ハイラルぐでぐで紀行   作:ほいれんで・くー

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開幕、納豆をたずねて三千里

 王国は滅んだ。しかし旅人は滅んでいない。

 

 かつてのハイラルでは、旅といえば「巡礼」を意味したという。

 

 ハイラル平原の南に、巨大な城塞のように隆起した台地がある。南東のハイリア湖をあたかも監視者であるかのように睥睨(へいげい)するこの台地は「始まりの台地」と言い、古くから「ハイラル王国開闢の地」と伝えられてきた。

 

 今では歴史の地層の奥深くに埋没するがままになっているこの始まりの台地だが、かつては超重要な場所だった。というのは、この台地には全ハイリア人の霊性の(みなもと)たる「時の神殿」があったからだ。

 

 一生に一度は時の神殿にお(まい)りしたい。それは別段、宗教的な戒律だとか決まり事というわけではなかったけれども(そもそも能天気なハイリア人にそんなものは似合わない)、人々の心に共通するある種の願望であったのは間違いない。

 

 そんなわけで全ハイラル中の信心深い人たちだとか、田舎の因習に飽き飽きした若者だとか、借金取りから逃げるための口実を探している奴だとか、死に場所を求める老人だとかが、挙って始まりの台地の時の神殿へ旅をしたのである。そう、巡礼だ。

 

 この巡礼には、特に「こうしろ、ああしろ」という規則があったわけではないが、ただ一つだけ、慣習のようなものがあった。それは「巡礼者は故郷から徒歩で時の神殿に来なければならない」ということだった。

 

 どこの誰が言い出したわけでもなく、気づいたら「徒歩で」というルールができていたらしいのだが、これがまた多くのドラマを生んだ。そして、この生まれた多くのドラマを基にしてまた多くの「ドラマ」が作られた。城下町の劇場のプログラム表を見ると巡礼をモチーフにした劇がしょっちゅう上演されていたことが分かるし、のみならず恋愛小説にも「巡礼もの」が多かった。

 

 兄の冥福を祈るため巡礼に出た女の子が、巡礼の途中で素晴らしい美男子に会い、旅路を共にし、困難を乗り越え、ようやく時の神殿に辿り着いたら、その美男子が実はハイラル王家の王子様だったことが判明、女の子は王子様と一緒にお城へ……というような愚にもつかない恋愛小説がかつては大量生産されていた。実際、そのモデルになった出来事があったらしいのだが、残念ながら詳しいことは分かっていない。

 

 話が逸れた。とにかく、かつての人々は「旅=巡礼=徒歩」という心性を有していたのだ。では、今日の私たちが旅に出る時も、必ず徒歩でなければならないのか?

 

 答えは否である。断じて否。少なくとも私にとっては。此度(こたび)の私の旅だって、始まりの台地をちょっとだけ裾野を掠める形で経由するのだから、昔の人だったら「立派な巡礼ではないか、歩いていけ」と言うところだが、残念ながら私は現代人である。

 

 だいたい徒歩などロクなことがない。途中で魔物の待ち伏せにあったら逃げられないし、今ではめっきり数を減らしたとはいえ追い剥ぎや野盗の襲撃があるかもしれない。それに何より、足が痛くなる。あの靴擦れのぶよぶよした水ぶくれなど、想像するだに嫌な気持ちになる。加えて時間もかかる。

 

 だから私はいつも馬車を可能な限り利用している。姉のイチヨウは「取材先に(おもむ)く道中にも何らかの発見は転がってるもんやから、出来る限り歩かなあかん」と言って、馬車を使う私に「横着するな」といつも苦言を呈するのだが、こればかりはポリシーの問題だから譲ることはできない。幻のハイラル納豆を追う今回の取材旅行でも、私は馬車を利用することにした。

 

 ちなみに、私は馬には乗らない。乗れないわけではないが、乗りたくないのだ。また後ほどこのことについて述べる機会もあるだろう。

 

 普通ならば一定額のルピーを払って輸送馬車なり連絡馬車に乗せてもらうのだが、知っての通り私には金がない。

 

 金がなければどうするか? そこは工夫するのである。工夫とはすなわち、人に頼るのである。

 

