ハイラルぐでぐで紀行   作:ほいれんで・くー

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ああ恨めしや運動不足

 昔の本、中でも百年以上前に書かれた本を読むと、しばしば「人生とは旅である」という言葉に出くわす。なるほど、人生には山あり谷あり、快適な街道を順調に歩んでいける時もあれば大雨で橋が流されていることもある。難所を乗り越えた後には晴れやかな展望が開け、またその逆もあり……というようなことを言い表したいのだろう。

 

 だが、大厄災後の今日(こんにち)を生きる私たちにしてみると、これほど陳腐で、しかも心に響かない言葉もない。おそらくこのような実感に乏しいメタファーを考え出したのは、日常生活においてそれほど旅をする必要もなく、従って旅について経験的に理解していない人間だったのではないだろうか。

 

 というのは、実際に旅をしてみると分かるのだが、旅というものはさほど「山あり谷あり」ではないからだ。旅をする時は事前に地図を詳細に調べ、地図がないところは現地住民に話を聞き、なるべく山も谷もない平坦な道を探すのが鉄則である。旅を終えた者が「山あり谷ありで大変だった」と言おうものなら、今日においてはバカの烙印を押されることは必至である。お前はしっかりと事前調査をしなかったのか、どうして地理的条件を把握していなかったのか、と言われるのである。

 

 旅をする私たちを悩ませるのは地理的条件ではなく、それよりもさらに直接的な脅威である。

 

 それはつまり、魔物だ。山や谷は迂回したり避けたりすることができるが、魔物は頼んでもいないのに向こうからこっちにやってきて、こん棒だの錆びた剣だので襲い掛かってくる。必然的に、旅人は常に戦いに備えておかねばならない。ぼんやりと道を歩いていて、「あ! やせいのボコブリンがとびだしてきた!」となれば、良くて重傷、悪くて死である。

 

 さらに厄介なのは、この魔物の脅威が日常的なものだということだ。そう、今のハイラルには魔物が多すぎる! 旅をしていればほぼ確実に魔物と遭遇するのだ。大厄災以前に書かれた旅行記などでは魔物との遭遇を大事件として記述するパターンが多いが、今から見ると「何を、その程度のことで」という感想しか出てこない。

 

 私の生まれた村には「とても幸運なストローさん」と呼ばれる老人がいた。彼は大厄災当時まだ母親の胎内にいて、必死の逃避行の最中にこの世に生まれ落ちた。彼の人生はまさしく魔物まみれと言っても過言ではなく、初めて魔物と遭遇したのは家のトイレだったとはよく聞かされた話だった。

 

 彼が十歳にもならぬ頃、ある深夜、催してトイレに行き、腰を下ろすと、なぜか局部に生温かい風を感じた。おかしいと思って穴を覗き込んで見ると、そこには赤ボコブリンが鼻息も荒く、彼のお尻の穴を見上げていたという。「大事なものを食い千切られなかったのは実に幸運だった」とのことである。

 

 ストロー老人の魔物にまつわる話はこれだけではない。初めて彼が遠くの村へ旅に出た時は、村の入口でボコブリンに、途中の森でモリブリンに、川でリザルフォスに遭遇し、逃げ回ってようやく一息つけると岩に腰を下ろしたら、なんとそれがイワロックだった。以後、年老いて足が萎え、目が霞むまでのおよそ五十年間、彼は旅に出るたびに必ず魔物と遭遇し、いつも生命の危機に晒されたという。それでいて傷一つ負わなかったから、いつしか名前に「とても幸運な」という、なんとも笑うに笑えない称号が付けられるようになった。本当に幸運ならば魔物に一切遭遇しないのは言うまでもない。

 

 ストロー老人の例はいささか極端であるとしても、旅に出れば魔物と出会うというのはもはや現代のハイリア人の宿命である。「人生とは旅である」というよりは「人生とは戦いである」と言った方がしっくりくる。昔の人に一定の敬意を払って言い直すならば、「人生とは戦いまみれの旅である」といったところか。

 

 閑話休題。私たちが終焉の谷を抜けて西ハイラル平原に差し掛かった時に聞こえた騒音は、予想に違わず人間と魔物との戦いの音だった。

 

