ハイラルぐでぐで紀行   作:ほいれんで・くー

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所詮はバナナの葉っぱの話だし

 私も一応は記者であり、ジャーナリストの端くれであるから、私は「声」というものが持つ力を信じているし、また実際にその力を用いて日々の糧を得ている。

 

 記事を書くという行為は、広い世間にまばらに散らばっている「声」を集め、それを私自身の「声」によって形にするということである。言うなれば、よく声を聞き、よく声を発するのが私の仕事と言える。確たる形を持たない、幽霊のように弱く細い声を、新たなる声によって語り直し、増幅して強化する。それこそが雑誌『ウワサのミツバちゃん』の編集理念でもある。

 

 私がこんなに苦労して取材のためハイラル各地を駆けずり回り、無い知恵を振り絞って原稿を書くのは、一つには原稿料を稼いでルピーを得るためであり、もう一つには姉の雑誌に貢献したいという姉弟(きょうだい)愛のため(いや、姉弟愛というと少しばかり大仰だが、まあここではそのように格好つけて言っておく)でもあるが、より高い精神的な次元での理由を探すと、さきほど述べた編集理念に私が心の底から賛同しているということが挙げられる。

 

 百年前の大厄災によって世界は滅んでしまったが、それでも私たちは生き抜いていかねばならない。畑は耕さなければならないし、魔物と戦わないといけないし、馬車に品物を積んで危険な街道を行かねばならない。病気にもなるし、老いるし、苦労に苦労を重ねた末、いずれは必ず死ぬ。それらはみな、(つら)く苦しいことだ。

 

 しかし、もっと(つら)く苦しいのは、その(つら)さや苦しみを誰にも知ってもらえないことではないだろうか。人が苦しみに耐えられなくなるのは、苦しみそれ自体によって圧し潰されるからではない。「自分の苦しみは決して誰にも分かってもらえないという絶望感」のゆえに、人は苦しみに負けるのである。

 

 声を持たない人たちは、常にこの絶望感に苛まれている。自分だけの声を持つ人は良い。その声が強いのならばなおさら良い。だが悲しいかな、そんな人はごく少数なのだ。

 

 声を持たない人たち、声を持っているがその声が小さい人たち、声を持っているがそれを広める(すべ)を持たない人たち、そんな人々のために私は声を振り絞る。声は何も生み出さず、ただ荒野に虚しく響くだけかもしれないが、誰かの耳には届くかもしれない。その誰かは声を耳にして勇気づけられたり、あるいは慰めを得たりするかもしれない。おかしみと笑いを得るかもしれない。声というほんのちょっとしたことが、この荒廃したハイラルの大地を生き抜いていくための活力をもたらす。

 

 こうして考えてみると、ジャーナリストの仕事は医者のそれと似ている。医者は診断をし、薬を処方することだけで患者を癒すわけではない。医者は声をかけることによって患者を慰め、励まし、苦しみを明確化する。それによって、患者は苦しみを分かってもらえたという安堵感を得る。自分の苦しみを分かってくれる人がこの世に存在するという事実は、どれだけ人を勇気づけることだろう。

 

 このことを分かっていたからこそ、私は恥も外聞もなく呻き声を漏らし続けたのだ。

 

「痛いよぉ……超痛いよぉ……痛くて死んじゃうよぉ……」

 

 決して私の精神が軟弱だからではない。たとえどんな(たぐい)の声であっても、声には力がある。私はその信念に基づいて呻いているのだから、これはまったく恥ずかしいことではない。それでも目に涙が滲むのはどういうわけからであろうか。

 

 ベッドに横になって情けなく苦痛の声を漏らす私の傍には、バナンナさんがいた。彼女は言った。

 

「お可哀想に……今、タオルを交換いたしますわ」

 

 彼女はこの平原外れの馬宿に到着してからの二日間、ずっと私の看護をしてくれていた。彼女は小さな(おけ)に張られた水にタオルを浸すと、その白い美しい手で絞って、怪我による発熱で火照っている私の(ひたい)に丁寧に乗せてくれた。彼女はきっちり一時間おきにそうしてくれていた。

 

 私は彼女に感謝の言葉を述べた。

 

「ありがとうございます、バナンナさん……」

 

 バナンナさんは優しい声で答えた。

 

「どういたしまして。このくらい、大した労力ではありませんわ。私のことはお気になさらず、ヨツバさんは休んでいてくださいまし」

 