 ちょうどマリッタ馬宿から平原外れの馬宿まで、郵便物を運ぶ馬車が出ることになった。この一ヶ月の逗留ですっかり仲良くなったと私が一方的に思っている馬宿の店員スプリン氏に話をつけて、私は無料でその馬車に便乗させてもらうことになった。

 

 交換条件などは別になかった。先方(せんぽう)の純然たる好意であった。スプリン氏は言った。

 

「うちの店員のコズミが馬車を平原外れの馬宿まで走らせるので、どうぞそれに乗っていってください。コズミも馬宿の店員として訓練は受けているとはいえ、女の一人旅は危険ですからね。え? 『男女が一対一っていうのは別の意味で危険ではないのか』ですって? いやぁ、ヨツバさんに限ってそんなことはないでしょう。信頼してますからね。お代ですか? それはいらないですよ! 是非にもとおっしゃるなら、それならまたうちの馬宿をどうぞご利用ください。今度は一ヶ月と言わず、半年でも一年でもお願いしますよ!」

 

 スプリン氏はにっこりと笑った。無論、その笑顔には多分に営業スマイル的なものが含まれていたのだろうが、人の優しさに飢えていた私は感動してしまった。最初の段階でこんなに良い目にあえるなら、もうこの旅の成功は約束されたも同然だと、私は無邪気に思ったりもした。

 

 ルートは、まずこのマリッタ馬宿から街道沿いに進み、ラブラー山の麓を通り、終焉の谷を経由して西ハイラル平原に出る。タイアモン川に架かるジェド橋を通過し、ニーケル平原を南下、ダライト森林に入って進路を東に転じ、今度はヒメガミ川を渡って、それから平原外れの馬宿に到着という流れになる。

 

 いや、なかなかに長い道のりだ。街道沿いなので特に危険な箇所はないが(この時代でも街道の安全は「いちおう」確保されている)、これを徒歩で行くというのは、自殺行為とまでは言わないまでも、よほどの酔狂な人間しかやらないというのは理解してもらえるだろう。

 

 平原外れの馬宿から先の交通手段については何も見通しが立っていないが、どうせ馬宿は定期的に馬車を出しているだろうから、またそれに便乗すれば良い。平原外れの馬宿から双子山の先の双子馬宿までは、マリッタ馬宿から平原外れの馬宿までと同じくらい距離がある。スプリン氏からもたらされたのと同じような幸運に再度恵まれることを女神様に祈るばかりだ。楽観的に過ぎると言う人もいるかもしれないが、そもそも楽観的でないと旅の最初の一歩すら踏み出せない。

 

 姉からは取材費として千八百ルピーを渡されていた。これに私の手持ちの二百ルピーを合わせて、予算は二千ルピーとなった。大金に思えるかもしれないが、実は決して潤沢とは言えない。取材の進捗状況によってはカカリコ村に長期滞在することになるかもしれないし、それにその後も別の土地へ取材の足を伸ばさなければならないかもしれないのだ。タダで馬車に乗せてもらうのは徒歩を嫌がっての横着ではなく、こうした深謀遠慮も働いている。

 

 出発の朝は、晴れの門出といきたいところだったが、残念ながら空はどんよりと曇っていた。冷たい水で顔を洗い、ヒゲを剃り、パンとフレッシュミルクの軽めの朝食をとり、旅人の剣や旅人の盾やポーチといった装備を身につけ、大きく膨らんだバックパックを背負うと、気分は申し分なくシャッキリとして、「よし、やるぞ!」という闘志にも似たやる気が湧いた。

 

 コズミさんが私に声をかけてきた。

 

「それではヨツバさん、出発しますよ」

 

 私は答えた。

 

「よろしく、コズミさん」

 

 馭者(ぎょしゃ)台に座るコズミさんはうら若い女性で、馬宿協会の制服姿が凛々しかった。自称「恋多き女」とのことだが、彼女の勤務態度は至極真面目だ。

 

 馬車は小型の(ほろ)付き二頭立ての四輪馬車だった。馬は左が「デスマス」で、右が「ゴゼマス」という、なんとも愛嬌のある名前の二頭だった。いずれも目がつぶらで可愛らしく、しかしよく肥えて筋肉がついていて、流石は馬宿協会の所有する馬匹だと私は感心した。これならどんな悪路でもぐいぐいと馬車を引っ張ってくれるだろう。

 

