職業柄、私は取材のために各地方の村や里に赴くことが多い。そこでいろいろな人にいろいろなインタビューをして記事の材料を得ていくのだが、誰かに何かを訊くというのは誰かから何かを訊かれるということも意味しているのであって、私もよくいろいろなことを訊かれる。他愛のないことから、記者という仕事の本質に関わる質問まで、いろいろと訊かれる。
最も多い質問は、「記者という仕事は儲かりますか?」というものだ。儲かりますか? 儲かりません、と答えざるを得ない。別に他意はない。事実として本当に儲かっていないのだからそのように答えるしかない。しかしそう答えると「そんな、嘘でしょう?」という顔をされるし、実際にそう言われる。
悲しいことに、嘘ではないのだ。真面目に畑を耕したり漁に精を出したりする方が遥かに儲かると私は思っている。もちろん、私の言う「儲からない」というのは、記者という仕事では生計が立てられない、ということではない。あまり贅沢はできないが、ちゃんと生きていくのに必要なだけのルピーはこの仕事で稼ぐことができている。私がこうやって今も生きていて記事を書いているのがなによりの証拠だ。
問いというものは必ず重層的な構造を有している。人々の「記者という仕事は儲かりますか?」という質問の一枚下には、もう一つの語られない質問が隠れていることを意識しなければならない。
その語られない質問というのは「記者という仕事は楽でしょう?」というものである。つまり、「記者という仕事は楽なんだから、そこまで労力を用いることなくルピーを稼ぐことができるのでしょう?」と彼らは訊いているわけだ。そこで私が「儲かりません」と答えてしまうから、彼らは不満そうな顔をするのである。
そんなわけがない、あんたらほど楽な仕事は他にないはずだ。彼らはそう思っている。だって人から話を聞いて、それを紙に書くだけでしょう?
たしかに、記者という仕事は楽に見えるかもしれない。自分で汗水を垂らして畑を耕すわけではないし、精魂を込めてモノを作るわけでもない。森の中で何日間もじっと潜伏しつづけて獲物を追うわけでもないし、荒れた海に漕ぎ出して魚を獲るわけでもない。やることといったら、人から話を聞いて、それを机の上で紙にまとめるだけ。どう見たって楽な仕事だろう。そうに決まっている。このように書いていて、自分でも「あ、言われてみればたしかに楽かも」と思ってしまった。なんということだ。
だが、やはり記者という仕事は楽ではない。少なくとも、人々が思っているほどには楽ではない。記事を書くということ、雑誌を作るということは、大変な労力を必要とする。あえてここで言っておくが、
ちょっと想像してみて欲しい。年がら年中、ハイラルの各地を駆けずり回らないといけないという異常な生活について、ほんの少しだけ想像力を働かせて考えてみて欲しいのだ。大厄災以前の時代ならいざ知らず、今の世の中にはそこら中に魔物の危険が満ち
それでも彼らがそのような仕事を続けるのは、ちょっと変な言い方になるが、その仕事がそういうものとして決まっているからだ。村から村へと商品を売り歩かない行商人は行商人ではないし、馬宿から馬宿へ旅客と貨物を運ばない輸送業者は輸送業者ではない。
記者も行商人や輸送業者と同じである。私たちは記事を書くために、魔物だらけの世界を歩き回らなければならないのだ。歩き回らない記者は記者ではない。意外に思うかもしれないが、実は私たちの仕事時間のほとんどすべてが、魔物の脅威を何とか
これを「命懸けの仕事」と言わずして何と言う? 人々が私たちの仕事として見ている「人に話を聞いて、それを机の上で紙に書いてまとめる」という光景は、全体の仕事からすればほんのごく一部に過ぎないのだ。
農業に従事している人に、「種をまくだけで食べ物にありつけるなんて楽な仕事ですね」というのは正しくない。同様に、漁業に従事している人に「網を投げているだけで魚がとれるなんて楽な仕事ですね」というのも正しくない。だから、記者に対して「人から話を聞いて紙にまとめるだけでルピーが稼げるなんて楽な仕事ですね」というのも正しくない。それでも人々はなぜかそう考えてしまう。なぜなのだろうか?
