私をヨツバと呼んでもらおう。
中肉中背である。金なし、筋肉なし、度胸なし。鬱勃たる野心を持って世の中へ挑戦しようという年頃でもなければ、諦観と共に世の中を割り切る年頃でもない。つまり、若くもなければ老いているわけでもない。
家族は、姉が三人いる。いずれもハイラルきっての跳ねっ返りで……いや、跳ねっ返りというには少しばかり肌に潤いを欠いているが、唯一の弟である私はいつも苦労させられている。上から、イチヨウ、フタバ、ミツバという。四人目だから私はヨツバである。単純な命名だ。おかげで初対面の人間に名前の意味を説明する必要がない。
つまり、私はごくごく平均的なハイリア人だということになる。一般的なところから逸脱しているところを強いて挙げるとするならば、髪の毛が金髪っぽい茶髪である点(しかし粗悪な金属製品のようにくすんでいる)と、目つきが悪い点(それは性格が悪いからではない、本の読みすぎのせいである。そのくせ私は眼鏡をかけていない)、それから、文章を書くことを
しかしながら、今回の旅に出る以前の一ヶ月、文章を書くことを生業にしている私は、一行たりとも文章を書いていなかった。
私はマリッタ馬宿に投宿していた。ハイラル丘陵ラブラー山の北側の麓に広がるマリッタ平原、その交通と流通の中心地であるマリッタ馬宿は、ハイラル全土でも私が特に好む場所の一つである。気候風土が安定しているというのもあるが、ここには研究者や文士、詩人などが多く集まるため、情報収集がしやすかった。
だが、私がその馬宿に一ヶ月の長きにわたって逗留していたのは、別になんらか積極的な意味や目的があってのことではなかった。記事を書くためとか、資料をまとめるためとか、仕事の疲れを癒すためとか、すぐ近くにあるククジャ谷の忘れ去られた神殿を調べるためでもなかった。
傷を癒すために、私はそこにいたのだった。
毎日昼過ぎまで眠り、ゆるゆると起きて小一時間はベッドでゴロゴロし、顔も洗わずヒゲも剃らず、おやつの時間には茶ではなく酒を飲み、酔いが覚めないうちにまた夕食と共に酒を飲んで、無数の寝返りを打ちつつ真夜中過ぎまで起きている。そんな自堕落極まる生活をしていた。
顔見知りの馬宿の店員は最初こそなにくれと世話を焼いてくれて、「今日は良い天気ですから遠出をしてみては?」とか、「せめて決まった時間に起きてみては?」とか、ありがたい助言を色々としてくれたのだが、一ヶ月も経つと何も言わなくなってしまった。
転機は、向こうのほうから勝手にやってきた。
時は午前だった。馬宿の店内は薄暗かった。外は気持ちの良い晴れだった。テーブルを挟んで私の目の前に座り、ジョッキのエールを喉に流し込む私の上司、いや姉は、いい加減飽きてきたというような顔をして言った。
「で、どうなん? 失恋の痛みからは立ち直ったん?」
ヒゲぼうぼう、アルコールと寝不足で不潔にやつれた顔をした私もジョッキを傾けつつ、答えた。
「ミツバ姉さん、男の失恋っていうのは立ち直るのに時間がかかるんですよ。外れた蹄鉄を付け直すようには簡単にはいかないよ」
私の返答を聞いているのか聞いていないのか、ミツバ姉は皿の上の干し肉を口に放り込むと、よく味わうように咀嚼してから、ジョッキに残ったエールと共に飲み込んだ。姉は言った。
「なんやこの干し肉、塩っ辛いわ……しかし、もう一ヶ月やで。ネズミやったらひ孫がひ孫を産むくらい時間経ってるやん。ミモザさん、そんなに好きだったん?」
ミモザという名前を聞いて、私の胸は痛んだ。私は言った。
「好きでしたよ。そりゃあまり美人じゃなかったけど、強くて行動力があって、あと可愛いかった。お玉とエプロンが良く似合ってたし、料理鍋に向かうあの顔は凛々しくて……」
いかにも不可解という表情を姉は浮かべた。
「なら、なんで別れたん?」