 すでに馬車には郵便物の詰まった大きな白い袋がいくつも積まれていた。速達ならばリト族の管轄だが、一般の郵便はこうして馬車で運ばれる。手紙から小包まで、なんでもござれだ。料金も安い。

 

 私が乗り込むと同時にコズミさんは鞭を振るい、鋭い掛け声を発して馬車を出した。

 

 さあ、納豆をたずねて三千里の、長い長い旅の始まりだ。

 

 車内には大きなクッションが用意してあった。なんともありがたいことだった。それと同時に、スプリン氏が自分に期待していることも理解した。それは、いざという時には私が護衛の役目を果たさなければならない、ということだった。普段はクッションの上に座ってゆったりと休み、緊急時には体を張ってコズミさんを守って欲しい。そういうメッセージを私は感じ取った。

 

 この時代、男であるにせよ女であるにせよ、純粋にただ守られたり、ただ守ったりするということはない。どんな人間も守られつつ、かつ守り、そうやって協力し合いながら旅路を完遂するのだ。荷台にゴロリと寝転がったまま後はお任せ、という態度はとれない。馬車の旅は楽ではあるが、気楽ではないのだ。

 

 しかし問題なのは、私には剣術の素養がさっぱりないということだった。これまで私は何度も魔物に遭遇して戦いになったことがあった。しかし、剣で敵を仕留めたことは一度もなかった。

 

 世間話ついでにその点についてコズミさんに尋ねたところ、彼女は馭者台の下から弓矢を取り出して、どこか誇らしげに言った。

 

「安心してください! 遠くウオトリー村から取り寄せた電気の矢がありますから! 万一ヨツバさんの手に余る敵が来ても、この電気の矢を当てれば痺れて武器を取り落としますから、その間にトドメを刺すなり逃げるなりすれば良いんです」

 

 なるほど、至極合理的な考え方だ。こちらの技量が劣るのならば、代わりに強い武器を使えば良い。高性能な電気の矢は一般の冒険者や旅行者が常用するには非常に高価であるが、馬宿協会のように財力があるならばその点もカバーできる。ハイラル一の民間組織である馬宿協会は、やはり格が違うようだ。

 

 そんな話をしていると、ふと、進路方向左手に見えるマリッタの丘の頂上に怪しげな光が見えた。よくよく見るとそれは、オレンジ色に輝く不思議な紋様だった。その涙目の紋様は、古代シーカー族のエンブレムだ。

 

「あれは、何でしたっけね?」と私はコズミさんに尋ねた。「あんなに光るもの、前からありましたっけ?」

 

 コズミさんは答えた。

 

「いやですわ、ヨツバさん。あれは(ほこら)です」

 

 私は訝しんだ。

 

「祠? ああ、たしかにあの丘には、頂上あたりに黒い祠がありましたね。でも、前からあんなにビカビカと妙な具合に光ってましたっけ?」

 

 コズミさんは言った。

 

「いえ、光り始めたのはつい最近ですわ。半月ほど前に大きな地震があったでしょう? あの後から急に祠が光り始めたんです。それに私はまだ見てないんですけど、世界の各地で地面の下から祠と同じ色の光を発する塔がニョキニョキと生えてきたのだとか。この道中でも、ラブラー山を過ぎた後でそれを見ることができると思いますわ」

 

 私は言った。

 

「ははぁ、地震の後で」

 

 私は納得した。半月ほど前、これまで経験したことのないような強い揺れがあった。まだ日も高くない、午前の頃だったように思う。馬などの家畜たちは大騒ぎをするし、馬宿の中では瓶が落ちて割れるなどしたし、何より人間たちが見るにたえないほどのパニックを起こした。オルディン地方のデスマウンテン近くに住んでいる人間は地震には慣れっこらしいのだが、この地方の人間は生まれてから死ぬまで一度も地震に遭ったことがないというのも少なくない。

 

 私はというと、その頃は自堕落な生活の真っ只中で、午前中はぐうぐうと高鼾(たかいびき)をかいて寝ているのが常だったから、その地震の時も夢の中で「なんとなく揺れてるなぁ」と感じつつも、結局起きなかった。後になって店員から話を聞いてそれを知った。店員からは「あれだけ揺れたのにお目覚めにならないものですから、驚きましたよ」と呆れられた。

 

 コズミさんが嘆息して、言った。

 

「でも、まったく世も末だと思いますわ」

 