 コズミさんが馬に鞭をあてて急行すると、ちょうどそこは街道の三叉路だった。見ると、小柄な女性と赤ボコブリンが一対一で渡り合っていた。女性は盾と剣を構え、魔物は粗末なこん棒を右手に持っていた。魔物の力任せの攻撃を女性は盾で受け止め、隙を見て一撃を入れていたが、しかし魔物はあまりダメージを受けていないようで、むしろ抵抗されたことに逆上してますます攻撃を激しくしているようだった。

 

 私が、さてどうやって加勢したものかと考え始めたその時、コズミさんが大きな声で言った。

 

「ヨツバさん! あの魔物はまだこちらに気付いていないようです! 背後から近寄ってやっつけちゃってください! 私は弓矢で援護しますから!」

 

 流石、訓練された馬宿協会の人間だ。その的確な判断に(いな)やはなかった。私は答えた。

 

「分かりました!」

 

 私は馬車から飛び降りると、背中の旅人の剣を抜き、なおも女性に猛攻を加える赤ボコブリンの背後へと近づいた。

 

 私は難なく、剣の届く範囲にまで到達した。魔物はこちらにまったく気付いていなかった。ここに来る時、馬車は轟音を立てて走っていたはずなのだが。間抜けなやつだ、目の前の獲物に夢中で警戒を怠るとは、その大きな耳は飾り物か……?

 

 そんな私の思考を、魔物の蛮声と、盾がこん棒を弾き返す鈍い音がかき乱した。次の瞬間、女性が一瞬私の方へ視線を投げかけた。はよやらんかい、そう言っている気がした。

 

 気を取り直して、私は叫んだ。

 

「死ねやぁっ!」

 

 私は剣を大きく振りかぶり、力の限り振り下ろした。完璧なふいうちだった。

 

 だが、剣は空を斬った。私は声をあげた。

 

「あれっ!?」

 

 魔物も声をあげた。

 

「ブヒッ?」

 

 なんたることか。私は必殺必中の間合いにあって、かつ敵の無防備な背後を取り、また絶好のタイミングを得ておきながら、思いっきり攻撃を空振りしてしまったのである。

 

 しかも、腕と背中からブチブチという嫌な音がした。これは、筋肉を少し痛めたかもしれない。日頃の運動不足がこんなところで(たた)るとは……

 

 いや、そのようなことを気にかけている場合ではない!

 

「ブキィイイイッ!!」

 

 魔物は今や完全に私の存在を認識していた。牙を剥き出しにし、涎を垂らし、耐え難い悪臭を放つ吐息を撒き散らしながら、魔物は私に向き直ると大声をあげて威嚇してきた。

 

「アカン」

 

 そんな愚にもつかない呟きを思わず漏らす私に、魔物はこん棒を振りかざした。

 

 その時であった。突如、私の背後からバチバチという耳障りな音を立てて、先鋭なシルエットを持つ何かが勢い良く飛来した。その何かは半秒も経たずして魔物の顔面に直撃し、まばゆい光を辺り一面に放出した。

 

「ブギャギャギャギャ!?」

 

 魔物の悲鳴と、連続的に何かが弾けるような音が入り混じった。見る間に、魔物は脆くもこん棒を取り落とした。

 

 ハッとして背後へ振り返ると、そこには弓を手にしたコズミさんが馬車の馭者(ぎょしゃ)台に立っていた。そうだ、間違いない。彼女が電気の矢を放ったのだ。

 

 彼女は私に叫んだ。

 

「ヨツバさん、今です!」

 

 私も力強く答えた。

 

「よっしゃ! この野郎、往生(おうじょう)しやがれ!」

 

 電気の矢で痺れたままの魔物に向かって、今度こそ私は必殺の意志を込めて剣を縦に振り下ろそうとした。

 

 その瞬間、私の腰にまるで電流のような鋭い痺れが走った。全身から急速に力が抜けていくのが感じられた。私は情けない声を漏らした。

 

「こっ、腰がぁああ……!」

 

