ハイラルぐでぐで紀行   作:ほいれんで・くー

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謎の女一号との遭遇

 かなり後になってからこの時のことをリンクに話したのだが、彼は至極爽やかな顔をしてこう言ってのけたものである。

 

「二、三発お尻を思いっきり()(ぱた)いて、そのまま放置してくれば良かったね」

 

 しかし、残念ながら女神ならぬこの身である。あいにく先々のことを鋭く見通す目など私は持ち合わせていないし、それに、仮にこの女性の正体に気付いていたとしても、やはり私は同じように助けようとしただろう。私はごく一般的なハイリア人であり、そしてハイリア人とはどうしようもないほどのお人好(ひとよ)し揃いなのだから……

 

 

「良かったぁ、やっと人が来てくれた! 早く助けてぇー。もう半日もここでこのままだったのですわぁー」

 

 円環状の岩に胴体が挟まり、下半身を大きく突き出した若い女性は、緊張感のない、それでいてなんとなくわざとらしい口調で私とコズミさんに声をかけた。

 

 それを見て、私が最初に心の中に抱いたのは、「これは姉が記事にしそうだなぁ」という、どこまでも他人事(ひとごと)な感想だった。

 

 実際、この若い女性が置かれた状況は『ウワサのミツバちゃん』におあつらえ向きと言えた。「唖然(アゼン)、岩に挟まった女!! 西ハイラル平原の一大奇観『円環岩群』は人を喰う魔性の土地だった!? 岩に腹がつかえて抜け出せなくなった女性に降りかかったさらなる悲劇とは!?」 ミツバ姉だったら即座にこのような見出しを考え出すであろう。いや、実際に考えたのは私だが……

 

 いや、どうかな。ミツバ姉はああ見えて意外と厳しい。特にこのような事件性があって当事者がしっかりと存在する出来事に関しては、「そんなセンセーショナルな見出しにしたらアカン! こういうのは事実を淡々と伝えるような内容にせな! 当事者に失礼やろ!」と言うかもしれない。『ウワサのミツバちゃん』はあくまで面白おかしくウワサを伝えるのであって、ただ人を笑うような記事を掲載してはならないとは、姉が創刊当初から堅持している編集方針だ。

 

 そのようなことをぼんやりと考えている間に、コズミさんは女性の上半身の方へ回り込み、心底心配そうな顔をして声をかけていた。相変わらず優しい人だ。

 

「あ、あの……大丈夫ですか? お怪我とかしていませんか?」

 

 割と元気な声で若い女性は答えた。

 

「ありがとう、怪我はしておりませんわ。それより半日もこのままの状態でしたから喉が乾いていますの。お水を少し分けてくれません?」

 

 しかし後ろから見ていると、どうにもおしりが声を出しているように思えてならなかった。なかなか大きくて見事なおしりだけになおさらだった。アカン、これは良くない。これ以上雑念が膨らむ前に、私も女性の顔の方へ回り込むことにした。

 

 腰からさげた水筒を女性に差し出しつつ、私も声をかけた。

 

「どうぞ、お水です」

 

 女性は答えた。

 

「まあ、ありがとうございます! では失礼して……」

 

 幸いなことに、女性は両腕を自由に動かせた。私の水筒を受け取ると、女性は苦労しつつも中身をごくごくと喉に流し込み始めた。今日の天気は良い。日差しも少し強いし、空気も乾燥している。さぞかし喉が渇いていたのだろう。私はそう思った。

 

 私は失礼にならないよう注意しつつ、視線を泳がせながら、水を飲んでいる女性の容姿をさりげなく観察した。

 

 女性は紺色のフードを(かぶ)っていて、短い黒髪がこぼれていた。肌の色は意外なほどに白かった。旅人にしてはあまり日焼けしていないように感じられた。その顔つきは柔和で、細い眉の下の目つきも優しかった。こう言ってはなんだが、かなり私好みの顔だった。つまり可愛らしかった。

 