これに関してはまことに恥ずかしい話であるが、記者たちの側に大きな責任がある。人々にそのような誤解を抱かせるに至った原因は、かつての記者たちが「本当に楽をしてルピーを得る」ように仕事をしていたからなのだ。その頃に形成された記者に関するイメージが、実態が大きく変貌してしまった現代になっても幽霊のように生き残っていて、人々の心の中に入り込んでいる。その幽霊は強く、しぶとくて、いくら私たちが除霊しようと努めてもまったく消えはしない。むしろ、私たちが除こうとすればするほどに幽霊はますます強さを増していくのだから、これはもう始末に負えない。
いろいろと記録に当たってみると、大厄災前の記者たちは実にけっこうな仕事ぶりをしていたようだ。今の私たちとは違い、彼らは分業体制を取っていた。取材をする人、取材した内容を資料としてまとめる人、まとめられた資料を読んで記事を書く人、書き上げられた記事を編集して紙面を作る人、さらに紙面をまとめて雑誌そのものを作る人、これらの一連の流れを指導し、監督する人、などなど……兼務することもあったが、やはり役割分担は明確で、それぞれの役目を負った人間はそれに集中していれば良かった。そうすることで労力を節約し、仕事の量を減らしつつ仕事の質を高めることができた。今とは大違いである。
それは彼らなりの工夫だった。彼らは苦労するわけにはいかなかったからだ。たしかに、苦労して仕事をするのは尊いことだ。汗水たらして働くのはとても偉いことだ。だが、記者たちは「できるだけ苦労をせず、汗水を垂らさないで仕事をすることができる仕組み」を作り上げ、その仕組みに基づいて仕事をすることを選んだのだ。
なんでそんなことをしたのか? 彼らが怠け者だったからか? そうではない。そういう仕組みがなければ仕事をやっていくことができなかったから、彼らはそうしたのだ。さもなければ彼らはきっと仕事に忙殺されてしまっただろう。
大厄災前の社会は今よりも遥かに複雑で、広く、奥行きが深かった。そこで起こる事件の数は膨大で、種類も無数にあった。その中から記事にするだけの価値のある事件、人々に知ってもらわなければならない事件を見つけ出し、選び、取材をし、記事にし、雑誌としてまとめる。それを毎週、毎月繰り返さなければならないのだ。
そのことを考えた時、はたして「苦労して」「汗水垂らして」働くスタイルは適切と言えるだろうか? 人間はみんな苦労することができる。だが、
当時の記者たちは賢明だった。ある意味で、賢明過ぎたのだ。彼らは楽をして仕事ができるように工夫をし、楽をしてルピーを得ることができていた。それが今の時代の記者を苦しめている。いや、苦しめているというわけでもないが、とにかくある種の誤解に晒している。彼らの作った雑誌や記事は、そのほとんどが大厄災の業火に焼かれ、灰となって消えてしまった。彼らが唯一私たちに残したのは、「記者というのは楽な仕事である」というイメージだけだった。それは紛れもなく負の遺産である。不毛な農地よりも
当時の記者たちには当時なりの苦労があったに違いない。だが、私からするとやはり「羨ましいなぁ」と思わざるを得ない。今では記事を一本書くだけで命懸けなのだ。魔物と戦い、寒暑に身を晒し、飢えと渇きに耐えながらハイラル各地を歩き回って取材をしなければならない。どう考えても割に合わないのではないか? 割に合いません。私が「畑を耕したり漁に精を出したりする方が遥かに儲かる」と言ったのは、こういうわけである。
ここで当然予想されるのが、「じゃあなんでそんなにキツくて割に合わない仕事をやってるの?」という質問である。「嫌ならやめれば良いじゃん」 そう言われるかもしれない。実のところを言えば、その質問は間違っている。「キツくて割に合わない仕事」なのはそのとおりであるが、それは決して「嫌ではない」のだ。嫌ではないから決してやめない。むしろ私はこの仕事を好んでいるし、愛してさえもいる。
もし、私が後世の記者たちに何かを残せるというのならば、おそらく「この仕事が好き」という感情だけだろう。記事も雑誌も、また、それらを楽して作るという仕組みも残すことができないのならば、せめて私は
