

 

「あ、お兄ちゃんはゆっくりしてきていいからね? 朝帰りじゃなくて昼帰りでいいから。明日お休みだし」

「え、なにそれ今日は帰ってくるなって言ってんの? ネカフェで一晩過ごせって? いくらなんでも扱い酷すぎない?」

 

 そもそも、ネカフェって高校生は泊まれないんじゃなかったか。

 

 そして当然ながら、俺には家に泊めてくれるような友達はいない。

 ……戸塚、頼んだら泊めてくれるかな……いや、それはそれで俺が興奮しすぎてろくに寝られない。

 

 俺の抗議を受けた小町はきょとんとした表情で。

 

「あれ、まだ聞いてないの?」

「なにを?」

「……んー、まぁ、いっか。とりあえず寝る場所とかその辺は大丈夫だから心配しなくていいよ」

 

 なんだ、何か隠してんのかこいつ。つかマジで俺は今夜どっかでお泊り確定なのか。

 そういや、夏休みの千葉村の時も、小町が俺に内緒で勝手に色々進めてたな……平塚先生と協力して。

 

 昇降口までやって来ると、そこで雪ノ下、由比ヶ浜、一色の三人が待っていた。

 小町はテンション高く手をぶんぶん振りながら駆け寄る。

 

「お待たせしましたー!」

「うん、じゃ行こっか! お店寄ってお菓子とか一杯買おうよ!」

「あははっ、結衣先輩さっきまでダイエットがどうとか話してたじゃないですかー」

「うっ……い、いいのいいの、明日から頑張るから! もうメッチャ走るし!」

 

 合流するなり、そんなことをワイワイと話す女子達。

 楽しそうでいいねー……俺マジでどうすんの。

 

 とりあえず小町と一緒に自転車を取りにいって、そのまま押してついて行くしかないわけだが、やがてその足が止まった。

 いや、袖を掴まれて止められた。

 

「……こっち」

「は?」

「あ、じゃあね、ゆきのん!」

 

 急に止まった俺達に由比ヶ浜は特に驚くこともなく、笑顔で手をぱたぱたと振って別れの挨拶をする。小町と一色は何故かぐっと親指を立てている。

 そして、雪ノ下も挨拶を返すと、他の三人はそのままさっさと歩いて行ってしまった。

 

「お前はパジャマパーティーとやらには参加しないのな」

「えぇ。私は用事があるから」

「用事……もしかして、またあの面倒くさい家族絡みか? お前のことだから、他の友達と約束とかはないだろうし」

「うるさいわね、あなたにだけは言われたくないわ。そもそも、何故そんな他人事なのかしら。あなたも無関係ではないのだけれど」

「……おいまさか、また俺にあの地獄のような食事テーブルにつけとか言ってんのか」

「いえ、母さんや姉さんは関係ない。ただ……その……」

 

 ここで雪ノ下は何か言いづらそうに口ごもり、視線をそわそわと彷徨わせてから、やがて足元に落としてしまう。

 しかし、すぐに顔を上げて意を決したような表情でこちらを見つめてくる。頬がほんのりと紅潮している。

 

 

「比企谷くん、今夜は私のところに泊まりなさい」

 

 

 …………えっ。

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