 前夜にイシロックを持ち上げた時、ぎっくり腰になったのを私はすっかり忘れていた。戦闘の興奮に囚われていたのは魔物だけではなく、私もだった。剣は私の手からすっぽ抜け、地面にグサリと突き刺さった。

 

 ああ恨めしや運動不足。へなへなと私は地面に崩れ落ちた。電気の矢による痺れから早くも立ち直った魔物が、その赤い眼で私を睨んでいるのが見えた。魔物はこん棒に手を伸ばしていた。

 

 アカン、絶体絶命や。

 

 突然、声が響いた。

 

「オラーッ!!」

「ブゴ」

 

 鋭い一閃、魔物は頭部から胸にかけて真っ二つになった。女性が魔物の背後から剣を振り下ろしたのだった。魔物はしばらくその場に佇立し、ぴくぴくと力なく耳を動かした後、地面に倒れてゆっくりと黒ずみ、やがて風化した。

 

 

 女性が口を開いた。

 

「……えっと、危ないところを助けてくれてありがとう。まあ、その、なんだ、別に助けは要らなかったのだが……というか、大丈夫か?」

 

 私は返事をするだけで精一杯だった。

 

「な、なんとか……あ、あかんわ、やっぱ腰痛い……」

 

 コズミさんが慌てたように言った。

 

「ヨツバさん、ぎっくり腰の時は早く安静にしないと! 馬車で横になって下さい。あなたもどうぞ……」

 

 私は車内に横になった。柔らかなクッションを当てたにもかかわらず、腰は相変わらず悲鳴を上げていた。しかしそれよりも、とんでもない醜態をよりにもよって女性二人の前で晒したという恥辱感の方が私を苛んでいた。そして、その女性二人が怒るでも呆れるでもなく、純粋に私を心配してくれていることが、さらに私をみじめな気分にさせた。

 

 馬車は三叉路で停車していた。緑豊かな草原に吹く風が(ほろ)を撫で、微かな音を立てていた。

 

 女性が言った。

 

「名乗るのが遅れたな。私の名はチャビー」

 

 その女性、チャビーさんは凛々しい声と口調で自己紹介をした。チャビーさんが語るには、彼女は冒険者を自称しており、その時々で気になったことや解き明かしたいことを追究するために、ハイラル全土を一人で旅して歩いているとのことだった。

 

 私は彼女に尋ねた。

 

「お一人でですか? それは危ないでしょう」

 

 チャビーさんは答えた。

 

「平気だよ。これでも腕には覚えがあるし、一人の方が気楽だ。それに、旅に戦いはつきものだからな。危険だからといって家にこもっていては何も得られない」

 

 なるほど、確かに先ほどの戦いも私たちが加勢(私はまったく貢献できなかったが)しなくとも、チャビーさんならば勝っていただろう。彼女の立ち回りは実に落ち着いたものだった。

 

 私はまた呻き声を漏らした。

 

「うっ……! 腰が……」

 

 話している最中にも腰の痛みはますます増していくようだった。そんな私を見かねたのか、チャビーさんはポーチから何かを取り出した。

 

「だいぶ痛むようだな。これを使うと良い。鎮痛剤になるはずだ」

 

 彼女が私に差し出したのは、紫色の液体がたっぷりと詰められた小瓶だった。小瓶にはラベルも貼られておらず、なんともいえない怪しい雰囲気を放っていた。雑誌記者として今まで色々なものを見分(けんぶん)してきた私だが、このようなものは見たことがなかった。私は言った。

 

「これは……いったいなんですか?」

 

 チャビーさんは端的に答えた。

 

「マモノエキスだ」

 

 訝しむ私に、チャビーさんは説明してくれた。なんでも、どこかの地方にキルトンという名の魔物研究家がいるそうで、このマモノエキスはその手によるものらしい。一種独特な風味を持つが、料理に使えば抜群の効果を発揮し、滋養強壮、旨味たっぷり、長期保存可能など様々な利点があるのだとか。

 

 チャビーさんは言った。

 

「水で希釈すれば飲み薬にもなるぞ。腰の痛みにも効くだろう」

 

 だが、私は遠慮した。

 

「そんな貴重なものをいただくわけには……」

 