 ああ、この女性は私の苦しみに寄り添ってくれている。そのことを思うだけで、私はこの苦しみにこれからもきっと耐えていくことができる。私はしみじみとそう思った。実のところを言えば、担ぎ込まれた当初と比較して痛みは相当和らいでいたし、別段呻き声をあげるほどでもなかったのだが、こうしてバナンナさんが世話を焼いてくれるのが嬉しくて、私はわざと苦しんでいたのだった。

 

 そんな私の心のうちを見透かしたのか、初日は至極気の毒そうな顔をしていた馬宿の店員たちは、今日になるともう気遣う素振りすら見せず、たまに仕事のついでとして私の様子を見に来るだけになった。この馬宿の中で、私の怪我について気にかけているのは、いまやバナンナさんしかいなかった。

 

 タオルを交換し椅子に座って本を読んでいたバナンナさんに、私は声をかけた。

 

「コズミさんはもう出発したのですか?」

 

 バナンナさんは頷いた。

 

「ええ、朝早くにお()ちになりましたわ。屈強そうな二人の用心棒の方と一緒でした。あの様子ならば、道中はきっと安全でしょう」

 

 私は言った。

 

「そうですか……できることならお見送りがしたかった……」

 

 バナンナさんは静かに首を振った。

 

「仕方ないことですわ。その時のヨツバさん、(いびき)をグーグーかいて眠っておられたのですもの。起こすのも気の毒でしたから、そのままにしておきましたわ」

 

 私はぎこちない口調で答えた。

 

「そ、そうですか、(いびき)をグーグーと……」

 

 バナンナさんは言った。

 

「そう、鼾をグーグー」

 

 私は尋ねた。

 

「割と大きな鼾でしたか?」

 

 バナンナさんは表情を変えずに答えた。

 

「ええ、この建物全体が振動するくらいの割と大きな鼾でしたわ」

 

 それは……なんとも恥ずかしい。私は答えた。

 

「さ、さよですか……」

 

 バナンナさんは、ここでにっこりと笑った。

 

「嘘ですわ。大きな鼾ではありましたが、建物を揺らすほどではありませんでした。せいぜい水差しとコップが揺れる程度でしたわ」

 

 それでも大きな鼾であることには変わりない。私の口から曖昧な言葉が出た。

 

「は、はぁ……さよですか。はは、ハハハ……」

 

 マリッタ馬宿からここまで、長かったような短かったような旅程を共にして来たコズミさんは、私が鼾をかいている間に去ってしまっていた。彼女はデスマスとゴゼマスが曳く馬車を操って、ハイリア川西岸に位置するリバーサイド馬宿へ向かって出発したという。魔物が多数出没する地帯を馬車は抜けなければならないが、しっかりしている彼女ならばきっと大丈夫だろう。

 

 昨晩、まだ本当の痛みに苦しんでいた私の枕元へ、コズミさんは律儀にも別れを告げに来た。

 

「明朝、私はリバーサイド馬宿に向かってここを()ちますね。本当はヨツバさんのお怪我が治るまで一緒にいたいのですけど、期限内に郵便物を運ばねばなりませんし……後のことはバナンナさんにお任せします。腐った豆の記事が雑誌に載るの、楽しみに待っていますね」

 

 私はなんとか言葉を絞り出した。

 

「く、腐った豆ではなく、納豆です……ミラクルフードの納豆です……」

 

 コズミさんはうんうんと頷いた。

 

「ああ、そうでしたね。ナットーでした。早く元気になって、たくさん腐ったまめ……ではなく、ナットーの記事をお書きになってくださいね!」

 

 私も頷き返した。

 

「は、はい……コズミさんもどうかご無事で……」

 

 コズミさんは実に良い人だった。彼女が旅を無事に終えて、またマリッタ馬宿へ帰れることを心から祈っている。後で手紙でも出しておこう。彼女は私の怪我のことを随分と気にしていた。私の錯覚でなければ、去り際の彼女の目は「この人、死ぬんじゃないだろうか」という懸念の色を明確に宿していた。まるでコッコに突き回されて瀕死になっているミミズを見るような目だった。

 

 しかしながら、彼女に「死ぬんじゃないだろうか」と思われたことが、かえって私の力となった。私の苦痛は昨日の真夜中に頂点に達したが、それを乗り越えることができたのは、たぶんコズミさんのおかげだった。女性に心配してもらえるということだけで男は、特に私のようなダメな男は、心を奮い立たせるものである。

 

