どうしても認めたがらない人もいるが、しかし、生き物には生まれつきの向き不向きというものが確かにある。大きな観点から見ても小さな観点から見ても、生き物にはそれぞれ適性というものがあるのだ。
例えば、一般的にゾーラ族は泳ぐことに向いている。もしかしたら泳ぐのがとても下手なゾーラ族もいるかもしれないが、しかしハイリア人に比べたら明らかに彼らは泳ぐことに適性があると言える。リト族も、中には飛ぶのが苦手な人もいるかもしれないが、飛ぶこと自体できない私たちが彼らのことを「空を飛ぶことに向いている」というのは間違っていないだろう。また「ゴロン族は灼熱によく耐える」というのも同様に誤りではない。熱がりのゴロン族もこの世にはたぶん、いやきっと存在するだろうが、彼らがハイリア人のように溶岩で焼死するということはまずないだろう。
一方で、不向きというのもまたある。例えば、ゲルド族の女性は戦うことに向いているが、恋愛は破滅的に苦手である。よくゲルド族のことを「恋愛好きな」種族という人がいるが、それは違うと私は思う。彼女たちは恋愛が下手なために却って恋愛に必死になるのだ。その必死さが表面的には「恋愛好き」に見えてしまうだけだ。私は直接体験してそれを知っている。ああ思い出したくもない……
いや実際、ゲルド族の恋愛を目撃したり、当事者として体験したりした人間ならば、とても彼女らのことを「恋愛上手」とは言うまい。
以前私が取材したあるハイリア人は、ゲルド族からの一種異様な「アタック」を受けた時のことを語ってくれた。
ある時、とある馬宿でたまたまゲルド族の女性と食卓を共にした彼は、うっかり「私は強い女性が好きだ」と言ってしまった。その時は何事もなかったのだが、翌朝彼が目を覚ますと、寝台の傍らにそのゲルド族の女性が静かに立っていて、ドサドサと何か生臭いものを投げ込んできたという。
それはいくつものモリブリンの肝だった。
よくよく見ると、女性は魔物の紫色の返り血を全身に浴びていた。彼女は言った。
「一晩かけて、ここら一帯のモリブリンをやっつけてきた。さあ、結婚してくれ。お前は強い女性が好きなんだろう? このとおり、私は強い女性だ」
私自身の経験に照らせば、これは別段極端な例というわけではない。私たちハイリア人とゲルド族との価値観の相違というものもあるかもしれないが、少なくとも彼女らがハイリア人が理想とする恋愛観をあまり理解していないのは本当である。
話がやや
大厄災後の世界でも、それ以前の世界と同じように「幼いうちからの教育が大事だ」とはよく言われる。なんでそんなことが言われるのかといえば、一つには人生の早い段階で向き不向きというものをさっさと見極めなければならないからだ。グズグズしていると何に適性があるのか分からないままに荒野に放り出されて、右も左も分からぬままに放浪し、下手をすると魔物に喰われて、挙句の果てには臭気
前置きが長くなったが、私が言いたいのは次のことだ。つまり「旅をするにも適性がある」 そしてさらに私はこうも言いたい、「旅の適性とは、痛みを耐える能力に深く関わっている」
どうして旅と痛みとを細かな論証過程もなしに結び付けたのかといえば、その日その夜、サトリ山
☆
やや時間を遡って語ることを許してほしい。
私たちは円環岩群でバナンナさんの災難を救い、タイアモン川に架かるジェド橋を越えて、沈みつつある夕陽と競うようにして広大なニーケル平原を真っ直ぐ南下した。そのおかげで、道中トラブルに見舞われたにもかかわらず、私たちの馬車は予定通りの行程を消化することができた。
