ハイラルぐでぐで紀行   作:ほいれんで・くー

12 / 15
「これが仕事みたいなもんだし」

 ことわざに言う、「小石が積み上がってデスマウンテンになる」 小さい頃、私はこの言葉によって一ルピーといえども大切にすることを教育された。

 

 だが、このことはもちろんルピーに限った話ではない。仕事についても同じことが言える。

 

 そう、「まあ、今じゃなくても良いだろう」と思ってほったらかしにしていた小さな仕事が、気付いた時には手に負えない量になっているのだ。領収書の整理だとか、お礼状の送付だとか、日記の作成だとか……綺麗で何もなかったはずの机の上に、いつの間にか伝票だの手紙だのメモだのが山積みになっている。それこそデスマウンテンのように。いや、「ように」ではない。まさにデス(死の)マウンテン()なのだ。

 

 ああ、恐ろしい。これからこなさなければならない仕事の多さを目の当たりにするのは恐ろしいが、それ以上に、これまで自分がどれだけ怠けていたのかを眼前に突き付けられるのが恐ろしい。あんた、いつも偉そうなことばかり言うとるけど、所詮はただの怠け者やないか!

 

 そのとおり、弁解の余地はないです。ただ一言弁解を許してもらえるのなら、それは決して怠けていたからではないのだ、と言いたい。「まあ、今じゃなくても良いだろう」という考えは、なにも怠けたいという気持ちから生まれたものではなくて、いちおうそれなりに仕事の優先順位について考えた上で出した結論なのだ。

 

 三百年ほど前に活躍した詩人にして作家であるダベンラーは、仕事について「重要であるか、それとも緊急であるか」で優先順位をつければ良いと述べている。彼によれば、最も優先しなければならない仕事は「重要であり、かつ緊急である仕事」だという。

 

 たとえば私のような記者の場合、「重要であり、かつ緊急である仕事」は次号掲載分の記事の執筆である。記事を書くことは次号にとって重要であり、かつ締切が迫っているので緊急だ。なにをおいても記事を書かなければならない。腕が折れようが、風邪をひこうが、家の外を魔物がうろついていようが、記事をさっさと仕上げなければならない。

 

「でも『重要であり、かつ緊急である』と思ったら、そのせいで心が萎縮して上手く記事が書けないんじゃないの?」という人がいるかもしれない。ご心配なく、そういうことはありません。こういう時には却って、私たちのような記者は大変集中することができる。「時間がない」という事実が、私たちの仕事をする能力を大幅に引き上げてくれるのだ。

 

「ええ、ほんとかなぁ?」と思うなら、実際に「豆運びゲーム」をしてみれば理解できる。そのようにダベンラーは言っている。それは三分以内に、豆がたくさん入ったボールから、箸で豆を一粒ずつ摘まんで隣の皿へ移す単純なゲームだ。最後の方になるにつれて、きっとあなたの集中力は増し、箸の動きは正確で素早くなるだろう。

 

 さらに、残り時間をその都度知らせてやるとプレイヤーの仕事量が増えるとも、ダベンラーは言っている。残り時間を知らされていないプレイヤーよりも、「残り一分」とか「残り三十秒」とか、さらには最後の十秒のカウントダウンを告げられている人間の方が豆を運ぶ量が多くなる、らしい。「らしい」と言うのは、私はこのゲームを試した時、「あかん、もう時間があらへん!」と焦ってしまって、却って豆を落としまくったからである。まあ結局、「人それぞれ」という便利だが何も内容のない結論に落ち着くのかもしれない。

 

「豆運びゲーム」という例が適切かどうかはさておいて、仕事を上手くこなす上で「重要か、緊急か」という考え方が有効であるというダベンラーの意見には、それなりに説得力があるように思える。

 

 それならなぜ仕事は減ることなく、むしろ山のように溜まり続けていくのか? なぜ常に時間に追われ続けることになるのか? ダベンラーによると、仕事が溜まってしまうのは「人間は、重要だが緊急ではない仕事を先送りにする傾向があるからだ」という。

 