 女性の服装は、ごく一般的な旅装だった。その腰には最近流行りの大きめのバックルがついたベルトが巻かれていて、ベルトには二つのポーチがついていた。しかしあまり使い込まれた形跡がなかった。それらはまだ新品に近いと思われた。彼女のものと思しき、岩のすぐそばに置かれたバックパックと旅人の剣も、あまり汚れていなかった。

 

 そして、女性の腰のすぐ上の部分が、どういう具合かは分からないが、がっちりと岩に(はさ)まっていた。

 

 日焼けのしていない肌、新品同然の装備……こういったことから推測すると、おそらくだが、彼女はあまり旅行慣れしていないのだろう。それ以外はごくごく普通の女性だ。いや、普通過ぎて却って違和感を覚えるくらいだ……

 

 それにしても、なぜ岩に挟まってしまったのだろうか? 私は女性が水を飲み終えたのを見計らって話しかけることにした。

 

「それで……どうしてこんなことになってしまったんですか? 他に連れの方はいらっしゃらないのですか?」

 

 女性はほんのりと顔を赤らめて答えた。

 

「お恥ずかしい限りですわ……(わたくし)、二週間前にふと思い立って、初めての一人旅を始めてみたんですけど、今朝ジェド橋を渡ってここに差し掛かった時、輪っかになった岩を見て、なんとなく『あれ、くぐり抜けられそうだわ、いえむしろくぐり抜けるべきだわ、そうだわ、何としてでもくぐり抜けなければならないわ』なんて思っちゃったんですの。いわゆる『ボタ・イカイ・聞かん坊』とかいうものだと思いますわ」

 

 なんだ、「ボタ・イカイ・聞かん坊」って? 一瞬そう思ったが、すぐに私はその言葉の正体に思い至った。私は言った。

 

「ああ、『母胎回帰願望』ですね。まあ分からなくもない……かな?」

 

 女性はさらに言った。

 

「平たく言えば、(わたくし)の遊び心が原因ですわ」

 

 私は納得した。

 

「はあ、遊び心ですか。それなら分かります」

 

 ハイリア人とは実に遊び好きな連中で、もっと言えば「変な遊び」が大好きである。私はこれまでにハイラル各地の変な遊びを取材したことがあるが、それらの中でも雪深い高山での盾サーフィンはまだ理解できるとして、デスマウンテン近くの硫黄臭い温泉での我慢大会だったり、巨大ツルギタケ栽培コンテストだったり、果ては「飛行型ガーディアン挑発選手権」だったりという、到底常人には理解しがたいものが多数あった。

 

 この女性も変な形の岩を見て、ハイリア人の魂の奥底に染み付いた遊び好きな性質をいたく刺激されたのだろう。その代償は大きかったようだが。

 

 腕組みをしながらあれやこれやと考えにふける私を余所(よそ)に、女性はキリッと表情を改めて声を発した。

 

「申し遅れましたわ。(わたくし)、バナンナと申します。こんな格好で自己紹介するご無礼をお許し下さいませ」

 

 バナンナとは、ハイリア人にしては珍しい名前だ。そのような響きを持つ名前はシーカー族に多く見られるものだが……

 

 女性の名乗りに、私たちも答えた。まず、コズミさんが名乗った。

 

「ご丁寧にありがとうございます。私はコズミです。マリッタ馬宿の店員ですわ。こちらはヨツバさんです」

 

 私は言った。

 

「はじめまして、私はヨツバと申します。雑誌『ウワサのミツバちゃん』の記者をしております」

 

 バナンナさんは驚いたような顔をした。

 

「まあ、ヨツバさんはあの『ウワサのミツバちゃん』の記者さんですの!? なら、私のこの醜態も記事にされちゃったりして……?」

 

 バナンナさんの「あの」という言い方には一種の恐れのようなものが含まれていた。いったい、どんな雑誌だと思われているのだろうか。少しばかり内心でげんなりしつつも、私は努めて平静に答えた。

 