馬車はサーディン公園跡の中心部、かつての威容を思わせる馬の巨像近くに停車した。
この公園跡は比較的往時の姿を留めていた。大厄災後は各地で文化的施設の破壊・風化が進み、特に中央ハイラルでは魔物とガーディアンの
特に目を惹くのが、この巨大な馬の像であった。普通こういう公園には軍功を顕彰して騎士の像が建てられるものだが、この像は馬だけが
これには理由があった。ものの本によれば、その昔、ニーケル平原でハイラル王国軍と魔物との間で大規模な合戦があったという。魔物は数が多く、対する王国軍はその十分の一程度の小勢だった。それでも騎士と兵士たちは奮戦し、一時は敵陣中央を突破する勢いまでも見せた。だが、
このままでは無惨に敗走するか、それとも華々しく全滅するか。王国軍の士気が崩壊しようとした、まさにその瞬間であった。突然、サトリ山から野生馬の大群が出現し、
ハイラル王国軍はこの機を逃さず、全軍で追撃に移り、追い伏せ追い討ち、魔物のほとんど全てを撃滅することに成功した。
戦場には打ち捨てられた武具に、折れた旗竿、魔物の残骸、そして、魔物の抵抗によって命を落とした野生馬たちの無数の死骸が残された。時の国王はこの話を聞き、「ニーケル平原の外れにあるサーディン丘に記念公園を造営してはどうか」と、
だから、この馬の像は馬具を纏っていないのだ。いやはや、像一つにも秘話があるとは、ハイラルの大地に隠された歴史の地層はまったく分厚いとしか言いようがない。
その巨像の下で、馬車から外されたデスマスとゴゼマスが静かに噴水の水を飲み、コズミさんが用意した飼料を穏やかに
私たちも食事をとることにした。ゆるゆると日が沈み、そろそろと夜が来て、薄暗い空を一面の星々が覆い始めたその頃、私たちは一日を締めくくる大事な夕食の準備に取り掛かった。
野営用の装備は馬車に積まれていた。食材も薪も火打ち石も、小型の料理鍋もあった。私とコズミさんとバナンナさんは、火を囲んで簡単な料理を作った。それは、塩漬けのケモノ肉とゴーゴーニンジンをポカポカ草の実でソテーしたものだった。今は特別気温の低い季節ではないが、やはり野営は少し寒い。スパイシーな焼き肉を食べて体を温めることは、健康を保ちながら旅を続ける上で非常に重要である。
美味しい食事は会話を弾ませる効果がある。食事を始めて数分後、バナンナさんが私に話しかけた。
「ヨツバさんは雑誌『ウワサのミツバちゃん』の記者さんということでしたけど、これまでにどのような記事をお書きになったのですか?」
コズミさんも声をあげた。
「あっ、それ、私も知りたいです!」
私は食事の席に相応しく、かつ女性にウケそうな話をしようと記憶を探った。
「うーん、これまで色々とたくさん記事を書いてきましたけど、苦労して書いたものと言えば『激辛料理大食い選手権始末記』と、その補遺的な『実は岩以外も食べられる!? 健啖家のゴロン三兄弟!!』の二本ですね……」
バナンナさんが言った。
「ゴロン三兄弟ですって?」
私は頷いた。
「ええ、文字通りの三兄弟です。なかなか変わった連中でしてね。そうだ、彼らを中心にしてお話ししましょうか……」
私は食べる手を休めて喋り始めた。
そのゴロン三兄弟は故郷のデスマウンテンを離れて、ハイラル各地を放浪していた。長兄がどっかりと腕組みをして言うには「立派なオトコになるための修行ゴロ!」とのことだったが、後で末弟がこっそり私に告げるには「ゴロン族でありながら熱さに弱すぎて組長から呆れられ、外で修行してこいとゴロンシティを追い出された」とのことだった。
