私は瞬きもせずそれを見つめていた。深夜、星明かりの微光に照らされたその白っぽい物体は、ゴソゴソと戸惑うようにうごめきつつ、数メートル離れたところに座る私のもとへ、ゆっくりと、しかし着実に移動しつつあるようだった。
小さい頃の、雷雨の激しい夜中に起きたある出来事を私は思い出していた。あまりにも大きな雷鳴で目が覚めてしまった私は、ふと枕元に何かがいるのに気づいた。ごく小さい、細長いなにかだった。暗くてよく見えないが、時折窓の外で閃く稲光によっておぼろげながら輪郭が見えた。臆病だった私は、あえて起きて正体を確かめようとはしなかった。
というのは、怖かったからだ。心の中で「あれはきっとすごく小さい魔物だ!」と私は思い込んでいた。家の中に魔物が入ってくるはずもなく、またそんなにも小さな魔物が存在するはずもなかったが、幼い精神につきもののあの豊かで脈絡のない想像力によって、その正体不明の存在は「すごく小さな魔物」ということになってしまった。
動悸は激しく、目は見開いたままだった。隣に眠る姉たちに声をかけることもできなかった。しかしながら、ぐるぐると様々な想念が渦巻く私の精神に対して、謎の存在は不可解なことにピクリとも動かなかった。
気がついた時には朝になっていた。いつの間にか寝てしまったようだった。フタバ姉の悲鳴で私の目が覚めた。ミツバ姉が指で何かをつまんでいた。なんと、あの謎の存在は干からびたゴーゴートカゲだった。死後かなりの日数が経っているように思われた。
どこから入ってきたのか? なぜ死んでいたのか? なぜ干からびていたのか? うちに入ってきてから死んだとすれば、なぜ一晩の間に干からびたのか? 家族全員で考えてみたが、結局原因は分からずじまいだった。
しかし、こういう謎な現象が大好きなのが私たち四姉弟である。ミツバ姉が中心となって、私たち四人はこの事件について仮説を立て、記事を書き、小さな冊子にまとめた。たしか、『怪奇! カラカラ化したゴーゴートカゲ!』とか、そういう題名をつけた。母が表紙の絵を描いてくれたのをよく覚えている。
今、また謎の存在が近寄ってくるのを見て、私の心はあの時と同じように怯えた。と言っても、怯えの程度はごくごく軽かった。それよりも今は好奇心の方が強かった。あの時の謎の存在はすでに死したる干からびたゴーゴートカゲだったが、今回のそれは遥かに大きく、そして動いていて、おそらく生きていた。いったいなんだというのだろうか?
私は立ち上がって、自分からそれに近づいていった。数歩進んで立ち止まると、向こうも示し合わせたように立ち止まった。
距離が詰まると、それの正体はすぐに判明した。
「なーんだ、イシロックじゃないか」
胸を撫で下ろすと同時に、私は呆れてしまった。イシロックに対してではない。イシロックごときに怯えを抱いた自分に対してだ。幼い頃からまったく進歩がないではないか。
このハイラルの大地には様々な魔物が生息しており、その中には人智を絶するほどに巨大なものも存在する。岩石の魔物イワロックがその典型で、その大きさは小さな納屋を凌駕するほどだ。普段は地面に埋まっていて、何も知らない人間が近づくとおもむろに地表に姿を現し、両腕を振り回して襲いかかってくる。戦い慣れた冒険者でもあえて挑戦しようとはしないほど、強力で危険な魔物だ。
このイシロックは、イワロックの幼体である。その大きさは一抱えほどの石より少しばかり大きめで、言うなれば「かなり大きな漬物石」だ。図鑑によると、「成長すれば岩のように硬い体になるが、幼体は持ち上げられるほどに軽く、投げるとすぐ崩れるほど脆い」とある。
ゴロン族などはパンチでこの幼体の魔物を破壊するらしい。ゴロン族でなくとも、慣れた者はハンマーで叩き割るとか。鉱山で働く人間にとっては畑の害虫程度の脅威でしかないとも聞く。
このように、いかにもザコ敵な印象を受けるイシロックであるが、しかし油断してはならない。今から二年ほど前、このイシロックに重傷を負わされた人がいた。友人の結婚式でしたたかに飲み、酔っ払った帰り道に街道から外れ、千鳥足でフラフラと岩場に迷い込んだその犠牲者は、突如現れた三体のイシロックに囲まれ、命こそ助かったものの全身の骨を何箇所も折られてしまったという。イチヨウ姉が取材して記事にもした。
そのような情報を知っておきながら、私は油断していた。
「だが、所詮はイシロックだしなぁ」
目の前に星の光を浴びて佇むイシロックは、どう見ても危険とは思われなかった。三匹ではなく一匹だけだし、それに、そいつは一般的なイシロックよりも少し小さかった。