 部屋の片付けは重要だ。部屋が汚くなると住み心地が悪くなるし、虫が湧くかもしれない。手紙を出すことは重要だ。出さないと、相手の心証が悪くなるかもしれない。伝票の整理は重要だ。バラバラになっていると後で経費を請求する時に困るかもしれない(いや、確実に困るだろう)。だが、それらは「緊急」ではない。そんなことよりも他に緊急にこなさないといけない仕事がある。今は、原稿を書かねばならない。だから先送りにしよう。後になって困るのは目に見えているが、()()()()()()。とりあえず先送りにしても問題はない。

 

 それで、いつの間にか部屋は汚くなっている。虫がそこらじゅうに飛んでいる。出さねばならない手紙は書かれずじまいで、相手の心証は悪くなるどころかこちらのことをとっくに忘れてしまっている。伝票は他の書類の下に埋もれていて、見つけ出すことすら困難だ。整理なんて思いもよらない。かくして先送りにしていた「重要であるが緊急ではない」仕事がいつの間にか「重要であり、かつ緊急である」仕事に変貌し、しかも膨大な量になっている。それを全部やりおおせるには、とても時間が足りない。

 

 こんな状態になると、「時間がない」というその事実が私たちを締め上げるようになる。私は先ほど、「時間がない」という事実は私たちの仕事をする能力を大幅に引き上げてくれる、と書いた。だが、こうなるとそんなちゃちなボーナスなどすべて消し飛んでしまう。

 

 いろんなことが気になって、もはや仕事に集中することができない。だからよりいっそう、目前の「重要であり、かつ緊急である」仕事に集中するようになる。そして他の仕事は放っておかれる。究極の悪循環だ。一度これに囚われると脱出するのは本当に難しい。

 

「時間がない」という切迫感は、「お金がない」というのと同じくらいつらいものなのだ。余裕がなくなり、人格が歪む。馬鹿になる。アホになる。後先考えられなくなり、そして誰からも愛されなくなる。なんということだ。じゃあ、いったいどうしたら良いのか?

 

 私としては、いや私も常に時間に追われている身であるからこのように処方箋めいた考えを表明する資格があるのか怪しいものだが、とにかく私としては、まず「緊急ではない仕事なんて存在しない」と認識するのが大切だと言いたい。

 

 前述したダベンラーも、なんだか(さか)しげなことを言っていたが、評伝によると彼は「常に仕事に追われまくり」「いつも追い詰められたような顔をしていた」という。重要か、緊急かという分け方をしても、仕事は決して減らないのだ。仕事とは仕事である以上、本質的にすべてが重要であり、すべてが緊急である。じゃあ、どうする?

 

 大切なのは、知恵と力と勇気の三つだと私は思う。

 

 まず、知恵を使って計画を立てる。それもなるべく長期的で、包括的な計画だ。ある仕事を未来の特定の時間、特定の期日にやると決めるのは、決して先送りではない。先送りというのは、何も考えずに「とりあえず今はやらない」と決めることだ。計画とはよく考えた上で「ある時にあることをやる」と決めることだ。ほら、似てるようで違うでしょ?

 

 それでも溜まっている仕事はある。それを力で解決する。それに、計画を遂行するにはいつだって力が必要なのだ。その時その時に持てる力をすべて傾けて、一個ずつ仕事を片付けていく。力を集中させればボーナスが得られる。力を傾ければ、どんなに難しい仕事でも必ずこなすことができる。それに、力が込められた仕事は質が良くなる。自分の持つ力がどの程度のものであるかを把握して、それを余すことなく使い切る。

 

 しかしながら、最終的に拠り所となるのは、やはり勇気だろう。計画は立てたし、仕事に注力はしている。それでも仕事はまだまだたくさんある。これ、全部終わるのかいな? 終わるのだ。仕事は計画通りに果たされる。とにかくそれを信じる。勇気とはつまるところ、信じることによって生まれるものだ。より良い未来を信じることで、目の前の仕事や、難しいことに立ち向かう勇気が湧いてくる。勇気を持とう。なにも伝説の勇者ほどの勇気でなくとも良いが……

 

 知恵と力と勇気。この三者があればもはや仕事に追われまくることはない。これで安心だ。

 