私が彼らと出会った場所はハイラル大森林の近く、ルピ湖のほとりの森の馬宿だった。
ちょうどその馬宿では特別イベントとして「激辛料理大食い選手権」を開催していた。それは森の動物のケモノ肉と川から獲れる魚、それにゴロンシティから輸入した「ゴロンの香辛粉」をふんだんに用いた大盛り(十人前)の激辛料理を、制限時間内に食べ切れるかどうか競うというものだった。各地から参加者がやって来ていた。
編集長からイベントの体験記を書くように言われた私は、気が進まないながらも参加受付を済ませ、用意された選手席に座った。私の隣に座ったのが例のゴロン三兄弟だった。彼らはねじり鉢巻き姿も凛々しく(?)、鼻息を荒くして料理が来るのを待っていた。
ふと疑問に思った私は、「ゴロン族って岩しか食べないと聞きましたけど、こういう人間用の料理も食べられるんですか?」と尋ねた。長兄は憤然として「食べられるか、食べられないかの問題ではないゴロ! ただ食べるだけゴロ!」と答えた。その言葉に二人の兄弟もうんうんと頷いた。
正午の太陽が昇った頃に、料理が運ばれてきた。それを見て、私は絶句した。幼児用のバスタブよりも一回り大きい素焼きの器に、ハイリア米をふっくらと炊き上げたご飯が山盛りに盛られていた。その上には森の馬宿名物のシノビマスのピリ辛焼きが三匹と、これまた同じくピリ辛に味付けされた焼きケモノ肉が五切れ、その間を埋めるようにじっくりとソテーされた各種野菜が敷き詰められていて、なお物凄いのは、ゴロンの香辛粉で作られた赤色のドロっとしたカレーソースがこれでもかと器全体にかけられていたことだった。
このイベントのために私はその日朝食を抜いてきたが、こんなに辛そうなものをこんなに大量になど、とても食べられそうもないと思った。それでも記事は書かないといけないのだから、まあ出来る限り頑張ってみようと、決死の覚悟のもとに私は食べ始めた。しかし案に相違してその味は素晴らしく、辛さもマイルドだった。見た目からすると「辛みを通り越して痛みを感じるのではないか?」と思われたが、これならば子どもでも何とか食べられるだろう。「激辛」というのは、単なる宣伝文句だったのか?
だが、いかんせん量が多すぎた。私は苦戦を強いられた。
競技が始まって二十分ほどが経過し、そろそろ満腹感を覚え始めた、その時だった。私の隣で何かが倒れる大きな音がした。見ると、ゴロン三兄弟の末弟が仰向けにゴロンと倒れて目を回していた。おやおやと思っているうちに今度は真ん中のゴロンが同じようにゴロンと倒れ、最後には長兄が「うーん……」と呻き声を漏らして、椅子からゴロンと崩れ落ちてしまった。
彼らの器を見てみると、半分どころか三分の一すらも食べられていなかった。流石に人間の食事はゴロン族に合わなかったのでは? 内心不安に思っていると、ゴロンと倒れていた長兄が言った。
「こ、この料理……辛すぎゴロ……」
三兄弟は最初の脱落者となった。
激闘の末、優勝者は「ザ・赤きムーン」との異名を持つハイリア人のフードファイターになった。目を血走らせながら彼は「オ、オデは……喰う……ぜ、全部喰う……」とブツブツ呟きつつ料理を物凄い勢いで平らげ、他の参加者の食べ残しまで全部食べてしまった。私はというと、制限時間こそ越えてしまったが料理をすべて食べ切ることができた。
それまで興味深そうに私の話を聞いてくれていたバナンナさんが口を開いた。
「それで、そのゴロン三兄弟は結局どうなったんですの?」
私は答えた。