おまけに、そいつはつい先ほど岩から産まれたばかりのように思われた。というのも、そいつは地面に埋まっていたのではなく、岩から落ちてきたからだ。以前私は、どこかの学者の論文で「イシロックは年月を経て魔物の邪気を溜め込んだ岩石から、ある日突然自然発生する。岩から出てきたイシロックは適当な地面を探してそこに潜伏し、さらに年月をかけて徐々に巨大化する……」などという仮説が書かれているのを読んだことがある。その説に従えば、コイツはいわば赤ん坊だ。
「ちゃっちゃっと片付けてしまおう」
私は腕まくりをしてその「赤ん坊」イシロックに近づいた。イシロックと一対一で戦うのはこれが初めてだが、決して大騒ぎをしてはならない。馬車の中ではコズミさんが寝ているのだ。明日の朝も早く、一日の行程も長い。彼女の安眠を妨げてはならない。ひょいっと持ち上げて、えいやっと投げて、地面に叩きつけて、はいおしまいだ。
ところが、である。
「なびぃっ!?」
次の瞬間、私は腹に予期せぬ重い一撃を受けて、地面に仰向けにひっくり返った。
生意気にも、イシロックがパンチをしてきたのだった。
立ち上がっても私の膝下ほどしかない背のイシロックは、意外にも長いリーチを持っていた。突き上げるように繰り出されたパンチは、ちょうど私の腹部のど真ん中に直撃した。
幸い、物をたくさん入れておいた胴巻が緩衝材の役目を果たしたので、筋肉や内臓にさしたるダメージはなかった。しかし、無様に地面に転がされて死んだゴーゴーガエルのような姿を晒すことになった私は、逆上した。
「この野郎!」
手をついて素早く起き上がると、私は再度近づいた。今度は油断などしない。できる限りの無駄のない動きでイシロックを持ち上げ、今度こそ地面に叩きつけてやる。
だが、しかし……
「ざりあっ!?」
衝撃を受けて、私は再度尻もちをついた。またもやパンチを受けたからだった。分かっていたはずなのに、また、先ほどとまったく同じ攻撃だったのに、私はイシロックのパンチを見切ることができなかった。
見ると、イシロックは片手をこちらに差し伸ばして、あたかも誘うようにクイクイと動かした。ほら、どうした人間、かかってこんかい。そう挑発しているように見えた。
私の頭は怒りで沸騰した。
「な、舐めた真似をしよって……! この赤ちゃん岩石が……! いてまうどワレェ!」
それと同時に、この思わぬ難敵にどう対処しようかと私は考えていた。
単に近づくだけではダメだ。コイツのパンチは鋭く早く、また夜の闇のせいで動きの軌跡が追えない。正面から立ち向かったのでは、この産まれたばかりの魔物のおあつらえむきの練習台となってしまう。
戦いの基本は、相手の側面や背面をとることだと聞いたことがある。私もなんとかしてコイツの背後に回る必要があるだろう。
というわけで、私はその考えの通りに体を動かした。だが……
「みどどっ!?」
「でぐぅっ!?」
「げぽらっ!?」
岩石でありながら、イシロックのフットワークは踊り子のように軽快で無駄がなかった。私がどんなにフェイントをかけても、そいつは次の瞬間には正しい向きに体を動かして、パンチを放ってきた。ジャブにフックにアッパーに……魔物はあらゆる種類の拳による打撃を試してきた。むしろ、魔物はそれを楽しんでいるようだった。
一方、私は息があがっていた。
「はぁ、はぁ……クソっ……アカン、コイツ、強いな……」
まったく、慣れないことをするものではない。私の本業は文筆の道にあるのであって、間違っても冒険者のように魔物と戦うことにあるのではない。ましてや徒手空拳でなど……
「待てよ。考えてみたら俺、徒手空拳じゃないじゃん。剣持ってるじゃん」
その時に至るまで、私は背中に負った旅人の剣の存在をすっかり忘れていた。どんなに有用なものでも、普段使っていないものはなかなか頭に浮かばないものだ。
私はスラリと剣を抜いた。星明かりを受けて、
ただし、いくら戦いに疎い私でも、剣でイシロックを斬れるなどとは当然考えていない。昔の城下町の剣術道場では「その気になれば月でも斬ってみせる」と豪語する師範がいたらしいし、王国の最精鋭たる近衛騎士たちは実際に岩石をチュチュゼリーでも斬るように両断したらしいが、無論私にそんな腕前はない。
イシロックは静かに佇んでいた。顔も目もない無機質な魔物ながら、なんとなく私のことを不敵な面構えで眺めやっているように思われた。私の次なる行動を注視しているのか、それともこれまでの戦いから私のことを取るに足らぬ存在だと笑っているのか?
