ハイラルぐでぐで紀行   作:ほいれんで・くー

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その名は、リンク

 私は自分のことをかなりの常識人だと思っている。常識というものはどこか(いか)めしいものであるし、退屈なものでもあるが、やはり最後には私たちを守ってくれるものであると私は信じている。

 

 もちろん「常識によって損害を受けたり、最悪の場合殺される人もいるのではないか」という反論もあるだろう。だがそれは、常識そのものによって害を受けるというよりは、むしろ誤った知識や前提を「常識」と見做してしまうがゆえに害を受けるのだと私は言いたい。

 

 常識はあくまで善いものなのだ。しかし常識を身につけるのは難しい。ほら、言ったでしょう? 「誤った知識や前提を『常識』と見做してしまうがゆえに害を受ける」と。そんな人が大半なのだ。生きている限りみんな勘違いをするし、思い違いをするし、記憶違いをする。そうであるのに、私たちはそのことを意識していない。常に自分は正しいと思い込んでおり、謙虚な人であっても「確かに自分は間違っているかもしれないが、大まかな方向においてはさほど間違っていない」と思うのが関の山だ。まあ、「自分は正しい」と思っていないと、これまでに犯してきた無数の失敗が重すぎる重荷となって人生を歩むことすらできなくなってしまうから、ある程度は仕方ないとも思うが……

 

 何の話をしていたのか? そう、常識を身につけるのは難しいという話だった。確かに常識は一朝一夕に身につくものではない。特に、この荒廃したハイラル世界においては、常識らしい常識を身につける前に死んでしまう可能性が高い。魔物の数が多すぎるからである。しかし、適切な訓練と修練が優れた兵士や戦士を生み出すのと同じく、常識もまた、適切な訓練と修練を積むことで身につけることが可能であると私は思う。

 

 要するに、教育の問題なのだ。うわ、「教育の問題なのだ」とはなんてつまらないフレーズ! でも私は常識人であるからこのように言うのは仕方のないことなのだ。許して欲しい。

 

 教育によって、人は常識を身につけることができる。しかしそれにはいくつかの段階がある。そもそも常識とは何か、ということを考えなければならない。私は哲学者ではないから、ここは辞書に頼ることにしよう。辞書に頼るなんてまた平凡な、だって? しかし私は常識人だから仕方がない。

 

 辞書を引いてみると(辞書は古くて重くてでっかい、『現代ハイリア語大辞典』だ。「現代」とタイトルに書いてあるが、これが出版されたのは二百年前である)、「常識」とは、「健全な生活を送る上で一般的に必要とされる知識や思慮分別」と書かれている。なるほど、至極常識的な説明だ。そして分かりやすい。つまり、常識を身につけるには知識を得れば良いのである。

 

 本当かよ、と思う。私は自分のことを常識人だと思っているが、私に知識はあるのだろうか? どうもそうとは思えない。姉たちからはしょっちゅう「ヨツバはアホやなぁ」と言われているし、自分自身記事を書く時にはいつも「もっと知識があればなぁ」と思う。まあ、ここはひとまず自分の思いよりも辞書の記述の方を信頼しよう。それが常識的な考え方というものだ。

 

 知識を得るには、どうすれば良いのか? それは簡単だ。本を読んだり、賢い人から話を聞いたりすれば良い。できれば本は一つのトピックについて十冊くらい読みたい。人から話を聞くにしても、一人だけの話を聞くのではなく、いろんな地方でいろんな人から話を聞くのが良い。そうすればより正確な知識を得ることができる。正確な知識でない場合、正確な常識を得られず、結果として死ぬ可能性が高くなるから真剣にやらねばならない。

 

 なんとも羨ましい話なのだが、大厄災前のハイラル世界にはそこら中に学校があったという。どんなに辺鄙な地方の小さな村であっても、女神様の祭壇と学校だけは必ず存在したと伝えられている。学校では、知的な訓練を受けた教師の指導のもとで、本を好きなだけ思う存分読むことができた。だから、学校に行けば確実に一定の常識を身につけることができたのだ。ああ、羨ましい。今も学校があるならば(ゾーラ族やゲルド族の里にはまだ学校があるが)私はそこに通いたい。一生を生徒として過ごしたいと思う。

 