 そんなわけは、ない! そんなに簡単に話が済むなら誰も苦労しない。そもそも、知恵も力も勇気も欠けているのが私たち人間なのだ。そのいずれかひとつだけでも備えていれば、それだけでもう伝説になれる。そして、私たちはどこまでいっても凡人であり、伝説にはなれない。

 

 なんとも悲しい結論になってしまった。しかし、希望はある。

 

 次のようなことを想像してみて欲しい。バリバリと仕事をこなし、頼んでもいないのに次から次へと仕事が持ち込まれていたある人が、ある時突然の事故に見舞われ、長い眠りに就かざるを得なくなった。彼の目が覚めた時にはなんと百年も時間が経過していて、しかも彼がこなさないといけない仕事はまったく消えておらず、むしろ増えに増えていて、百年分も溜まっている。普通の人間にとって、それはとてもどうにかなるものではないと思える。

 

 こんな状況においても、彼はそれをどうにかすることができるのだろうか?

 

 できるのだ。なぜなら、彼は百年間も眠っていたからである。彼は常人よりも遥かに長い時間を過ごし、ついには時間すら超越した。彼には知恵もあり、力もあり、勇気もあるが、その上時間すらも我がものとしている。彼にとって眠りは停滞ではなく、時間という枷から解き放たれるために必要なものだったのだ。

 

 彼が時間に追われることはない。マイペースに、気の向くまま、そこらへんを散歩するかのようにゆったりとして、彼はやらなければならない仕事をごく自然に(ワイルドに)にこなしていく。

 

 そんな彼を見たら、きっとこう思うだろう。

 

 ああ、世界を良くするのはこういうふうな人なんやろなぁ、と。

 

 

 リンクの仕事は大変手早く、そして丁寧だった。私の頭にできたタンコブは今や白い包帯に巻かれていて、厳重に保護されていた。

 

 さぞかし、今の自分はミイラ(ギブド)のように見えるだろうと私は思った。かつてのハイラルにはギブドなるものがいたらしい。魔物の一種だ。今のハイラルで見かけることはないが、昔の『魔物図鑑』の類にはしっかりと絵入りで解説されている。包帯でぐるぐる巻きにされた人型の魔物で、包帯を取るとリーデッドという別の魔物へ変化したらしい。昔はいろいろと大変だっただろうなぁと思う。

 

 リンクは私から少し離れたところに立つと、自分の仕事ぶりを確かめた。しばらく眺めた後、彼は納得したように軽く頷き、私に言った。

 

「応急処置はしたけど、念のためにちょっと休んだ方が良いと思う」

 

 彼の言うことは正しかった。悲しいことに人間はありとあらゆる傷を負うことを宿命づけられているが、その中でも特に頭部に負った傷を甘く見てはいけない。階段から落ちるなどして頭を強く打ち、落ちた直後は「大丈夫、大丈夫」と強がって治療を受けなかった人が、その日の夜になってひっそりと息を引き取るなどということはざらにある。私の故郷の村に住んでいたロセリじいさんがそうやって死んだのはわずか数年前の話だ。

 

 しかし、私は首を左右に振った。

 

「リンクさんのおっしゃるとおりだと思いますけど、ここで休んでいるわけにもいかないんです」

 

 彼は首を傾げた。ふんわりと彼の金髪が揺れた。絵になるなぁ。彼は言った。

 

「なんで?」

 

 私は答えた。

 

「ひとつには、私にはやらなければならない仕事があって、あまり休んでばかりもいられないということがあります」

 

 とっくの昔に仕事が山積みになっている。予定表には書くべき記事の締切がびっしりと書き込まれている。あまり休んでばかりもいられないというか、休むわけにはいかないのだ。

 

 リンクは「うーん」と唸った。彼は言った。

 

「仕事と命だったら、命の方が大切だと思うけど」

 

 もちろんそのとおりだ。彼の言っていることは正しい。でも、私は仕事云々(うんぬん)以上に()()()()()()()()()()()()()()。それは理屈ではなかった。私の感情の問題だった。不吉なことが起こったこの地から早く離れたいと私は思っていた。だが、感情を口に出すにもなんらかの理屈が必要になる。それが大人というものだ。大人とはまことに生きづらい生き物である。考えつつ、私は彼を見た。

 