それが将来のハイラルで活躍するであろう記者たちを育む、豊かな精神的土壌となるのだ! 知らんけど。
☆
私とリンクは塔に向かって歩き続けた。いまさらこう言うのもなんだが、
変な足取りになっている私とは対照的に、リンクはさっさと先へと進んでいった。彼は滑るように足を運んでいた。その
戦闘者にとっては、体幹がすべてである。体幹を鍛えることで姿勢が安定し、剣を振るう速度も速くなる……はい、どこかの村の剣術師範の受け売りである。記者というものはいろんなことを広く浅く知っているに過ぎない。その広く浅い知識もほとんどが受け売りだ。記者とはやはりろくでもない稼業である。
目の前には塔が立っていた。まだ塔には距離があったが、当然のことながら歩いているうちにどんどん距離は縮まってきた。リンクは「今日はあれに登るから、よろしく」と言った。マジで? マジである。リンクの歩き方からは「これからあの塔に登る」という強い意志が感じられた。彼の着ている「アレのシャツ」の人工的な赤さが、自然の中で鮮烈な色彩を放っていた。
なぜ登るのか? 塔を登ることはリンクにとって何を意味するのか? 登ることでリンクに何らかの利益があるのだろうか? 次々と胸の内で湧き起こるそういった問いを、私はいちいち叩いて封じ込めた。
訊いて何になるのか? リンクは「あれに登る」と言った。その言葉通り、彼は登ろうとしている。それならば、私としてはただついていくだけである。リンクという非凡なまでに変わった人間との付き合い方としては、おそらく「ただついていく」というのが最良であろう。彼は言葉ではなく、その行動ですべてを説明してくれるに違いない。
だんだん私はワクワクしてきた。初めは塔を登ると聞いて恐れをなしたが、今では「リンクはどうやってあれを登るのだろうか」という興味と期待が心の中に満ちていた。これはきっと、良い記事になるでぇ……これから私の目の前で展開されるのは、現代のハイラル世界では類を見ないほどに変わったことであるに違いない。
期待に煽られて、私の頭脳はまだ起こってもいないことについて勝手に記事の文面を作り始めていた。「前日、単身にてノッケ川に
えっ? 本当に何も道具を持っていない? 私は前を行く彼の姿をよく見た。マジで彼はまったく登山用具らしきものを持っていなかった。マジで自分の体だけで登ろうというのであろうか? 大丈夫なのかいな……私は一抹の不安を覚えた。
そんなことを考えているうちに、私とリンクは塔にほど近いところまで到達した。塔のてっぺんを見るには首をかなり上へと傾けなければならなくなっていた。近くから見ると、ますます塔はその謎さを増した。塔は独特の鈍い輝きを放つ素材でできていた。石材ではないだろうし、木材でもないだろう。おそらくは何らかの金属であろうが、私はそれまですべて金属でできた建造物を見たこともなければ聞いたこともなかった。
塔は二重構造になっていて、中心部にはオレンジ色に光っている太い主柱があり、それを何か金網状のものが下から上まで隙間なく覆っていた。信じがたい光景だった。このご時世、金属製のものはすべて高い。中でも、金網は特に高い。一メートル四方の金網が五百ルピーほどもする。その事実を認識した時、私の中で「謎の塔」は「上等で贅沢な塔」へと情報が更新された。これを建造するのにいったいどれだけのルピーが必要だったのだろうか。数千万では足りないだろう。きっと億単位でルピーが必要だ。こんな塔がこれまで大地の底に眠っていたとは信じられない。
ぼけーっと塔を眺める私の顔は、おそらくアホそのものだっただろう。許してほしい。人間というものは、何らかの驚異的なものを目撃した時は必ずアホみたいな顔をするものだ。
一方で、リンクはまったくアホそうな顔をしていなかった。彼はいつもどおりの冷静な表情を浮かべつつ、塔を見ていた。やがて、彼は言った。
「ちょっと当てが外れたかな」
私にはその言葉の意味が分かった。塔はノッケ川の対岸にあったからである。私たちは、おそらく塔はこちら側の岸に立っているものだろうと考えていた。遠目からだとそのように見えたのだ。しかし実際のところ、塔は対岸から少し離れた水の中に立っていた。