しばらく、沈黙が姉と私の間を満たした。ややあって、私は短く答えた。
「……まあ、巡り合わせってやつかな」
そう、ミモザは料理研究家になるという夢を持っていた。私はその夢に一ヶ月付き合った。「決して叶うことはない」と断言することはできないが、その可能性は著しく低いだろうと推測はできる夢だった。
というのは、ミモザはいわゆるメシマズだったのだ。頭は悪くないし、器用でもあったのだが、彼女は料理にアレンジを加えなければ気が済まない性格をしていた。
結果、私は破滅的に腹を壊した。「ヒノックスの脳味噌とキースの目玉のマックスドリアン煮込み」を食べた私は、三日三晩トイレに
私は決して恨み言は言わなかったが、ミモザは私が無理をしていると感じたのだろう。ある日、彼女は、「今までありがとう。私は荒野に行く。もっと腕を磨いて、今度は恋人としてではなく、一流の料理研究家として姿を見せます。さようなら」という書き置きをして、姿を消してしまった。
今頃、どこで何をしているのやら。彼女は強いから魔物に殺されることはないと思う。むしろ料理のために魔物を殺して素材を集めているかもしれない。
別れを告げられて、たしかに私は寂しいと思った。だが一方で、私は心のどこかで安心感を覚えてもいた。もう「古代のネジの煮込み」だの、「魔物のキモの刺身」だの、「コハクのピリ辛炒め物」だのを食べなくて良い。そんな自分の気持ちに気づいて、私は自分自身に深く失望した。
もう彼女の料理を食べなくても良い。だが、もう彼女の声を聞くことはないし、彼女と夢や将来について語り合うこともないのだ。私たちの関係は、いわゆる恋人同士の「甘い関係」ではなかった。しかし、私たちは真剣な交際をしていた。少なくとも、私はそう思い込んでいた。惚れっぽく、今まで多くの女性に恋をして、時には上っ面だけの交際をし、そして別れてきた私にとって、ミモザとは初めて「本当の恋愛」ができたと思っていたのだ。
それが、彼女との関係が終わってから感じた最初のことが、「もう料理を食べなくても良いぞ! 安心!」だったのだ。はからずも自分のダメな部分を思い知らされて、私の精神的なダメージはゴロンが倒れ込んだように大きかった。酒に逃げた私を非難したいならばすれば良い。私は甘受する。
「巡り合わせというか、食べ合わせが悪かったんとちゃう……?」
以前、姉はミモザに「サバイバル料理」について雑誌に書いてもらうよう依頼したことがあった。だが姉は、送られてきた原稿を読んで「こらアカンわ」と一言だけ言った。その時の私は「なんてことを言うんだ!」と怒ったものだったが……
姉は店員にもう一杯エールを頼んでから、私に言った。
「まあ、傷ついた心を癒すのもええけどな、もうそろそろ仕事をしてもらわんとうちも困る。社員をいつまでも遊ばせておくほど『ウワサのミツバちゃん』には余裕はないんや」
私は素直に頷いた。
「はい」
いくら活動的な姉とはいえ、わざわざこんな
それに、ここらでそろそろ変わらなければならない。酒と惰眠に別れを告げ、顔を洗いヒゲを剃り、仕事をして、自分を取り戻さなければならない。
私の密かな決意をよそに、姉は話を続けた。
「ちょうど次の号は、ハイラルの料理と食材について特集を組もうかと思うとる」
よりにもよって「料理と食材」か。ミモザの顔が私の脳裏をよぎった。これは何かの試練なのだろうか? 私は言った。
「……今年は大厄災から百年だから、次は『大厄災特集』あたりか何かだと思ってましたけどね」
姉は首を軽く振って私の疑問を打ち消した。
「うちの雑誌はそんな真正面からテーマを決めることはせぇへん。『面白おかしくウワサをお伝えする。ついでにお役立ち情報もお送りする』のが基本的な編集方針や。それはよう分かっとるやろ? 大厄災から百年経って、ハイリア人の生活はどう変わったか。そんな記事を載せたいんや。ほんで、生活いうたら、やっぱり食や」