 彼も私を見た。彼の澄んだ青い目は私の頭部に向いていた。彼は明らかに私のことを心配していた。一方で、私の視線は彼の腰へと向いていた。なにやら、奇妙な石板が腰からさがっていた。見たことのないものだった。石板と私は言ったが、石にしてはどこか軽そうな印象も受けた。石板にはオレンジ色を纏った複雑な紋様が刻まれていた。

 

 人の持ち物に視線を注ぐというのは不躾な行為である。だが、私の視線に気付いたリンクは、気分を害したふうもなく言った。

 

「これ、気になる?」

「あ、すみません、ジロジロ見てしまって……」と私は答えた。

 

 しかし、機を逃さずにまた私は言った。これはネタになるかもしれない。

 

「変わった一品ですね。私は職業柄、これまでハイラル各地で色々なものを見てきましたが、このような品は見たことがありません。なんていうものなんですか?」

 

 彼は答えた。

 

「シーカーストーン」

 

 シーカーストーン。その名前の響きは「すとーん」と私の胸に飛び込んできた。いや、アホか。でもそうだったのだから仕方ない。リンクは私が見やすいように、シーカーストーンを前にかざしてくれた。確かに、よく見てみるとその紋様はシーカー族のあの涙目の紋様そのものだった。目の部分が青白く光っていた。

 

「どんなことに使うんですか?」と私は尋ねた。記者というものは尋ねずにはいられない生き物なのだ。実にうざったい生き物である。

 

 リンクはシーカーストーンを腰に戻しつつ、端的に答えた。

 

「いろいろ。仕事とかに」

 

 なるほど、仕事道具だったのか。私は納得した。世の中には屋根瓦製造職人からチュチュゼリー養殖業者まで、実に多種多様な仕事がある。このシーカーストーンという見るからに変わりに変わっている道具を使うような、変わりに変わっている仕事もきっとあるのだろう。リンクはその仕事に従事しているに違いない。

 

 私は手帳と鉛筆を取り出してメモをした。一人頷きつつ字を書いていると、リンクが言った。

 

「メモをするより、ちょっと休んだ方が良いと思うよ」

 

 ちょっと咎めるような口調だった。私は頭をかこうとし、そういえば頭にタンコブがあったと思い出して、やめた。

 

「すみません……これは性分のようなものでして……」

 

 そう言いつつ、私はこの場から離れなければならない理屈をようやく思いついていた。私は続けて口を開いた。

 

「リンクさんがおっしゃることはごもっともなのですが、やはりここから離れなければなりません。というのは、ここら一帯は特に魔物が多い土地だからです。それに、ついさっきここで起こった戦闘の気配を周囲の魔物たちは感じ取ったものと思います。きっと『なにがあったのか』と近寄ってくるでしょう。魔物は馬鹿ですけど好奇心が旺盛ですからね。今もこうして話している間に魔物たちはこっちに来ているかもしれません。すぐにこの場を離れるのが得策ではないとか思うんですが……」

 

 リンクは顎に手をやり、しばし考えるようだった。やがて彼は言った。

 

「そういうことなら、ヨツバさんが安全なところに行くまで一緒について行くよ」

 

 なんて優しい申し出なんだ! 私は感動した。このリンクという青年には、今時のハイラルには珍しいくらい善良な心があるらしい。それとも単にお人好しなんだろうか? しかし、そこまでしてもらうのはいかにも申し訳ない気がした。私は彼に言った。

 

「そうおっしゃっていただいて本当に嬉しいんですけど、そこまでしていただくのは……」

「気にしないで。さあ、行こう。魔物が近寄ってきてるかもしれないんでしょ?」

 

 彼はそう言うと、手振りで私を促して歩き出した。私は彼に従うことにした。確かに、ここで「いいですって」「いやいや」で時間を浪費するのは良くない。すでに取材めいたことでぐでぐでと時間を使ってしまっている。時間は貴重なのだ、言うまでもなく。仕事も溜まっているし……

 

 だが、私の行き先も訊かずに歩き出すとは、彼も少し変わっているというか、マイペースというか……私はそう思った。しかし、彼の行く先は確実に安全だろう。彼ならばきっと、どんな敵が来ても蹴散らすことができる。

 

 彼が私についてくるのではなく、私が彼についていくのだ。

 