「夕方まで目を回していましたが、日没頃には三人肩を並べて、いずこへともなく去っていきました。あの程度の辛さで大げさだな、とは思いましたが、まあ人には向き不向きがありますからね。それよりも、ゴロン族が人間の食事も食べられるということのほうが驚きでしたよ」
コズミさんが皿を膝に置いて私に質問をした。
「それだけ苦労をなさったのですから、さぞかし良い記事が書けたんでしょう?」
調子良く話していた私は、ここで言わなくとも良いことを、つい調子に乗って言ってしまった。
「ええ、やはり伝聞ではなく直接体験したことですからね、良い記事が書けましたよ。それより大変だったのが次の朝で……あまり辛くはなかったとはいえ、摂取した香辛粉の量が多かったものですから、もうおしりがヒリヒリしてヒリヒリして……出てきたモノもそれまで見たことがないくらい真っ赤で……あっ」
気づいた時には、女性二人は押し黙っていた。なんとなく白い目で見られている気がした。しまった、食事時にする話ではなかった! しかし後悔したところで、もはやどうにもならなかった。
しばらく黙ったままで私たちは食事を続けた。そのうちコズミさんが場を取りなすように世間話を振ってくれた。そのおかげで、なんとか気まずさからは解放された。だが、私は情けないやら恥ずかしいやらでせっかくの料理の味を何も感じられなかった。
味が濃いはずなのにまったく味を感じない焼き肉を噛みつつ、私は少しだけ危惧していることがあった。
隣に座るバナンナさんが、いつ「バナナを寄越せ!」と言い出さないとも限らない。それが気になっていた。
昼間のあの豹変ぶりから察するに、バナンナさんは異常なまでにツルギバナナに魅了されている。食事には必ずバナナをつけるべきだと彼女は考えているかもしれない。
しかし、そんなことは杞憂に過ぎなかった。バナンナさんは食事を終えると、そっと自分のバックパックからバナナを取り出して、ブツブツと私とコズミさんに聞こえない小声で何か呟いた後、丁寧に皮を剥いて食べ始めた。
「もぐもぐ……ぅほっほっ……やっぱり食事にバナナは欠かせませんわ。もぐもぐ……」
バナンナさんは、決して私たちにバナナを分けようとはしなかった。私たちも分けてくれとは一言も言わなかった。それはバナナが欲しくなかったというよりも、バナンナさんの食べっぷりに無言の圧力を感じたからだった。一心不乱にバナナを貪る彼女の姿には、「このバナナは決して誰にも渡さない!」という威圧感が溢れていた。
そんなバナンナさんではあったが、しかし、気遣いがまったくできない人でもなかった。いやむしろ、彼女はしっかりとした気遣いができる人と言っても良かった。食事を作る時、彼女は薪を並べて火を起こしてくれたし、私が水を汲みに、コズミさんがデスマスとゴゼマスの世話のためにその場を離れていた時も、彼女は肉の焼き加減をずっと見ていてくれた。彼女は、でき上がった料理を率先して取り分けてくれたりもした。
そして今は花のような笑顔を浮かべて、私たちにハチミツアメまで振る舞ってくれた。彼女は言った。
「はい、これをどうぞ。お食事のあとに甘いものは欠かせませんわ。どうぞお召し上がりになって」
コズミさんが喜びに満ちた声をあげた。
「まあ、これはがんばりハチミツアメ! ありがとうございます!」
私も礼を述べた。
「ありがとうございます……うん、美味しいですね! 上品な甘さで……」