 こうして奮い立ったことには奮い立ったが、それでもまだ旅を再開できるほどには、私は回復していなかった。さっさとこのベッドから起きなければ宿泊代も(かさ)む。このベッドは「ふかふかのベッド」なのだ。一晩に四十ルピーもかかる。ふつうのベッドの倍の料金だ。

 

 取材費として千八百ルピーを持っており、これに私の小遣いの二百ルピーとを合わせれば財布には二千ルピーが入っている計算になるが、今後カカリコ村で取材のために滞在することを考えると、一日も早くここを出発しなければならないのは明白だった。

 

 私はバナンナさんに言った。

 

「何かこう……すぐに怪我が治る方法とかありませんかね……」

 

 そんな方法があるなら苦労しないことは私自身がよく分かっていた。世間話として私はそのように問いかけたのだが、意外なことにバナンナさんは明るい表情をして答えた。

 

「ありますわ!」

「えっ、あるんですか?」

 

 半信半疑の私に、彼女は確信に満ちた顔を見せた。彼女は言った。

 

「ありますとも! 絶対安全確実安心な方法ですわ!」

 

 私は言った。

 

「それはいったい?」

 

 彼女は手をぐっと握ってから、言った。

 

「バナナを食べるのですわ!」

 

 ば、バナナですって? 唖然とする私に向かって彼女は力強く頷くと、さらに言葉を続けた。言葉は途切れることなく流れるように彼女の口から紡ぎ出された。

 

「そう、バナナを食べれば良いんですわ! それも一本ではありません、百本食べるのです! ツルギバナナを百本! のんびりと食べてはいけません、百本を三十分以内に食べるのですわ! つまり一本を食べるのにかけられる時間は十八秒です! 十八秒に一本バナナを食べなければなりませんが、決していい加減に食べてはいけません! まず、バナナの神様にお祈りを捧げること! 『バナナの神よ、あなたの大いなる恵みの前に私は(こうべ)を垂れ、ひれ伏します。バナナは私の救い、私の道です。バナナこそ(あまね)くこの世を照らす光、悪より私たちを守る不落の砦、私はいついかなる時でもバナナの神に従います』と心の中で唱えるのです! 次によく噛むことが重要ですわ! 一口(ひとくち)ごとに最低でも三十回は噛まなければなりません! そうでないとバナナの貴重な栄養が充分に身体に吸収されませんし、なによりバナナの神様に対して不敬となります! 三つ目に大切なのはバナナの皮の剥き方です! 皮は横からでも下からでもなく、必ず上から剥かなければなりませんし、もし間違ったやり方で剥いた場合、たとえバナナの神様が許すとしても私たちがバナナの神にかわって天誅を……」

「ちょ、ちょっと待ってください、バナンナさん!」

 

 私はバナンナさんの話を遮った。文字通り目の色を変えてバナナの効能と食べ方について滔々と講釈を垂れ始めた彼女に恐怖したからだった。話を止められたその一瞬、可愛らしい顔に似合わぬ鋭い眼光が私の顔を刺し貫いた。私は思わず身が震えるのを感じた。

 

 十秒間ほど、沈黙が辺りを包んだ。勇気を振り絞って私は声を発し、沈黙を破った。

 

「あの、その、バナナを食べれば治るんですよね?」

 

 直前までの一種の狂気を孕んだ状態とは打って変わって、バナンナさんは静かに首肯(しゅこう)した。

 

「そうですわ」

 

 私はさらに尋ねた。

 

「ツルギバナナを百本食べれば良いんですね?」

 

 彼女は落ち着き払って答えた。

 

「そうですわ。ツルギバナナを百本、それも三十分以内に。つまり十八秒に一本ですわ」

 

 私はさらにさらに尋ねた。

 

「マックスラディッシュでもマックスドリアンでもなく、ツルギバナナを食べるんですね?」

 

 彼女は憤然として答えた。

 

「マックスラディッシュなんて、あんなものはヤギのおやつですわ! マックスドリアンなんていうものはフィローネの半裸の野蛮人(バーバリアン)たちにしか効果はありません! バナナにしか救いはないんです! 救いと道はバナナだけ!」

 

 なぜ彼女がそこまでマックスラディッシュとマックスドリアンを敵視するのかは分からないが、それよりももっと重要なことがある。私はおずおずと言った。

 

「あの、その、ところでですね、この平原外れの馬宿でバナナは手に入りますか?」

 

 私の問いに対して、バナンナさんはしばし絶句した。そして、悔しさの滲んだ声で、呟くように彼女は言った。

 