塔の根元にはいくつかの大きな岩塊が、あたかも開きかけた花のつぼみのように裂けて散らばっていた。どうやら地面の下から塔が伸びてきた時に、地表付近の分厚い岩盤を突き破ったようだった。いったいどれだけの勢いとパワーで塔は伸びたのだろうか。それがまた塔の謎さを増した。
私はリンクに言った。
「あの塔に行くには、川を渡らないといけませんね」
リンクは頷いた。
「うん」
私はまた言った。
「でも、小舟もなければイカダもない。どうしたものでしょうか」
「うーん」
リンクは唸り、そして沈黙した。彼は轟々と音を立てて流れるノッケ川を見ながら、どうやって渡河をするか考えているようだった。私も沈黙し、思考に耽った。
泳いで渡る? 馬鹿なことを言ってはならない。ノッケ川は速く、強いのだ。流れる水が川底の岩を打ち、揺らし、砕き、物凄い音を立てている。それを聞いただけでも怖気がふるう。川は怖ろしい場所なのだ。人間が近づいて良いところではない。
一般に、このハイラルの大地に流れる川はどれも勢いが強いと言われているが、専門家の言によればそれらの中でもノッケ川はまだ「とっつきやすいほう」だという。そんなノッケ川でも、とても泳いで渡れるものではない。水の中で生まれて水の中で死ぬゾーラ族ならば楽勝だろうが、ただのハイリア人が泳ぐのは自殺行為である。そもそもハイリア人は泳ぎが下手な種族なのだ。
だが、リンクはなんということもないという風に言った。
「泳ごうか? そのほうが手っ取り早いし」
なんとなく、彼ならそう言うんじゃないかという予感はしていた。私は即座に答えた。
「無理です!」
たしかにリンクならば泳いで渡るのは可能だろう。だが、私には無理である。リンクは「そっか、無理か」と一言だけ言うと、また黙った。
ふと足元を見ると、小さな緑色のカエルが泳いでいた。ゴーゴーガエルだった。カエルはのびやかに足を動かして何の苦もなく水面を進んでいった。この場面、この場合においては、私は小さなカエル一匹にも劣る存在というわけである。なんてこった。
申し訳ない気持ちが心に満ちた。私は苦々しい思いと共に口を開いた。
「すみません、私のせいで……」
リンクは静かに首を左右に振った。
「気にしないで」
彼の心遣いはありがたかったが、いつまでもここで停滞しているわけにはいかない。私はリンクに言った。
「こうなっては仕方ありません。私を置いてリンクだけ行ってください。もしかしたら上流に渡し舟かイカダがあるかもしれませんが、こんなに魔物が蔓延っている状況ですからおそらくは望み薄でしょう。やつら、人間が作ったものならなんでもかんでもぶち壊して薪にしてしまいますからね。私はここでリンクを待っています」
しかしリンクは言った。彼の声は明るかった。
「ああ、大丈夫。渡る方法なら他にあるから」
私は彼に聞き返した。
「えっ?」
彼はまた言った。
「渡る方法ならあるから大丈夫。まあ、ちょっと見てて」
そう言うなり、彼は腰から下げている例のアイテムを手に取り、水面へ向けてかざした。
次の瞬間、ガラス細工にひびが入るような音が、川の流れを掻き消すように辺りに響きわたった。その音と共に、目の前に青白い四角柱ができ上がった。まるでそれは水から生えてきたかのようだった。塊には白い紋様が刻まれていた。紋様は祠に刻まれているものとそっくりだった。微妙に薄く光っていた。
驚愕して、私は叫んだ。
「な、なんなんやこれは!」
叫びつつ、私は青白い塊へ向かって手を伸ばした。私はまたもや叫んだ。
「ち、
それは氷の塊だった。膨大な冷気をまとった巨大な氷の塊が川の上に堂々と立っていた。氷の塊は強い流れにもまったく揺らぐことがなく、この世の始まりからそうであったかのようにそこに存在していた。氷の塊は美しかった。芸術作品のような風格があった。おそらく現代美術とか前衛芸術とか、そういう範疇に含まれる芸術作品であろうが、それでも美しいものであるのには違いなかった。
氷の塊は、まるで魔法だった。いや、「まるで」というのは正しくなかった。まさしく魔法だった。私はリンクに言った。
「な、なんなんですかこれは!? これもあの、モヨリ橋で使ったバクダンの変種かなんかですか? その、リンクが持っているそれ、そのシーカーストーンには他にも色々な機能があるんですか?」