「いえいえ、ご心配には及びません。本人の承諾もなしに記事にはしませんよ。それよりも、はやく岩から抜け出す方法を考えないと」

 

 コズミさんも私に賛同した。

 

「そうですよ! 今は午後を少し回ってます。このまま日が暮れたら魔物が出るかもしれません。なんとかして日のあるうちに岩から抜けないと……」

 

 バナンナさんはいかにも申し訳なさそうな顔をした。

 

「本当にご迷惑をおかけしますわ。ご助力をいただかないと、私だけではもうどうしようもありません。よろしくお願いします」

 

 それから私たちは様々な方法を試した。

 

 まず、彼女の腕を引っ張ってみた。私がバナンナさんの両腕を掴み、コズミさんが両脚を掴んで、前からは力の限り引っ張り、かつ後ろからは力の限り押すという単純そのものの作戦だった。

 

「いたたたた! 腕が、このままだと腕が抜けますわ!」

 

 しかし効果はなかった。バナンナさんが痛みに泣き叫んだだけに終わった。辺り一帯に響きわたる若い女性の声に驚いて、草むらに潜んでいたガンバリバッタが数匹バタバタと音を立てて飛んでいった。

 

 私は言った。

 

「うーむ……引っ張り方と、あと引っ張る力が弱いのかもしれません。ちょっと工夫してみましょう」

 

 私たちが次に採ったのは、馬のデスマスとゴゼマスを使う方法だった。頑丈なロープをバナンナさんの胴体にしっかりと結び付け、馬車から外してここまで連れてきたデスマスとゴゼマスに引っ張ってもらった。

 

 コズミさんが二頭の馬に声をかけた。

 

「そらっ! デスマス、ゴゼマス、頑張って!」

 

 コズミさんに急かされて、鼻息も荒く二頭の馬は合計八本の脚で地面を蹴った。

 

「いたたたた! 胴が、このままだと胴が千切れますわ!」

 

 しかし、これも失敗に終わった。辺り一帯に響きわたる若い女性の声に驚いて、遠くにいた小鳥が何羽か飛んでいった。まさか本当に胴体が千切れることはないと思うが、本人がこれほどまでに痛がっているのにそのまま続けるわけにもいかなかった。

 

 それからも私たちは色々な方法を試みた。コズミさんが持っていた石鹸を使って石鹸水を作り、それを岩と胴の間に流し込む「摩擦ゼロ」作戦は、バナンナさんの服を濡らしただけで失敗に終わった。次に、くすぐり作戦をした。くすぐることでバナンナさんが体を小刻みに動かし、それによって岩から抜けられるのではないかという目論見だった。私がやるわけにはいかないのでコズミさんが行ったが、それも結局はバナンナさんがくすぐったがっただけで、失敗に終わった。私たちは再度、力任せにバナンナさんを引っ張った。失敗だった。服を切っての脱出作戦はどうかと私は提案した。それはあんまりだというコズミさんの声を受けて実施しなかった……

 

 失望して、コズミさんは肩を落とした。

 

「はぁ……こんなに色々とやってるのに、全然抜けないなんて……」

 

 ふと、私の口から言葉が漏れた。

 

「まさかバナンナさん、すごく太っていたりします?」

 

 失礼極まりない私の言葉に、バナンナさんは甲高い声を上げた。

 

「なんだと、このヤロ……! ……ごほん。いえ、全然太っておりませんわ」

 

 私たちはだんだん疲労してきた。日もだんだん傾きつつあった。私たちの思考はドツボにはまりつつあった。まさか岩を破壊するわけにもいかない。ハンマーもないし、仮にあったとしてもこの岩は妙に硬いので私とコズミさんの膂力(りょりょく)ではビクともしないだろう。

 

 三回目の挑戦の後、これはもう効果が認められないからということで、二人でデスマスとゴゼマスを馬車に戻しつつ、私はコズミさんに話しかけた。

 

「謎を解くには昔から『アタリマエを見直す』のが重要だと言われています。どうしてもバナンナさんが岩から抜け出せない。その謎を解くには、やはり私たちの物の見方を変えるべきだと思うんです」