 彼はどんどん宿場街跡地の道を進み、ハイリア川にかかるモヨリ橋方面へと歩いていった。私は早足で彼を追った。彼の応急処置のおかげで、頭の痛みはほとんど感じられなかった。

 

 私とリンクは隣同士並んで歩いた。私は彼に言った。

 

「あの、リンクさん。リンクさんはこれからどちらに向かうのですか?」

 

 彼は涼やかな声で答えた。

 

「カカリコ村。とりあえず今日は、あの向こうに見えてる双子山まで行こうと思ってる」

 

 私は彼の目線の先を見た。遠い彼方に、鋭利な刃物か何かで天辺(てっぺん)から縦に真っ二つにされたような形の双子山が聳え立っていた。双子山は青かった。双子山はハイラル百名山の一つである。似たような形の二つの山体が仲良く隣り合っているその有様から「双子山」という名前がつけられたらしい。双子というものがそこまで仲が良いものだとは私には思えないが、まあ名前をつけるという行為にはそういういい加減な面がある。

 

 それにしても、リンクの行き先がカカリコ村とは都合が良い。もし私が小説の主人公か何かで、これほどまでに主人公にとって都合の良い筋で話が運んだら、読者はきっと呆れて本を投げ出してしまうのではないか。それくらい都合が良すぎる。

 

 いや、その場合、リンクの方が主人公なのではないか? そうだったら私はさしずめ村人Aとか、通行人Bといった脇役だろう。リンクが主人公ならば、都合が良いことが起こっても不思議ではない。なんというか、彼にはそういう雰囲気がある。

 

 なんにせよ、ありがたい。私は内心でハイラルの神々に感謝しつつ、リンクに言った。

 

「実は、これから私が仕事で行こうとしているのもカカリコ村なんですよ。一緒に行っても良いですか?」

 

 彼は頷いた。

 

「もちろん」

 

 やった、これで道中魔物に怯えないで済む! 私は内心ではしゃいだ。しかし、リンクの様子を見てすぐに冷静になった。

 

 彼は先ほどまでとは打って変わって、今や警戒するような顔つきをしていた。何かの気配を感じ取ったのだろうか? 私は周囲を見回した。東の宿場町跡地は荒廃しきっていた。古い馬車が街道の脇で朽ちていて、植物と半ば同化するようになっていた。黒っぽい建物の廃墟はどれもこれも崩壊していて、天井が抜けていた。

 

 魔物がいるのだろうか? その可能性は高い。だが今のところ、私は何も感じ取ることができなかった。

 

 草むらの中から乱雑な羽音が響いてきた。一瞬、私は緊張したが、それはガンバリバッタが飛んでいく羽音だった。それに合わせるかのように、左手の高台に広がる森の方からシカの鳴き声が聞こえてきた。それ以外は、風の鳴る音しか聞こえなかった。大気の息吹は冷たく、清涼だった。

 

 突然、刀身が鞘の中を滑る音がした。ハッとして隣を見ると、リンクはいつの間にか右手に剣を持っていた。彼は油断なく周囲に視線をやりつつ、しかし臆することなく堂々として先へと進んでいった。私と違って、やはりリンクは何かに気付いているようだった。私は小声で彼に言った。

 

「リンクさん、リンクさん……何かいるんですか……?」

 

 私の問いに、彼は軽く頷いた。

 

「いる。でもこの近くじゃない。もっと先かな。音が聞こえる」

 

 彼の返答を聞いて、私の精神はまたもや一気に緊張した。この歳になっても魔物は怖い。私はもっと声を小さくして彼に言った。

 

「この先といえば、モヨリ橋があります。ハイリア川に架かっている橋です。ここらあたりだと一番大きくて立派な橋ですよ……」

 

 リンクは半分の耳で私の言葉を聞き、もう半分の耳で別の音を探っていた。彼は優れた戦闘技術だけではなく、優れた感覚器官をも有しているらしい。しばらく耳を澄ませた後、彼は言った。

 

「急ごう。この先で誰かが魔物と戦っている。苦戦しているみたいだ」

 

 私は言った。

 

「それは大変だ! 早く行きましょう!」

 

