ハイラルぐでぐで紀行   作:ほいれんで・くー

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『幻のスタミナ食、ハイラル納豆を追え!』
プロローグ リンク! 金貸してくれ!


「マジかよ……いや、ほんとに、マジかよ……」

 

 とんでもないことになった、と私は震えていた。

 

 その場所は西ハテール地方の双子山の麓、双子馬宿の店内だった。時は早朝だった。空気はひんやりとしていて瑞々(みずみず)しく、どこか甘く澄んでいるように感じられた。空にはまだ太陽は姿を見せておらず、山の()をわずかに薔薇色に染めているだけだった。

 

 双子山にかかる朝日は昔から現代まで、詩や散文のイメージの源泉となっている。私も一応文章を書く者のはしくれとして、今からでも馬宿の外に出て朝の双子山の偉容を見上げるべきだったが、しかしそのような余裕は一切、私になかった。

 

 私の周囲の寝台の人々は、まだ柔らかで心地よい夢を(むさぼ)っているのだろうか、いびき一つ、物音一つ立てていなかった。

 

 一方の私は、せっかく眠りから覚めたにもかかわらず、まごうことなき悪夢を見せつけられていた。

 

 いや、悪夢ならばいつか覚めるから、それだけまだマシと言えた。私が震えていたのは、早朝の冷たい空気のせいというのも幾分かはあっただろうが、それよりも確実に、この悪夢よりも悪夢的な現実に対してだった。

 

「……いや、ないなんてそんなはずは……ないわけはない。もう一度調べたら絶対にある。大丈夫だ、落ち着け……」

 

 あたかも体中をうぞうぞと這い回る虫を両手で払い落とすような動きで、私は全身のポケットというポケットを探った。胴巻きを探った。バックパックの中身を放り出して、逆さまにして振った。(はた)から見たらさぞや半狂乱の(てい)だっただろう。

 

 十分間にも及んだ捜索の結果は、しかし(かんば)しくなかった。ゼイゼイと息を切らしながら、私は絞り出すような声で言った。

 

「財布が……金が……ルピーが……どこにもねぇっ!!」

 

 ルピーがない! この世のありとあらゆる悪夢の中で、最大・最強・最悪なのが「ルピーがない!」ことであるのに、よもや異論を挟む者はおるまい。

 

 もう、あらゆる文学的修辞を抜きにして言おう、本当にルピーがない!

 

 胴巻きに入れていた分も、財布に入れていた分も、バックパックに入れていた分も、すべて忽然と姿を消している!

 

 取材費として編集長から事前に渡されていた千八百ルピー、それと自分のポケットマネーの二百ルピー、合計二千ルピーがすべて失くなっていた。

 

 編集長の声が脳内で蘇る。

 

「無駄遣いしたらアカンで!」

 

 取材費の使い込みには人一倍、いや、ハイラル一厳しい編集長のあの声……思わず私は身震いをした。

 

 いや、すべてがなくなったわけではなかった。財布をひっくり返すと、赤色の二十ルピーが一個に、緑色や青色の極小額のルピーが合わせて二個、コロコロと乾いた音を立てて机の上に転がった。

 

 たったの二十六ルピーでいったい何ができる?

 

 二十六ルピーの他には、汗と汚れでヨレヨレになった馬宿協会のクーポン券が三枚と、テリーショップのスタンプカードが一枚、リトの村の食料品店「ちゅん天堂」の領収書などがヒラヒラと出てきた。

 

 それらの中でも、テリーショップのカードがなぜか妙に目についた。下手くそな筆遣いで描かれたテリーの顔が妙にムカついてならなかった。「オゥー、マイドー、イツモオーキニ!」 なんだ! 能天気な顔しやがって! 私はこんなに苦労してるのに!

 

 強烈な絶望感に私は思わず頭を掻き(むし)った。

 

「くっそー……! きっと、あの時に()られたんだ……!」

 

 心当たりはある。きっとあの女だ。ここに来るまでの旅の途中で別れた、あの女に違いない。つい先日、私は短い金髪が美しい、新しい友人に出会ったのだが、あの女とはその直前まで一緒に旅をしていたのだ。

 

 その頃に盗られたのだとすると、私は自分が無一文のままで一週間もそれに気づかないでいたことになる。ルピーを使う機会がなかったのがその一番の原因だが、しかしいかに言っても私はあまりに無警戒すぎた。我ながら呆れてしまう。

 

 それにしても、この盗られっぷりは間違いなく盗賊の仕業によるものだ。つまりあの女はプロの盗賊だったわけだ。あの女は最初から私を標的に定めて、財布の中身を狙っていたのだろうか? 久しぶりに出た旅で幸先よく自分好みの美人と会うことができて、あわよくば「そういう方向」に話や雰囲気を持っていけたらとこちらが考えている間に、あの女はどうやって私からルピーを盗み出すのかについて考えていたのだろう。

 

 クソ、なんて女だ! 魔物だってそんなに陰険ではないのに! リザルフォスより酷い女だ!