 先ほど私は、「私は自分のことを常識人だと思っているが、私に知識はあるのだろうか?」などと、なんだか殊勝なことを書いた。白状すると、この言葉には多少の照れ隠しと謙遜が含まれている。やはり私は、それなりに知識を多く持っていると思う。これまでけっこう本を読んできたし、いろんな人から話を聞いてきた。そればかりか、記事を書くことによって新しく知識を生み出すようなこともしてきた。その自負がある。私には知識があり、だから私は常識人であると言える。たぶん、そうだ。そう思いたい。

 

 それに、常識人であることは記者にとって必要不可欠な資質である。なぜか? 記者が書くべきことは、特に雑誌記者が書くべきことは、「変わったこと」でなければならないからだ。

 

 俗に「馬が人を噛んでも記事にはならない。それは普通のことだから。だが、人が馬を噛んだら記事になる。それは変なことだから」と言う。だが、そもそも「馬が人を噛む」ということを常識として知っていないと、この言葉の意味は理解できない。そして、「馬が人を噛む」ということを常識として知っているから、その逆である「人が馬を噛む」ということを「変なこと」だと考えることができるのだ。まあ私は「人が馬を噛んだ」なんて記事がさほど面白いものとは思わないが……

 

 繰り返すようだが、変なことを変なこととして認め、「こんなに変なことがありました!」と記事に書くには、記者が常識を持っていなければならない。だってそうでしょう。変な人はその本質からして変であるがゆえに、変なことを変なこととして認めることができないからだ。常識人だけが「変な記事」を書くことができる。

 

 この荒廃したハイラル世界には、実に多くの「変なこと」が溢れている。いつも変な事件が起こっているし、変な(ウワサ)が流れているし、変な場所もあれば変な魔物もいる。私のような記者にとって、話のネタに事欠くことはない。もっと世界が良くなって欲しいとは思っているし、もし世界がもっと良くなったら変なことは必然的に減るだろうから、そしたら私はきっと困ることになるだろうが、それはそれで仕方ない。世界のためだ、我慢しよう。それに、もっと良くなった世界にもそれなりに変なことは起こるだろうから、たぶん結局のところそれほど困ることもないはずだ。

 

 だが、ハイラルは未だに良くなっていない。今のハイラルには「変なこと」が溢れている。特に、「変な人」がたくさんいる! どこもかしこも変な人だらけだ。世の中が荒廃して乱れているからか? それとも、この世界で生きていくためには変な人にならざるを得ないからか? とにかく、変な人がそこら中にいる。決して退屈することはない。

 

 私はこれまで、いろんな記事でいろんな「変な人」を書いてきた。変な人たちには独特の魅力がある。ある意味で、今私が追いかけている納豆よりも魅力的だ。納豆は謎に包まれていて、端的に言えば変な食べ物であるが、そんな納豆を食べるような人はもっと変な人であろうし、さらに納豆を作るような人はもっともっと変な人であろう。

 

 私が記事を書く上でポリシーにしているのは、常に「変な人」を絡めて書くということだ。納豆の記事を書くにしても、ただねばねばしている納豆についてのみ書くのではない。納豆にねばねばと絡みついている変な人たちについて書くのだ。そうすれば自然と「納豆がどれだけ変なものなのか」を読者に知ってもらえる。

 

 常識人であるがゆえに私は変なことを愛しているし、その中でも特に変な人を愛している。愛しているから、私は変な人をすぐに見つけ出すことができる。それは一種の直感に近い。直感的に、私は変な人を見つけられるのだ。

 

 だからその時、私は目の前に降ってきた人間が「ハイラルの中でもぶっちぎりで変なやつ」であることを直感していた。

 

 私の持っている常識を全部ぶっ壊してしまうような、それほどまで変わった人間であることを、その時すでに私は()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 私が革のカード入れに名刺を戻している最中にも、戦闘は続けられていた。すでに書いたが、その人は(どうやったのかは知らないが)空中で無数の矢を放つと、それをすべてモリブリンに命中させた。屈強な体格をしたモリブリンは一瞬で生命力をすべて奪われ、大地に倒れた。瞬く間にモリブリンの死体が黒ずんで風化し、数秒後には、胃をムカつかせる臭気を纏った爆風を立てて、軽く弾け飛んだ。後には牙と角が残った。