私は曖昧に頷いた。
「はあ。まあ、確かに」
姉はさらに言った。
「各地の人間がどんな食生活をしとるのか、どんな便利食材があるのか、どんな美味いものがあるのか、どんなゲテモノ料理があるのか、そういう記事を次は集めるんや」
私は言った。
「はあ。ミツバ姉さんにしてはずいぶん殊勝なことをおっしゃっておられますけどね、本当のところはどうなんです?」
姉は平然として答えた。
「食がテーマならハズレがないから発行部数が伸びる。で、なんかネタはないん?」
うーん、と私はジョッキを卓に置いて考え込んだ。食か。たしかに俗っぽいテーマだが(そもそも『ウワサのミツバちゃん』そのものが極度に俗っぽい雑誌であるが)、それは人生と生活に直接関わる重要な問題ではある。それにそれは姉の見立て通り、読者の興味をリト族の飛翔のように惹くテーマだろう。
私は思いつく限りのことを挙げた。
「じゃあ、サトリ山の頂上にあるという、ウルトラでかいりんごのウワサは?」
ミツバ姉は答えた。
「あれはもう、フタバが調べた。どっかのオッサンが蜂の巣を遠くから見て間違えただけだったらしいわ。それに、そういう
私は言った。
「それじゃあ、ゾーラ族の作っている
姉は答えた。
「それはイチヨウが取りかかっとる。『各種族の外貨獲得手段と絡めて書く』って言って、張り切っとったわ」
出した先からアイデアが潰される。それはこの仕事では普通のことである。私はめげずにまた言った。
「では、ハイラル城にあるっていう『幻のレシピ』は? 百年前の王城の人間は何を食べてたのか、とかそういう感じで」
姉は首を傾げた。
「それはたしかに面白いけど、あんたそれを取材できるん? 前に誰か、それ探しに行って死んだやろ」
私は言った。
「三人死んだ」
姉は軽く頷いた。
「そうか」
その後も十個近くのネタを検討したが、姉はなかなかゴーサインを出さなかった。
だんだん疲れてきた私は、とっておきの、しかしあまり出したくなかったネタを出すことにした。
「じゃあ、納豆は?」
姉はきょとんとした顔をした。
「は? 何? ナットー? なにそれ?」
ウワサ好きの姉も知らないとは、これはイケるかもしれない。私は納豆について説明を始めた。
「納豆っていうのは、マメの発酵食品ですよ。独特の臭いがして、糸を引くんだそうです」
うげっ、という顔を姉はした。
「腐っとるやないか!」
予想通りの反応に、私はほくそ笑んだ。
「腐ってるんじゃなくて、発酵してるんですよ。原理的にはチーズと一緒です。まあ材料がミルクじゃなくてマメなんですけどね。基本的にはマメをよく洗ってから水煮して、稲藁だの麻袋だのに詰めて放置すれば勝手に出来上がるんだそうです」
姉はさらなる関心を示した。
「お手軽やん。でもうちそんなん聞いたことあらへん」
私は
「今ではまったく知られてないですけど、かつてのハイラル王国では密かな人気を誇っていたらしいです。材料費は安く、手間もかからず、でもタンパク質が多くて栄養豊富。味も慣れればかなり
実を言うとゼルダ姫云々以降の話は私が姉の興味を惹くために内容を盛ったものだった。関係者は全員、すでにこの世にはいないから文句は出ないだろう。
ミツバ姉はこちらの意図したとおり、熱心に身を乗り出して私の話を聞いてくれた。
「ふーん、ふむふむ……見た目は明らかに腐ってる食べ物なのに、安くて美味くて栄養満点。かつてはハイラル王も好んだ最強のスタミナ食だったのに、今は滅んでしまった幻の食品……ええやん! めっちゃセンセーショナルやん」
私はさらにダメ押しとばかりに言った。
「最近は魔物が勢力圏を拡大して農地も狭まってきているし、イノシシもシカも森の奥へ逃げて動物性タンパク質がなかなか得られない。でも、納豆なら簡単にそれを補える。ハイラルの食料問題解決の一助になるんですよ。そういう『ハイラル救済の勇者』としての納豆の性格を強調すれば、読者に訴えかけるところ大だと思うんです」