 

 コズミさんは私の言葉を今一つ理解しきれないようだった。

 

「物の見方、ですか……? でも、岩はあの通りですし……」

 

 私は彼女の言葉を打ち消して、考えの先を話した。

 

「いえいえ、私が言おうとしているのは、『引っ張る』という考え方そのものなんですよ。つまり、私たちがさっきから失敗を続けているのは、無理に彼女を引っ張ろうとしているからじゃないでしょうか」

 

 コズミさんは首を傾げた。

 

「と、おっしゃいますと?」

 

 私は言った。

 

「引っ張るのがダメなら、抜け出てもらうんですよ」

 

 コズミさんは驚いた顔をした。

 

「えっ!?」

 

 私はさらに言った。

 

「つまり、バナンナさんが客体(きゃくたい)となって私たちに引っ張ってもらうんじゃなくて、バナンナさんが主体(しゅたい)となって岩から抜け出てもらうんです」

 

 そう聞いたコズミさんは、顔いっぱいに疑問の色を浮かべた。

 

「でも、そんなことが可能なんですか? だって、それができたら彼女は私たちが来る前にも一人で脱出できたはずですし……」

 

 頷きつつ、私は話を続けた。

 

「人間というものは、何かのきっかけがあれば信じられないほどの力を発揮すると言います。ほら、あの大厄災の時のハイラル王、ローム・ボスフォレームス・ハイラルの話ですが、彼がまだ若い王子だった頃にこんなエピソードがあります……」

 

 私は話した。残された数々の肖像画から分かるように、年老いてからは王国の秩序と威厳そのものを体現したかのような重厚な雰囲気を漂わせていたハイラル王であるが、まだ王子だった頃の彼はかなりやんちゃな性格をしていたらしい。王の趣味は完全なるアウトドア系で、特に狩猟が大好きだったとか。

 

 彼はお目付け役や大臣の目を盗んで狩猟に出ることが多く、その日も友人の貴族の若者と二人でハイラル平原へと馬を走らせた。ある森に到着すると、さっそく王は友人と二人で弓矢を手にして、競争という形で狩りを始めた。

 

 しばらくすると、王の耳に悲鳴が聞こえた。間違いなく友人の声だった。急いで王が声のした方向へ駆けつけてみると、友人は泥沼の中に沈みつつあるところだった。どうやら前日に激しく降った雨で底なし沼が出来上がっていたらしい。獲物を追うのに夢中だった友人はそこに足を踏み入れてしまったのだ。

 

 王は状況を見るや、ある決心をして、それから静かに口を開いた。

 

「すまない、君のお父上やお母上のためにも、君を助けたいのは山々なのだが、しかしながら私には君を引っ張るためのロープもなければ竿もない。それに、それらがあったとしても私一人の力だけでは君を沼から引き揚げることもできないだろう。このままだと、じきに君は泥沼の中で苦しみながら溺れ死ぬことになる。私としてもそのような光景は目にしたくない。そこで……」

 

 静かに王は弓を構え矢をつがえ、友人の脳天に狙いをつけた。

 

「せめて苦しまずに死ねるよう、私がこの手で君の命を一瞬にして()ってやろう。それが君を狩猟に連れ出したことに関する、私なりの責任のとり方だ。立派な墓を建ててやる。恨むなら恨んでくれ」

 

 そう言って、王は躊躇なく矢を放った。

 

 放たれた矢はすぐ目の前の泥沼に落ちたが、それを見た友人は「このままでは本当に殺される!」と仰天して、それまで萎え果てていた気力体力のすべてを振り絞って脱出を図った。そして数分も経たずして、見事に友人は底なし沼から生還を果たした。

 

 無論、王は本当に友人を射殺しようとしていたわけではない。友人にきっかけを与えて、死力を尽くさせるようにしただけだ。

 