 

 しかし、残った二体のモリブリンは突然仲間に惨劇が降りかかったのにもかかわらず、戦意を喪失しなかった。それどころか雄叫びを上げ、突如として新たに出現した人間に対して殺意を剥き出しにしていた。

 

 それでも、その人間はまったく動じていなかった。その人間は男だった。いや、女? いやいや、女の子ではない。流石に男と女の見分けはつく。女の子のように可愛らしい顔つきではあるが、彼は男で間違いない。

 

 彼の動きは素早かった。彼は鋭い剣を手にしていた。それは旅人の剣よりも遥かに優れた殺傷力を持つ「兵士の剣」だった。彼は一歩踏み込むと剣を振るい、右側に立つモリブリンの胴体を水平に斬った。目にも止まらぬ速さだった。モリブリンとて油断していたわけではなく、むしろ彼のことをよく見ていたのだろうが、そうであっても彼の動きはモリブリンの反応速度を完全に上回っていた。間を置かず第二、第三の剣が振るわれた。モリブリンはなすすべなく、縦横に傷口を作られて、あっけなく絶命した。この間、わずかに五秒も経っていない。

 

 三体の敵のうち二体を手早く片付けてしまった彼は、今や最後の敵を倒そうとしていた。今度は、彼もすぐに斬りかかっていくようなことをしなかった。三体目のモリブリンが、二人の仲間が瞬時にして敗北したことに何か異様なものを感じたのか、間合いをとって油断なくボコ槍を構えていたからである。

 

 彼と魔物は睨み合いをした。モリブリンの荒い、汚い呼吸音が聞こえた。しかし、彼の方はなにも音を発しなかった。

 

 私は、敵と対峙する彼の顔を見た。その可愛い顔には凛々しさがあった。

 

 彼は小柄だった。モリブリンと比較するまでもなく小柄だった。その手足は長かった。彼は細身で、あまり体重は重くないだろうと思われた。だが、その体からは一種の迫力のようなものが感じられた。あくまで、「迫力のような」ものだった。それは気迫というには弱すぎたし、殺気というには優しすぎた。それはいうなれば、余裕のようなものだった。

 

 私はこのような(たぐい)の余裕を、それまでに何度か見たことがあった。博打(バクチ)の達人には、常にこういう余裕がある。達人は決してこちらを威圧しないし、むしろいつも微笑みを浮かべているのだが、こちらとしては迫力のようなものに気圧される。ちょうどそれとそっくりだった。

 

 そんなことを考えているうちに、敵のほうが先に動いていた。睨み合いの緊張に耐えかねたように、興奮したモリブリンはイノシシの鳴き声そっくりの叫びを上げると、彼に向って真っ直ぐに槍を突き出した。槍の穂先は猛烈なスピードを伴っていた。どんくさい私なら避ける間もなく串刺しにされるだろう。

 

 だが、彼はそれをこともなげに避けた。避けるだけではなく、避けながら彼は敵に向かって突進した。すべては、瞬きを一回するかしないかのうちに(おこな)われた。気が付いた時には、彼はモリブリンの懐深くに入り込んでいて、無数の斬撃を送り込んでいた。

 

 モリブリンは槍を突き出した姿のまま絶命した。魔物は立ったまま黒ずんで風化し、いくつかの牙と角を残してこの世から消滅した。

 

 呆然として、私は、眼前で繰り広げられた一連の出来事を見ていた。まるで、白昼夢のようだった。あまりにも現実感に乏しかった。

 

 声がした。

 

「ふう」

 

 その声はたったの一言だったが、どこまでも涼しく、そして爽やかなものであるように感じられた。ハッとして、私は彼を見た。彼は剣を背中の鞘に収めて、手で(ひたい)の汗を拭っていた。その後、彼は周りに散らばっている魔物の残骸を拾い集め始めた。

 

 戦いは終わった。私は、戦利品を集めている彼の姿を改めて観察した。彼の最も目を惹く特徴といえば、やはりその金髪だった。綺麗な金髪だった。私もいちおう金髪を頭に生やしているが、私のそれが水垢のこびりついた銅製の安い壺であると例えるなら、彼のそれは収穫を待つばかりになったタバンタ小麦の畑のようだった。黄金の海に黄金の波。豊かさの象徴だ。その金髪の下から、長い耳が覗いていた。今時長い耳とは珍しかった。