私は、先ほどまでバナンナさんのことを「少し頭のおかしいバナナジャンキー」であると見做していた自分を恥じた。たしかに、単なる遊び心で岩に挟まって動けなくなり、バナナを前にしたら魔物のような獰猛さを見せる彼女だが、こんなに素敵な心配りができて楽しく食事をできる人もなかなかいない。それに、顔も私好みだし……
満腹感と、久しぶりに感じる甘い恋心のようなものに包まれて、その時の私はたしかに幸せな気分だったのだ。
☆
食事を終え、食器を片付けた後、私たちは早々に休むことにした。私は夜半過ぎまで火の番と見張りをし、それからコズミさんと交替することになっていた。バナンナさんは「私も見張りをやりますわ」と言ってくれた。しかし客人にそのようなことはさせられないとコズミさんが強く主張した。私もコズミさんと同意見だった。彼女は大人しく馬車の中で一晩休むことになった。
異変が起きたのは、それから二時間ほど後のことだった。
焚き火が発する仄かな光に照らされながら、私は手帳を開いて日記をつけていた。
「……夜中、生まれたてのイシロックと戦闘。『終焉の者』と命名す。ぎっくり腰になるもこれを退ける。翌朝、終焉の谷に進入。午前から昼前にかけて通過。馬車にて昼食。デスマス・ゴゼマス急坂で奮闘。西ハイラル平原に進入、戦闘音を聞く。チャビーという名の女性に助太刀。ぎっくり腰再発す。チャビーさんのご厚意により、マモノエキスをもらう。希釈マモノエキス、痛み止め効果顕著……」
そこまで書くと、私はコップの水を口いっぱいに含んで、ゴクリと喉を鳴らして飲み込んだ。腐臭のような生臭さが鼻腔をふっと通過した。
私はその夜も、水で希釈したマモノエキスを服用していた。実は夕方からずっと腰が痛んでいた。コズミさんとバナンナさんには黙っていたが、どうやら岩に挟まったバナンナさんを助けるために彼女の両腕を思いっきり引っ張った際、腰にかなり無理な力が加わったようだった。それからは暇さえあれば、私は水に溶かしたマモノエキスを飲んでいたのだ。
その時であった。何の前触れもなく、私の腹部がゴロゴロ、ギューンという異音を発した。次の瞬間、強烈な腹痛が襲い掛かってきた。
「な、なんじゃ……!? ぐ、ぐぉおお……!!」
大声を出すわけにはいかない。焚き火の傍には寝袋に入ったコズミさんが、馬車の中にはバナンナさんがいる。それでも、あまりにも猛烈な痛みに私の口からは自然と呻き声が漏れ出てしまった。
先に、私は「旅の適性とは痛みを耐える能力に深く関わっている」と書いた。旅というものはどんなに周到に準備をしていても何らかの痛みや苦痛をもたらすものであり、それは足の水ぶくれだったり、虫刺されだったり、あるいは暑さ寒さだったり、さらには魔物との戦闘で負う矢傷や刀傷だったりする。
私はそのいずれにもけっこう耐えられるのだが、ただ一つ苦手とするものがある。それは、腹痛だ。もう、本当に、腹痛にだけは弱いのだ。
小さい頃から私は腹痛に悩まされ続けている。生水を飲むとほぼ確実に腹を下すし、変なものを食べても腹を下す。先ほどの食事の時にはすんでのところで言わずに済んだが、あの大食い選手権の後も凄まじい下痢に襲われたのだ。血液なのか、それとも香辛粉なのか、真っ赤に染まった下痢が私の体からとめどもなく流れ出たあの時の苦痛は、今でも思い出すたびにゾっとする。そういえば、ミモザと付き合っていた時も日々激しい腹痛との戦いだった。
いったい、腹痛ほど人間の精神を萎えさせ身体から力を奪うものもないのではなかろうか? 崇高な信念と燃えるような戦意に満ち、類まれな技量を有する経験豊富な戦士でも、いや戦士に限らず魔物でも、おそらく腹痛になったらどうにもならないのではないか?