私は叫んだ。
「それは大きな間違いや! 食らえ!」
私はイシロックに剣を勢いよく振り下ろした。ただし、剣は鞘に収めたままだった。
「オラオラオラーっ!!」
ゴンゴンゴンと、鈍い音が終焉の谷入り口に響きわたった。技も冴えも何もなく、私は力任せに、あたかも部屋に突然出た黒い羽虫を叩き潰すように、鞘に収められたままの剣をイシロックに叩きつけ続けた。
作戦はこうだ。リーチにおいて劣っている私が優位に立つには、剣を使うしかない。しかし
それに、こうすることの意味は他にあった。私は会心の叫びをあげた。
「よし、怯んだ!」
イシロックは連続的に加えられる衝撃に嫌気が差したのか、両腕で頭(なのかは分からないが)を防御した。
これを狙っていたのだ。私は剣をその場に捨ててイシロックの背後に回り込んだ。
「やったぞ!」
剣による打撃で隙を生じさせる。単純にして完璧な作戦だ。私はむんずと両手でイシロックの胴体を掴むと、腕と足と腰に力を入れて持ち上げ、運動競技会の優勝選手がトロフィーを掲げるように、頭上にやつを抱え上げた。
勝負あったな。私は勝ち誇った。
イシロックがジタバタと手足を動かすのが感じられた。ふふふ、足掻け足掻け! せいぜい無様に足掻くが良い! ザマァ見ろ、お前はこれから地面にぶつけられて、粉々に砕け散って命を儚くするのだ! さぁ、そろそろこの世に別れを告げるが良い……
しかし、私は一つだけ忘れていることがあった。
次の瞬間、嫌な音がしたように感じられた。ビリビリと、腰に電流が走った。私は呻き声をあげた。
「ぐ、ぐおっ!? ア、アカン、こ、腰が……!」
私はマリッタ馬宿でほぼ一ヶ月間、引きこもり同然の寝たきり生活を送っていた。運動らしい運動もせず、毎日寝台に横たわるかテーブルで酒を飲むかしていて、不摂生極まりない毎日を過ごしていた。
当然、体力は衰えていたし、筋肉も痩せていた。普通だったらそのことに早めに気づいていただろう。馬車に乗らず徒歩で旅を始めたならば、最初の一時間で自分がいかに弱っていて、どれほどのことができないようになっているかを悟っていただろう。
だが、私は馬車でここまで来てしまった。柔らかなクッションに腰を落ち着けて、コズミさんと楽しくおしゃべりをし、美味い昼飯を食べて、至極安逸な気持ちのままここに来てしまった。
もうお分かりだろう。その時、私はぎっくり腰になったのだ。
気高さからは程遠い、あまりにも凡百な激痛に、私は吠えた。
「ぐぉおおおっ!!」
へなへなと、全身から力が抜けた。当然、イシロックを投げ捨てて処刑することも叶わず、私は魔物を地面に戻してしまった。
一つだけ自分で自分を褒めるべき点があるとすれば、それはイシロックをひっくり返したまま置いたことだった。おかげでさらなる反撃を受けることはなかった。ジタバタと手足を動かし続ける魔物の隣で、私は砂漠に住むスナザラシのようにぐでっと脱力して地面に横たわった。
呻きつつ、痛みに耐えつつ、私は苦悶し続けた。
「ぬぐ、ぐぉ、ぐぉおお……」
誰だ、図鑑に「持ち上げられるほどに軽い」などと書いてやつは! 確かに持ち上げられるには持ち上げられたが、決して軽くはなかったし、それに倒し切れなかったではないか。
いつぞや、ハテノ村の収穫祭を取材した時のことを私は思い出した。あの時も「この村では米俵を一つ担げて初めて大人になるんです」という村民の言葉を真に受けた私は、一つだけで成人女性一人分にもなる重さの米俵を持ち上げようとしてぎっくり腰になった。痛みで泣きながら取材を続けた覚えがある。してみると、あの時にぎっくり腰の癖がついてしまったのだろうか……?