 

 で、今頃あの女はここから遠く離れたところで、ニヤニヤしながら戦果の確認をしているのだろう。というわけで、もう犯人探しなどしても無意味だし、不可能である。

 

 いや、今の私には犯人探しなんかほっぽり出してでも第一に解決しなければならない問題があった。

 

 激しい動悸はまったく収まらなかった。しかし、心臓が爆発するのではないかと思わせるバクバクという音も今は全然気にならなかった。

 

「これじゃ昨晩の宴会の支払いが……できない!」

 

 昨晩の宴会の代金四百ルピーが、このままでは払えない!

 

 こんなことなら、昨晩は何もせずに早く寝ておくのだった。難所である双子山を無事に突破したお祝いとして、また新たに得た金髪の友人とさらに友好関係を深めるため、私は馬宿の店員に頼んで豪勢な宴(大量の焼いた肉と大量の果物と大量の酒という、洗練さの欠片もないものだった)を開いたのだ。

 

 新しい金髪の友人は実によく食べた。小柄だが、どこか高貴な優美さすらも感じられる端正な容姿をした彼は、汗一つかくことなく、しかし口と顎と喉を尋常ならざるスピードで動かして、せっせと胃の腑へと肉と酒を送り込んでいった。そのせいで当初は総計二百五十ルピーくらいで済むかと思っていたのが、結局さらに百五十ルピーも余計にかかったというわけだった。

 

 普通、馬宿では何もかも前払いでサービスを受けることなっている。しかし今回は宴会ということもあり、後から後から料理と酒を追加注文しまくったので、店員から「では、お会計は明朝のチェックアウト時に宿泊代とまとめてお願いします」と言われていた。

 

 たらふく飲んで食って、幸せな気持ちで寝台に横になった。あの時は確かに幸せの絶頂だった。

 

「いや、マジで、これはとんでもないことになった……」

 

 私は、起きてからいったいこれで何回目になるのかという言葉をまた口にした。

 

 金を盗まれていたとはいえ、これでは完全な無銭飲食である。

 

 店員に言い訳をしてみるか? 「実は一週間ほど前に泥棒に(ルピー)を盗られていたようで、それに気づかないままここの馬宿に来て、どんちゃん騒ぎをして、一晩経ってから金がないことにようやく気づきました。というわけで金が払えないので勘弁してください」

 

 いや、私自身ですら、金を失った経緯についてはあまりにも現実感に乏しいと感じているのだ。店員は確実に「嘘ついてんじゃねーよ!! このハゲ!!」と怒るだろう。ちなみに私はハゲていないが、西ハテールの人間は罵倒文句で「このハゲ!」とよく言うらしい、モノの本によれば。

 

 では、ツケにしてもらうか? 請求先を会社にすれば、とりあえずこの場で無銭飲食犯として糾弾されることからは免れられるはずだ。しかし……

 

「ダメだ、ダメダメ! あの姉がツケとか知ったらどうなることか……!」

 

 私はぶんぶんと勢いよく頭を左右に振った。二日酔い気味の頭は揺らされたことでさらに不快感を増した。しかしそれ以上に私の頭の中は、高額の宴会代を会社のツケにしたことに対して怒声を上げる社長兼編集長兼姉の姿のイメージで満たされていた。

 

「アンタ、また会社にツケしたやろ! ええ加減せえ! 給料減らすぞ! 仕事減らすぞ! アッカレに行かすぞ!」

 

 アッカレに行かされるのだけはゴメンだ。あんな何もないところに行かされると考えただけでスタル系の魔物のように痩せ細りそうだ。なんとしてでもそれは避けたい。

 

 私は決心した。

 

「仕方がない……最後の手段だ……」

 

 まだ日は完全に昇っていなかった。店内は薄暗かった。店員は起きているのかもしれないが、活動の気配が感じられない。私は足音を極力立てないようにして隣の寝台に行った。

 

「スゥ……スゥ……」

 

 そこで横向きになって静かに寝ていたのが、先ほど書いた例の新しい金髪の友人である。

 