 彼女は手綱を操りつつ、さらに言葉を続けた。 

 

「地震に、祠に、塔……何か良くないことの前触れなんじゃないかと思うんです」

 

 そんな深刻に考えなくても、と私は内心思ったが、ここは話を合わせることにした。

 

「良くないこと……大厄災の再来とかでしょうかね。それか、何かが目覚めたとか」

 

 ぶるりとコズミさんは体を震わせた。

 

「やだ! あまり怖いことを言わないでください! それに何かが目覚めたって、何が目覚めたって言うんですか?」

 

 私は顎に手をやりつつ答えた。

 

「いえ、言い伝えでは『地震は大地の底に眠る大きな亀が目を覚ました時に起きる』なんて言いますし、ゴロン族では『長き眠りについている祖先の霊がふと目を覚ました時に地震が起きる』なんて言われているそうです。だから今回の地震も何かが目覚めた証拠なのかと……まぁ、与太話の類です」

 

 このような話をしているうちに、馬車は街道西側に見えるマリッタ交易所跡地を通り過ぎようとしていた。かつてマリッタ一帯の交易の拠点として重点的に整備された交易所は、百年前にはあたかもミニ城下町のように立派な城壁と城門を持っていたらしい。それが今や草ぼうぼうで苔むして、崩れ落ちた建物は朽ち果てるままになっていた。折からの曇天で、交易所跡地は元からの陰鬱な雰囲気をなおさら強くして漂わせていた。

 

 この跡地では、今もなお魔物側と人間側とで支配権を巡る争いが続けられている。人間側は定期的に、主に冒険者からなる義勇軍を結成して魔物たちを追い払う。魔物たちは人間たちに追い払われつつも、ほとぼりが冷めたらまた帰ってくる。そういったことがが繰り返されている。人間側は魔物を追い払うことはできるのだが、人員を配置して永続的に跡地を確保し続けるだけの余力がないのだ。

 

 そんな状況をまったく分かっていない外から来た運送業者が、貨物の一時保管場所としてこの跡地を利用することがある。魔物は帰ってきてビックリ、労せずして大量の物資をうまうまと手に入れてしまうのだ。マリッタ馬宿は広報活動の中で「交易所跡地には何も置かないでください!」と伝えているのだが、同じようなミスはいつまで経ってもなくならない。かつて私も『ウワサのミツバちゃん』でこの問題を取り上げてみたことがあるが、状況の改善には直接結びつかなかった。

 

 取材の結果、どうやらこの交易所のみならずハイラル各地で貨物の置き去りが起きているらしく、運送業者たちの間で何らかの黒い意図が張り巡らされているらしいことが分かったのだが、そこまで踏みこんだ取材は結局出来ずじまいだった。

 

 そういえば、このマリッタ交易所はハイラル納豆の歴史においてとても重要な場所だったことを私は思い出した。

 

 私はバックパックから一冊の本を取り出した。その本の題名はズバリ『納豆について』というものだった。著者はズイダというハイリア人である。この本は今から百五十年ほど前に書かれたもので、正真正銘の古書なのだが、保存状態が良かったので問題なく読むことができた。

 

 ミモザとまだ交際していた頃、納豆に興味を持った私は関連する文献を探し、リト族の友人にも協力してもらって、ついにこの本を入手したのだった。まだこの本の由来だとか著者の略歴だとか出版の背景だのについて検討が済んでいないのだが、納豆について体系的な記述をしている本は全ハイラルを見渡してもこれだけだろうから、第一級の資料的価値があると見て良い。

 

 ズイダによると、冷涼で土地の痩せたマリッタの丘一帯、つまりマリッタ平原とラーミン平原とバーチ平原では、小麦ではなく豆類の生産が盛んで、マリッタ交易所には一年中、豆類の詰まった大袋が積み上げられていたという。

 

 マリッタ産の豆類はいちおう食用とされていたが、主な使い道は油脂類生産の原料であったり、またその搾りかすを家畜用の飼料としたりなどといったところで、実際にはほとんど人間の食卓にのぼることはなかったらしい。

 

 昔のハイラルではどんなに貧窮している者でも(コメ)や小麦を腹一杯食べることができた、とはもはや聞き飽きた老人たちの繰り言であるが、なるほど米やパンが食べられるのにわざわざ豆を食べる者はいないだろう。私が徒歩ではなく、馬車で旅をするのと同じだ。