 このエピソード、割と有名な部類に入るものだが、コズミさんは知らなかったらしい。彼女は熱心に私の語るところに耳を傾けていた。

 

「ふむふむ……なるほど! たしかにそのとおりかもしれませんね! じゃあ、私たちもバナンナさんに生命の危機を覚えさせれば、彼女も自力で岩から脱出するかもしれませんよね!」

 

 そして、彼女はこてっと首を(かし)げた。

 

「でも、そのためには『本気でお前を殺す』というものすごい殺気が出せないといけませんよね。そんなことは私にはとうてい無理ですけど、ヨツバさんにはできますか?」

 

 私は力なくかぶりを振った。

 

「いえ、私にも無理ですね……自慢ではないですけど、前に赤ボコブリンと遭遇した時に大声を上げて威嚇をしてみたら鼻で笑われたことがあって……」

 

 コズミさんは頷いた。

 

「まあヨツバさんならそうでしょうね……ああ、どうしようかな……」

 

 いつの間にか彼女の中で「戦闘とか殺しにはまったく向いていない男」として私への評価が固まっていたことに、私は地味に傷ついたが、そんなことにいちいち気を回している場合ではなかった。そろそろ日没を真剣に気にしなければならない時間だった。

 

 おまけにこの「きっかけを与えて死力を出させる」作戦は、私が興奮して大きな声を出していたのか、離れた所にいたはずのバナンナさんにすべて聞こえていた。かなり距離があったのに驚きであった。バナンナさんは言った。

 

「お二人にそれは無理な作戦ですわ。第一、私はけっこう、生き死にに関しては根性が据わってますの。たとえ弓矢や剣を向けられても、『殺される!』というギリギリのところまで精神が追い詰められることは、たぶんないと思いますわ」

 

 それは根性が据わっているというよりも、ぼんやりとしていると言ったほうが良いのではないだろうか? バナンナさんにはこの段階になるまで、今一つ「岩から抜け出したい!」という本気の欲求の色が見えなかった。

 

 万事休すか。私は暗澹たる思いにとらわれた。このままでは日没後もバナンナさんの近くで火を焚いて、夜通し彼女を魔物や野生動物から守らなければならなくなるかもしれない。そしてまた朝になったら実りのない脱出作戦を考案して、実行して、また落胆して……

 

「アカンわ。思考がどんどん暗くなっとるわ。ここらでちょっと休憩しよか」

 

 私のお国言葉を聞いて、コズミさんが明るく笑った。

 

「そうですね、ちょっと休憩を入れたほうが良いかもしれませんね。疲れたままでは良いアイデアも浮かびませんし。こんな時こそ『アタリマエを見直して』休憩するべきかもしれません」

 

 バナンナさんも出会った時とまったく変わらない姿勢のまま、私に微笑んだ。

 

「どうぞ、私に構わず休憩なさってください。本当に私のために骨を折ってくださってありがとうございます」

 

 私とコズミさんはバナンナさんの近くに腰を下ろした。すると、すぐにコズミさんが「あっ」と声を上げて、すっくと立ち上がった。

 

「そうだ。ちょっと馬車から食べ物と飲み物を取ってきますね。実はこういう休憩の時にぴったりのものを持ってきてたんです……」

 

 コズミさんは馬車からなにやら綺麗なピンクの布地に包まれたものを持ってきた。

 

 その瞬間、気のせいかもしれないが、私の隣にいるバナンナさんがビクッと全身を緊張させたように感じられた。バナンナさんは小さく声をあげた。

 

「あっ……!」

 

 そんなバナンナさんを余所(よそ)に、満面の笑みでコズミさんは私に包みを見せてきた。

 

「お待たせしましたー! これ、なんだと思います?」

 

 私は答えた。

 

「うーむ……さあ、なんでしょうね……? 布越しに分かる大きさと形から見て、何か果物のような気もしますね」

 

 コズミさんはそっと包みを開いた。そこには、丸々と肥え太った真っ黄色の果実が、五本連なって一つの房となっていた。

 