数分、いや数十分経ったのだろうか、それとも数時間は経っていたかもしれない。ようやく激しい腰の痛みが去り、なんとか呼吸を落ち着かせることのできた私は、夜空を仰いだ。
天から降り注ぐ星々の光は幻想的ながらも、星そのものは手に取れるかのような現実性を
どうやら相当疲労しているらしい。それに、腰以外にも全身に痛みを覚える。特に腹部だ。戦闘の興奮で忘れていたが、考えてみたら剣で殴りつけるという作戦の前からイシロックにかなり痛めつけられていた。
幾筋かの流れ星が夜空の
そういえば、イシロックはどうなったのだろうか?
隣を見ると、イシロックはひっくり返ったままだった。魔物は、もうその手足を動かしていなかった。南の海には大きな亀が棲んでいて、その名もサイハテウミガメとかいうらしいが、その生き物は一度ひっくり返ると自力では起き上がることができないのだとか。イシロックもウミガメのように観念したということなのだろうか?
うん、この勝負は、引き分けと見て良いだろう。命を奪うか、それとも奪われるか。それがこのハイラルの天地を支配する戦いの作法ではあるが、どちらの命も失われないという、このような決着があっても良いかもしれない。
気の毒といえば気の毒だと、私は思った。このイシロック、岩の中から産まれてすぐに私と出会い、戦い、パンチのコツを掴んだところでひっくり返され、そして今は動くこともできなくなった。人間に敵意を抱き、危害を加えようとするのが魔物の本性とは言え、私に出会いさえしなければこのようなことにはならず、あのまま終焉の谷の端っこで、このままこの世が終わるまでひっそりと暮らすことができたかもしれないのに。
思わず、私は語りかけずにはいられなかった。
「……なぁ、お前。俺たちってなんのために生まれてきたんだろうな。どうして争うんだろうな」
イシロックに耳があるかは分からない。ただ、私はそいつがじっと私の言葉を聞いているように感じられた。
戦いを終えたという解放感からだろうか、それとも単なる精神の弛緩からか、私の口からとりとめのない言葉がだらだらと流れ出た。
「……魔物には分からないだろうが、俺は文章を書いて生きてるんだ。気楽な商売だと思うかもしれないが、けっこう大変でな。俺には姉が三人もいるんだが、せっかく寝ずに書いた文章も三人がかりでボコボコにされて、期限ギリギリまで改稿を繰り返さないといけない。その時は『チクショー、とんでもない姉共だ!』なんて思うんだが、でも、仕事を終えた後はすごく良い気持ちなんだ。『ああ、生きてて良かったな』って、そう思えるんだ」
私の言葉を除けば、辺りに聞こえるのはリンリンという虫の声だけだった。
「生きてる上で一番辛いことっていうのは、生きてるっていう実感が得られないことだと俺は思うんだ。やりたいことが見つからなかったり、やりたいことが分かってるのにそれができなかったり……お前はどうなんだ? きっと俺と戦っている時は生きてる実感があったんじゃないか? 魔物っていうのは、人間と戦うのが生きる目的だからな……そうだろ?」
イシロックは動かなかった。
語りかけているうちに、私はこの岩石でできた魔物に奇妙な友情を覚え始めていた。考えてみたら、コイツは私が初めて一対一で戦い、良い勝負を繰り広げることができた魔物だ。パンチと剣戟を応酬し、互いに最大限の技術と精力を費やした激闘を繰り広げた。なんともしまらない結果となったが、ある意味で記念すべき戦いではある。
このままコイツにトドメを刺してしまうのは躊躇われる。私はそう思った。
その時、ふとある考えが脳裏をよぎった。私は言った。