 私とリンクはその場から駆け出した。リンクの足は早く、どんどん先へと進んでいった。飛ぶような速さだった。まるでオオカミだ。私は息を切らしながらそう思った。きっと彼の前世はオオカミかなにかであったに違いない。じゃないとこの足の速さは説明できない。オオカミのような速さの彼に比べると、私の走りはまるでウシのようだった。もちろん健康なウシではなく、病気で死にかけているウシである。

 

 数分走って、私はようやくその場所に着いた。リンクはすでにそこに立っていて、状況を観察していた。私は眼前に広がる光景に息を呑んだ。

 

 魔物たちがいた。魔物はボコブリンだった。青いのが一匹に、赤いのが三匹いた。魔物たちは、どこで手に入れたのか木のモップや畑のクワや錆びた剣といった得物を手にしていて、半円を描くようにしてある人を包囲していた。緊急事態だ。

 

 その人は、兵士の槍を手にしていた。若い男性だった。男性は橋の入口の階段の上に立ち、盛んに叫び声を上げて魔物たちを威嚇していた。

 

「来るなら来いっ! 俺は一歩も退かんぞ! この橋は俺が守る!」

 

 彼の顔には見覚えがあった。あの短い髪型と特徴的な眉、険しい目つき……間違いない。

 

「ハッシモだ……」と私が言うと、リンクは「知り合い?」と訊いてきた。

 

「ええ、前に何度か会話したことがあります。妙に義侠心に富んだ人で、腕もちょっとは立つんですが、流石にあれだけの数の魔物を一人で相手にするのは……」

 

 私がそう言うと、リンクは頷いた。

 

「わかった。なんとかする。ヨツバはちょっと隠れてて」

 

 廃墟の陰へとリンクは指をさした。私はそこへ移動した。包帯の巻かれた頭だけを建物の陰から出して、私は成り行きを見守った。はたしてどうなることやら……? リンクの実力ならば心配はいらないと思うが、どうやってあの数の魔物と戦うのか、私は気になった。

 

 リンクの行動は素早かった。彼は少し距離を詰めると口に指を当て、指笛を一声吹いた。タカの鳴き声よりも鋭い指笛だった。ハッシモと対峙していた魔物たちは一斉にリンクの方を向いた。

 

 私は彼の行動を見て呆気にとられると同時に、「いや、なんでやねん!」と小さく叫んでいた。てっきり、魔物たちがハッシモに気を取られている間に後ろからこっそりと近づいて、奇襲(ふいうち)をかけるものだと思っていたからである。

 

 魔物たちはリンクの姿を見ると、ブゴブゴという邪悪なイノシシのような鳴き声を上げながら、ハッシモに背を向けて彼に迫っていった。

 

 しかしリンクは動じなかった。魔物が得物の間合いに入りかけるその直前になって、彼は腰に下げたシーカーストーンから何かを引き抜いた。

 

 引き抜いたものは、綺麗な青色をした球状のものだった。ちょうどヒンヤリメロンくらいの大きさだった。それは神秘的な色合いをしていた。明らかに、あの小さなシーカーストーンに収まるサイズではなかった。

 

 リンクはそれを両手で頭上に掲げ、「よっ!」という軽い掛け声と共に投げた。球状のものは、接近してくる魔物たちの目の前に転がった。

 

 変なものを投げられて、魔物たちの足が一瞬だけ止まった。その次の瞬間だった。大きな爆発音が響き、あたり一帯を強烈な青い光が満たした。爆発音には、繊細なガラス細工が割れる音のような、一種の透明感があった。私の目は一瞬眩んだが、何が起こったのかはっきりと見ることができた。

 

 青い球状のものが破裂し、放出されたエネルギーと爆風が、魔物を吹っ飛ばしたのだ。

 

 リンクは、シーカーストーンを前方へ押すようにして片手でかざしていた。どうやら、あの青い球状のものはバクダンの一種らしい。どういう仕組みになっているのかさっぱり分からないが、確かにリンクが「仕事道具」と言っていただけのことはある。すごい。私は言葉を操ることを仕事とする者でありながら、語彙力を失っていた。すごい。

 