 チャビーさんはなおも言った。

 

「いや、気にしなくていい。さきほどの助太刀の礼だと思ってくれ。ほら、今飲んでみたらどうだ。コップ一杯の水に数滴垂らすだけで良い」

 

 これ以上断るのは却って失礼だろう。私は言った。

 

「ありがとうございます、じゃあ、さっそく……」

 

 私はコップに水筒から水を注ぎ、マモノエキスの小瓶を開けると、言われた通り中身の紫色の液体を数滴垂らした。

 

「うぇ」

 

 途端に、異臭が鼻をついた。というより、非常に生臭かった。また、(にお)いだけでなく、水の色も見るからに毒々しく変わって(よど)んでしまった。これを飲むのは相当な勇気が要る。

 

 躊躇する私を、チャビーさんは期待に満ちた顔をして見つめていた。彼女は言った。

 

「さあ、早く早く。グイっと飲むんだ、グイっと」

 

 ままよ、と私はコップの中身を一気に飲み干した。

 

「……あれ? なかなかイケるな……」

 

 意外にも喉ごしは悪くなかった。味は冷えた肉汁に似ていて、強烈な臭いも鼻に残らずスッと消えていく。胃の辺りがじんわりと温かかった。まるで蒸留酒を飲んだ時と同じだった。

 

 ほどなくして、腰の痛みが軽くなった。それだけではない。さきほど力み過ぎたせいで筋を痛めた腕と背中も楽になっていた。私は驚きの叫びを発した。

 

「おおっ!?」

 

 マモノエキス、おそるべし!

 

 そんな私を見て、チャビーさんはニヤリと笑った。

 

「な? 見かけに反してなかなか良いものだろう?」

 

 チャビーさんは話を続けた。ある日、流れの行商人からマモノエキスを購入し、すぐにその風味に魅了された彼女は、これを生み出した謎多き魔物研究家キルトンになんとしてでも会って、できるならば製法を聞き出したいと決意したとのことだった。

 

「まあ、そのキルトンにしても、研究成果をやすやすと他人に明かしたりはしないだろうから、私としてもそれは無理(すじ)だとは思っている。会うことができればそれで良いさ。この革新的な調味料を発明した人間がどんなヤツなのか、この目で確かめたいだけだ」

 

 私は尋ねた。

 

「そのキルトンとかいう人の居場所の目星はついてるんですか?」

 

 チャビーさんは答えた。

 

「いや、それがまったく分からないんだ……」

 

 至極残念そうに言うチャビーさんを見て、コズミさんが口を開いた。

 

「そうだ! ヨツバさんは『ウワサのミツバちゃん』の記者なんですから、なにかご存知なんじゃないですか?」

 

 思わぬ言葉に私は声をあげた。

 

「えっ!?」

 

 チャビーさんが言った。

 

「ほう、あなたはあの変な雑誌の記者だったのか。何でも良い、何か手がかりになるようなことを知らないか?」

 

 困った。私の担当分野は幅広いが、こと魔物に関してはあまり詳しくない。自分自身が戦闘が不得手というのもあって、私はこれまで魔物関連の取材は避けてきた。ミツバ姉からは「魔物から逃げるな」といつも言われていたのだが、まさかこのような形でそのツケが回ってくるとは思わなかった。

 

 しかし、ここで何らかの情報を提示することができれば『ウワサのミツバちゃん』の評判が上がるし、なによりあの戦闘での不面目を多少なりとも取り繕うことができる。というより、何も知らないと答えるのは雑誌記者としての沽券に関わる。

 

 私は必死に思考を巡らせた。キルトンという名前そのものは知らなくとも、研究というジャンルから考えれば何か出てくるのではないか? 研究といえば、第一に研究材料の収集が必要だ。魔物研究というからには、それこそ膨大な量の魔物素材をかき集める必要があるのではないか? 自分で魔物を狩って素材を集めることもあるだろうが、業者から買うことも多いだろう。そのほうが時間の節約にもなり、効率も良い。

 