 

 屈んでモノを拾っている彼の金髪が、吹き抜ける風に靡いていた。すげえ。私はそれに見惚れた。すげえ。こんな髪の毛は見たことがないぞ。

 

 彼は魔物の残骸を拾ってそれをポーチに入れると、今度は魔物が得物としていたボコ槍を手に取って検分を始めた。彼は穂先(ほさき)の具合を見たり、頭上で振り回したりしていた。びゅんびゅんという風を切る音が響いた。

 

 どうしよう、と私は内心焦っていた。いかん、完全に声をかけるタイミングを(いっ)してしまった。

 

 彼は間違いなく私の命の恩人である。彼は絶体絶命の危機にあった私の前にまるで魔法のように現れて、凶暴な魔物三体を相手にして一歩もひかず、そのすべてを打ち倒してしまった。命を救われた私は、当然彼に対して礼の言葉を述べるべきである。「どうもありがとうございます!」とか、「すまん、助かった!」とか、「センキュー! アナタサイコー!」とか、命を助けてもらったにしては月並みも極まるお礼の言葉だが、やはりそれは言うべきである。

 

 お礼を言わねばならないと思いつつ、私は何も言葉を発することができなかった。私はその場にぼさーっと突っ立って、ただ彼を見ていた。もし姉がこの場にいたら「何ぼさっとしとんねん! はよお礼いい!」と怒られるだろう。それでも私はなおもぼさーっとしていた。

 

「大丈夫?」という声がした。爽やかで、優しい声だった。

 

「はい!」と、半ば反射的に私は答えた。いつの間にか、彼が目の前に立っていた。彼は私を見ていた。透き通るような青い目だった。その目には、私の思い違いでなければ、私を気遣うような感情が込められていた。

 

「大丈夫?」と、彼はまた私に尋ねた。

 

「は、はい! おかげさまで大丈夫でございます! 元気ピンピンであります!」

 

 私は妙な返答をしてしまった。ちょっと気恥ずかしかった。彼はちょっとだけ怪訝な顔をした。彼はまた言った。

 

「本当に大丈夫?」

「本当に大丈夫であります! ていうか大丈夫です! 本当に!」

 

 彼は首を傾げた。そしてまた私に問いかけた。

 

「本当に大丈夫? 本当に?」

「本当に大丈夫です!」

「本当の本当に大丈夫?」

「本当の本当に大丈夫です!」

 

 命を助けてもらっておきながら、その時私は失礼にもほどがあることを考えていた。

 

 この人、変な人やなぁ。記事にしたらおもろいかもなぁ。

 

 彼がしつこいくらい私に「大丈夫?」と訊いてくるのは、大変ありがたかったが、やはり変だった。しかしまあ、それだけだったら、私は彼のことを「変な人やなぁ」と思うことはなかっただろう。女の子のように可愛く、しかし凛々しく、小柄で、綺麗な金髪に長い耳、そういった要素を持つ人間に対しては、いくら同じような問いかけを繰り返すからと言って「変な人やなぁ」と思うことはない。おそらくその前に「かっこいい人やなぁ」と思うのが普通である。

 

 だが、やっぱり彼は変だった。その理由は、彼の服装にあった。彼は奇妙なものを着ていた。彼は変わったデザインのシャツを着ていた。ぴったりと体に張り付くようなシャツで、長袖ではなく半袖であった。今時のハイラルにおいて、半袖のシャツはあまり見かけない。半袖だと強い日差しを防ぐことができないし、夜の寒さに耐えることもできない。虫にも刺されるし、(やぶ)を進む時には肌を切ってしまう。だからほとんどのシャツは長袖である。

 

 それ以上に珍しかったのが、シャツに描かれている紋様だった。赤地のシャツの胸のあたりには謎の紋様が染められていた。紋様は四角形で、その角が丸くなっている。四角形は二つあった。四角形の中に小さな円がいくつか描かれていた。

 

 さらに奇妙だったのは、その二つの四角形の下に書かれている文字列だった。見たことのない文字だった。列は二行にわたっていて、その意味は分からない。一行目には「NINTENDO」と書かれており、その下には「SWITCH」と続いている。謎だ。