 男でありながら男すらも魅了するような端正な顔立ち、優しげな形の眉に長い睫毛(まつげ)、スッと美しく通った鼻筋に、紅をつけたような唇、女性のようにきめ細やかな肌、小柄なのに強力でしなやかな筋肉と強靭な骨格を搭載した肉体……

 

 なにより目をひくのが、彼の金髪と蒼い瞳だった。金の波のような、収穫を待つばかりのタバンタ小麦の畑を思わせる豊かな金髪に、南海の海のように透き通った蒼い瞳を、彼は持っていた。

 

 百年前の大厄災前にはこのハイラル世界に数多く存在したと言われる、金髪碧眼のハイリア人……今ではめっきり数が減りまったく見られなくなったが、彼は伝承で言われるとおりのような姿形をしている。まるで、伝説の世界からそのまま出てきたようだった。

 

 私は、ゆさゆさと彼を揺さぶった。

 

「目を覚ませ……目を覚ますんだ……リンク……」

 

 名前を呼ばれた彼は、一瞬「うーん」と声を上げたが、しかしまた寝返りを打ってしまった。ずいぶんとねぼすけのようだ。私は諦めずにまた声をかけた。

 

「起きろ……起きてくれ……」

 

 力を入れて私は再度彼の肩を揺さぶった。だが、彼はなかなか起きなかった。これまでの道中で魔物を片っ端から撃殺して回ったほどバイタリティに溢れる彼が、朝なかなか起きられないというのはなかなか意外だった。

 

 私は少しばかり大きな声を上げた。

 

「リンク! 緊急事態なんだ! 起きてくれ!」

 

 彼、リンクは、緊急事態という言葉を聞くと、むくりと起き上がった。

 

「……うぅ、うーん……」

 

 毛布の下から出てきた彼の肉体の、その上半身に纏うものは、妙なロゴの入った赤いTシャツ一枚だった。下はズボン一枚だった。彼はあくびをした後に言った。

 

「ふぁぁ……なに?」

 

 眠たげな、そして少女のように可愛らしい顔をリンクはこちらに向けてきた。まだ意識が覚醒し切ってないのだろうか? 同性でありながら私は彼のとろんとした表情に一瞬ドキッとした。

 

 起きた直後の数秒間、いつもは夏空のように澄んでいる彼の蒼い瞳は、ぼんやりとして焦点が合ってないようだったが、それでも数呼吸の間に元どおりになっていた。彼は言った。

 

「うん、目が覚めてきた」

 

 彼は寝台の(ふち)に腰掛けた。それから青年らしい溌剌とした声で、それでいて周囲のまだ寝てる客に気を遣ってやや小さい声で、私に挨拶をした。

 

「おはよう。どうかしたの? 朝から随分慌てているけど」

 

 そう言うとリンクはまた軽くあくびをして、それから伸びをした。ネコのようなしなやかな伸びだった。ああ、彼はリラックスして朝の心地良いひと時を堪能している。そんな彼にこんなことを告げないといけないとは……私はぼんやりとそう思った。

 

 やるしかない。

 

 私はリンクの寝台の脇の床にガバッと平伏した。(ひたい)を床にゴリゴリと押しつけて、私は表現し得る限りの恭順さを示した。

 

 これぞカカリコ村のシーカー族に連綿と伝わる、誠心誠意で謝罪を行う作法の一つ、『ド・ゲザ』である。まさか自分で使うことになるとは……

 

 それから、リンクへ単刀直入に言った。

 

「すまん、リンク! 金貸してくれ……!」

 

 リンクは意外そうな声をあげた。

 

「えっ?」

 

 沈黙がしばらく辺りを包んだ。ややあって、リンクがおずおずと口を開いた。

 

「……昨晩の宴会の代金が足りなかった?」

 

 私はさらに平伏した。

 

「足りないどころか……ルピーをまったく持っていなかったことに、さっき起きた時に気づいたんだ……!」

 

 私は手短に金を盗られた経緯について説明をした。リンクはふんふんと合間合間に頷き、とても真剣に話を聞いてくれた。彼ならば私の話を嘘だとは思わないだろう。なんて良い奴なんだ。

 

「……というわけなんだ。だから、ここはリンクに金を借りるのが一番良い方法なんだ。恥を忍んで頼む! 金を貸してくれ!」

 

 話をしている最中、私は努めて平伏するようにしていたから、リンクの顔をはっきりと見れなかった。だから話を終えて顔を上げた時にリンクの表情を見て、これはなんだか雲行きが怪しいぞと直感した。

 

 リンクの顔は強張っていて、唇をかたく結んでいた。彼は腕を組み、両足を開いて床にピッタリとつけたままだった。そんな固い雰囲気を発しつつも、彼はどこか困ったように宙を見ていた。