「よし、お前のことを記事に書くよ! お前がどれほど強くて、凶暴で、知恵の回る難敵だったかを、俺が文章に残してやる。そしたら、お前は文章の世界の中で永遠に生きられるし、俺もお前の記憶を一生のものにできる。どうだ?」
イシロックは何も反応しなかった。一方で、私は考えに取り憑かれてヒートアップしていた。私はさらに言った。
「それじゃあ、まずお前に名前をつけなきゃな! 名無しの魔物じゃ読者は興味を持って読んでくれない。どんな名前が良いかな……イッシーとか、ロックロックとか……いや、安直だな……うーん……」
しばらく考えて、はたと私は思いついた。
「そうだ! この場所は
私は居ずまいを正して、改めてイシロックに語りかけた。
「よろしくな、終焉の者」
次の瞬間、イシロックは爆発した。
ボンっと音を立てて大小様々な破片を撒き散らし、魔物は跡形もなくこの世から消え去った。
爆発の衝撃で吹き飛ばされ、呆然とする私の目の前に、一個のコハクが転がってきた。
それは、終焉の者の置き土産だった。
☆
翌朝はよく晴れた。日差しは穏やかで、気温も湿度もほどよく、遠出やピクニックには最適な日和だった。
そんな好天もこの終焉の谷には関係なかった。言語に絶するほどに巨大で、奇妙な凹凸を持った岩石の数々が折り重なるように屋根を形成しているため、谷の中は昼なお暗く、時刻を変化をあまり感じさせなかった。
地面はやや乾燥していた。草は土埃をかぶっていた。ヒョロヒョロとまばらに生えている木も、一本として緑の葉をつけていなかった。
荒涼という言葉がふさわしいが、それでもモモイロサギやアオバサギといった水鳥があちこちに見受けられた。水場もなければ魚もいなさそうなこの谷になぜそんな鳥がいるのかといえば、実はこの谷、街道から少し離れた窪地に水が溜まっているのだった。雨が降るとこの水溜りはさらに水量を増し、ちょっとした池が形成されるらしい。魚もそこに多少はいるとのことだった。
乾いた環境に瑞々しい生命の点描……まことに女神の手による自然美としか言いようがなかった。
ゴロゴロと車輪の鳴る音に加えて、コズミさんの明るい声がした。
「まあ、私が寝てる間にそんなことがあったなんて……起こしていただければすぐに対処しましたのに。イシロックなんてザコ中のザコですから……あ、ごめんなさい! ザコとはいえ、戦い慣れていないと苦戦しますからね! ヨツバさんのお怪我が軽く済んで良かったです」
私は歯切れ悪く答えた。
「ま、まあ、あのイシロックはちょっと戦意が旺盛でしたからね。それに真夜中でしたし。私も少し後れを取りましたが、昼に会ったら余裕で倒せますよ、余裕です」
そのように
コズミさんが言うように、イシロックなどは文字通りザコ中のザコである。そんな魔物と必死になって格闘し、あまつさえ妙なことを口走って、極め付けには「終焉の者」などという名前までつけてしまった。流石にコズミさんには名前云々については言わなかったが、イシロックごときに苦戦したことを知られただけでも充分恥じ入るに値する。
だいたいなんだ、「終焉の者」とは。どう考えてもイシロックごときにつける名前ではない。ひっくり返ると数分後に勝手に爆発するような、そんなザコにつける名前では断じてない。
例えるなら、業火のような赤髪を逆立たせ、鋼鉄のような黒い筋肉を纏った小山のような体躯を誇り、数千年か数万年に一度の出来栄えの大剣を手にして、雷雲と突風と豪雨を呼び起こして伝説の勇者に挑戦するような、そんな圧倒的な存在にこそ「終焉の者」という名前はふさわしいだろう……
そんなことを考えているうちに、馬車は終焉の谷の南西の出口に差しかかった。ここから道は急な登り坂となっていた。道の傾斜はとてもキツく、足の弱い者ならば難渋することうけあいであった。雨でも降ればあたかも滝のように水が流れくだるだろうと思われるが、幸いながら今日は晴れている。