 

 なんやこのシャツ? えらいけったいやなぁ。

 

 私がシャツを見ていることに気付いたのだろうか、彼も自分の着ているシャツに目を向けた。彼は言った。

 

「あ、このシャツが気になる? これは『アレのシャツ』っていうんだよ」

 

 私は答えた。

 

「ははぁ、『あれのシャツ』ですか」

 

 彼は頷いた。

 

「そう、『アレのシャツ』」

 

 私は言った。

 

「『()()シャツ』ですか?」

 

 私の言葉に、彼は首を左右に振った。

 

「違う違う、『アレのシャツ』」

 

 彼のイントネーションを聞いて、ようやく私は理解をした。

 

「なるほど、『アレのシャツ』ですね?」

 

 彼は頷いた。

 

「そうそう」

 

 彼の言葉を聞いて、私はなんとなく納得したような気持ちになった。『アレのシャツ』か。なんか良いな。『アレ』ね。私は彼のシャツをまた見つめた。なるほど、そう言われて見ると、確かにもうこれは『アレ』としか言いようがない。あえて言うなら、胸に描かれている紋様はこの世の背後にある大きな枠組みというか、構造というか、()()()()()()を表現しているような気がするし、文字列はこの世を生み出した神々の言葉というか、()()をそのまま表しているような気もする。そんな考えをまとめてたった一言で言うには、やはり『アレ』としか言いようがない。

 

 私は言った。

 

「まことにけっこうなお()(もの)でございます」

「ありがとう」

 

 彼はそう言うと軽く頷いた。なんてこった。彼の方が先に「ありがとう」と言ってしまったではないか! これ以上お礼を言うのを先延ばしにしてはならない。私は勢い良くお辞儀をすると口を開き、誠意を込めて大きな声で言った。

 

「先ほどは私の命を助けていただき、まことにありがとうございます!」

「うわ」

 

 突然大きな声を出した私に、彼はまったく驚いていない様子で驚きの声のようなものをあげた。私は続けて言った。

 

「まことに感謝の念に()えません! このようなまことに貧弱な品でまことに恐縮ですが、どうかお納めください!」

 

 しまった、「まことに」を三回も繰り返してしまった! そう思いつつ、私の体は勝手に動いていた。食料ポーチへと手を伸ばし、流れるような動作で食べ物を取り出すと彼に向かって差し出す。それは肉おにぎりだった。平原外れの馬宿で、今日の分の弁当として作ってもらったものだった。

 

 彼は言った。

 

「これは、おにぎり? 良いの?」

 

 私は言った。

 

「どうぞどうぞ! 元気いっぱい野原を駆け回ってすくすくと成長した若いシカを仕留めて、剥ぎ取った肉を炭火でこんがりカリカリになるまで焼いたものが贅沢に何重も巻かれたおにぎりです! どうぞお召し上がりください!」

 

 命を助けてもらったら、こちらが持っている食べ物をお礼として差し出す。それがこのハイラル世界の常識である。私は常識人であるから常識に従わねば気が済まない。

 

 彼は私のお礼を受け容れてくれた。

 

「そういうことなら、いただこうかな」

 

 彼は私の手から肉おにぎりの包みを受け取ると、さっそく葉っぱでできた包装を剥がして食べ始めた。

 

 それは凄まじい食事スピードだった。彼はよく噛んでいたが、その噛む速度は尋常ではなかった。通常の三倍くらい速かった。彼は瞬く間に一個を食べ終えてしまい、続けて二個目に手を付けた。おにぎりは全部で四個あったが、このままでは一分も経たないうちに全部彼の胃の中へ収まってしまうだろう。

 

 やっぱり、この人えらい変わってるわ。私はそう思った。アカン、めっちゃ記事にしたい。私の中でムラムラと執筆欲求の高まるのが感じられた。変な人を記事にしたい。変な人の記事は人気があるのだ。無論、その書き方にはかなり気を遣う必要があるが(そうであろう、その記事のせいでその変な人が人々から笑われるようになる、などということは絶対に避けねばならない)、とにかくこの人の記事を書きたい。納豆の記事なんか放っておいて、この人について書きたい。

 