 間違いない、ツルギバナナだ。コズミさんが嬉しそうに言った。

 

「じゃーん! 正解はバナナでした! マリッタ馬宿を出る前に、宿長が私に持たせてくれたんです。『バナナは困難を打ち払う活力をもたらしてくれる』って」

 

 私も驚きの声をあげた。

 

「おおー、これは珍しい! マリッタ馬宿のあたりでバナナを手に入れるなんて、すごく大変だったんじゃないですか? たしか、バナナの原産地はフィローネ地方の密林だとか……」

 

 コズミさんは頷いた。

 

「そうらしいですね。宿長が言うには、数日前に流れの行商人が馬宿に持ってきたとのことです。一房九十九ルピーとか言われて、流石にそれはあんまりだって値切ったら三十三ルピーになったとか……なんか怪しいですけど、この通りバナナはバナナですからね」

 

 私は言った。

 

「素晴らしい縁起物ですよ! 昔の詩にもありましたけど、『今日は晴れ 明日(あす)は嵐の 草枕 ほっと一息 バナナを一房』なんて言いますからね。やはり旅にはバナナですよ……」

 

 そう私たちが会話を弾ませている間に、バナンナさんに微妙な変化が起こっていた。彼女は小刻みに体を震わせ、なにやら呻き声をあげていた。

 

「バ、バナッ……!……うっ……ううっ……」

 

 だが、私たちがそれに気付くことはなかった。コズミさんは房からバナナを一本もぎ取って、私に差し出した。

 

「どうぞ、ヨツバさん。お先にお召し上がりになって下さい」

 

 私はそれを遠慮した。

 

「いえ、悪いですよ。タダでそんな貴重なものをいただくなんて……それに今日頑張ったのはコズミさんのほうじゃないですか、私よりも先にコズミさんが……」

 

 コズミさんはなおも私に向かってバナナを差し出した。

 

「いえいえ、ヨツバさんこそ午前中の戦闘は腰痛を抱えながら頑張ったじゃないですか。それに馬宿の店員には『どんな時でもお客様を第一に優先する』という鉄則があるんです。さあ、私に構わず、どうぞどうぞ……」

 

 さらにバナンナさんの震えと呻きが大きくなった。

 

「……ううっ……バナナ……バナナ……!」

 

 しかし、私とコズミさんはやはりそれに気付かなかった。

 

 コズミさんがそこまで言ってくれているのに断るというのは却って失礼だろう。私はお言葉に甘えることにした。

 

「それでは遠慮なく……ほお、すごく綺麗な身ですね。前に食べたのは傷んで真っ黒になってましたから……うん、こりゃ美味い!」

 

 バナンナさんは変な声を隠そうともしなくなっていた。

 

「……バッ……バナナッ……! バナナッ……!」

 

 私はバナナを味わった。口の中に上品な甘味が広がった。柔らかい歯応えだった。懐かしいのにどこか新鮮な味だった。これは、間違いなく栄養のある食べ物だ。植物図鑑によると、ツルギバナナには筋力を増強させる成分が豊富に含まれているらしい。なるほど、前に食べた真っ黒なバナナはさして美味いとも思わなかったが、これを食べたら図鑑の記述の正しさを実感できる。

 

 私がよく味わって一本目を食べている間に、コズミさんはもう一本を房からもぎ取って皮を剥いていた。彼女は言った。

 

「では私も失礼して……うーん、美味しい! 私、バナナを食べるの十年ぶりです! 宿長には感謝ですね、こんなに美味しいものを持たせてくれるなんて……」

 

 さらにさらにバナンナさんの震えと呻きが大きくなった。

 

「……バッ……バナナナバナッ……! バナナバナナナバナッ……!」

 

 しかし、私とコズミさんはやっぱりそれに気付かなかった。

 

 幸せそのものの顔をしてバナナを一本食べ終えたコズミさんは、ここで「あっ!」と声を発した。

 