「……手に入りませんわね。そう、たしかにこんな辺鄙な場所ではバナナは手に入りませんわ。はぁ……」

 

 バナンナさんは力なく俯いた。一方で、私はほっとしていた。もしここでバナナを手に入れられたならば、彼女は無理やりにでも私の口にバナナを押し込むことだろう。そしておそらく、いやきっと、大量のバナナで窒息しかけている私の隣で、彼女はバナナを貪り食べることだろう。それも満面の笑みで。ジェド橋近くの「円環岩群」でバナンナさんが見せた狂態から考えるに、それは確実だった。

 

 気まずい雰囲気になっていた私たち二人のもとへ、ちょうど良いタイミングで言葉をかけてくる人物がいた。

 

「ほっほ、おっしゃるとおり、ここは辺鄙な場所ですからのぉ。残念ながら、バナナは手に入りません。しかし、わしも長いこと生きておりますが、バナナが傷に効くとは初耳ですじゃ」

 

 あるいは、その人物は私たちが会話に詰まって黙りこくるのを待っていたのかもしれなかった。

 

 それは、馬宿の店員の一人であるトーテツ氏だった。背筋がエビのように曲がっている、相当な年配の男性で、帽子の下からは真っ白な髪の毛が覗いていた。口髭と顎髭も真っ白だった。

 

 バナンナさんはほんの少し顔を赤らめて言った。

 

「あら、申し訳ありませんわ、店員さん。お騒がせいたしました。私ったら、バナナのことになるとつい熱くなってしまって……」

 

 トーテツ氏は笑って答えた。

 

「ほっほ、いえいえ、お気になさらず。ところでヨツバさん、その様子を見るとお怪我はかなり良くなっているようですな。若い綺麗な女性と話す時だけ元気になるという男性一般の性質によるものでなければの話ですが」

 

 私は言った。

 

「はは……トーテツさんもなかなか手厳しい。そうですね。もう一晩も経てば立って歩けるくらいには回復すると思いますよ」

 

 バナンナさんが声をあげた。

 

「まあ、ヨツバさん。さっきまで『痛くて死んじゃうよぉ』なんて言っていたではありませんか」

 

 私は返答に窮した。

 

「あ、あの、それはですね、なんというか……はは……」

 

 トーテツ氏が助け舟を出してくれた。

 

「本当に良くなりましたな。ここに担ぎ込まれた時はどうなることかと思いましたが……」

 

 私はこのトーテツ氏と、今までに四回ほど会っていた。この平原外れの馬宿にほど近い場所にある闘技場跡地について記事にするため、私は何回かここを訪れ、投宿したことがあった。トーテツ氏からはそのたびに、色々と昔話を聞いた。その話が記事に生かされたのは言うまでもない。

 

 私はトーテツ氏に言った。

 

「そういえば、私にゴロン式マッサージ(紛れもない拷問)をしてくれたあのゴロンはどこに行きましたか?  礼を言い忘れていましたが……」

 

 トーテツ氏は答えた。

 

「ああ、あのゴロン族ならばヨツバさんにマッサージをしたすぐ後に、ここを去って行きました。これからゲルド地方へ行くとか言っていました」

 

 私は言った。

 

「そうですか……」

 

 あのマッサージは地獄のような苦しみだったが、たしかによく効いた。そうだ、このトーテツ氏ならば何か傷を早く治す秘訣を知っているかもしれない。私は問いを投げかけた。

 

「トーテツさん、あまり私が貴重なふかふかのベッドを占領したままというのも気がひけますし、それに仕事の都合上、いつまでもここで寝ているわけにもいきません。何か回復を早める方法をご存じではありませんか?」

 

 トーテツ氏は好々爺(こうこうや)然とした顔を私に向けた。

 

「ほっほ。若い人はせっかちでいけませんのぉ。よく寝て、マックストカゲを煮た薬を飲めば自然と治りますわい。もしかして、マックス薬はお嫌いなのですかな? まあ、あれには強烈な苦みがありますからのぉ」

「い、いえ……そういうわけでは……とにかく、他になにかありませんかね?」

 

 私は言葉を濁した。かつて「料理研究家の卵」であるミモザのむちゃくちゃな料理に付き合ったことがある私にとって、マックス薬の苦みは大したものではない。私がマックス薬をあまり飲みたくないのは、端的に言うと非常に高価だからである。宿泊料と薬代だけで取材費がすべて失われるような事態はなんとしても避けたい。

 