 たぶん、この人の記事はめっちゃ人気が出る。私の記者としての本能がそう告げていた。

 

 そのためには、正式に取材を申し込む必要がある。まずは、こちらから名乗らねばならない。

 

 むっしゃむっしゃとおいしそうな音を立てておにぎりを食べている彼に向かって、私はまた口を開いた。

 

「どうか名乗らせてください。わたくし、ヨツバと申します。雑誌『ウワサのミツバちゃん』の記者をしております。どうかお見知りおきを。これ、名刺です」

 

 あ、やべ! 熱意に(はや)って、またもや私はミスを犯してしまった。彼が食事の真っ最中であるにもかかわらず、私は彼に向かって名刺を差し出してしまったのである。私は両手で名刺を持ち、腰を正確に三十度の角度に曲げて彼に向かってお辞儀をしていた。お辞儀はきっかり一秒と半分キープした。

 

 その僅かな時間の間に、私は後悔の念に苛まれていた。いかん、やっちまった! こっちが名刺を差し出したら、向こうとしても受け取らないわけにはいかない。向こうは今おにぎりを食べているというのに!

 

「なにごともタイミングが重要なんや」とミツバ姉はよく言っていた。「愛の告白にしてもそうや。相手がトイレに行きたいのを我慢してる時に愛の告白なんかしたら、それだけで一巻の終わりやで。名刺交換にしても同じことや。タイミングを見なアカン」 私はその姉の教えを真正面から破ってしまった!

 

 しかし、相手は流石に私の見込んだ「変な人」であった。彼はお辞儀をする私に向かってごく自然に、さりげなく、しかもまったく失礼ではない感じで言った。

 

「ごめん、ちょっと待って。もう少しで食べ終えるから」

 

 素晴らしい。私は素直にそう感じた。私は即座にお辞儀の姿勢を解くと名刺をカード入れに戻した。私は彼を見た。彼はすでに最後の一個を食べ終えるところだった。この人は良い意味で常識に囚われていない。彼は私の常識をやんわりと拒否したのだ。これはなかなかできることではない。たかが名刺交換で何を言うかと思われるかもしれないが、これは大したことなのだ。

 

 私は常識人であるが、常識というものの害を知っている。常識とは人を守るものであるが、守るものであるがゆえに人を縛るものともなり得る。私は名乗る時に名刺交換をしなければならないという常識に囚われていた。そのために、私は彼の食事を妨害するということをしでかした。だが彼は、この場においてどちらも常識を守り続けるとなると、結局どちらも害を(こうむ)るであろうことを悟ったのだ。害というのはつまり、彼はおにぎりが食べられなくなり、私は恥の上塗りをするということである。

 

 この人は私に恥をかかせないようにしてくれた。その時の私は純粋に感動していた。あとになって、どうやらそれは単に彼が食いしん坊でかつマイペースだっただけであり、別に私の常識だの恥だのといったことまでは考えていなかったことが分かったが、とにかく私はその時救われたような心地がしていた。

 

 彼は無事におにぎりを食べ終えた。咀嚼して飲み込むと、「ふう」と言ってお腹を両手でポンと叩いた。最高の食べっぷりだった。

 

 私は改めてカード入れから名刺を取り出すとそれを両手で持ち、腰を正確に三十度の角度に曲げて彼に向かってお辞儀をした。そして誠心誠意の真心を込めて言った。

 

「先ほどはお食事の最中にまことに失礼を致しました。どうか改めて名乗らせてください。わたくし、ヨツバと申します。雑誌『ウワサのミツバちゃん』の記者をしております。どうかお見知りおきを。これ、名刺です」

「記者のヨツバさんね。どうもご丁寧にありがとう」

 

 彼は私の名刺を受け取った。彼はごく自然に、力みもせず、私の名刺を()()()受け取って、しかも軽くお辞儀までした。すごいぞ、と私は思った。これほどまでに常識に(かな)った作法で名刺を受け取ってもらえたことは、これまで数えるほどしかなかった。

 

 名刺を受け取ると、彼はまず表側に目を走らせた。次にひっくり返して裏面を読んだ。彼は満足そうに頷くと、一転してどこか深刻そうな表情を浮かべ、私に向かって口を開いた。

 

「ところでヨツバさん、本当に大丈夫?」

「はい?」

 