「すいません、バナンナさん! 私ったらすっかりバナナに夢中になっちゃって、バナンナさんにバナナを食べさせてあげるのを忘れてました。お名前の元になった果物ですからね、食べないわけにはいきませんよね。待ってください、今そちらに持っていきますから……」

 

 突如、バナンナさんが吼えた。

 

「グォオオオオッ!! バナナ!! バナナを寄越せェエエエッ!!」

 

 叫ぶなり、バナンナさんは暴れ狂った。彼女は両腕両脚を嵐のように振り回すと、胴体をめちゃくちゃに()じ曲げて、挟まっていた岩から頭の方を前にしてズルリと抜け出した。抜け出た直後の数瞬、彼女は地面に横たわっていたが、すぐさま四肢に力を入れると、あたかも外敵を察知したマックストカゲのような動きと素早さで、シャカシャカと音を立てて地面を這い動いた。

 

 私たちが唖然としてそれを見ている間に、バナンナさんはコズミさんの傍らに置いてある包みに辿り着くと、ツルギバナナの房を鷲掴みにして目にも止まらぬ速さで一本をもいだ。彼女は叫び続けていた。

 

「グォオオオッ!! バナナ!! バナナァアアア!!」

 

 彼女の色白で可愛らしい顔つきは、あたかも地の奥底に跳梁跋扈する悪鬼のように変わり果てていた。その両目は真っ赤に燃えて(文学的な表現ではなく、本当に真っ赤に燃えていた。少なくとも私にはそう見えた)、フードの中の短い髪の毛はバサバサと振り乱されていた。彼女はなにやら言葉らしきものを言った。

 

「グォオッ!! バナナッ、バナナダッ!! (にえ)ダ!! (にえ)ダ!! ツルギバナナダッ!!」

 

 そして、彼女は瞬く間にバナナを一本食べた。のみならず、彼女はもう一本を食べた。さらに彼女はもう一本を食べた。その食べっぷりたるやまさに激烈、猛烈で、密林の猛獣もかくやと言わんばかりのものだった。というより、純粋に怖かった。彼女はなにか言っていた。

 

「……グフッ、バナナ……バナナ、ぐふっ、ぐふふっ……うほっ、うほほっ……もぐもぐ……」

 

 最後の一本を食べ終えて、ようやくバナンナさんは落ち着きを取り戻したようだった。そして、あまりにもあまりな変貌っぷりを見せつけられて硬直している私たち二人の存在に気付くや、彼女は気恥ずかしそうな、ぎこちない笑みを浮かべて言った。

 

「おっ、おほほほほ……またお恥ずかしいところをお見せしてしまいましたわ。実は(わたくし)、ツルギバナナには目がなくって……おほほほほ……ちょっと異常かもって自分でも思うんですけどね、おほほほほ……」

 

 弁明するバナンナさんからは、得も言われぬ迫力が感じられた。まるで「これ以上追及するな」とでもいうような……そういう迫力だった。

 

 それにあてられて、私はしどろもどろに言葉を発していた。

 

「ま、まあ好きなものを前にしたら誰でもそうなりますよね! うん、そうなりますって! ですよね、コズミさん!?」

 

 コズミさんも激しく何度も頷いた。

 

「そ、そうですよ! 別に異常でもなんでもないですよ! いや、まあちょっと異常かなって思いましたけど、でも異常でない人間なんていませんからね! 私も異常ですしヨツバさんももっと異常ですから大丈夫です! それに……」

 

 コズミさんは一旦言葉を切ってから、そっと胸を撫でおろして言った。

 

「結局岩から抜け出すことができたんですから、本当に良かったです。ヨツバさんのおっしゃったように、『バナンナさんが主体となって岩から抜け出てもらう』のが最適解だったようですね!」

 

 私は言った。

 

「そ、そうですね! 作戦は大成功です! いやぁ、私の考えに間違いはなかった! ハハハ!」

 

 そう言いつつも、ちょっと違うんじゃないかなぁと内心思う私だったが、なんにせよ岩から抜け出せたのはめでたいことだった。私も心底ホッとした。

 