 魔物たちのうち、赤ボコブリンはバクダンによって瞬時に倒されたが、より優れた生命力を持つ青ボコブリンは未だに絶命していなかった。青ボコブリンは爆風で吹っ飛ばされた後、すぐに立ち上がろうとした。立ち上がろうとした魔物の傍に、すでにリンクが立っていた。リンクは剣を振るった。青ボコブリンも仲間の後を追った。

 

 敵が全滅しても、リンクはしばらく警戒態勢を解かなかった。ややあって、周囲の安全が確保されたことを確認すると、彼は言った。

 

「はい、おしまい」

 

 

 数分後、私とリンクとハッシモの三人は橋の入口で会話をしていた。ハッシモの顔はまだ緊張していたが、私に笑みを浮かべて言った。

 

「いや、助かった。ありがとよ。流石の俺でもあれだけの魔物を全部倒せるか怪しいところだったからな」

 

 私はハッシモに言った。

 

「ハッシモさん、危ないところでしたね。お怪我はありませんか?」

 

 彼は明るい顔をして私に言った。

 

「ああ、このとおりピンピンしてるよ。感謝するぜ。このモヨリ橋は交通の要衝だからな。魔物に取られるわけにはいかん」

 

 私は首を軽く振りつつ答えた。

 

「いえいえ、私は何もしませんでしたよ。お礼ならばリンクさんに」

「そうだったな。リンク、恩に着るぜ」

 

 ハッシモがそう言うと、リンクは頷いた。

 

「どういたしまして」

 

 川の上を吹く風が、リンクの金髪をふわふわと揺らしていた。私はハッシモに顔を向けた。あんた、少々蛮勇が過ぎるんとちゃうか。彼の顔を見ているとそんな思いがしてきたが、私はそれをそのまま口に出すことはしなかった。私は言った。

 

「でも、次もリンクさんがいるとは限りませんよ。危なくなったら逃げてください」

 

 ハッシモは「うーん」と言った。

 

「しかし、橋を守るのは俺の仕事だからな。それを放棄するわけには……」

 

 リンクが言った。ほんのりと語調が強めだった。

 

「仕事と命だったら、命の方が大切だと思うけど」

 

 誤魔化すようにハッシモは頭をかいた。

 

「確かにそうだな。仕事を放棄しても生きていけるが、命を捨てたら死ぬしかない。これからは俺も考えて戦うようにするよ」

 

 私は言った。

 

「戦いはするんですね」

 

 私とハッシモはそれからしばらく話し合った。私は彼に尋ねた。

 

「で、最近はどうなんですか? ここらあたりの治安は」

 

 ハッシモは溜息をつきつつ、言った。

 

「まったく、世も末だぜ。地震は起こるし、変な塔がキノコみたいに地面からニョキニョキ生えてくるし」

 

 私は言った。

 

「塔?」

 

 彼は答えた。

 

「ほら、あそこ。双子山の手前になんか塔みたいなものが生えているだろ」

 

 彼は指さした。確かに、何か塔のようなものが生えていた。前はあんなものはなかったはずだ。ハッシモは言葉を続けた。

 

「それに、祠はオレンジ色に光り始めるし」

 

 私は言った。

 

「祠? この近くにありましたっけ?」

 

 ハッシモは答えた。

 

「あるよ。ここに来るまでに気付かなかったか? ほら、あそこにあるだろ」

 

 ハッシモが指をさした先を、私とリンクは見た。確かにオレンジ色に光る祠があった。ハッシモが言った。

 

「まあ、祠はどうでも良いんだ。たしかヨツバさん、あんたは記者だったよな? ちょっと記事を書いて、俺みたいにボランティアで各地の要衝を守っている人たちへの寄付を募ってくれよ」

 

 私は答えた。

 

「私も前からそのことは問題だと思っていました。でも、今は別の原稿が……」

 

 そう、仕事が、原稿が溜まっているのだ。私は仕事に追われている。今は別の仕事を抱え込むわけにはいかない……だが、ハッシモは私に斟酌することなく、さらに問いかけてきた。

 

「なんだ? 今は何を書こうとしてるんだ?」

 

 私は微妙に言葉を濁しつつ答えた。

 

「各地の変わった食べ物をですね……」

 

 ハッシモは少しだけ語気を強めて言った。

 

「食べ物よりも俺たちのことを記事にしてくれよ。こっちもいい加減カツカツなんだ。魔物と戦うにはルピーがかかるんだよ。武器代とか、薬代とか……なあ、リンクだっけ? あんたも分かるだろ?」

 

 だが、リンクはそこにいなかった。

 

「あれ?」

「あれ?」

 

 私とハッシモは周りを見回した。あれ? リンクはどこに行った?