 そういえば、前にイチヨウ姉がアッカレ地方での奇妙なウワサを記事にしていた。その記事は「怪奇! 魔物素材買い占め事件!」というタイトルで、何者かがアッカレ中の店や行商人から魔物素材、中でも肝ばかり買い漁っているとの内容だった。謎の買い占め行為によりアッカレ地方での魔物素材は品薄状態が続いていて、製薬に支障が出ているとのことだった。

 

「……というわけで純粋に推測に過ぎませんけど、アッカレ地方に手がかりがあるんじゃないでしょうか。魔物研究家以外が魔物素材を大量に欲しがるとは思えませんし」

 

 私が考えを述べると、チャビーさんの表情が見るからに明るくなった。

 

「そうか、それはたしかに怪しいな。そういえば私が最初にマモノエキスを購入した行商人もアッカレ地方から来たと言っていた。何もないことで有名なアッカレ地方だから、今まで考慮外だったよ」

「そうですね、アッカレには何もないですからね」

 

 そう私が合いの手を入れると、チャビーさんの表情がだんだん曇ってきた。

 

「それにしてもアッカレか……ここから遠いな」

 

 私にはその気持ちがよく分かった。この西ハイラル平原からアッカレ地方までは実に遠い。広大な中央ハイラルを西から東に横断して、流れの急なハイリア川を渡り、底深いベーレ谷を越えて、ようやく地方の入口に辿り着ける。いや、中央ハイラルには殺人兵器のガーディアンがうようよしているから実際のところ横断するなど不可能で、南に大きく迂回しなければならない。ただでさえ遠い道のりがさらに長くなってしまう。

 

 チャビーさんは言った。

 

「それに、アッカレは広いからな。たとえアッカレにいるという確証を得ても、居場所を特定するにはどれだけかかるか……まあ他に手がかりはない。行ってみることにするよ。情報をありがとう」

 

 私は答えた。

 

「いえいえ、雑誌記者として当然のことです」

 

 なんとか面目を保つことができて私は安心した。

 

 コズミさんが何かを思いついたらしく、声を上げた。

 

「あっ、そうだ。チャビーさん、これからアッカレに向かうなら私たちの馬車に乗りませんか? 私たち、これから平原外れの馬宿に行くんです」

 

 だが、チャビーさんは提案に対して首を左右に振った。

 

「いや、申し出は大変ありがたいが、私はこれから所用があってリトの馬宿へ行かなければならない。名残惜しいが、ここで別れることにしよう」

 

 互いに旅路の無事を祈って、私たちは別れた。

 

 

 馬車は街道を南下していた。道はやや登り坂だった。この先にはタイアモン川があり、そこに架かるジェド橋を渡ると正面にはニーケル平原が広がっている。その右手にはサトリ山が聳えている。

 

 私は車内で横になりながら、マモノエキス希釈液をチビチビとやっていた。相変わらずにおいには慣れなかったが、しかしその味はクセになりそうだった。なにより、鎮痛作用が素晴らしかった。これまでに服用したどの薬よりもこのマモノエキスは効果があると私は思った。

 

 クセになりそう、というので本来の旅の目的である納豆について私は思い出した。

 

 前に挙げたズイダ著『納豆について』には、以下のようなエピソードが記述されている。

 

 さる貴族の御令嬢がいた。彼女はとてつもない偏食だった。彼女は肉も野菜も穀物も一切食べず、たまに口にするのはケーキだけだった。そのケーキにしてもただのケーキではダメで、カエルや虫をトッピングしたものでなければ彼女は食べなかった。

 

 当然のことながら、御令嬢は日に日に衰弱していった。父親と母親はなんとかして普通の食べ物を食べさせようとしたが、それでも彼女は拒絶した。もはや打つ手なしかと諦めかけたその時、ある流れの行商人が納豆を持ってきた。糸を引き異臭を放つ異様な食べ物を見た父親は、これならばひょっとしてと思い、料理人に「納豆ケーキ」を作らせた。御令嬢はいたく「クセになる味」の納豆ケーキを気に入り、次第に健康を取り戻し、ついには普通の食べ物も口にすることができるようになったという。

 