 ルピーのことを考える私は、かなり微妙な表情を浮かべていたのだろう。トーテツ氏はそれ以上追及しなかった。彼は言った。

 

「ふむ……そうですな……マックス薬と睡眠に頼らずに傷を治す方法……」

 

 彼は顎に手を当ててしばし考え込んでいたが、やがてポンと手を打って言った。

 

「ヨツバさん、また少々昔話をすることになりますが、よろしいですかな」

 

 私は頷いた。

 

「ええ、是非お願いします。トーテツさんの昔話にはこれまで何度も助けられましたし」

 

 バナンナさんがいかにも興味津々という感じに身を乗り出して、言った。

 

「私も聞きたいですわ」

 

 その様子を見てトーテツ氏は嬉しそうな顔をした。そういえばこの老人、けっこうな女好きだった。私がそんなことを思ってる間に、彼は話を始めていた。

 

「よろしい。それではお二人にお話しします……ハイラル王国がまだ隆盛を誇っていた頃、特に人気のあった娯楽が競馬と闘技場での試合でした。今でこそこのあたりは『辺鄙な場所』と言われておりますし、また実際そのとおりで、この馬宿も協会本部からも半ば見捨てられたような形になっておりますが、昔は引きも切らず人が訪れたとのことですじゃ。それはさておき、闘技場では毎日のように過酷な試合が行われていた。試合といってもほとんど実戦のようなもので、選手は本物の刀剣を手にして戦いを繰り広げ、連日のように怪我人が出ていたそうですじゃ。人間が人間を相手にする試合もあれば、捕まえてきた魔物と戦うこともあったとのことで、魔物相手の試合では時には死者が出ることもあったと聞きます。闘技場側はなんとしても死者を減らそうと努力しましたし、怪我人も極力治療したそうです。そこで数々の治療方法が試され、生み出されていったそうですじゃ」

 

 つい記者としての癖で、私は職業的な相槌を打ってしまった。

 

「なるほど、現在の一般的な『陰惨な闘技場』のイメージとは異なって、選手は使い捨ての存在ではなかったのですね。死の危険はあるにしても、試合で怪我をすればちゃんと治療されたと」

 

 トーテツ氏は頷いた。

 

「そうですじゃ。興行主としても優秀な選手は貴重ですからの。試合を一回だけして再起不能になってもらっては商売になりません。で、どうやって治していたのかというと……」

 

 バナンナさんが口を挟んだ。

 

「きっとバナナの早食いですわね? そうでしょう?」

 

 勢い込んでそう言うバナンナさんに、トーテツ氏は首を振って否と示した。

 

「残念ながらお嬢さん、バナナの話は聞いたことがありませんのぉ。わしが聞いたことには、選手たちは馬を使っていたとのことですじゃ」

 

 バナンナさんは首を(かし)げた。

 

「馬を治療に? どうやって? 怪我人を馬に乗せたんですの?」

 

 トーテツ氏は言った。

 

「そうではありません、馬の肉を使ったんですじゃ」

「まあ!」

 

 驚きの表情を浮かべてバナンナさんは口に手を当てた。しかし私はその話をすでに知っていた。私は彼女に言った。

 

「馬の肉をそのまま湿布(しっぷ)として傷口に貼ったんですよ。特に火傷や打撲に効果があったと聞いたことがあります。肉だけではなく、(あぶら)も傷に効いたそうです。保湿効果もあって、貴族の女性たちはこっそりと馬の脂を膏薬(こうやく)として毎朝顔に塗っていたのだとか」

 

 トーテツ氏が言った。

 

「ほっほ。さすがはミツバさん。もうこの話は知っておったようですな。さよう、闘技場では治療のために大量の馬の肉を使っておりました。怪我だけではなく、疲労した筋肉を冷やすためにも馬肉を用いたそうです。ですが、やがて馬肉が使われることはなくなりました」

 

 私は言った。

 

「抗議の声が出たんですよね」

 

 トーテツ氏は頷いた。

 

「そのとおり。ミツバさんのようなジャーナリストたちが、『闘技場の戦士ごときを治療するために馬を殺すのは不経済だし、なにより可哀想だ』と声をあげたのですじゃ。そりゃそうですわな。このハイラルの大地にはもっと他に有効な治療薬の素材がゴロゴロしております。たとえば、そう、ヨツバさんのお嫌いなマックストカゲで作る、マックス薬とか」

 

 私は言った。

 

「でも、マックストカゲは高いですよね。あと、べつに私はマックス薬は嫌いじゃないです」

 