有名なおとぎ話に『騎士セバスンと大きなヒノックス』というものがある。この話、ハイラル王国初の騎士にして豪勇無双で知られる騎士セバスンが、ひと際大きくて残忍で、牧場と村々を荒らすヒノックスを討ち果たすという内容なのだが、そのセバスンがヒノックスと戦う時の手口が個人的に好きになれない。彼は下剤を混ぜた食事を用意してヒノックスに食べさせ、腹痛で苦しんでいるところをやっつけてしまうのだ。
この話のハイライトは、ヒノックスが何度も何度も便所に(魔物が便所を持つのかという疑問は置いておいて)駆け込むというシーンで、とかくそういうことを好む子どもたちには大ウケ間違いなしというおとぎ話なのだが、小さい頃にこの話を聞いた私はヒノックスに同情してしまった。「ぼくと同じやないか」と。
また話が逸れてしまった。私が呻き声を漏らした数秒後、腹から鳴るギューンという音は、次第にギュゴロギュゴロという曰く形容しがたいものへと変わってきた。痛みも単なる腹痛という範疇を遥かに越えていて、今にも腹腔そのものが火薬樽のように大爆発するのではないかというような危機感すら覚えるまでになっていた。
私は覚悟を決めた。
「……これは……もう……仕方ない……!」
我慢したところで収まるとは思えなかった。腹痛は虫歯と同じだ。我慢したところで意味はなく、何かしない限り決して消えはしない。こうなったら、どこかその辺に腰を下ろして放出するしかない。どこかその辺、私の限界を超える前に到達できるほど近くて、でも焚き火と馬車からは充分に離れていて、適度に草むらがあって、でも穴を掘りやすいくらいに柔らかい地面……そういう場所が良い。
人体の精妙巧緻にして摩訶不思議な仕組みの一つだと思うのだが、腹痛の時は「何も考えられない」状態でありながら、その瞬間瞬間では嵐の時の大気の循環のように思考が働いているものである。私は必死に、内股になって少しずつ、ゆっくりと歩きながら、先ほど挙げた条件に合致する場所を探していた。その間にも腹痛はどんどん高まり、限界が刻々と近づきつつあった。
何とか馬車から離れ、石造りの階段を下って、私は公園近くの大木の傍に辿り着いた。しかしもう、穴を掘っている暇などなかった。
これ以後の話について、読者はあまり詳細を知りたいとは思わないだろう。だから結論だけを書くと、私は無事に用を足すことができた。安堵のあまり、私の両目から生温かい涙が零れ落ちた。
なおも断続的に続く痛みをしゃがんだ姿勢のままで耐えながら、私はなぜこんなにも激烈な腹痛に見舞われたのかについて考えていた。
さっき食べた料理のせいか? いや、私以外の女性二人は特に異常はない。それでは水か? いや、この公園の噴水の水は綺麗だった。まさか野ネズミの糞などが混ざっているということもないだろう。夜風で冷えたか? いや、今夜は実に過ごしやすい気温だ……
そして、すぐに原因について思い当たった。
間違いない、マモノエキスのせいだ!
腰のポーチから、私はマモノエキスの詰まった紫の小瓶を取り出した。薄い月明りに照らされたそれに、全体の半分ほどまで液体が入っているのが確認できた。そういえばチャビーさんは用法については教えてくれたが、用量については教えてくれなかった。なにしろ魔物由来の製品である。飲み過ぎが有害であることは容易に推測できた。
そうであるのに、私はあたかも乳を欲しがり続ける赤子のようにマモノエキスを飲み続けてきた。最初は腰の痛みを消すためと思い、腰の痛みが消えてからはただ何となく、クセになる味に惹かれてチビチビと飲み続けた。
腰痛を救ってくれる夢のような薬の副作用が、まさか私が最も忌み嫌う腹痛だったとは!