コズミさんが二頭の馬を
「それ! デスマス、ゴゼマス、頑張って!」
私も、少しでも馬車の重量を軽くするために荷台から降りて後ろから押すことにした。昨晩の戦闘による打撲と筋肉痛が私に継続的な苦しみを与えたが、しかし不思議と腰は痛まなかった。ぎっくり腰になった時はすぐに横になって安静にすれば症状は残らないらしいが、図らずも私はそれを実践していたわけだ。
デスマスとゴゼマスはとても優秀な馬だった。二頭は、登り切った時には流石に苦しそうに吐息を漏らしていたが、しばらく休憩すると、またいつものとおりに元気に馬車を牽き始めた。
私は、一変した風景に目を奪われた。地面には緑鮮やかな草が豊かに生えており、花々の間に虫が戯れていた。右手にはハイラル丘陵名物のキノコのような
コズミさんが話しかけてきた。
「ここ、良いところでしょう? 特にあのセレス平原の大きなキノコとか。本当に変な形をしてますよねぇ……なんであんな形をしてるのやら」
私も奇巌群に目をやりつつ、彼女に答えた。
「さあ、私にもさっぱりです。学者の間でも諸説あって、見解が一致しないそうですよ。そうそう、大昔ユガっていうエキセントリックな芸術家がいたらしいんですけど、彼はこのセレス平原とチナガレ湿地帯の風景画を好んで描いたそうです。特に雷雨の時の風景がお気に入りだったそうで……他にも造形美術として奇巌群をモチーフにした連作も残したりだとか……」
コズミさんは言った。
「へぇー、そのユガって画家さんは有名なんですか? 私、作品見たことないです。あと、あのキノコっぽいものは、岩ではなくて木らしいですよ」
なんと、それは知らなかった。記者にあるまじき知識の欠如である。驚いて、私は言った。
「えっ!? あれ木だったんですか!? 知らなかった……そうそう、ユガって画家ですが、作風が尖りすぎててまったく売れなかったそうですよ。ある日突然『この世界は美しくない!』と叫んで、どこかに消えたそうです。貧乏生活が長すぎて精神に異常を
私の問いにコズミさんも耳を澄ました。ややあって、あっと彼女は声を上げた。
「ボコブリンの叫び声がします! この道の先で、誰かが魔物と戦っているみたいです!」
それは捨て置けない。助けに行かなければ! 私は言った。
「急ぎましょう!」
馬車はスピードを増し、轟音を立てて走った。
今度こそ上手く戦えると良いのだが。内心、私は女神様に祈らずにはいられなかった。
ちなみにヨツバのハートは♡♡♡♡くらいしかありません。体調によって増減します。がんばりゲージは一周分しかありません。これも体調によって増減します。
イシロック、私は初めて遭遇した時に苦戦しました。苦戦というより、自爆したという方が正しいのですが……「小さいイワロックだ! コイツにはきっとバクダンしか効かないぞ! あ、コイツ殴ってくる! しかも足が結構早い! クソ、いてぇ! よし、バクダンセットしたぞ! 点火……ぐわーっ!!」っていう感じでした。
それから今回の話のためにイシロックを探し回る羽目になりました。すぐに見つかるだろうとシーカーセンサーも使わずに歩き回りましたが、まったく見つかりませんでした。途中でイーガ団に何回も襲われました。
次回もお楽しみに。
※追記
お知らせを受けて、セレス平原のあのキノコに関する箇所を書き直しました。検索かけてみるとあの木、実在するんだそうで……龍血樹の一種らしいです。いやー、まだまだ勉強不足です……ありがとうございます。
※加筆修正しました。(2023/06/14/水)