 ズイダはこのエピソードをして、納豆が庶民だけではなく貴族をはじめとした上流階級にも広く受け容れられていた証拠であると述べている。だが、私としては逆に、為政者が納豆食を庶民に広めるために創作した話ではないかと思う。貴族が好んで食べていると知れば庶民は争って納豆を求めるようになる、という目論みがあったのではないか? 安価で高栄養という夢のような食品でありながら、納豆はあまりにも見た目と匂いが悪すぎるという欠点を持っている。それを少しでも補うための宣伝だったのではないかと思われるのだ。

 

 しかしながら、宣伝だけで納豆が受け容れられたとも考えられない。民は宣伝というものに敏感で、それの真偽はともかくとりあえず宣伝を否定する傾向がある。それに、そもそも納豆そのものに安価だとか高栄養だとかいう実利的な価値以外の何かがあったからこそ、民は食べるようになっていったのではないだろうか?

 

 私はその「実利的な価値以外の何か」が今までどうしても分からないでいた。だが、今日マモノエキスを飲んでそれが分かったような気がした。たぶん、私がこのマモノエキスの匂いと味にどうしようもなく惹かれているのと同じなのだろう。つまり、糸を引いていて独特の臭気を放っているからこそ、民は納豆を食べるようになったのではないだろうか。

 

 貴族の御令嬢はなにも特別な例ではなくて、人間一般の嗜好を代表していると考えられる。苦いエールを好むように、匂いのきつい納豆を人は好んだ。欠点と思われていたものは実のところ欠点ではなく、むしろ持ち味だったと見て良い。クセになる持ち味というわけだ。

 

 この考えに立脚すれば、納豆に関するかつての論争もある程度理解することができるかもしれない。これもズイダの『納豆について』に拠るが、その論争とは「におわない納豆は是か非か」というもので、かつてハイラルの世論を真っ二つに分けたらしい。

 

 すでに納豆が食卓に定着していたある時代、王立アカデミーの食品開発研究部門が、従来よりも低コストで納豆を大量生産できる技術を開発した。その代わり、その納豆は通常のものより糸を引かず、匂いも半分ほどだったという。折からの全国的な凶作で食料問題に悩まされていた大臣は、早速この新開発の納豆の生産を奨励した。

 

 そこで、民たちの間で大論争が起こった。要約すると、一方は「糸も引かない上ににおわない納豆なんて最高! 欠点が解消されて納豆は名実ともに完全食品になった!」と主張し、もう一方は「糸も引かない上ににおわない納豆なんて最低! ちょっとした利点を得る代わりに本来の利点を台無しにした納豆なんて納豆じゃない!」と反発したのだ。

 

 クセのない味か、それともクセになる味か。一方を主張する者は他方に激しく攻撃され、旗幟(きし)を鮮明にしない者はさらに非難された。におわない納豆を取り扱う商店が昨日打ち壊しに遭ったかと思えば、今日にはにおう納豆が輸送途上で焼き討ちされ、次の日にはなぜかバナナの叩き売りが吊るし上げにされる。大神官が「におわない納豆は女神様の賜物」と言ったかと思えば、国王が「(ちん)は朕の兵士と同じく、粘り強い納豆を(よみ)す」とのたまう。

 

 混乱がどのように収束したのか、そのいきさつについて『納豆について』では(つまび)らかにされていない。「おそらく、食料問題の解決と共に、論争も自然消滅したのではないか」とズイダは述べているが、それにしても恐ろしいばかりに馬鹿馬鹿しくて奇妙な話ではある。

 

 いや、本当に「馬鹿馬鹿しくて奇妙な話」なのだろうか? 納豆そのものが消滅してしまった今日では、当時の人びとが「望ましい納豆のあり方」について激論を(時には暴力沙汰も)繰り広げたということを実感として理解するのは難しい。しかし例えば、今私が飲んでいるこのマモノエキスから、独特な味と臭気が除かれてしまったとしたらどうだろう? そして、「匂いの消えたマモノエキス最高! これ以外のマモノエキスなんてゴミ!」などという輩が目の前に現れたとしたら?