記者としてはあるまじきことに、私は質問を連発してしまった。質問は一度にひとつだけというのが記者の鉄則である。その鉄則を思わず破ってしまうほどに、その時の私の驚きは強かった。しかし、リンクは嫌な顔もせずに答えてくれた。
「これはアイスメーカー。シーカーストーンの
そう言うと、リンクはそのアイスメーカーで作られた氷塊を指さした。
「これを使って対岸へ行こう」
思わず私は言った。
「なんですって?」
私が問いを発したその時にはすでに、リンクは
リンクは私の方へ顔を向けると、言った。
「こんな感じで対岸へ行く」
私は唸った。
「うーん……これはすごい」
奇想天外にもほどがあった。川を渡る必要があります。小舟もイカダもなく、しかもあなたは泳げません。どうしたらいいですか? 答え、氷を作ってそれを伝っていけば良い。もしこんなことを記事に書いたら読者から「アホなこと書くな!」という苦情が殺到するであろう。仮に書くのだとしても、書き方には相当気を遣わねばなるまい……
そんなことを考えていると、リンクが私に声をかけてきた。
「どう? いけそう?」
彼の声で意識を現世へと引き戻された私は、反射的に答えていた。
「いけます!」
いや、いけるかどうかは自分でも分からなかった。というより、ちょっと不安だった。氷に向かって跳ぶ、垂直な壁面にしがみつく、上へとよじ登る。その一連の動作をごく短い時間にこなさなければならないのだ。私はそれほど運動神経が良いほうではない。もし失敗したら私は川に落ちることになる。落ちたら
「いけます!」と答えておきながらなかなか足を踏み出せない私に、リンクはじっと視線を向けてきた。彼の目は優しくて温かかった。彼は言った。
「大丈夫、ヨツバが跳んだら引っ張り上げてあげるから。思いきって跳んで」
私は頷いた。
「わかりました」
きっと彼ならば私を引っ張り上げてくれるに違いない。私はだんだん跳ぶ気になってきた。リンクは念を押すように言った。
「思いっきり跳ぶんだよ。中途半端だと水に落ちるよ」
私は言った。
「なるほど、中途半端だと水に落ちる」
リンクも頷いた。
「そう、落ちる。落ちたら大変だよ」
私も頷いた。
「ええ、大変ですよね。水に落ちたらね」
リンクは一言だけ言った。
「うん」
私も言った。
「はい」
リンクはまた言った。
「だから、思いっきり跳ぶんだよ」
私は頷いた。
「わかりました」
リンクはさらに言った。
「この氷に体当たりするように跳べば良いよ。でも、両腕は上にあげておいて。そうじゃないと掴めないから」
それは重要なアドバイスだった。私は神妙に頷いた。
「わかりました」
私は覚悟を決めることにした。どうせ記者というのは命懸けの仕事なのだ。命を懸けないと取材はできないし、記事もかけない。今回のこれは魔物と戦うというのとは別の形での「命懸け」であるが、それをするだけの価値は充分あるように思える。「氷を作ってそれを伝って川を渡る」こと以上に変わったことなどあるわけがない。
私は記者というこの命懸けの仕事を愛しているし、きっとこれからも命懸けで記事を書き続けていくだろう。ならば、今回のこれもこれから延々と続くであろう無数の命懸けのひとつに過ぎない。
「いくぞ!」
そう一声叫ぶと、私は助走をつけて思いきって跳んだ。顔に冷気を感じ、凍えるような空気を肺に吸い込んだと思った瞬間、私の体は垂直にそそり立った氷の壁面に衝突していた。
リンクの声がした。
「よいしょっと」
ジャンプした時、私はちゃんと両腕を頭上にあげていた。リンクはすぐに私の腕を掴んでくれた。そして、その小柄な体になぜそれだけのパワーがあるのか、リンクは物凄い力で私を氷の上へと引っ張り上げてくれた。肩から腕が抜けるかと思ったが、もちろんそんなことはなかった。
爆発寸前のようにドキドキと高鳴っている心臓をなんとか宥めつつ、私はリンクに言った。
「ありがとう、リンク。ほんまに助かったわ……」
「どういたしまして」
リンクは涼しい声で答えた。私は氷の上から周りを見た。思った以上に氷は高かった。下では流れる水が氷にぶち当たり、飛沫をあげていた。興味を惹かれたのであろうか、いくつかの魚影が氷に近づいてくるのが見えたが、冷気に驚いてすぐに逃げていってしまった。