 

 そんな不遇な地位に甘んじていたマリッタ産の豆類であったが、ある時を境にして状況が一変した。言い伝えによると、ある日フラリとどこかからシーカー族の男が交易所に現れた。男は人々に「あなた方をお金持ちにして差し上げる」と言い、よく煮た豆を稲藁で包んだものを渡して回ったという。謎の男は何も言わずに去っていった。数日後に人々が妙な匂いに気づいて稲藁の包みを開いてみると、あら不思議、そこには糸を引く納豆があったとさ。これがハイラルでも有数の納豆ブランドの一つ、マリッタ納豆の起源なんだとか……

 

 原料そのものの輸出よりも、加工品の輸出の方が当然儲かる。この後、マリッタの豆農家たちは挙って納豆を生産するようになった。作られた納豆は街道を伝って城下町へ運ばれ、そこで大量に消費された。そんなわけで現在は丘陵街道と呼ばれている道も、昔は「納豆街道」と呼ばれていたらしい。ずいぶんと匂いそうな名前だ。まだ私は納豆の匂いを実際に嗅いでいないが。

 

 言い伝えをすべて信じるわけにはいかないが、シーカー族がなんらかの事情のもとにマリッタの人々へ納豆作りを教えたこと、そうやって生まれたマリッタ納豆が重要な産物となり、城下町で大量消費されていたことなどは歴史的な事実と見て良いかもしれない。シーカー族が納豆を発明したとは古くから言われていることでもある。

 

 だが、それでもよく分からないのは「ハイリア人がいつ頃から納豆を食べ始めたのか」ということだ。言い伝えを信じるならば、マリッタに納豆作りが伝わった頃、城下町では納豆がすでに食生活の一部として定着していたことになる。では、城下町に納豆はどうやって伝わったのだろうか? そして、なぜ城下町の住民に納豆は受け入れられていったのだろうか?

 

 この疑問を解くには、やはりシーカー族の隠れ里カカリコ村へ行くしかないだろう。納豆の生まれ故郷を直撃するのだ。ミツバ姉ならば「研究者やないんやから、納豆の起源の探究なんてやめとき!」と私に忠告するだろうが、しかし物事を調べる時にはある程度研究者的な態度が必要とされるのだ。

 

 などとつらつら考えているうちに、馬車はマリッタの丘とラブラー山との間の峠道に差し掛かっていた。ラブラー山は黄土色の肌をした小高い山で、マリッタ平原側から見るとあたかも衝立(ついたて)のように聳え立っているのだが、この峠の土は黄土色ではなく黒で、木や草はまったく生えていない。荒涼、という言葉がぴったりと合う。

 

 時刻は正午を過ぎていた。この道、急ではないが長い上り坂で、はたして馬たちは大丈夫だろうかと様子を窺ってみると、馬たちはまったく息を切らさず、悠々として歩を進めていた。

 

「頼もしいですね、この登り坂でも馬たちはまったく疲れていない」

 

 朝に馬宿で用意してもらった昼食の包みを開きながら私がそう言うと、コズミさんは微笑みながら答えた。

 

「良い馬でしょ、このデスマスとゴゼマスは。私がいつも特に念入りに手入れしている子たちですし、何よりエサが特別ですからね」

 

 エサが特別。何を食べさせているのだろうか? 私は尋ねた。

 

「エサは、やはり豆ですか?」

 

 彼女は頷いた。

 

「正解です! マリッタといえば昔から豆ですからね! 痩せた土地でもたくさん実る豆には生命力がたっぷり詰まってますから、これを食べればどんなひ弱な生き物でもゴロン族のように頑健になりますよ」

 

 おお、なんとも素晴らしいまでの豆への信頼感。ならばひょっとして、納豆についてもコズミさんは何か知っているのでは? ズイダによると、納豆は動物にとっても栄養豊富な食べ物で、猟犬や競走馬はよく食べさせられていたという。私は尋ねてみた。

 

「ところでコズミさん、納豆ってご存知ですか?」

 

 彼女は首を傾げた。

 

「ナットー、ですか? 知らないですね。なんですかそれ? 花かなにかの名前ですか?」

 

 彼女は納豆を知らなかった。当然か。マリッタ馬宿で納豆が食に供されたことはなかったし。

 