 トーテツ氏は私の言葉を無視して話を続けた。

 

「高いからこそ、闘技場側はもっと安い素材を求めたんですじゃ。それで馬の肉へと辿り着いた。年老いて乗馬に適さなくなっても、肉にすれば有効活用することができる。マックストカゲよりも遥かに安く手に入りますしな。それに、実のところを言うと闘技場の戦士たちは薬として馬肉を使っていただけではなく、食べ物としても馬肉を好んでおったそうです。『馬肉のスープと焼肉が戦士を作る』などと言われておったとか。しかし、いかに闘技場といっても世間の声には勝てない。それに、闘技場の戦士たちは蔑まれておりましたからな。そこで別の、安価な治療方法が色々と試されました。この世界というのは実によくできておりましてな、それはほどなくして見つかりました……」

 

 どうやらトーテツ氏の話の本題はこれから始まるようだった。私は彼が再度口を開くのを待った。彼は私のベッド脇にある小机の上に置かれた水差しの中身をコップに注ぐと、一息に水を飲み干した。彼は少しばかりむせた。

 

「ゴホッ……ゴホッ……年をとると水を飲むのも命がけですわい。年老いた馬もよくむせております……そうそう、馬肉に代わるものとして新たに見出されたのは、腐った豆だったそうですじゃ」

「納豆ですか!」

 

 驚いて私が声をあげると、トーテツ氏は何度も頷いた。

 

「そうそう、確か『ナットー』とか、そんな名前でしたな。腐った豆といっても本当に腐っているのではなく、糸を引いていて匂いも強烈なものでしたが、ちゃんと食べられたそうです」

「ああ、それはまさに納豆そのものですね。それで、闘技場の戦士たちはどうして納豆を知ったのですか?」

 

 まさかトーテツ氏から納豆に関する話を聞けるとは思わなかった。これまで手に入る限りの納豆に関する本を読んできたが、闘技場において納豆が用いられていたという話はどこにも載っていなかった。私は手帳を取り出し、痛む手を駆使してこれまでトーテツ氏が語ったことをメモし始めた。

 

「ある日、馬の肉が食べられなくなって困っていた戦士たちのもとへシーカー族の高僧が訪れて、『これからは馬の代わりにこれを食するように』と、藁苞(わらづと)に包まれた豆を差し出したそうですじゃ。はじめはその酷い匂いと食感に恐れをなしていた戦士たちでしたが、やがて一種の『罰ゲーム』として豆を食べるようになったそうです。そうしたら、だんだんと『これは美味い』ということになり、戦士たちは馬肉の代わりにナットーを食べるようになっていったんだとか」

「薬としてではなく、食べ物として納豆を用いるようになったんですね」

 

 私がそう言うと、トーテツ氏は首を左右に振った。

 

「いや、薬としても用いたと聞いております」

「なんですって?」

 

 思いもかけない返事だった。納豆を薬にする? そんな話はこれまで聞いたことがなかった。

 

 トーテツ氏は言った。

 

「腐った豆をすり潰してペースト状にしたものを、傷口に塗ったそうです。『これほど美味くて健康に良いものなら、きっと傷にも効くだろう』という話だったそうですが……まあ馬肉ほどには上手くいかなかったようですな」

「それはそうでしょうね……」

 

 おそらくこの話は、誰かの突飛な思いつきが何らかの形でそのまま伝承されたものだろう。それにしても闘技場の戦士たちはよほど安価な薬を求めていたようだ。普通ならば食べ物をそのまま薬にするなどとは思うまい。

 

 トーテツ氏は話を締めくくるように言った。

 

「さて、わしが知っている話はだいたい以上のようなものですが、何か他に聞きたいことはありますかな?」

 

 私は尋ねた。

 

「闘技場の人たちはどうやって納豆を手に入れていたのでしょうか。自分たちで作っていたのでしょうか、それとも外から買っていたのでしょうか?」

 

 トーテツ氏は答えた。

 

「その両方だったようです。しかし、やはり外から買ったものの方が味が良く、栄養価も高かったようですな。特に好まれたのは遠くフィローネの密林から採ってきたバナナの葉を用いたナットーだったとか。茹でた豆をバナナの葉で包んで、暗所に数日間放置するとナットーができあがったそうで……」

 

 これまで静かに話を聞いていたバナンナさんが、突然甲高い声をあげた。

 

「バナナの葉を、豆を腐らせるのに使ったですって!?」

 