魔法のような力で生み出された氷であっても、氷はやはり氷であるから、その上は寒かった。アカン、また腹を壊すかもしれん。私は懸念を抱いた。ここであまりグズグズしてはいられない。もし腹が痛くなって例の生理的な欲求を感じてしまったら? そして、それが
この美しい四角形の氷の上で、水面に向かって臀部を突き出している自分の姿を私は想像した。アカン、リンクにそんな姿は見せられへん。命は懸けられるが、そんな恥辱にはたぶん耐えられない。
埒もないことを考えている私の肩をリンクは叩いた。彼は言った。
「さあ、先へ行こう」
そう言うと彼は三つ目の氷を作り出した。「氷は三つまでしか作れない」と彼は言った。「四つ目を作ったら、一つ目はなくなる」 彼は隣の氷に向かってカエルよりも軽やかに跳び、そして私を待った。
「さあ、跳んで。大丈夫、絶対に引っ張り上げるから」
私はまた命を懸けることにした。その後も命を懸け続けなければならなかった。懸けた命は、必ずリンクが回収してくれた。それでも氷から氷へと跳ぶたびに、やはりこの仕事は割に合わないと私は思わざるを得なかった。いくらこの仕事が好きとは言っても、物事には限度というものがある。
もし私が後輩を持つなら、是非ともこの限度というやつを教えてやろう。今のところ雑誌『ウワサのミツバちゃん』に新入社員が来る可能性は絶無であるが……私は何個目になるか分からない氷へ向かって跳びながら、そう考えた。
☆
「あ、アカン……疲れたわ……疲れ果てたわ……」
私とリンクは無事に塔の真下まで辿り着いた。それは良かったのだが、私はもう無惨なほどに疲労困憊していた。この歳で
そんな私に、リンクが声をかけてくれた。
「疲れてるみたいだね。これ、食べる?」
彼はキノコの串焼きを手に持っていた。青臭いような独特の香りから、そのキノコが何であるかはすぐに分かった。それはガンバリダケだった。ガンバリダケは大地のエネルギーをたっぷりと蓄えたキノコで、特に他のキノコ類と比べて滋養に優れている。
「ありがとう、いただきます」
私はリンクにお礼を言うと、それを食べた。噛み砕かれたキノコの破片が胃の腑に到達したその時、気力が瞬時に回復するのが感じられた。
リンクは私を見て軽く頷いた。そして、怖ろしいことを言った。
「それじゃ、登ろうか」
「はい?」
私は耳を疑った。登る? 何を? 私が目で訴えかけると、リンクは手でペシペシと塔の網目状の外壁を叩いた。そうか。私は理解した。今日は塔に登るんだったわ。川を渡るのが大変だったせいで、私はそのことをすっかり失念していた。
でもなぁ。これを登るのはなぁ……氷から氷へと跳ぶこと以上に、それは私にとって絶望的であるように感じられた。私は気が進まなかった。私は沈黙し、リンクも何も言わなかった。川の上を吹く風が「ぐずぐずせんと、はよいけや!」と言っているように感じられた。
ややあって、リンクは私に言った。
「そんなに心配しなくても、この塔の外壁、網目状になってて登りやすいから大丈夫だよ。ほら」
彼は外壁に取りつくや、間を置かずにスルスルと、まるでゴーゴートカゲのような身軽さで上へと登っていってしまった。
「あ! ちょ、ちょっとリンクさん! 待ってくださいよ!」
私は頭上のリンクへと声をかけたが、彼は止まらなかった。彼はどんどん上へと登っていった。私は早急に決断しなければならなかった。このままここに留まるか、それともリンクに倣って上へ行くか? 私は改めて塔を見た。たしかにリンクの言うとおり、外壁は登りやすそうな構造をしていた。案外、梯子を登るようなものなのかもしれない。
それでも私はしばらく逡巡した。登るのは良い。登るのは良いのだが、それじゃあ下りる時はどうするんだ? またこの網目状の外壁を伝って下りるのか? おそらく登っている最中も、双子山からは冷たい風が吹いてくるだろう。そのせいで私の腹はきっと痛くなる。それでも私は我慢して上に登る。そして、てっぺんに着いた後は下りることになる。もちろん、痛む腹を抱えたまま下りるのだ。下りている最中にも冷たい風に吹かれるに違いない。その時に私は我慢できるだろうか?