 この時、私は気付いていれば良かったのだ。

 

 バナナを前にした彼女の豹変こそ何よりの証拠であったのに、私が感じたのは「これにて一件落着」という、ただそれだけのことだった。

 

 

 その後、私たちは馬車を進めた。私の隣にはバナンナさんがいた。聞けば、彼女も平原外れの馬宿でいったん一息入れて落ち着きたいという。これからもまだ道のりはあり、途中で魔物と遭遇するかもしれない。同道する人数が多いに越したことはない。

 

 それに、彼女は戦闘には自信があると言った。

 

「あんな無様(ぶざま)なところをお見せした後ですから信じてもらえないかもしれませんが、私、けっこう剣術は得意ですの。赤ボコブリン程度だったら瞬殺(しゅんころ)ですわ」

 

 私は曖昧に頷いた。

 

「はあ、瞬殺(しゅんころ)ですか」

 

 私たちの馬車は、老朽化してところどころに穴が空いているジェド橋を慎重に渡り終えた。ジェド橋のはるか下にタイアモン川が流れており、その高さを見てしまった私は一人縮みあがっていたが、コズミさんもバナンナさんも、それに馬のデスマスもゴゼマスも平然としていた。

 

 そして私たちはニーケル平原に差し掛かった。右手にサトリ山を見つつ、私たちは日没までになんとか行程を稼ごうと馬車を急がせた。

 

 このペースならば、今晩はサーディン公園跡に露営することができそうだった。

 

 その時、ふと私の中に疑問が生じた。隣にいるバナンナさんは何故か夕陽の美しい車外の景色ではなく、車内に積まれた郵便袋を眺めていたが、それに構わず私は彼女に話しかけた。

 

「そういえばバナンナさん、先ほどあなたが岩に挟まっていた時のことですけど」

 

 私の突然の問い掛けに、彼女は少し(いぶか)しげな顔をした。

 

「ええ、なんでしょう?」

 

 私は言った。

 

「いえ、どうってことない疑問なんですけどね。あの時、私たちが来た方向は、ちょうどあなたの足が向いている方向でしたよね。だからあなたには私たちが見えなかったはずでしょう? それなのに、よく私たちの馬車が来たって分かりましたね。『そこの馬車止まって』って、あの時あなたは叫びましたが……」

 

 バナンナさんは表情に驚きの色を浮かべた。

 

「えっ!? 私、そのようなことを言いましたかしら!?」

 

 私は頷いた。

 

「ええ、たしかにそう叫んでおられましたよ」

 

 数秒間、彼女はなにやら考え込むような様子が見えた。彼女は言った。

 

「……それは、そう、アレですわ。私、耳が良いものですから、きっと馬車の車輪がゴロゴロと鳴る音が聞こえたのですわ。だから『そこの馬車止まって』と言ったのに違いありません」

 

 私はその言葉に納得した。私はその時、彼女が怪しいなどとは露ほどにも思っていなかった。

 

「ああ、そういえばバナンナさんは耳が良いんでしたね。せっかくの『死力を尽くしてもらう』作戦も丸聞こえでしたし……」

 

 バナンナさんは笑った。

 

「そうですわ、おほほほほ……」

 

 そうした雑談を挟みながら馬車は進み、ついに日没から半時間ほど経過した後にサーディン公園跡に到着した。

 

 事件は、その深夜に起きた。




 謎のバナナ好きな女……一体何者なんだ……

 そろそろ馬車も平原外れの馬宿に到着しますね。なんだか書いている私まで疲れてきたので、さっさとヨツバにはリンクさんと出会ってもらうことにします。というより、この納豆を巡る旅より先の話を色々と思いついてしまったもので、書きたいところまで早く進んで欲しいんですよね。

 ちなみに今回のハイラル王のエピソードの元ネタは、あのドイツのビスマルクです(たしか)。いつか書きたいと思っていたネタでした。

 次回もお楽しみに!

※加筆修正しました。(2023/06/15/木)
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