 

 好きなものを好きと言い、嫌いなものを嫌いと言う。それは本来自由な存在としてこの世界に生まれ落ちた、私たち人間の犯されざる権利だ。だが、自分の好きなものを他者から否定されたり、あるいは他者の好きなものを自分が否定するというのはどうだろう? それは戦いを意味しないだろうか? 生きる限り果てしなく続く闘争を意味するのではないだろうか? まことに私たちの人生とは戦いに他ならないのだろうか? それほどまでに私たちの人生は殺伐としているのだろうか?

 

「いやいや、ちょっと考えが先走り過ぎたかな」

 

 私は独り言ちた。どうやらマモノエキスは精神を興奮させる作用まであるようだった。思考だけが先へ先へと進んでしまう。

 

 それに、まだ私は納豆の実物そのものにすらお目にかかっていなかった。直接目で見て、手で触れて、舌で味わうことなしに納豆について論じるのは、書斎にこもって一歩も外に出ないのに地図を作成するようなものだ。

 

 かつてミツバ姉は私に言った。「ジャーナリズムの基本は実物主義やで!」と。ウワサという実体のないものを好む姉としては真っ当すぎる言葉だ。

 

 そうだ、まずはなんとしてでもカカリコ村に辿り着く必要がある。しかし……

 

「いたた……アカンわ、やっぱりまだちょっと痛むな……」

 

 マモノエキスの効果は抜群だったが、それでも腰の痛みを完全に消すには至らなかった。チャビーさんによるとマモノエキスは鎮痛作用があるだけで、断裂した筋肉を治すわけではないらしい。

 

 まだまだ目的地まで遠い。このままの状態で旅を続けるのは難しいかもしれない。やはり平原外れの馬宿で少し休息をとるべきだろう。マッサージ師がいてくれれば助かるのだが……

 

 そう思っていると、馭者台から声がかかった。

 

「ヨツバさん、そろそろジェド橋ですよ! 西ハイラル平原ともこれでお別れですね」

 

 コズミさんの言葉を聞いて、私は身を起こした。腰は痛むが、しかし起き上がることはできた。この分なら立って歩くこともできそうだ。

 

 車外を見ると、サトリ山の威容を背景にしてあちこちに変わった形をした岩が立っているのが見えた。岩は輪っかの形をしていた。私は言った。

 

「おお、そういえばここもハイラルの珍スポットでしたね。『円環岩群』とかいう名前だったはずです」

 

 私の言葉に答えて、コズミさんがしみじみと言った。

 

「変な形をしてますよねぇ。自然にできたとは思えません。わざわざ誰かが作ったんでしょうか?」

 

 私は言った。

 

「もしそうだとしたら、その人は岩以上に変な人だったと思いますよ。なにしろ目的がまったく分かりませんからね。なぜ岩で輪っかを、しかもこれだけたくさん……」

 

 その時、私たちの左方向から声が聞こえてきた。

 

「おーい、おーい! そこの馬車、止まってぇー! そして助けてぇー!」

 

 私とコズミさんは顔を見合わせた。それは若い女性の声だった。助けを求めているようだったが、しかしどういうことかあまり緊迫感のない声だった。

 

 私たちは馬車を止めた。馬車から降りて、声のした方へ私たちは向かった。

 

 それを見て、私たち二人の口から同じような呟きが漏れた。

 

「ええ……?」

 

 それは実に奇妙な光景だった。

 

「良かったぁ、やっと人が来てくれた! 早く助けてぇー」

 

 そこには、小さな岩の輪っかに胴体がつかえて、下半身を大きく突き出した若い女がいた。




 みんなもリングフィットアドベンチャー、やろうね! なお私は未だに手に入れてません。

 運動不足になると腰痛だけでなく痔にもなります。また、世界が突然ゾンビで溢れた時にも運動不足だと足が動かないため、真っ先に死ぬことになります。レッツ運動不足解消! でもそれはそれとしてビールが飲みたい。

 今回チャビーさんの口調を再現するのに苦労しました。男勝りで凛々しい口調の彼女ですが、いったいどんな家庭に生まれて、どんな成長過程を辿ったんでしょう。興味の尽きないところであります。

 次回もお楽しみに!

※加筆修正しました。(2023/06/14/水)
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