 私は間抜けな声で返答してしまった。彼がまたもや「大丈夫?」と訊いてくるのは予想していなかったからである。彼はまた、念を押すように言った。

 

「本当に大丈夫?」

「ええ、まあ」と私は答えた。「大丈夫ですよ」

 

 何が「大丈夫?」という問いの対象であり、それがどうして「大丈夫ですよ」なのか自分でも分からなかったが、とにかく私は「大丈夫ですよ」と答えざるを得なかった。まさか自分でもよく分かっていないのに「いいえ、大丈夫じゃないです」と言うわけにもいかない。

 

 彼は言った。

 

「本当の本当に大丈夫?」

 

 私は答えた。

 

「本当の本当に大丈夫です。ええ、大丈夫」

 

 彼はまた言った。

 

「本当に? 大丈夫なの?」

 

 そこまで言われると、私もだんだん不安になってきた。どうやら彼の目から見て、私には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしい。

 

 私は幾分か弱った口調で答えた。

 

「ええと……あの……もしかして大丈夫じゃないかもしれません」

 

 彼の顔が明るくなったのが分かった。

 

「ほら、やっぱり! 大丈夫じゃないんじゃない?」

 

 私は考えた。考えてから、私は答えた。

 

「大丈夫……じゃない可能性があります」

 

 彼は言った。

 

「可能性じゃなくて、本当に大丈夫じゃないんじゃない?」

 

 私はしばらく考えた。そして、原因は分からないながらも「私は大丈夫ではないのだ」と結論した。そして彼に答えた。

 

「はい、私は大丈夫ではないです!」

「ああ、そうだと思った……」

 

 彼は溜息をついた。私はドキドキと心臓が高鳴るのを感じつつ、彼がまた口を開くのを待った。やがて、彼は自分の頭を指で示してから言った。

 

「だって、ものすごく大きな皮下血種(タンコブ)が頭にできてるから、ちょっと心配になっちゃって。でも、もしかしたら()()()()()()()()頭にタンコブがあるのは常識なのかもしれないと思ったから、しつこく訊いちゃったんだ。ごめんね」

 

 私は叫んだ。

 

「ああっ!?」

 

 そうだった! 私はバナンナさんに……いや、あの物狂いバナナジャンキ―に背後から殴られたんだった! 今まで魔物に襲われたり助けられたり名刺交換をしたりするのに忙しくてそのことをすっかり忘れていた!

 

 瞬時に激痛が復活した。

 

「ぐおおおっ!」

 

 あまりの痛さに思わず私はしゃがみ込んだ。私は情けなく呻き声を漏らした。

 

「痛いよぉ、頭が割れるように痛いよぉ……」

 

 私の様子を見てとると、彼はすぐに私のそばへ寄ってきた。彼は言った。

 

「手当てするよ。ちょうど良いものを持ってるから。ちょっとじっとしてて……」

 

 彼は私の背後に回ると、何かとてつもなくヒンヤリとしていて、しっとりとしていて、もっちりとしているものを私のタンコブに当てた。冷たい!

 

「な、なんすかこれ!?」と私が悲鳴を上げると、彼はなんということもないという風に答えた。

 

「白チュチュゼリー。タンコブを治すんだったら冷やすのが一番でしょ?」

 

 白チュチュゼリーをタンコブに密着させると、彼は私の頭に包帯を巻き始めた。ちょっと巻き方がキツイような気もしたが、彼の手つきは丁寧で、しかも優しかった。

 

 私の目から涙がこぼれ落ちた。生命の危機を脱したという実感がようやく胸に募り、かつ彼の純粋な優しさが心に沁みたからであったが、それ以上にタンコブが痛くて痛くてたまらなかったからである。

 

 怪我をしたヒツジがヒツジ飼いに包帯を巻かれるがごとくされながら、私は彼に言った。

 

「あの……もしよろしければ、お名前をおうかがいしてもよろしいでしょうか?」

 

 彼は手を休めずに言った。

 

「リンク」

 

 リンクか。ええ名前やなぁ。私はしみじみとそう思った。




 やっとリンクさんを書くことができた……
 今回、リンクさんにとっては第一村人発見という感じです。

※加筆修正しました。(2023/06/17/土)
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