 私が一通り納豆について説明すると、予想通りの反応が返ってきた。

 

「腐ってるじゃないですか!」

 

 その腐った豆を調べに西ハテールのカカリコ村へ行くのが今回の旅の目的です、と言うと、彼女は絶句していた。

 

「そんな遠くまで腐ったものをわざわざ調べに……雑誌の記者さんって大変な仕事なんですね……私、記者という仕事にちょっと憧れたりしてましたけど、お話を聞いて考えを改めました」

 

 いや、雑誌の中でも『ウワサのミツバちゃん』は特に変わっている部類に属するから、この世の記者という記者が全員腐った豆を調べるような仕事をするわけではないのだが……しかし私は黙っておいた。大変な仕事と思われておく方が得だと感じたからだ。わずかに自尊心も満たされるし。

 

 峠では時折急激な雷雨に見舞われるとのことだったが、幸い私たちが通る時には何事もなかった。

 

 馬車はそのまま道なりに進み、途中で棍棒を手にした一匹の赤ボコブリンを遠目に見た他は特に変わった出来事もなく、下り道に差し掛かった。峠とは一変して、地面は美しい緑色をした柔らかな草で覆われていた。

 

 すると、右前方になにか異様なものが見えた。それは、出発時に見た祠の輝きとまったく同じ色を放つ、巨大な縦に細長い構造物だった。それが台地に聳え立っていた。

 

 コズミさんは昼食のパンを齧りながら言った。

 

「あれですよ、あれが地震の後に生えてきた塔です。あれだけ大きくて細長いものが地中に埋まってただなんて不思議ですよねぇ」

 

 たしかに、不思議そのものだ。ミツバ姉は食なんかをテーマにしないで、最近光り始めた祠や塔を特集するべきだったのではないだろうか?

 

 馬車から降りて調べに行きたい気持ちがムズムズと湧いてきた。しかし本来の目的を忘れてはならない。今はカカリコ村へ行くことが先決だ。

 

 いつしか、日が傾いてきた。馬車は最初の難所、終焉の谷の入り口に辿り着いていた。ここで停車して一晩を明かしてから、翌日の朝に谷に進入することになった。夜間に谷を通るのはリスクが大きすぎるからだった。それほど急ぐ旅でもないし。

 

 コズミさんには先に寝てもらい、私は起きて見張りをすることにした。私の手には旅人の剣があった。昼間の雲はどこかに行ってしまって、夜空は無数の星々の(きら)めきで埋め尽くされていた。

 

 昼間に豆と納豆について考え過ぎたせいで、私には星々がだんだん豆と納豆に見えてきた。時折白い尾を引いて夜空を流れ星が走るのだが、それが糸を引く納豆のように思えてしまう。

 

 夜空を眺めているうちに、どうして私は見たこともなければ食べたこともない納豆を調べに旅に出たのだろうかという疑問が湧いてきた。それは無論、仕事のためなのだが……

 

 目を転じると、終焉の谷の大きくて歪な形をした巨岩の数々が視界に入ってきた。この岩、光線の加減とボコボコの窪みのせいで人間の顔のように見えるとのことで、フタバ姉は以前「恐怖! 人面岩のウワサ!」という記事を書いていた。

 

 なるほど、岩はたしかに苦悶の表情を浮かべる人間の顔に見えなくもなかった。夜ですらこう見えるのだから、昼ではさぞかしすごい迫力だろう。

 

 そう思いつつ岩を見ていると、私は違和感を覚えた。あの窪み、何かが動いたような……いや、目の錯覚かな……

 

 違う! 確かに動いている!

 

 次の瞬間、ドサっという重い音がして、何かが窪みから落ちてきた。




 今回の話を書くにあたって実際にマリッタ馬宿から平原外れの馬宿まで歩いてみたんですけど、いや遠い遠い。途中でイーガ団に4回ほど襲われて「おのれバナナジャンキー共……!」ってなりました。

 紀行文というからには目にしたものや訪れたものに関して色々と情報を出さないといけないわけですが、これを二次創作でやるとなると単なる解釈を飛び越えてもはや妄想の域にまで達してしまいます。楽しくもあり、ネタを捻り出すのに苦しくもあり……

 さっさと主人公をリンクさんに会わせたいので次回の更新も頑張ります。
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