「ぐっ……ぐぉおお……! まただ……また出る……!」
まだまだ終わらない。まだまだ涙も、他のモノも出る。腹痛はなかなか去らなかった。私は心配になってきた。まさか魔物のように頭からツノが生えてくるなんてことはないだろうが、しかし私の内臓が全部溶けてしまって体外へ出てしまうのではないかと本気で憂慮した。常識的に考えればそのようなことはあり得ないが、しかし私の腹の中で暴れ狂っているのは常識を外れたマモノエキスであった。
焦りと疲労感で朦朧とする頭に次に浮かんだのは、腹痛を克服するにはどうすれば良いのだろうかという、とりとめのない思念だった。
腹痛を克服する。強靭な消化器官を手に入れる。それにはやはり納豆だ。
ズイダの『納豆について』によれば、納豆には数々の健康上・美容上の効果があり、特に腹を強くする効果があるのだとか。下痢が続いている時に納豆を食べればたちどころに治り、慢性的な腹部膨満感も瞬く間に解消されるらしい。特にねばねばと糸を引き、匂いも強烈な納豆が良いのだとか。
これは、なんとしてでもカカリコ村で納豆の製法を学ばねばなるまい。これだけ腹痛に襲われても、マモノエキスを手放すことは私には考えられない。類を見ないほどの鎮痛作用があるからだ。今後も取材のために私は様々な痛みを抱えながらハイラル各地を歩き回るだろうが、その時もマモノエキスは必須アイテムになるだろう。
その必須アイテムの副作用が腹痛というのならば、これはもう、腹そのものを鍛えるしかない。それには納豆を食べるしかない。マモノエキスと納豆をいわば車の両輪として、私は旅を続けるしかないのだ。
記事の為でも、姉たちの為でもない。私自身の健康のために、絶対に納豆の秘密を解き明かしてやる!
下半身を外気に晒しながら私が一人決意を新たにしていると、ふと奇妙なものが視界に映った。ちょうど私がしゃがみ込んでいる場所からは公園中央に停車している馬車が見えるのだが、その
なぜ光が? 今、馬車の中にいるのはバナンナさん一人で、彼女は寝てるはずだ。先ほど腹痛に襲われた時も、馬車の中は真っ暗だった。「私、眠りが深いんです。滅多なことでは起きないのですわ」と彼女自身言っていた。
それでは、私がここで用を足している間にバナンナさんは起きて、ランプに灯でもつけたのだろうか?
あるいはバナンナさんではなく、コズミさんが起きたのかもしれない。しかし交替の時間にはまだあるし……
グルルルルと、また私の腹がフィローネの密林に棲む猛獣のような声を上げた。
「ぐぅ……またかいな……アカンわこれ……ホンマに終わるんかいな……」
その後もしばらく戦いは続いた。幌の中をゆらゆらと動く灯りはしばらく見えていたが、気付いた時には消えていた。その頃には私も疲れ果てていて、はたしてあの灯りは本当に見えていたのか、それとも疲労した私の頭脳が作り出した幻に過ぎなかったのか、判別することはできなかった。
ようやく痛みが収まり、出るものも出きってしまってから、私はやっと腰を上げてズボンを履き直した。戦いに勝利したという解放感に満ちていた私は、低く鼻歌を歌いながら馬車へ戻ろうとした。
ボトリ、という嫌に耳に響く音が私の背後で起こった。続いて、ウジュルウジュルという、水分をたっぷりと含んだ何かが這い摺るような音がした。
私の第六感が、半鐘のように警報を鳴らしていた。
嫌だ、振り向きたくない。でも振り向かないともっと嫌な目に遭うぞ……
意を決して振り向くと、そこには非常に大きなチュチュがいた。どうやら、私が用を足す音と気配に眠りから覚まされて、木の上から降ってきたらしい。魔物は生気のない目で私をぼんやりと見つめていた。
「アカン」
アカン。私は丸腰だ。唐突に訪れた生命の危機に、私の腹はまたもや異音を立てた。
すまない主人公よ、この物語を書き始める前から君には腹痛で苦しんでもらうと決まっていたのだ。ゆるせよ。
マモノエキスって絶対になんか副作用あるよな……と思って今回書きました。でもあのキルトンのことですから、そこらへんも実は気を遣っているかも……?
次回には平原外れの馬宿に到達します(今回で到達させようかとも思いましたが、一万字に届いてしまったので次回に持ち越しとなりました)。
はやくリンクさんを書きたいですね! 次回もお楽しみに!
※加筆修正しました。(2023/06/15/木)