 

 あっ、これはアカンわ。そう感じるのとほぼ同時に、リンクも口を開いた。

 

「ごめん、一ルピーたりとも持ってない」

 

 アカン。いや、だが私の聞き間違いの可能性だって残っている。一縷の望みをかけて私は訊き直した。

 

「すみませんリンクさん、一ルピーたりとも持っていないということは、つまり一ルピーたりとも持っていないということですか?」

 

 アホなことを言ってしまった。それでもリンクは答えてくれた。

 

「うん、まあ、その、一ルピーたりとも持っていない」

 

 私は言った。

 

「つまり、一文無しということですか?」

 

 リンクは頷いた。

 

「うん」

 

 衝撃! リンクも一文無しだったのだ。ガクリとその場に私は崩れ落ちた。

 

「万策尽きた……ああ、天、我を滅ぼせり……天、我を滅ぼせり……」

 

 クソ! 一文無しとは、リンクはなんて悪い奴なんだ!

 

 涙目になって床に崩れ落ちた私に、リンクが不思議そうな顔をして訊いた。

 

「たしかに、お金が払えないっていうのはとても嫌なことだと思う。でも、そこまで落ち込むこともないんじゃない? どうせ払えないんだったら、開き直って堂々としているほうが良いよ」

 

 涙ながらに私は反論した。

 

「それはこういう事態になった際の馬宿について、リンクがよくご存知ないからそう(おっしゃ)るんだよ!」

 

 リンクは首を(かし)げた。

 

「そうなの?」

 

 私はさらに言った。

 

「馬宿で無銭飲食をしでかした者は、馬糞と牛糞の拾い集め、肥溜のかき混ぜ、肥壺の運搬など、何故か屎尿(しにょう)に関する仕事をみっちりやらされるのが通例なの! これは無銭飲食者をなんらかの惨めな気持ちにさせるのが目的の一つとされているらしいけど……」

 

 リンクは納得したような声をあげた。

 

「なるほど、汚れ仕事はやりたくないと」

 

 私は答えた。

 

「そのとおりです!」

 

 そう、私はやや潔癖症気味の綺麗好きである。こんな習癖を持っておきながらこのハイラルの大地を駆けずり回る仕事を選んだというのはどんな因果からなのだろうか……ともあれ、いくら償いとはいえ、私は肥や糞に絶対に関わり合いになりたくないのだ。

 

 絶対に関わり合いになりたくなかったが、絶対に関わり合うことになってしまった。ああ、やんぬるかな……

 

 ちょうどその時、外でコッコが豪快な鶏鳴をあげた。牛の鳴き声も聞こえてきた。店員たちの寝台からも、人が起き出してくる気配がした。

 

 私はリンクと目を合わせられなかった。そのかわりに、彼の胸のあたりが私の目に入った。赤いTシャツ越しでも、鍛えられた筋肉と滑らかな肌がそこにあるのが分かった。

 

 こんなにカッコ良くて美しい体をしてるのに一文無しなのか、へぇー、一文無しなのかぁ……なんだか、世の中うまく歯車が噛み合ってないなぁ……それもこれも、全部大厄災のせいなんだよなぁ……

 

 そんな私たち二人に、突然横から声が投げかけられた。

 

「おはようございます! リンク様、ヨツバ様! よくお休みになられましたでしょうか? 朝食の後、お食事代と宿泊費を合わせてお支払いしていただきますので、まずはこちらをご確認ください……」

 

 そこにいたのは店員だった。恭しい態度、丁寧な言葉遣い、そして手には一枚の茶色の請求書……

 

 タイムリミットが来てしまった。ここはもう、破れかぶれになって店員に全てを話し、運を天に任せるしかない。奥義『ニン・テンドー』だ。

 

 煮るなり焼くなり好きにしてくれ……私は、正直に店員に全てを話すことにした。

 

 二回目の「ド・ゲザ」も会心の出来だった。

 

 それは、私たち二人の目的地であるカカリコ村に到着する、ちょうど五日ほど前の話だった。




 前々から書きたいと思っていた紀行文的なブレスオブザワイルド二次創作、ついに重い腰を上げて一話目を書いてみることにしました。作者のもう一本の作品とは違い、こちらはよりライトな雰囲気で、サラーッと話が流れるように書くよう努力するつもりです。だいたい一話四千字から五千字程度を考えてます。

 次回は主人公について、旅の発端、リンクさんとの出会いまで書ければ良いなと思ってます。どうぞお楽しみに!

※加筆修正しました。(2023/06/14/水)
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