それは考えただけでもぞっとすることだった。私は登らないことにした。「物事を始める時にこそ、その終わりを意識していなければならない」というのはシーカー族の古の賢者の言葉だったように思うが、それに従うことにしよう。
リンクには申し訳ないが、もし私に塔を登る能力があったとしても、塔を下りる能力がないのは明白だ。ゆえにここで登らないという選択をするのは理に適ったことなのである。これは言い訳などではない。論理的思考の末に導き出された、至極論理的な結論である。きっとリンクも納得してくれるだろう……
そう考えて、岩の上に腰を下ろそうとした、その時だった。
突然、角笛の音が川に響き渡った。邪悪な響きだった。はっとして、私は周囲を見回した。対岸の丘の上に赤い影が見えた。数秒も経たずして、影の数はどんどん増えていった。次第に影は影でなくなった。それはボコブリンだった。赤ボコブリンが草むらの中から続々と姿を現した。どれだけの数かは分からなかった。軽く二十は超えているだろうと思われた。
魔物たちは手に手に武器を持ち、集団となってこの塔の真下へ突き進んできた。それを見て、私は文字通り飛び上がった。ノッケ川の水中から突き出しているような形で立っているこの塔であるが、対岸とはわずかに細い陸地で繋がっている。魔物たちはそこへ向けて突進してくるのだった。やつらは喚き、武器を振り回し、角笛を吹き鳴らしていた。
私は叫んだ。
「やばい!」
やつらがここに来るまでに、もう数分もかからない。逃げ場は? ただ背後に立っている塔を除いては、そんなものはどこにもなかった。私は意を決して、塔を登り始めた。
塔の外壁はリンクの言ったとおり、登りやすい構造をしていた。だが、たとえそれが非常に登りにくい構造であったとしても、私は登ったことだろう。魔物はすぐ足元にまで来ていた。私は懸命に手足を動かし続け、上へ上へと登り続けた。私の足元で、魔物たちは喚き騒いでいた。私に向かって「下りてこい!」と叫んでいるようだった。
私は魔物たちに叫び返した。
「下りるわけないやろ、このアホ共が! そこで一生そうしてろ!」
その瞬間、乾いた風切り音が響いた。顔の横の外壁に何かがぶち当たり、金属質な音と共に弾き返された。私はぎょっとした。それは矢だった。下の魔物たちは弓矢を持ち出して私を狙撃しているのだった。私はさらに手足を動かして登るスピードを早めた。
こいつら、きっとノッケ川の対岸側の魔物たちや。登りながら私は考えていた。リンクによってこちら側の岸の魔物たちがやられていくのを、こいつらは歯痒い思いで見ていたに違いない。その意趣返しをするために、こいつらは角笛を吹き合って連絡し合い、集合をし、こうして集団となってここへやってきたのだ。
ふと、私は下を見た。魔物たちが武器を背負い、次々と外壁に取りついて塔を登り始めていた。
アカン、これはアカン!
私の腹が異音を立てた。また矢が飛んできた。矢は続々と飛んできた。私はさらに上へと登っていった。
続編の発売がいよいよ迫ってまいりました。生きましょう。
※加筆修正しました。(2023/06/19/月)