 

 彼の姿は忽然と消えていた。私は彼を呼んだ。

 

「リンクさん? あれ? いない? おーい!」

 

 私につられるようにしてハッシモも叫び始めた。

 

「おーい! リンク! どこに行った! おーい!」

 

 隣で叫ぶハッシモの声はものすごく大きかった。鼓膜が破れるような気がした。だが、私が叫ぶよりもハッシモが叫んだ方が声はより遠くに届くだろう。

 

 数分間、私たちはリンクを呼び続けた。

 

「リンクさーん! おーい! どこに行ったんですかー!」

「おーい! どこだー!」

 

 次第に言葉がぞんざいになってくるのを自分でも感じた。

 

「おーい! リンクさーん! どこですかー! おーい! コラ、リンク! どこ行ったんやー! はよ出てこんかーい!」

 

 ハッシモは腕組みをして言った。

 

「うーむ。これはこちらから探しにいく方が良いかもしれないな」

 

 私は彼の言葉に頷いた。

 

「そうですね」

 

 私とハッシモはリンクを探し始めた。ほどなくして、ハッシモが異常を認めた。

 

「あれ? おい、ヨツバさん。なんか祠の様子がおかしくねぇか?」

「祠?」

 

 私は祠を見た。ハッシモの言うとおり、祠はおかしくなっていた。それまでオレンジ色に光っていた祠が、今は青い光を発していた。シーカー族の紋章だけがオレンジ色のままで、それ以外の部分は青く光るようになっていた。

 

 あたかも燃え盛る松明(たいまつ)にたかる夜の羽虫のように、私とハッシモは祠へと近づいていった。祠になにか起こっているのは間違いなかった。私たちは祠から数歩離れたところまで来た。それ以上は、なんというか、あまり近寄りたくなかった。ハッシモが少し震えた声で言った。

 

「祠がビカビカと光る……まったく、世も末だぜ……」

「ハッシモさん、あなた、ちょっと祠の中を見てきてくださいよ」

 

 私がそう言うと、ハッシモは露骨に嫌そうな顔をした。彼は無言で私の顔を見つめてきた。私は声を励まして言った。

 

「私よりもハッシモさんの方が腕が立つし、勇気もあるでしょ。長い槍も持ってるし。私の武器なんかほら、旅人の剣ですよ。それにこの祠は橋の近くにあるのですから、祠の状態を確かめることは橋の保全に含まれます。つまりこれはあなたの仕事ですよ」

 

 そんなふうに言うのはずるいって? そうかもしれないが、私は自分ができる仕事とできない仕事の区別をしているだけだ。

 

 ハッシモは悔しそうな顔をして首を振った。彼は槍の柄を握り締めた。

 

「クソっ、本当に記者は口が回るぜ。良いよ良いよ。見てきてやる……」

 

 声がした。

 

「どうしたの?」

 

 突然響いた声に私たちは文字通り飛び上がった。

 

 そこにはリンクが立っていた。「今、祠から出てきました」という感じだった。彼は私たちを不思議そうな顔で見ていた。

 

 私はリンクに言った。口調が乱れているのは分かったが、そんなことを気にしている暇はなかった。

 

「ああ、リンク! えらい探したんやぞ! あんた、なんで祠なんかに入っとんねん!」

「だって」

 

 リンクはしれっと私に答えた。

 

「これが仕事みたいなもんだし」

 

 そうかぁ。私は納得した。仕事なら仕方ないな。

 

 日はすでに傾いていた。夜がすぐそこまで迫っていた。




※参考文献 センディル・ムッライナタン&エルダー・シャフィール『いつも「時間のない」あなたに 欠乏の行動経済学』(大田直子訳、早川書房、2015年)

 あと一ヶ月でティアーズオブザキングダムという事実! 興奮!

※加筆修正しました。(2023/06/18/日)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。