 声をあげるのとほぼ同時に、彼女はテーブルの上に置いてあった素焼きの什器(じゅうき)を右腕で叩き割った。彼女の怒りの度合いはみるみるうちに上昇した。

 

「神聖なるバナナの樹の葉をそんなゲテモノ料理のために用いるなんて、バナナの神は決して許しませんわ! なんという瀆神(とくしん)行為! 闘技場が滅んで今は遺跡に成り果てているのもむべなるかな! バナナの神の天罰が下ったのでしょう! それにしてもああ許しがたし、豆を腐らせるのに聖なるバナナの葉を使うとは……!」

 

 腕を振り回し、髪の毛を振り乱して、バナンナさんは強い怒りを露わにしていた。トーテツ氏はそんな彼女を目を丸くした。彼は言った。

 

「お、お嬢さん、いったいどうしたのですじゃ……!?」

 

 大人しく、上品そうな彼女が「バナナ」という単語が話に出てきただけで豹変したのだから無理もない。

 

 しかし、このままでは話が進まない。私は彼女を(なだ)めた。

 

「ま、まあまあ、バナンナさん。どうか落ち着いてください。豆を発酵させるのにバナナの葉を使っていたというのは、もう過去の話ですよ。そもそも、今では納豆なんて誰も作っていませんから」

 

 バナンナさんは一瞬、凶暴な視線を私へと向けた。恐ろしい目つきだった。改めて、今後はこの人の前でバナナに関して下手なことを言わないようにしようと私は思った。

 

 彼女は幾分か平静さを取り戻した。彼女は言った。

 

「……申し訳ありませんわ。取り乱しました……そうですわね、もう過去の話ですわね」

 

 私は言った。

 

「そうですそうです! 過去の話ですよ!」

 

 トーテツ氏はちょうどここらあたりが話を切り上げる頃合いだと思ったのだろう。

 

「わしからもこれ以上お話しすることもありませんな。それでは、わしはこれで失礼いたします……」

 

 そう言って、彼は逃げるようにしてその場から去っていった。あとには私と、興奮冷めやらぬ(てい)で肩で息をし、頬を紅潮させたバナンナさんだけが残された。

 

 午後のやわらかな日差しが薄暗い宿の中へ差し込んでいた。外は旅をするのにちょうど良い日和だろう。

 

 私は、先ほどまで自分が覚えていた全身の痛みが薄らいでいるのを感じた。トーテツ氏の話が、私に旅をする気力を取り戻させたようだった。闘技場で納豆を食べ、命を擦り減らす戦いを繰り広げていた戦士たち。今ではたった一人の老人だけが知っているその話を私が記事に書けば、過去の世界において確かに生きていた人たちの声を、それも、刀剣を持ってはいても声を持たなかった人たちの声を、わずかながらでも再現できるかもしれない……

 

 ぼんやりと考えに耽っていた私に、バナンナさんが話しかけてきた。

 

「ヨツバさん、あの……」

 

 私は答えた。

 

「どうしたんですか、バナンナさん」

 

 バナンナさんは言った。

 

「ヨツバさんは記者さんですよね?」

 

 頷きつつ、私は答えた。

 

「はい、そうですが」

 

 彼女は言った。

 

「であるなら、先ほどあのご老人が語ってくださったお話を、記事にするのでしょう?」

「そうなりますね」

 

 私がそう答えると、バナンナさんは椅子から立ち上がり、奇妙なまでに大きな足音を立ててこちらへ近寄ってきた。恐ろしいほどに素早い動きだった。彼女は私の両肩を掴むと、目を見開き、その美しい顔をぐっと近づけた。

 

「ヨツバさん」

 

 ああ、ええ匂いがするなぁ。これはバナナの匂いの香水かいな。現実逃避気味にそう思っている私に、彼女は決然たる口調で言った。

 

「良いですこと? 闘技場で戦士たちがナットーを食べていたという話はいくらでも書いて構いません。ですが、『バナナの葉を使って豆を腐らせていた』という話は書いてはなりませんわ、決して! そういうバナナを冒瀆(ぼうとく)するような話は、決してこの世に残してはなりません。良いですわね?」

 

 私は曖昧に答えた。

 

「は、はぁ……しかしですね……」

 

 バナンナさんはごまかされなかった。彼女はなおも強い口調で言った。

 

「しかしでも水菓子(みずかし)でもありませんわ! 決して書かないと約束してくださいませ!」

 

 バナンナさんの瞳は危ういまでに純粋に透き通っていた。その奥で強固な信念が(いやむしろ信仰というべきだろうか)冷たく燃え盛っているようだった。それでも、彼女の信念がどうであれ、私には記者として貫かねばならない態度というものがある。