しかし、姉は急に難しい顔をした。しまった、少し力を入れ過ぎたか? 私がそう思っている間に、姉は口を開いていた。
「……うーん、まあ勇者云々は流石に話を盛り過ぎやろと思うけど、ひとつ不思議なのは、そんなウルトラ食品のナットーがどうして姿を消して幻の存在になったのかということや」
同様の疑問を持っていた私は、ごく冷静に返した。
「そこんところは今回の取材で明らかにするつもりです」
ここで姉は私に釘を刺した。
「まあ、別に明らかにする必要はないで。読者が求めてるのはストーリー性や。ウソを書くのはあかんけど、ウソみたいに面白いストーリーは記事に盛り込まな。どうしてもナットー衰退の原因が掴めんかったら、『昔は脚光を浴びてたナットーが、大厄災のせいで世の中から姿を消して、今は幻の存在になってしまった』とか、そんなところに話を落ち着かせとき。なんでも大厄災のせいにすればええんや。ウチらはジャーナリストであって研究者やないんやから」
編集長らしい姉の忠告に私は素直に頷いた。
「はい」
姉は、都合三杯目のジョッキに手を伸ばした。
「で、手がかりはあるん? どこに取材に行くん?」
私もエールがなみなみと注がれた新しいジョッキを手に取った。
「シーカー族の本拠地のカカリコ村で今も細々と納豆は作られてるらしいので、まずはそこに行ってみようかなと」
姉は言った。
「そか。じゃあ、話は決まりやな」
姉はジョッキを持ち上げた。私もそれに合わせてジョッキを持ち上げた。姉はちょっとだけ笑みを浮かべて言った。
「ほな、乾杯しよか」
私は言った。
「仕事の成功を祈って乾杯ですか、良いですね」
姉は呆れたように言った。
「アホ、ヨツバが
私は答えた。
「はいはい、それはありがたいですね」
姉は言った。
「じゃあ、乾杯」
私も合わせて言った。
「乾杯」
すでに大量にアルコールを摂取していたため、いまさらその味が分かるわけもなかったが、しかし乾杯してから飲む酒はとても美味く感じられた。
姉も一気に飲み干して、ドンと音を立ててテーブルにジョッキを置いた。そして、最後の最後になって、姉は私が訊いて欲しくないと思っていたことを訊いてきた。
「それにしてもヨツバ、えらくナットーについて詳しいなぁ。なんか本でも読んだん?」
喉の奥から出てきた私の答えは、低く呻くような響きを持っていた。
「……ミモザが教えてくれたんですよ。この世には幻の食品がたくさんあるって。さっき姉さんにした話も、だいたい全部ミモザの受け売りです」
姉はバツの悪そうな顔をした。
「……それは、悪かったわ。すまん。まあ、なんや、この取材旅行で新しい出会いがあるとええな」
私は逆襲の意図を込めて言った。
「姉さんにもね」
姉は笑って言った。
「余計なお世話や!」
その後、取材費や旅程について相談をして、昼食まで共にしてから、姉は街道を北東へフラフラと去っていった。
「これからヘブラ山の方へ取材に行くんや。スレミーに会って、雪山での食事と、『雪男が病気の奥さんに作る伝説のスープ』について話を聞いてくる。ヨツバも気をつけて行くんやで」
準備を終えて私が出発したのは、その三日後だった。
幻の食品、納豆を探す旅の始まりであった。
誰か『ミモザのキッチン』書いてくれ! 応援します!
彼女はいったいどうやって食材を得てるのでしょうね。あんな変なところにずっといて不自由しないとは……
ちなみにWikipediaの納豆の記事に「納豆は日本の発酵食品」と書いてありますが、実は東南アジアにも納豆は存在します。詳しくは高野秀行の本を参照してください。とても良い本ですよ。
※加筆修正しました。(2023/06/14/水)