 

「あ、あの、えーっと、その……」

 

 しばらく、私は迷った。迷う時間が長引くにつれて、彼女が私の肩を掴む力が増していった。とんでもない握力だった。この強さならばりんごも握りつぶすかもしれない。

 

 その握力をもたらしているものについて思いを馳せると、これ以上抵抗する気が急に消え失せていくのを私は感じた。私は言った。

 

「……分かりました。バナナの葉の話は書きません」

 

 彼女は言った。

 

「そうですか! それは良かったですわ!」

 

 彼女はパッと手を離した。私はほっとするのと同時に、形容しがたい敗北感を覚えていた。心の中では、私はバナンナさんの要求をどうしても拒絶したかった。だが、結局は屈してしまった。それはバナンナさんの握力に負けたのではない。あえて彼女と口論をして、せっかくここまで仲良くしてきた彼女との関係を壊したくないという、私の臆病な精神がそうさせたのだろう。

 

 それに、たかがバナナの葉の話だしな。

 

 再び椅子へと戻っていく彼女を見ながら私は思った。あるいは今後「たかがバナナの葉の話」が「されどバナナの葉の話」になるかもしれないが、そうなったとしても後悔はするまい。たとえば彼女が「闘技場の戦士たちが納豆を食べていた話を書くな」と言ったのならば、私は死力を尽くして抵抗しただろうが、彼女は「バナナの葉を書かないで欲しい」とだけ言ったのだ。それくらいは譲歩しても良かった。

 

 そもそも、バナンナさんがバナナについて熱く語ってくれなかったら、トーテツ氏が私のところにまで来て話をしてくれることもなかっただろう。それに、トーテツ氏は私だけではなくバナンナさんに対しても話をしたのだし、そうであるならば私だけが記事の内容を決める権利を持つわけではない……

 

「でもなぁ、なんだかなぁ」

 

 このように考えてはみるのだが、その考えはどれも、どうにも言い訳めいて感じられた。

 

 ジャーナリストは声を集め、声を発するのが仕事であるが、それは「どの声を拾い、どのように声を発するのか選択できる」という、ある種の()()を持つことを意味している。

 

 どれだけ声に誠実であろうとしても、私は声を選別していて、ある声を拾う一方で、ある声を捨ててもいるのだ。そうでなければ記事が書けないのだが、だからといって「仕方がない」と開き直ることもできない。

 

 自分が今覚えている敗北感は、単に臆病な精神が屈したからではなく、もしかするとこの特権が脅かされたからではないだろうか? バナンナさんが握力という有形力(ゆうけいりょく)を行使して、私が書こうとする記事の内容に干渉したのは確かな事実である。私はこのジャーナリストの特権について、それをありがたいと思ったことはなく、むしろ重荷のように感じてさえいるのだが、しかしどのような形であれ、いざそれが侵害されると、やはり何かしら思うところがあるのだろうか。しかし……

 

「所詮はバナナの葉っぱの話だし」

 

 甲高い声が響いた。

 

「まあ、ヨツバさん! 『所詮は』とはなんですか、『所詮は』とは! バナナの葉は神聖なものなんです!」

 

 げぇっ、聞かれていた! バナンナさんの目がキツネのようにつり上がっている! 私は逃げることもできず、また彼女に肩を掴まれていた。

 

「いいですかヨツバさん、バナナの葉はかつて世界が暗黒に呑み込まれそうになった時、その身を挺してバナナの神を信仰する者たちを守り……」

 

 私は叫んだ。

 

「痛い痛い痛い、バナンナさん、肩を掴むのをやめてください! 肩が砕けちゃう!」

 

 バナンナさんが正気を取り戻すのには時間がかかった。彼女はその後、償いであるかのように私の看護をしてくれた。

 

 そのおかげもあってか、翌日になると、痛みは嘘のように消えていた。

 

 私はもう一晩投宿して英気を養ってから、次なる目的地である双子馬宿へ向かうことにした。




 次回、ようやくリンクさん登場!……のはずです、予定どおりならば。はよう出てきてくれリンク!

 ちなみにバナナの葉を用いて納豆を作るのは東南アジア諸国では一般的であるようです。納豆は日本だけではなく、東南アジアにもアフリカにもあります。アフリカではダワダワとかスンバラというらしいです。

 次回もどうぞお楽しみに。

※加筆修正しました。(2023/06/16/金)

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